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経済学の知見を謙虚に学べ

 リーマン・ショックが起きたのが2008月の9月15日。早いものでそれからほぼ2年が経過したことになる。

 この間、経済学をとりまく情勢は大きく変わった。

 それは、経済書の題名の変化からもうかがい知れる。つまり、『ヤバい経済学』『ソウルフルな経済学』『まっとうな経済学』といった題名から、『経済学は人間を幸せにできるのか』『経済学は死んだのか』、あるいは「新しい経済学」を謳う本への変化である。

 ちなみに、最近、陸続と新著が刊行されている行動経済学には、少なからず経済学批判の要素が入っていると思う。つまり、人間の合理性の仮定を疑うという行動経済学が人びとにアピールするのは、それが常日頃から人びとが覚えている経済学への違和感を代弁してくれていると感じるからだろう。

 それにもかかわらず、私は日本が抱えている問題の多くは、経済学の知見が利用されているからではなく、経済学が無視されているからではないかと考えている。

 ここで経済学というときに、意味しているのは世界で標準となっているものだ。我流の「新しい経済学」の類は、とりあえず措いておこう。

 1970年代の後半あたりから、世界経済が改革の時代を迎えたことはよく知られている。それについては、「新自由主義」「構造改革」という具合に、わかったようなわからないような言葉でひとくくりにされてしまうきらいがある。

 しかし、その実態を知るのに最適な本が最近出た。岩田規久男氏(学習院大学教授)の『「不安」を「希望」に変える経済学』(PHP研究所)である。

 ここではイギリス、オーストラリア、ニュージーランドを中心として、世界の経済改革がどのようなものであり、どのような成果を生み出したかを丁寧に論じている。経済改革は、市場改革、規制緩和、民営化、貿易改革、公共部門の行財政改革といった、市場を重視する供給サイドの改革と、マクロ経済の安定化を図るためのインフレ目標導入といった中央銀行改革からなっている。

 ここで、そうした経済改革を支える哲学に注目すると、話がわかりやすくなる。それを岩田氏は、(1)広範にわたる一貫した政策、(2)信頼性と動学的整合性、(3)比較制度アプローチの採用、および(4)効率的契約協定としてまとめている。

 言い回しはやや難しいが、(2)は「前もって達成目標を決め、政策の後戻りのリスクをなくすこと」であり、(3)は「政府介入の費用と便益のバランスをとること」で、できるかぎり自由な競争市場をつくりだすことである。そしてそれでも民間に任せられない部分については(4)目標達成へのインセンティブを設け、そこから後戻りしないように「政府の契約の仕方」を工夫するというものである。

 こうした改革後の成果には目覚ましいものがあった。金融・経済危機の発生によってかき消されてしまいがちだが、一人当たりの所得は向上し、貧困率は減少している。いまや人類史上初めて、人類の大部分が豊かな生活への足掛かりを付けはじめたのである。

 一方で、日本は90年代以降、「実感なき景気回復」の時期を除いて停滞をしている。しかも表面上は、日本は「改革」を継続してきたはずだ。この対比の原因はどこにあるのだろうか。

 そのことも岩田氏は指摘している。じつは経済改革の哲学は「当時の最新の経済学を基礎にしている。……それに対して、日本の経済改革の基礎には経済学は存在せず、むしろ経済学に対する無知と誤解が存在する」という。

 具体的には成長戦略がよい例だ。日本では成長戦略というと、特定産業への補助金や税制上の優遇措置として理解される。しかし、本気で成長をめざすならば、必要なのは市場の活用である。具体的には、参入規制の撤廃をはじめとする競争政策が大事だ。

 市場を活用するという点からすると、日本の環境対策も問題だ。仮にガソリンの消費や地球温暖化が問題であるとすれば、まず考えられるのは各国で導入されている炭素税なり環境税の設定である。つまり、ガソリン消費のコストを税金で高くすることで、人びとにガソリンの消費を減らし、他のエネルギーを探究するインセンティブを与えることができる。

 費用便益分析もほとんど応用されていない。高速道路の無料化も、あるいは八ッ場ダムの建設中止も、費用便益が活かされている節はまったくない。ちなみに、いまの計算でいえば八ッ場ダムは建設の便益が費用を上回っている(高橋洋一著『日本の大問題が面白いほど解ける本』/光文社新書)。

 供給サイドの改革に負けず劣らず大事なのは、中央銀行改革である。誤解されることの多いインフレ目標も、経済改革哲学の観点から考えればすっきりとわかる。インフレ目標とは、政府と中央銀行のそれぞれが何をなすべきかについて確認し、中央銀行が実行すべき数値目標を定める契約である。こうしてみると、日本の中央銀行に何が欠けているかはよくわかるだろう。

 なお、無視されているのは経済学だけではない。会計学もそうである。ことに公共部門への会計学の浸透は、公会計の現状をみるかぎり、まだまだである。

 もちろん、政策は政治によって決まるから、どこの国でも政治が優先されて経済学の論理が無視されることは起こる。しかし、それでも彼我の差は大きい。

 けれども差が大きいことは学ぶ余地も大きいということだ。今回の経済危機で経済学の問題ばかりが注目を集めている。だが経済学には着実に進歩し、有用なことが証明されていることもある。

 日本に必要なのは、謙虚に経済学の知見を学ぶ努力である。

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