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【プレイバック芸能スキャンダル史】

32歳白血病で亡くなった中川翔子の父 勝彦

【芸能】

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2013年2月21日 掲載
<1994年9月>

 80年代初頭、当時としては珍しいビジュアル系マルチタレントとしてミュージシャン、俳優、声優と多彩な活動を行い、人気を集めた中川勝彦。急性白血病で32歳の若さで亡くなったのは94年9月のこと。私生活を表に出していなかった中川には当時、9歳になる娘がいた。娘はその後、しょこたんこと中川翔子としてブレークするが、父親が勝彦であることも明らかにされ、驚いた人も多かった。

 しょこたん人気に押される形で2000年代半ば以降、中川の過去の活動や闘病中に出版した絵本にも再び注目が集まった。

 中川は慶応大在学中の84年2月にデビュー。音楽活動を続けながら映画やテレビで活躍していたが、間もなくデキちゃった婚。85年5月には娘を授かった。しかし、アイドル路線で売り出していた中川は子どもが生まれたことはおろか、結婚したことも親しい友人や信頼できる関係者にしか知らせておらず、世間では中川は独身であると思われていた。

 倒れたのは92年7月。30歳の誕生日の翌日だった。以前から食欲がないと体の変調を訴えていた中川がその日、急に体に力が入らないという状態になったという。病院では白血病の診断が下されて入院。一時はミニコンサートを開くまでに回復したが、94年9月17日、帰らぬ人となった。

 もともと詩や絵が好きだった中川は、病に倒れてからも病室から見える景色や大好きな猫や小鳥などの絵を描いていた。亡くなる前年にはサバンナにすむダチョウが海を目指して旅をする「未知の記憶 UNKNOWNMEMORY」を出版。この本は貼り絵の技法で制作され、まだ幼かったしょこたんも手伝い、最初で最後の親子の共同作品となった。

 中川の死後、「自分も白血病になるのでは」と死におびえることもあったというしょこたん。寝ている時に金縛りに遭って勝手についたパソコンに、父の名前がタイトルになった下書きメールが入っていたなど不思議な体験をしたこともあり、「亡き父に見守られているサイン」と感じたという。

 01年にデビュー。当初グラビアなどを中心に活動していたが、中川の娘であることを知っていたのは、関係者や熱烈なファンなどごく一部。

 この事実が広く知られるようになったきっかけのひとつは、06年の日本テレビの24時間テレビ。中川の絵本としょこたんとの絆が紹介され、「ぜひ読んでみたい」というファンの声が多く寄せられるようになった。

 そんなブームが飛び火する形で「未知の記憶」は復刻。中川は病で倒れた後、自身も視力が低下していたが、目の不自由な人や字の読めない子どものために自分で本を朗読、テープに収録していて、このCD付きスペシャルエディションも出版された。しょこたんは「父が描き紡いだ“生きた証し”をたくさんの方に見てもらえる機会ができてうれしいです」とコメントを寄せた。

◇1994年9月 4日、関空が開港。同日、武豊騎乗のスキーパラダイスが仏ムーラン・ド・ロンシャン賞優勝。日本人騎手初の海外GⅠ制覇。8日、東野英治郎死去。86歳。14日、住友銀行名古屋支店長がマンション自室前エレベーターホールで射殺される。
~2013年2月21日以前の記事~

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