J・R軍団は、スタンピード・レスリングのダイナマイト時代における最も傑出した企画であった。一人か二人の大馬鹿野郎が団体を大混乱に陥れるのではなく、間抜けな王様J・R・フォリー率いる軍団が、ハート王朝に対して歴史的な挑戦劇を演じた。現在進行形の歴史絵巻は、スタンピード・レスリングの独特の快活な趣きを与えた。J・R軍団の構成員は忘れがたい面子が揃っていた。
エド・ウォレンの団体内での影響力を最も顕著に示す“ノークラス”ボビー・バスを例に挙げる。ノバスコシア州ダートマス出身のデニス・バルドックは1980年にスタンピード・レスリングに参戦するまでに、ボビー・バスのリングネームで長い選手経験を積んできた。当時、カナダ大西洋岸出身のバルドックは、テキサスの無法者と自称していた。しかし、ミゼットレスラーを空中高く投げ過ぎて、リング上空に吊るされていた照明に激突させた晩に、バスの名前は一躍有名となった。驚愕したウォレンは、この悪役レスラーを“ノークラス(ヘタクソ)”ボビー・バスと命名した。この名前は大受けし、すぐに会場全体が連呼して、ミゼットを放り投げる嫌われ者に対して団結するようになった。
ゴージャス・ジョージのオカマ芸を1980年代に復活させ、異様な風貌を加味した脱色した金髪の英国人“エキゾチック”エイドリアン・ストリートもいた。
身長160センチのストリートは、ゴージャスな御仁のローブや口紅を模倣するだけでなく、アリス・クーパー風とも女装趣味とも言える、お下げ髪、ピンクのブーツ、厚化粧によって新境地を開いた。対戦相手の唇に接吻して精神的に混乱させることがよくあった。レスラーが飛び上がって、怯えながら唇をぬぐっていると、ストリートは汚い一撃を見舞って、勝利を収めた。観客席の男児は、声を枯らさんばかりの「ファゴット(ホモ)!ファゴット!」の連呼を耳にした。
スチュはストリートのギミックを気に入らず、1981年に1ヶ月かそこらしか参戦しなかった。しかしストリートのインタビューは、笑える記憶となっている。ストリートは女装趣味としか思えない服装で「俺様の相手は勇敢なことに俺様の男らしさを中傷しやがった」と語気を荒げた。「俺は男だ!本物の男だ!ハート兄弟よ、男の何たるかを見せ付けてやるぜ!」
映画に出てくる典型的黒人像そのままの、悪徳黒人ポン引きジューダス・ローセンブルームという色物もいた。ブルース・ハートが考案した“難解な逆説”はユダヤ人の名前をしており、黒人のユダヤ人ポン引きはプロレス界だけでなく、どこの世界でも極めて希少な存在であった。
マルチニーク島出身の“シャンパン”ジェリー・モローは、1975年から始まった好調な20年間における、スタンピード・レスリングの主力選手であった。モローはキューバン・アサシンとキューバン・コマンドーズを結成して台頭した。モローは女性遍歴と遊び人としての経歴を仄めかすために、“シャンパン”ジェリーと自称した。ウォレンはこうした自称を一笑に付して、“安酒”ジェリーと呼んだ。
ロッホ・ネス・モンスター(ジャイアント・ヘイスタック)なる310キロ、215センチ近い巨獣を目の当たりにした誰もが、その光景を忘れることがない。アンドレ・ザ・ジャイアントほどのカリスマ性も、技術も備えていなかったが、ロック・ネスは兎にも角にも巨大な目玉商品であった。リングを揺るがすボディプレスで対戦相手を圧殺する様を、人々は見たがった。ロック・ネスは同僚レスラーにも強烈な印象を残した。ベン・バサラブは「あいつはデカくて、臭いやつだった」と振り返る。「デカ過ぎてホテルのトイレが使えなかった。バスタブで小便とウンコをしてから、僕ら新人に掃除させようとした。『嫌だ、そんなことはしない』って言ってやった」と語る。
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