その後の授業も受けはしたが、やはり知能が低下しておりまともに授業を聞く事が出来なかった。教師が何を喋っても頭には全然入らず、分からなくなってくると眠気が襲ってくる。気付くと手遊びをしていたり落書きをしていたりと勉強以外の事に気が向いてしまう。そして度々、強い欲求が襲ってきて体が快感を求め先ほどまで不良と思っていた男子生徒の表情や仕草を見ては淫らな妄想が頭に過り、そんな自分に苛立った。結局このままではいけないと思い、放課後を待たず昼食の段階で早退することにした。私は朝に出会った薄手アスナの存在が気になっていた。何故彼女がA高の制服を着ていたのか、何かしらの原因はそこにあると感じていた。
帰り道の途中で早い時間からか、ランドセルを背負う女の子の姿が見えた。高梨美香ちゃんだ。彼女はうちの近所に住んでおり、家族ぐるみで交流をしており、私も何度か彼女の面倒を見て上げたりしていた。記憶が正しければ小学五年生のはずだ。美香ちゃんは同級生と思われるもう一人の女の子とお喋りしながら歩いていた。
「どうもこんにちは、美香ちゃん」
後ろから声を掛けると、美香ちゃんが振り返った。そして私の顔を見た途端に笑顔が消えた。
「あ……どうも……こんにちは……」
何やら様子がおかしい……どうかしたのだろうか?
「どうしたの?元気がないみたいだけど……」
「いえ……その…………母があまりお姉ちゃんとは……ご、ごめんなさい」
「えっ?どういう事かしら?」
美香ちゃんが言いあぐねているので、何を伝えようとしているのか分からない。
「まだ分からないの!?お姉さん!!」
いきなり美香ちゃんの隣にいた女の子が声を上げた。
「お姉さんバカ商の生徒でしょ!?みんなのママが言っているよ、バカ商の制服を着た人と喋っちゃいけませんって!」
そこでようやく理解出来た。今の私はバカ商の生徒という事になっているのだ。
「だからお姉さんもそこらへんを自覚してよね!」
「ご、ごめんね、でも以前は美香ちゃんに勉強を教えてあげたりいろいろと……」
「えぇっ!そうなの美香ちゃん!?」
すると美香ちゃんは首を大きく横に振って否定した。
「そ、そんな事されたこと無いよっ……」
「ほら!美香ちゃんだって知らないって言っているじゃない!大体、私たちは私立の中学に行くため塾で受験勉強をしているの!お姉さんよりも勉強しているし利口なの!分かるっ!?」
威勢良く喋る生意気な小学生に対し私はただ黙って睨む事しか出来なかった。何かを言い返したかったが、上手い言葉が見つからなかった。今まで意識せずとも口から出てきた語彙の引き出し方を忘れてしまったみたいにスムーズに適切な単語が思い浮かばない。曖昧な表現で喋っても、少女に言い包められてしまう。
「さっきから何よ、恐い顔して!年上だからって偉いわけじゃないでしょ!だったらこれを解いてみなさいよっ!」
「えっ?」
すると彼女はランドセルの中から算数ドリルとペンを取り出した。
「高校生ならこれぐらい解けるわよね、お姉さん!」
流石に私も小学生の問題を解けない筈がないと思い。ペンを掴むと問題に目を通した。分数の割り算、体積の求め方、平行四辺形の面積の求め方。どれも簡単な問題ばかりだ。
「……………………」
「あれぇ……どうしたのお姉さん?もしかして分からないのぉ?」
だけど私はペンを動かす事が出来なかった。簡単な問題、小学生レベルの問題だということは分かるのに式の解き方もやり方も何もかも思い出す事が出来なかった。悔しさに唇を噛みしめる。
「ハハハハハ、ほら!やっぱり私たちの方が頭良いんじゃない!」
「や、やめなよそんな言い方……」
「いいのよ美香ちゃん、だってこの人、高校生なのに小学生よりも頭が悪いのよ?」
私は思わず怒りで手を上げようとしたが何とか大人げないという気持ちでどうにかして抑え込んだ。
「ねぇねぇ、お姉さん今度はこれやってよ!私、小学校三年生の弟がいるんだけど、弟のドリルがあるからさぁバカ商の生徒でもこれはできるでしょ!」
とことん馬鹿にしてくる少女が今度は小三のドリルを差し出してきた。正直この場から逃げ出したかったが、私に残っている微かなプライドが邪魔をする。それに小学生相手に見下されるなんてどうしても認めたくもなかった。
ドリルに出されているのは簡単な割り算と掛け算の問題。私はそれを解こうとするのだが、計算をするのに時間が掛かる。頭の回転がとても鈍く感じる。何とか出した答えも合っているのか自信が無い。円や三角形の面積を求めよという問題は公式を思い出せない以上一問も解けなかった。他にも国語のことわざや理科の植物についての問題もあったが、あやふやな記憶で答えるしかなかない。
「ねぇねぇ美香ちゃん、これ見てよ!!」
少女がいきなりドリルを取り上げると美香ちゃんと一緒に覗こうとした。
「あっ!!ちょっと待って!!」
私は取り返そうと手を伸ばすが、それよりも早くドリルの答えを見られてしまった。結果を見た途端少女の口元が緩み、私を蔑む目で見上げた。
「プッ……ほらこんな簡単な問題でも間違えてるんだよ!?」
「や、やめなよ……フフフ……わ、笑ったら可哀そうだって……」
美香ちゃんも私の答えを見て笑いを堪えきれずに口に手を当てている。こんなに幼い子に馬鹿にされても私は何も言い返す事が出来なかった。
違う……これは違う……きっと夢だ……。こんなのは私じゃない!だって私は頭の良い高校に通う優等生で、小学生どころか同級生にも勉強を教えていて、優秀で、憧れの眼差しで見られていたんだから……!!
青ざめている私の様子に気付いたのか二人は笑いながら私から走って離れて行った。去り際に生意気な少女がこう叫んだ。
「お姉さん!小学校に入りなおせばぁ!!」
そう言うと大笑いしながら消えていった。