「シタイ!(やった!)」。
スインチュ(首里っ子)たちの叫び声に交じって、
「シタイヒャー!(やったぜ!)」
と中頭から応援にきた人たちの勝ちどきが挙がる。
「語尾にヒャー≠つけるなんて変わってるな」。
首里言葉しか知らない少年は初めて耳にする中頭の言葉に驚きながら、目の前に広がった華麗な馬の走りに興奮を抑えきれなかった。
「自分もあんな素晴らしい馬に乗ってみたい」。
勢いをなくした西日に急かされるように馬場から競走馬が引き揚げ、見物客が一斉に家路についても、少年は感動のあまり馬場から立ち去ることが出来ない。
かつて琉球国王が競馬を観戦するときに座ったと伝えられる馬場中央の「ウサンシチ」(御桟敷)が夕闇にかすんでも、土手の上にじっと佇んでいた。
戦前、平良真地の競馬を見てきた宮里朝光さん。現在は御茶屋御殿復元期成会などの会長もつとめている
「競馬ですか…随分遠い記憶になってしまいましたね。今からもう80年ぐらい前の昭和初期のことですよ。
競走馬は沖縄産でどれも小柄でしたけど、とても綺麗で颯爽としていましてね。
1度でいいから乗ってみたいと、ずっとあこがれていました。
末広宮に接したこの馬場は家から200メートルぐらいしか離れていないので幼少の頃から毎年、見に行ったものです」。
今年、トーカチ(数え年88歳の米寿の祝い)を迎える宮里朝光さんは、舗装され道路に変わったかつての馬場を記した地図に視線を向けながら、懐かしそうに語り始めた。
「ンマスーブ(馬勝負)といってね、2頭の騎手が、ディー(さあ、行こう)、トー(よし、いいぞ)と互いに合図を交わして勝負が始まる。目上の人には敬語のサイを付けて、ディーサイ、トーサイと言葉を掛け合っていました。
200bぐらいの直線の馬場(幅12メートル)で、西が出発点、東が決勝点。
2頭が紅白に分かれて勝負する。決勝点の前に立った審判が白旗か赤旗を挙げて勝利を告げました。戦前の沖縄には拍手する習慣がなかったので見物人は指笛で感動を表したものです。
勝負が終わると、ウマアミシグムイ(馬の水浴び小堀)という所で水浴びして汗を流す。
子供がちょっかいを出そうと、土手から馬場に降りてきては大人に怒られていました。何しろ、由緒正しい馬場ですからね」。
宮里さんは遠い記憶の糸をたぐり寄せた。
「平良真地という名前の馬場です。
那覇には崎山馬場や松崎馬場など琉球王府の御用馬場がありましたが、真地(まーじ)の名がついたのは平良と識名だけでした。この二つは王府の直轄馬場だったのです」。
平良真地。首里城から北へ約1.5キロ、那覇市首里大名町(旧・西原村平良)にあったこの馬場は、正史「球陽」(漢文の歴史書)によれば、琉球王朝(第二尚氏)時代の1695年、尚貞王によって開場された。
球陽八巻・尚貞王二十七年「闢馬場干平良邑地 首里無有戯馬場人皆行至各慮習騎馬之法至干是年ト地平良邑西始闢馬場人民恆以騎馬俗名曰平良真地」(訳=馬場を平良に開く。首里に競馬場はなく、人々はみな各地に行って騎馬の法を習う…中略…この年に至って、平良の西に初めて馬場を開き、馬に乗った。俗に名付けて平良真地という)