倫子の父親は、中部地方で飲食店やホテルをいくつか経営しているそうだ。年に数日、東京に出張することがある。その際に利用できるように、倫子のマンションは3LDKの広さがある。親ばかなのか、セキュリティも万全だ。 そのマンションの広さを生かして、倫子はよく客を招く。「広い部屋に1人だと寂しいから」と。 晴菜は近所に住んでいるせいもあって、確実に月に1回は、お泊まりに誘われる。そのつど、夜まで語り明かす。夜更かしのせいで二人そろって風邪をこじらせたこともある。 もっとも、どうせ倫子のことだ。晴菜を泊まらせる回数より、男を連れ込んでいることのほうが多いに違いない。そのあたりの詳しいことは聞けば何時間でも話してくれるだろうが、ちょっとご遠慮したい。晴菜には刺激が強すぎる。心臓がもちそうにない。 ときどき、何人も招いて簡単なホームパーティを開く。ホームパーティといっても、お酒とつまみ、お菓子を持ち寄ってお酒を飲むだけだが。 今夜は倫子を入れて8人だ。みんな同じ大嶋ゼミだ。倫子によると「今夜のために厳選されたメンバー」らしい。 倫子は料理を作らない。晴菜は、もう1人の女子の桐野梓と一緒に、倫子のマンションに早出して簡単な料理を何品か用意した。(「ハルハルって料理上手ぅ。やっぱハルハルって理想の花嫁よね〜。私と結婚して。ここ、ハートマーク3つ」 「何言ってるのよ、ミッちゃんのことは好きだけど私そんな趣味ありません」 「そんな〜! まさか、今井クンのほうが好きなの? 二股かけてたんだ! 私と今井クンのどちらが好きなの? どっちか1人を選んで」 「もちろん、ヒロくん」 「ウ……。即答ね。……こら、アズサっち、なぜ笑う? え? 何? この話にタカユキは関係ないってば!」 わいわいがやがや) お酒を飲み始めてしばらくして、誰が言い出したのか、倫子が催眠術ができるという話題になった。 晴菜ははっと顔を上げる。前にもそんな話を聞いた。 「うん。ちょっと手に職をつけようかなとか思ってね。へへへへ。こっそりと練習してました」 「催眠術ぅ? 胡散臭そう」「ああ、練習って、サクラを仕込む練習?」 みんなが怪しがる。 「違うわよ。何言ってるの。れっきとした隠し芸なんだから」 「なんだただの隠し芸じゃん」「手に職つけるんじゃなかったの?」 「あっ、違ったわ。ちゃんとした医療技術です」 ホントかよ〜、ミッちゃんの医療技術ってほとんど殺人じゃん? と楽しくツッコミを入れる。 倫子は、どうやら本当に催眠術を習っていたらしい。 「じゃ、ちょっとやってみる?」 「おーし、やれるもんならやってみろ」 「へへーん、見てなさい」 倫子は自信ありげに笑う。 「じゃ、せっかくだから、今井クンとハルハルに催眠術をかけます」 突然指名されて晴菜は驚く。 「えっ? 私?」 弘充が疑問を付け足す。 「それにその、『せっかくだから』ってどういう意味だよ?」 「どうせだったら、絵になるルックスの二人がいいでしょう?」 おーそうだ、ミッちゃんめずらしく良いこと言ったぁ。 場の雰囲気には逆らえそうもない。晴菜は弘充と顔を見合わせた。 しょうがないよね? 晴菜と弘充は3人がけのソファに並んで座らせられる。部屋の照明を少し暗くする。 倫子は、時代がかった大げさな燭台を持ち出す。その上に太い蝋燭を立てて火を灯す。思ったより大きな炎が立ち上る。 倫子は燭台を右手に持って弘充と晴菜にかざす。 蝋燭の炎とは思えないほどまぶしくて、晴菜は目を細める。 「今井さん。晴菜さん。この炎を見てください」 倫子が言う。はしゃいだところのある普段の声音とは違って、落ち着いた深みのある声。いつもは「ハルハル」と呼んでいるのに、「晴菜さん」と呼びかけている。 「炎を少し動かすので、目で追いかけてください」 「炎だけを見て。ほかの事は考えないで」 「炎を上に動かすと、それと一緒に身体も浮き上がるような気持ちになります」 「炎と一緒に、どんどん上に上がって行きましょう」 「今度は、炎がゆっくり落ちて行きます。一緒に晴菜さんと今井さんも落ちていきます。どこまでもどこまでも」 …… あっという間だった。 晴菜と弘充は、目を閉じて仲良く肩を寄せ合いながら、ぐったりとソファに身を沈めている。 「今井さん、晴菜さん。これからずーっと深い眠りに落ちていきます。そこはぽかぽかとした陽気の中で居眠りするような、気持ちいい場所です。今井さんと晴菜さんは、そこから出たくありません。わたしが起こすまで、ずーっとそこにい続けます。わたしが起こすまで周りの音は聞こえません」 そう言って倫子は、順に晴菜と弘充の頭を後ろから押すようにして、一段と深い眠りに沈めた。 部屋が静かになる。 「ほら、すごいでしょ? こんなもんよ」 普段の口調にかえって、倫子が客に向かって言う。催眠術をかけている間の倫子は、普段とは異なる不思議な迫力があった。友人たちは、そんな雰囲気に気おされてそれまで黙り込んでいた。もとに戻った倫子を見て、ほっと緊張を解く。 「本当に、催眠術にかかってるの?」 「うん」 倫子は言いながら部屋の照明を明るくする。 「ちょっと変じゃない? こんな早くできるものなの? もっと何十分もかけるものなんじゃない?」 北村が疑わしそうに言う。 「あ、もしかして、今井君も晴菜も、ミッちゃんと仲良いから、ひっとしてヤラセ?」 と桐野梓。 倫子がちょっと感心する。頭いいのよねこのコ。ちょっと考え方が固くて、勘が悪いんだけど。 「あ、いい線よそれ。でも、ヤラセじゃない。ヤラセはないけど、仕込みはやってた。ハルハルや今井クンとか、仲のいいコたちには、練習台がわりに、何度か催眠術かけてるんだ。本人たちは覚えてないけどね。忘れるように仕込んでおいたから。 前にかかったことあるから、二人とも、今回はすぐかかったのよ」 「なんか、ズルくない? いきなり催眠術かけてるって思って見てたから、すっごい、って感動してたのに」 「ま、ズルかもしれないけどね。でも、ここで私が1時間もああでもないこうでもないって催眠術やってるところ見せてもつまらないでしょ? 催眠術かかりにくい人も多いんだから、下準備なしに挑戦して、その挙げ句に失敗したら、客席どん引きよ。 この催眠術は隠し芸だって言ったでしょう? 洗練された隠し芸はショーなのよ。ショーの目的は、お客様を楽しませること。そのためには、仕掛けと見せ方。 あれ以上時間かかってたら飽きてたでしょう? こんなふうにさっと終わらせて、雰囲気さえわかれば、十分でしょう? 催眠術のショーの楽しみは、催眠術かかってからよ。だから催眠術かけるところはこれでおしまい。お楽しみはこれからよ。 わたし、いろいろちゃんと考えてるでしょ?」 倫子がいつになく滔々と述べ立てる。 疑い深い北村が気づく。 「ちょっと待て。ほかにも仲のいいコたちを練習台にしてたっていってたよね? それって誰? おれじゃないよな?」 食いつきいいわーこの男。言い出してくれなかったら自分から言う予定だった。 あんたたち全員催眠術かけたことあるかも。あれ、気づいてなかった? ま、程度の差はあるからね。 ……などと言ってやる筋合はない。 「ほかに私と仲良いのって、タカユキに決まってるじゃない」 みんなが山越崇行のほうを見る。 崇行はどう答えていいのかわからずに固まっている。 「え? オレ? あー」 結果的にはそれが一番良いリアクションだろう。戸惑っているように見えて自然だ。 「タカユキは覚えてないはず」 「じゃあ何で今日は山越くんには催眠術かけなかったの?」 と梓。 「いうまでもなく見映えの問題です。綺麗な男女が眠りに落ちているほうが、セクシーじゃない?」 倫子は、いつものように晴菜と弘充を持ち上げておく。倫子の言葉そのものには、ウソはない。だが、言外の含みがある。 「アーたしかに、山越はちょっとなあ……」 と、吉本がつぶやくと、崇行が切り返した。 「お前に人の外見をとやかく言う資格はないだろう!」 全員が見守る中で、晴菜と弘充が同時に目を覚ました。 倫子に催眠術をかけられるはずだったことも、さっきまで深い催眠に落ちて寝入っていたことも、覚えていない。なので、視線が自分たちに集中していることに、きょとんとした顔をする。晴菜は、尋ねるように隣の弘充の顔をちらりとうかがう。弘充は小さく肩をすくめてからみんなのほうを見る。 「どうしたの、みんな?」 その一言で、弘充がなにも覚えてないということが観客全員に伝わる。全員がつめていた息を吐き出す。そわそわと互いに顔を見る。 弘充が不思議そうに聞く。 「どうしたんだよ? なんかみんな変だぞ?」 「ああ、いや、なんでもないよ」 弘充と晴菜が顔を見合わせる。まだもの問いたげだ。 ダイニングテーブルのほうに回り込んでいた倫子が晴菜に声をかける。 「ねえ、ハルハル〜。お願い、ちょっとこのチーズ切って」 お前も女なんだから、いちいち晴菜ちゃんに頼らずに自分でやれよ、と普段なら誰かがツッコむところだが、今日に限っては様子を見守る。 「うん、いいよ」 晴菜が、ソファの肘掛をつかんで立ち上がろうとして、失敗する。手がひっかかったような姿勢になって、深々とソファに腰を沈み込ませる。 「あれ?」 友人たちがそっと目を見交わす。 晴菜はもう一度立ち上がろうとして同じ失敗をする。弘充が晴菜に聞く。 「どうしたの?」 「あれ? うん、なんか……」 晴菜は肘掛に貼りついたかのような左手を、不思議そうに見る。もぞもぞと動かす。 「あれ? ええっ? 手がくっついてはなれなくなっちゃった!」 晴菜はソファに腰掛けたまま、腕に力を込めて肘掛にくっついた左の手のひらをはがそうとする。 「どういうこと?」 弘充が晴菜のほうに身を乗り出そうとして、自身も晴菜の反対側で、右手がソファの肘掛にくっついていて動かないことに気づく。 「うわっ。おれも!」 同じように力を込めて右手を引っ張ってみるが、肘掛から手がはがれない。 「なにやってるの?二人とも?」 崇行が声をかける。 「いや、それが、手がくっついちゃって離れないんだよ二人とも」 他の友人たちが口々に言う。 「え?なんで?」「誰か接着剤でも塗ったのかな?」「そんな、誰もやってないよ」 弘充と晴菜は、あれ、おっかしーな、などとつぶやきながら、手を引っ張ったり、肘掛との接着面を覗き込んだりする。 倫子が待ちかねたように声をかける。 「ねえ、ハルハル〜。はやく〜」 「あ、待って、ミッちゃん、なんか変なのよ。手がくっついちゃって」 晴菜が慌て始める。 「んー?」 倫子は、めんどくさそうに答えて、二人の座っているソファのほうにやってくる。 「どうしたの、二人揃って?」 「二人とも、手が取れないんだって」 二人揃って、懸命に手をはがそうとしたり、勢いをつけて立ち上がろうとしている。狼狽した様子がこっけいだ。 「二人でふざけてるの?」 「違うよ。そんなわけないでしょう? ほんとに手がとれないの」 倫子は、これ見よがしに疑わしそうな目で二人を眺める。 「もしかして、私ん家のソファに、接着剤塗った? 高いのよこのソファ」 「違うって。なんで自分でそんなことするんだよ!」 「ちょっと見せて」 倫子は弘充の横に回りこんで、横から肘掛のところを覗き込む。 「別になんともないけどな〜」 「そうなんだよ。なにも接着剤とか、そういうのなさそうなんだけど、ぜんぜん手が取れないんだよ。いったいどうなってるんだ?」 倫子が弘充の右手の指に手を添える。少し指をからませるようにしてから、そっと横に動かす。 「あっ。とれた!」 弘充が驚いたように言う。 「なんだ、全然くっついてなんかないじゃない」 「え? ミッちゃん、どうやったの? さっきまで、全然取れなったのに」 「別になにも」 「おお、ミッちゃんすごい」 それを見ていた晴菜が言う。 「ねえ、ミッちゃん、こっちもお願い」 「お願いって、別に頼まれるようなことなにもないよ。普通にやっただけ。ねえ、タカユキ、そっち見てやってよ」 「ああ」 崇行がニヤニヤ笑いながら、手を伸ばす。骨ばった指で晴菜の細い指をそっと掴んで、動かす。なにごともなかったかのように晴菜の手が肘掛から離れる。 「あっ、取れた! ありがとう、山越くん! すごい。なんで? どうやったの?」 晴菜が、胸の前で両手を合わせて、感心したように崇行に聞く。 「どうっても、ミッちゃんと同じだよ。何もしてないって」 崇行は笑いを隠すためか、晴菜から目をそらして答える。 倫子が疑わしそうに晴菜と弘充を見る。 「もしかして、弘充と晴菜の二人でみんなのことからかっただけなんじゃないの〜?」 「違うって、そんなことしないよ。そんなことしても意味がないだろう?」 弘充が抗議する。 晴菜も言う。 「そうよ、ミッちゃんひどい、そんな……あれ?……また?!」 晴菜は、胸の前で合わせた両手のひらをはがそうとしている。 「あっ! うそっ! また手がくっついちゃった! はがれないっ」 「ちょっと見せて」 弘充が晴菜の手首に手をかけると、今度はそちらもはがれなくなる。 「えーっ? ちょっと待てよ。どうなってるんだ!?」 慌てる二人。 笑いをかみ殺して、それを眺める友人たち。 倫子が言う。 「何やってるのよ、二人して。誰か、見てやってよ」 今度は北村が二人の手の接着を解いてやる。 そうやって、手を何かにくっつけては誰かがはがすというのを、3回繰り返してやった。 パニクっている二人を尻目に、友人たちかは声をひそめて確認し合った。 「うわすごい。本当に催眠術って効くんだ」「ミッちゃんって、けっこうスゴ腕?」 今は、弘充と晴菜が手をつないだまま、離せなくなっている。 「ちょっと、また……。ねえ、お願い、誰か、またなんとかして」 崇行が、うんざりした様子を装って言う。 「またぁ? もういいんじゃない? 二人ともいつも一緒にいたいって言ってたし、ずっとそのままのほうがいいかも」 「そ、二度とけんかしないようにね」 「それとこれとは話が違うってば!」 倫子が晴菜と弘充の後ろに回りこむ。そっと二人の首の後ろに手を置いて、それぞれの耳元に何かささやくと、二人とも動きを止める。黙り込んで、無表情に宙を見つめる。 鮮やかに二人が眠りに落ちるのを見て、「おーっ」と感心した声が起こる。倫子に視線が集まる。 倫子は、またあの深い声で、まず晴菜に向かって言う。 「晴菜さんにだけ言います。 まだ当分、このくっついた手ははなれません 晴菜さんは、手がくっついている間に、弘充君のほうから、いやな臭いがしてきます。手がついている間、晴菜さんが感じるそのいやな臭いがだんだん強くなってきます。手がついている時間が長く続けば長く続くほど、臭いはどんどんキツくなります。晴菜さんはその臭いが耐えられません。晴菜さんは、少しでも臭いの元から離れたくて仕方ありません。ですが、手はくっついたまま離れません」 次は今井だ。 「今井さんの手も、くっついたまま離れません。 今井さんは、逆に、晴菜のほうからとてもいい香りがしてきます。手がついている間、今井さんが感じるその香りはますますかぐわしい香りになっていきます。手がついている時間が長くなれば長くなるほど、今井さんはその香りがしてくる元に、もっと近づきたくなります」 それから、晴菜と今井の二人に聞こえるように言う。 「晴菜さん、今井さん、今言ったこと、心の奥にだけしっかりと刻みんで……はいっ! 目を覚まして」 倫子が手を叩くと、弘充と晴菜が目を覚ます。 「ねえ、くっついたこの手誰か離して」 「頼むよ」 先ほどの会話の続きで、二人して周りに懇願する。 「ええっ? でもな〜」 崇行は、笑いをかみ殺して、周りに意見を求める。 「うん、そうだね。しばらく様子見たほうがいいかなあ」「ボクもそう思う」 調子者の吉本と角田の仲良しコンビがすぐに同調する。 「そんなぁ。そんなこと言わないで」 晴菜は困り果てた声。 そのやり取りの間も、晴菜と弘充は互いに手を引っ張りあっていた。だが、すぐに様子が変わってくる。 晴菜はきょろきょろと周りを気にして、鼻に手をやる。途中で、その手が鼻にくっつくかもしれない、と気がついて止める。弘充から顔を背けつつ、細い眉をひそめるようにしてときおり弘充のほうをうかがう。 一方、弘充のほうは、晴菜から手を引き剥がそうとしていたのをやめて、肘を曲げて晴菜を引き寄せようとしている。なんだかうれしそうな顔で、何度も息を吸っている。 友人たちが顔を見合わせる。 弘充があきらめたように晴菜に言う。 「誰も、くっついた手をはがしてくれそうにないし、しかたないから、しばらくこのままでいよっか?」 晴菜は、えっ、と言う顔をする。それから眉をいっそうひそめて、弘充の反対側に顔を向ける。 「待ってよ。それじゃあ困る。ねえ、みんな、なんとかしてよお願い」 「晴菜。もういいよ。しばらくこのままでいよう。時間がたったら、放っておいても取れるよきっと。それよりも、疲れたから、ちょっと座ってゆっくりしよう」 そういって弘充は晴菜を引き寄せようとする。 「うーん、でも……」 晴菜のほうは、逆に、弘充から離れようと、身体を反らせる。だが、手がくっついたままではそれ以上離れられない。精一杯手を伸ばして、なんとか弘充から距離を置こうとしている。 「いいから、こっちおいでよ」 弘充が晴菜を呼ぶ。晴菜は近寄ろうとはしない。 「なんか大騒ぎだったし、喉も渇いたし。何か飲まない?」 弘充は、なにかと理由をつけて、晴菜を自分の横に座らせようとする。その思惑があからさまに見えるので、なんだか情けない。 周りは含み笑いしながら見守る。 晴菜が近寄らないので、弘充のほうは上半身を晴菜に伸ばして、鼻をクンクンとしている。さすがに乱暴に引き寄せるわけにも行かないのだろう。 崇行がわざとらしく鼻を手でこすって隣の吉本に言う。 「ねえ、なにか臭いしない?」 「うん、そう言われるとそうかな」 吉本は相槌を打ちながら、晴菜と弘充の反応をうかがう。 弘充が大きくうなずくのとは対照的に、晴菜は慌てて 「え? そんなことないよ。別に臭いなんて。あ、そうだ、ワインじゃない? チーズかな? そうそう、私、ちょっと臭いがキツイの買って来ちゃったから」 などとごまかす。 見え透いた嘘をつく思いやりが、この場では滑稽だ。吉本の相方の角田は、慌てて口元に手をやりながらうつむいた。 崇行がそ知らぬ顔で晴菜に答える。 「いや、違うよ。なんか別のニオイ」 そう言って、嫌がっているとも満足しているとも、どちらとも取れる微妙な表情で、鼻の前に手をやる。 「え、そっかな? べつになんとも臭わないけど」 晴菜はなんとか否定しようとする。口では否定しながらも、悪臭の元の弘充からは精一杯離れようとしている。相手が愛しの恋人であっても我慢しきれないらしい。 逃げる晴菜を、弘充は追おうとするので、二人でだんだん動いて行く。 倫子は、ニヤニヤ笑いを隠そうともせずに、会話に加わる。 「うん。私も、なにか臭いがする。その、なんて言うっかぁ……」 晴菜が弘充から逃げようとして壁にぶつかるのを見て、倫子は言いかけた言葉をいったんとぎらせる。 「……ねえ、二人ともどこ行くの?」 くすりと笑い声。 「いや、晴菜が引っ張るから」 「いや、手を離そうと思って……」 こらえきれずに、ぷっと吹き出した者もいる。角田と吉本。慌てて真面目そうな顔に戻る。 倫子は晴菜たちの返事は無視して、もとの話題に戻る。わざとらしくもったいぶってやる。 「……この臭いって……、なんて言うか、ものすごく香ばしいって言うかぁ」 同意するような弘充の満足げな表情。晴菜のほうに鼻を伸ばしている。女の子の匂いをかぐヘンタイおじさんのようだ。 「……って言うか、ものすごくクサいって言うかぁ」 晴菜が割り込む。 「違うよ。そんなニオイしないよぜんぜん」 細い鼻の根元にしわを寄せながら、眉をひそめているその表情は、言っていることと矛盾している。悪臭の元から逃れようと懸命になって、弘充から顔をそむけている。 二人は、手をつないで壁に沿って早足で追いかけっこをいている。 ついさっきまで身を寄せ合っていたのに、晴菜は恋人のことを汚物でも見るかのように顔を背けて逃げ、弘充は犬のように鼻を鳴らして追いかける。 耐え切れなくなって角田がくっくっと笑い始める。相方の吉本がつられて吹き出す。梓が懸命にまじめな顔を取り繕うとする以外は、みんなニヤニヤし始める。 晴菜が言う。 「ひどい、みんな。なに笑ってるの?」 問いただされて、友人たちはあわてて笑いを抑える。晴菜は、みんなが弘充の臭いのことを笑っていると誤解しているのだ。 意味がわからない弘充がきょとんとした顔する。その二人の表情の違いも対照的でいい。 その様を見比べて、倫子は満足する。 とりあえずはここらでいいか。 大きく手を叩く。手のひらに空気が入るように手を叩くと、思いのほか響く音が出る。 いっせいに視線が集まる。倫子は晴菜と弘充に強い視線を向ける。目でだけで二人を押さえ込む。 「晴菜さん、今井さん、眠って!」 よく通る声でそう言うと、二人は眠りに落ちた。 吉本が、声音を作って、仲良しの角田に話しかけた。 「お、お、おそるべしです、隊長! おそるべしですよ、倫子隊員の催眠術!」 角田のことを隊長、と呼びかけるのは、吉本と角田の二人のお決まりのネタだ。サークルも同じで、いつも一緒にいる仲良しコンビの二人は、「隊長!」「隊員」と呼び合って、はたから見るとくだらない冗談を言い合う。二人で仲のよさを再確認するための儀式のようなものだろう。 「吉本隊員。何を言っておるのかね。私は驚かんよ。私はつねづね倫子隊員は見所のある隊員だと思っておったのだ。私の後を継ぐ隊長は彼女しかおらん」 「隊長っ! さすがです。さすが隊長は慧眼です!」 この「隊長さすがです」までが、二人にしかわからない、ひとつながりのギャグらしい。毎日何回も二人の間で繰り返している。 ほかの人間は誰も相手にしていないのだが。 今回も全員が無視する。 倫子は、友人たちの感嘆の声を受けながら、典型的な催眠術ショーで見たことがあるような出し物を、適当に選んで続けた。 身体が動かなくなる。人の名前や物の言葉を忘れてしまう。食べ物や飲み物の味が変わる。犬の鳴き声でしか話せなくなる。 まずはそういう簡単なところからだ。 観客には、気楽に楽しんでもらうとともに、状況に慣れてもらう。 すでに彼らは、倫子の催眠術を受け入れている。鮮やかな手際で催眠術を操る倫子に、感心しっぱなしだ。今この場では、倫子がマスターであるということを、当たり前のことと感じ始めている。 そして、観客たちには、晴菜と弘充が弄ばれることに慣れてもらう。 ここにいる全員にとって、大学のアイドル小野寺晴菜とその恋人の今井弘充は、特別な存在だ。澄み切った美しさと、天使のような優しい性格で、誰からも愛される晴菜。その晴菜の相手として申し分ない弘充。学生たちは、二人に憧れ、なかば敬慕し、大切に接していた。 倫子は、触れがたい二人のイメージにヒビを入れて、この二人を笑いものにしている。催眠術という特殊な小道具のせいで、友人たちはそれを受け入れた。晴菜と弘充が何も知らずに滑稽な言動をとることを、無邪気に笑っている。 これまで仰ぎ見てきた晴菜たちを、こんなふうにばかにして笑うのは、彼らにとって新鮮な経験だろう。 その笑いは、彼らにとってどんな味だろう? 裏切ったような申しわけなさ? 格上の存在などではなく、自分たちと同じ身分の人間だとわかった安心感? それだけではないだろう。 憧れと裏腹な劣等感を満たす、ひめやかな充足感。崇拝する相手を貶めるやましい喜び。復讐のような悦楽。 心のどこかでそれを感じているはずだ。今は意識していなくても、やがてその後ろめたい喜びに酔い始めるはずだ。 ここに集められた男女ならそうなるはずだ。そんなふうに、倫子が準備してきたのだから。何ヶ月もかけて、友人たちを観察し、心に分け入り、誘導し、操作し、効果を観察してから微調整する。それを繰り返してきたのだから。 普段から倫子は、ことさらに晴菜たちを褒め、持ち上げて、晴菜たちのイメージをつり上げている。その一方で、友人たちの一人一人の届かぬ恋心を無駄に掻き立て、晴菜たちに比べて自らを省みさせて劣等感を刺激するよう、誘導し、煽っている。 晴菜のこれまでのイメージが高く神々しいほど、一度それが崩れて転がり落ち始めれば、反動で落ちる勢いは強くなるだろう。倫子は、転落が確実になるよう、後ろから押してやるだけでいい。 落ちるところまで落としてやる。 すぐにではない。女神の座からの転落を、時間をかけてゆっくりと、楽しみながら見守ってやろう。さぞや気分がすっきりすることだろう。 今日はその第一歩だ。 倫子は晴菜たちに、音楽が鳴ると踊りだすよう後催眠をかける。そしてなにごともなかったかのように、晴菜や弘充たちを交えてみんなでおしゃべりをする。 しばらくして、リモコンでオーディオプレーヤーのスイッチを入れる。モーニング娘。のアップテンポの曲。二人は急に立ち上がって踊りだす。消音にすると、二人は我に返る。踊るのを止めて、居心地悪そうにする。「どうしたの急に踊りだして?」とみんなで笑う。弘充が、不可解そうにしながら、何か言い訳している間に、またリモコンを操作して音声をオンにする。晴菜と弘充は、フラワーロックのように、音に反応して踊りだす。 二人のダンスは、少しおとなしすぎるようだ。やはり振り付けの手本があったほうがいい。そのために、わざわざ音楽番組をハードディスクビデオに撮ってある。 二人の耳元にささやいて、画面と同じように踊らないといけないということを「思い出させる」。 ビデオをつけた。弘充と晴菜の二人に、松浦亜弥の振り付けどおりに踊ってもらった。短い時間で切り替えて、次のビデオを頭出し。タッキー&翼。倖田來未のセクシーなポーズもやってもらおう。それから、ブリトニーも、セクシーでいい。 男の弘充がくねくねと腰をくねらせてリズム感悪くステップを踏むのも滑稽だが、それよりもやはり男子学生たちの目を楽しませたのは、晴菜だ。 今日の晴菜は、すっきりとした水色の袖なしのブラウスに、膝丈の白のプリーツスカート。ブラウスは細身で、すらりとした体型に合っている。体型が細く、服も落ち着いた色合いなので目立たないが、胸の膨らみも十分にある。上半身のファッションがタイトめなのに対して、膝丈のスカートはゆったりとしたふわっとしたデザインだ。スカートは型崩れせずに膝上で裾が綺麗に広がっていて、まっすぐにのびた脚線の美しさを際立たせている。 そのスカートを着けたまま、身体を回転させると、スカートの裾が持ち上がって、白い太ももの根元まで露になる。大きく足を跳ね上げると、チラチラとショーツまで見える。 思わぬサービスカットに、男性陣の視線が集中する。一緒にプールに行って水着姿も見たことのある崇行は、余裕を装いつつニヤニヤ笑う。北村は下着がチラつくのに気づかないふりをしているつもりらしいが、さっきから瞬きをしていない。 吉本がまた隊長コントで角田に囁く。 「た、隊長! 白です。晴菜隊員のパンツは白ですっ」 声をひそめた話し方が、妙にいやらしい。 「何を言っておるのかね吉本隊員。晴菜隊員なら白以外にはありえんだろう」 「さ、さすがです! さすが隊長は……」 うまくシメられなかったらしい。言葉をとぎらせて、晴菜のダンスに見入る。 たかがパンチラでこの盛り上がりだ。無邪気なものだ。それだけ、彼らにとって晴菜が特別な存在で、穢れがないということでもある。 まあ、それもしばらくすれば、こんなパンチラ程度では驚かなくなるだろう。 倫子は、HDビデオのリモコンを吉本と角田の調子者コンビに持たせてやった。 二人は、リモコン操作ひとつで弘充と晴菜が踊り始めたり動きを止めたりすることを、面白がった。思い通りに晴菜たちを操作し、支配しているような感覚を味わう。 最初のうちは遠慮がちに映像を選んでいたものの、しばらくすると遠慮はしなくなった。自分の見たいシーン、つまりパンチラのあるシーンを、何度も頭だしする。 やがて、二人は偶然、晴菜と弘充が早送りにも反応することに気づく。次はコマ送りや静止も試してみる。さすがにショーツが見えるような場面で静止させると、バランスがとれずにバタリと倒れるので、二人はがっかりとする。だが、倒れた後ですぐに、起き上がりこぼしのよう立ち上がる。再びムリな姿勢に挑んでむなしい努力をする。それが愉快で、二人は何度も一時停止を試す。 北村が見かねたように、二人に注意する。かわいそうじゃないか、などと偽善者ぶる。 だが、北村がこんなふうに、不平めいた小言や、えらそうな説教を言うのはいつものことだ。角田は北村を無視して、「いやこのくらい大丈夫だよ」などと適当に聞き流す。 今日のために準備を整えてきた倫子には、北村の考え方は想像がつく。モメたときのために「おれは止めたのに」と後になって言えればいいだけなのだ。その証拠に、北村の忠告を角田に無視されても、気にしている様子はない。それよりも北村にとっては、晴菜が倒れたときにスカートがはだけていないか確かめるほうが大事なようだ。 本当に一番まじめなのは、桐野梓だ。だが彼女は、自分だけ堅くてくそまじめだと思われるのを極端に恐れている。みんながふざけて盛り上がっているときにはめったに口を挟まない。だから今も、角田と吉本が悪ノリしているのを見ても、眉をひそめるだけで、あえて止めようとはしていない。 感情が表情に表れない梓は、外から内面を推し量るのは難しい。 もしかすると、梓は、晴菜がいたぶられるのを見たがっているのかもしれない。圧倒的な美貌と品の良さで、自分の上に立っていた晴菜が、こうやって愚弄されることに、後ろ暗い喜びを感じ始めているのかもしれない。 倫子のこの想像は、まだ早すぎるだろうか? 早くそうなってくれたら面白いのに。 梓だけでなく、全員にそう感じてもらうのが、倫子の当面の目標だ。 さきほど北村が、かわいそうじゃないか、と言ったのは、晴菜と弘充への敬意や気遣いによるものではない。北村の口調は、晴菜や弘充のことを見下ろして、温情を施すような言い方だ。上の立場から晴菜たちを見ている。今まで晴菜たちに憧れ、崇拝し、遠慮していた気持ちは、薄情な北村の心からはとっくになくなっている。 ましてや、リモコンで弄んでいる調子者たちは言わずもがなだ。 倫子は、毎朝鏡に向かって化粧と服装をチェックするように、1人1人の観客の反応を確かめる。 ショーを成功させるための秘訣。それは、パフォーマーだけでなく、観客をもコントールすることだ。 角田吉本コンビがあまりに無茶なことをやらせたので、踊り疲れて晴菜も弘充もクタクタだった。 まだまだこれからなんだし、休ませてあげないとね。 汗だくになって、ハアハアと息をついている二人に、倫子は、グラスに注いだ水を差し出した。 「ハァ、ハァ、ミッちゃん、サンキュ」 晴菜がグラスに口をつけて、白く細い喉を上下させて水を飲む。白い肌が汗ばんで上気しているのが色っぽい。 一息ついている晴菜に倫子は白々しく聞く。 「ねえ、それにしても、どうしたのハルハル? 急にあんなに激しく踊りだしちゃってぇ? 今井くんも」 催眠術にかけられたことはまったく覚えていない晴菜は、恥ずかしそうにする。 「え? その、なんでだろう? なんか、勝手に体が動き出しちゃって……」 「うん、おれもなんか、急に、自然に踊り出しちゃって、止まらなくて」 弘充が晴菜に同意する。弘充は、2杯目は水のかわりに缶ビールのプルタブを開けている。 「そんなこと言っちゃって、どうせこの二人で、こっそり口裏合わせてたんじゃないのお?」 倫子が晴菜の頬をつつきながらからかうと、晴菜は弘充と口を揃えて否定した。 「違うよぉ」「違う!」 「ふふ。さっきから二人の行動、あやしいことばっかりだもんねぇ」 「おいおい、やめてくれよ」 弘充はむすっとしている。 晴菜は、さきほどからの不可解で無様な自分の行動を思い出したのか、真っ赤になって顔を伏せる。汗を拭いていたハンカチを膝元に握っていじっている。 ふふ。可愛い。その仕草で何人の男心を狂わせたの? 「ホントかなぁ? 白状しなさい。二人で示し合わせていたんでしょう? この後はなにやってくれるの? そういえばひそひそとなにか相談してたもんね。アヤッしい。 だいたい、二人とも隠しごとが多いのよね」 倫子はいたずらっぽく晴菜を見る。それから、ここまでのやりとりを聞いていた観客の皆さんにも目配せ。 晴菜が不本意そうに答える。 「隠し事なんて、そんなことないよぉ。ミッちゃんにはなんでも話してるじゃない? 私たちのことなんでも知ってるでしょう?」 そろそろ次の演目だ。これまでのアクション指向とは趣向を変えまして…… 「それじゃあ、ハルハル、これから聞くことに、正直に答えてね。あ、今井クンも」 ……質問タイムの始まりです。この一幕は、山越崇行がサクラとして……じゃなかった、アシスタントとして、進行をサポートします。 「まず第1問。ハルハル? 今井くんのこと好き?」 晴菜はいきなりの質問に驚く。驚きながらも、「うん」と即答してしまう。そして恥ずかしそうに顔を俯かせる。ギャラリーからヒューヒューと言う声。 晴菜はこんなことをはっきりと言う子ではないので、弘充も驚いている。 晴菜が倫子を上目遣いに見て言う。 「何でそんなこと聞くの? 恥ずかしいじゃない?」 「何でも正直に答えてねって言ったでしょう? 何でも聞くわよ。じゃあねぇ、今井くんと結婚したい?」 「結婚なんて……まだ……そんな……考えられない」 いっそう恥ずかしそうに、顔を伏せてもじもじとする。 こんなくだらない質問で時間を費やして、晴菜が純情ぶるのにつき合っていても、倫子は楽しくない。でも、とりあえず導入部だ。我慢しよう。 倫子が黙ったのを受けて、崇行が質問を引き継ぐ。質問相手を今井に切り替える。 「今井のほうはどう? 晴菜ちゃんのこと好きだよな? 結婚したい?」 最初は親友から質問されるほうが、自然だ。 「ああ。晴菜のこと好きだ。さすがに結婚は、まだそんな先のこと考えてないけど」 晴菜とは違って、落ち着いて答える。おそらく、自白剤がわりに催眠術をかけていなくても、平然と同じ答えをしただろう。 観客も、ほぉーっ、と唸る。晴菜はうれしそうだ。 やっぱ自信ある男だよね。ダンスは下手だけど。 倫子は、今井の反応に感心する。そっと、梓の反応をうかがう。梓の表情は特に変わらない。 崇行が聞く。 「どのくらい好き? えーと、これまでつき合ってた女の子と比べてどう?」 答えが決まりきった質問だが、流れを考えると、いい前フリだ。 晴菜が顔を上げて、弘充の顔を見る。女なら気にならないわけがない。でも、晴菜がこんなあからさまな質問を直接弘充にぶつけられるわけがない。 「どのくらいなんて、言葉で表せないよ。でも、今回ほど、晴菜ほど、女の子のことを好きになったのは初めてだよ」 ヒューヒュー。 さて、ここは倫子から聞こう。 「今井くんって、これまで何人くらいの女の子とつき合ってきたの? なんか、モテそう。ね、そう思わないアズサっち? ちょーカッコいいもんね?」 突然話を振られて驚く梓だが、ちゃんとノッてきてくれる。 「うん。そうそう。これまで今井くんに泣かされてきた女の子の数、私も聞きたーい」 晴菜も興味津々で、でも少し不安そうにしながら、弘充のほうを見る。きっと聞いたことないんだろう。 カノジョになったなら、昔の女のことぐらい聞き出しとけよ。そんなことだから、抱かれたときに他の女の影があっても気づかないのよ。 さすがにこの質問には弘充も少し答えにくそうにする。 「えーと、ちゃんとつき合ったのは、6、7人かな」 「6人なの7人なのどっち? ちゃんとつき合ってないのも入れたら何人? てゆーか、ちゃんとつき合ってないって、どーゆー意味よ浮気男?」 「自分でつき合ったと思っているのは6人。あとは、向こうの子だけがつき合っていると思っていたり……」 ここで、さすがモテる男は違うな、おいっ、と合いの手が入る。北村だ。かなりヒガミが入っている。 「……OKしてもらえた、て思ったら1週間で別れちゃったりもあるし、つき合ったって言っていいのかわからないのがいろいろあるから、そんなの全部入れたらわからないよ。……言っとくけど、浮気じゃないからね」 オーッとざわめく。 晴菜は、いったいどういう答えを期待しいたのか、びっくりしたような表情をしている。 男性陣は、やっぱりおれよりぜんぜん多いやとか、いやそんなもんだろうとか、あれだけのルックスがあってとか、ひそひそと話し合っている。 倫子がまとめる。 「つまり、数え切れないくらいの女が今井弘充の上を通り過ぎて行った、ってわけね」 角田が茶化す。 「もしくは、今井の『下を』通り過ぎて行ったのかも」 下ネタだと気づくのに時間がかかってから、晴菜が恥ずかしそうに下を向く。 崇行が質問の流れを引き継ぐ。 「じゃあ、その『今井の下を通り過ぎて行った数え切れない女たち』の中で、晴菜は何番目くらい?」 女性を序列化するような質問に、晴菜と梓が眉をひそめる。 「もちろん1番だよ」 それはわかっている。 「どういうところが1番? じゃあね、顔、性格、身体に分けて順位を教えて」 ますます失礼な質問に晴菜はとがめるように崇行を見る。それに対して、梓は少し興味がありそうだ。どんな嫌な質問でも弘充は答えないといけない。そのことを知っているので、梓は軽く身を乗り出して弘充の方を見る。 「顔は1番。性格は3番目くらい。身体は1番」 また観客が沸く。 晴菜は、ぶしつけな質問に今井が答えたことに驚いて顔をしかめ、性格が3番目と言われてさらにショックを受けたように弘充の顔を見る。 その答えは、倫子も意外だ。 崇行は、結果がわかってたのか? チクリと晴菜を傷つけることができて、倫子はご満悦だ。 ざわめく観客が次々と質問を加える。 まずは北村。 「性格3番目ってなんで? 晴菜ちゃんこんなにいいコなのに。おれが人生で見てきた女の子の中で最高だと思うんだけどな」 倫子も同感。ただ、北村のヤツ、弘充をとがめるふりをしながら、晴菜を持ち上げて、自分を晴菜にアピールしようとしているところがいやらしい。言い終わった後、どう?と言わんばかりに晴菜のほうをうかがうが、晴菜は弘充のほうばかり見ている。 北村勇、安い男。だがそれだけに読みやすい。 「確かにいいコなんだけど、なんていうか、素直でないって言うか、もっと男に任せて欲しいていうか。なんか、真剣すぎて重い? いや、いいコなんだし、そういうところも好きなんだけど、ちょっとね」 へぇ、関白亭主願望あったんだ。それは読めなかった。こんどSMなんか試してみよう。 晴菜は、相当ショックを受けている。 「そうだったんだ……」 ポツリとつぶやくのを耳にして、弘充が慌てて晴菜に話しかける。 「晴菜、誤解しないでよ。晴菜のことを嫌いとかそういうんじゃないし、性格3番目って、3番目にいいって意味で、純子とかみゆきとかと比べたら3番目ってだけで、あいつらはちょっと違うから、晴菜はいまのままで、とってもいいコだよ」 ははは。ばかめ。 ふーん、純子とみゆきか。 弘充も、名前まで言わなくてもいいのに。晴菜はこれからずっと、「純子」と「みゆき」という顔のない女に比べられてるって意識しながら、今井弘充とつき合うんだろうな。 可愛らしい晴菜は、物心ついてからずっと、周りからチヤホヤされて来たはず。晴菜自身は謙虚な性格だから、調子に乗ってのぼせ上がるようなことはなかっただろう。周囲の褒め言葉は割り引いて聞いていたはずだ。 でも、「性格3番」というのを割り引いて聞いたら、どういうことになる? 本当はもっとダメなんじゃないかと疑って当然だろう。 褒められてばかりだった晴菜にはちょっとキツイかもね。 けど、性格1番て言われないと気がすまないなんて、とんだ贅沢よね。 倫子がたっぷりと蜜の味を堪能していると、2人目の質問者、角田。 「顔が1番は当然だよね。身体は1番って、その、どういう意味で? スタイルいいから? それとも、あっちのほう?」 吉本がそれにかぶせる。 「えっ? 隊長、それを聞くんすか? いいっすか? なあ、今井、晴菜ちゃんてあっちが上手なの? うわぁ、こんなこと聞いていいんすか?」 倫子は崇行と目を見合わせる。 これを素で聞けるのが角田吉本コンビだ。事前に仕込んである崇行でさえ、ためらっただろうに。きっと角田も吉本も1人ではこんな露骨な質問はできないはずだ。2人いるから、煽り合って、勇気も倍になる。間違った勇気だが。 弘充はムッとしているのに、余計なことまで含めて、正直に答える。 「こらお前らっ!。でも、うん。スタイルも最高。あっちのほうも最高。まあ、テクニックは未熟だけど。……う、なんでこんなこと言ってるんだ?」 いつもなら怒ってしかるべき晴菜だが、ショックから立ち直っていないからか、従順でないと言われたばかりのせいか、反応が鈍い。ぶすっとしているだけだ。 「うわっ、すごい、それは!」 角田吉本は大喜びだ。肩をすくめるような様子の梓。 だんだん楽しくなってきたぞ。 でも倫子は1つ気に食わない。 晴菜が身体の具合が最高? 私より晴菜のほうが具合がいいってわけ? テクニックはともかくとして。 角田吉本が調子に乗る。 「今井先生、どこがいいんですか?」「どんなふうに?」 まだ聞くかこのヘンタイは? やりすぎると、晴菜のほうが心配だ。 今井が正直に答える。 「あそこがすごいんだ。その、締め付け方が。入り口のところと、奥のところで、キュウッと」 言ってしまってから、今井は狼狽する。どうして晴菜の前でこんなひどいことを言っているのか、自分でも理解できないのだろう。 「ごめん、その、晴菜?」 今井は慌てて晴菜に謝る。晴菜はぷいと横を向く。 おっ。だんだん仲良くなってきたね。 それにしても晴菜のやつ、こんなに美人で、スタイルもいいうえに、あっちのほうも最高だなんて、許せない。こんな女がいたら、男はみんなそちらになびいてしまう。倫子に勝ち目があるわけがない。気に入らない。 いや、待て。だがそれはつまり、晴菜は、男の慰み者になるために生まれてきたような女ってことよね。生まれながらの嬲られ女? ふふふ。それはいい。 倫子はそう思いなおして、溜飲を下げる。 そろそろ話を切り上げようと思っていると、最後の良心、桐野梓が口を挟んだ。 「ちょっと角田くん、いい加減にしてよ。下品な質問ばかり」 いらいらとした口調でピシャリという。 北村の言葉は柳に風と流せても、梓に言われると、角田も黙り込む。 倫子は、梓のぴりぴりした雰囲気に気づく。 まじめな梓の良心かと思ったら、はは、けっきょく、晴菜の絶賛大会になるのが気に食わなかっただけかな。知性派代表の梓ともあろう者が、他の女があそこの具合を褒められてるのを聞いて、そんなに悔しがることないのに。 でも、ますますいい調子だ。しめしめ。 倫子が座を仕切りなおす。この幕間は、まだまだ続きがあるのだ。 「気を取り直して、ハルハルと今井クンに別の質問」 「えっ、まだ聞くの?」 これ以上はやめてくれと言いたげな弘充の表情。このままだと晴菜と気まずくなる一方だ。 「そうよぉ。今日は『新婚さん、いらっしゃーい』なんだから。三枝師匠がいつも聞いているように、プロポーズの言葉、じゃなかった、告白のときの言葉を教えてもらおっか」 晴菜と弘充が同時に口を開く。 「ヒロくんが……」 「おれが晴菜に……」 言葉をとぎらせて晴菜と弘充が目を合わす。晴菜は男を立てる女に変わるつもりになったのか、弘充にしゃべらせる。 自分でしゃべらなくてすんでも、晴菜はやっぱり恥ずかしそうだ。 「おれが『好きだよ。つき合おう』って言った」 晴菜が同意するように頷く。そして、そのまま、うつむいて顔を赤らめる。 見飽きたよその仕草。カワイコぶって、だれにアピールしてんの? 「ねえねえ。面白そう。もっとちゃーんと話してよ」 梓が、ちょっとムリめにはしゃいだ声を出す。 「いつ? どこで? どういうシチュエーション?」 「ドライブしたとき。冬くらい。帰りの車の中で」 「だめよそんな答えじゃ。今ここで、そのときの様子を再現して」 と、倫子が予定通りの介入をする。 「あ、うん」 逆らえない以上、弘充と晴菜はそう答えるしかない。 「ほら、ここに座って」 ソファを指す。 「並んで座って。車の中でしょう?」 二人がソファに移動して腰を下ろす。最初に催眠術にかけたときに座っていたソファだ。 弘充が説明を始める。 「夜景が見えるんで、ちょっと車を止めたんだ。で、おれが晴菜に……」 「ダメよそんなト書き芝居」 倫子が立ち上がって、晴菜と弘充の後ろに回りこむ。かがみこんで、二人の肩先に口をつけるくらいの場所から、しっかりとした声で指示する。 「今井さん、晴菜さん。告白したときの場面を、そっくりそのまま再現するのよ。まさに今がそのときであるかのように。 さ、思い浮かべて。12月だったよね? 車の中。夜景が綺麗。ロマンチックね。二人とも何度も思い出したんでしょう? 今また、あの夜のことを思い出して。ほらっ」 弘充の口説き文句は、ストレートだった。自信家の口説きかただ。男慣れしていない晴菜に、シンプルでストレートなアプローチは、きっと効果的だったはずだ。 二人で黙って夜景を見ているときに、晴菜ちゃんのことが好きだと言う。つき合って欲しい。おれの希望的な見方かもしれないけど、晴菜ちゃんも、おれのことは嫌いじゃないんだと思う。違うかな? 違っててもいいんだ。それでもおれは晴菜ちゃんのことが好きだから。もし、よければだけど、おれとつき合って欲しいんだ。 ゆっくりとした口調で、一言一言噛みしめるように言う。自信と誠意に満ちた口調で、時間をかけて告白し、その間に相手に心構えさせて、相手が頷くだけでいいような流れを作っている。 晴菜は、助手席で(倫子のマンションのソファで)真っ赤になってうつむいていたが、弘充が言い終わると、こくりと頷く。 弘充は、ほんと? と聞き返すような無粋なことはしない。そっと晴菜の右手に自分の左手を重ねて、気持ちを込めて握る。晴菜が握り返す。指を絡ませ合ってしっかりと握り合う。 晴菜が嬉しそうにはにかみながら弘充の顔を見る。その機を逃さずに、弘充が口づけをする。晴菜は驚き、一瞬だけためらうものの、結局は口づけに応える。短い口づけが終わると、晴菜はまた俯く。恥ずかしそうに、嬉しそうに言う。 「弘充くんにキスされちゃった」 「パパに怒られる?」 「うふふ。そうかも」 少しはにかむ。最後に小さな声で付け加える。 「でも、うれしい」 弘充がもう一度キスをする。晴菜を抱き寄せて、最初のキスよりも長く。 またもう一度。 さらにまた。 繰り返すつど口づけは長くなる。弘充が舌を入れると、晴菜は驚いたようにピクリと身体を震わせるが、弘充のやさしい口づけに促されて、おずおずと弘充に委ねる。弘充は、晴菜の緊張を解きほぐすように、やさしくキスを続ける。弘充が、晴菜の背中を抱いた手に力を込めると、晴菜も弘充の背中に手を回す。 弘充は、晴菜の顎、首筋に唇を動かしていく。晴菜の首の後ろに手を回すと、ネックレスをはずす。女性への気遣いよりも、簡単にネックレスをはずした器用さと、その背景に垣間見える経験の豊かさが、観客の倫子を驚かせる。 弘充は、晴菜の髪の毛を優しく撫でる。肩にかかった髪の毛を掻き上げてから、ブラウスの襟元から伸びる首の根元に唇を重ねる。弘充のキスが胸元に近づいているのを感じて、晴菜は、そわそわとする。それでも晴菜は、受け入れたように身体の力を抜く。 だが弘充は、そこで止めた。晴菜から身体を離し、身を起こして運転席に(ソファに)座りなおす。 助手席で(ソファで)晴菜は、おどろいたような、ほっとしたような、物足りないような表情を浮かべた。 そこまでが本人出演による再現シーンだった。 台詞劇を予想していた観客たちは、思わぬ濃厚なキスシーンに唖然としつつも、固唾を呑んで見入った。 男なんて知らぬげにさわやかな美貌の晴菜が、熱烈なキスを人前で披露しているのが、刺激的だった。 とりわけ、幸せ一杯の晴菜の輝くような表情と、キスを受け入れたときの思わぬ艶かしさに、男性陣は嫉妬を掻き立てられる。こんな表情の晴菜は見たことがなかった。今井弘充しか知らない、晴菜の表情。 そして、そんな輝くような美女を目の前にして、弘充の余裕ぶりは何なんだろう。自信満々に口説いて、あっさりと陥落させて、最後には余裕を残して引き下がっている。 弘充がキスをやめたときの晴菜の表情! ほっとしたような表情に混じる、もどかしげな表情。あの清楚な晴菜にそんな切ない表情をさせるなんて! 引っ込み思案な晴菜の気持ちをたくみに誘って、壁の外側まで引っ張り出したあげく、そのまま焦らすように置き去りにしていく。それが小憎らしい。今井のやつ、そのまま強引に行けばどこまでも行けただろうに。相当女慣れしているのだろう。きっと晴菜を手玉に取るなんてたやすいことだ。 実際には、今井弘充は、本当に晴菜を思いやっていただけだ。だが「身体が最高、あそこの締めつけが」などと発言した後では、弘充に対して悪意ある見方しかできない。 「すごいね。いいシーンね。ちょっと、ドキドキしちゃった」 「晴菜が夢中になるのもしかたないわね」 倫子と梓が女同士の感想を言い合う。 晴菜は、夢からさめたように、はっとなる。友人たちの前で熱いキスシーンを演じてしまったことに気づいて、うろたえている。二人だけの大切な思い出を、汚してしまったような気になる。 可哀相な晴菜。でも、まだまだもっと私たちにつき合ってね。 倫子が言う。 「二人に拍手ぅっ」 ぱちぱちと拍手。 晴菜も弘充も顔をしかめる。思い出は見せ物ではない。 「それで? みんな、まだまだ聞きたいことあるでしょう?」 艶っぽいシーンの残り香が消えないうちに、次の段階へと倫子があおる。 崇行が容赦なく聞く。 「晴菜ちゃん、初えっちはいつだっけ?」 弘充にではなく、晴菜に聞く。 倫子は崇行に向かって、目で頷いてやった。腹をくくった崇行のやる気に、乾杯! 「1月22日」 晴菜は、大切に覚えていた二人だけの記念日を、自分があっさり答えてしまったことに驚いて、また顔を赤らめる。弘充もびっくりしたように晴菜の顔を見る。 晴菜が崇行に文句を言う。 「んもう〜っ。山越くん、そんなことまで聞かないでよ、絶対にこんな秘密、話すつもりなかったのにぃっ」 「言いたくなければ答えなくていいのに」 梓が冷たく言うのを聞いて、えっ?と一同が耳を疑う。 梓の口からそんな冷たい言葉が出るとは。しかも、「答えなくてもいいのに」なんて。晴菜が催眠術にかかっていることを知っている人間がそれを言うのは、あまりに卑怯で残酷な嫌味だ。 晴菜は、自分でもなぜ全ての質問に正直に答えてしまうのかわからないので、返す言葉もない。 一番の良心派の梓だが、生真面目なだけに劣等感が強く、うまく刺激してやると堅い手駒になる。せっかく梓が「こっち側」についてくれたんだから、ここはちゃんと引きとめておかないとね。 この役割は崇行には荷が重いだろうから、倫子が梓を援護する。 「うん、そうね。ハルハルも結局すらすら答えられたんだから、たいしたことないって」 そんなことは倫子が決める筋合いではない。 「大丈夫大丈夫、私なんか、えっちした日なんて、まあ、いちいち覚えてないこと多いんだけど、覚えてたら、平気で話せるよ。 えーとね、いちばん最近のえっちは、一昨日。相手はね、すごいんだなこれが、高校生。渋谷でナンパされちゃった。ハルハルが口説き文句話してくれたから……」 本当は弘充が話してくれたのだが。 「……私も言うと、『素敵な夜をすごしませんか』だって。だっせー。どっかのマンガかギャルゲーの受け売りだよきっと。ガキが精一杯ムリしちゃって。若さだけのセックスしかできないくせに」 崇行がボヤく。 「なんちゅーあけすけな話だ」 「どうってことないわよ」 倫子がしれっと答える。遠まわしに、なんで晴菜には話せないの? と晴菜にあてつける。 さらに晴菜にプレッシャーをかけるべく、倫子は話を続けるそぶりを見せてやる。 「そうそう、私の初体験の話はどう? 意外とオクテなのよ私。『意外と』って自分でいうのもシャクだけど。でもね、私ンとこ、田舎だったから……」 崇行がちゃんと話をさえぎってくれる。 「ミッちゃんの武勇伝はいいって。キリないし」 結果的にいいタイミング。でも、倫子の意図は理解していないだろうな。 「それより、晴菜ちゃんの話を聞こうよ」 今井の話ではなく、晴菜ちゃんの話、だ。 「1月ってことは、告白から初えっちまで1ヶ月以上もかかったんだ。なんで?」 と、これは梓。よく気づいたね。 吉本も言う。 「あ、クリスマスはどうしたの?」 晴菜を名指しして聞かなかったせいで、弘充に答えられてしまう。 「それが、その後忙しくなったりしてしばらく会えなくて。クリスマスは、晴菜が風邪引いててだめだった。そんなこんなで、その間にちょっと気恥ずかしくなってしまって。久しぶりに会っても、なんか照れちゃってね」 主語はぼやかしているが、おもに晴菜が、だ。 「それで、しばらくたってから、これでは恋人と言えない、と思って、話し合って……」 うーん。今井のやつ、なんかまともなこと言いそうだ。いい話に聞こえてしまう。 そこで倫子が後を受ける。 「で、ヤっちゃったのね」 晴菜が慌てる。 「わっ、ミッちゃんやめてよ、そんな恥ずかしい言い方」 「あら、ごめんなさいませ、言いなおしますと、情交を結ばれたと、こういうわけでございますね」 倫子がからかう。 「ミッちゃんてばぁ。もうっ。その言い方のほうが、なんか、イヤラシイ……」 晴菜が小さな声で抗議する。 ほほえましいやり取りに笑いが起きる。 うわべだけだが、場が和む。 さっきの「再現ドラマ」だと、告白されたとき、まさに晴菜は触れなば落ちんという状態だった。その場で身体を許してもおかしくなかっただろう。 だが、そこで恋愛経験の豊富な弘充の気遣いだ。勢いだけで関係してしまうと、あとで後悔してしまうかもしれない。弘充だけならともかく、問題は経験の浅い晴菜だ。 二人が本心から互いを好き合っているのは確かだ。でも、その後つき合っていく間には、時に自分の気持ちを疑うこともある。もし晴菜が、勢いで男を受け入れてしまったと思い込んでいたとしたら、自分の気持ちを信じきれなくなるかもしれない。経験の少ない晴菜は、わけがわからなくなってしまって、自分が見えなくなってしまうこともあるだろう。そんな晴菜が、後になって迷わないためにも、冷静に時間を置いたほうがいい。愛する気持ちが本物だからこそ、大切にしたほうがいい。 その思いやりは、まさに弘充が本当に晴菜のことを大切にしていたからだ。まさか手練手管で晴菜の気持ちを焦らしたわけではない。晴菜の心をないがしろにするなら、その場でさっさと押し倒してしまえばよかったのだ。 告白された夜晴菜は、さっそく親友の倫子に報告した。晴菜は嬉しくてとうてい眠れそうにない。長電話のあまりケータイの電池が切れて、充電コードをソケットにつないでそのまま話し続けた。 倫子は、こんな急展開は予想していなかった。これまで同様、晴菜に恋している男を適当に妨害して、アドバイスするふりをして男に近づいて、あわよくば自分で弘充をものにしてしまおうと思っていた。 だが、弘充の気持ちが真剣だったからなのか、弘充の手際が良かったからなのか、男にオクテな晴菜が、こうもあっさりと恋に落ちてしまった。倫子には予想外だった。 晴菜の圧倒的な美貌に気後れせずにこんなにストレートに攻め込んでくる男は、初めて見た。 弘充に比べると、これまで晴菜に近寄ってきて、倫子が退けてきた男たちは、二流以下だ(当時はそうは思わなかったが)。その中で適当なクズ男を晴菜にくっつけておけば、弘充が入り込む余地はなかったはずだ。恋愛経験が少ない上に、どんなクズにも美点を見つけてしまう晴菜に、男の魅力を吹き込むのは簡単だし、誠実な晴菜が一度つき合い始めた男と簡単に別れるわけがない。たとえ、弘充のような最高の男が横から言い寄ってきたとしても。 僥倖で晴菜をものにしたクズ男が、晴菜を手放さないのはもちろんのことだ。 これでは結局、倫子が積み重ねてきた妨害工作は、弘充と晴菜をくっつけるためにやっていたようなものだ。 倫子は、内心忸怩たる思いを隠しながら、さも嬉しそうに晴菜のノロケにつきあってやった。電話でよかった。直接会って話していれば、とても悔しさを隠し切れなかっただろう。晴菜が嬉々として話すのを聞きながら、倫子はクッションを壁に投げつけて八つ当たりした。 今さら二人の恋を捻じ曲げて壊してしまうのは難しそうだった。そもそも普通に考えて、くっついて当然の二人だ。 倫子は、祝福して、アドバイスしてやるふりをした。 とは言っても、あまりすんなり行くのも気に食わない。邪魔できるところは邪魔しておこう。せいぜい時間稼ぎに過ぎないのはわかっているが。 晴菜は、弘充との次のデートを待ちかねていた。 そんなにえっちがしたいのかこのインランめ。 そこで倫子はまずデートの邪魔をした。とっくに完成したレポートを手伝わせたり、バイト先で募集が集まらなくて困っていると言って1週間夜8時までのイベントのバイトに引っ張り込んだり。レポート完成の打ち上げと称して、一晩中引っ張りまわした挙げ句、倫子のマンションに泊まらせた。エアコンが壊れたと言って寒い部屋に寝かしてやると、体の弱い晴菜はあっさり風邪を引いて寝込んでしまった。それでクリスマスはつぶしてやった。 晴菜と弘充の間で、電話やメールのやりとりはしていても、直接会う機会が少なくなった。始まったばかりの恋人たちの、盛り上がった気持ちは行き場をなくす。会えない分だけ、夢中になって男のことをいろいろ思い悩む。そうすると、余計なことに気づくこともあるし、誤解が訂正されずに暴走することもある。男心を知らない晴菜が、自分でそれをコントロールすることはできない。そこで頼りになる経験豊富な倫子様の出番だ。 ちょっとヒントをばら撒いてやるだけで、晴菜はすぐに、弘充が女を扱い慣れていることに自分で気づいた。そこで倫子は、自分が知っているヒドい男の話をしてやる。その話は、わざと事実をねじ曲げてある。倫子の話に登場するヒドい男たちは、必ずどこか、弘充と似ているところがある。晴菜が不安がるような話をした最後に、倫子は、晴菜がそんな男に引っかからなくて良かった、弘充はそんな男たちとは大違いだ、と締めくくる。身体だけが目当ての男とは全然違うよね。 あからさまな誘導だとも気づかずに、晴菜はすっかり疑心暗鬼だ。せっかく久しぶりに弘充に会えたのに、手を握ることさえ嫌がる。 そうやって晴菜を怖じ気づかせてやってから、倫子は、弘充のいる前で、弘充に聞かせるために、晴菜に言ってやった。「ねえハルハル? 今井くんってこんなにいい人なのに、いったいなにが不安なの?」 晴菜が不安がっていると聞いて、弘充には衝撃だったはずだ。自信家だけにダメージは大きかったらしく、すっかり萎縮して、おずおずと晴菜に接するようになった。 倫子の期待以上にうまくいった。二人が気まずくなってくれたので、もしかするとぶち壊しにできるかとも思ったのだが…… だが結局、今井弘充は、いざというときに相手の心に踏み込む勇気もあった。あっさりと誤解を乗り越えて、深い仲になってしまった。 晴菜も弘充も、倫子の妨害には気づいていない。なんとなく間が悪くて、気まずくなって、えっちするのがためらわれた、としか思っていない。 そんな説明を聞いても、みんなには納得できないだろう。特に、晴菜たちへの敬意のような気持ちが薄れて、逆にかすかな悪意すら抱き始めている今となっては。 男たちはきっと、あまりにスマートに晴菜を口説いていた弘充が、最後の一歩に手間取ったことに、いくぶんか気が晴れたことだろう。それから、晴菜が簡単に身体を許さなかったので、清楚なイメージを再確認したかもしれない。 逆に梓はきっと、晴菜がもったいぶっただけだと思っているだろう。弘充にあそこまで言わせておいて、もうほとんど落ちたようなそぶりを見せておいたのに、待ちぼうけを食わせたと解釈しているだろう。 それは、梓が嫌いそうなタイプの女だ。今の梓の心境としては、あえて晴菜を、自分が嫌いなタイプになぞらえて、これまで感じてきた劣等感を晴らすことを正当化しようとしているはずだ。 倫子は、うわべだけの和やかさを醸し出しながら、からかうように晴菜に聞いた。 「初えっち、どうだった?」 「うん、素敵だった……って、そんなことみんなの前で聞かないでよっ」 「大丈夫だった? ちゃんとえっちできた? ハルハルは……」 下手そうだから、といいかけて言い直す。 「ハルハルは、そういうの苦手そうだから。えっちしたの何人目だっけ?」 晴菜は赤くなったり青くなったりしている。 「大丈夫です。ちゃんとえっちしました。ヒロくんで2人目……って、もうっ、何てこと言わせるの?」 晴菜は真っ赤になって、両手で頬を押さえる。 「ミッちゃん、信じられない! こんなこと、みんなの前で。もうっ」 2人目と聞いて男どもがざわめく。清純なイメージどおりだ。 梓は、複雑な表情だ。自分と比較して、満足しているのか不満なのか? 盛り上がっている男どもも、さすがに初体験のことを晴菜に直接聞く勇気はないらしい。誰か言い出してくれないかと待っていたが、結局あきらめて倫子が自分で聞く。 「初体験どうだった? うまく行った?」 うまく行った初体験なんて聞いたことがない。 「いつごろだっけ? 相手は、誰だっけ? 小野寺晴菜ちゃんの処女を食っちゃったのは? 高校の先輩だったよね?」 あけすけな質問に、弘充は何か言いたげだ。だが、倫子は、女の友達同士の気のおけない会話を装って、親密で気安い調子が出るよう注意している。男は口を挟みにくい。晴菜の抗議も、気安い倫子が相手だと、怒っているというより甘えながら拗ねているといったトーンになる。 「高校2年のとき。高校の先輩。バスケ部の人。その、ちょっと……不慣れであんまりうまくいかなかった……」 晴菜は、ぶすっとした小さい声で答える。 「もう、ミッちゃん恥ずかしい」 もじもじとしている。 男たちは、うんうんとうなずく。 きっとかわいかったんだろうな……。 ちぇっ、その男、おいしい目見やがって…… 晴菜ちゃんの初体験か……。 いひひひひ。 「ま、最初そんなものよ。こっちも相手も子供だもんね。その男といつ別れたの?」 「センパイが卒業したから」 この質問に答えるのはさほど恥ずかしくはない。初体験のことを聞かれるのに比べれば。 「えーと、じゃあ……3年間も、男のモノ咥えこんだことなかったんだ? うわっ、きっつい」 「うん……、って、どうしてミッちゃんて、そういうヤらしい言い方するの? わざとからかってるでしょう? ほかにもっと、キレイな言い方あるでしょう?」 反応が面白いので、ちょっと食いついてやる。 「どんな言い方ならいいの?」 「ええっ? それは、その……。『結ばれた』とか、『捧げた』とか……」 男性陣は、うーんなるほどぉ、などと感心しているが……。 うわっ、なんだその少女趣味な言い方は! 倫子はぷっと吹き出す。梓と顔を見合わせる。 晴菜は、基本的にはしっかりした子だし、落ち着いた分別もあるのだが、こういう恋愛やセックスの話になると、妙に子供っぽくなる。 倫子が笑ったことに対して、晴菜が抗議する。 「ちょっと、なに笑うのよ。ミッちゃん、もう。アズサっちもぉ」 今は男性陣も晴菜の味方になっているようなので、そちらに同意を求める。 「ひどいよねぇ?」 男たちが頷く。 久しぶりに、下品さのない、明るい笑いが座に流れる。 倫子は、晴菜が男性陣を味方につけているのを見て、ちょっとしくじったと感じる。 軌道修正しないと。男どもが喜びそうな会話、と。 「じゃあ、弘充とは3年ぶりか……。大変だったでしょう? 3年ぶりで、よくちゃんとできたね? やりかたわかった?」 下品な話題に引きずり込む。 「大丈夫です。ご心配どうも! 子供じゃないだからっ」 晴菜はまだプリプリしている。 「そうよねえ、もう子供じゃないもんね。身体もすっかり大人よね、もうすっかりセクシーになっちゃって。今井クンの視線は釘付けよね。ね? ハルハルぅっ?」 そう言って、上から下へ視線を動かして、ソファに座る晴菜の身体を見る。釣られて、男たちも晴菜のしなやかな身体を見る。 梓は……晴菜のプロポーションにちょっと悔しそう? 桐野梓21歳は、胸がなくて、ちょっとずんどうに見えるのが悩みです。ふふふ。 身体に視線が集まるのを感じて、晴菜が居心地悪そうにする。弘充も不愉快そうだ。 倫子が軽い調子で言う。 「よく見ると、出るとこでてるのよね、晴菜の身体って」 「もう、ヤラシイ。なんか気持ち悪い。ミッちゃん、私、そっちの気ないからね」 倫子が引いたレールに沿って崇行が聞く。 「は、晴菜ちゃん」 ドモるな、ばか。 「スリーサイズ教えて」 弘充が、おい、という顔で崇行のほうを見る。 女友達同士のノリで倫子が聞くのとは違って、崇行が聞くのは確かにぶしつけな感じがする。 だが晴菜は答えざるを得ない。 「83・56・83」 答えてしまってからはっと口を押さえる。 男性陣がおおーっと声を上げる。なんで男ってこんなことで盛り上がれるのかね? 晴菜が咎めるように言う。 「もうっ、どうしてこんな恥ずかしいこと聞かれないといけないの? 山越くんサイテー」 助けを求めるように弘充の顔を見、倫子の顔を見る。やはり、女友達の倫子に聞かれるより、男の崇行に聞かれる方が抵抗感は強いらしい。 弘充が余計なことを言う前に倫子が言う。 「いいじゃない、なに恥ずかしがってるの? すんごいプロポーションじゃん。私も自信あったんだけど、82・60・85 。Dカップ。なんか負けちゃった。うらやましい」 晴菜が倫子にこぼす。 「でも……。だって、恥ずかしい」 北村が、ここぞとばかりに晴菜をかばう。 「そうだよ。晴菜ちゃんがかわいそうだよ。晴菜ちゃんはミッちゃんとは違うんだから」 いいなぁこのばか北村。いい働きをしてくれる。あんたが味方するだけで晴菜の旗色が悪くなるのよ。 倫子は内心ほくそえみながらも、むっとした様子を装って、眉を吊り上げてみせる。 梓が、倫子を代弁してくれる。 「晴菜がミッちゃんと違うってどういう意味? ミッちゃんは恥ずかしくないけど晴菜は恥ずかしいっての?」 これでは弘充も、晴菜に加勢はできない。 「それなら、私のは、76・62・84のBカップよ。ほら、この3人比べたらいちばん太っちょで貧乳よ。恥ずかしい。でも北村くんは、晴菜だけは恥ずかしいから大目に見てやってとか言うの?」 一番嫌がりそうな梓が率先して話してくれたので、後の話がラクだ。 「いや、ちょっと言い過ぎたけど」 北村がもぞもぞと言う。一時はこの北村、梓のことを口説こうとしてたからなぁ。 気まずい雰囲気に、晴菜が、慌てて謝る。 「ごめん、私、なんか、変なこと言っちゃって」 本来晴菜は謝る必要はない。女性にサイズを聞くのが失礼なのは言うまでもない。 この悪い空気のなかで、空気を読んでいない(いや、それとも空気を読んでいるからか?)のんきな吉本が、どうしても聞きたいというように口を挟む。 「晴菜ちゃんだけ何カップか話してくれてないよ。教えて」 この馬鹿は、スゴイ。 すっごく使えるヤツだこいつは! この話の流れで平然と胸のサイズを聞くなんて失礼だ。だが、ここで晴菜が答えを渋るなんてことは、梓や倫子への気遣い上、ありえない。 「Cカップ……」 羞恥と不満を、何とか抑えている。 「おー!」 吉本が歓声を挙げる。 「うわ晴菜ちゃんて、83センチのCカップ!」 吉本が、盛り上がりながら、清潔な水色のブラウスの下、晴菜の胸のふくらみをじろじろと見る。視線に耐えかねて、晴菜が両腕で自分の肩を抱くようにする。 「角田隊長角田隊長、大発見です。晴菜隊員は、83センチのCカップです。痩せて見えるのに、けっこう『脱いだらすごい』んだと思います」 「吉本隊員。それはまだ早計に過ぎるのではないかな。確かめもしないうちから、『脱いだらすごい』だなんて、決めつけるのはいかがなものかな」 「は、申し訳ありません隊長。さすが隊長は、冷静に物事を見てらっしゃる」 吉本は角田との間で、無遠慮な「隊長コント」を繰り広げる。角田も、じろじろと晴菜の胸元を見ている。 まったく、男はばかだ。見ればわかることを数字にするだけでこんなにも盛り上がって。 それに、倫子自身はDカップって言ったはずなんだけど。ちょっと見栄張ってるけど。 でもまあなんにしろ、女神の晴菜様が、召使のように自分に仕えてくれていた友人たちから、好色そうな視線を浴びて恥ずかしそうにしている絵って、見ていて気持ちいい。 勢いのついた流れに乗って、崇行が質問を重ねる。 「Cカップの晴菜ちゃん? パンツの色は何色?」 さっきダンスしたときに、パンチラしてわかっているのだが、しれっと聞く。 さすがに弘充の顔色が変わる。その質問は失礼だろう? 弘充が言う。 「なあ、そろそろやめようぜ」 崇行を睨みつける。 倫子が弘充の反論を封じようとしたその前に、梓がきつい声で言う。 「あ私今日はグレーね。やーね、おばさんくさくて。晴菜は今日は何色の女?」 梓だって、晴菜のダンスのときに目にしているだろうに……。意地悪な女。 弘充は気圧されたように口を閉じる。梓に下着の色を言わせておいて、晴菜だけ特別扱いというわけには行かない。 「白」 晴菜は俯きながら小さな声で答える。チヤホヤされてきたキャンパスのアイドルが、男たちの前で自らすすんで下着の色を言わされているのだ。それだけで、男たちは盛り上がる。 「ヒョーッ」 みんな知ってたくせに、声を上げて喜ぶ。 「た、隊長! 白です。晴菜隊員のパンツは白ですっ」 吉本が、からかう気持ちを込めて、さきほどと同じ隊長コントを繰り返す。 「何を言っておるのかね吉本隊員。晴菜隊員なら白以外にはありえんだろう」 一度目の隊長コントとまったく同じやり取り。 「さ、さすがです! さすが隊長は、『よく覚えていらっしゃる』」 一度目に同じやり取りをしたのはダンスのときだが、晴菜には聞こえていなかったはずだ。晴菜は二重の意味で馬鹿にされていることには気づかない。真っ赤になって嬌声に耐える。 「上も下も白?」 崇行の追い討ち。 「うん」 いっそう小さな声で晴菜が答える。 倫子が嫌がらせを始める。 「え?、ハルハル本当に白?」 「本当よ」 少し涙目かな? いやいや、もとから晴菜はウルルンした目だから。 「だって、ハルハル、いつも赤とか黒とかじゃん。今日だけ白なんて信じられない」 吉本がまた盛り上がる。 「た、隊長、晴菜くんは、ふだんは赤と黒らし……」 晴菜が語気を強める。 「違うよ。ミッちゃん知ってるでしょう? 私、そんな色、着ない。赤とか黒って、ミッちゃんの色でしょう?」 さすがに言葉に少し険がある。 「そっかなー。じゃあ、見せてよ。本当に白?」 晴菜が、正気?という顔をする。崇行が倫子の横で、晴菜に促すように、自分でスカートをめくり上げる仕草をしてみせる。この男、晴菜の肉体に釣られて裏切ったからには、すでに恥を知らない。 「そんな……どうしてそんなこと……ひどいよミッちゃん」 弘充が口を挟む。 「ミッちゃん! いくらミッちゃんでも、やりすぎだよ」 倫子はそれを無視する。 「見せられないの? 怪しいわ〜。本当は赤?」 「隊長、本当は赤らしいっす」 梓が言う。 「私の見せようか? 本当にグレーなのよ」 すっかりこちら側についている梓が、お得意の作戦に出る。 わたしにできることを、晴菜はやらないつもり? 何様のつもり? これ見よがしなあてつけ。 梓の言葉に、晴菜は、あきらめたように、言う。 「わかった」 少し声を震わせている。 やっぱりちょっと涙目だ。ウルルン。かわいい。もっとイジメたくなるわ。 弘充が止める。 「やめろよ晴菜。そんなことしなくていいから」 弘充が晴菜をかばうのが癪らしく、梓が嫌味っぽく言う。 「じゃ私の『だけ』見せるね」 かばってくれた弘充が逆に立場が悪くなりそうなのが、晴菜には踏ん切りになったようだ。 「いいの」 晴菜が白いスカートの裾をつまむ。 「座ったままだとよく見えないから立ってよ」 晴菜は黙ってソファから立ち上がる。そして、さっとスカートの裾を自分でめくりあげて、もどす。すらりと白い太ももが根元まで見えて、そして清潔な白いショーツが一瞬見える。 あのアイドル小野寺晴菜が自分でパンツを見せてる! 「見えないよぉ。スカートの裏地の色だよ。もっとゆっくりやって」 と北村が言う。 おまえさっきまで晴菜の味方してたくせに! 弘充が口の中で何か言う。だが晴菜は黙って、スカートの裾をめくりあげる。そのままじっとする。惨めな気持ちだ。友人たちの視線が下半身に集まる。耐え切れなくて目をつぶる。頭の中で2秒数えて、スカートを下ろす。裾を両手で押さえる。顔を俯かせたまま上げようとしない。 倫子が冷たい声で言う。 「あ、ほんとに白だ。そういえば前も白穿いてたこともあったっけ?」 「あーいいもの見た」 無遠慮に角田が感想を言う。男たちがため息をつく。 「やっぱり、晴菜ちゃんのイメージどおりの色だね」「形もおとなしいし」 晴菜は耳を塞ぎたそうだ。 梓が、クックッと笑う。 「それにしても、晴菜だいたんー。スタイルに自信あるコは違うよね」 チクチク言う。 「なんでスカートめくったりなんかしたの? 見せびらかしてるみたい。私にはできないなー」 そう言って梓自身は、立ち上がって、腰の後ろのスカートのファスナーを少しだけ下ろす。スカートのウエストを手で押さえながらお尻を向けて、ファスナーの隙間から、自分の下着の色を見せる。 「ほら、私のはグレー」 スカートめくりなんかしなくてもショーツの色くらい見せられるのに。 梓の冷たい視線に嘲られた晴菜が、顔を両手で覆った。
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