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美ら競馬

ご搭乗のみなさま、機内ガイドの梅崎と申します。本日はJTA、日本トランスオーシャン航空、美ら競馬ツアー特別便をご利用いただきありがとうございます。

当機はただいま沖縄上空を飛行しております。

沖縄ではかつて競馬が行われておりました。速さよりも琉球舞踊のような美しさを競う世界に類を見ない独自のレーススタイルで、古琉球の時代から戦前まで約500年続きました。

競馬の舞台は沖縄本島のほぼ全域から周辺離島、先島諸島にまで及びます。昭和初期には沖縄美ら競馬最後の名馬と言われる「ヒコーキ」がウチナーンチュ(沖縄人)を熱狂させたと伝えられております。

持ち主は「ヨドリ与那嶺小」という謎の人物でした。=小(グヮ)は親しみを持った呼びかけで、「ちゃん」の意味=。

当機はそのヒコーキの蹄跡を巡って、首里、那覇、今帰仁、名護、読谷、嘉手納、宜野湾へ、さらに、石垣、宮古にも航路を進めてまいります。500年の時空を上下いたしますため、機内は相当な揺れが予想されます。お座席についたまま、しっかり美ら競馬の歴史に触れていただきますようお願い申し上げます。

歴史用語には出来るだけ説明を加えましたが、ご不明な点は琉球沖縄史の手引きや、インターネットなどをご参照ください。
なお、美ら競馬の理解がより深まるビギナーズ向けガイドブックといたしまして「ジュニア版 琉球・沖縄史」をお勧めいたします。それでは、美ら競馬の旅をお楽しみください。

首里

末吉宮入り口 首里大名町の馬場道に隣接する末吉宮の入り口

昭和初期の首里。沖縄八社の一つ、末吉宮と隣り合わせの、沖縄県下で最も由緒ある馬場(ンマウィー)は、その日、午前中からウチナーンチュの熱い吐息に包まれていた。

那覇、首里はもちろん、島尻(本島南部)の具志頭、知念や中頭(本島中部)の北谷、読谷からも、年に一度の大競馬を観戦しようと馬場に詰めかけ、リュウキュウマツのそびえる左右の土手は立錐の余地もないほど見物人であふれた。

競馬は沖縄流の2頭による対抗レース。勝った馬だけが次の勝負に挑める、今で言うトーナメント方式。

出場100頭が紅白に分かれての勝ち抜き戦が大詰めを迎えた夕刻、末吉宮の森が揺れるほどの歓声を浴びて決勝に進んだのは、大方の予想通り、中頭の代表として出場した噂の白馬だった。
手首を巧みに回す「こねり」、柔らかく身をこなす「なより」の技法を使った琉球舞踊のような華麗さで知られた沖縄の名馬の中でも、この白い馬の走りはとりわけ際立っていた。
流麗な脚さばきで加速すると、長い尻尾を垂直に伸ばし軽やかにフワリと舞ってみせる。美技と弾力を兼ね備えた名馬の中の名馬。
まだ見たことはないが、しきりに話題に上る複葉型の飛行機とはこの馬のような動きをするのではないか。

「ヒコーキグヮー!(飛行機小!)」。

しなやかに四肢を伸ばし、白い馬体を躍らせた瞬間、興奮したウーマク(わんぱく少年)たちが口々にその馬名を連呼しながら、土手を駆け下りていく。
マービットゥーと呼ばれる審判の勝利を告げる白旗が上がった。
旗の色を見るまでもなく、ヒコーキの優勝は誰の目にも明らかだった。

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(2011.01.26掲載)

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