●アキバタマビ21の【的のその先】トークイベントレポート
●2013年2月2日(土)16:00-
若手彫刻家の伊佐治雄悟さん、
今井大介さん、大野綾子さん、真部知胤さんと、
歌人の永井祐さんのトークショーが開催されました。
短歌は、「短歌作者=短歌読者」という、ある種閉塞した世界なので、
他ジャンルのクリエーターが、
永井さんといったいどんな話をするのかに興味があってでかけました。
会場は、【的のその先】以外にもいろいろな展示やイベントが行われていて、
会期中にもう一度ゆっくり見にいきたい感じ。
(これは、結局、果たせず仕舞い・・・・・・。)
* * *
このレポートは、
テープをおこしたものでもなく、(テープおこしももはや死語かしら)
ノートをとったわけでもなく、
iphoneにお話のキーワードを入力して、後日再構成したものなので、
一人称など、ご本人の口調と違うかもしれません。
彫刻家のみなさんが、
一首目、二首目、とはおっしゃっていなかったような気もするのですが、
レポートとしてのわかりやすさを優先しました。
わたしの脳内で変換されてしまっているところもあると思います。
それを踏まえて読んでいただけるとうれしいです。
(発言者と発言内容がずれていないといいのですが。)
以下、敬称略でレポートします。
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■真部■
今回、なぜこのトークショーを企画したかというと、
わたしが何冊か穂村弘さんの著作を読んでいて、
その中で、永井さんの作品に出会ったんですね。
いろいろな方の短歌が紹介されていましたが、
一番ひかれたのが、永井さんの作品でした。
それで、もっともっと永井さんの短歌を読みたいと思って、ネットで探したりしました。
永井さんの短歌は、わたしだけでなく、
彫刻の仲間たちにもわかってもらえるだろうと思って、みんなに読んでもらったところ、
やっぱりおもしろがってくれて、それが今日のトークイベントにつながっています。
まずは、永井さんの自選3首が、壁に映し出される。
(以後、永井さんの作品や彫刻家のみなさんの作品が投影されながらの進行。)
会わなくても元気だったらいいけどな 水たまり雨粒でいそがしい
おじさんは西友よりずっと小さくて裏口に自転車をとめている
今日は寒かったまったく秋でした メールしようとおもってやめる する
もう1首。
パーマでもかけないとやってらんないよみたいのもありますよ 1円
■永井■
短歌は言葉をこねまわして作ります。
いつも素材としての「おもしろい言葉」をさがしていますね。
(ここで、パーマの歌の制作過程のお話がありましたが、ここはもったいないのでひみつ。)
■伊佐治■
わたしは日用品で作品をつくっています。
どこでも手に入る素材。ホチキスの針、カッターのナイフ、シャンプーボトルなど。
■今井■
わたしのテーマは「可塑性」です。
粘土は自由で、不自由な素材。
制約があるからこそできる表現があります。
制作しているその日の気分で、作品が変わりますね。
■大野■
わたしは石で作品をつくります。
「生活のなかの彫刻とはなにか」を常に考えています。
石は、さわってみなければわからない。
石の重さ、という制限があります。
どこにいても、そのときに考えていることを表現したいと考えています。
■真部■
ちらしの紙を材料にしたり、一年間かけて集めた「埃」を材料にしたりしています。
技術的には、わたしのオリジナルでなく、
すでに存在しているものです。
この手法をなぜ選んだかといえば、
「なんとなく(無名の人たちのあいだで)つづいてきている技術」に対する興味があるんですね。
美術は天才の歴史だと思われがち。
普通のひとは無名のうちに死んでいく・・・・・・。
ぼくはこちら(=普通のひとのほう)を強く肯定したい。
無名のひとのモニュメントだと思って制作しているところがあります。
おそらく、社会化された時間ではない時間のほうに興味があるんですね。
◆伊佐治選/三首
雨音かシャワーの音かわからない2002年のある朝起きて
生まれてはじめて野暮用と言う 金沢に野暮用があっていってきました
ささってるUSBに白い字でBUFFALO疲れてるバッファロー
■永井■
短歌の人たちって、気に入った歌を「ひく」ということをするんですね。
あ、「ひく」っていうのは引用するってことなんですけど、
この2首目の歌は、短歌の人たちはひかない歌ですね。
もしかしたら、はじめてひかれたんじゃないかな。
■伊佐治■
どの歌も、ドライというか、それでいて生活感が伝わってきます。
■永井■
なんか、USBが好きなんですよね。
■伊佐治■
短歌って、永井さんの体験だけ(からつくられているもの)かと思っていたんですけど、
そうでもないんですね。
■永井■
まあ、短歌っていうのは、
「わたくし性の文学」とも言われていて、
そういうふうに作者の体験だと思われても仕方がないところがありますね。
そう見えてしまっても仕方がないというか。
◆今井選/三首
体育館の前で弁当広げてる もしもし、もしもし、こっちは夜だ
タクシーが止まるのをみる (123 4) 動き出すタクシーをみる
となりの人が奥歯の方でかんでいるガムのぶどうの匂いでねむい
■今井■
どの歌も一人遊びっぽい匂いがしますね。
体育館の歌も、「もしもし」って、呼びかけてはいるんだけど、
呼びかけの対象がいるのかどうか、わからない。
距離感が不思議な感じで、ひとりでいるっぽい感じがどの歌からも伝わってきます。
彫刻も一人遊びっぽいところがあります。
最終的には人に見せてこその作品なのですが。
自分が制作をしているときも、「一人遊び感」を大事にしています。
いつまでも終わらない遊び・・・・・・。
もちろん、「こんなはずじゃなかった!」という結果になってしまう時もあるんですけどね。
三首目は、匂いで眠いとつながるのが、面白いと思いました。
嗅覚から、眠さに繋げるのか、と。
◆大野選/三首
電車にバッグを投げつけて怒鳴り散らす女性 ぼくのいる位置 女性のいる位置
ちょうどよく重たいものが乗っている そういう気分で毎晩ねむる
灰色のズボンがほしい安すぎず高すぎもせず細身のズボン
■大野■
一首目に二回出てくる「位置」という言葉が気になります。
作者が場面全体を俯瞰しているかのようで、とても冷静ですね。
わたし自身も、作品をつくるときには、俯瞰したドローイングをかきます。
位置関係を考えます。
ズボンの歌は、今回わたしが出している作品のリンクがあるように思いますね。
ちょうどいい、という感覚。身の丈にあう、という感覚。
ちょうどいいのは難しいことなのですが。
パーマの歌もとてもいいと思いました。
■永井■
大野さんの作品に、「台座がない」というのは大野さんの思想ですよね。
◆真部選/五首
わたしは今回の企画の言いだしっぺなので、
五首選びました。
日本の中でたのしく暮らす 道ばたでぐちゃぐちゃの雪に手をさし入れる
君と特にしゃべらず歩くそのあたりの草をむしってわたしたくなる
銀色の灰皿のふちをなめらかに日ざしがとおる 丸い灰皿
会員の期限が切れてDVDみなくなり壁のお面をみてる
夏になりかけの今夜は窓を開けインスタントの焼きそば食べる
■真部■
一首目の歌の「道ばたでぐちゃぐちゃの雪に手をさし入れる」っていうのは、
こどもがやるようなことですよね。
不毛なこと。
二首目は、思いとしてかわいらしい。
草をむしってわたすこと。(こういうことをされたら)女性の方、うれしくないですか?
(会場、微妙な反応……)
灰皿の歌は、「見たまんま」ですよね。
この歌で、いったい何を言いたいか、ということを考えていくと、
よくわからなくなっちゃいますが。
意識がハッとした感じ、社会化されていない瞬間を、
永井さんの作品から感じることができます。
ふつう、わたしたちは、
ぼんやりとした感覚で生きている時間のほうが長いわけですから・・・・・・。
この歌では、丸い灰皿をつくったクリエイターの<無名性>もポイントかもしれません。
自分が四首目の歌を選んだのは、自分でもちょっと意外でした。
無抵抗感、ユーモラスな感じを受けます。
それからDVDとお面の関係が気になります。
この歌、壁のお面であって、壁の時計、ではない理由があると思うんですね。
DVDで見てるのはたぶん映画だと思うから、
この映画のなかで何かを演じてる俳優のことを思うと、
お面との関係にまた重層性を感じます。
TSUTAYAの会員は、だれでもなれる会員ですが、
お面を共有している集団、ということでいうと、もっと排他的な集団を想像します。
その対比もあるのかな、と。
歌を作った人の無意識が出ているのかもしれませんね。
■永井■
ここはお面じゃないとだめなんですよ。
結構無意識につくってますね。正解があるわけじゃないから。
(五首目の)インスタントの焼きそばの歌は、歌人は選ばない歌ですね。
■真部■
五首目の歌は、「夏になり」というところがポイントだと思います。
穂村弘さんの
【自転車のサドルを高くあげるのが夏をむかえる準備のすべて】に
共通している部分があると思うのですが、
穂村さんのほうは、世界を強く感受しているような印象です。
永井さんの歌は、違いますよね。
お祭りの夜店で食べる焼きそばではなく、
ただ家でつくるインスタントの焼きそば・・・・・・。
■永井■
真部さんは、作品制作の方法について、とても意識的な感じですよね。
西洋美術の文脈と違うところでご自分の文脈を作ろうとしている感じを受けます。
そういえば、
(穂村さんがよくおっしゃっている)
〈共感(シンパシー)と驚異(ワンダー)〉ということでいうと、
「彫刻では共感を語る言葉がない」というお話を、打ち合わせのときに
お聞きしたことが印象に残っています。
■真部■
やっぱり、誰もやったことのないことをやろう、というモチベーションがあります。
同じような年代で、同じような表現領域で活動していても、
共感して、うなずきあうことはあまりないと思います。
それもあって、他ジャンルの人と会うことによって、
なにかしらのきっかけをつくりたいなあと思っていました。
■永井■
美術は、やっぱり「ワンダー」な感じですよね。
■真部■
彫刻をなるべくいろんなひとに見てもらいたい、という思いもあるんですよね。
現代社会でのアクチュアリティというか。
「共感」は、簡単には使いたくない言葉でもあるんですが・・・・・・。
音楽や小説のように、彫刻も一般のひとたちに受容されたい、という欲求があります。
■永井■
伊佐治さんの作品は、「驚異寄り」のような・・・・・・。
目指してるのはワンダーとか超越な感じがするんですけど、
そのための方法がどこにでもある既製品の繰り返しっていうところに
現代性とか日常性があるのかなっていう風に思います。
■伊佐治■
そういえば、わたしの作品をごらんになった方から、
感想のメールをいただいたのですが、
あれはある種の共感だったのかな、とも思います。
ただ、返事が難しい内容で、まだ返信できていないんですが。
■発言者不明ごめんなさい■
共感(してもらえる作品)っていうのは、意図的にはできなくて・・・・・・。
永井さんの作品は、共感できる。
それがここちいいですね。
「野暮用」の使い方、もいいですよね。
■永井■
(地名の)「金沢」の使い方はどうですか?
効いてますかね。
■発言者不明ごめんなさい■
わたしにとって、金沢はけっこう遠いところなので、いいと思います。
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以下、もう少しお話はつづくのですが、
(会場質問とその回答もとてもおもしろかったのですが)
(永井さんがお好きな写真家の話も)
レポートはとりあえずこのへんで。
永井祐さんの歌集『日本の中でたのしく暮らす』は、
こちらで購入可能です。
歌葉
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他ジャンルの表現領域で活動しているひとたちに、
こんなに自作を丁寧に読んでもらえるなんて、永井さん、うらやましすぎる!
むぎぎぎぎー、という、1時間半でした。
彫刻の方の選歌にも、それぞれ、その方の方法論が反映されていて、
そのあたりも興味深いところでした。
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