朝鮮独立運動結社「義烈団」の実態、英秘密文書で判明

 1919年の三・一運動直後、金元鳳(キム・ウォンボン)を中心に武装独立運動団体「義烈団」が結成された。武力による独立を目標とした義烈団は21年9月、朝鮮総督府に爆弾を投げ、名前が知られるようになったが、秘密結社だったため、活動状況の詳細はこれまで明らかになっていなかった。

 義烈団の規模と活動状況を記録した英国秘密情報部(SIS)の秘密文書が先月28日、公開された。文書は英国立公文書館が管理していたものを韓国の国家記録院が収集し、2010年から保管してきたものだ。

 SISの極東支部が作成し、本国に送った1923年8月の報告書は、義烈団が約2000人のメンバーで構成される朝鮮人の秘密結社であり、朝鮮と日本にいる日本人官吏を暗殺することを目的にしていると記録している。報告書は「1カ月前、義烈団のメンバーの1人が中国・青島にいるドイツ人の作った爆弾160個を保有していたが、うち100個が朝鮮に運び込まれた。現在約50人余りのメンバーが東京で活動中だ」などと詳細に記述している。

 SISの文書は大韓民国臨時政府の活動状況についても記述している。1919年10月に作成された報告書には「上海臨時政府が本国と米国からかなりの資金を受け取った。臨時政府は現地の朝鮮人に税金をかけ、大半の朝鮮人は自発的に税金を支払った。上海で発行されている独立新聞は、日本人への配慮からフランス当局(当時上海市内を租借)によって廃刊されたとみられる」との記述がある。

 1923年に作成された「朝鮮独立運動の初期展開過程」という文書には、三・一運動について「ソウルのある食堂で独立運動の指導者が集まり、独立宣言を発表した後、警察に電話をかけ、自分たちを逮捕するよう求めた。主な都市、集落の独立闘士がデモを行った。多くの若い女子学生が積極的に運動に加わった」と書かれている。

 独立記念館のキム・ドヒョン博士は「朝鮮の独立運動に対する英国の関心を反映する文書だ。SIS極東支部は朝鮮の独立運動に対する情報を本国に継続的に報告していた。三・一運動が全世界に伝えられ、英国内でも朝鮮独立を支持する世論が下院議員を中心に浮上した。同時に独立運動を弾圧した日本に批判的な世論が生じた」と指摘した。

イ・ジェジュン記者
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