第四章:街
街に入ってすぐに取った宿屋で、僕たちはどうにか一息つくことができた。
ようやくたどり着いたオグの街は、とても穏やかで明るく、いい街だった。フルトンがこの街に来たかった理由は夜にならないとわからないらしいので、昼間、僕たちは街を観光して歩いた。
綺麗に舗装された石畳の道。僕たちは他愛もない話をしながら街を歩き回り、やがて開けた高台の広場にたどり着いた。
僕はカバンにしばりつけていた木の皮を一枚取り出すと、炭を使って街の風景をスケッチし始めた。
細く短い線が折り重なり、風景の輪郭線を浮き上がらせていく。ある程度線を描き込むと、絵具を取り出した。
木の実や動物の油などでできた安物の絵具。それでも、僕の絵には十分すぎるほどだった。
パレット変わりの木ぎれに水を垂らし、絵具を溶かしてなじませる。そして、竹を細くして作ったペンですくい取り、皮の上に伸ばしていく。
そんな僕の様子を、フルトンは黙って見つめていた。といっても僕は集中していたので、フルトンの事を気にかけている余裕なんてまったくなかった。
今、僕の世界は木の皮のキャンバスの上。目が、耳が、感覚の全てが、新しい色と景色の情報を求めている。手が、ペンが、確かにそれをキャンバスに伝えてくれる。
僕は絵の中に飛び込んだ。
どれくらいの時間が経っていたのだろうか。気がつけば夕暮れ時、キャンパスには風景が切り取られていた。
「………」
僕は黙って、自分で描いたその絵を見つめる。だが、はっきりとわかる。これだけ時間をかけてもまったく及んでいない。これだけ集中してもまったく納得がいかない。
「不服そうだね」
はっとして、フルトンのほうに目をやる。いつの間にか書斎の上に椅子を出して腰かけ、コーヒーまですすっていた。
「ごめん、ずいぶんと待たせてしまったね」
「いや、君の絵を描く姿を見ていたら、私のほうも時間があっという間だったよ。ジェルボアの賢者の言葉に“素晴しい物を作る職人の姿は、その作品と同等に美しい”というものがあるが、私はそれを体感することができた」
そんな風に言われると、なんだかくすぐったくて、僕は首をすぼめて笑うしかなかった。
そして、改めて絵に目をやる。僕はペンの先に黒いインクをつけると、キャンバスの右下に自分の名を書いた。
「……フルトンの言葉は、きっとこれから先何代にも渡って伝承される。そこに僕の名が刻まれたならなおさらだ。でもフルトン、僕の絵までそうとは限らないんだよね」
「ユジーン?」
フルトンは不安そうに僕を見上げる。でも僕は、そんなフルトンに向き直ることができなかった。
「僕の絵はどの程度の間残るんだろう。これまでだって何度も何度も絵を売って生活してきたけど、その絵はあと何年その人達の手の中にあるんだろうか? 飽きたら、薪として燃やされてしまうかもしれない。何かの穴をふさぐのにつかわれるかも。僕の絵が僕の絵として見てもらえる時間なんて、とっても短い」
フルトンは、また黙ってしまった。
もうほとんど山に隠れて、細い爪のように鋭くなってしまった太陽を見つめながら、僕はただ、憂鬱な気持ちに浸っているしかできない。
「まるで僕を僕として見てもらえなくなるような気分だよ。だからもっと上手くなりたいんだ。上手くなって、いつまでも残るような素晴らしい作品を作りたい。フルトン達の手を借りなくても続く、時間を超える作品を作りたいんだ」
僕はようやくフルトンに向き直ることができた。小さなメガネをかけた小さなネズミ。僕よりもずっと賢く、老獪で、神秘的なネズミ。
「フルトン、しばらくの間僕と一緒に旅をしないか? 僕は、フルトンの話をもっと聞いてみたい。なんでだかわからないけど、フルトンの話は僕の絵にとても必要なもののように思えてならないんだ」
夕日が、沈む。飴細工のように甘い光を放つ太陽が、とうとう山間に沈んで見えなくなってしまった。日は沈んでいるのにまだ明るい、不思議な時間。フルトンは、にっこりとほほ笑んだ。
「私の箱書斎を運んでくれるかい。私はどこにだって行ってみたいんだ。どこにだって行ける君についていけるのなら、私も本望だ」
その答えがうれしくて、僕もほほ笑む。太陽の無い空は、まだまだ明るかった。
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