東日本大震災

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続く原発事故関連死 重い精神的負担 帰還への希望揺れる

降りしきる雪に仮設住宅の除雪作業に追われる住民=福島市、1月

 東京電力福島第一原発事故により住み慣れた古里を追われ、仮設住宅や借り上げ住宅で避難生活を送る被災者。特に仮設住宅は高齢者の入居が多いとされ、激変した生活環境になじめないケースもあるという。震災直後に抱いた帰還への希望は、「諦め」とのはざまで揺れている。

■散歩ぐらい
 「今の趣味は散歩ぐらい。希望はない。その日、その日を楽しく過ごそうと心掛けている」。会津若松市の仮設住宅に暮らす大熊町の会社員吉田喜代勝さん(65)は、雪が積もった外の景色を寂しげに眺める。

 平成23年7月に、妻タイ子さん(59)と仮設住宅に移った。震災前は、福島第一原発の関連企業に勤め、原発のバルブの点検などをしていた。現在も会社に籍を置くが、仕事はないという。

 毎日やることがなく、ボランティアで仮設住宅内の雪かきをするなど、体を動かしている。つらい避難生活を忘れられるという。

 会津若松市に移り、友人ができた。顔なじみの魚屋ではサービスされることもある。一方で、「避難してきて何もしないで、いい身分だ」などという、周囲の目を感じることがあるという。

 仮設住宅を出た後も、会津で暮らそうと考えている。ただ、不安は尽きない。「生活を再建できる賠償は受けられるだろうか」とため息をついた。

■法事ばかり...
 「法事が増えた。喪服ばかり着ている気がする」
 楢葉町からいわき市の上荒川仮設住宅に避難している主婦草野八重子さん(72)は震災と原発事故以降、避難生活の中で亡くなる人が多いと感じる。

 慣れない土地での生活にはストレスが伴う。放射性物質の影響を受けた古里の未来を思うと気持ちが落ち込む。「もともと持病のあった人が、過酷な環境に耐えられなかったのではないか」と考えている。

 夫で製材業者の功さん(80)は町から放射線測定器を借りて、放射線を気にしながら工場がある自宅に通う。原発事故の時から外に置いたままの木材に測定器をかざすと高い数値を示すという。今後、仕事を続けるためには他の地域から材料を集めなければならない。「原発事故がなければ町で今も元気に働いていたはず。いつになったら再開できるのか」。放射性物質への不安から活路を見いだせずにいる。

■健康でいられるか
 富岡町から郡山市南一丁目の仮設住宅に避難する無職坂本隆夫さん(85)は健康への不安を抱えている。

 東日本大震災前まではコメ農家だった。自宅のある小良ケ浜地区で約3ヘクタールの田を所有し、忙しい時は朝から夕方まで農作業に従事したという。避難後は一転、生活環境の変化から、1日の大半を部屋の中で過ごすようになった。「食べては寝る生活になってしまった」とうつむく。

 一昨年6月にこの仮設住宅に入り、妻のミツさん(85)と暮らしている。気晴らしに散歩や庭木の手入れをしても、十分な運動とはいえない。体重に気を配る。さらに「目的を持って働くのと、ただ趣味で体を動かすのは違う」と話す。身近に田畑があれば、また農業がしたいと願っている。

カテゴリー:震災から2年

町から借りた放射線測定器を見詰める八重子さん(右)と功さん

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