水の流れと身の行方

 

 これは俺の人生を変えたひと夏の出来事である。話を始めるにあたってまずは一番最初の出来事から話していきたい。
 初夏に俺の母親が再婚をした。相手は同い年のサラリーマン。出会って三ヶ月でゴールインというスピード再婚だった。俺は別に義理の父親を嫌がるような駄々を捏ねるわけでもなく、それよりも母親が俺にいろいろと気を使ってくるので心配するなと精一杯祝福してやった。
 再婚相手の男性は思っていた以上にまともで責任感のある人で、この人なら母親を任せられると感じたのと同時に俺は一生この人を父さんと呼ぶことは無いだろうと思った。相手方の住んでた家が賃貸だったため、うちの購入していたマンションへの引越しとなり、物事はとんとん拍子で進んでいった。
 そして全国の高校生が夏休みを迎えるこの夏の時期、二人は再婚旅行でヨーロッパへと旅立って行った。願わくば成田離婚にならないことを祈るばかりだ。俺も素直に快く、嫌な顔せず笑顔で、気を使わせずに見送ることが出来たが……問題がひとつだけ残った。俺の目の前には再婚相手の連れ子、つまり俺の義理の妹、もうすぐ誕生日を迎える近藤静ちゃん1歳がいることだ。

俺の名前は近藤啓太、高校一年生。旧姓国枝。俺は俺が生まれた年に親父が死んでしまったため十六年間母子家庭で育った。
そのため1人暮らしのスキルはこの十六年でかなり上達したが、子供の相手をするのはほぼ初めてだった。いや思い返すと初めてかもしれない。
 新婚旅行は一週間、離乳食やだっこは俺でもすぐに出来たが泣き止ませたりおむつを取り替えるのは大変だ。
 一緒に暮らし始めて約一ヶ月だが、親の再婚生活中に俺がいかに義理の妹の世話をしていなかったのかが如実に表れてしまう。なにしろ1歳の子供はじっとしてくれない、少しでも機嫌が悪いとすぐに泣いて暴れてしまう。
最初の二日間は子守に疲れ果てて気を失い欠けていた。何しろ夜も泣き出して寝かせてくれないんだ。
 三日目には、ようやく静の子守にも慣れてきて静も最初こそ距離があったものの、少しづつ俺のことを慕ってくれるようになってきた。一日目ははパパーどこー!!って泣き叫んでいたくせに。
そして四日目、朝飯も何事もなく静に食べさせると俺は高校へ行く支度を始めた。今日はテストの補修課題を受け取りに行かないとならない。それに脳みその作りが良くない俺は課題をこなすにも馬鹿でも理解できる参考書が無いと捗らないわけだ。
 普通だったら終業式にでも借りるのだが、脳みその作りが良くない俺はそのことに気づくのも夏休みに入ってからだった。
 本当は静のこともあるので近所の本屋で買って済ませたいが、バイトもしていない俺には楽しみの欠片も無い勉強ということに使うお金は生憎持ち合わせていない。無難に学校の図書館を利用するのが一番だ。もしかしたら片親生活が長かったせいか、貧乏性になっているのかもしれない。
 俺の通う高校までは歩いても三十分と掛からない。高校受験も交通費が掛からないのを第一条件で選んでたし、まぁ何にしても安く済むのに越した事はないよな。
 抱っこ紐を着けて静を胸元に抱き背中にはベビー用品を詰めたリュックを背負い準備は万端だ。静も久しぶりのお出かけで機嫌が良い。
 最近は「にーちゃ」って呼ばれるようになったし、少しだけ二人の間柄も実際の兄妹に近づいてきたのではないだろうか?外は曇りだったが降水確率は0%だ。俺は静をあやしながら高校へと脚を向けた。

 

美中に刺あり

 

 課題を担当科目の教師から受け取り、図書館で苦手分野の資料を集めていたら結構な量になってしまった。静は図書館に着く前に寝てしまったので集団で利用する大きな勉強机の上にそっと寝かせておいた。
「あら近藤君じゃない」
聞き覚えのある声が背中から聞こえる。できることなら後ろを向きたくないが向かないといろいろと面倒なので後ろを向く。
「よ、よう若木……」
やっぱり……そこにいたのはうちのクラス委員長、若木恵理だった。夏休みだっていうのに制服姿だ。
 正直言って俺はこいつが苦手だった。若木は頭が良くスポーツもよく出来るし顔の造りも丁寧に出来ているが、なんていうか……高飛車な性格なのか、こいつと話しているといつも見下されているようでどうも気分が悪いのだ。
「参考書や資料をそんなに抱えているなんて、近藤君にしては珍しいわね」
「いやぁ、夏休みの課題がなかなか進まなくてな……」
 実際進むどころか踏み出してすらいないけど。
「若木は……これまた難しそうな本を借りてんなぁ」
「これはエミリー・ディキンソンやフランク・ノリスの原書本よ他の作品が面白くて借りに来たの」
 原書本って……和訳されていない本なんか読んで本当に面白いのか?俺からしてみたら本当に意味が理解できているのか疑いたくなる。
「あら、その子は?」
 すると若木は俺の後ろで寝ている静に気づく。
「あぁうちの親再婚してさぁ、相手側の娘さんで旅行中の両親に代わって面倒見てるんだよ」
「へぇ……そうなの、大変なのねぇ」
そういうと若木は机に近づき静の寝顔を覗き込む。こうして微笑んでいる若木の顔を見ると本当に綺麗だよなぁ。これで性格がもう少しおしとやかだったらなぁ……。
「じゃ、じゃあ俺本借りてくるから!」
 若木に何か言われる前に俺は受付に向かうことにした。若木は机の上にいる静を眺めている。
 ……若木は根っからの委員長体質なのか、それとも頭の可哀想な人を見ると助けたくなるのか、クラスどころか学年でも頭の悪い部類に入る俺にいろいろと小言を言ってくる。あるときはテスト前に「こことここは絶対に覚えておきなさいよ」と強い口調で言われたり、あるときは提出課題の期限に「まだ終わってないの?今日までなんだからしっかり終わらせなさいよね」と文句を言われたり、この間帰るときなんか「近藤君はボンヤリしているんだから交通事故には気をつけなさいね」と注意されたり、全く俺は小学生かっつうの!
 今日もいろいろ言われる前に帰るが吉だ。早々に借りる本を記入して静を連れて行くことにしよう。このままだと夏休みが終わっても課題が終わってないなんて事の無いようにね、とか言われそうだ。
「あら、もう終わったの?」
「あぁ……ってちょっ!!」
 俺が元居た場所を向くと若木が持っている本を整理していた。が、俺が叫んだのは静が眼を覚まして机の上に立ち上がっていたからだ。寝起きだからか、足取りがフラフラとしている。俺が驚いたのを見て若木も気づいたようだ。
 すると静はおぼつかない足取りで机の端までヨタヨタとふらつき机から落ちそうになる。
『危ない!!』
 俺と若木が同時に声を上げた。走って助けようとしたが間に合わない!
 静の体が傾いて机から落ちる!!と思ったとき若木は持っていた本を投げ捨てて静目掛けて体ごと突っ込んでいた。
 若木は静を抱きかかえるようにしてそのまま机と椅子にガッシャーンと音を立てて倒れこんだ。
「若木!!」
 俺はスグに二人のもとに駆け寄った。倒れた椅子の間に若木が静を抱えながら蹲っている。
「おい若木!!」
 俺は若木の上半身を起して頬を軽く叩く。綺麗なキメ細かい白い頬は柔らかく弾力がありほのかにいい香りが……ってそうじゃない!
「ん……」
 意識を取り戻したのか若木の眼がゆっくりと開く。
「若木……大丈夫か?」
 すると若木は最初ポカーンとした顔をしていたがだんだん顔が今にも泣きそうな顔になっていく。
 やべぇ打ち所が悪かったか?こんな不安げな顔の若木を見るのは初めてだ。
「お、おい……大丈夫かよ若」
「にーちゃ!!」
 ガバッ!
 ちょっ……!!やばいマジで脳にダメージがあるみたいだ!起きた若木は俺を見るやいきなり眼に涙を浮かべてハグしてきたのだ!あぁ女の子の胸って柔らけぇ……。とかそんなこと考えている場合じゃねえ!落ち着け俺!!
「おい若木!どうした!!」
 俺は抱きしめてきた若木を両手で引き離すと若木は困ったような微妙な顔をしてこちらを見ている。
 そ、そうだ!それより静は大丈夫か!?
「んー…………」
 小さく静の声がしてスグに声の方向を探すと、少し離れたところで頭を押さえながら起き上がろうとしているのが見えた。
「良かった……しず……」
「痛たた…………全く……妹さんのことなんだからしっかり守ってあげなさいよね!」
「…………………………え、なんだって?」
 1歳の妹の口からいきなり流暢な日本語が発せられたので俺は意味を捉える前に聞き返してしまった。
「へ?」
 すると静もおかしな顔をしてこちらを見る。
そして約十秒後
『えぇぇぇっっっ!!!!』
 俺と妹が叫ぶところをうちのクラス委員長が見て笑い出した。

 

                                             つづき