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皇室全般画像掲示板
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週刊文春 平成5年9月23日号「美智子皇后のご希望で、昭和天皇が愛した自然林が丸坊主」 「 新御所の建設が決まったのは、昭和天皇がお亡くなりになって半年も経たないうちのこと。 あまりにも亡きお上をないがしろにした決定です。 最近の皇室をみていると昭和天皇の威風が次々に壊されていく、 そんな気がしますが、その始まりがあの新御所でした」 (皇室に近い関係者)
『 応接 』 部分には映写室やステージ、音響設備を備えた約八十畳の大広間があり ここは晩餐会や映画会、コンサートも開ける多目的ホールになっている。 また、『 迎賓 』 部分には来客用の寝室、浴室などの宿泊施設も作られている。 この新御所については、元侍従の浜尾実氏はこう語る。 「 国賓に泊ってもらう施設としては立派な迎賓館がある。おもてなしの場所だって 皇居内に宮殿があるわけですから、新御所に宮殿や迎賓館の機能まで持たせる必要はない。 質素が皇室の伝統的な美徳という事から考えると、少し贅沢にすぎると思いますね」
実際、前出の皇室に近い関係者などは 「吹上の自然林を丸坊主にしたのは美智子皇后!」 とまで厳しい指摘をする。 「 大体、皇后は吹上御所にお移りになりたくなかった。 皇太后さまの匂いのする御所は嫌だということからあの新御所の建設が決まったんですよ。 たしかに、皇太后が美智子皇后に冷たかったのは事実。だからと言って昭和天皇が ご愛好だった自然林まで伐採しそこに贅沢な御所を建設するというのはあまりのことです。 そもそも皇太子妃時代の皇后に皇室内でもっとも理解があったのは昭和天皇。 それを考えればあの自然林伐採はとんでもないことです」
「 最近の美智子皇后への苦言は以前の美智子妃いじめとはまったく違うもの。 最近の特徴は、むしろ皇太子妃時代の皇后に好意的だった人からの批判や苦言の声が多い。 皇后や宮内庁はその点に留意されるべきではないでしょうか。 率直に言って、今、皇室は『危機』の時代です。」 (同宮内庁記者) 超豪華な吹上御所の建設、そのために壊された皇居の自然林 『 まるでフルムーン旅行 』 といった陰口まで飛び出す外国訪問の旅…。 質素を旨とされた亡き昭和天皇は、そんな、平成皇室をどうご覧になっておられるのか?
本当のことを書かれたからこそショックで失声症になった。
じや、皇后は雅子と同じ人格ってこと?紀子さまへの出産制限も本当のような気がしてきました。皇太后は皇后に本当に冷たかったのか。皇太后は素敵でしたのに。もう信じられるのは秋篠宮家と常陸宮家だけです。
20年前の予言通りの危機になっているのに、まだ美智子さんの実態に気がつかない人がいる。これでは日本が潰れてもおかしくないわ。
仕事に好き嫌いを出すのがお嬢様気質ですねえ大変なことはあったのでしょうが、香淳皇后がお亡くなりになったあとでもまだ引きずってるって相当粘着質ですね
痴呆の症状が進んでいた皇太后の写真を公開して仕返しをした美智子さんですから。
「殿下のお導きがなければ子供をどう育てていいかも分りませんでした」こんなことをしれっという口を信じる日本人。日本が潰れてもおかしくないわ。
週刊文春 平成5年9月23日号「美智子皇后のご希望で、昭和天皇が愛した自然林が丸坊主」雅子さんがどうしても叶わないことが分かって、美智子様のあることないことを書きたてさせたのは、小和田家。まだ残っていた外務省機密費から流用させた<結婚お支度金>…たぶん事実?だよぉん。
美智子の韓国人脈についてちょっとみてたんだけど 面白いことに気づいたので忘れないうちに書いておく。 例の銃撃事件のときに 宝島30の編集長が 下朝鮮やくざ 町山だ。 美智子と下朝鮮が下世話な部分で交差したのはこのときが最初ではないか? (最近は腐るほどあるが) で、宝島30って 2回も銃撃されてるけど、記事載せたの1度だけなんだよね。 例の怪しい大内糾の書いた 中身がインチキだ、、という 例の手記だけ。 で、この記事を載せたときの編集長が 朝鮮やくざ町山。 本人のツイートでも確認。 >宝島社(当時JICC)新卒入社が85年で88年いっぱいまで宝島編集部、89年から別冊宝島で、93年だけ宝島30編集部で94年には洋泉社に出向し たった一年だけですぐに別会社に移動している。
朝まで名無しさん [sage] 2012/09/19(水) 12:52:42.89 ID:xEEjnD0F で、 宝島が掲載した手記は中身はめちゃくちゃで 書いてる人間は絶対に中の人間じゃない、と言われているのに その記事をたった一度乗せた宝島社が2度も襲われている。、 文春と一緒になってタタキ記事を書いてた新潮が襲われていない。 代わりに美智子失声症で倒れた後、 曽野綾子のヌルイ、突っ込みだらけの擁護記事を載せている。 文春は宝島から遅れること半月で社長宅が銃撃。 宝島は町山智浩をつかった美智子のマッチポンプで 新潮とは温い擁護記事を乗せることで手打ち。 手打ちをしなかった文春は銃撃。
美智子はなにがなんでも 新御所に入りたかったんだらうな、と。 文春のキャンペーンは ナルマサ披露宴に君が代をいれるところにまで効果があって 美智子は脅威を感じていた。 ややこしい筋と関わると後々タイヘンだw 銃撃事件の流れをざっと書いておく 94年(平成5年)4月15日号(事実上の発売日は4/8日) 週刊文春の 新御所建築について言及した記事から始まった。 4/22 ナルマサ 納采の儀 5/18 新御所落成 6/10 皇太子御成婚になぜ君が代がない? という記事が掲載。(実発売日 6/3日)
>6/10 皇太子御成婚になぜ君が代がない? という記事が掲載。(実発売日 6/3日)この記事は全国民に反響を呼び、国会の質問をへて、 饗宴の儀で君が代が演奏されることに決定したのは周知のとおり。当 時ある皇族などは「文春」はよくやった」とお褒めの言葉を賜ったらしい。 (ある皇族ってのはまあトモさんだろう) 文春の記事は確実に当時の世論を動かしていたという証拠でもある。 そしてそれに鋭敏に(当時の)国会は反応した。 国会議員と宮内庁、文春のあわせ技だとおもう。
鬼畜w
朝まで名無しさん [sage] 2012/09/19(水) 13:01:15.57 ID:xEEjnD0F 6/9 ナルマサ挙式 宝島30 8月号(事実上の発売日は6月末)に 大内糾の 手記が掲載。 この大内という謎の人物は 内裏からの告発として 怪文書をあちこちの雑誌社におくりつけていた。 宝島30 だけが記事にした。 これを書かせたのは小和田で、記事の内容は雅子の行動のスライドという言い訳はチョット苦しい。 なぜなら 皇太子の挙式は6/9日で 大内の怪文書が流れていたのも同時期なはず。 宝島30が発売されたのが6月末なら 原稿として上がるのもせいぜい6月の20日ごろになるはずだし。 さすがの雅子も新婚早々 そうすき放題な生活(夜中までカラオケ)をしていたとも思えないし 入内からたった1週間で職員が部千切れ、たった3日で怪文書を仕立て上げるとも思えないのだ。
その宝島30の記事をについて 文春と新潮が記事にする。 この後 10/20 の失声症事件まで両誌で毎月のように美智子タタキ記事がでる。 10/20 野村臭介 「スメラミコトイヤサカ」と自殺 11/11日号(実発売日 11/4日)週刊新潮に 曽野綾子の擁護記事が掲載。 同時発売日の文春が 「皇室報道 小誌はこう考える」を掲載 そして同日、最初の銃撃事件がおきる。 (11/4 11/12 宝島社長実家(埼玉)と本社が入居していたビル(麹町の第二ヤマトビル) 11/29(火)文芸春秋社長宅) 12月8日に 新御所に引越し 文春への襲撃がなければ 12/1(木)発売の文春でさらになにか 書くつもりだったのではないだろか? 差し替えの利くギリギリが11/29だったんだろうな、と。
週刊文春、平成5年4月15日号「吹上新御所建設ではらはらした美智子皇后『積年の思い』」 週刊文春、平成5年6月10日号「宮内庁に敢えて問う 皇太子御成婚『君が代』は何故消えたのか」 週刊文春、平成5年6月17日号「宮内庁記者が絶対書けない平成皇室『女の闘い』」 宝島30、8月号「皇室の危機『菊のカーテン』の内側からの証言」 週刊文春、平成5年7月22日号「『宝島30』の問題手記『皇室の危機』で 宮内庁職員が初めて明かした皇室の『嘆かわしい状況』」 週刊新潮、平成5年7月22日号「美智子皇后を『女帝』と告発した宮内庁職員」 週刊新潮、平成5年9月9日号「天皇訪欧費用『2億円』の中身」 週刊文春、平成5年9月16日号「美智子皇后が訪欧直前の記者会見で『ムッ』としたある質問」 週刊文春、平成5年9月23日号「美智子皇后のご希望で昭和天皇の愛した皇居自然林が丸坊主」 週刊文春、平成5年9月30日号「宮内庁VS防衛庁に発展か 天皇・皇后両陛下は『自衛官の制服』お嫌い」
朝まで名無しさん [sage] 2012/09/24(月) 16:50:46.24 ID:/2eslqIJ 従わずに抵抗した人は、ヒステリーの返り討ちに会って全面降伏。 美智子さんを支持したのは、王様の裸を見抜けない国民。 以後美智子さんの天下で、女性宮家まで。
ここまで美智子の作った嘘で飾られていながら見抜けずに万歳を繰り返す国民を馬鹿にするのは楽しかったんだろうよ。心底根性の悪いバァサンだ。
週刊女性4月28日号 短期集中連載美智子さま3大危機 その2 バッシング?宮中戦争? '93/10/20「失われた声」の真相よりじつは両陛下の平成流への不満を決定的にしたのは、失声症事件の前年の、両陛下の 中国訪問だったといわれる。 問題になったのは中国での陛下の”お言葉”だった。 当初、用意されたお言葉の草案は昭和天皇訪米時のものを踏襲した《永きにわたる歴史において 不幸な時期がありました》というものだったが、これに陛下の手が加わり、最終的に《わが国が 中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました》という一歩踏み込んだ表現に なったといわれる。 こうしたことから、本来は皇室崇拝の念が強いはずの右翼・保守勢力の一部に両陛下への 強い不満が鬱積していた。そして、その不満が美智子さま非難という形で爆発する契機になったのが、 じつは皇太子ご夫妻の婚約後の一連の経緯であった。
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20130228/frn1302280923001-n1.htm中国で出版の「世界地図集」には、「琉球群島」の範囲内に「魚釣島」と「尖閣群島」と記されていた>-抜粋- ◆北京で見つけた地図>帰りに北京市内の古本屋街に立ち寄った。なじみの店で1958年に出版された「世界地図集」という>地図帳を見つけた。めくってみたら、なんと「琉球群島」の範囲内に「魚釣島」と「尖閣群島」と>記されているではないか。中国が今主張している「釣魚島」との表現はどこにも見当たらないし、>禁句になっている尖閣群島が鮮明に印刷してある。美智子と明仁が、国民の大反対を押し切って、世界から爪弾きされていた天安門事件後の支那へ、のこのこと出かけて行ったのが1992年。 多分、利権に敏感な美智子と明仁の売国旅行だったんだろうね!
尖閣諸島と目と鼻の先の、東シナ海ガス田に、美智子のお印の「白樺」の名前が付いた油田が出現だものね。>2004年 6月、中国が、春暁(日本名、白樺)の本格開発に着手したことがわかり・・←支那の泥棒がスタート。 ↑多分、美智子と明仁が、政府と国民に内緒で、勝手に売国してきたんだろね。美智子どうする、名前まで付けられたぞ。 回りのガス田に、必死で海と関係のない木の名前をつけても、「木は森に隠せ」だと、日本人には判るのさ!!国民のお宝は売却するし、皇室のご用地は売り払うし、国民のガス田は売国で売り払うし、、、明仁の血を受け継いでないと噂される阿呆ナルには、皇統まで盗ますつもりなんだろうけど、もうお終いなんじゃないかな。詰んだ感がつよいよ。 大泥棒の行く末が見ものだよ。。。
中国が沈んだ時は、どうするのかしら。まぁこの婆が生きてる間にそうなればいいけど。とりあえずナルマサと心中する覚悟が出来てるならそのまま失せろ、売国奴整形一本眉毛妖怪婆!!
http://kirk.nobody.jp/〜1095億バレルの生命線〜【中国】日中境界海域で資源採掘施設 [05/28] まとめサイト>-抜粋->2004年5月28日、中日新聞にて中国が東シナ海において、日中中間線ぎりぎりの海域で、>天然ガスを採掘する施設建設を進めていることが報道されました。 尖閣諸島周辺を含む東シナ海一帯には>豊富なガス・石油資源が存在しており、その埋蔵量は原油1000億バレル以上($39.40/バレル)、>天然ガス2000億m3($6.68/mmBTU-100万英熱量単位)と言われています。↑すごい金額だよね。 カネコマの美智子は大喜びで、明仁に約束させたんだろうなぁ。。。この妖怪婆には、まともな死に方をさせてはいけないね。 こんな人間のクズは、子孫の代まで「こんな事をしてはまともには死ねない」と言い伝えられるように、五右衛門の様な殺され方が良いかもね。
この資源の権利を沖縄県へ。なんなら海幸彦の会社(バークレイリアルティ)が権利を有してもいいんだぞ。
こいつを見ると支那人、死ね。 売国奴、リンチという言葉が反射的に出てくる
朝敵に嫌われる美智子さま、素敵!
ご本人自体が朝敵
嫁に雅子さんを選び次は徳仁さんで構わないと思っている時点でリッパな売国奴です。
これもう上がらないんだよね。このままsageてまた削除かな?