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夜空を、深淵の夜空を引っ掻くビル群。 まさに摩天楼という字に相応しい鉄とコンクリートとガラスの塔達。 多くの者がそこに入り、出る。 それらの一階から。 ただ、今夜の客達は……入り口から入ってくるようなお上品なモノではなかった。 言うまでも無く、高層ビルの屋上の風は激しい。 地上で全くの無風状態であっても、そこで服がはためくぐらいの風は常にある。 「風が強いですね」 一人の少年が言った。 サイズがぴったりとあったタキシードを身にまとい、空の孤独に浮かぶ満月を見ている。 「それに……寒い。 風邪を引かぬよう、暖かい格好をすべきでしたね」 冷えた空気を胸一杯に吸い込み、ゆっくりと振り向く。 目の前には、女。 見かけの年齢はおおよそ二十代前半。 滑らかな黒髪と、深紅の瞳、八重歯というよりもはや牙と言うべきものが真っ赤な唇に浮かび、神の悪戯とさえ思える絶妙なプロモーションを保った、想像を絶するほどの美女。 男であれば、不能者か同性愛者以外、彼女を目の前にして釘付けにされるものはいないであろう……美貌。 肩、腕、ほっそりとした膝から下を露出した黒いドレスが白い肌と会い交じり合って、恐ろしいほどの妖艶さを出している。 唐突だが、彼女はヴァンパイアだ。 不吉なるものどもの長、闇から無限の力を引き出す王、神の敵、神の悪戯、神の化身。 相対する少年は、ダンピール。 比類無き力の持ち主、闇の力を無効化にするスペシャリスト、神の味方、神の憎悪、神の殺し屋。 吸血鬼と吸血鬼の息子が今、お互いが秘める大いなる邪悪の力を隠しつつ対峙している。 「悪魔狩りのボウヤ。 死にたくなければ、とっととお帰りなさい。 今ならば、先ほどの無礼は不問にしてやろうぞ」 海の魔女セイレーンが嫉妬するほどの美声。 その声は全てのものを魅了し、殺す。 一般人であれば即死する言霊が所狭しと敷き詰められ、聞こえた物を皆殺しにしている。 だが、最も効果のありそうな少年だけは、涼しい顔をして吸血鬼の深紅の魔眼を見据えていた。 「残念ですけど、それは出来ません。 今夜は貴方を倒す、とご先祖様に誓ってきましたから」 そっと華奢な体の懐に手を入れ、空恐ろしいほど黒光りする銃器を取り出す。 大口径のそれは、長年、戦闘用の銃を取り扱う者であっても使いこなすことが出来ぬもの。 ましてや糸のような体の細い少年に取り扱うことなど出来ないはずだ。 「……聞く耳持たぬ、かえ」 有り余る殺意に更に殺意を加えた美女の声が聞こえるとほぼ同時に、銃口から盛大なる火花が吹き出した。 辺りを切り裂くうねりを生み出す銃声。 それが、何発も、何十発も。 「……流石、一筋縄にはいかないか」 美女も少年も姿が消えた。 ただ、素人が扱ったらまず間違い無く反動で指の骨を折ることが確実であろう馬鹿のような拳銃が、まるで最初から自分を持っていた者など居なかった、と言っているように空中から地面に落ちる。 次の瞬間、少し錆びた金網に鮮血が散った。 すぐ近くには肩の白い肌から血をしぶかせている。 そしてそのすぐ後ろに、月の光を受けて煌く銀のナイフを持った少年の姿。 「くっ、私の肌を傷つけるとは……」 再び、二人の姿が消える。 人間の目ではもはや不可視のスピードで二人は動き、互いの力を攻めぎあわせているのだ。 武装した兵を一瞬にして数千の単位で殺せる力を有す女吸血鬼であったが、彼女は恐れ慄いていた。 『このダンピールの力の底が見えない』 ひょっとしたら自分の力を遥かに凌駕するかもしれない、という考えが不意に頭を掠める。 事実、1打目をかわされたどころか、忌々しい銀のナイフで斬られたことがその事実を物語っていた。 「くっ、忌々しい……人間との混合種の癖に……」 数分間の沈黙ののち、ようやく美女の姿が現れた。 それでいても、まだ人間の目では捉えずらいスピードで狭い屋上を走りまわっている。 すでに肩の傷はふさがっていたが、顔には粒の汗を浮かべていた。 「一旦は退く。 だが、これで勝ったと思うな」 黒いドレスを突き破り、美女の背中に一対の黒い翼が生えた。 蝙蝠のような骨格を持ち、禍禍しい形状をしたそれは、夜空を駆ける足。 たおやかな足から見るものを圧倒する跳躍が生まれ、一瞬の間に月の影と化した。 それと同時に、少年も姿を見せ、彼女と同じように黒い翼を……遥かに巨大な黒い翼を背中から突き出し、空を駆ける。 「逃げられませんよ」 まるで冗談を見ているようかのスピード。 美女の頚骨に鋭いナイフがつき立てられ、月が真っ赤に染まった。 ゆっくりと落ちる女吸血鬼。 「フフ、私を食べて」 悲鳴一つあげず、微笑みながら少年に目を流す。 その瞳の中には狂気。 少年は落下するものには目もくれず、月を仰ぎ見る。 「……言ったでしょう。 逃げられません、って」 そのまま黒い影に溶けて消えた。 「フフ……まだまだ甘いわね。 分身とは知らずに追いかけるなんて」 黒き羽根を生やした女吸血鬼が、さきほど彼女の分身が刺された地点から遠く離れたところでビルとビルとの間を滑るように駆けていた。 速過ぎ、また、普通の人が居るはずの無い場所であるため、誰一人にも見つからずかけている。 否、一人だけ、その存在に気付いていた者がいた。 「逃がしませんよ、って言ったじゃないですか」 蝙蝠の羽根を生やした少年。 手にはナイフ、それに…… 「悪魔よ、消え去れ!!」 ……ロザリオ。 聞く者全て――木であろうと石であろうと――を恐怖に陥れる絶叫がビルに木霊する。 それとともに、慣性の法則に従い超スピードで辺りにその身を撒き散らす白い灰。 女吸血鬼は、この瞬間、この世界から、消滅した。 「あ〜ら、残念。 それも、ぶ、ん、し、ん」 少年の首に、女の牙が突き刺さった。 正真正銘、分身ではなく本物の彼の首に。 再び、絶叫が辺りの空気を揺らす。 激しい勢いで彼の血が首元から流出し、代わりに吸血鬼の唾液が彼の中を流れる。 体中の体液を抜かれるおぞましさと、吸血鬼の魔力、魔力を抑制する魔術の流れる激痛。 少年は、魔に墜ちた。 ―――独立した、魔に。 「フフッ、これであなたは、私のモ・ノ」 僅かに頬についた血をぬぐいとり、極上の食事と眷族を手に入れた女吸血鬼は言った。 絶大の孤独と、ほんの僅かな支配欲が満たされた瞬間。 だが、それはすぐに反転するものとなる。 くるりと翻った少年―新ヴァンパイア―。 敵意と、大いなる力を主人へと向けて。 凄まじい衝撃が女を襲い、女はその衝撃に耐えきれず、ビルのコンクリートの壁に突き刺さった。 「かっ、はっ……」 吸い込んだものより多くの血を吐き、何が起こったのかを確認しようとする。 無論、最初に目に入ったものは、自分のものより遥かに赤い瞳。 このとき初めて、なんでかはわからないものの、自分が失敗をしたことを知った。 「さよならだよ、……母さん。 ほんの片時だけど、愛してた」 まだ少し自分の血が付いた唇に、少年のやさしいキスが触れる。 気を失う寸前、ふと、数年前わずかにでも長年を生きるという孤独を紛らわせようと、戯れに産んだ人間との子のことを思い出した。 優しい、優しい息子の胸の中で、ゆっくりと、彼女は…… 再び、ビルの屋上。 少年は、気絶した女吸血鬼にそっと、自分の上着をかけてやる。 傷は癒され、静かに寝息を立てている母親の顔をじっといとおしげに見やる。 血を吸われたとき、何故彼が吸血鬼化しなかったのか。 彼の肉親の体液が、彼の血と反応し、中和されたからだった。 それによりこのヴァンパイアハーフは救われた。 ただ……代償は大きかった。 彼ですら予想も出来なかったほど、大きかった。 しかし、今、それを知る手段はない。 やがて、彼の身にそのツケがまわってくるまで、彼は知ることは出来ない。 そして、そのツケがまわってくるのは……遅くても朝までだ。 「風が……強いですね」 ふと、ポツリと口から独り言が漏れた。 月を仰ぎ見る。 綺麗だった。 黒い羽根が広がり、綺麗な月目掛けて、彼は飛びさった。 母と、母の温もりを置き去りで…… ほんの数適、涙が零れたがそれもいつかは忘れるもの。 ただ、無為に無為に、彼は月へと向かって行った。 ……完全なる脅威となりはてた彼。 心の奥底の深淵に、果て無き欲望と新たなる『自分』が誕生したのも知らずに。 辿りつく先は……闇。 その日、一人の少女が誘拐される事件が発生した。 目撃者は、何か大きくて黒い翼がついたものがやってきて攫っていったと証言しているが、だいぶ錯乱しており、警察では信憑性は低いものとして見ているらしい。 だが、これは警察の判断ミスとしか言い様がないであろう。 もっとも、警察は正常な思考を持つものではあるという保証は立てられるのではあるが。 後書き どうも、初めまして、zokutoと申すものです。 この度、稚拙ながらも才溢るる投稿作家様方に名を連ねさせていただこうと思っている新人です。 どうかよろしくお願い致します。 今まで設定を原作任せにした二次小説は少し書いていましたが、完全オリジナル物を人に見せるのは初めてなので、少しドキドキです。 しかも、今回プロローグでH無し……皆さんの反応がちょっと怖かったり^^;; 次回はエロエロモードを完全にONにして、なるべくご期待に添えるよう努力致します。 それにしても、初挑戦が数々の人から作り出されている吸血鬼物です。 もう無謀としか言い様がありませんね、ハイ。 素直に、しょぼーんとしてきます、ハイ。
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