支那革命外史
 
目  次
 
 一 緒言
 二 孫逸仙のアメリカ的理想は革命党の理想にあらず
 三 革命を啓発せる日本思想
 四 革命党の覚醒時代
 五 革命運動の概観
 六 革命渦中の批評
 七 南京政府設立の真相
 八 南京政府崩壊の経過
 九 投降将軍袁世凱
 十 英公使の買辧袁世凱
十一 対日警戒の為めの北京中心
十二 亡国借款の執行吏
十三 財政革命と中世的代官政治
十四 支那の危機と天人許さゞる第二革命
十五 君主政と共和政の本義
十六 東洋的共和政とは何ぞや
十七 武断的統一と日英戦争
十八 露支戦争と日本の領土拡張
十九 日支同盟と日米経済同盟
二十 英独の元寇襲来
補 ヴェルサイユ会議に対する最高判決
 
補 ヨッフエ君に訓ふる公開状
補 対外国策に関する建白書
補 日米合同対支財団の提議
 
 
 
 
    支那革命外史序
 
 日本の東方には今ワシントン会議*1なる名においてヴェルサイユ条約*2が寸裂焼却されんとする国際的大舞台の回転が
轟き始めた。しかして西の方支那の革命的進行が十年間の下燃えから噴出してまさに沖天の焔を挙げんとしている。時
を同じうして起れる東西両大陸の驚異の間に六年間埋もれていたこの書を公けにする。
 今秋の十月十日で清朝三百年の君主政治を顛覆した武漢の烽火から満十年目になる。隔世の感のごとくまた咋今の想
もする。支那は民国元年となり、同時に日本また大正元年となつた。日露戦争の勝利と、日露戦争に打勝った日本の
思想とに啓蒙されて起きたものが十年前の清末革命である。いたずらに民主国の名を冠してしかも何らの建設、何らの破
壊を為し得なんだ以後十年間の支那は、支那自身の為めにも恥づべき限りであつた。支那が日本の軽侮を招いたの
は必ずしも不当でない。日本またいたずらに大正義の改元を宣してしかもその支那に加へた言動はことごとく不義の累積であつた。
 支那の革命を啓発した戦争の国家的大道念そのものを喪失してウロウロしていたのが以後十年間の日本であつた。日本
自身の恥辱において支那の百千倍である。日本が支那より排侮され列国より脅威さるゝのに少しも不当はない。
 民国および大正の三年、支那および日本の為めに、参加すべからざる世界大戦に先頭第一の軽燥*3を以て日本は引きずり
込まれていた。この書は翌四年、故袁世凱*4が帝政計画を遂行し日本の施策再び三たび謬妄*5を重ねんとしつゝあるを見
て、その年の十一月執筆の傍より印刷しつゝ時の権力執行の地位にある人々に示したものである。第八章『南京政府崩
壊の経過』までがそれである。然るに暗合のごとく一致して同月故蔡鍔が雲南から通称第三革命*6といふ討袁の兵を挙げ
たので、革命党の諸友ことごとく動き、故譚人鳳*7の上京して時の大隈内閣との交渉を試むる等のことあり、為めに筆を中
止した。後半の執筆は翌五年四、五月の間で、革命もたけなわならんとするかに見えたので真に寸閑をぬすんで筆を走らせ
1
る後から後からと印刷を急がせた。元来文筆の士にあらざる者の文字さらに拙悪蕪雑*8を加へたゆえんである。当時老眼鏡の
人々に見やすきため大きな活字のものであつたのを、この冊子に組み改める機会において章句・段落等を整へて見たが、文章
としては誠に申訳ないものである。しかして最後の印刷が配布されつゝある時、実に六月六日討袁軍の目標として居
た袁世凱が急死した。革命はまた々頓挫した。不肖は別個満腹の決意を抱いて一人再び支那に渡った。
 しかしながら後半の配布に論述してあるすべての題目、すなわち支那の革命がいかに徹底ししかしていかにそれが日本および
その他の国際政局に決定的方向を与へるかの洞察は、当時において不退転の大信念なりしごとく今日に及んで不可抗の大
現実として日本の東西に出現して来た。大兵乱を捲き起さんとしつゝある革命支那とワシントン会議とは、この書を
道念と聡明を以て読み得るものの当り得るところである。故にこの書は支那の革命史を目的としたものでないことは
論ない。清末革命の前後にわたる理論的解説と革命支那の今後に対する指導的論議である。同時に支那の革命と並行
して日本の対支策および対世界策の革命的一変を討論力説してある。すなわち『革命支那』と『革命的対外策』といふ二
個の論題を一個不可分的に論述したものである。
 書中、二十一ケ条の対支交渉*9を遺憾限りなしとしまた、対支政策および対外策の全局において日本は日英同盟に拠るべか
らず日米の協調的握手にある事を指示した所が多い。今にして明かに見るのは当時の執権者全部よりも不肖の正当
であつたことだ。イギリスに引きずられて鼻糞大の三五個の島嶼*10と山東の一角の為めにヴェルサイユの暗礁に乗り上げた
のは誰だ。これらを仕出来した加藤外務卿*11が首くくりをするだけの良心もなくて、今更日英同盟の無用を陳述するから
凄まじい。すでに日露戦争の大事実によりて決定されている満洲の主権を、九十九ケ年に猿まねをして二十一ケ条に
盛り込んだ汚らはしき小細工。反対に九十九年にして支那に返附さるることなき青島を、『支那に還付する目的を
以て』と自ら全世界に公約したべラボー至極の顛倒事。−−大戦参加の発足より地獄の港に向けた船である。やる
事なす事ことごとく国家を残害するものであつたのはもちろんの事だ。
 実に『日米経済同盟』は大戦中においてもとより決行すべきものであつた。たとへ大戦参加の道を誤れりとも支那に対
して日米の同盟的利害を確定してあつたならば、すくなくともヴェルサイユにおいて支那とアメリカとから一整に排日の泥を投
げつけられることはなかつたのである。この点において彼らの最悪についだ寺内政府の対支策がまた最悪のものであつた
のは論ない。この書は、アメリカと、およびアメリカに盲従して支那が大戦に参加せなかつた以前に書かれた。しかも今日にいたって
権威を持てる者のごとく日本の進むべき一道を指示している。−−ワシントン会議の議題の一とさるゝ支那が大革命
の火を挙げんとしつゝある時、ワシントン政府と革命支那との間にこの一事、−−日米経済同盟の一事を決行する
ことは政府および国民の国家的大義務となつた。これ日英同盟より日米同盟に転向する槓杆*12である。当時日英経済同
盟のごときを放言していた大隈侯が、この書を熟読せしめられたことによりて*13、以来アメリカ資本団の来朝者等に向つて日
米経済同盟の説法を試みつゝあつたのは悦ばしい。もちろん、鉄道の大々的統一の為めの日米合同借款と言う大眼目を
把握し得ず単なる口頭的反響であつたが、彼らとしては上出来の部である。書中、いかにこの翁をさへ正道に導かん
として期待激励に努めたるかをあわれめ。ただ経国の大業に仕ふるを以ての故に、辞を厚ふし礼を卑ふするの文章があ
る。
 書中、『革命支那』の為めには支那の武断的大統一をカ説し、日本の『革命的対外策』の為めには南北満洲とシ
ベリアの領有を力説した。ロマノフのロシアがレーニンのロシアに代はれりとも日本の大アジア政策に一分の退転は
ないはずだ。国家内において国民生活の分配的正義が主張さるる根拠に立ちて、国際間における国家生活の分配的正義
を剣に依りて主張するのだ。−−これ不肖の民主社会主義が日本群島に行はるる時、革命的大帝国主義たるゆえんの一
である。故寺内元帥が朝鮮に鎮坐まします時『この書物に読まれた』ことを感謝する。しかも大隈内閣に代るや直ち
に日独同盟の失言事件を生じたり、袁世凱のさらに無価値なる者に過ぎざる段祺瑞*14に一億五千万円の軍資軍器を貢い
だり、シベリアに−−チエック、スロバックと申すものゝ為めに*15−−御覧のごとき出兵をしたりした。何たる迷惑な
読まれ方であるぞ。虎を描いて狗に類するとは真実この事である。
 本書を読まるゝ方は文調の旧式であり、態度の諫諍*16的であるのを怪むであらう。不肖は六年後の今日これを校正
しつゝ、符節を会するごとき古今の一致に眉をひそめた。日蓮といえども元寇襲来を警告せる立正安国論は彼自身の文調で
なくまた時の権力者に対する諫諍的態度であつた。不肖はこの書を時の権力階級の人々に配布して支那に去る時、これ
3
『大正安国論』なり、正義を大成して国家を安んずるの道を論叙せるものなりとして書いた。しかもこれを受取つた彼ら
はほとんどことごとく書中の作為名詞支那の『亡国階級』そのものではなかつたか。不肖は日蓮にあらずまた日蓮の奴隷にあらず。切に
読者諸公の間より胆甕*17のごとき相模太郎*18の出現を待望止まざるものである。
 不肖はこの書が極めて限られた範囲の配布なりしに係らず、これに依りて満川亀太郎君*19を得た。大川周明君*19を得た。
五年に来訪を受けたゞけの満川君に『ヴェルサイユ会議の最高列決』を書き送り得る信頼の大節義を見た。一面識
だにない六尺豊かな大川君が、日本が革命になる、支那よりも日本が危いから帰国しろとワザワザ上海にまで迎へ
に来た大道念に刎頸の契*20を結んだ。この書が大隈・寺内氏らに誤り読まれても、かく炎々焔のごとき魂を以てこの書が何を
欲し何を目的とするかを看破したものがある。しかしこの書にしてさらに幾十人かの大川公満川伯を得ば、日本の事、大
アジアの事、手に唾して成すべしである。
 相抱いて淵に投じた二人の中、一人は眠から覚めなんだ。一人は蘇生した。蘇生した一人が倒幕革命の一幕を終
つて空しく墓前に哭した時、頭を回らせばすでに十有余年の夢である。不肖また支那の革命にくみして十有余年、真に
一夢の如し。碌々何事をも成すあたわざりし遺憾は盟友らの墓石に対するも快くない。清朝顛覆の一幕、盟友らにと
りて何ほどのことであらう。非命にたおれた宋教仁*21・范鴻仙*22君らの悽慘な屍を巻頭に弔らひ掲げて、独り暗涙を呑みつゝ
筆を執つていた六年前の不肖自身の心中が悲まれる。
 当時世にあり、功罪を論ずるには余りに中心的人物であつたので筆法に大なる制限を用いた譚人鳳も昨九年四月
−−共にあるいは生きて相見ざるべきかの訣別をしてわずか四ケ月の後−−老楠の摧くるごとく上海に客死した。翁の遺像
を掲げて三世を契れる知巳を弔つて置く。実に彼は清末革命の大根柱*23であつた。彼の雄略斗胆は豊太閤を現代支那
に再生せしめたかとも見えた。宋・范二友の遺志を一人生き残りて負へるかのごとき干右任*24君の大徳と共に天の属望し
た双璧であつた。今日彼の愛孫を撫育しつゝあるにつけても思出の種のみである。翁の二子故譚二式君が七年夏湖
南の獄を逃れんとして背後より銃殺されたゝめに、生後すでに十日にして母を失つていた彼の愛孫−−父と祖父との
恨を負へる孤児は今隣国革命家の手に養はれて外国人なる我を父と呼んでいる。悲憤そのものをゆりかごにして睦みたわむる
ゝ児よ。不幸しかし汝が今父と呼べる者の世に無き運命に会した時、汝の真の父と祖父としかして汝の故国とをこの書に
よりて学べ。汝を抱く事によりて隣国の父は産れたばかりな汝の革命支那を抱いているのだ。何たる不可思議なる一
致ぞ。母を弑して産れた汝を懐ろにして祖父の老英雄が亡命の地に断腸の想をしていた時、−−四年の十一月、−
−時を同じうしてこの書が汝の故国を憐国に訴へんが為めに書かれ始めたのである。朝々暮々の祈りは汝の健かに長じ
て汝の父と祖父の遺志を汝の故国に継ぐことであるぞよ。この書は汝一人の為めにも世に留むべきものである。−−三
更経前に黙坐する時のごとき、綿々の恨を引くこれら盟友の魂が迷ふ支那の山河がありありと眼底に現ずる。あゝ歴史
とは斯る魂より滴り落つる血の連続であるのか。
 この書の当時はロシア皇室の顛覆せる革命も起らず、ドイツ・オーストリアの君臣万々歳に見えた事、あたかも今日大英帝国とその
の皇室とが然か見ゆるごとくであつた。フランス革命以後百年にして始めて、ロシアの革命がガボンの火花に一蹶して
以来また始めて、しかも意外なるアジア民族に突発した君主政顛覆の革命であつたのである。もとより深刻なる理解者
に取りて古今すべての革命とは君主政対民主政と言うがごときものでない。したがって清末革命また一民族の一体的復活の為め
にその命を革めんとする躍動、すなわち民族主義の革命であつたことは書中に説ける通りである。しかしながら今日と全
然時代の風潮が異つていた為に全世界、特に日本の驚異であつた。実に大戦の始と終とにおいて世界の革命風潮は真
実一世紀を隔つる急変をした。したがってこの書は一世紀前の旧文字とも言ひ得る。しかしながら支那の革命的進行を推断し
てある部分、−−例へば破産せる財政革命の基本として掠奪没収微発等の前提的過程を要することを指示したり、
列強の分割を予期せる財政的侵略すなわち外債全部の没収を避くべからざる道程なりとして論叙せる部分のごとき、−−
当時日本および支那の識者の肯定に危ぶんだところのものも今はかえってロシアの人々によりて実証されたのを見よ。革命
の鮮血舞台に演舞すべく天より遣はさるゝほどのものの思想行動には、国境と時代を一貫してまぐべからざるあるものが
ある。大西郷のしたことはレーニン君の為す所であり、大ナポレオンの行つたところは明治大皇帝の踏める道である。彼この
相学ぶにあらず、先聖後聖その軌一なるが故である。有田ドラックの梅毒広告と皇室中心主義者流によりて維新革命の
君臣二英雄が理解されると思ふか。小田原のラスプーチン*25の前に最敬礼を表する軍閥者輩によりて、フランス革命の
5
産んだマホメットが熟知されると思ふか。さらばレーニン和尚ほどのものまた凡骨でない限り、センチメンタルな翻訳
蚊士共によりてうかがい知るやう道理がない。レーニン君が革命支那から何らの指導を受けないごとくに、来るべき日本の
英雄き−−諸公はレーニンと没交渉の後聖であると信ずる。しかり。来るべき支那がこの書以後ロシアの革命によりて立証
されたごとく、革命の支那は東洋革命のロシアである。(日本は支那から火のつく東洋のドイツではない)。官僚と翻訳
蚊士とはレーニンの宣伝によりて支那の赤化するかに考へて恐怖しまたは待望している。その低能さ加減において両々相
下らざる野呂間共である。革命は維新の日本を赤化した。さらば支那が自ら燃ゆる時その火の赤きに何の驚くこと
がある。
 諸公。この書が革命の支那を解説せんとして筆をフランス革命と維新革命とに横溢*26せしめたゆえんはこの為めである。
今の元老(一世紀前のこの書なるが故に礼を厚ふして指名した人々)および死去せる元老なる者らが維新革命の心的体
現者大西郷を群がり殺して以来、すなわち明治十年以後の日本はいささかも革命の建設ではなく、復辟*27の背進的逆転である。
現代日本のどこに維新革命の魂と制度とを見る事が出来るか。押されるものの押し返へさんとする物理的原則、−−
封建時代への反動的要求を挟んで、これまた反動時代であつた英・仏・独・露の制度を輸入せる−−朽根に腐木を接いだ東西
混淆の中世的国家が現代日本である。屍骸にはウジが湧く。維新革命の屍骸から湧いてムクムクと肥つたウジがいわゆる元
老なる者としかりしかして現代日本の制度である。維新革命のナポレオン皇帝の内容に大西郷とその他の二三子の魂が躍々充
塞していた時代と、伊藤・山県らの成金大名(権助べク内から成り上つた)の輩が光輝をおおつてしまつた時代との差
別さへ付かない現代日本だ。我自ら中世的国家の泥の中に住んでいるドジョウのごとき人々に、支那の革命を理解せしめん
としたこの書は恥づペき努カであつた。大西郷が何故に第二革命の叛旗を挙げたか。しかしてその失敗がいかに以後
四十年間の日本を反動的大洪水の泥土に洗ひ流して、眼前見るごとき黄金大名の連邦制度とそれを維持する徳川そのまま
の御役人政治とを築き上げたか。これら日本自身の一大事を心得ているならば、清末革命の後に第二第三の革命あり
さらに革命目的を徹底せんとする現下支那の戦雲に一々の注釈を要しないはずである。革命とは順逆不二の法門であり、
その理論は不立文字である。湊川の楠公*28は二百年間逆賊であつた。その墓碑さへも外国人の一亡命客に指示されて建
つた。これイギリス人自身のカーライル*29によりてクロムウェル*30の泥が洗はれたよりも恥かしき逆賊である。大西郷また足利
尊氏でよろしい。彼の銅像は図々しくも彼れを乱刺したブルータス*31共によりて築かれた。しかして今や忠臣蔵のお化け
のごとく上野の森に迷つている。−−あゝ『支那革命外史』に万言を列ねてしかして求むる所のものは何ぞ。不肖は歴史
を書く為めに生れては来ない。彼らと共に書かるべき運命の波に投げ込まれている。あたかも頼山陽の日本外史が日本
の歴史的記録にあらざるが如し。
 『ヴェルサイユ会議に対する最高判決』の全部的適中によりて不肖を占い師のごとく取扱ふことに不可なし。しかも
これを以て過去のものと看じ去るならばこの憐むべき占い師を遇するゆえんではない。三年の前に、道理を卦とし事実
を筮竹*32として下した断案が今日にいたって世界的現実として表はれたならば、未だ現実に現はれて来ない部分の断案は
さらに三年の今後を指示するものでないか。−−英米の割裂。ひいて英米相屠るべき第二世界大戦の運命。その渦中にところ
してインドの独立と支那の自立とを負へる日本国自身の革命的大帝国の破壊および建設。日の本の神々は若き『明治
三世』の御見学の為めに、日英同盟の屍骸を土左衛門のごとくテームス河に浮き上げて指し示した、しかしてワシント
ン会議がヴェルサイユ条約を葬むる会葬式である黙示を、またアメリカ国務省に蔵せる条約正文の盗失によりて全世界に
掲げ示した。神々の照覧の下にあえてこの言をなさん。−−ただにこの一書簡のみでなく、この書全部が今や我が日本国の
進むべきただ一の対支策および全部の対外策となつたのである。しかしこの書の指示する所と反対に日本国を導く者あらば、
これ三千年の歴史を亡ぼすロマノフ*33の廷臣でありカイゼル*34の臣僕である。
 支那公使、山座円次郎氏と同参事官、水野幸吉氏の遺影を書中に挟んで置いた理由につきては不肖自身の語るべき限
りのものでない。歴史は沈黙のまゝに流れて居ればよろしい。あるいは天、選ばれた者の手を借りて歴史の唇を引裂く日
もあらう。あゝ黒い血潮を吐いて前後任地にたおれた公等の道義的対支策を継承すべき第二の公等は今どこにあるの
だ。すべての聡明の源泉である道念の人々こそ、公等の尽くるなき恨を噛み殺しつゝもらし訟へているこの書の謎を解
き得るであらう。−−さうだ。今日終に時機到来した日英間の訣別は公等の死を以てあがない得たのであるか。支那と、
インドと、しかして日本国自身の為めに、日英戦争の運命を憤叫して置いたこの書こそ、今は公等の恨の為にも公等の国
7
家に捧ぐべきものとなつた。
 経文に大地震裂して地湧の菩薩の出現することを言う。大地震裂とは過ぐる世界大戦のごとき、来りつつある世界
革命のごときこれである。地湧菩薩とは地下層に埋るゝ救主の群といふこと、すなわち在野の英雄下層階級の義傑偉人の
義である。−−支那は十年前の十月十日、清末革命の本義を徹底せんが為めに禹域四百州*35の大地今まさに震裂せんと
している。ロシアの大地震裂に際して地湧の菩薩らは不動尊の剣をふるい不動尊の火を放った。ロシアと同じき中世
的制度と中世的堕落を持てる支那は、ロシアの救はれつゝある道を踏むことに依りてのみ救はるゝ。書中、革命過
程における議会の法理的不合理と事実的有害とを論究し、哲人的皇帝の意昧における終身大総統制を革命の支那に
見んことを提示した。これまた内外に対する財政的没収の主張と共に皮相*36的デモクラシーの徒の驚きいなんだ所のもので
あつた。しかも不肖の革命哲学は支那の立証を待たずして先づロシアの不動尊共に裏書人を得た。レーニン君の現はれ
ざる以前、ナポレオン皇帝と明治大帝とに学ぶペしとて示して置いた支那の大統一は、支那の何処より湧出する菩薩摩訶
薩によりて為さるゝであらうか。泥人形のごとき大総統が三頭交々迭立し、烏の雌雄を弁ぜざる議会が南北に正閏*37
争ふ。フランス革命に恥ぢ、維新革命に恥ぢ、しかして後れたるロシア革命に恥ぢよ。
 明かに告ぐ。隣国の革命的諸友と後進とはまたこの書に学ぶべきものである。この書は公等の先進犠牲の魂を埋めた聖
なる墓標である。何ぞ著者に抱かるゝ一孤児のみならんや。書中革命支那の大統一者を『オゴデイ汗』と名けた。
これ革命的統一の潮頭に立つ程の大器は、必ずその馬首を中央アジアに進むべき必然を密かに暗示したのである。
人口過剰の支那に欠くべからざる土地、すなわち『第二支那本部』は中央アジアの沃野であらねばならぬ。これ中央ア
ジアに国を建てゝ、欧亜両大陸を支配した古英雄の名を借りたゆえんである。ピョートル大帝*38は東に来た。革命支那の
大道はたんたんとして西に通じている。日英戦争が日本の運命なるごとく、書中に論述せる露支戦争は、ロシアがいかに変
化し支那がいかに変化すとも露支両国の避くべからざる運命である。
 あゝ、支那は清末革命の十月十日に帰へらんとする。しかも日本は何処へ帰へればよろしいのであるか。隣国の生残者
によりて『支那革命外史』が書かるゝごときことは、日本の想ひも寄らざる所である。
 
大正十年八月                               北 一 輝
 
 
 
* 1ワシントン会議:1921年(大正10年)11月〜翌2月まで開かれた国際会議。太平洋における各国領土の権益を保障した「四カ国条約」(これにより日英同盟破棄)、「海軍軍縮条約」、中国の領土の保全・門戸開放を求める「九カ国条約」を締結。注:この序文は会議直前に書かれた物です。
* 2ヴェルサイユ条約:1919年(大正8年)1月より開かれた第一次世界大戦講和条件を討議するパリ講和会議で締結された条約。
* 3軽燥:(けいそう)乾燥して軽いこと。
* 4袁世凱:(えんせいがい)1859〜1916年(大正5年)。元清朝の軍人。辛亥革命では寝返って皇帝を退位させ、孫文の後、中華民国臨時大総統となる。後に正式な大総統となり、最後には皇帝になろうとするが反発され失敗。失意のまま死去。
* 5謬妄:(びゅうもう)謬=あやまる、間違える。妄=みだり、うそ、でたらめなさま。
* 6第三革命:1916年(大正5年)辛亥革命後に権力を握り、皇帝を宣言した袁世凱を倒そうとする革命。袁世凱は第三革命が始まると皇帝を返上しその後病死。
* 7譚人鳳:(たんじんぽう)1860〜1920年(大正9年)。辛亥革命の指導者の一人。宋教仁、黄興など共に湖南派。孫文らの広東派とは対立関係。湖南派の長老格
* 8拙悪蕪雑:拙悪(せつあく)=技巧が劣っていて質が悪い。蕪雑(ぶざつ)=順序が入り乱れて整っていない。
* 9二十一ケ条の対支交渉:対華21ヶ条要求。第一次世界大戦中の1915年(大正4年)、日本が袁世凱政権に行った21ヵ条の要求。露骨な帝国主義的要求で中国国民の反発を招き、受託した5月9日は国恥記念日と呼ばれる。
*10島嶼:(とうしょ)大きな島や小さな島。嶼=小さな島。諸島。
*11加藤外務卿:対華21ヵ条要求を出した大隈重信内閣、加藤高明外務大臣。
*12槓杆:(こうかん)テコ。レバー。
*13大隈侯が、この書を熟読せしめられたことによりて、:北がこの本を書いたのは詳しい人間として辛亥革命の内情を報告してくれと政府より要請を受けたため。第八章までがそれで約100部ほど印刷され関係各位に配られている。北はこの時、譚人鳳を大隈に引き合わせている。対華21ヵ条要求に対して内外から批判が相次ぎ、元老西園寺や山県からも非難され大隈内閣が追いつめられたため、中国の状況を知りたくて北に報告書をたのんだものと思われる。ただ政策に影響を与えたかどうかはどうなんでしょう?北は自信過剰な面があるのでこの辺は話半分で。
*14段祺瑞:(だんきずい)軍人・政治家。ドイツ軍事留学組。袁世凱の側近で娘婿。後継者の一人。ただし袁ほどの力はなく以後の中国は各軍閥の分裂状態に陥る。軍閥群雄割拠時代には日本政府が後押しした人物。西原借款を導入。
*15チエック、スロバックと申すものゝ為めに:シベリア出兵(1919〜1924)はロシア革命の中に取り残されたチェコ兵虜囚救出が名目。チェコスロバキアが正式だが、間違えているのか冗談のつもりなのか不明。
*16諫諍:(かんそう)相手の意に逆らうことになっても、目上の人をいさめること。
*17胆甕:胆=きも。甕=かめ、つぼ。辞書には「胆如甕」とが載っていて、「肝っ玉が甕のように大きいこと」だと思う。
*18相模太郎:北条時宗のこと。元寇のときの鎌倉幕府執権。
*19満川亀太郎、大川周明:共に右翼活動家・思想家。北とは支那革命外史を通じて知り合い、この後すぐに猶存社を結成する。
*20刎頸の契:(ふんけいのちぎり)刎頸=首を切り落とすこと。転じて首を落とされてもかまわない親しい友人関係。生死を共にする友。
*21宋教仁:(そうきょうじん)1882〜1913年(大正2年)。辛亥革命の指導者の一人。早稲田大学に留学。孫文とは革命方針をめぐって対立関係。国民党の創設者。袁の刺客に暗殺される。北とは同年代の刎頸の友。つまり辛亥革命の死線を共にくぐった戦友。
*22范鴻仙:(はんこうせん)〜1915年(大正4年)辛亥革命の指導者の一人。北とはかなり親しかったが・・・・しっ資料が見つからない。
*23大根柱:(だいこんちゅう)辞書にないが大黒柱のこと?
*24干右任:(うゆうじん)革命派のジャーナリスト。上海で宋教仁、范鴻仙と共に革命機関誌「民立報」を出していた。
*25小田原のラスプーチン:元老、山県有朋のこと。
*26横溢:(おういつ)みちあふれること。あふれるほど盛んなこと。
*27復辟:(ふくへき)君主の地位を退いた者が再びその地位につくこと。
*28湊川の楠公:楠木正成のこと。
*29カーライル:トーマス・カーライル(1795〜1881)だとおもう。イギリスの歴史学者。
*30クロムウェル:オリバー・クロムウェル(1599〜1658)。イギリスの政治家・軍人。清教徒革命の指導者。
*31ブルータス:古代ローマ帝国の創設者、ユリウス・カエサルを暗殺した人物の一人。カエサルの最後の台詞「ブルータスお前もか」で有名。
*32筮竹:(ぜいちく)占いに使う細い竹の棒。
*33ロマノフ:ロシア帝国ロマノフ王朝のこと。第一次世界大戦中のロシア革命で倒される。
*34カイゼル:ドイツ帝国の皇帝のこと。第一次世界大戦末期の革命で倒される。
*35禹域四百州:中国全土のこと。禹は伝説上の中国最初の王朝、夏の初代王。
*36皮相:(ひそう)うわべだけを見てその本質を捉えていない様子。
*37正閏:(せいじゅん)正しい系統と正しくない系統。正統とそうでないもの。普通、皇位の正当性を争うときに使う。
*38ピョートル大帝:ロシア帝国中興の祖。彼の時代にロシアはシベリアに勢力を伸ばす。
 
9
 
 
 
 
 
 
    一 緒  言
 
           政府も国民も支那革命につきて一の合理的理解なし−−在支官吏と派遣軍人といわゆる支那通
           とは真の説明者にあらず−−無理解的代弁者として大隈伯の日英経済同盟論−−フランス革命
           家自身、維新革命家自身が各その革命を理解せざりしごとく、支那革命党その人より革命の合
           理的説明を要むるあたわず−−バークが対岸の革命を理解せざりしごとく日本の朝野またしかり−
           −根拠ある説明者たり得べき不肖の特殊なる地位。
 
 支那革命党*1および革命の支那に関する真の理解は日本の政府と国民に取りて誠に切迫せる必要となれるが如し。不
肖は時に政府のある者よりこれらの説明を求めらるゝ時、または国論の指導者よりこれらを聴聞せしめらるゝ時、常に感ず
る所の遺憾は諸公の聡明を以てして実に根本より革命党の実体と革命を要求する支那の激変とにつきて明確なる概
念を持たざることにあり。支那革命党の抱負する各種の理想。その結合および覚醒。世論と軍隊の間に行はれたる運
動の経過。革命勃発の真相と各勢カの離合。人物観およびそれと事件との交渉。日本人の援助なるものゝ価値。日本
および列国の態度の影響せる程度。今後の革命遂行中の驚くべき恐怖。物質的社会的原因の探究。東洋的共和政の将
来。破産せる財政に対する彼らの覚悟。堅確なる有機的大統一の能否。経済的分割力を抹除すべき大策。それと日
本の対支外交策の契合。日本国権の拡張と支那の覚醒との両輪的一致策如何。将来幾多の動乱に会して日本の取り
得べきまた取らざるべからざる責務。支那の経済的覚醒と政治的道徳的覚醒の関係。欧米の資本的侵略と将来の葛藤。
日本およびフランスと同様なる愛国的統一的要求の考察。日支両国の将来に対する合理的了解。−−これらに関して正当
なる解釈を渇望しながら未だ一の価値ある論究に接せざることは、東洋の盟主を自任し支那の指導者を以て居らん
1
とする日本人の誇と矛盾するはなはだしきものにあらずや。少くも当面の必要として、隣国の治乱が日本に及ぼす政治的
経済的影響の深甚なるを考ふれば永久にこの朝野の無理解を傍観することは、一国民たる憂において不肖の堪ふるあた
はざる所なり。
 もとより諸公の机上には幾多の調査報告のうずたかきものあるべく、また日夕多くのいわゆる支那通諸子より劇的色彩を加へた
る功名談を聴取してすでに各人各様の形成せる見解を持するものあるべし。しかしながらその調査または報告を為す在支官
吏と派遣軍人としかしていわゆる支那通の言説とが果してよく諸公の見解を正当に導くものなりや否やがむしろ問題とすべ
きものにあらずや。皮相なる卓上観察は官吏の常にして、特に捕捉すべからざる革命渦中の事相を領事館の長袖者流*2
によりて了解せんとするはほとんど火山の爆発に際して哲学ヘ授を派遣して報告を待つものゝ如し。軍人の調査なるも
のまた当然にその専門的智識に局限せられしたがって思想的覚醒または物質的原因のごとき革命の主眼たるものを思考だもせざら
んとするは止むなきことなり。しかしていわゆる支那通なるものゝ多くはその交遊せる領袖らの為めに臣事的吹聴を努む
るものにあらずんば、十年前の亡国的観察を革命されつゝある支那に推論せんとする論理的錯誤をさへ反省せざる程
の粗雑なる旧思想家なり。諸公の見解を誘導し組織し結論せしむる所の三者すでにことごとくかくの如しとせば、諸公の聡
明が独り支那革命党と革命の支那に対してのみ暗きはもちろんの事と言うべし。支那問題が日本の対外策のすべてにあらず
といえども日本の対外策のほとんどすべてが支那問題を機軸とするかのごとき今日、彼の地に一動乱の起り彼の政府と一交渉の
生ずる毎に朝野交々内にせめぎて日本の真意どのへんに存するかを解するに苦しましむるもの、帰する所革命の支那が未だ
全然日本の当局と国論とに了解されざるが為めならずんばあらず。いわゆる第二革命*3失敗後大隈伯が日本の支那に対す
る智識とイギリスの資本とを以て日英経済同盟とすべしと公言して在支イギリス人の高笑を買ひしごときは、国民の代表的地位
に立ちて遺憾なく国民の無理解を代弁せるものにあらずや。不肖は数年間かくのごとき現状を視て終に沈黙の謙遜を守
るあたわざることを痛感したり。
 しかしてまた革命の理由と革命さるべき原因とはそれに立働ける革命党とそれを要求する国民とより説明を求むべか
らざるものなり。維新革命において高輪のイギリス公使館を焼打せる伊藤・井上らの元勲が回顧談中すべて無我夢中なりしと
告白したるは革命の実働者その人より革命の意義を理解せざりしものなり。後藤象次郎が五万石封侯の御墨付を懐にし
たるは、当時の形式を倒幕に求めたる廃藩置県の統一的理想を理解せざりしものなり。またフランス革命においてミラボー*4
その人がブルボン王家*5に代ふるにオルレアン公*6を以てせんとしたるは、二家共に革命さるべき貴族階級を代表せる
大貴族なることを理解せざりしものなり。ダントンとロベスピエール*7と、空論的系統の自由主義者を処刑するに矛盾に
もかえって自由の名を以てしたるは、自由の蹂躙を国家存立の為めに要めたる愛国的要求を理解せざりしものなり。−−
実に革命渦中の彼らに革命の説明を期待するあたわざるは火中の人に向つて出火の原因を尋ね消火夫に就きて新建築
の図案を画くことを求むべからざるが如し。すなわち支那の革命が孫逸仙*8の根拠なき空想、譚人鳳*9の頑固なる国粋主義、
黄興*10の混沌たる思想、故宋教仁の偏局せる立法的頭脳に聴きて真の了解を望むべからざる事はむしろ古今通じての革
命期中の原則なり。特にフランス革命が百年を経たる今日、ようやく真理に近き論究を得、維新革命が五十年後の今日未だ
一研究を得ざるに考ふれば、辛うじて革命の第一歩を踏みしばかりなる支那のそれを今の時において議論せんとする
は超人的偉人といえどもくわだつべからざる早計事なりとす。従つて不肖の言が後年の卓越せる研究者に点検さるゝ時、また
等しく無理解なる渦中の人の云為として取扱はるべきことを予想し慚愧*11するものなり。
 しかしながら不肖は当面の切迫せる必要の為めにあえて後世の笑を考慮せざらんと欲す。革命に何の理解なき日本政
府は列強を連ねて、袁氏皇帝たらば動乱起らざるやの警告を為したり。しかも袁氏皇帝たらざれば動乱起らざるべし
とする反対証明を所持せず。国論の傾向はあるいは孫黄を代らしめて日支の親善を策すべしとす。しかもその親善なるべき
ゆえんにつきて未だ合理的説明を与へず。彼のエドマンド・バーク*12すら近代欧洲の源泉たりといふフランス革命を対岸に
見て暴徒の暴動のみと放言したり。日本の多くの識者は同様なる対岸のそれを視るに軽侮と憎悪の眼を以てして、
未だ近代アジア史がまさにいかに編纂されんとしつゝあるかに想到せず。これ早計なる不肖の言説と共に等しく後世
の笑を招くものにあらざるなきか。後年の批判は恐縮する所なりといえども、かかる日本の現状に鑑みて隣国革命党の概略と
革命を要求する隣国の真相とを説明するは、今の時必ずしも僭越ならざるに似たり。言はすなわち微少なる不肖が自ら有
する概念を諸公に頒たんとするに過ぎず。しかも該党の秘密結社時代よりその指導的実行的首脳らに密接して奔労す
3
る実に十年。他の数名の日人同志が多く豪傑の士なりしが為にその交はる所視る所行ふ所を異にし従つて自ら別様
の見解に傾けるものあり。十年の歳月はあえて長からずといえども彼らの自覚的結合より現今に至るまでの時日のすべてにし
て、特に不肖の拠る所は書斉の智見にあらず街頭の説話にあらずして、ことごとく身親ら実際に視、実際に聴き、実際に関は
り、しばしば刑辟*13に触れんとし、あるいは鋒鏑*14の間を出入して得たる実知識実議論なりとす。これ少くも諸公に取りて支那
革命党および革命の支那に関する根拠ある説明を為し得べき資格ある者として多少の傾聴に値すべし。もとより是を以
て一論究にだに接せざる朝野の渇望に応ぜんとするにあらず。ただこの冒険を試むるにおいて不肖の特殊なる立場は大過
なき批判を下し得べきを信ずるが故に、自ら量らずあえてこの撰に当らんとするものなり。しかしてさらにしかしもしの小著
によりて革命党の真相と革命されつゝある支那とがほとんど全く日本の朝野に理解されざる恨みを一掃し、無告の彼らに
代はりて諸公の了解を得同感を博さば実に望外の歓喜にして丈夫十年の血盟に孤負せざるものと言ふべし。むかし文
章は経国の大業なりき。今は一文朝議を動かし国論を旋転せしめし事を聞かず。言の当否は採捨ただ諸公にあり。こいねが
ふ所は仲々の赤心諸公が憂国の情弦をうごかし、一はもって国家存亡の岐路に倒れる隣邦国士の屍に一滴の挟涙を垂る
ゝに至らんことをのみ。あえて日本の為めと言はず、また支那の為めと言はず。
 
 
 
* 1支那革命党:この名前の組織は存在しないが、当時、清朝打倒を目指して中国内外で様々な組織が存在しており、その全体の総称として北はこの言葉を使っている。現代風に書くと「支那革命派」。主に北が参加していた中国革命同友会と関連組織を指す。
* 2長袖者流:(ちょうしゅうしゃりゅう)公卿や僧などを軽蔑して言う言葉。
* 3第二革命:1913年(大正2年)宋教仁暗殺後、強力な権力を持ち始めた袁世凱に対して革命派が蜂起。袁が軍を送って革命派を一掃した事件。
* 4ミラボー:オノーレ・ミラボー。フランス革命初期の政治家。貴族でありフランスを絶対王政から立憲君主制にすることをめざす。
* 5ブルボン王家:フランスの王家。
* 6オルレアン公:フランスの公爵。オルレアン公爵家は王家に跡継ぎが無い場合に跡継ぎを出す家柄。
* 7ダントンとロベスピエール:共にフランス革命の政治家。下層階級から支持を受けていたジャコバン派で共和制を目指す。政権掌握後は恐怖政治を行う。
* 8孫逸仙:(そんいつせん)孫文の号。中山(ちゅうざん)という号もある。辛亥革命の指導者。亡命して欧米で活動しており海外で有名。北いわく、アメリカ型共和制を目指す理想主義者。
* 9譚人鳳:彼は興漢を目指す頑固な民族主義者。
*10黄興:(こうこう)1874〜1916年(大正5年) 辛亥革命の指導者。孫文・章炳麟と並ぶ革命三尊のひとり。譚人鳳・宋教仁と同じ湖南派だが、器が大きい人物でバラバラになりそうな革命派のまとめ役。
*11慚愧:(ざんき)自分の行為をかえりみて、みずから心に深く恥じること。
*12エドマンド・バーク:18世紀のイギリスの政治家・思想家。保守主義の父。
*13刑辟:(けいへき)罪人を処罰すること。
*14鋒鏑:(ほうてき)鋒=刀の切っ先。鏑=矢じり。
 
 
 
 
 
 
    二 孫逸仙のアメリカ的理想は革命党の理想にあらず
 
           一般に孫逸仙をもって革命の理想的代弁者となす前提的誤謬−−グッドナウの共和政不可行
           論−−板垣伯の言論によりて日本憲法を解釈せんとする如し−−アメリカと支那の建国精紳よ
           りの相異−−アメリカ的自由政治は支那において他の自由を認めざる一党専制政治となる−−アメ
           リカ的翻訳の連邦論−−米合衆国の建国は十三独立国の対英攻守同盟を永久にしたるものその
           膨脹また独立国を購買し征服したるもの−−支那は建国より歴史を通じて統一国家なり−−維
           新革命の時の独立国的各藩は各省的感情の比にあらざりき−−ラファエットの連邦国的翻
           訳が封建的区画を存せしフランスにさへ行はれざりし理由−−アメリカ的翻訳に捉はるゝ外国援
           助運動−−外国に援助せられたる旧権カと戦へるフランス革命と、外国の兵力援助によりての
           み独立を得たるアメリカ独立戦争とは全くの別物なり−−ワシントンは北米の永久中立を宣言
           したるモンローなり−−日本が革命を援助せずまた妨害せざりしゆえんは別個の倫理的理由に
           あり−−革命は国士の事業−−孫は革命運動の代表者にもあらず−−日本浪人の援助運動
           と革命党との矛盾阻隔−−個々人の褒貶にあらず革命の因果的研究なり。
 
 孫逸仙の名は秘密結社時代よりの中国同盟会*1総理たり南京臨時政府*2の第一大総統たりしより、世人は彼をもって支
那革命党の理想を代表し彼の言説する所は新支那の要求なりと推定し、したがって彼を解釈することによりて支那革命党
の真相を観、革命の支那を想察し得べしと感ずるに似たり。これ一見正当なる見方にして、すべて支那を論ずるもの袁
世凱に対して孫逸仙と云ひ『北袁南孫』*3の語は支那自身においても新旧両党の代名辞として用いらる。彼の支那の革
命に同情するものが彼を通じて同情し、革命党の理想を考察せんとするものがまた彼の思想を批判して可否せんとす
5
るは当然なる措置と言ふべし。少くも彼の人格的価値を重視せざるものといえども、孫逸仙は理想に過ぎずとして暗黙
の間に彼が支那革命の理想的代弁者たることを肯定するものゝごとし。しかしながらこれ実にはなはだ軽率なる仮定より出
発せんとするものにあらずや。不肖は秘密結社時代の中国同盟会に干与せし時、彼の邸において彼に対して誓盟せし関係
上、常に彼を理解するに深き同情をもってしたるものなり。しかしながら長き歳月と厳正なる事実はついにかく断言せざ
るを得ざらしむ。孫君の理想は傾向の最初より錯誤し、支那の要求する所は孫君の与へんとする所と全く別種のもの
なるを見たりと。しかしこの断定にして正しからば、彼によりて革命運動を察し革命されつゝある支那を考へんとす
る努力は徒労なるべきなり。すなわち一般の世人が為す袁と孫の人格的重量の考較によりて両者の対立的勢力の消長を
察せんとするごとき、または両者の代表せるかに見せる君主主義と共和主義とのいずれが支那の国情に適当せる政体なる
やを判定せんとするごとき、実は、はなはだ枝葉なる皮相なる観察方法なりと云はざるを得ず。根本の問題はかかる袁・孫らの
泡沫を浮消せしむる支那の革命的潮流の本体に存す。袁が誠に脆薄*4なる一泡沫に過ぎざることは後章に論ずべし。
ただ孫逸仙の名が支那革命の権化なるかのごとく観察者の明をおおふ陰影となれるが故に革命党の真の理想と革命的支那
の真の要求を点検せんとするに当り、まず彼のアメリカ的理想(彼の親米主義と判別すべし)が、彼らの理想にも彼国
の要求にもあらざるほとんど没交渉に近きものなることを明白ならしめざるペからず。
 常識をもって考ふるも、袁世凱の野蛮なる国体変更の計画に対し、または君主政にあらずんば支那を統治すべからず
とするグッドナウ*5らの学究的批評に対して、孫君のアメリカ共和制をもって対抗せんとするは余りに根拠なき主張にあら
ずや。すなわち革命党の有する東洋的共和主義と彼のアメリカ的それと同一なるものならば、共和政治は支那の統一を失ふ
べしと言う袁の口実も、革命党の計画はすべて空想なりといふ外人の嘲笑も、ことごとく道理あることにして不肖また袁とグ
ッドナウに従はざるを得ざるなり。アメリカ人たるグッドナウはその故国の共和政とそれを翻訳輸入せる孫君のものと
を比較して支那にはこの意味の共和政は不可行なりと断ずるもの、この範囲における彼の見解は正当なりとすべし。
何となれば日本自身が有する東洋的君主立憲政が数十年を経たる今日なおイギリスに解せられざるごとく、支那自身が要求
する東洋的共和政は短時日の政府顧問たりしアメリカ人の身をもっては考ふ可らざるものなればなり。すなわち彼もまた一般の軽
率なる仮定に従いて孫逸仙の思想はすなわち革命党の理想なりと観ずるものなるが故に、板垣伯*6の言論に基きて日本憲
法を解釈せんとするごとき笑ふペき結論に走りたるに過ぎず。孫君の支那とグッドナウのアメリカとは全然建国の精神よ
り別個のものなり。北米の建国は君国を捨つるも自由に背くあたわずとなし、信仰の自由のために君国に容れられず
して移住せる者の子孫。自由の郷はアメリカ人の国民的誇にして清教徒*7の血液は移住者の多きに従いて濁れりとも自由は
彼の歴史を一貫せる国民精神なり。支那はこれに反して全く自由と正反対なる服従の道徳すなわち親に服し君に従ふ忠孝
をもって家を斉へ国を治め来れる者、被治的道念のみ著しく発達せる歴史の下に生活する国民なり。彼れの建国は一
粒選の自由移住民にして、是の歴史は数千年間鞭打の奴隷なり。かく建国の精神より異にし歴史的進行の方向を同
ふせざる両国民の上に、その一の翻訳をもって他を包被せんとする孫君の空想は、あえてアメリカ人の論弁を待たずとも自覚
せる革命党のとうに熟知せる所なり。世界の共和国中独り米合衆国においてのみ反動と革命の反覆なきはその建国が単
なる分離にして革命に依りたるものにあらず、したがって大統領が親ら責任を負ひて反対党の監督の下に政治を為すは反
対の自由監督の自由を尊重する国民精神の自由あるが故なり。自由の覚醒せざる、または覚醒せんとしてなお専制の
歴史的堕力に捉はるゝ国においては、決してアメリカのごとき制度に拠りて自由を擁護し得べきものにあらず。すなわちアメリカの
ごとき両党対立政治がかかる国に採用さるゝ場合は、反対の自由、監督の自由、批評攻撃の自由、交迭して自ら代はる
べき自由、すなわち反対党の存立し得べきすべての自由を蹂躙せずんば止まざる一政党の専制政治となりて、在野党は
『叛徒』を意味すべし。支那の建国にも歴史にも在野党の自由を擁護すべき国民精神の自由を発見し得べからずと
せば、孫君のアメリカ的大統領政治の翻訳はかえってその理想とする民主的自由を裏切りて専制に顕現*8すべきは論理上推
想し得べき所にあらずや。しかしてこの推想を彼自身の身をもって立証せんとするかのごとく、袁の反対党たる彼は故国
に居住するの自由をも奪はれて亡命せるにあらずや。実に自由の建国精神あるが故に独立後かって自由を犯すものな
かりしアメリカの事実と、服従の歴史的約束あるをもって革命後たちまち袁の専制を見るに至れる支那の事実とを見よ。明か
に両国の共和政が同様なる形式を取るあたわざることを指示するものなり。孫君のアメリカ的夢想を革命党のそれなりと
する不注意なる仮定は、博士グッドナウをして支那は君主制ならざるべからずという結論に急がしめて、ついに支那
7
の取らんとする共和政いかんの前提を考察する眼目を閑却*9せしめたり。アジア各国の衰ふる久しといえども国体の決定を
アメリカ人輩の批判に仰ぐ程の哀れなる革命党にあらず。孫逸仙を視て革命党を解すべしとする日本人の多くは研究的用
意を欠ける彼の失態に鑑みて相いましむべきことなるがごとし。
 孫君のアメリカ的夢想と革命党の東洋的共和主義とを混同するよりして否定的結論を為すグッドナウに反して、肯定
的議論をなすものに我国の支那学者内藤博士*10あり。すなわち孫君のアメリカ的翻訳より来れる各省連邦論を容れて支那の将
来は連邦共和制を可とすべしと論著せるごときこれなり。しかしながらこれ単に肯定に行くと否定に来るとだけの相異
にして、孫逸仙の陰影に研究眼の聡明をおおはるゝ遺憾において相選ぶ所なし。かくのごとき夢想が覚醒せる革命党の理
想にもあらず革命されつゝある支那に行はるべき要求にもあらざる事は支那の歴史が明白に挙証*11すべきにあらずや。米
合衆国はその名の示すごとく十三国の集合せる歴史に始まりていささかも支那のそれと似たる所なし。彼れの連邦制は独
立せる意志をもって集まれる移住民の独立的小邦国が、他の征服または併合に依らず、イギリスに対する攻守同盟の為めに
連合せる国際的提携を永久にしたるものなり。共小邦国の独立的意志たる、実に清教徒、ローマ教徒*12、王党員ら各宗
派が地域を限りて植民し信仰の為めに土地の交換を要せし程に相犯すべからざるものなりき。しかして膨脹したる今日
の四十八州といえども、フランスより購入せるルイジアナ、スペインより購入せるフロリダのごとく、メキシコより離反して加
入せるテキサス、カリフオルニア、アリゾナのごとく、欧洲の各本国の支配を要せざりし程にすでに十分に国家的発達
を遂げたる邦国の連合なり。建国当時の十三州に五倍せる今日の米合衆国は実に十五回にわたりてかかる独立的邦国が
連合し集合したるものなり。すなわちアメリカは国家学上『集合国家』と名けられて『単一国家』に分類さるゝ支那と全然歴
史的発達を異にせるものなり。支那は歴史ありて以来統一せらる。たとえ古へ群雄の割拠し両朝の抗争せし事あるも、
これ日本に元亀天正の分立時代あり南朝北朝の争覇時代ありしと同様なり。しかしこの中世あるが故に日本の帝国憲法
にアメリカの翻訳を輸入して各藩連邦制を採るべしと言はゞ笑ふべき歴史観にあらずや。春秋の時といえども天下一に定まる
の日を待望し、孔明の鼎立策*13といえども統一の為の準備に過ぎず。治者と民衆の理想が常に統一に存してその分立し抗
争せる時代は統一的覚醒が未だ拡汎*14せざりし歴史的過程に過ぎざることは多言を要せざる所なり。支那の表皮を観
察するものはこの歴史的過程を考へず。各省の頑強なる団結カがその実、かえって国家的統一の第一歩なることを反対に解
釈して、その土音の相違を示し排他の慣習を挙げて、あたかも翻訳的連邦論に裏書きせんとするがごときは遺憾なることな
り。維新革命が統一的覚醒より来れるを見たる日本人は、尊王の大目的においてすら薩長互に妨害せるごとき獰猛なる
藩的感情も過渡時代として軽視するにあらずや。支那の省的感情は維新前の独立国的統治によりて養はれたる各藩
のそれに比すべからざる稀薄なるもの。かかる微細なる障害に躊躇して統一的要求を放棄せんとするごとき脆弱なる
革命党は不肖の支那に視ざるところなり。元来中世的組織を脱して近代的新組織に移らんとする時、すなわち革命の過
程において新統一の為めに旧き地方区画を排除する努力は、維新革命におけるごとく、フランス革命におけるごとく、支那
のまさに今後に踏破せんとする荊棘*15たるを失はざるを論なし。しかしながら四境より響く分割の声に恐怖する彼らは、
省的感情に従いて各省分割的立法に禍さるゝよりも統一の大勢を鞭撻*16するのはるかに困難少なきを洞察するものなり。
フランス分割の同盟軍が潮のごとく侵入せし時、封建的区画に従へる連邦共和制は国家の存立を危ふからしむとして、
アメリカ独立戦争より帰れる赫赫*17たるラファイエット*18の主張をもってするも一顧だにされざりしを見よ。同様なる支那の危
機は孫君が大総統の権力を握りしその日において実に臨時憲法より全く翻訳的痕跡を拭ひ去られたるにあらずや。共和
政治は支那の統一に不可なりとする袁世凱の口実はただ孫君の連邦論が与へたるものに過ぎず。しかるを共和政そのものを考
ふるにある一人の空想を一切の前提として、各省自恣*19分割を速かならしめんと論断するごときを見るにいたっては、はなはだ慎
重を欠けりと言ふべし。事情に通ぜざる外人は孫君と革命党との混同によりて結論をみだりにするも、革命の支那が
与へられたる『中華民国臨時憲法』なるものは中央集権的統一を根本義とするものにして、いささかもアメリカのごとき分権的悪臭
に毒せられざるものなり。実におのおの異れる論断に行ける有力なる二学者にしてすら全く革命党の理想と革命的支那の
要求に触れざることかくのごとしとせば、孫君を観察する事によりて革命過渡の隣国を理解せんとする者のことごとく錯誤
に陥るは止むを得ずとすべし。否、彼一人の過去の主張に過ぎざるアメリカ的大統領責任制と、統一的要求に逆行せる各
省分割的連邦論とによりて支那共和政の根本理想を誤解せしむるはなお忍ぶべし。彼の革命運動がまたアメリカ的翻訳に捉
へらるゝより、世人をしてついに幾多憂国の士の意気精神を軽侮せしむるに至るものあり。何ぞや。
9
 すなわち彼が支那の革命を遂行せんとするに当りてあたかもアメリカの独立運動のごとく外国の援助を願望することなり。彼は
植民地の経済的政治的興隆によりて旧き本国の支配を要せずして分離せんとする別個の一新国家の創建と、経済的
政治的退廃より、まさに亡びんとする旧国家そのものが存亡の暗中に復活飛躍を試みんとする革命と、むしろ両極に立つべき
反対的意義のものなることを考へず。為めに外国−−例へば日本の援助を哀求することを恥辱とも恐怖とも感ぜざ
るかのごとし。創建されんとする一新国家が旧本国との開戦において、本国の敵国たるものに援助せらるゝことは恥辱に
あらずして堂々たる国際間の攻守同盟なり。経済的独立による植民地にあらずといえども、たとえばインドがその政治的興奮
によりて一国家を創建せんとする時、イギリスの敵たるドイツと提契することは賢明なる国際的同盟にして、いわゆる独探*20
恥辱にあらず、また第二の征服者を迎ふる恐怖にもあらず。革命とは疑ひなき一国内に於げる内乱にして、正邪いずれが
助けらるゝにせよ内乱に対して外国の援助とはすなわち明白なる干渉なり。一国の革命において外国の援助を求めたる恐
怖はフランスの亡命貴族に見ざりしか。フランス革命党の新興階級より駆逐せられたる彼ら亡国階級の人々は、国家の
恥辱も恐怖も感ぜずして隣強の侵入軍のために故国分割の嚮導*21を努めたるにあらずや。同一なる亡国階級の貴族肅親
*22らが今日日本に向つて言ふ所を見よ。宛然*23たるフランス王統の口吻*24をもっていわく、支那は腐敗紊乱*25して一国として立
つあたわず、むしろ日本の保護の下に塗炭の苦を免かれんと。孫逸仙を指して亡国階級の人なりとするはもっての外なり。
しかも支那の存立そのものが日本の疑問となれる今日、援助を求めらるゝものの立場より考へて愛国的注意の欠乏、興国
的気魄の薄弱を侮蔑し、もって亡国親王と判別せざるは当然の取扱ひにあらずや。孫君は決してかかる意味において侮蔑
さるべきものにあらずして、罪は彼のアメリカ的迷想にあり。フランス・オランダ・スペインの三国が植民地十三州の分離を援げて
イギリスに宣戦せしは、三国の北米に有する植民勢圏がイギリスに打勝たれたる報復と、およびその未開植民地をイギリスの占領
より永久中立国たらしめんとする欧洲列強間の植民政策の衝突に原因す。特にフランスの海軍が反乱植民地に陸兵を輸
送するあたわざる程にイギリスの海上権を打破せしに見よ。両国の伝来的争覇戦が単に理由を植民政策に求めたるに過ぎ
ずして、後日ナポレオン*26退治の名においてトラファルガー*27に撃滅せられたるがごとし。実にアメリカの独立は支那革命と全然比較
すべからざるものにして、単に英仏の国際戦争の副産物として永久中立を承認されたる事に過ぎず。ワシントン*28
革命家にあらず。未だ国力が南米に及ばざる時代なりしが為めに、欧洲の分割よりまず北米の永久に中立すべきこ
とを宣言せるモンロー*29に過ぎざるなり。すなわちモンローが南北に拡充したる主義を彼はまず北米において樹立したるもの
なり。支那はある一国に領有せらるゝ属邦にあらず。千百のフランクリン*30来るとも日本がフランスを学び得べからざ
る事説明を要せず。
 この迷想は彼れの国体問題のそれに比す可らざる害毒を日支両国の将来に流すものなり。アメリカと全く異れる国体
は最初より彼のアメリカ的大統領制をもアメリカ的連邦をも一笑して顧みざりしが故に支那の禍を為す少なかりき。支那の
革命に対する日本の態度といふ問題に至りては、ほとんど彼においては革命の成否を決し、日本に取りては将来永遠の国運
に関するものにあらずや。日本が支那革命の成敗に当面の利害を感ずること、アメリカの独立におけるフランスのごとくなら
ざるはもとよりなり。むしろ対支貿易の上に被る経済的損失に至りては賠償を要求し得ざる莫大なるものあり。この不利
を忘れて日本の朝野が一種の精神的声援をおしまざりしは、日本人自身の有する愛国心より彼らの愛国的奮闘に共鳴
し、対岸の大陸が欧米の分割より免かれて復興せんとするを同人種的情操によつて慶賀するもの。フランス革命に際し
て対岸のイギリスが為し隣境の墺・普*31が為せしごとく国家的野心をあらわすべき好機を放葉して任侠的国風を発揮したるは、
実に天啓の指導をうけしかのごとき蕩蕩*32たる王道なりしなり。すなわち当面の利害を超越せるかかる日本の同情は革命指導
ものの頸血*33をもってあがなうべし。断じてアメリカ独立軍のごとき利己的目的の下に逃亡脱走裏切内応を欲しいままにして得べきにあらず。
本国より分離せんとする独立戦争は独立せる地域に拠りて戦ふ一種の国際戦争なり。故に他動的に運命的に平凡な
る戦時犠牲者として死せば可なり。革命は国士の事業。隻手国運をひるがえすべき意気、一人万夫に当るの精神、すべて
犠牲の自動的なるものを要す。アメリカ独立戦争にほとんど記すべき程の悲惨事なくして革命の支那に惨烈なる物語のようやく
多からんとするを視よ。革命は腐敗堕落を極めたる亡国の骸より産れんとする新興の声なり。産れんとする彼児の
健かなると否とは一にただこの意気精神の有無に存す。単なる中立的承認を他力本願によりて成就したる北米移住民
のやすきに学びて、ただただ外援を哀求する孫逸仙君は、道理より推しまた事実に照して革命運動の代表者に非らず。二個の
事実を見よ。−−一撃清朝を推翻せる排満革命において、アメリカ的夢想家はアメリカにありて一点の関係だに無かりしに非
11
らずや。−−各省すべての中心勢力らは全く日本に援助せられずして勃発し呼応し遂行したるにあらずや。孫君を視て
革命党を解すべしとする者が五年後の今日に至りて未だ排満革命の真相を知らざるは止むを得ず。しかもある一人の
思想的欠陥が日本人の因習的対支軽侮観を喚起せしめてついに革命党全部の壮烈雄毅*34なる意気精神を蔑視せしむるに
至るは洪歎*35に堪へざる所なり。革命を為すべき意気精神なくして革命を為したりといふがごときは、すでに言語上の矛盾
なりとす。
 彼によりてこの誤解を与へられたる日本人は、その高貴なる任侠的援助が革命の支那にいかん様に了解されたるか
を省察せざるべからず。孫君の後援に集まりし『支那浪人』*36なる者の数十百人は任侠以外の動機を有せざりき。而
も謡言*37一たび起りて日本機に乗ぜんの声あるや南北たちまち戈を収めて感恩*38手をひるがえすごとく悪声となれるにあらずや。
いわゆる第二革命の起伏するや支那の上下あげて日本の野心を流言されしが為に、袁に対する人格的憎悪を忍びて有力
真率なる憂国者の多くが去就を誤れるにあらずや。内乱のある一方に対する外国の援助は干渉の恐怖と実に紙一重の
間隔なり。日本においては隣国の分割を保護するを外交方針の基本とす。しかも彼国の民衆に普汎せる愛国的覚醒は実
に積弱の今日、および動乱の生ずべき今後、果してよく日本の侵略を免かれ得べきやの一事−−ただこの一事を憂慮しつ
ゝある時、孫逸仙の背後に日本ありの謡言は、革命を援助するものにあらずして革命党を売国奴の乱矢に屠る事と
なる。支那の革命は民主共和の空論より起りたるものにあらずして、割亡を救はんとする国民的自衛の本能的発奮
なり。彼らが武昌において、長沙において、上海・南京において、日本の援助を約せずして起り、日本の干渉を期待せずし
て進みたる独立独行の憂国者なりし眼前の事実を見よ。国民の自衛的本能の直観は多く明敏なるものなり。日本の
援助によりて起たんとする孫君のアメリカ的運動がすなわち干渉の誘致なりと直観せるをもって、犬養氏*39の南北統一を非議す
るや日探*40何をか為すとして一の聴く所なかりしのみ。頭山氏*41らの帰国に際して孫君の代理見送人すらなかりしは実
にこの国民の愛国的直観にはばかりしが為めにして、再び亡命して氏の翼下に身を寄せしは亡恩民族なるに非らずし
て彼のアメリカ的迷想より出づる依頼心の故のみ。彼らは動乱中、犲狼*42の爪牙をあらわさずして王者のごとき善意なる傍観を
持続せし日本の態度に誠心感謝したり。しかも同時に他意なき日本の一挙手が国民の恐怖を煽起して回天*43の大業を中
挫せられたる憾をも有するものなり。一アメリカ的夢想家の他力本願主義によりて誤解せられたる革命援助の声が、今
日ついに日本の庇護の下に革命せしむべしとする積極的干渉に近きものに変化せざるや。不肖はこの侮蔑と恐怖と、
革命後の両国々交にかえって重大なる禍因たるべきを憂慮して止まざるものなり。
 以上の概説によりて、孫逸仙君の日本において知らるゝ理想および日本の朝野に試みつゝある運動が、支那革命党の
理想にも革命的支那の要求にもあらざる事を了解せられたるべし。これもとより多く必要ならざる談義なりといえども、孫
逸仙の名が世界の観察眼を暗黒ならしめつゝある今日においては説明の明瞭の為めに玉石の判別より出発せざるべか
らず。ここにおいて疑問は当然に起らん。いわくさらばいかにして支那は共和政体を採りしか。いわくいかにして孫逸仙は
民国の第一大総統に推挙せられしかと。不肖はこれらに答ふるに先ち革命の思想的原因より序を追ひて考察せんと欲
す。孫・黄・譚・宋らの個々人の成敗を褒貶*44するは別にその人あるべく論述の目的は冷頭なる革命の因果的研究にあり。
13
 
 
 
* 1中国同盟会:正式名、中国革命同盟会。1905年(明治38年)日本における中国革命勢力を結集して作られた組織。対外的には「革命」を付けると問題があるので中国同盟会と称していた。
* 2南京臨時政府:辛亥革命により南京で作られた革命派の臨時政府。
* 3北袁南孫:辛亥革命直後の中国は、南京臨時政府と、清朝を裏切った袁世凱の北京政権との分裂状態。
* 4脆薄:(ぜいはく)氷などが薄くてもろいこと。
* 5グッドナウ:フランク・J・グッドナウ。「比較行政法」で有名なアメリカの行政学者。新国家建設を目指す袁世凱により法律顧問として招聘される。「共和と君主論」を書き中国では帝政が好ましいと袁世凱を援護する。
* 6板垣伯:自由民権運動の板垣退助伯爵。この時期はすでに政界を引退して、孫文らを影ながら支援中。
* 7清教徒:ピューリタン。キリスト教、プロテスタントの一派。イギリスの教会内部改革派でありイギリス国教会から迫害を受けて一部が新大陸に渡る。アメリカへの移住の始まり。
* 8顕現:(けんげん)はっきりと現れること。
* 9閑却:(かんきゃく)いい加減にしておく。なおざりにしておく。
*10内藤博士:歴史学者の内藤湖南博士。
*11挙証:(けんしょう)証明するために、証拠を挙げること。
*12ローマ教徒:カトリック教徒。
*13孔明の鼎立策:三国志で有名な諸葛孔明の唱えた「天下三分の計」のこと。鼎=古代中国で使われた三本足の銅器。
*14拡汎:(かくはん)汎=平らに広がりわたっているさま、水があふれて広がる。辞書に無いが「水が広がるように普及する」だと思う。
*15荊棘:(けいきょく)いばら、いばらの道のこと。
*16鞭撻:(べんたつ)むち打ってせき立てる。転じて励ます。
*17赫赫:(かっかく)素晴らしく立派に現れるようす。輝かしいようす。
*18ラファイエット:マリー=ジョゼフ・ド・ラ・ファイエット。フランスの軍人・政治家。アメリカ独立戦争に義勇兵として参加。重要な役割を果たす。英雄として帰国後はフランス革命に参加。フランスを立憲君主制に変革することを目指したが、王政が廃止されると失脚して亡命。フランス人権宣言の起草者。
*19自恣:(じし)自分の思ったままにすること。わがまま。
*20独探:(どくたん)ドイツのスパイ。
*21嚮導:(きょうどう)道案内。先導。
*22肅親王:(しゅくしんのう)粛親王善耆(ぜんき)1866〜1922年(大正11年)。清朝皇族。清朝の実力者で立憲君主制を主張した改革派。辛亥革命後は清朝再興を目指して活動。川島浪速と組んで満蒙独立を図るも失敗。娘には満州事変などで活躍する川島芳子がいる。
*23宛然:(えんぜん)まさにその通りであるようす。
*24口吻:(こうふん)口先、口ぶり。
*25紊乱:(びんらん)秩序・風紀などが乱れること。乱すこと。
*26ナポレオン:ナポレオン・ボナパルト。フランスの軍人・政治家。フランス革命をまとめ上げ、帝政を敷き皇帝となる。その後、ナポレオン戦争と呼ばれる戦争を欧州全土に展開。
*27トラファルガー:トラファルガー海戦。スペインのトラファルガー岬沖で行われたイギリス艦隊とフランス・スペイン連合艦隊との海戦。イギリス艦隊が勝利してフランス軍の本土侵攻を阻止。ナポレオン戦争の転換点。
*28ワシントン:ジョージ・ワシントン。アメリカ合衆国初代大統領。
*29モンロー:ジェームズ・モンロー。アメリカ合衆国第5代大統領。欧州諸国の殖民地戦争に対して中立を保ち、アメリカへのいかなる干渉も敵対行為と見なすアメリカの孤立主義政策、モンロー主義を掲げる。
*30フランクリン:ベンジャミン・フランクリン。アメリカ合衆国の政治家・外交官・物理学者。アメリカ独立宣言の起草委員の一人。独立戦争中はパリの社交界を中心に活動し、欧州諸国との外交に奔走。フランスの独立戦争への惨禍と、他の諸国の中立を取り付ける。
*31墺・普:墺=オーストリア(墺太利)。普=プロイセン(普魯西)。
*32蕩蕩:(とうとう)広々として大きいようす。
*33頸血:(けいけつ)首を切ったときに流れる血。頸血をもってあがなう=首を切られるのを承知の上で相手にたちむかう。
*34壮烈雄毅:(そうれつゆうき)壮烈=勇ましく激しい。雄毅=勇ましくて強い。
*35洪歎:(こうきん)洪=おおきく。歎=なげく。
*36支那浪人:いわゆる中国革命日本人義勇兵。大陸浪人とも言う。当時、留学生・亡命者が大量に日本に来ていたこともあり、革命派への資金援助だけでなく直接当地に入って革命に参加した日本人がかなりいる。はっきり言えば北もその一人。
*37謡言:(ようげん)世間に流れているうわさ。デマ。
*38感恩:(かんおん)恩に感じる。他人から受けた恩をありがたく感じること。
*39犬養氏:犬養毅のこと。日本の野党政治家。日本に於いて孫文を積極支援。亡命してきた孫文をかくまう。
*40日探:日本のスパイ。ちなみに当時の話なので○探とは今のスパイとは意味合いが違い、侵略する場合の調査に来ている程度の意味。ただし侵略される方から見れば不愉快な存在。
*41頭山氏:頭山満のこと。大アジア主義を掲げる国家主義運動家。右翼の巨頭。支那浪人も彼の配下の人物が多い。日本に亡命してきたアジア各国の革命指導者を積極支援。
*42犲狼:(さいろう)犲=山犬。狼=オオカミ。
*43回天:(かいてん)世の中のあり方をすっかり変えてしまうこと。
*44褒貶:(ほうへん)褒=ほめること。貶=けなすこと。
 
 
 
 
 
 
    三 革命を啓発せる日本思想
 
           革命の理想は日本思想に啓発せらる−−維新革命の理想を啓発したる支那思想−−フランス革
           命におけるイギリス思想の輸入と等しき日本翻訳の『百科全書』−−奴隷的フランスが理想したる
           イギリス的自由と亡国的支那の理想する日本的国家民族主義−−日本の国家民族主義は直に清
           朝を否定する革命哲学となれり−−古今革命とは少数なる年少書生の事業−−維新革命フラ
           ンス革命ロシア革命における例証−−支那民族の雷同性にあらず革命的理解の普及なり−−一孫
           の追放に係はりなき日本留学生の革命化−−支那革命の理解者は官吏登用試験の及第者に
           あらず−−フランス革命に与へたる思想的指導にイギリス自身が自覚せざりしごとくなるべからず。
 
 問題は別個に提起せらるべし。いわく、果して孫逸仙のアメリカ的理想に影響せられずとせば支那の革命はいかんなる思
想に原因するかと。不肖は少くともこの一点においては十分の信念をもって答ふ。いわく支那の革命は太平洋の遙なる雲
間より来らずして対岸の島国、実に我が日本の思想がその十中の八九までの原因を為せるなりと。隣国を革命党の
策源地*1と視、革命の煽動者なりと疑うはもとより当らずといえども、日本はなんじが与へたる思想に対して責任と栄誉とを感
ずべし。
 不肖はこの重大なる事実が未だほとんど日本そのものに自覚されざるを視て、フランス革命に与へたるイギリスの思想を対岸の
島国自身がついに自覚せざりし歴史の反覆に驚かざるを得ず。実に史上しばしば散見するごとく思想の国際的交渉は一国一
朝の興亡に原因を為す程に重大なるものなり。近く我が日本の維新革命を見よ。その革命の物質的原因は各種に考
へらるゝにせよ、またその思想的原因も有力なる他の系統のものの存するにせよ、実に徳川氏の治安上奨励し普及せ
しめたる漢学が、かえって大なる原因たりし事は世人の知る所のごとし。徳川氏は治者の利益の為に忠孝を信条とする、それ
が馬上によりて得たる天下を維持する教義なりと期待したり。しかも馬上の威力衰へてその覆没*2を来すべき各種の政治
的経済的原因の醗酵するに至るや漢学は戈を倒まにして王覇之弁となり、王たるべき皇室の為に覇府に叛逆すべき
理論を供給したり。当時の年少革命党伊藤公*3が洋行の笈中*4にも携帯せし日本政記*5は実に漢学の革命的理論によりて
日本歴史を批判せしもの。義時・尊氏*6の伝統政策を苛辣*7に徹底せる大逆不臣の徳川氏を反語的に尊王忠君なりと賞賛
し、その初を為せる歴代覇府の乱賊を筆誅*8する事によりて倒幕革命を暗示せる日本外史*9は、また誠に支那の漢学が影
響せる革命文学なりき。現支那の革命において師弟を一変せる日本の雄渾*10なる思想は果して王覇之弁にだも及ばざり
しか。
 否、日本の政法文武すべての思想の莫大なる漢訳は、あたかもイギリスの翻訳がフランスを啓発せしと同様なりといふべし。
欧米を崇拜し自身らの東洋を侮蔑して恥とせざる日本人は、支那革命党を見るに彼ら浅薄皮相なる訳読書生、何する
ものぞと嘲笑し去る。しかもフランス革命はイギリスの思想を浅簿皮相に輸入して覚醒せられたるを知らざるか。ボールテー
*11の研究もイギリス法にして、モンテスキュー*12が二十年苦心の憲法論もイギリス法の祖述に過ぎざるは、あたかも故宋教仁が比
較財政学*13を訳し他のすべての指導者らが日書の翻訳に汲々*14たりしがごとし。日本外史の暗示のごとき兢々*15たる態度、柔和
なる調子、攻撃的筆法の欠乏はフランスの革命文学にして、論議の堂々たる支那の革命論に比すべからず。ルソー*16
独創的思想なくして論旨の支離滅裂なるは章太炎*17のいたずらに絢爛*18にして組織的論理なきに等し。フランス革命の思想が
イギリスの仏訳『百科全書』*19のごときに喚起せられしといふ歴史家の見解に従へば、汗牛充棟*20の漢訳を与へる東洋のイギリス
は支那革命の思想的原因たらずと見るあたわず。
 実に、革命の支那はその覚醒においてあたかも日本のそれに国学の復興ありしがごとく、もとよりそれ自身の国粋文学に依
る東洋精神の復活にあり。しかもその復活を促進し鞭撻し東洋魂の溌刺たる光輝を示しつゝ鼓励したる者は日本および
日本の思想なりとす。強露を破つて旭日沖天*21の勢ある日本を仰望したる彼らは、豚のごとく活き蝿のごとく死せし奴隷
時代のフランス人が大憲章*22の自由を有する対岸のイギリスを眺るごとくなりき。したがって自由なきフランス人が、おのれの乏しきをイギリス
15
の思想に要めたるごとく、まさに亡国に瀕せる彼らは日本に就きて興国の精神をきわめざるべからず。仏訳の自由論と漠
訳の国家主義とは誠に奴隷と亡国とが渇望の泉をおのおの対岸の近きに求めたるもの。特に支那はその危急の迫まれる
が為めに訳書の間接的交渉を足らずとして留学生の派遣となれり。しかして日本の興国的思想は遺憾なく彼ら自身の
東洋魂を覚醒せしめ、彼らはその覚醒によりて日本の興国学を直ちに革命哲学として受取りたりき。
 かくのごときはもとより満清皇室*23の夢想だもせざりし所ならん。彼は日本の国民精神が国家民族主義にあるを見て、
留学生らはその学ぶ所をもって良く我が満室に忠に、良く我が皇家の急におもむくべしと期待せしならん。しかしながら天は
人智の量るべからざる翻弄を楽しむ。徳川氏の覇府を万世に伝へんとせし漢学が王覇之弁に変じて維新の革命運動
に理論を供給すペしとは人智の量るあたわざる所なりき。天の翻弄を知らざる満清皇室はおのれが人の君を亡ぼし人の国
を奪へる征服者にして被征服者の覚醒と共に顛覆さるべき説明を日本の国家民族主義に求めしめんが為に留学生を
派遣したるに似たり。覇者が王を族滅して両者の弁を為すを要せざる支那において治者の利益たる漢学は、王覇並立
の日本に来りては革命の道徳的説明たらざるを得ざりき。異民族の支配を被らざる日本において治安維持の国家民族
主義は、満人に征服せられつゝある支那に渡りて革命の科学的理解とならざるを得ず。すなわち日本の国家民族主義に
よりて解釈せられたる忠孝道徳は、おのれの君を亡ぼし国を奪へる者と共に天を戴かざる事を教へ、他の民族の支配を受
くるよりも死を勝れりと説く者。すなわち満清皇室に対して日本のあらゆる教科書は革命哲学たり、すべての学校は革命ク
ラブなりしなり。いわんや万千種をもって数ふべき漢訳の『百科全書』は禹域四百州渉らざりし所なかりしにおいてをや。
世人は『排満興漢』*24の革命旗が武昌*25城頭に翻へりしを見てその不可解に驚異す。しかも満人の統治を排滅し漢族の復
興に努めよといふ国家民族主義は、十数年来両国政府の奨励の下に東京の講堂において堂々として鼓吹されつゝあり
しなり。世人は一月ならずして二十二行省の半が呼応し三月にして排満の終局せるを見て無智の漫罵*26を民族の雷同
性に加ふ。しかも革命のダイナマイトは漢訳の包装に陰れて三百九十一万方哩の全土に埋没せられたりしなり。
 あるいはいわん、少数なる黄吻*27の書生輩、何をか為さんと。これ恐るべき勢力を有してしかも一の根拠なき非難なり。古
来いずれの国といえども革命的大変革が白髪衰顔によつて成されたる一事例だにありしか。維新の革命が成就したる時、
西郷の四十一歳を年長者として大久保・木戸らこれにつぎ、板垣・山県・大隈・後藤の諸公また実に三十歳前後、伊藤・井上・松方
らははるかに年少なりしとせば、彼らが革命に奔労せる頃の口吻の黄なるは想見すべし。少数の非難をもってせばフラン
ス革命の中堅たりし者、パリの書生総数七八万中のただ数千名が苦力窮民を煽起せしに比較せよ。彼らは日本留学生の
みを数ふるも十万に余り、各省各県における中等階級の覚醒せる年少書生数十百万を有す。何ぞ革命の物質的原因
たる財政破産の支那において雲霞のごとき苦力窮民を煽起することあたわずと言うか。日露戦後シベリアの牢獄を脱せる
ロシア革命党員ゲルシューニ氏*28が日本を通過せる時その全ロシアを震撼せる革命を語りつゝいわく、我同志二百八十名が一
網打尽されたるを以つて再起するあたわざるを歎くと。数百のロシア人が為し、数千のフランス人が遂げたる事を、独り数万人の東
洋民族においてのみ、くわだつべからずとは不肖らの自尊心が許さざる所なり。数十名の薩長革命党と京都に苦窮せる失職
武士の数百人の集団とによつて維新革命の中堅が作られたるを見よ。桜田門外の雪を染めたる少数なる水戸の脱走
浪士によりて倒幕の大勢が滔天*29の波を挙げしを見よ。支那に影響せられたる少数の日本人が為し得たることを、日
本に啓発されたる多数の支那人においてのみ、とぐべからずとは鎖国的感情にして不肖らの理性が服せざる所なり。しか
し彼ら数十万の書生によつて支那の全土に同一なる民族的覚醒、同一なる愛国的情操、同一なる革命的理解が普汎
せられし事を否むか。武昌の一叛賊に呼応したる理由をいかんなる解釈に求めんとする。支那軽侮観者は自己の欧米
人に盲従するそれを反省せずして、この解釈を支那民族の雷同性に帰す。しかも問題はむしろ雷同し得たるほどに同一
なる革命的情意が彼の広漠たる支那の領域に普汎せし根本にあり。実に古今東西革命のすべては書生の事業にして、
また実に満清皇室を顛覆せる支那の革命は我日本に啓発せられたる年少書生の鼓吹し計画し遂行したるものなり。維
新の革命における漢学のごとき間接的交渉にあらず。大西洋の島国が対岸のそれに影響せるよりもはるかに深刻なりし
なり。
 実に天の為せる翻弄は解すべからず。彼らを送りし清帝も彼らを受取りし日本政府も天の一笑を搏さんが為めに
孜々切々として排満興漢学を授受しつゝありき。彼らはもとより内地に普及せる漢訳の爆弾を発見し得るものにあらず。
ただ日本にある留学生がことごとく革命的傾向を発表するを見るや、彼らを送りし慶親王*30は孫逸仙のありて煽起誘惑するに
17
基くとなし、密に伊藤公*31に向つてその追放を求めたりき。公また隣国の幸慶*32の為めに受けたる彼らが乱賊にくみする
は以つての外なりとして孫君を追放したり。明治三十九年星寒き冬の夜、不肖らは天才的空想家の寂しき影を見送り
て涙ありしといえども、顧みて燎原の火のごとき革命風潮の蔓延にいささかの妨げなかりしを見て微笑を禁ぜざりき。追われた
る者は一民主的革命家のみ。支那の渇望せるものは愛国的革命にありしが故に、東京全部の学堂を壊たずしては留学
生の革命党たるを防ぐべき途なかりしなり。彼らは焚くべかりし日書の漢訳をもってかえって変法自強を夢み、幣を厚う
して日人の儒を各省各県に迎へてその坑にせざるべからざるゆえんを発見せざりき。何たる翻弄ぞ。かくのごとくにし
て両国の治者のもって安んずべしとする数年間に、数万の子弟は留学生として来り革命党と化して帰り、漢訳の革命
哲学に覚醒せられたる全国数十万の年少書生と相結び、ついに排満興漢の暗流禹域の山河に漲るに及んで武昌の一炬
憐むべし清朝焦土たり。
 誠に日本は家鴨の卵を抱ける鶏なりしか。武漢義*33を唱ふの飛報至るや朝野騒然として賛歎し同情したりといえども、
彼らの真要求を指示せる一説明だにも接せざりしにあらずや。壮士の剣を提げておもむき助ける者また数十百人。しかも
帰来誰か彼らの真精神を伝へたるものぞ。不肖当時彼らにくみするの故をもって常に官憲の監視下にあり。倥偬*34の間
もとより天下に訴ふる暇のあるべくもなく、革命に同情し声援せる諸友中、特に内田良平君*35が山県・桂*36らの長州元老系に
力説しつゝあるに望を託して去れり。これ彼らが明治末政界の中心権力たりしが故のみにあらず。革命が書生の事
業なるを心解し共鳴し得るもの、官吏登用試験の及第者にあらずして日本においては残存せる維新の経験者に外なら
ずと期待せるをもってなり。堂々たる大帝国、なんすれぞ雛鴨の水に入るを見て狂乱する鶏のごとくなるか。日本は覇者
のごとく支那を指導すべき第五項案*37を待たず。王道蕩々として日本の雄渾*38なる思想は新支那を建設せんが為めの旧支
那の破壊において指導を全うしたり。動乱の煽動者は日本ならざるかを猜疑*39する列強に顧眄*40する要なし。アジアの自
覚史は日本の東天にあけして実に禹域四億の民が少くもその征服者より解放されたる感謝を特筆すべきなり。
 実にかくのごとし。亡国的支那の要求が興国にあり支那の新理想がほとんどすべて日本の思想なるを見ば、孫君のアメリカ的
翻訳は革命の形而上的原因を探究するに多く注意を要せざる一主張に過ぎざるを発見すべし。フランスに与へたる責
任と栄誉を自覚せざりしイギリスの覆轍は再び東洋のイギリスが踏むあたわざる所なり。単に繰り返へすを能とするものなら
は歴史は六千年といえども後世の治者に益なきにあらずや。
19
 
 
 
* 1策源地:(さくげんち)前線の軍隊に対して、必要物資・戦力などを供給する後方の基地。転じて中心になって活動の計画をたてる所。
* 2覆没:(ふくぼつ)船がひっくり返って沈むこと。戦いで酷く負けること。
* 3伊藤公:明治の元勲、伊藤博文のこと。幕末の尊皇攘夷運動時代にイギリスに密航している。
* 4笈中:(きゅうちゅう)笈=本などを入れて背負う竹箱。江戸時代の旅行鞄。
* 5日本政記:江戸時代の国学者、頼山陽が書いた歴史書。ちなみに死亡までに完成出来ず最後の方は未完。
* 6義時・尊氏:鎌倉幕府第2代執権、北条義時。室町幕府初代将軍、足利尊氏。ともにかっての主君、源頼朝・後醍醐天皇に変わって実権を握り幕府の基礎を築いた人物。
* 7苛辣:(からつ)酷く厳しいようす。非常に手厳しいようす。
* 8筆誅:(ひっちゅう)他人の罪悪・過失などを書き立てて、厳しく責めること。
* 9日本外史:頼山陽が書いた歴史書。源平合戦から徳川氏までの武家の興亡を書いている。幕末の尊皇攘夷運動に大きな影響を与えた書物。
*10雄渾:(ゆうこん)詩文や書などが力強く円熟していること。
*11ボールテール:18世紀フランスの作家。無神論者。だとおもう。
*12モンテスキュー:シャルル・ド・モンテスキュー。18世紀のフランスの哲学者・政治思想家。ジョン・ロックやイギリスの政治に影響を受けフランス絶対王政を批判。執筆に20年以上掛けた代表作「法の精神」で三権分立論を唱えた。
*13比較財政学:法学博士、小林丑三郎の著書。
*14汲々:(きゅうきゅう)一つのことに休まず専念するようす。心にゆとりを持たず一つのことに勤めるようす。多少軽蔑の気持ちを含む。
*15兢々:(きょうきょう)非常に恐れて、びくびくするようす。
*16ルソー:ジャン=ジャック・ルソー。18世紀フランスの哲学者・政治思想家・教育思想家。著書に「社会契約論」などがある。フランス革命に大きな影響を与えた。
*17章太炎:(しょうたえん)1868〜1936年(昭和11年)。太炎は号で本名は章炳麟(へいりん)。 孫文・黄興とならぶ革命三尊の一人。排満興漢を叫ぶ民族主義者。美文家としても有名で中国同盟会機関誌「民報」の主筆。
*18絢爛:(けんらん)きらびやかで美しいようす。詩文などの字句が華やかで美しいようす。
*19百科全書:18世紀のフランスで20年以上掛けて作られた大規模な百科事典。当初、イギリスの「百科事典」に刺激されてその翻訳だったが、途中から改正・追加項目が増え、執筆者も多人数にわたる大プロジェクトとなる。当時の科学技術の最先端を集めた集大成。古い世界観を打ち破るフランス啓蒙思想に大きな影響を与える。執筆者は百科全書派と呼ばれルソー、モンテスキューなども参加。
*20汗牛充棟:(かんぎゅうじゅうとう)持っている本が非常に多いこと。書物の種類が非常に多いこと。
*21旭日沖天:(きょくじつちゅうてん)旭日=朝日。沖天=空高く上ること。人の勢いが非常に強いこと。
*22大憲章:マグナ・カルタ。13世紀に作られたイングランドの大憲章。国王の権限を制限する内容が重要で、清教徒革命の際には革命の理由として使われた。立憲君主制の元となった。
*23満清皇室:清の皇室。清は満州(現在の中国東北地方)いた満州民族(女真族)が立てた王朝。漢民族からすれば異民族支配王朝。
*24排満興漢:満を排して漢を興す。辛亥革命のスローガン。
*25武昌:(ぶしょう)中国湖北省の都市名。ここで起きた兵士の反乱、1911年(明治44年)の武昌蜂起が辛亥革命の発火点となる。
*26漫罵:(まんば)はっきりした理由もなくむやみにののしること。
*27黄吻:(こうふん)雛の黄色いくちばし。転じて未熟者。
*28ゲルシューニ:ロシアの革命家。1903年に逮捕されシベリアの監獄に送られる。1906年に脱獄して欧州に渡る途中に日本に立ち寄った。
*29滔天:(とうてん)水が天までみなぎること。転じて非常に勢いが盛んなこと。
*30慶親王:(けいしんのう)慶親王奕[匡力](へんぼく)。清朝皇族の軍人・政治家。近代海軍建設や立憲政治準備に貢献し1911年3月に皇族内閣の総理大臣になるも辛亥革命が起きると辞職。
*31伊藤公:明治の元老、伊藤博文。
*32幸慶:(こうけい)幸せ。喜び。
*33武漢義:正確には武漢起義、もしくは武漢義挙。武昌蜂起で始まった混乱は近くの漢陽・漢口にも波及。この地域は長江と漢水の合流地点で川を挟んで武昌・漢陽・漢口の三都市が鼎立していた。武漢はこの地域全体をさす。華中の交通・商業の要所。
*34倥偬:(こうそう)あわただしく、忙しいこと。
*35内田良平:国家主義運動の指導者。1901年に黒龍会を結成。北は黒龍会派遣の通信員として辛亥革命が始まった中国に渡っています。
*36山県・桂:共に明治の元老山県有朋、桂太郎。陸軍、政府官僚に大きな影響を持つ長州閥の首領。
*37第五項案:????。何のことだろう?
*38雄渾:(ゆうこん)おおしく、勢いがいいこと。のびのびして、力強いこと。
*39猜疑:(さいぎ)疑ったり、妬んだりすること。
*40顧眄:(こべん)辺りを見渡す。あちこち気にする。
 
 
 
 
 
 
    四 革命党の覚醒時代
 
           排満の民族的革命を成功せる今日においてしかも何故に革命を要するか−−排満革命の元勲ら
           が去就を誤れるゆえん−−排満革命は興漢革命の前提的運動なり−−今後革命乱の免かれざ
           る支那に対して日本は徹底的理解を要す−−フランス日本と等しく革命は兵火の勝敗にあらず思
           想戦争なり−−暗殺によつて成れる維新革命−−秘密結社時代の各思想系−−章太炎と孫
           逸仙の争−−東京政府よりの迫害時代−−故宋教仁らの国家主義的統一および秘密連絡時代
           −−孫と訣別したる革命系統の軍隊運動−−青年トルコ党の実物教訓−−支那浪人らの滑
           稽劇。
 
 実に、この満清皇室と共に天を戴くあたわざる民族的覚醒を了解せば、康有為*1ら保皇党*2が龍袖*3より離るゝと共に国
民的後援を欠きしゆえんは不肖の絮説*4を要せずして察知するを得べし。これ維新革命前に両立すべからざる王覇を弥
*5せんとする彼の皇武合体案*6が一の夢想に終はりしと同様なり。しかしながら以上の略説によりては、単に漢民族の
民族的覚醒による革命のみのごとくにして事情に通ぜざる諸公をますます迷路に導くに過ぎず。いわく、革命の目的が漢民
族の復興にあり、かつアメリカ的夢想の行ふべからざることなりとせば、漢人たる袁世凱の治下に国家の統一を得ば目的
の結局にあらずや。いわく、征服者を仰ぎたる康有為は温和漸進の途を取りしのみ。すでに排満の目的を達したる今日、
漢人によりて統治せらるゝ漢人の為めの政治たらば、第二革命と云ひ第三革命といふがごときはかえって割亡を促進せし
むるに過ぎざる乱賊に非らずやと。これ外人としては一見適中せる疑問なり。しかして不肖が革命家その人は革命を説
明し得ずと言へるごとく、多くの支那革命党自身においてもまた明答し得ざる凝問なり。しかり。これあるが故に康の門下生
らは勝海舟の涙を呑みて不倶戴天の袁に結び、その変法自強策を存亡の国家に施さんと夢みしなり。日人の軽侮する
ごとく附権阿勢*7の動機のみにあらず。これあるが故に国粋的覚醒の警鐘たりし章太炎の大器にして袁の顧問たりし*8
り。日人の風説するごとく彼の学究的非常識の故にあらず。これあるが故に同志の蜂起によりて終身の獄を出でし革命
の元勲、胡栄・孫毓[竹かんむりに均]*9君らの身をもって籌安会*10を組織し累卵*11の危きを快からざる梟奸*12の力を借りて統一せんと迷へるなり。
日人の指弾するごとく一頭幾ばくの市価をもって政友会*13より同志会*14に売買されたるにあらず。これあるが故に旧主に裏切
りたる袁は勲功第一をもって大総統の尊きを得たるなり。日人の妄論するごとく兵力または政略によりて旧主と孫君とよ
り窃めるにあらず。これあるが故に国民ことごとく彼の治下に三年の安寧を求めて『乱徒』の誘惑に応ぜず、日支交渉の
事あるや国を傾けて彼と共に排日を敢行したるなり。日人の放言するごとく強圧の服従にあらず、治者の何人なるを
問はざる国民性なるにもあらず。実に軽薄驕慢*15なる軽侮論者のごとく一見不可解なる現下の支那政局は、しかく皮相観に
よりて穿たるべきものにあらざるなり。さらば問はん、支那自らがすでにしかりとせば今後再三生ずべき支那の動乱は単な
る政権争奪にして革命ならざるべしと。皮相観に従へばしかりと言はざるべからず。滔々たる論客、袁倒すべし革党
助くべしとなすものといえども多くこの政権争奪観の範疇を出でざるが故に、いやしくもすべからざる責任を国家に有する朝野諸
公の肯定に躊躇するはもとより当然なりと言ふべし。特に甚しきは日本に畏怖戦慄していささかの抗争の慨なき恐日病者袁
を排日主義となし、日本を専制国と侮る崇米患者孫逸仙を立てゝ親日を策せんとする説客のごとき、仮りに方便の致す
所とするも一国の頭首を隣強の威によりて易置せんとするもの。かかる援助はアメリカ思想の論理的帰着なるべきも、覚醒せ
る支那のふるいて排撃せんとする所なるはまた明かに推想すべし。不肖愚といえども新日本の一国民をもって誇とする者、いかん
んぞ後進隣人の権勢を争ふ走狗となりて危を踏み険を冒す者ならんや。実に革命なればなり。『排満革命』は『興漢
革命』の前提的運動にして、袁世凱に対する革命党の抗争は亡国階級と興国階級との革命的決勝の継続戦なればな
り。袁の個人的人格にあらず、以夷制夷*16的外交策の故にあらず、また民国を蹂躙して皇帝たらんとする騎虎の冒険家な
るが為めにもあらず。支那が排満の民族的革命を求めたるは同時に袁が代表する亡国階級の根本的一掃を求むるも
の。真の近代的組織有機的統一の国家を建設せんが為めの興漢革命を要求する者なればなり。一掃さるべき階級と
21
その代表者の覆没とは、支那が積弱割亡の禍根を排除してよく一国として存立し得るや否やを決せんが為めの革命に
して、−−すなわち排満は興漢の予備運動にして、微少なる袁・孫の交迭を意味せず。
 この将来の観測は袁が皇帝たることによりて動乱生ぜざるやの警告を発したる日本および列強に対して、袁がよく
忠実なる大総統たるもなお平和を維持し得べきやの反問となるものなり。是に対してしかりと答ふるものあらばこれ袁
世凱の人物を超人的に解するものにして敬遠争はざるを可とす。しかして多くの一般的皮相観は支那に騒動は止むを
得ずといふ程に笑過し去る。しかも隣国の治乱に休戚の責任ある諸公は、かかる無智を粉飾する放言に安ずるあたわざるべ
し。実に今の皇帝計画に支那の涙を呑むで服するゆえんは国家存立の為めに動乱を避けんとする真率なる憂慮より出
づるもの。袁を擁するの計画者らが割亡を免かるべく永久の統一を要すとして袁をもって弥縫せんとするは動機の同
情すべき妄動と解すべからざるか。もとより憐むべき弥縫にして容すべからざる妄動なるは論なし。しかして要するに
袁が皇帝たるにせよ、たらざるにせよ、今後支那に革命乱の免かるべからずとせば是に対する朝野諸公の態度は予じ
め今の時において定むべきものなるに似たり。しかもいかんせん第一革命当時における朝野挙りての無理解が日本自身の
為めにも隣国の為めにも無数無限の遺憾を残したる前例に鑑みて密かに僭越なる憂慮を抱かざるを得ざることを。
よって不肖は諸公が将来を観、将来に処するに一失なからんが為めに、いかに過去の革命運動の観察を誤り処すべ
きゆえんの途に踏み迷ひたるかの反省を請わんとして、ここに運動の経過せる跡を略説せんと欲す。これ前逃の革命思想
観が不肖一個の見解に止まるごとく、一外国人たる不肖自身の実見し得たる狭き範囲における運動の見解に過ぎず、
しかしながら不肖の革命党における秘密結社時代の立場と、革命乱中はその一中枢人物たりし故宋教仁君と相携へて長
江を上下し親しく離合集散の勢を視、全く渦中の人として南京政府の成立し崩壊せるを眺めたることゝによりて、
外国人としての過誤なき便宜を有するものなり。しかし諸公の知る所にしてここに語る所と異なるものあらば、そはことごと
く支那通らの遊侠的誇栄より出でし虚偽か官吏らの卓上観察による誤謬なり。この範囲における不肖の叙述は多く
正当なりとすべし。
 不肖はここに革命運動の跡を回顧するに当りて、まず支那軽侮観者と着限点を異にするを前置きせざるをあたわず。彼
らは排満革命が革命戦争と名けらるゝに係らず、一の記るすべき勝敗なきを見て罪を民族性に嫁し笑ふべき発火演習
に過ぎずと嘲罵す。不肖はこれに反して古今すべての革命運動が実に思想の戦争にして兵火の勝敗にあらざるを知る者な
り。フランス革命史において隣国の侵入軍と交へたる国際戦争を除けば、革命そのものの為の戦記に幾頁を認むべきぞ。革
命戦の死傷は大恐怖の虐殺数の百分の一にも過ぎざりしにあらずや。バスティーユ*17へバスティーユへの叫びは大濤の寄するごとくな
りしに係らず救出せし囚徒ただ手形偽造犯七人のみなりき。さらば支那の革命において放釈されし国事犯人が汪兆銘*18・胡
栄・孫毓[竹かんむりに均]君ら数氏に過ぎざりしを笑ふべき理なし。板垣老伯かって不肖に語ていわく、維新の革命は戊辰戦争に決せず
して天下の大勢が頻々たる暗殺の為めに決せられしに因ると。伏見街道の砲声に驚愕して榎本*19らの海軍を置き去り
に逃亡せし徳川将軍と、故張振武*20君らの煽起せし小兵の鯨波に胆を冷やして奔竄*21せし瑞徴*22総督と幾ばくの差等ある戦
史ぞ。会津城の砲撃と南京城の共れとは共に砲弾の命中せしことなき点において比肩すべき交戦なり。革命とは戦争
と別物にして、日露の国際戦争を満洲の野に眺めたる軍人と浪士とが南下して考較すべからざる対照の下に妄論す
るは誉むべきことならんや。不肖は実にフランスのそれを尊崇し日本のそれを誇示して、独り支那の革命に対してのみ
驕慢なる無智を暴露する今の論客を敬重するあたわざるものなり。革命史は戦記にあらず、したがってここに不肖の語らんと
するところは革命思想家の運動にして、その運動によりて起伏せる軍事的現象は多く留意せざらんと欲す。
 回顧は大観に止むべし。明治三十八年、内田良平・宮崎滔天*23二君らの斡旋によりていわゆる広東派*24と湖南派*25の合同となり
て『中国同盟会』なる秘密結杜は東京に成立したり。十年前の微力少数にして半覚醒なりし当時に於いて二省は革
命の先達としてあたかも維新前の薩摩と長州にも比すべし。薩長の反目が倒幕を挫折せしめその握手が維新の中堅たり
しに視るも、孫党と黄系との合同を策せる二君の功績は後の民国史を編すべき隣国史家の閑却すべからざる所なり。
しかしながら合せ物はついに離れざるべからず。孫逸仙君のアメリカ的思想は勢いその運動において余りに多く世界主義的な
るに過ぎ、黄興君の系統のむしろ排外的なる国家思想と距離はなはだし。すなわち同一目的の下にある機会に際して連合し得べ
きも一党として融合すべきものなりしやはもとより問題たりしなり。加ふるに『[九言]書』を著わして明の復興を唱へた
る章太炎の出獄して*26、三百年不世出の文豪たる雷名とその熾烈なる国粋的覚醒を齎らして来り投ずるあり。大陸的豪
23
雄譚人鳳の江畔一帯の哥老会匪*27を率いて負嵎虎睨*28するあり。当時その内紛が不肖の入党数月後に起りしをもって諸友は
不肖の行動に責を負はしめたり。しかも不肖は彼らの思想的色彩のようやく鮮明ならんとするを悦び、覚醒のおのおの向ふ所に
徹底せんことを望みて、あえて自己一身の非難を考慮せざりき。思想の異同に依る離合は気運の計らい以外に人工は
多く效なし。孫君が革命の始を為せりという広東独立案と、譚・黄らがおのおの企てゝおのおの破れたる明の復興運動とは、
すでに国家観念の根本において越ゆべからざる溝壑*29あり。さらに章太炎の鼓吹により日本的思想の普及によつて彼ら領袖
らの覚醒が深刻を加ふるに従い、孫君の世界的民主々義と他のすべての国粋的復古主義・国家民族主義とは当然に手を別
たざるを得ず。疎隔*30の事情は今日これを是非するの要なし。孫君の英米化せる超国家観をもってせばその追はるゝに当
りて、日本政府より出でたる数千金の餞別*31は亡命客に対する国際的憐憫とも解せられたるべし。しかも太炎の国粋的自尊
心をもってすれば孫君が留学生を率いて去るの威を示さざるを恨み、何ぞ阿屠物を密かにして喪狗のごとく追はるや*32
なして総理辞任を迫れるゆえんも解せらるべきなり。隔裂がいかんなる動機を仮りて来たりしにせよ、かくのごとき思想
傾向の両極的相異はすべての行為にことごとく相異を生じ、革命運動においてまた自ら撰ぶ所を異にせざるを得ず。大同団結的
気勢をそぎし当時一時の遺憾は、今日これを顧みるに各自の思想に基く運動の自由となりて大局の幸慶たりしものゝ
ごとし。
 寛大にして弥縫を事とする黄君は合せ物と考ふるよりも疎隔その事を憂慮したり。熱狂児張継*33君は当時すでに一党の
衆望を負ひて立ち、革命の前にまず革命党を革命せざるべからずとして排孫の第一先声を叫びたり。彼は党首のたの
むべからざるを視て自ら暗殺団を組織したり。太炎はその炎炎たる火筆を揮つて亡明の熱涙を留学生団の熱頭に注
ぎたり。四十年夏、黄君憂を抱いて南に去り故宋教仁は北の運動より帰り来れり*34。張君に導かれて来訪せる彼は交を
重ぬるに従いてその組織的頭脳と蘇張*35的才幹の誠に歎賞すべきものを具備したりき。彼は冷頭不惑の国家主義者にし
て生れながらに有する立法的素質はその集団を組織するの任に当りたりき。革命指導者らの最もよく覚醒したる当時
の一、二年間において、彼の完璧なる国家主義は太炎の国粋文学、張継の雷霆*36的情熱と相並んでいかに遺憾なく革命党の
理論と情熱と組職とを作り上げしぞ。しかも不幸は革命に伴ふ影なり黄君は鎭南関に再起する*37あたわざるべく破れたり。
汪兆銘君らは摂政王*38暗殺の成らすして終身の獄に捕はれたり。幹部にありし一員の翻へりて彼らの釜中に毒を投じ
て世を驚かしたるあり。隣国政府の委托によりてただ一の鼓吹機関たりし『民報』の日本官憲より永久に発行を禁止
さるゝあり。不肖の幸徳秋水*39氏に介せるが禍して張君の思想は意外にも無政府主義に奔逸しわずかに捕吏の手を免か
れてパリに逃れたるあり。
 かくのごとくにして孫去り黄去り張去れる後の中国同盟会は声焔の外に顕はるるものなく日本官憲の弾圧また甚しく
して、来り顧る一遊侠子だに無かりき。しかも故宋君の卓越せる組織的天性はこの間において著しく発揮せられ、深透拡
汎して止まざる国家的覚醒・民族的情熱はこの間においてほとんど一党一理想の健確なる結束をなし、実戦の教鞭に打たれて
愛国魂を鍛冶されたる軍事留学生は、またこの間においてその征服者と戦ふべき叛軍の訓練の為に続々として帰郷したり。而
して実に革命勃発の二年前、故宋君は団匪*40的豪雄老譚を擁立して徐ろに密かに愛国的革命運動の参謀府を主宰しつ
ゝあるを見たりき。かくのごとく不肖は少しく考ふる所を異にして孫去後の支那革命党の暗黙なる秘密運動に接近し
たるが故に、武漢爆発の運動につきて誤りなき真相を叙述し得べし。
 思想の相異は当然に運動の訣別なり。アメリカ的思想より出づる運動方法はその独立の密謀と共に英本国の抗争国た
るフランス人より多量の武器弾薬を給付されし便宜に習ひて、隣国の黙諾の下にそれらを密輸すべき『辰丸』を浮ぶること
にありき。しかして覚醒せる愛国者は日本が清国政府と何の抗争の利害なきのみならずその保全が犯すべからざる外
交方針たるをもってこれを一白昼夢となし、辰丸事件*41によりて被れるごとき国家的侮辱は彼らの愛国的情操より繰り返
すを許さずとしたり。もとより彼らは独立戦争と革命運動との学究的考察を経てここに出でたるものにあらず。またアメリカの
創設と支那の革命との比較的差別を発見して撰ぶ所を取りしものにあらざるは論なし。ただ彼らが支那人にして運動が
革命なりしが為めに、アメリカ人の行きし所と方向を異にして断岩絶壁の革命道を蹌踉として歩みたりき。すなわち叛逆の剣
を統治者その人の腰間より盗まんとする軍隊との連絡これなり。−−革命さるべき同一なる原因の存在は革命の過程
において同一なる道を行く。実に腐敗頽乱して統制すべからざる軍隊は古今東西、革命指導者のもって乗ずべしとする
所。彼らは全党の心血をここに傾注したり。フランス革命においてバスティーユを陥れたるときすでに近衛兵二大隊の援助を
25
得、国王をマルセーユよりパリの議会に引致するときスイス傭兵三百名の死守せし以外親兵護国兵のすべてが戈を倒ま
にしたる歴史を見よ。対岸の島国より一発の弾丸といえども密輸せられたることなし。維新革命において薩長の革党がその
の藩内の幾政争に身命を賭して戦ひしは蝸牛角上の争*42にあらず。その藩侯の軍隊を把握せずんば倒幕の革命に着手す
るあたわざりしをもってなり。攘夷せんとする外国の浪人よりゴウゴウたる助カを受けたることなし。支那が革命さるべき
ならは革命の途は古今一にして二なし。特に当時青年トルコ党*43の軍隊を味方とせる革命の成效はいかんばかり彼ら指
導者らを啓発したるべきぞ。彼らはアメリカ的夢想家が黄白二人種の二大連邦共和国と比較して自ら楽しむとは正反対
なりき。常に割亡さるべき悲惨なる対照として中亜の老大国を悲しめる東亜の青年党は、実に愕然としてトルコ革
命の実物教訓に蹶起したり。トルコと支那。青年トルコ党と中国同盟会。天下またかかる符節を合するごとき同似あ
らんや。斯のごとくにして半亡国の要求に没交渉なるアメリカ的夢想家と分離したる革命党領袖の多くは、さらにその革命運
動において外邦の武器を持たず外人の援助を仰がざる革命の鮮血道を踏歩したりき。四十三年夏、追はれたる孫君は
突として来り数日にして再び追はれたり。故宋君との会見は誠に冷かなるものなりき。不肖は当時親しく接近して
この数年間の思想的徹底より来れる革命運動のようやく正道に入りて躍進しつゝあるを視、分割の亡運あるいは彼らの頸血
によりて既倒に回らし得べきを待望したりしなり。しかして他方、幾多日本のいわゆる支那浪人らが置酒高歌して当時なお
廃銃払下運動*44をもって大に東亜の大策に参画しつゝある残酷なる滑稽を眺めたりき。この滑稽劇は頭山・犬養二氏を座
頭として翌四十四年、革命地方を興行し回はれる脚本の一コマなりとす。あゝ諸公。かくのごとくんば国士窮時の交によ
りて賓客たるべきも、革命運動の参与指導をもって誇負するは僭も極まれりと言ふべし。
 
 
 
* 1康有為:(こうゆうい)1858〜1927年。清朝の政治家・思想家。立憲君主制を目指す内政改革運動、変法運動の指導者。一時は光緒帝から改革を任せられる(戊戌の変法)。しかし西太后ら保守派の巻き返しにあい100日で挫折。光緒帝は幽閉され、康有為は日本に亡命。
* 2保皇党:保皇会のこと。康有為が亡命後に結成した立憲君主制樹立を目指す活動団体。康有為は支持を求めて世界中を飛び回る。
* 3龍袖:(りゅうしゅう)皇帝の側近のこと。龍は中国皇帝の象徴。
* 4絮説:(じょせつ)くどくど述べること。
* 5弥縫:(びほう)一時しのぎに補い間に合わせること。失敗・欠点を取り繕うこと。
* 6皇武合体案:幕末に有った朝廷(皇)と幕府(武)を一体化しようとする案。普通は公武合体案。ここでは康有為の政治思想へのたとえ。
* 7附権阿勢:権につき、勢におもねる。時の権勢家に追従する事大主義のこと。
* 8章太炎の大器にして袁の顧問たりし:章炳麟(太炎)は袁政権樹立後、袁の元に走り顧問となる。革命派の内紛に嫌気がさした事もあろうが、つまりこの人は孫文の共和制理想など関係なく、満人皇帝を排して漢人政権が出来れば良かった派。
* 9胡栄・孫毓[竹かんむりに均]:(こえい・そんいくいん)誰なんでしょう?調べられなかった。文章からすると初期に清朝打倒を掲げて終身刑を喰らった人のようですが。
*10籌安会:(ちゅうあんかい)袁世凱の帝政準備組織。
*11累卵:(るいらん)積み重ねた卵。転じて不安定で危ういさま。
*12梟奸:(きょうかん)梟=ふくろう。奸=悪人。荒々しく残忍で強い悪人。
*13政友会:首相を何人も出した戦前の大政党。
*14同志会:戦前の小政党。戦前には○○同志会がいくつかあってどれのことなのか不明ですが、時期と文脈から考えると尾崎行雄らが政友会を飛び出して新党作った時のものか?
*15驕慢:(きょうまん)おごり高ぶって人を侮ること。自身が有りすぎて、ぞんざいであること。
*16以夷制夷:夷を以て夷を制す。夷=外国人を卑しめて言う言葉。
*17バスティーユ:バスティーユ牢獄。フランス革命以前に政治犯を収容していた牢獄。民衆暴動によりここへの襲撃がフランス革命の発火点となった。
*18汪兆銘:(おうちょうめい)辛亥革命の指導者の一人。孫文と同じ広東派。皇族暗殺未遂事件を起こして革命勃発時は服役中。革命により解放された。
*19榎本:榎本武揚。幕末の幕府海軍副総裁。
*20張振武:(ちょうしんぶ)辛亥革命の指導者の一人。武昌蜂起に参加。う〜ん、あんまり資料がない。後で袁世凱が送った刺客に暗殺されるので重要人物だとは思うのだが。
*21奔竄:(ほんざん)走り逃げる。逃げ隠れする。
*22瑞徴:(ずいちょう)清朝の軍人。武昌蜂起時の湖広総督。
*23宮崎滔天:滔天は号で本名、宮崎寅蔵。孫文の親友。革命支援組織、革命評論社を主催。北は最初ここに入り、その関係で中国同盟会に設立から係わっている。
*24広東派:孫文が領袖だった興中会が中心。メンバーは孫文、汪兆銘、胡漢民など。広東を根拠とした南洋華僑を背景に持つ。華僑なので国際派。
*25湖南派:長沙で挙兵を計画して失敗、日本に亡命して来たグループで作った華興会が中心。メンバーは黄興、宋教仁、陳天華など。民族主義的傾向が強い。
*26章太炎の出獄して:章炳麟(太炎)は元、康有為の変法派だったが戊戌変法の失敗後、孫文と出会って転向。1903年(明治36年)光緒帝をけなす文章を発表し懲役3年。出獄後、日本に来て中国同盟会に加わる。
*27江畔一帯の哥老会匪:江畔は長江流域。哥老会(かろうかい)は政治的性格の強い秘密結社。反清復明が主な政治目標。匪=体制に背く賊のこと。ちなみに秘密結社というと日本では怪しげな組織のようですが中国では昔から色々な組織がある普通の存在。英語のシンジケートを秘密にした感じ。
*28負嵎虎睨:(ふぐうこげい)虎が山のくぼんだ角で威勢を張りにらんでいる。転じて英雄が要塞に割拠してにらんでいる。
*29溝壑:(こうがく)谷間。
*30疎隔:(そかく)仲が悪くなり付き合いが薄くなる。敬遠して隔てる。
*31日本政府より出でたる数千金の餞別:1907年(明治40年)3月、孫文をかくまっていることに対して清国政府から日本政府に抗議があり、政府は孫文追放を決定。その際に政府より六千円の餞別金が送られ孫文は受け取って離日。これに対して「外国政府に利用されるのか」との民族派からの批判が出て中国同盟会内紛の元となった。
*32阿屠物を密かにして喪狗のごとく追はるや:「阿屠物」は「阿堵物」の間違いで金銭の別称。喪狗=老いぼれた犬。金銭を隠して老いぼれた犬のように追われた。
*33張継:(ちょうけい)辛亥革命指導者の一人。早稲田大学に留学。元は黄興と同じく湖南派だが、章炳麟・蔡元培らの浙江派(光復会系)に接近。
*34黄君憂を抱いて南に去り故宋教仁は北の運動より帰り来れり:この時期、黄興は挙兵工作の為、華南へ向かっている。宋教仁は満州に馬賊工作に行き帰国。
*35蘇張:(そちょう)中国の戦国時代の雄弁家、蘇秦と張儀のこと。転じて、雄弁な人。
*36雷霆:(らいてい)雷のこと。
*37黄君は鎭南関に再起する:1907年10月の鎭南関の役。黄興・孫文らの革命軍が仏印(ベトナム)との国境にある鎭南関の三砲台を仏印から進入して占拠。しかし当てにしていた武器弾薬の貯蔵がほとんど無かったため清軍応援部隊が近づいた時点で撤退した事件。この時期、このコンビで他にも4件似たような蜂起失敗をしている。ちなみに武器弾薬がなかった原因は清朝の役人が購入費を使い込んでいたため。
*38摂政王:醇親王載[さんずい豊](じゅんしんのう さいほう)。宣統帝溥儀の実父。幼い溥儀が皇帝になると変わって政務を執る摂政王となる。武昌起義が勃発すると袁に組閣させてみずからは下野。
*39幸徳秋水:1871〜1911年(明治44年)ジャーナリスト、思想家、社会主義者、アナーキスト(無政府主義者)。北とは「国体論」が縁で一時期かなり親しかった。北が中国同盟会で活動していた時期は疎遠。「大逆事件」(天皇暗殺未遂事件)で刑死。(しかしまあ良くこんなこと書けますね。張継は自分が幸徳に紹介したらアナーキストになったなんて。大隈内閣はリベラルだとはいえ、これは政府要人に配る本ですよ。北一輝らしいといえばらしすぎるのですけど。)
*40団匪:(だんぴ)馬賊などの団結した賊。義和団事件の時、反乱を起こした民衆軍を反対者が賊徒と見なしてこう呼んだことから来ている。
*41辰丸事件:正式には第二辰丸事件。1908年(明治41年)2月、マカオ沖で革命軍向けの武器を満載した第二辰丸が清国軍艦に拿捕され国際問題になった事件。(ちなみに書いて無いし証拠も有りませんが、この書き方からすると私の勘では北は間違いなく関係者。武器を調達した側でしょう。だいたいこの本は北一輝の実録記です。中国同盟会での北のおもな仕事は革命のための武器・資金調達。)
*42蝸牛角上の争:(かくぎゅうかくじょうのあらそい)小さな世界の中の、つまらない争い。
*43青年トルコ党:トルコの革命組織。当時、東西の二大老帝国、清帝国とオスマン・トルコ帝国での革命運動の動向が世界の注目を集めていた。
*44廃銃払下運動:宮崎滔天らが革命軍に送る武器を調達しようとして、武器商人に騙されて使い物にならない廃銃つかまされてもめた件の事だろうか?(この本は北一輝の同時代実録記なので、北が係わって無かった事件の細かい点については不正確。)
 
 
 
 
 
 
    五 革命運動の概観
 
           愛国革命はすべてその始めにおいて排外党なり−−革命党が日本思想系なりと言うをもって親日
           主義なりと言うは全く没理なり−−革命党がある場合において最も強烈なる排日運動の中堅
           なるゆえん−−故宋は愛国革命の一指導者たるをもって孫系浪人に排斥さる−−故宋における
           不肖の立場−−間島問題において日本を挫きし宋の苦衷−−革党の借款拒斥運動−−新統治
           的心意を支配せる形なき中央政府『民立報』−−広東の失敗と逍声の大器−−『中部同盟
           会』の大運動と譚人鳳の人物評−−軍隊運動の手段−−黎元洪は元勲首唱にあらず、革党に
           捕虜となりて強迫せられたる者−−革党の世論運動と粤漢鉄道国有の導火線−−チュレリ
           ー宮殿と等しき北京城内の売国王−−四川より武昌長沙の烽火。
 
 革命運動は日本が行きフランスが行ける道を歩めり。運動がかくのごとくにして全党を傾けて軍隊との連絡に熱中す
ると共に彼らは自ら期せずして切迫焦眉の国家問題を提げて起てり。民主王権の争にあらず、自由平等の談理にあら
ず、実に禹域四百州の存亡問題なり。始めより愛国心を無視して本国を見捨てゝ移住せるアメリカ人のごとき国家に対する反
逆にあらず。まさに亡びんとする故国を累卵の危きに支へんとする彼ら愛国革命党においては、運動の目標が自ら国家
問題に集中するは要求の自然なる発現にあらずや。しかして故国の積弱割亡を救はんとする愛国党は積弱に乗じて凌
辱し割亡を迫促する列強に対してまた当然に排外党たらざるを得ず。これ封建政治を顛覆せしフランス革命が転進して
ナポレオンの侵略戦争となり、三百貴族を一掃せし維新革命党が外国船を砲撃せる薩長の団匪なりしごとし。武漢に発せし
支那革命党は北清事変*1の薩長的攘夷党が日本思想によつて合理化せられしのみ。すなわち一面娼楼酔舞の運動において軍
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隊と連絡せる彼らは、世論の広野に立ちて対外硬の火を掲げ愛国の鐘を鳴らし、全国に拡汎せる憂国的情操・愛国的
覚醒を大濤のごとく煽りたりき。
 この説明は換言すれば、日本が支那の恐怖たる時においていわゆる排日運動の中堅は、すなわち革命党なりと言ふことなり。
憐なる鶏よ、なんじが抱きし卵はついになんじの産める鶏なりしことに安んぜよ。日本の興隆と思想とに抱かれて孵化せる支
那の国家的覚醒は、三国干渉に対する臥薪嘗胆の大教訓を服庸すべし。日本がおのれに向つて強露たる時、俯伏して国を
売るべしとは日本に学ばざる所なりと言はん。自由国たるイギリスに生れし北米の自由民は自由の保護の為めにイギリスその
ものと戦へり。支那学によりて多くの啓発を得たる日本の忠孝道徳は後年支那そのものに加へたる征服となれり。日本的
愛国魂がようやく支那に曙光をあらわして彼ら革命党となれるにおいては、日本のある場合の処置に対して排日運動を煽起
するは、むしろかえって歎美すべき覚醒にあらずや。フランス学者なるが故に日露戦争を戦ふに日仏同盟の締結を夢みしもの
なし。ドイツ学派の将校なるが故に青島攻撃に勇敢ならざりしものなし。しかも独り支那革命党の多くが日本留学生た
り日本思想系のものなるをもって直ちに指して親日主義者となすはほとんど何のいわれぞ。日本が十年前の始めにおいて隣国青年
の教導を引受けしはもとより革命の意味ならざりしにせよ、支那自らが自立独行すべき一国家としての存立が日本の
利益の為めにも希望せられたるに基く。さらば彼ら青年が国家の栄辱に敏感となり国権の得喪に活眼を開き得たる
は日本の希望の満たされたるものにして、また実にアジアの盟主たらんとする教導者の誇にあらずや。同文同種と言ひ
唇歯輔車*2と言ふがごとき腐臭紛々たる親善論に傾聴すべく彼らははるかに覚醒したり。亡国階級を凌迫し慣れたる日本
の伝習的軽侮観をもって親善ならんには彼らは余りに愛国者なり。彼らは理解と希望とをもって両国の将来が彼ら自身
の統治と日本の改まれる態度とによりて親善なるべきことを期す。しかもいかんせん強者と弱者の親疎は弱者の心意に
よりて決せられずして一に能動的なる強者の態度いかによることを。すなわち革命党の多くが日本的思想家なりといふ
事は誠実なる親日主義者たりまた熱烈なる排日論者たり得と言うだけの事なり。そのいずれかの一たるは強者たる日本
の態度が決せしむべし。これを排日の物質的一小部分たる彼の日貸排斥につきて見るも数年前の辰丸事件に施せし
地方的それと、今春の日支交渉に対せし全国挙りてのそれと、強烈の差等に較ぶべからざる国家的理解あり。袁の
亡国階級の治下においてすらすでにしかり。日本的精華に錬冶されたる革命党の憂国者が統治すべき今後は予じめ想像に
堪ふべきにあらずや。これを要するに支那は十年前の支那にあらず。十年前の先入見より演繹を事とする官吏と支那
通との触れ得る所はただ支那の表皮にして武漢の一拳に亡ぶべき程に腐爛退廃せる亡国階級なり。その表皮を剥落して
代はるべき新統治階級、すなわち革命党および革命的青年は未だ彼らの視界より陰れたりしなり。為めに少々革命党諸氏
と交遊あるものすら革命党は日本に依頼し日本の呼吸の下に立国せんとする亡韓的親日党なりと誤断して顰蹙さる
ゝ援助を押売りするもの比比として然らざるなし。彼らは自ら認めて支那の通とすといえども、今日支那上下の凝懼*3が実
に『孫逸仙は李完用*4ならざるや』の一事に集注して、袁施策の妙諦また実にこの疑懼を基本とするをだに解せざるは何
ぞ。かくのごとくにして革命党を語り革命運動に参はり日支の親善を論ずるも憂国の士はついにくみせず。
 不肖が思想の糸を辿りて武漢革命の運動系統を考察せんと欲するはここに存す。孫君の民主的理想は天下これを知ら
ざるなく、たとえその理想が革命渦中の人の常として全然錯誤せるにせよ、他の経済的政治的論拠より漢民族の必ず到
達せざるべからざる国体として中華民国史の開巻第一章に特筆さるべきは後章に説述すべし。しかもその第二章に相並
んで亡国の支那が飢渇しつゝある現実的理想として故宋教仁君らの国家的理想の大書さるべきを深く留意せざるべ
からず。前者の革命運動は国際的にして外邦または外人の援助を受くるは正当なりとの信念の下に行はれ来りしが故
に自ら世界の了解を得易かりき。是に反して後者のそれは理想の国家的なるよりして愛国運動となり、したがって外人の
容吻*5を潔しとせず外国の援助のごときは万不得止場合といえども国権を毀損せざる限りにおいて受くべしとの熱情に基きて
行はれたり。為めについに未だ隣国においてすら行動の跡を窺知*6する機会なかりしは論なし。すなわち前者の他力本願的政
略が数十百の支那浪人を周囲に嘯集*7して声援万軍の如かりしに反し、後者の愛国的自尊心はついに彼らを結束せしめ
て排宋の一勢カたらしめしは止むを得ずとす。しかもこれがために革命党に対する智識ひいて対支政策の世論がほとんど
彼らの集団によりて作らるゝ今日、不肖は実に革命運動の真相が未だ全く日本に理解されざるを痛歎せざるを得ず。
革命中、上海総領事有吉君*8が一般に親日論者なりといふ宋君に漁夫の号を用いたる頃の排日論あるは支那人の反覆計
るべからずと論じて、失笑を抑制せる不肖に向つて官吏的軽侮観を浴びせかけたるごときあり。頭山翁が一国の任命
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権によりて決せる宋教仁君の遣日全権代表に代ふるに、支那そのものが存在を知らざる何天烱*9君をもってせん事を孫君に
勧告せるごときあり。いかに革命が愛国運動なるかの根本義より無智なるかを暴露せるかくのごとし。動乱政局の中枢
地において実見直聞せる代表的二氏にしてすらしかりとせば、それらの報告に拠るの外なき政府と彼ら浪人団に依りて動
きし世論とが、困惑迷妄の限りを極めたるも宜なりと言うべし。実に故宋君の愛国的自尊心が彼ら属邦観的援助者
と両立し得ざりしごとく、革命の勃発は決して彼らの伝習的軽侮観をもっては想像だもなし得ざる愛国運動によりて火
蓋を切りしものなり。民主共和にあらず、また自由平等にあらず。しかしてまた実に故宋君の革命史上における価値は彼ら
のかって察知せざるこの方面における一代表的指導者なることにありき。
 不幸なる生涯を彗星のごとく消えし友よ。彼が北京に入りて国民党を組織し正式大総統を決すべき総選挙*10において両
院に渡れる絶対過半数の全勝を占めて袁を威嚇し*11、武昌一夕の懼語黎を掌裏に円ろめて*12長江を下り来るや彼らは始
めて彼の光焔を仰ぎ視たり。革命家にふさはしき上海停草場の横死*13は前に讒誣垢罵*14せし彼らをして掌をひるがえすが如
く全革命党の運命を荷ひし偉人なりと激賞せしめたり。しかもかくのごとく表面に統率的状態の顕現せしならば、その以
前においてもまた等しく彼が革命党の国民運動を号令したることかくのごとくなりしなるべしと察知すべし。しかるを褒
貶ただ雷同する彼らは、これを支那の民族性と差等なき痴鈍なる集団と名けざるを得んや。不肖は彼らが評するごとく宋派
なるものにもあらず、彼の顧問にも参謀にもあらず。ただよく和しよく争へる同齢の一益友として他年の交遊ありしが為
めに彼の真価を他と異れる点に認むるものなり。すなわち不肖が彼に相容すべしとしたる一事は世人の言うごとき彼の多策
にあらず学識にあらず弁論文章にあらず。一にただ彼が一貫動かざる剛毅誠烈の愛国者なりといふことのみ。
 幽明を隔てたる*15今日において回想するに、実に彼の愛国心は存亡の危機に現はるゝ古人のそれのごときものありき。
四十一年日清両国に間島の争はるる*16や不幸なる愛国者はその熱誠の賜として、間島が朝鮮の領土にあらざることを明
記せる朝鮮王室編纂の古書数種を帝国図書館において発見したり。これ該繋争地が日本の領土にあらざることを日本
の材料をもって立証するものにあらずや。彼はその写を抱いて隣強の不法なる主張を挫くべくしかも不倶戴天の清朝を
助けざるべからざるジレンマに立ち迷へり。然るに一日本人のそれを日本政府に売りて革命の資を補ふべしと勧むる
に逢ふや彼は猛然として北京に郵送し終れり。十数日後の電報は日々清国の主張が彼の給付せし論証に基きて有力
に日本のそれを拒斥しつゝあるを報じ、日本は他の事情と相待ちて間島の領有を放棄したり。これ革命党の愛国党
なるゆえんが実際問題に触れて現はれたる事例に過ぎず。しかもかって犬養氏ら憲政党全盛時代に助けしと言う、広東の
独立のために台湾を根拠とするを得ば福建の鍵鑰*17は顧みるに足らずとせる明治三十三年頃のそれ*18と雲泥の相異に非
ざるか。後彼がこの故をもって日本官憲より清国の密偵のごとく迫害せられ、同志また猜疑して清室に結ぶは党を売るもの
なりと讒誣するに会し、ついに身の措処なきに至るや悲憤一夜胸を叩いて這裏の丹心、君知るのみと痛歎せし様の何ぞ
惨ましかりしや。こいねがわくは諸公。斯のごとき彼と血盟せしが故に不肖を売国奴なりと誤認せざるべし。不肖は十年前
『国体論及純正社会主義』の一著書を禁止されしことありといえども、当時万国社会党大会が日露戦争の反対決議をな
せしに対し、思想の自由は万国の名をもってするも犯さるべからずと自序して自ら信ずる所を屈せざりしもの。しかして十
年後の今日、最も空想的なるフランス社会党といえども欧洲の大戦乱に非戦論を唱ふるものなきを見て、時流に迎合せざる国士の
分を全ふしたるを自ら足れりとするもの。滔々たる贋造愛国者の間に処して不肖自身の愛国心の尊厳の為めにも、孤
憤苦闘せる彼の愛国魂を擁護せしは日本が産める小僧なりしが故のみ。要するに革命党の愛国運動を指導したる故
宋君は誤解されたる意味における親日論者に非ざりしなり。
 実に愛国運動は斯のごとき先覚者の血涙に滴りつゝ国家的覚醒が奔流のごとく全支那に漲るに従いてようやく世論の潮頭
に起てり。支那の憂は北境よりする日露の武力的分割と、英・米・独・仏が清室と結托してする経済的分割の二あるのみ
にして他無し。その一に対して対外硬を唱ふる彼および革命党は、当然に経済的分割を策するストレートの四国借款*20
向つて頑強なる排外運動を試みざるべからず。四十三年彼が上海に僭みて故范鴻仙・千右任の二君と共に『民立報』*21
を刊して、満洲の租税徴収権を担保とする該借款に死力抗争せしは讃美すべき一貫の行動にあらずや。売国階級に取
りては日露の武力的侵略を防ぐに四国の資本を招致するは夷をもって夷を制する伝来的外交策と考へたるべし。まさに
興らんとする新統治階級はこの四国の挑戦をもって二国の結束を促がすものとなし*22、二国対四国の勝敗がいずれなるにせ
よ満洲のついに割断せらるべきを見たり。章太炎と雁行せる国粋的覚醒の先達干右任君と、不肖の常に生ける王陽明*23
31
を見るごとしと敬重措くあたわざりし故范鴻仙君と、彼れ宋君との一体的奮闘は、いかに世論の向かうべきを導き一個断
々なる決意を全国の新知識階級に与へたりしぞ。偉人の価値はただ国民に与ふる決意一に存す。これ薩長浪士の二、三
子が各地より集まれる浮浪武士の集団を京都に決意せしめ、ついに各藩の革命軍を煽起せしめたると同様に考ふべし。
革命とは政府と世論とが統治権を交迭する事なり。しかして上海は当時全支那世論の神経中枢たりし事なお維新前の京
都のごとし。実に革命生起前においてすでに彼らの所説はことごとく各地の各報に転掲せられて陰れたる新統治階級の心意に号
令したる形なき中央政府として統治したり。これ『民立報館』*24が後革命起り各省都督立ちて未だ新中央政府成らざ
りし期間、各省海外より雲集する電報の集中点たりし奇観にも想察し得べし。したがって四国借款に反対せる故宋君は誤
解されたる意昧における排日論者にあらず。漁夫の名をもってしたるは日本に感謝されんが為めにも恐怖したる故にも
非らずして、教仁をもっては捕斬さるべき身なりしのみ。あゝこれをしも翻覆常なき民族性なりと嘲罵するや。
 解説す。革命運動の軍隊連絡は洪水のごとく長江一帯の各省に浸汎せり。革命家の本質たる年少血気はその辞書に
『待』の一語を欠けり。時機の熱否は史家の後世にこれを論ずべきも、これ劇中の人の察すべきにあらずして知るものは
天のみ。四十四年三月黄興の招きに応ぜる革党書生の一団は広東の勃発*25において破れたり。この一敗のいかに後の革
命党に禍せしかはほとんど量るべからざるものあり。花顔熱陽の幾多丈夫児は武装せる十万の壮夫をもっても償ふ能はざ
る貴き犠牲なりき。『北において呉禄貞*26死せず、南において趙声*27没せずんば今日孫愚袁奸を見ざるべし』と惜まるゝ程の
趙声は死せり。聞く彼は宋君が哭して我は覇才なり奉すペき王者なきをいかんと言へるほどの大器なりき。孫・黄を掌
上に翻弄する陳其美*28君の策士をもってするも彼の一言に背かざりしといふほどの王徳なりき。故范君が不肖に語りて、
その始め従ふに不平なりし黄興が一会たちまち心服し悦んで命を仰がんと誓ひしごとき天命をうけたる統御のヒーローなり
き。これらの犠牲を払ひて彼らは破れたり。軍隊の内応運動に任ぜる胡漢民*29の家兄君が責任あるや否やは言ふの要な
し。この悲痛なる事実は革命運動が軍隊運動ならざるべからざる活ける教訓なりき。幾多盟友の屍を棄てゝわずかに
逃れたる黄君の沮喪*30して再起の勇なかりしといふは人情察すべきにあらずや。彼の人物が大局を視るの明を欠くは不
肖の熟知する所なれども、この時に一指を失ひしの故に死の怖るべきを感ずるごとき怯者にあらざるはまた固く保証せん
と欲す。かくのごとくにして多涙多恨なる黄興は盟友流血の地に低徊*31して香港を去らず。後れて至れる故宋はようやく生
き残れる胡服辮髪*32の老譚を擁して愛国運動と軍隊運動の中枢、上海に帰り釆れり。
 かくのごとくにして前年東京における彼と孫君との冷かなる会見、一民主的夢想家と国家的思想系との事実上の分
離がわずかに黄興という一個の人によりて弥縫し来れるに係らず、孫君の故郷たる広東において孫系の人の軍隊内応を誤
れるより生じたる幾多犠牲の出現は、弥縫者を香港に放置して長江一帯に一党を結束せり。『中部同盟会』*33これなり。
形式を中国同盟会内の一党に仮りて大合同の障害を避けたるものゝごとし。しかしながらその盟主たりし譚人鳳は外国思
想にいささかの影響だにせられざる純乎たる大陸産の豪雄なり。彼自身は驚くべき博覧強記の読書家なるに係らず、彼
の革命伝は青年読書生の一団をもって崑崙山なるものを組織し中清南清の大勢力たる哥老会の各山*34を統一し覚醒せし
めもって興漢を策せる一見はなはだ古怪なるものなり。しかも支那の気運が一般書生にこの大陸に磅[石薄]せるその自身の国粋的覚
醒を喚起せしをもって、僅少の年月中に日本の輸入思想を排満革命に消化し得たるを解せよ。さらばこの気運の権化
たる彼の下に愛国革命党の包容せられたる理由を想像し得べし。彼の人物は堕落せる支那人が持てる不徳のすべてを
正反対にして持てる支那人なり。すなわち東洋魂が大陸に腐敗して支那人となり島国に洗練されて日本人となれるごとく、
換言すれば彼は頑固なる日本古武士なり。しかしてまた腐敗堕落せる大陸より東洋魂が復活して革命党となり躍動して
革命運動となれるゆえんを解せよ。然らば鼎鑠甘きこと飴のごとし*36とする彼の決死的実行の下に革命党の実行分子が統
一されたる理由もまた諒察し得べし。これを要するに宋君ら国家主義者の集団が国粋的団匪的権化たる彼を党主として
結束したることは事情の偶発または一時的連合にあらず。実に犠牲心の共鳴と同類なる思想系の合理的融合なり。しかし
て中部同盟会に入るものは彼を盟主とし彼に宛てゝ誓盟せること、あたかも中国同盟会に入るに孫君に宛つるごとくなり
しに見よ。二系統の間は将来ある機会において提契し得べき条件附の分離なりしことはおおふあたわず。
 彼らはその軍隊との連絡運動*37において大隊長以上に結托せざることを原則としたり。革命さるべき程に堕落せる国
においては大隊長以上の栄位にある者はことごとく飽食暖衣の徒にして冒険の気慨なきはもとよりなり。特にすでにかかる栄位を
得たるは軍功学識にあらずして一に請托贈賄の賜なるが故に、その関係上直ちに反覆密告に出づべきは推想し得べし。
33
彼らはまた大隊長以下に連絡するにおいても下級士官に働げる手と、兵士を招ぐ手とを互に相聞知せざらしむることを
規定したり。かかる複雑煩累なる手数を重ねずしては陰謀の漏洩を保つあたわざるほどに道念の退廃し国家組織の崩壊
せる支那の現状を察せよ。黎元洪*38がその一隊を率いて『大義の首唱者』たりしかのごとき顛倒事を信ずる日本人は秩
序整然たる維新後に生れて、師団長より連隊長に連隊長より大隊長に命令するかのごとき類推を為すが故なり。かって
太陽が西より出でざるごとく古今革命が上層階級より起れることなし。黎は彼らの運動が顛覆さるべく彼らの密告者
たるべき飽暖階級の者にして、当時彼らの運動が連絡を禁じたる旅団長の身なりしなり。咄嗟蹶起して彼を脅威迫
擁したる故張振武・蒋翊武*39君は当時実に曹長の下級士官にして孫武・劉公・楊玉如*40の諸君との連絡に出でたるものなり。而
して見えざる他の手より結ばれたる兵士らは下級士官の蹶起が他の手より煽られたることを知らずして黎を主謀者
と誤認して集まりしのみ。『辮髪を断つか、首を切らるべきか』を威嚇せられ、左右より差尚けらるゝ拳銃の監視の
為に兵士の発砲を制止するあたわざりし彼と総督瑞徴との差は、一が即夜城を捨てゝ奔竄せしに反しこのは逃亡の隙を
得ずして捕虜たりし相異のみ。革命史のレコードを破れる副大総統閣下よ。天の執筆せるコメディーの脚本*41は日本浪
人団の登場によりて申分なき名優を得たり。彼らはかかる噴飯すべき副大総統の輝ける武昌の空を眺め、孫君の南京
に拠り袁の北京にあるを顧眄し、もって妓を擁し盃を傾けていわく、天下三分せりまさに鼎立の計を策すべきなりと。言
う所の南北講和なるものかかる通俗三国史に養成せられたる痴鈍なる孔明諸君によりて理解さるべからざること、あたか
も維新革命における勝・西郷のそれが時代を隔絶せる元亀天正の軍談をもっては説明されざるがごとし。是を要するに革
命党領袖らの軍隊運動は広州の戒を機として明白に孫系と分離し、武漢勃発の一例に察し得べきごとく長江上下の各
省にわたりて軍隊の下屠階級に堅確なる連絡を拡げつゝありしなり。
 再び解説す。革命党の愛国運動は一面の軍隊連絡が斯のごとく各省の地下層を流れつゝありし間において天人共に容
るさゞる国家問題を捉へたり。老譚を『連絡部長』とし『文事部長』なる名をもって諸省同志の声息相通に当りし宋・
范の二君はすでに『民立報』に拠れり。−−二君共に前後して凶匁にたおれ譚翁独り老いて寿きを悲しむ。春広東に敗
れたるこの年は秋武昌に発せる四十四年なり。革命は動き世論はまさに政府に代りて統治せんとするの時なり。しかして
民立報に陰れたる文事部長らの愛国論は『形なき中央政府』の号令として全国新統治階級の憂国心に共鳴し政府も
世界もその響だに聴かざる声を天の耳に達せしめたり。天はついに許すべからずとして人の容るすあたわざる国家問題を
革命党に授けたり。すなわち四国借款の契約に基ける粤漢鉄道*42の国有これなり。こいねがわくは諸公。皮相観に誤られて国有民
有の学説に陥り給ふなかれ。問題は可否の卓上にあらずして存亡の根本に存す。また利権回収の支那に有利なるや否や
の打算論に傾聴せざるべし。愛国的覚醒は古今すべて攘夷的形式の胞衣に包まれて産るゝ者なり。高輪の公使館を焼
打ちせる井上・伊藤らの団匪的精神*43あるをもって彼ら自身の欧化政策にも国を亡ぼさゞりしを解せよ。さらば盛宣懐*44
四国借款をキッカケに爆発したる排外党の譚人鳳が直に彼につぎて粤漢鉄道督辧たりしを皮相観に従いて批判せざ
るべきを信ず。攘夷党に取りては公使館の建築だに見るに忍びざりき。借款が我大陸国を割亡しつつあるに奮起せ
る彼ら愛国党においては外債の利害は打算だも潔しとせざる所なり。関門海峡に黒船を打払ひたる団匪*45は後世に感謝
せらる。粤漢鉄道は攘夷論より遙に進みたる愛国的覚醒によりて国民自身の膏血をもって回収したる利権*46なる事を回
想せよ。フランス革命において王の売国行為は自家の安全の為に亡命貴族を通じて国家分割に同盟せる列強侵入軍を招
きたり。支那の革命において借款が国を売る者なりとの実証を国民の耳目に提示するあたわざりしは論なし。彼において
は国民の耳、国境を破れる敵蹄の響を聞き、市民の眼、首都を距る四十哩の間に迫れる剣戟の閃光を見たるものなり。北
境における日露の武力的分割軍を見てようやく日本に学ぶべきを悟りし以外、清朝の覆へすべきをその当時に発見せざり
し程度の国民にあらずや。皇族大臣らの浪費に消ゆべきストレートの四国借款がついに満洲を売買するものなりと警告
する先覚者の声は裂帛杜鵑*47の血に叫ぶとも、国民の肉感に見聞するを得ざる将来の予言に属す。従つて、単に買方
の将来を恐怖するに止まり、未だ売方の北京城そのものがテュイルリー宮殿*48のごとく破壊さるべしとの激怒を喚起するに至
らざりき。しかも四国借款は満洲の北よりさらに中原に延びて粤川漢鉄道*49の上におおひ来れり。盛宜懐は革命党の予言す
る国家売買の将来がいかんなる状態なるかの実証を示さんとするものなるかのごとく民有の株券を没収し始めたり。その
の国有とは人民の成せる国家が所有者たる意味にあらずして征服者の財政破産の為に四国に売らんとして今人民より
掠奪する者なることを目に視耳に聴かしめたり。国民は利権回収の故に血を絞りて持てるものを奪はれつゝ始めて
35
テュイルリー宮殿の売国奴を発見したり。『市民よ国危ふし』。民立報は世論の鐘楼に登りて存亡の急を乱打したり。
はるか北の方を指せる愛国運動者の指揮刀は転じて蜀の天に向へり。四川乱る。革党の軍隊運動は武昌に突発したり。が
長沙応ずるにいたって両湖の中原火を噴くごとく、愛国運動はついに諮政院*50の弾劾となり盛宜懐は北京を亡命せり。万里長
江の雲黒うして革党の飛躍電のごとし。
 
 
 
* 1北清事変:義和団の乱のこと。
* 2唇歯輔車:(しんしほしゃ)利害関係が密接で、互いに助け合わなければ共倒れになるような関係。
* 3凝懼:(ぎょうく)凝=うたがう。懼=おそれる。
* 4李完用:(りかんよう)李氏朝鮮末期の政治家。日韓併合条約を調印したときの内閣総理大臣。
* 5容吻:(ようせつ)吻=くちびる、転じて口ぶり。辞書にない。甘言のことか?
* 6窺知:(きち)密かにうかがい知ること。
* 7嘯集:(しょうしゅう)嘯=うそぶく。呼んで集めること。
* 8有吉:有吉明(ありよしあきら)。中国畑の日本の外交官。戦後には駐中華民国大使になっている。
* 9何天烱:(かてんけい)中国同盟会員。詳しいこと不明。
*10総選挙:1913年(大正2年)中国初の衆参総選挙。宋教仁率いる国民党が両議院で過半数を占める。(絶対過半数と書いてありますが実はぎりぎり過半数。ただしその他は小党乱立気味。)
*11袁を威嚇し:総選挙で臨時大総統、袁世凱率いる共和党は惨敗。国民党は大総統権限を制限する憲法採択を画策。
*12武昌一夕の懼語黎を掌裏に円ろめて:武昌で一日、黎元洪を脅かして丸め込んで・・・、の意味だと思う。
*13横死:(おうし)思いがけない災難で天寿を全うせず死ぬこと。不慮の死。
 宋教仁は1913年3月22日、上海の駅の停車場で袁世凱の送った刺客により射殺された。享年32歳。
*14讒誣垢罵:(ざんぶこうば)讒誣=有りもしないことを言って人をののしる。垢=あか、よごれた。罵=ののしる。
*15幽明を隔てたる:幽明=あの世。あの世とこの世に分かれたこと。
*16四十一年日清両国に間島の争はるる:間島(かんとう)問題のこと。間島は中朝国境を流れる豆満江の中洲島のこと。元々豆満江が流れ出す白頭山一体は清朝祖先地として封禁地だったが、日清戦争に敗れて清朝が弱体化すると朝鮮農民がかってに豆満江を越えて進出開墾。中朝国境線が曖昧な物に。この為、朝鮮併合をした日清間で国境問題に発展した。間島は国境問題の象徴。
*17鍵鑰:(けんやく)筒型の錠前。
*18明治三十三年頃のそれ:何のことでしょう? 孫文が台湾総督児玉源太郎と密約を結んで、広東挙兵の援助をしてもらっていた件と見た。この時、孫文は日本側の廈門一部の割取案を革命のためならやむを得ずとして受諾している。
*19這裏の丹心:(しゃりのたんしん)這裏=この間。丹心=まごころ。
*20四国借款:イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス4国による清朝への借款。この時期、清朝は日清戦争・「義和団の乱」の為の各国への賠償金支払いのために財政が逼迫。その為の借金申し込み。担保は各地の鉄道施設利権、塩税・関税などの租税徴収権。この欧米列強の経済進出により中国は半植民地化。
*21『民立報』:1908年(明治43年)から刊行された革命機関誌。宋教仁・范鴻仙・譚人鳳など湖南派の中国での活動拠点となる。
*22二国の結束を促がすものとなし:日露戦争後、日本とロシアは列強の経済進出に対して利害が一致し、中国利権を回る4度の日露協約を結んで知る。
*23王陽明:(おうようめい)中国明代の儒学者。朱子学を批判し、陽明学の創設者。
*24『民立報館』:『民立報』を発行していた民立法社の建物。
*25広東の勃発:黄花岡事件のこと。これまでの秘密結社による少数挙兵、要害に立てこもって寝返りを待つ方式が全て失敗したため、革命派は初の本格的挙兵計画を立てる。全国から党員を集め武器も相当数用意。新軍の寝返りも計画に入れたかなりの準備をした広東挙兵計画だったが失敗。挙兵した革命軍は散々の敗北となり全員四散。生き残りは黄興以下少数のみ。その後、壮烈な戦死をした72遺体が黄花岡に葬られる。しかしこの壮烈な戦死は全国の革命派に衝撃を与え、翌年の辛亥革命につながる。
*26呉禄貞:(ごろくてい)1880〜1911年(明治44年)北洋軍閥の軍人。日本の陸軍士官学校卒。辛亥革命勃発時、北方の軍を率いて革命軍に呼応する動きを見せるが、袁世凱により暗殺される。
*27趙声:(ちょうせい)1881〜1911年(明治44年)。清朝の新軍革命派軍人。中国同盟会では孫文と対立していた光復会の中心的人物の一人。黄花岡事件の中心人物。かろうじて生き残った少数の一人だが、直後に盲腸炎で急死。
*28陳其美:(ちんきび)1878〜1916年(大正5年)。辛亥革命指導者の一人。日本留学組。孫文の右腕的存在。後に袁世凱の送った刺客により暗殺される。
*29胡漢民:(こかんみん)1879〜1936年(昭和11年)。辛亥革命指導者の一人。法政大学へ留学。孫文と同じく広東派。孫文死後は国民党の要人。黄花岡事件の時、軍隊にいた兄が部隊毎寝返る予定だったが恐れをなして動かず。それぐらいボロボロの挙兵だった模様。
*30沮喪:(そそう)気力がくじけて元気をなくすこと。
*31低徊:(ていかい)考えや思いにふけって、ゆっくりと行ったり来たりすること。
*32胡服辮髪:(こふくべんぱつ)胡服=満州人の服。辮髪=頭の周囲を剃って中央の髪を長く伸ばして三つ編みにする髪型。当時の中国人の一般的服装ですが、両方とも元々清朝時代に満州人の服装を忠誠の証に漢人にも強要したもの。それに反発して革命派には辮髪を切って洋装する人が多かった。
*33中部同盟会:一応中国同盟会上海支部なのだが日本の中国同盟会の方はすでに人がいないので以後の革命運動の中心はこちらに移る。孫文が中心だった中国同盟会とは違い、宋教仁・范鴻仙・譚人鳳など湖南派が中心。
*34哥老会の各山:哥老会は秘密結社と言っても秘密の同人会みたいなもので強制力のある強い組織ではありません。よく調べられなかったのですが、その各地の支部を○○山と言っていたのかな?
*35磅[石薄]:(ほうはく)生気が満ちあふれること。
*36鼎鑠甘きこと飴のごとし:鑠(しゃく)=溶かした金属。鼎の中で溶かした灼熱の金属でも水飴みたいなもの。恐い物知らずの火もまた涼し的な心意気。
*37軍隊との連絡運動:要するに軍隊の寝返り工作。
*38黎元洪:(れいげんこう)1866〜1928年(昭和3年)清朝の軍人。辛亥革命後の南京臨時政府大元帥。袁世凱政権では副大総統。
*39蒋翊武:(しょうよくぶ)1885〜1913年(大正2年)張振武と共に清軍内の革命内応者。第二革命のとき討袁に失敗して刑死。
*40孫武・劉公・楊玉如:(そんぶ・りゅうこう・ようぎょくか)三人とも武昌蜂起の時に中部同盟会から派遣されていた革命工作員。
*41天の執筆せるコメディーの脚本:この辺の事情をもう少し詳しく説明すると、武昌蜂起事態が計画された物ではなく偶発的に始まってしまったが、軍の兵士のほとんどがこれに呼応して蜂起は成功。総督の瑞徴は打つ手が無くて上海に逃亡。しかし革命派も指揮を執る人材がいない。そこで逃げそびれて知人宅の地下室に隠れていた黎元洪を拳銃で脅して湖北省都督に付けて秩序を回復した。確かに北の言う通りコメディーだな。黎元洪自身は確かに兵士からの人望も厚く名将としての名も通っていたが、革命とは無関係の生粋の軍人。ただしリアルタイムの報道では彼の名前が出ていたので一軍の将が寝返った革命の中心人物と見られていた。
*42粤漢鉄道:(えつかんてつどう)漢口と広東を結ぶ鉄道。
*43井上・伊藤らの団匪的精神:明治の元老井上馨と伊藤博文は、尊皇攘夷運動の志士だった時代、高輪にあったイギリス公使館焼き討ちに参加している。
*44盛宣懐:(せいせんかい)1844〜1916年(大正5年)清朝の官僚・実業家。1911年(明治44年)、清朝の財政難解決のために鉄道国有化政策を計る。
*45関門海峡に黒船を打払ひたる団匪:1864年、尊王攘夷派の長州藩が関門海峡を通る外国商船に対して砲撃を加えた事件。これから下関戦争に発展。
*46国民自身の膏血をもって回収したる利権:粤漢鉄道の施設権はベルギーへ売り渡されていたが、国民の間より利権回復運動が起こり中国人資本家が買い戻していた。
*47裂帛杜鵑:(れっぱくとしゃ)裂帛=絹を引き裂く音。杜鵑=ホトトギス。転じて女性の悲鳴。
*48テュイルリー宮殿:フランスの宮殿。フランス革命の時に国王一家が閉じこめられた場所。
*49粤川漢鉄道:粤漢鉄道(広東−漢口)と川漢鉄道(四川−漢口)。特に川漢鉄道会社は四川の広範囲な民衆から集めた資金で組織され建設中だったため、鉄道国有化令は四川で大規模な反対運動が起こり暴動に発展した。
*50諮政院:たぶん清朝末期に作られた立憲制準備の為の議会、諮議局と資政院がごっちゃになっている。諮議局は1909年(明治42年)に作られた省ごとの地方議会。選挙権は中産階級以上。資政院は1910年(明治43年)に作られた国会に当たる物で、メンバーは諮議局の1/10、皇族、貴族、官僚、大資本家などを定数を決めて選抜。ただしあまり権限が無い上に、鉄道国有化もここを通さずに決められた。
 
 
 
 
 
 
    六 革命渦中の批評
 
           革命爆発において孫・黄・譚・宋らことごとく計画者に非らず−−四川の動揺と長江各省の爆発すべき気
           運動く−−爆弾破裂より起れる武昌の挙兵−−一日本人だに革命に関係なき論証−−その
           証明として上海奪取の実見談−−日本人の倫理的共鳴をもって革命援助と誇るなかれ−−東京
           公使館の占領に東京市民の無関係なりしごとし−−革命党自ら号令者たるべき規定−−武昌
           において老譚が自ら指揮者たらざりしよりの根本的失策−−宋の軍政府組織に随はざりし黄
           興の失策−−黄の敗走は明の暗きに出づ−−宋の南京占拠方針−−敵城出入中において実見
           せる彼らの興国的冒険的気魄−−支那悲観論者は徳川時代の日本観をもって亡国を類推せる
           外人のごとし。
 
 不肖はここに外人の身をもって彼ら革命家の勲等を審判する者にあらずまた要なき事なり。しかしながら動かすべからざ
る一事は、かくのごとき思想系の分離と運動手段におけるかかる截然たる訣別より推して、少くも孫逸仙君が一九一一
年の革命においては全く局外者なりといふことなり。これ彼自身の承認する所にして後の史家もまた論証すべし。特に
当時彼はアメリカの遠きにありしが為めに、支那浪人らの臣事的吹聴に聴くごとくはるかに四百余州を指揮したりといふ超
人的解釈は肯定し得べきものにあらず。革命とは国家の統一なく社会組織の崩壊せる国民に起るもの。未だ新国家新社
会を成さざる前に、かかる有機的統一と組織とを持てるものゝ存在して、西半球の果てより東半球の治乱を号令したり
とは人類の頭脳をもっては思考すべからざる事なり。また故宋君が事に会する毎に不肖に繰り返へしたるごとく、武漢挙
兵の一週日前より日々老譚が武昌に行くべしと迫りしに係らず遷延、機を失せしを終生の恨とすといふとも、史家は
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これによりて勲等を憐むものにあらず。はたまた老譚は宋君の決せざりしに焦心して自ら南京の病院を出で薬瓶を携へ
て遡江しつゝありし間に張・蒋君らの蹶起せしを画策の齟齬と感じたるべきも、これらしく天がその豪快なる老翁に
戯れたるものにして勲等とは交渉なき事なり。勲功は天の認むるものあるべく等級は運命に決せらる。しかしながら
要するに彼ら愛国党の一団が全国の世論を粤川漢諸省*1の売国問題に指導し集中せしめて全国民に国家存亡の危機を
指示すると共に、湘・蜀*2動揺の機を捉へて括躍したる経世的大局眼と興国的気魄とは、不肖実に掌を鳴らして歎賞せ
ざらんと欲するもあたわざるなり。彼の剣に杖いて来れるの徒にいたっては、もとよりこの微妙なる爆発期に交渉あるものに
あらず。
 四川の諸友は常に語りていわく、革命は蜀人に始まり蜀人に終ると。これ四川の騒擾をもって革命の始を為し清朝の
柱石良弼*3を北京に爆殺して皇帝退位の終をなせしものまた実に四川省の出なりし誇を意味するものなり。不肖は身親
しく革命の渦流に漂ふに及んで維新革命を説明せる板垣老伯の言が同時に支那の革命を解釈しつゝありしを切実に
心解したり。革命は戦争にあらず大勢の決定なり。誠に蜀人の誇りとするごとく四川の乱をもって革命の幕は切り落され、
長江の舞台はまさに俳優の登場を待てり。陜西に発すべきか、湖南に起つべきか、安徽・江蘇に乱るべきか、はた四川
その地より兵を挙ぐるに至るペきかはただ時日の問題にしてもとよりあえて武漢を必せざりしなり。これ当時不肖の親しく
各省諸友の語る所に聴きかつ前述の思想的覚醒と彼らの運動とに察して明かに推想したる所なり。しかして事実は雄
弁に立証して諸省の挙兵自立する前後通じて僅々月余の日子を要せざりしなり。いかんぞ軽侮を事とする皮相観が見
るごとく単なる雷同によりてしかるを得べく、また臣事的吹聴者の言うごとく一夢想家の太平洋の彼岸より発したる命令に
よつて斯のごとくなるを得べき理あらんや。これ気運の至れるのみ。しかも機の熟否を知らざる劇中の人はなお漢口ロシア
租界の支部において爆弾の密造に熱中したりき。天は機の熟せるを示さんが為に密造者の手よりそれを奪ひて床上に
投じたり。轟然たる爆声。孫武・劉公・楊玉如の諸君は大事洩るとなして脱兎のごとく逃れたり。逃れたる背後より捕縛
の手は来り結社員の名簿を押収せられたり。かかる時簿冊を置き忘れたる彼らの狼狽を責むるに酷なるべからず。是
れまた天の意あつて奪へるなからんや。故宋君が武昌におもむかざりしを終生の恨事とすとも天意計るべからず。彼、張人
傑、張斗枢三君の商買を装ひしといふ『賓慶公司』の隔壁より*4爆発せるこの変事において、彼がごとき不運の星の下に産
れたる児はあるいは逃るゝの機を得ずして無名の首を梟木*5にさらしたるも知るべからず。老譚地を蹴つて計策の齟齬を叱
咤する事なかれ。天意なんじをほからしめて亡命の異域に憤死せしむるにあり。
 かかる一瞬時、実に興亡の転機を視る。溌溂たる興国の気は磅[石薄]してすでに革命的青年の心胸にあり。軽侮観者が見聞
する亡国階級の支那人なりしならば、押収されたる名簿中の人、故張振武・蒋翊武君らは当時漢口にありしが故に直
ちに逃亡して身の全たきを選ぶべきにあらずや。一曹長に過ぎざりし彼らが気運を察し大局を算して然かりしかの
ごときはもとより想像を入るべき動機にあらず。彼らは孫武らの急を告ぐるに会すると共に、いかにして名簿中の諸友を
救ふべきかのみを協れり。興国の気は青年の冒険のみ。彼らは孫・楊・劉諸君とともに即夜江を渡りて武昌の軍営に帰
れり。簿冊が黎元洪の前に運はるゝより前きに、彼らは黎を逃るあたわざるべく擁捕したり。逃れたる瑞総督のなき
武昌城は冒険家の支配に落ちたり。彼らは黎の温良厚順なる好々翁なると兵卒の親愛を受くるとにより、彼を推挙
して諮議局*6におもむき擁立してもって革命を宣せんとしたり*7。可憐なる『大義の首唱者』は服を易へて逃れ寝床の下に僭
慝したり。擾々たる兵乱の城中かくのごとくにして陸軍中学生数十名に監視さるゝもの三日。翌老譚城に入り水軍の
向背また定まるを報ずる者あるに至りてようやく辮髪を薙ぎ張彪*8に戦を開きたるものなりとす。あゝ諸公。かくのごとき黎元
洪と、三日を後れたる譚人鳳と、上海に沈思せし宋君と、香港と灰心せる黄興と、しかしてワシントン伝を耽読しつ
ゝありし孫逸仙君と。日人遊侠子は各その親しむ所によつて功罪を妄論するも、武漢の発たるや実に天の為せる所。
したがって不肖はただ革命の思想的系統と革命的運動系の大綱を把握して支那全局の大勢を概観し得ば足れりとするものなり。
しかして日本人に交遊ある以上の諸氏すべてが機に後れたりといふこの正直なる事実は、不肖を始めとして、いわゆる支那
浪人なるものゝ全部が微少なる援助だに無かりし事を証明するもの。日本政府が列強より隣国動乱の煽動者なりと
猜推さるゝの冤罪を払拭するものなり。しかしてまた同時に支那の革命は東洋のフランスが自ら成せる革命にして外援に恵
与せられたるアメリカ独立軍にあらざることの論証たるもの。彼の痴鈍なる集団が市井に誇らんが為めに大に参画せるかの
ごとき虚構を流布するは一個重大なる国際的罪悪にあらずして何ぞや。彼らはただ亡命時代において内田・宮崎諸君が日本官
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憲の暴圧より庇護せし温情侠義に対して忘恩民族ならざるのみ。
 武昌の起義に支那浪人らの全部が何らの援助なかりしと同様に、日本及日本人がその他各省すべての革命にいささか少の援
助だになかりし事実は上海の蹶起における不肖自身が証明の材料たるべし*9。当時『中部同盟会』の評議員たり上海
の支部長たりし陳其美君は長身に辮髪を垂揺して紫紺の胡服せる好個の紳士のごとくなりき。彼と不肖との話題はただ
数百挺の拳銃にありき。しかしながら日本人としていささか少の援助を与へんとしてしかもあたわざりしゆえんは、上海の何処の
兵器商館といえどもその地に武器弾薬を貯蔵する事を許されずして各種の見本を持てるのみなりしことなり。彼らが突撃
に用いたる数発の爆弾は(日本浪人の密輸入せる者なりといふごときはことごとく虚言にして)実に革命党自身の軍隊運動
によりて腐敗せる機器局の官吏に賂して得たる火薬をもって製造したるものなりしなり。来訪せる某少佐*10と語りつゝ
時針の行くを眺めいたる不肖は、彼らがすでに機器局に到着したる頃なるを見計ひて今上海が戦はるべきを告げ最善
の援助を求めたりき。少佐は驚愕しかつ快呼して帰へり武官室の受話器を耳にしたり。大勢のすでに決したるところ
上海の夕は『排満興漢』の白旆を翻へし江南停車場の護卒は革命の記号たる白布を左腕に巻けり。民立報館および秘
密機関部の諸友は家を空うしておもむけるが為めに事の成否を報ずるものなかりしといえども、不肖は武官室の電話より祝
賀を受けて目的の遂成に安んじたり。しかして諸友の生死を気づかへる不肖は、祝賀と反対に失敗を報ぜんとして逃
れ来れる黄興の息一欧君の血に汚れたる手を握りて愕然たりき。−−四辺に注意を配りつゝ帽子目深かに歴階*11して
室に入れる彼は、一に武器なきを訴へ弾丸をあがなうあたわざるが故に同志の持てる拳銃が始めより空砲なることを歎き
たり。出発前それらの豊富を告げたる前言に照して訝かれる不肖は、機器局の敵中に内応あるべきをもって庫中に豊富
なりといふ彼の答に驚きたり。何らかの援助を要めんとして武官室に走れる不肖は、少佐がさらに該方面に照会せる
勝利の確報によりて、彼が年少なるの故にあるいは敵影に驚きて奔逃せしならずやとの一般的支那人観に迷はされざる
を得ざりき。深更の寂寞を駆れる不肖は支部に眠れる彼を醒まして別隊に分れたる陳君の占領ならざるかを詰り乃
父の名誉の為めに杞憂したり。彼は今陳君らの捕はれて敵手にあるを語り、語りつゝ耳を聳てゝ馬蹄の戞々を聞け
りぐ月白き街道を再び少佐の門に駆れる不肖は非常識にも警備艦の拳銃を借らんことを訴へ、同情に溢れたる少佐
は事の不可能を説きただ拱手歎息*12 したり。焦悶眠らず暁に至つて武官室の電話は前報の確実にして今松江の騎兵によ
つて守らるゝ事を報じ、再び前夜の杞憂に迷へる不肖は譚人鳳の息盍材君の都督府に迎へんとして来れるに会し車
中始めて一切を諒知したり。実に天長節の夜会、領事と道台*13とが日清の親交を交換せる間における革党諸君の上海
襲撃は一たび失敗して部長らは城中に捕縛せられ、松江の騎兵の来り助けるにおよびて再挙して進み陳君らを救ひ出
せるもの。古今すべての革命が軍隊運動による歴史的通則を眼前に立証せられたるものなりとす。しかして同時にこの立証
は、当時未だ浪人団の渡来なく彼らの間にただ一人の日本人なりし不肖と日本政府の一員たる某少佐とが、心いかに
援助せんとするもあたわざりし活ける事実を論拠として、日本及日本人が支那の革命と没交渉なりしを論断せしむる
ものなり。不肖と某少佐とが支那浪人より価値なき人物なりと言はゞそれまでなり。しかも無き物品はいかんなる同情
をもってするも寒中に筍を掘るべからざるがごとし。出先きの援助よりも世論と伊集院公使*14との中間に迷ひて本国政府
はただ々当惑せるのみなりしにあらずや。徒に同情と援助とを混同して独立独行の隣邦国士を詬辱するなかれ。
 しかしながら、他の極端に走りて不肖は全然日本人の革命に交渉せる価値を認めずといふにあらず。かかるある種の物
質的助力は事変の突発せると、親交国政府に対する国内の反逆なりしとの故にあたわざりしといふのみ。すなわち日本人
は民国より多大の報恩さるべき勲功ありしかのごとく自任して、野蛮なる罵詈を民族性の上に加へて亡恩呼ばりを為
すことの実に国際的罪悪なりといふ反省を求むるのみ。日本人の誠心より出でたる同情と日本の全国挙りての声援
とが彼ら革命党に与へたる心的影響の量るべからざるものありしことを無視するにあらず。これ邪を憎み正を悦ぶ
正義的本能自身が懼喜する同情なると、勝敗が決勝点に入る刹那に起る観客の本能的喝采なればなり。校庭にたわ
むるゝ選手すら同情と声援に影響せらるゝを見ば、鮮血を踏んで国家の存亡を争ふ彼らが隣人の倫理的共鳴に鼓励
せられ、険を奪つて進む毎に起る隣国の喝采に奮躍したることの大なるべきはもとより論なきことなり。しかしながら
これ単に日本人が倫理的動物なりといふだけのことにして、他の在支列強国民が非倫理的野獣なりといふ意味にあ
らず。実に彼ら英・米・独・仏人のことごとくは滑稽にも彼ら四国が壟断せんとせし鉄道そのものより起りたる革命なる事を打忘れ
て、その正義的本能より同情し本能的喝采を挙げて声援したり。これ不肖の親しく上海決勝の日に実見してあるいは日本
41
人の上に出でしやも知るべからずと考ふるものなり。すなわち何らの援助なかりし点において日本人は諸外人に優るものに
あらざると共に、等しく人間たる本能より発せる同情声援において諸外人は決して日本人に劣りたるにあらざるなり。ただ
彼らのそれは紅顔颯爽たる一欧君を囲みて婚約の媒酌を申込める等の愛嬌あるに反し、日本人は声援のらちを躍り出
して切歯し扼腕し怒罵争闘しついに彼らの優勝旗に泥土を塗らずんば止まず。日本人の伝習的論法に従いてかかる無礼
没分暁をその国民性なりと断ずる者あらばいかんする。特にいわんや独力亡運を回らさんとする踏屍浴血の国士を誣妄し
て、おのれらの庇護援助の下にしかりしかのごとき虚偽を流説するの唾棄すべき罪悪なるを。不肖は実に憂ふ、日本将来の
人道的国辱は南洋に密輸さるゝ売春婦にあらずして対支貿易表にのみ見るかかる操守なき男性の輸出品ならざるかを。
あゝ諸公。日本人の支那革命に対して受くべき光栄は当面の物質的助力または妓楼に置酒して功を争ふ者の個人的交
遊にあらず。実に日本の興隆と思想とが与へたる国家民族主義に存するなり。しかして不肖はまた是を上海における活け
る実見をもって論証せんと欲す。すなわち不肖がその秘密機関部において出入往来するものを見るにほとんど全部日本留学生に
して、その機器局襲撃の勢揃ひに集れるすべての服がことごとく詰襟金釦なりしことなり。武漢の突発を聞きて各自の各省
に赴かんとして落ち合ひまずこの処に通路の関門を打破したる彼らは、咋日まで神田の下宿屋にあり士官学校の寄宿
生たりし無届欠席の学生のみなりしことなり。留学生服が革命服と称呼せられたる事なり。否。上海に実見せる不
肖の論証を待たずとも東京において日本人のことごとくが目撃耳聞したるはずにあらずや。すなわち陳猶龍*15君が出発前の留学生を
率いて清国公使館を占領したることこれなり。公使は言うまでもなく大清皇帝の遣外代理なり。陳君は唐才常*16と共
に叛して自ら鄭州王と称せしほどの泰西*17的臭気だになき時代後れの国粋党なり。留学生の全部は民主共和の学校に
入らずして国家民族主義のみを教育されし者なり。この一団が大清皇帝の代表的官舎を占取せりといふ眼前の事実
は、支那革命が日本的思想家の事業にして革命の根本要求が日本と同様なる国家民族主義なることを、日本人の諒
解を請わんとして日本の首都において演じたるに似たらずや。繰り返へして言う。武漢の挙兵において上海関門の占領
において日本及日本人がいささかの援助なかりしことは、東京公使館の奪取において市民が何の力添へを為さゞりし事実の証
拠のごとく明白なりと。不肖は何が故に日本人が估らざるの恩をしいて忘恩民族呼ばりをなし、かえって四億万民に愛国
的覚醒を導けるこの嚇々たる教鞭を揮つて誇らざるかを怪しまずんばあらず。
 上海の占領は覚えず不肖が陳君の長頸を叩いて危うかりし首かなと高笑せし程に実に危機一髪の勝敗なりき。従
て革命と戦争とを混同する者に取りては他力の推挙によりて都督たりしのみと解釈すべし。しかしながら彼は江南新
興の気を代表して、おのれが破りし軍隊もおのれを救ひしそれをも手足のごとく統御し、九鼎*18 の威をもって彼の大都に号令したり。
武昌にいたっては然らず。一個の俘虜を都督として全国の耳目を欺ける第一歩の発足点の不幸は、呪のごとく革命運動の
展開に附きまといたりき。十日後に独立せる湖南におけるごとき、すなわち故蕉達峯*19君が三百の新軍*20を率いて巡防隊統領を
斬り諮議局の承認を経て長沙に都督たる間もなく譚延[門+豈]*21に屠られしごとき都督の交迭は望ましからざりしは論なし。
しかも革命党が常に準備規定せし所に従いて一省の首長として権力の主体が党員自身たるべき事、陳君の上海に都督
たるがごとくならざるペからざりき。何となれば何らの節度なく統一なき革命中において、恐惶し動揺し惑乱するのみ
なる群衆心理を統制すべき中枢として新精神の体現者を欠くことはすなわち全軍全省に与ふる決意を欠く事なればなり。
黎は一俘虜にあらずや。俘虜の恐怖と因循とを動乱の群衆に暴露してしかも全省を新精神に節度し全軍を必勝的決意に
統一せんと考へし革党の愚や実に計るべからず。老譚が三日を後れしを遺憾なりとするはこの故なるべきも、彼の入
城せし時は黎のなお決意せざりし時なり。たとえ張・蒋・孫・劉らが黎を推すの便を主張せしとも、彼にして断乎規定の励行
を訓示せば黎は一個の降将として犬馬の労役に服すべかりしなり。もちろん両湖の南北的感情の考慮を要すべきこと維
新前の藩的それの無視すべからざるごとき事情もありしなるべし。しかも十数日後に湖南に挙げし故蕉達峯・故楊任・謝介
僧・曽傑*22の諸君がことごとく彼の統制に属したるごとく、諸君と常に謀を共に与にしてただ死地に陥れるが為に湖北に先んじた
る孫・劉・楊の諸君また等しく彼の盟主の下に血盟せし者にあらずや。中部同盟会の頭首たりし当然の責任として、黎が軍
を率いて彼を推戴するの形を踏んで親ら群衆心理の神経中枢として立ち、国民の前に新精神の体現となり全軍の上
に必勝的決意を与へざるべからざりしなり。三日は後れたるにあらず。彼の禅譲的旧道徳が彼にかかる大失策を為さ
しめて革命の発足に禍せるにあらざるなきか。故宋君は他の語をもってこの批判を不肖に立証したる事あり。彼が袁大
総統の下に一農林総長を忍びて北上せんとし不肖の苦諌してついに書生交遊の常たる怒罵の交換に至るや、彼は焦悶
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に堪へざるごとくその倚れる椅子を叩いていわく。この椅子なり。老譚の迫れる武昌行を熟図してかくのごとくこの椅子に倚
れる間に革命は起れり。余の北上はこれより革命を始めんが為めにして今日までの革命は余に取りて始めより失敗
の革命なり。彼の黎輩すら今はすなわち副大統領たるに非らずやと。当時なお譚を擁し黄を籍らざるを得ざりしほどの年
少なる彼においてすら、武漢にありしならばあえて大総統に当らんの慨を洩らす事かくのごとし。いわんや白髯の盟主実に
三日にして倒れるをや。然るに何事ぞ俘虜を挙げて全軍を指揮せしむ。その軍が因循の気を受けてたちまち漢口を奪還
せられ、死守健闘せるもの金釦革命服の書生のみなりとは想見すべきにあらずや。その軍を借りて戦へる黄君は怯者の
にあらず、また略を誤れるにあらず。革党団の先鋒が苦戦に陥るや全軍ことごとく先を争ひ江を渡りて逃れたるもの、漢陽の
*23また逆睹すべかりしにあらずや。否、その敗るゝと共に黎が武昌を棄てゝ蔡甸*24に走るや、直ちに城に入りて驚卒を
鎭し民心を撫し『北面招討使』を兼ねて『武昌防御使』たりしもの実に彼老譚その人なりしを見よ。逃亡俘虜の発見
引致と共に再び禅譲的旧道徳を頑守せる彼の愚やついに及ぶべからず。実に江を挟で戦へる革命発祥地の一勝一敗は
天下人心の向背を決せしむるもの。春秋の筆法を学ばずといえども、漢口に敗れ漢陽を失へる敗責の第一人者は黎にあ
らず黄にあらず誠に譚人鳳その人なりと言うべし。
 老譚の愚の及ぶべからざるごとく黄君の痴もまた測るあたわざるものありき。黄・宋相携へて武昌に入るや宋君は直ちに
臨時軍政府を組織するの必要を力説したりといふに係らず、黄君は一戦に功を建てゝ後にすべしとて肯定せざりき。
彼は革命家その人が革命を理解せざる古今の通則によりて、革命と戦争とを混同せること彼の周囲における浪人団
と異ならざるものなり。軍政府の組織はすでに、かつ常に、革命党に明文として書かれたるものを有し、ただ人民の承
認の形式を経て発表せば足るものなりき。政府を建てゝ軍民の依る所を示せば黎はその一軍官として命令を奉ずべき
こと当然にして、新政府の名において革命党の新精神と決意をもって全省全軍を統治し振起せしむるを得べきにあらず
や。譚と等しき因習的旧道徳は黄をしてこの見やすき道に出でず、かえって反対に黎の一稗将として節刀を授けらるる
の古式を踏み、もって漢陽の戦線に立つの顛倒事を為さしめたりき。革命党はその秘密時代において党員自身が都督たり
軍師たるべきは確定せられたる規定にして、すべからく故蕉君が長沙を奪ふと共に自ら都督となり、陳君がおのれを救ひし
騎兵の万歳声裡に指揮刀を挙げたるごとくなるべし。堂々たる黄興の器をもって一俘虜の下に稗将たるごときは革命の本
義に対する無理解者なり。革命が日本的思想の覚醒にして日本留学生が出洋の指導的新知識として中堅たりしこと
を一考せよ。それら全部の世論を負ひし彼が自ら起ちて革命的理想の体現者となり、中央臨時軍政府の名において黎輩
に号令するに何の憚る所ぞ。維新革命の時、大阪滞陣の徳川将軍と京都の薩長連合軍との対時を危機なりと視て、
坂本龍馬が太政大臣に親王を奉じ左右大臣に三条公と慶喜をもってすべしとの意見書を書けることあり。これ彼が土
佐の人にして伏見鳥羽の革命戦争が明日なりし事を知らざるの故に弁護さるべし。黄は武漢の伏見戦争が勝てる後
に来れるものにあらずや。湖北人より見れば土佐の局外者たるべきも、湖北の都督たらんとするにあらずして全支那
の中央政府に首脳たることにあらずや。特に彼の多く大局的見解を与へつゝ来りし宋君が、溯江の船中において、城
中の会議において、秘密時代の革命遂行計画を現実にすべきを固守力説したるにあらずや。しかるをついにかくのごとくな
りしこと譚の責*25と共に彼の革命に対する罪責の許すべからざるを覚えずんばあらず。事後の批評を為す歴史家が独
り聡明なるごとく、不肖は漢陽敗走の事後に至るまで武昌における宋君の何が故に憂慮し沈思しつゝあるかのゆえんを
発見せざりき。乃公援助参昼の大功ありと誇示する日本人の一人たる不肖は呑気千万にも対岸の殷々たる砲声を悦
び、菅野君*26が浪人団の一隊を率いて戦列に加はれることを聞き、あたかもガリバルディ*27が銃を負ひてフランス人の急におもむける
ごとしなどと恥づべき詩的感懐を欲しいままにしたりき。かくのごとき無責任なる外人が尨大なる亡国を両肩に負へる責任者の
苦心の何ほどの援助を加へ得べきものぞ。不肖は幽明相通ぜざる今日、卓上に頭を抱いて黄のよく漢口を回複し得た
る場合と、永く対時して戦局の進展なき場合とを考較沈思しつゝありし故友の風格を想起する毎に、古今国士の痛
心に涙なきあたわざるものなり。故宋君は自ら知れるごとく覇才なりしといえどもその長所は巨眼一閃大局を打算することに在
りき。黄君は熱情雅量に優りてしかもこの一事を欠如せる者。彼が宋に聴かずして事を誤れること屈指に暇あらず。
世人は黄興の漢陽に破れて上海にまで逃れたるを視て支那民族の怯かくのごとしと断ず。しかも彼の敗は常に勇の足ら
ざるにあらずして一に明の暗きに出づ。その上海に逃れたるに至りてはまた実に不明の為に日本浪人団の樽神輿となり
て、歌舞弦琴の巷に担がれ来りしに過ぎず。宋君は覇者として常に革命の遂行に力を考へたりき。彼は老譚の国粋
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的系統の上に有する力と、黄君の日本的思想系に有するそれとをもって覇才の発揚に努めたりき。譚の乾坤を一抛す
るの斗胆*28に聴かざりしことのしばしばなりしは彼の為めに不肖の惜む所。しかも彼に聴かざりし黄君の幾多の失は彼の憤
満を洩らすを聞く毎に不肖の黄君の為めに遺憾とせし所なり。譚の人物があるいは垓下の一敗に自刎せし楚項*29の運命を
逐ふべきや否やは不肖の保せざる所なり。しかも黄君は生死たとえ前後するも趙声のごとく彼に哭せらるべき王器に非ざ
ることは不肖の確信せんと欲する所なり。
 冷頭なる宋君といえども神ならぬ身のもとより対岸の黄君が漢陽に破るべしとまでは考量中に加算せざりき。彼は武昌
都督府の玻璃窓*30に震ふ弾丸の夜の抱寝において不肖に物語りていわく。この処に来りしは例のごとく黄興が余に聴かざりし
が故なり。この処にはすでに老譚あり。重複して二人の来る要なし。我南京の新軍を率いて江南諸省を奪ひもって天下に
制令せんと策す。黄聴かずしてこの処に余を拉しついに黎の配下に我党を措くに至る。昨南京代表者の来り迎ふるあり、
余下江して彼処に拠らんと欲す。黄の成敗に係らず南京を得ば漢口の回復もまた容易なりと。彼は翌直ちに一書を認
めて漢陽の陣にある黄君にこの旨を報じ、不肖また好便に託して息一欧君の上海における丈夫児的行動の乃父を辱めざ
りし事を告げ、かつ江を渡りて相見ゆるあたわざる遺憾を叙せり。夕立大江に暗かりし日、両軍の砲弾交々落下して
挙ぐる水煙の中を漕ぎし彼の一行は辛うじてまさに出航せんとする大利丸の客となれり。しかも一たび捉へざりし機会
は再び掴むあたわず。南京は黄と彼とが武昌に溯らざりし以前の南京に非ざりき。革党の用いんとせし新軍は携帯せ
し弾丸を奪はれて城外に追われ、闘志満々たる張勲*31の城門を閉ぢて堅守せる南京なりき。願くはここに当時の一実見
談を挿ましめよ。実見者は微少なる不肖に過ぎずといえども、諸公の活限あるいはこれによりて彼らの革命運動がいかに冒険
的犠牲なるかを察し、彼らの意気精神が実に国運を旋転して国を興すに足るを解得せらるべきか。
 実に行く行く聞けるに違はず埠頭に着きて眺めたる南京は全く黄龍旗*32の領域なりき。見渡す限りの山丘、蜿蜒*33
る城壁は遺憾なく戦闘を準備し、城民の老幼を携へ家財を負荷して逃るゝ騒擾は世に比すべきものあらざりき。一
行は船室に鳩首して一昨夜より咋夜にわたりて行はれたりといふ革党嫌疑者大虐殺の結果いかんを考へ、城に入りて事
を成すの緒の絶えたるに当惑したり。連絡せる新軍の城外に追はれたるを知りて、派遣されたる南京の代表者倪鉄
*34君はすでに機会の去れるに落胆したり。宋君またもとより策の立つべきなく、不肖はただ一行の面色を注視したりき。武
昌においてしかりしごとく革命はただ不可能の暗中に飛躍する冒険のみ。倪君はいわく生残りたる者のあらば事を挙ぐるに足
ると。微笑を含みつゝ不肖の手を握りて、いざ共に入らん、城に入りて見ばまた何らかの途を見出すべしと云へる故
宋の断乎たる一語は、史家これを後世に叙するに当りて千万人といえども我行かんの慨をもってせし維新革命党諸氏の意気
に劣れりと見ざるべし。一行ははるかに騒乱の群衆を分けて我般に馳け来れる二台の馬車を発見したり。宋君ら二、三
氏および一名の従卒を城外の日本旅館に陰くして、便乗を得たる倪君と不肖とは城門に向へり。日清戦争の絵草紙に
見し怪異なる山東兵は、前に避難の為に去れる美人らに代はつて今城門を入らんとする車上の有髯子を怪しみ、青
龍刀を鼻頭に擬して誰何しつゝしかも南京勃発の点火を見出さんとする驚くべき潜入者を捉へざりき。事の巧みに運
ばるゝに得意なりし一実見者は軍中より出でて追ひ来れる一兵の車台に昇れる靴音に驚悸*35したり。彼は一行の保護
者たる責任感より生ずる恐怖に加へて、さらに船室において宋君が吾今日生死を計らず外人の君に安全を託すといへる
各省同志の居所名簿および暗号電報等を胴巻に潜めたる恐怖を持てり。しかしてようやく心臓の鼓動の鎭まると共に仰ぎ見
るを得し怯懦*36なる彼は、車台に立てる兵が黄旗を掲げ大虐殺後の街道を保護して日本領事館に送るものなるを知り
再び微笑揚々たる前きの実見者に豹変したり。しかも失へる機会はついに握るべからず。南京同志の機関部は覆され散
髪せる青年はただ辮子を垂れざることによりて殺され、一千の学生を虐殺したる後の都城は外人といえども暮夜一歩外出
するあたわざる腥風満目*37の戎厳なりき。領事館の楼上楼下は婦女老幼を上海に避難せしめて引上げたる強壮居留民を
もって充満し、ほとんど義勇軍の軍営に等しかりき。領事館の一室はもとより陰謀の巣窟として借さるべきにあらず。倪君は
ほとんど手の着くべき一端緒だに見出さずしてすでに得べかりし南京城の空しく敵手に委せらるゝに切歯したり。不肖は
某大佐等に就きて我軍がすでにこの処を遠からざる地点に進撃し来れるを知り、翌直に城を出でて下江せん事を勧めた
り。何たる悲牡なる眺めなりしぞ。楼上より見渡せる歴史多き金峻*38の山河は雨に煙ぶりて清朝三百年の亡び行くを
咽ぶ者のごとく、古今の興亡一夢のごとしといへる古人の涙は今一実見者の双頬に滂沱として流れたり。むかしローマの将
軍スキピオ*39、カルタゴ城に挙がる火を眺めて、誰か百年の後我ローマのまた斯のごとくならざるを知らんやと言へり。興
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の道を踏んで興あり亡の跡を追ひて亡あり。日本また焉んぞカルタゴの火に泣き金峻の雨に咽ばしむる日の来るな
きを保するものぞ。不肖はこの飛雨蕭々たる静朝の感慨を認めて、諸友中最も熾烈なる大ローマ主義者内田君に送り*40
て憂国の情を訴へざるを得ざりしなり。あゝ諸公。日本何ぞ独り史上永遠の覇ならむ。国運の盛なるに驕りて隣邦
の存亡また実になんじが五十年前の危機なりし事を忘却して、慢態驕恣戒むる所を知らず、ほとんど亡清の跡を追ふがごとくな
るは何ぞや。彼らが外国の国旗に身を潜めたるが故に屠られざりしことは事実なり。しかも南京には外国粗界地なき
が為めに、不肖らが宋君らに会して旅館を去れる後より抜剣銃鎗の蛮兵が躍り込みしといふこともまた事実なり。領
事館の馬革を再びして正門を開かしむるあたわず、兢々たる不肖に伴はれて鉄道門の番卒に囲焼されたる時倪君の面
色土のごとくなりしことは、同行の一日本人と共に卑怯なりとすべし。しかも二日にわたりて同志虐殺のありしその翌日
生残者を尋ねて事を挙ぐべしとせる彼に興国の兆を見るあたわずといふか。実に一日本語を知らざる日本官吏となり
済ませる倪君の風姿が注意されざりしよりも。不肖が宋の従卒の兵服に替へんが為に一居留民氏より恵まれたる古
洋服の重ね衣したる異装が怪訝されざりしよりも。番卒らが不肖の分与せる仁丹に集りて面色を窺はざる滑稽なる
幸運に失笑せしよりも。篠つく雨に変じたる中を走りて、生死を憂ひ合ひし故友を見るや同時に生きていたかと相
抱きし時の懼喜の忘るべからざるものよりも。ようやく安全なる外国船の甲板に上りて一声の汽笛と共に万軍の都城を
翻弄せしかのごとき微笑の湧起を味ひしよりも。遠ざかり行く城楼を望みて遺憾多き面貌を河風に吹かせつゝある一
行の胸中に同情せしよりも。静江の騎兵に警蹕*41せられて柏文蔚*42君の軍営に一泊せし安堵の思よりも。−−不肖は世
に不可能事の存するを知らざるかのごとき彼ら革命的青年の猪勇を親しく実見して、一縷興国の希望をこの気魄に繋
ぎ得べき満足を禁ぜざりしなり。これ土下座的百姓と奴隷武士の幕末より大日本帝国を誕生せしめたる維新革命党
のそれと全く同一なる興国的気魄にあらざるなきか。一アメリカ的夢想家の外援政策より招ける軽侮は自立独行せんとす
る革命支那の負ふべき責任にあらず。はたまた粛親王の日本併合の招致は亡国階級の常套語にしてフランスの亡命貴族は
すでにこれを実にしたり。革命後の明治日本を亡国的封建時代をもって解すペしとする外国人あらば笑ふべきにあらずや。
一九一一年以後の支那はこの興国魂のあるいは顕現しあるいは潜伏する過渡期として察すべし。断じて亡国的清朝時代の先
入見に基きて演繹すべきものにあらざるなり。日本と同じき種族が日本と同じき思想に覚醒せられたるならば後年
の事また日本と同じかるべきこと何の疑を容るべけんや。不肖はあえてこの南京における一実見を提げて支那悲観論者
の面前に立たんと欲す。
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* 1粤川漢諸省:広東省、湖南省、湖西省、湖北省、四川省。
* 2湘・蜀:湘=湖南省。蜀=四川省。
* 3柱石良弼:(ちゅうせきりょうひつ)柱石=組織の中心人物。良弼=よく君主を輔佐する家臣。
* 4彼、張人傑、張斗枢三君の商買を装ひしといふ『賓慶公司』の隔壁より:よく分からないが、孫武らが密造爆弾を爆発させたところは『賓慶公司』と言う、宋教仁・張人傑・張斗枢の三名が商売を装って設立した会社の敷地内、と言う意味だろうか?
* 5梟木:(きょうぼく)さらし首を置くための台。
* 6諮議局:立憲制準備の為に清朝末期に作られた地方議会。選挙権は中流以上の制限選挙。立憲派の巣窟。
* 7命を宣せんとしたり:これでは武昌蜂起の顛末が分かりにくいと思うのでもう少し分かり安く説明しておきます。もともと武昌に駐屯していた清軍では中部同盟会の革命工作が浸透していて、張振武・蒋翊武らの下士官・兵を中心に蜂起のタイミングを窺っていた。そこに四川での暴動が発生。清軍の一部を四川に進駐せよとの命令が下る。そうなると部隊が分断され蜂起がやりにくくなるので蜂起を急ぐことに決定。孫武ら工作員が武昌近くの漢口のロシア租界入って蜂起のための爆弾密造をやっていた。しかし暴発事故が発生。官憲に乗り込まれたが孫武達は逃亡。しかしこの時、革命グループの名簿が押収され一部は逮捕され即日処刑。こうなると革命派は待ったなし。明日まで待つと逮捕されるので残った革命派が成り行きで蜂起開始。しかしほとんどの下士官・兵が革命に呼応して蜂起成功。瑞徴総督は逃亡。しかし偶発的に起きたことなので革命派には中心となる指導者がいない。宋教仁らの革命指導者もまだ到着していない。このままでは混乱が続くばかりなので、たまたま逃げそびれていて兵士受けの良かった第21混成旅団長の黎元洪を指導者にすることに決定。嫌がる黎元洪を脅して湖北省都督に推挙して秩序を回復した。
* 8張彪:(ちょうひょう)清朝の軍人。
* 9不肖自身が証明の材料たるべし:武昌蜂起(1911年10月10日)後、中国各地で同様の蜂起が発生。北一輝は黒龍会通信員として中国に向かう。10月31日には上海に到着。ここでいきなり陳其美と組んで上海蜂起に参加。以後2年半にわたり辛亥革命を革命党内部から見ることになる。
*10某少佐:上海領事官付き武官だった本庄繁陸軍少佐のこと。後の満州事変の時に関東軍軍司令、2.26事件の時の侍従武官長。
*11歴階:(れきかい)階段を駆け上ること。
*12拱手歎息:(きょうしゅたんそく)拱手=何もしないでいること。歎息=ため息。
*13道台:(どうだい)清朝の地方長官。当時の地方行政区分は大きい順に省・道・府・県でそのうちの道の長官。
*14伊集院公使:伊集院彦吉。中国公使館特命全権公使。
*15陳猶龍:(ちんゆうりゅう)誰だろう? 資料無し。
*16唐才常:(とうさいじょう)1867〜1900年(明治33年)変法派の康有為の弟子。戊戌の政変(1898年)の時に康有為と共に日本に亡命。その後、康有為とは分かれて自立軍運動を起こし帰国。1900年に漢口で挙兵するも失敗。逮捕されて刑死。
*17泰西:(たいせい)西の果て。西洋、欧米のこと。
*18九鼎:(きゅうてい)九鼎=夏王朝禹王が全国(九州)から集めた銅で作った大きな鼎。転じて名声などのたとえ。
*19蕉達峯:(しょうたつほう)1887〜1911年(明治44年)中国同盟会員。湖南派。
*20新軍:清朝の近代的軍隊。日清戦争敗北後、兵器だけでなく組織まで近代化した軍隊の必要が叫ばれ、ドイツ人顧問の指導を受けて作られた軍隊。満州人が多い正規軍と違い漢人が中心。この為、革命派の寝返り工作を受けやすかった。本書で軍・軍隊・清軍と書いている場合は特に断りがない限りこの新軍のこと。袁世凱は新軍設立当初からの中心人物。
*21譚延[門+豈]:(たんえんがい)1876〜1930年。湖南省諮議局議長。
*22楊任・謝介僧・曽傑:(ようじん・しゃかいそう・そうけつ)中部同盟会員。詳しい資料無し。
*23漢陽の敗:11月、北洋軍閥の精鋭軍、馮国璋軍が争乱鎮圧に到着。黄興率いる革命軍は惨敗。11月27日に漢陽城は占領される。革命軍は農民と失業者の集団を日本帰りの留学生と支那浪人が指揮する軍隊で、到底北洋軍の精鋭部隊と戦える軍隊ではなかった。軍の指揮を執っていた黄興はこれで立場が微妙になる。
*24蔡甸:(さいでん)中国の都市名。現在の武漢市蔡甸区。ちなみに武昌は武漢市武昌区。
*25譚の責:なんか北は敗戦の責任を譚人鳳に押しつけている様ですが、これは北も軍事の知識がある人ではないので無茶な見方。むしろ譚人鳳は老獪な分だけよく分かっているので良くやっている。問題は軍隊の指揮を執れる人材が革命派には全くいなかったこと。そのため革命とは全く無関係の職業軍人、黎元洪を指導者に祭り上げるしか打つ手はなかったこと。黄花岡事件などの挙兵失敗で軍人系人材の多くを失っていた事がかなり響いています。
*26 菅野君:菅野長知。北と共に革命評論社・中国同盟会で活動した支那浪人。宮崎滔天一派。
*27ガリバルディ:ジュセッペ・ガリバルディ(1807〜1882年)。イタリア統一に貢献した軍事家。軍人ではなく専門はゲリラ戦。その他、南米の独立運動にも義勇兵として参加。イタリア統一後には政治家にならず隠遁したので無私の英雄として有名。普仏戦争(1870年)ではフランス側に義勇兵を率いて参加。
*28斗胆:(とたん)斗=一升マス。胆=きも。度量の大きいことのたとえ。
*29垓下の一敗に自刎せし楚項:史記にある中国の故事。漢の劉邦と天下を争った楚の常勝将軍項羽は、最後に垓下で敗れて自らの首をはねた。
*30玻璃窓:(はりまど)ガラス窓。
*31張勲:(ちょうくん)1854〜1923年。清朝の軍人。武昌蜂起の時は江南提督。
*32黄龍旗:清朝の国旗。
*33蜿蜒:(えんえん)曲がりくねって長く続くさま。
*34倪鉄僧:(げいてつそう)誰? 資料無し。中部同盟会上海支部代表?
*35驚悸:(きょうき)驚いて胸がどきどきすること。
*36怯懦:(きょうだ)気が弱く、臆病なこと。
*37腥風満目:(せいふうまんもく)腥風=生臭い風、殺伐とした気配。満目=見渡す限り。
*38金峻:(きんりょう)南京の古名。
*39スキピオ:古代ローマの将軍、小スキピオのこと。ローマ対カルタゴの戦争、第三次ポエニ戦争でカルタゴを陥落させる。
*40内田君に送り:北は日本にいて辛亥革命を支援している黒龍会の内田良平と盛んに電報のやりとりをしている。
*41警蹕:(けいひつ)天子の出入りや身分の高い人の通行のとき、先払いの役の人が声をかけて路上の人々をはっとさせて静めること。
*42柏文蔚:(はくぶんうつ)革命派の指導者。詳しくは資料がないので不明。この後、安徽省都督になるが袁世凱に罷免され第二革命の発端となる。
 
 
 
 
 
 
    七 南京政府設立の真相
 
           封建的奴隷心を脱せざる現代曰本人−−支那浪人の神輿となれる黄興の禍因−−最後の南
           京占領もまた日本人に一の負ふ所なし−−故宋の大局的眼光と一貫の行動−−中央政府設立
           における彼の苦心−−章太炎の黄興否認の宣言−−大元帥の暗示より生ぜる形勢の逆転−
           −孫の帰来と浪人団の擁立−−張継の孫宋調和−−寸功なくて大総統を辞せざりし孫の心
           理はいかん−−孫の歴史的勲功は建国の際において共和政を宣布せる一事にあり−−革命期に
           おいて一般国民が新政体を理解せざる日本フランスの前例−−ルソーの無理解−−『中華民国
           臨時政府組織大綱』は全然欧米の翻訳より独立したる東洋的共和政なり−−孫と握手せる
           宋が憲法においてまで譲歩せる大失策−−中央政府設立者はその設立と同時に排陥せらる。
 
 劣弱者を侮蔑するの心はすなわち優強者に拝跪*1する奴隷の心なり。アメリカ人に凌辱されて一拳を加へざる卑屈は支那の覚
醒を侮懐し成敗によりて国士を笑罵する尊大なり。ロンドン外務省のエージェントとなり東洋のインド巡査を拝命する盲従は
一個独立国の威信を無視して最後通牒に指導権の要請を加へんとしたる傲慢なり。日本の朝野が未だこの封建的奴
隷心を脱却せざる今日、不肖はあえて独り浪人団の言動を責むるものにあらず。彼らが北支那において、亡国階級との交渉
において、賤民の駆使において、欲しいままにし来れる尊大傲慢が、漢陽の敗将たる一黄興の前に卑屈盲従を極めたる臣事的
拝跪に一変したるは奴隷心の表が裏を示したる尋常事なり。しかも不肖のごとき新日本の空気に育成せられたる純正的
日本人としては面をおおひて視るに忍びざる所のものなりき。臣従は侫偸*2を要し讒言*3を要し排陥を要す。不肖ならず
といえども多少の侠骨を有するもの、たとえ久闊*4を叙するの礼を欠くもこれらの間を通過して敗将の兵を談ずるを聞くに堪
へんや。彼が漢陽を失ひしは兵家の常たる勝敗にしてたとえ局面を重大に逆転せしめしにせよ、この故をもって彼を評価
せんとする者にあらず。しかしながらその敗報と共に上海における首脳らの連名をもって彼に武昌に止まるべきを電告*5した
るに係らず、すでに陳あり宋ありてあえて彼を要せざりしこの地に来れるは何ぞ。そしる者はそのおそれを言う。断じて然らず。
弁ずる者は武昌の兵、城に入るを拒みしといふ。否。黄君の対岸に破るゝを見ると共に黎はすでに蔡甸に走り城中ただ
混乱を極めたるもの。拒むべき命令者なかりしはもとより、一将の入りて中心たるを待望したるべきはず。事実また厳に立
証して、当時漢口の租界にありし老譚は直に江を渡りて入城し、黎無き後の軍民に制令して『武昌防御使』たりし
にあらずや。ただ臣従的浪人団の神輿となれるが為にここに至れる彼の不明は重大なる敗軍の汚名と共に一敗千里を走る
怯者のぬれぎぬを天下に流布し、後の中央政府設立における根本的禍因たりしとは何たる遺憾ぞや。漢陽の敗は黄に責な
く上海の来走は多く日人に罪あり。断じて怯者にあらざる彼は一敗挫折したるにあらず。軍資軍器公の欲するまゝなり
といふ支那浪人らの甘語を聞き、それなきが故に黎の軍を借り黎の軍に誤られたる彼は、自らの渇望に欺かれて遠
く求むる所ありて来りしに過ぎず。何ぞ千里を走る黄興の為人ならんや。不肖は当時実にかかる甘言侫を一時に糊塗
する援助者なるものに禍さるゝ黄君の不明に対して罵倒を伝語せざるを得ざりき。あゝ政府は傲然として指導権を
強要し浪人なるものは懼然として臣従に甘んじ、しかして朝野交々対支政策の可否にせめぐ。隣国の猜疑と侮蔑と奴隷
心の自ら招く所ならざらんや。
 軍事的素養も興味も有せざる不肖は南京が隣省連合軍のいかんなる戦略戦況の下に陥落したるかは当時より知らず
また知るの価値なき事なり。ただ一事の記憶せることあり。陥落後上海都督府の軍機科長として後方勤務の重大任務に
当りし張群*6君が城門を破壊したる攻城砲につきて物語りていわく。機器局に驚くべき古物ありき。左右に回転せず上
下に動くのみの大砲とは貴国に学びし時かって見ざりしものなり。しかも軍器なきが故に輸送せしに幸ひにも有效なり
き。この古物のごときは革命の記念として保存さるべきなりと。不肖は誠実大胆なる彼の将来に嘱望せしが故に殊さらに
答へていわく。これ革命の記念にあらずして亡国の残片なり。攻守共にかかる武器を有する程に国綱腐朽したるが故に革
命書生の一撃に亡国せるにあらずや。しかし攻むる者の国外よりせばいかんすると。さらに他の記憶せる一事あり。不肖の
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紹介によりて連合軍の隊中に加はりし二、三侠骨君*7は陥落の進捗せざるに焦心して上海に来りていわく。彼輩に放任し
て南京を抜き得べきにあらず、願くば爆弾を与へよ決死の一隊必ず城門を破るべしと。軽侮的援助者が斯のごとく乃公
あらずんば勝敗決せずとなして燕飲流連*8せし間に陥落の報告は来れり。不肖の一喝を喫して酔眼呆開せし滑稽は支
那革命におもむける日本浪人に価値を類推すべきものにあらずや。しかして渡来囂々*9たりし日本人がほとんど全部かかる酒間の声
援者なりといふ事実と、かかる古物によりて城門の破壊されたりといふ事実とは−−日本商館の暴利を貪りたる廃銃
廃砲が未だ横浜の税関をも通過せざりし頃なるが故に−−実に武漢の起義において上海の関門において他の各省のすべて
においてしかりしごとく、最後の南京においても日本及日本人は革命に対して何ら感謝さるべき恩をうらざる立証たるもの
にあらずや。これを要するに戦争としてはかかる古物の砲撃によつて陥落せしほどに一顧の値なきものなり。しかも革命と
戦争と判別して考ふる者に取りては、南京の占領は漢陽の敗によりてまさに逆転せんとせし天下の大勢を盛り返へし、
もって革命党の威信を繋ぎたる点において大局的意義を認むべし。前に黄君の漢陽に敗れさらに電告に従はずして下江す
るを聞くや、窓を隔てたる隣室において終夜黙考椅坐せし宋君は一睡してアクビしつゝ入れる不肖に向ひていわく。足下
碁を囲まず。一石の投下を誤れば全局面の勝敗地を替ふるものはそれなり。黄の敗走は誠に我党を死地に陥れたるもの。
余、万考暁に至るもこの局面を回復するの途はただ速に南京を得ることのみ。武昌の杞憂をついにここに視ると。かくのごとく
彼は漢陽の敗後天下の革党に対する向背一にかりて南京の成敗にあるを洞察せる者。すなわち徐固卿*11・朱瑞*12および故林述慶*12
君ら連軍諸将の交々都督を争ふを調停して老廃程徳全*13を推し、身親ら民政長の名をもって全権委任を執り、もって革党
の力を堅確に明の古都に樹立したり。不肖は死者を万能神視する東洋的慣習を醜くしとするものなりといえども、彼が
武昌都督府を出でし決意と、南京を出入せし冒険と、都督の実権を把握せる民政長官との間に不惑不屈の方針を視、
その堂々たる大局的眼光に兄事したる者なり。
 実に彼は黄君と共に江を溯りつゝ謀り、独り江を下りて企てたる中央臨時政府設立の地を占領せられたる南京に
得たり。彼は十数日前まさにその首を城門に梟さるべかりし都城に、今実権都督として連合各軍の勢力を負ひて臨めり。
しかして彼は各省の日本的思想系の全部に普く認識さるゝ黄興をもって中央政府の首脳となさんとしたり。武漢の挙義
と共に月余ならずして各省競ひて呼応したかゆえんは各省の彼らに同様なる国家的意識、民族的情操の覚醒せられて存
するが故なりとは前説のごとし。したがってその共通的心意を組織し統一する意識中枢としての中央政府に首脳たる者は、
同一なる意識情操に共鳴し共通的心意に普く認識されたる人物ならざるべからず。実に有形的組織、立法的統一はこの
の心的共通の上に築かるべきもの。旧組織旧統一の除かれたる後をうけて新らしき中央政府を組織して各省を新ら
しく統一せんとするに当り、すでに心的中心たる黄興を推さんと決意せるはまた正当なる計画なりと言はざるべからず。
彼は黄君が敗軍の逃将なることに苦心したり。しかして急遽大総統の名を用ゆることの共和政の本義において各省の感
想いかんを考慮したり。不肖は日本人の頭脳をもって革命戦争中、兵馬の大権を総攬せば可なるかのごとく考へ、『大元帥』
の文字を勧め彼は交遊の好意に誤られて後の災禍を熟図せざりしとは何事ぞ。敗将を大元帥となすの不合理は宋君
の知らざりしにあらず。一に各省の統一の為めに心的中心を要めたると、黄君をして今一度び兵馬の功を立てゝ敗辱
をすゝがしめおのれれ自ら総理として経世的確信を乱麻の間に施さんとしたるにありしがごとし。彼は顕然たるこの不合
理を遂行するに渾身の猪勇をふるいたり。彼は戦勝の誇を負ひて御すべからざる連軍諸将を説伏して敗将の推戴を承
認せしめたり。諸将は不満ながら歓迎の準傭を整へて新頭領の入城を待てり。然るにまた何事ぞ、迎へらるべき黄君
は来らずして躊躇し始めたりとは。支那のルソー章太炎は東京より帰り来りてまず反対の声を挙げたり。動乱の群
衆はこの愚なるがごとき大賢を渇仰して一宣言の出づる毎にその金玉の文字を拝跪したり。彼はまず宋君の総理たる
べきを天下に推薦したり。しかして大総統は必ず黎元洪たるべく、黄輩のごときは一逃将すべからく一戦の功を建てて罪を
償ふべしと宣言したり。彼の文字は今日袁世凱が登極の上諭を求めて得ざるが為に毒殺せしと伝へられし程に支那
に有力なる者にして、何事も理解せざる群衆はこの堂々たる宣言に随喜したり。革命の洶濤*14に渦き流るゝ不可解不
可測なる群衆心理は躊躇せる黄君を視るにかえって功なくして栄を窃む者となし、波動の及ぶ所総理たるべしと推宣せ
られたる宋君をもって専制を企て野望を抱く者なるかの猜疑に雷同したり。しかも確信と猪勇に満てる彼は躊躇せる黄
君と太炎の宣言と南京諸将軍との間に立ちて天性の組織的手腕をふるいつゝ、大元帥黎元洪・副元帥黄興の決定を断行
し、副をもって正の実権を行使せしめんとしたり。彼はこの正副元帥の決定をもって正副大総統の別名となし、当時の
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天下またこれをもって中央政府設立の根柱を樹てたるものと信じたるは論なし。しかも神ならぬ身の俘虜と敗将を挙げて天下
の耳目を欺くのついに破綻すべき弥縫なることに気付かざりき。年少三十歳に過ぎざりし彼は頭首を堵して得たる南
京をもって天命革党に降るの確信に赤熱し、おのれれ大権を総攬せば手に唾して満清を蹴倒すべしの血気に逸りたり。こ
れ脚下の陥穽を知らずして七卿の都落ち*15を演じたる桂小五郎の若さにも比すべし。革命の洶濤は渦き流れ、群衆心
理は猫眼のごとく変じて朝に夕を知らず。弥縫はたちまち破綻したり。破綻の口を外人の要らざる差出口に求めて、群衆
はすでに大元帥のあらばその上に何人を奉ずべきかの問題を提起したり。−−これらしく日本人が援助なきのみならず
革命に禍せる例証ならずや。日本において大元帥の音響が絶対至上権の感想を暗示するとは反対に、支那においてはこの
の同一文字が古来「元帥域外にありては天子の命を奉せず」のごとくその上に何らかある者の存在を暗示す。しかして俘虜と敗まさに不満な
る群衆心理はこの暗示と欧洲より帰来しつゝある孫逸仙とを結合せしめて考へたり。沸々洶々として渦きつゝあり
し大勢はここに断崖を見出して奔瀑*16のごとく急転直下したり。
 数十日前揚子江の水軍が未だ黄龍旗を翻へせる頃なりき。不肖は武昌に溯らんとして万里の平野と大江の上に照
る満月に会したり。静寂その響なるかのごときスクリューの音を聴き深更の甲板に落つる我影を踏みつつ俯仰*17古今の感
に堪へず、ついに船窓一書を認て在京の一友に送れり。書にいわく。むかし革命児ナポレオン、パリの危急を聞きその軍をエジプトの沙
漠に棄てて単身帰京したり。孫公今にしてなお帰へらざるに何の愚ぞと。しかしながら武漢の勃発と共にアメリカにありし
孫逸仙の身体は五彩の光輝を放ちたり。全世界は全く秘密の鉄函に封ぜられたる革命党の爆発を見てもとより解すべ
き道理もなく、一に彼とそれとを同視したり。ナポレオンが敵艦の封鎖を破りて直行せしごとくに、ナポレオンよりも多く偉大な
らざる彼は直路故国に到るの断を欠けり。しかしながら光の尾を引きて欧洲の天に懸りし彼は兎に角英雄のごとく上海
の埠頭に立てり。彼の刎頸の友、池亨吉*18君が語るごとく広東の同志らが彼の行を憂へて長江に入らば旧同志に殺さるべ
しと諌止したるや否やは保せず、また池君、滔天君らがおのおのその集団を代表して彼を香港に迎へたるを見て、ワシントン
よりもさらに善良なる彼は日本人によりて保護さるべしとの他力本願的アメリカ宗に安堵したるや否やはまた詮議するの要
なし。英雄は限前に立てり。俘虜と敗まさに不満なる群衆心理は大元帥の上に立つべきあるものの実にこの英雄なる事を
視たり。世界の誤認によりて後光を負へる彼は本国同志の決意より以前に、まず日本浪人団数十百名の脚下に礼拝
合掌するものを得たり。池君は太田海軍大佐*19、中村法学博士*20ら数十名のいわゆる振中義会を宰して彼の傍に侍従長のごとく立
てり。宮崎君は遊侠子数十百人の頭領として彼と黄興との間に昔年の連合策を計りすでに躊躇せる黄君をしていよいよ弥
縫家の面目を発揮せしめたり。渡来せる浪人団と投機的商売の狂熱的声援に感激を極めたる革党諸氏は日本の後援
すでに孫君に存すとせば、ますますこの英雄を擁立せざるべからずと速断したり。革命の渦中は一切の事理性の判断を許さ
ず。革命の群衆心理は日比谷原頭に見る*21以上のものにして、経世家も学者も解し得べきものにあらずただ精神病医のみ
その心埋状態を診断し得べし。革命の心理はフランスにおいて支那において婦人が街頭に革命を叫ぶごとく、全然ヒステリ
ックにして馬を鹿と信じ鹿ならずと言はゞ殺さる。群衆は俘虜と敗将を拝することを拒めり。彼らはしかしながら偶
像を要す。フランス革命において僧侶を廃し寺院を壊ちたる後に礼拝すべき何らの偶像なきに至るや、女優を担ぎ出し
『正義の神なり』*22としてパリの市中を騒ぎ回はりき。同一なる群衆心理は幸いにもかっておのれらの指導者たり党首たり
しものを担荷すべき偶像として得たり。かくのごとくにして孫君は大勢に濤に乗じもって大丈夫一世の栄位に立たんと
す。
 不肖は交友の情としてこの潮流の旋回せる勢を眺めて宋君の為に憂へざるを得ざりき。彼の擁立によりて世論の
乱矢を被れる黄君は滔天の勧説によりて活路を発見したり。彼は直に偶像の勢力に吸込まれその壇下に立てる一使徒
となれり。憐むべし偉大なる故友はその擁立せんとするものゝ変心によりて一切の計画を破壊せられ独り南京諸将軍
の手に残されたりき。時にパリにありし張継君は四年振りをもって旧友の間に帰来せり。彼はその脱線せる無政府主
義をますます熾烈ならしめし事は遺憾なりしと共に、その私心なき超越的性格はかかる間における調和者として恰当のも
のなりき。不肖は旧友懼会の情を浅酌に酌みつゝ排孫の第一先声を挙げし彼自身の口より大総統の必ず孫逸仙なら
ざるべからざるを主張するを聞き、かつて革党分裂の責任者のごとく視られし不肖自身の反省を要すと考へたり。而
して各省の心的中心を要むるの根本点において敗将を頑守するよりも未だ何らの傷損なき往年の党首をもってするは正
道なるべく、滔天の取る所は誠に大局を収拾するゆえんならずやと省慮せざるを得ざりき。不肖は即夜直に南京に向
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ひ宋君に説くにこの事をもってしたり。何たる無情なる忠告なりしぞ。尊王革命の本体たる皇室との連絡を絶たれ幕軍
の討伐を被り連合艦隊の砲撃を受けつゝようやく伏見の一戦に勝てるばかりなる長州の革命党らに向ひて、卒然として
勤王の大義を唱へたる者は大日本史*23なるが故に天下を水戸藩に譲るべしと勧説する者のあらばいかん。彼は満面朱を
注ぎていわく。足下にしてなお紛々たる日本浪人の云為に学ぶか。すでに足下の大元帥説に誤られ、黄の優柔不断に誤ら
れ、さらに孫の空夢に誤らしめてこの革命をいかんする。黄言を食みて来らざるもまた可、余は兵力を有す。孫輩の足一歩
この城門を入るを許さずと。かくのごとき彼を後を追ひて来れる張君がいかにして緩和せしやはもとより察すべく、刎頸
の旧交は一切をすべて友情によりて解決せしめ、相携へつゝ彼を上海に引出せし事情は不肖の親しく実見せる所なり
とす。実に張継は無政府主義の名が世俗に与ふるごとき破壊党にあらずして、かかる危機における天来の調停者なりき。不
肖はこの危機を回想する毎に彼が天より降下せるごとくこの一髪の際に来らずんば孫君と故宋との運命は共に予見し
得べからざりしを覚えずんばあらず。(しかしてただその調和性たるや時に人間の頭上を超越するが故に、後宋君らが武
昌起義の真個元勲、張振武氏の銃殺事件を提げて趙内閣*24を弾劾しひいてもって袁大総統の脚下に及ばんとするや、単身
袁を訪ひて今の時公辞職せば天下再び乱れんとて留任を力説せるごとき脱線を憾むのみ。しかして翌年宋君また同じく趙
秉鈞*24を共犯としたる暗殺にたおれて張振武の跡を追ふ。継君もっていかんとなす)。
 論ずるまでもなく、武漢の革命と没交渉なりし孫逸仙君はアメリカの新聞紙を翻へしてただ驚愕したるに過ぎざりしなる
べし。彼がアメリカよりまたその通過しつゝある欧洲の先き先きより打電して、大総統は黎元洪その他起義の元勲たるべしと
の意志を表示したる再三なりしに見よ。彼が上海に来らざりし以前、少くも香港において日人諸君に迎へられざりし
以前まではこの最高の栄位がおのれを待設けつゝあるがごとき甘夢は午睡にも見ざりしなるべし。黎が張振武君らに擁立
せられて諮議局に運ばるゝまでおのれの生死を知らざりしごとく、彼は俘虜と敗将との故に空しくなれる椅子を見るまで
身の安全を日本人の侠義と黄君の友情に託するを得んといふ程の希望より持たざりしなるべし。すなわち彼はナポレオンの如
くパリに帰らざりしなり。彼が大総統の黎元洪たるべきを電告せるは、同一なる宣言をなせる太炎と同じく二者共
に言論の雄にして革命の運動より度外視せられしたがって武昌蜂起の内情に盲目なりし証明にあらずや。しかしながら彼は
支那の文字を誤記する代はりに英語の練達せるごとく、思想において支那人と云はんよりもイギリス・アメリカ人なり。イギリス・アメリカ人のごとき
権利思想を有する彼は『正義の女優』を渇望しつゝある群衆の前に中国同盟会総理たる権利によりて立てり。彼は
陳腐なる禅譲的形式を蔑視して言下に大総統の推戴を受理せり。これ中部同盟会の盟主たる譚人鳳が武昌城中に於
て禅譲的旧道徳を墨守せる純支那人なると両極の反対なり。彼は譚人鳳の頑固なる団匪的愛国党にして至純なる犠
牲心の魂なるとは正反対に、国家観念において許すべからざる欠陥あり決死的犠牲心の驚くべき程乏しき人物なり。
しかも彼の顕著なる長所は自由民権の宗教的信者なることゝ、おのれを信ずるのとくして動かざる一事にあり。当時革
党有力者はかかる局外者の大総統たるを見て武昌における黎元洪の擁立と大差なき木偶として顰蹙せるは論なし。
しかも彼の自信力と権利思想と当時の群衆心理とを考ふればあえて必ずしも然らざるべきなり。特に彼の中華民国史に
おける百代不磨の功績として看過すべからざる事は、彼がこの新建国の始めにおいて支那の将来は必ず共和政ならざ
るべからずといふ大憲章の精神を宣布したることなりとす。厳格に言へば彼の来らざる以前、十一月末武昌の十一省
代表者会議において宋君の草案せる『中華民国臨時政府組織大綱』が決議せられ、戦時中明確に支那の共和政なるべ
きを宣布したる事は事実なり。−−後の史家は共和政の宣布者が何人なるかを厳査すべし。もとより孫君のそれは全
く錯誤せるアメリカ的思想の祖逃に過ぎずしてはなはだ皮相浅薄なるはもとよりなり。しかもこれ維新革命においてしかり、フランス
革命においてしかりしごとく、また宋君の国家主義の然らざるを得ざりしごとし。これ革命さるべき程に退廃せる国民に深遠
なる思想の生るべからざる古今の通則のみ。しかしながら共和政は支那の国粋的革命党に萠芽せず、また日本の国家民族主
義にも片影だに見られざるものなり。さらば彼がごとき自由民権の宗教的信者がすでに秘密結社時代において各省の先覚者
に影響せる所を、さらに大総統としてこの建国の際に宣布したる支那将来の幸福や測るペからざるものあるべし。軽薄
なる軽侮論者は英公便の輿夫*25が共和政とは大清皇帝に代はりて袁陛下を見ることなりと云ひしとかを盾として南京
臨時政府の精神を軽視す。しかもこれ一国の過渡期において賤民階級が常に新理想と没交渉なる歴史的原則を忘却せる
ものなり。フランス革命において自由とは神を拝せず淫蕩*26を欲しいままにすること、平等とは富家を掠奪して財を等分する事なり
と解して彼の戦懐すべき暴民の信条が作られたりといふにあらずや。これ袁を皇帝と同視する輿夫を待たず、すでに南
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京政府設立の祝電に孫逸仙陛下と称せし外電の二、三ありし彼らよりも罪悪多き誤解なり。日本の維新革命において革
命の理想たる武力の階級的専有を打破する血税の文字がかえって子弟の血を絞りて電柱に塗布するものなりと直訳せら
れて幾多の暴動を起したりといふにあらずや。これ南孫北袁*27戈を収めて共に和するこれを共和政といふと解せし彼ら
よりも本義に反せる同音同字の取扱なり。元来無文字階級は過去を語る者にして新理想を問ふ所にあらず。一国家一
民族の思想的交替期を考察するにはすべからく学究的慎重と国士的同情とをもってすべし。賤民の一言に基きて侮蔑的感
情を洩らさんとするごときは士君子の歯せざる所なり*28。イギリス人輩のごときは常に人種的傲慢に陥りあえて今日支那の共和政
を冷笑するを待たずとも、すでにかって日本の立憲政を指笑して沐猴の冠*29するとせるもの。かかるひそみにならいて侮蔑を加ふるの
慣慢はすなわち欧人の言々を拝跪する卑屈にして、むしろその奴隷心の暴露を恥づべしとせずや。欧人の誇とし近代政治
の源泉とするフランス革命においてすら共和政の明確なる理想は何人も有せざりし所。彼のルソーその人すら明言して、
共和政はスイス・アメリカのごとき小国(アメリカは当時新開の小国なりき)には行はるべきもフランスのごとき広大なる王国に
は不可行なりと音き残せるを見よ。聞く日本帝国憲法の精神たる五ケ条の誓文は由利公正が横井小楠より欧米政治
の一端を聞知して起草せしものなりと。欧洲覚醒史の始を為せるフランスと東洋覚醒史の始を為しつゝある日本と、
その覚醒の始めにおいて共にその新理想の混沌たることかくのごとしとせば、あに独り支那に向つてのみ完きを求むべけん
や。特にいわんやその共和政たる、革命党の未覚醒時代においては孫君のそれを盲守したりしとは云へ、中華民国憲法
に現はれたる理想は全然彼のアメリカ的迷想を払拭し除却して一個厳然たる東洋的共和政体を樹立したるものなり。すなわち
大総統はアメリカの責任制と反し自ら政治を為さず内閣をして責を負はしめ単に栄誉の国柱として立つ事と、アメリカ的連
邦にあらずして統一的中央集権制なるべしと言う二大原則の下に編纂されたる、むしろフランスのそれに近き支那自らの共
和政体なり。すなわち厳密の意味において孫君は単に支那共和政に暗示を与へたるもの。その具体的理想の実現者は武漢起
義の原動力たりし一団の人々なるは明なりとす。フランスが幾多の変乱を経しにせよ、日本が万機公論に決すべきを
二十三年間口約に止めたりしにせよ、支那の将来を観ずる者はたとえ時に反動の波浪に洗はるゝ事のありとも、日本に
東洋的立憲政あるごとく、支那に東洋的共和政の動かすべからざることを思念せざるべからず。孫君の洋学者としての
アメリカ的思想の翻訳は横井小楠の洋学が日本憲法における功績と多くの差等なかるべし。しかしながら他の国粋的復古
主義者も日本的国家民族主義者も、異人種の統治を排除したる後にルイ十六世*30に代ふべきオルレアン公を有せず、
徳川に代ふべき天皇を持たず。為めにここに欧米の一政治的形式を取り入れて東洋的消化を経たる共和政体を樹立し
たるもの。一孫の影響または欧米の模倣と云はんよりも、実に漢民族の政治能力がラテン、チェートン*31らのそれに劣ら
ざる有カ明白なる実証としてむしろ吾人の光栄にあらずや。
 兎に角孫逸仙君は共和政の犯すべからざる首唱者にして同時に権化なりき。張継君の居中調停によりて彼と宋君
との握手は上海に帰りしその夜の談笑に成立したり。彼は不肖の眠りを覚ましべッドに腰かけつゝ釈然としていわく。
今朝南京における暴言はこれを陳謝す。孫君は実に好人物にして東京において見たるごとき不遜無礼を悔悛せり。反対多
き黄君よりも衆望ある彼を立つる事は人心の緝攬*32においていかんばかり革命を利すべきぞ。彼は大総統として革命の中
心に立つべし、黎と黄とは武昌と南京とよりおのおの軍旗に従ふべし、余は内務総長すなわち国務卿として実権を把握して
全力を統一に注がばおのおの適処にその適する所を用ゆるものならずや。今夜孫君と約せし所斯のごとし。米仏の政体的形
式は今日論ずるの時機にあらず、請う安んぜよと。不肖は昼車中の歓語において国家至上主義者と無政府主義者の温情
を視、夜またアメリカ的夢想家とフランス的実際家の握手を聞き、実に旧友歓会の涙が一切を溶解する一にここに至るに感じ戯
れに椰揄していわく。貴国古語あり呉越同舟これなりと。彼は色を正して討満の大目的を説き勲功の有無に係はるべ
きにあらざるを弁じたり。不幸なる運命の児よ。彼はその手孫君と握れる間においてその足が孫の輩下馬君武*33氏にさらわれつ
ゝありし事を知らざりき。神も恐くは知らざりしなるペし。何となれば孫君の人格において最も称すべき点はその欧
米化せるだけに支那独特の陰謀のごときはいささかも無かるべき一事にして、すべての言動の公明正大なる事は不肖の保証せ
んと欲する所なればなり。しかしながら大勢なり。大勢と名くる群衆心理は彼が敗将を擁立せんとしたる不合理の為
にすでに彼の不利に渦けり。しかして彼が孫君と握手せる事はこの渦流の堰を徹するものにして彼自ら奔瀑に巻き込ま
れざるを得ず。孫君は誠実にその手を差し延べ彼は歓喜してそれを握れり。この間に何の陰謀権略の存すペきなし。
彼らの握れる手と手は旧友の温き血と亡命せる頃の涙と、回天の大業に相携へんとする鼓動の通ぜるのみ。孫君の
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公明なる心胸には彼が連軍総司令部転交をもって彼に宛てたる電報のごとく『文祖国を離るゝ十余年、今日故土を践む
を得たり、楽何ぞ言ふべけんや、これらみな公らの賜なり』とする至純なる感謝に満てり。宋君においては『文の遅々とし
て帰国せるゆえんは外交問題の解決を待てるをもってなり』といふ弁を悦びて、その外交問題なるもののいかに笑ふべ
きものなるかを問はず直路帰国せざりしを重大なる意義のごとく諒承したり。斯のごとく一が大総統として天下に臨み一
が国務卿の実権をもって革軍諸省の中央政府を組織すべき約諾は誠心誠意両者の間に成立したりしなり。しかしながら
宋君は自己のフランス的共和政を彼に承認せしめて彼を栄誉の中心たる意昧における大総統たらしめず。かえって孫君の米
国的理想にまで譲歩し総埋を置きて責任を負はしめず大総統自ら権を握り責に当る所の者を許容したり。彼はこの
譲歩を不肖に弁ずるに今の臨時政府は北伐を終るまでのものなりとしていわく。今日の時はただ討満と共和の大同団結
のみ。米制仏制の可否は天下統一の後決すべき問題なりと。これ彼が蹉跌の原因なりしのみならず国家新建の際に
おいて建国の大典そのものをも一夕の譲歩に包括したることは彼の重大なる不注意なりと言はざるべからず。彼は革命前
より居常自ら草せるむしろフランス制に近き支那自身の憲法草案を懐にせしにあらずや。しかしてまた当時の実力において孫君は
事実上単なる栄誉の中心に過ぎずして自ら権力を握り責任に当らんとする野望なかりしはずにあらずや。倥偬の際とし
て彼は懐の草案を出して孫君に承諾せしめ、孫君を名実共に無責任なる大総統たらしむべき正直にして最善なる政
略を忘却したりしなるべし。彼が世評と反対に単に頑固なる愛国者にして無策の士なりしは不肖のしばしば実見せる所
なり。実に彼の無策おおむねかくのごとし。
 孫君の系統の執筆せる憲法に各総長は大総統の任命により参議院の承認を経ベしといふ一項ありて衆議院を通過
したり。孫君は提契の約諾に基きて宋君を内務総長として提出したり。ある者は南京参議院を評して彼は参議院に非
ずして顛狂院なり、議論せずして騒擾し討究せずして怒罵し卓上に躍り上りて号叫すと云へり。革命中の議会は今の
秩序和平なる各国に視るべからざるものにしてフランス革命中のそれを回顧して想像すべし。当時の参議院は道理を容
さずして感情がすべてを支配したり。雄弁が議案を動かさずして大音声が裁決したり。卓上に拳銃を置ける議席すら
ありき。彼らは他のすべての総長を承認して独り宋内務においてのみ飄風*34のごとく擾乱したり。卓上の号叫と、議席の拳
銃と、遺憾なく革命議合のヒステリック昂奮を爆発せしめたり。怒罵はいわく、宋の家に鄭州王たりし陳猶龍のいた
るを見たり、彼は専制家なりと。これ革命党の二大目的の一たる共和の反逆者にして、フランスにおいて人民の敵としい
らるゝがごとし。大音声はいわく宋の居は満人の家なり彼は必ず漢奸なりと。これまたその一たる倒満の裏切を意味して、
フランスにおいて貴族党なりと疑はるゝがごとし。この群衆心理の音頭を取りし馬君はもちろん不正なる人物にあらず、ただ小器
の熱血男子なるが為に討究も調査も許さゞる革命議会には適役たりしのみ。かくしてフランスの参議院が自由の名に
おいて自由の元勲らを断頭台に送りしごとく、支那の革命議会はこの国家主義の代表者民族運動の指導者を漢奸のぬれぎぬに
おいて否決したり。後、老廃程徳全を内務たらしめしは、また彼の実権的国務卿を代表せしむること南京都督におけるごと
くならしめんとせしもの。しかも大勢はいかんともすべからず。これを要するに故宋君は黄擁立の不合理と孫に譲歩せる時
の一歩の不注意との為めに、その頭首を堵して企てたる中央政府設立と同時に身まずその門外に駆逐せられたるものな
りとす。何たる顛倒事ぞ。俘虜は大元帥となり、敗将は副元帥となり、正義の女優は中華民国大総統となり、しかし
て中央政府建設の実働者はついにかくのごとし。特に悲憤見るに忍びざりしことは長江各省の盟主たりし譚人鳳の独り
『北面招討使』として自髯を撫しつゝ一千の親兵を上海龍華廟*35に閲みして政権争奪を知らざるものゝごとくなりしこ
となり。不肖はここにおいて前に閑却せし問題に答ふべし、すなわち孫逸仙はいかにして第一大総統たりしか。いわく黎元洪
が副大総統たりし意昧において大総統たりしのみと。
 この変事を報ぜる宋君の特使と共に南京に向ひつゝ、不肖は車中黙想の胸裏にしばしば憤情のほとばしり来るを感じたり。
あえて私交の故ならんや。革命生起の元来とその展開の真相を熟知する者誰かこの顛倒事を憎まざるものぞ。
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*1拝跪:(はいき)ひざまずいて拝むこと。
*2侫偸:(ねいゆ)侫=口先うまくとり入る。偸=ひそかに、ぬすむ。
*3讒言:(ざんげん)目上の人に告げ口すること。
*4久闊:(きゅうかつ)長い間、会ったり便りをしないでいること。
*5電告:(でんこく)たぶん電報のことだと思う。
*6張群:(ちょうぐん)1889〜1990年。中国同盟会員。後に蒋介石の幕僚として台湾政権でも活躍するが、この時期は譚人鳳の下で動いていたただの革命派の若者。北とはかなり親しく家族ぐるみの付き合い。
*7二、三侠骨君:侠骨=男気のある性格。革命に参加している2,3人の侠骨ある若者、という意味だと思う。
*8燕飲流連:(えんいんりゅうれん)燕飲=酒盛りをする。流連=居続ける。
*9囂々:(ごうごう)やかましく言い立てるようす。やかましいようす。
*10日本商館の暴利を貪りたる廃銃廃砲:北の内田良平宛電報に「三井・高田商会・大倉組から届いた武器が廃物が多くて日本人の信用を失っている。送る前にちゃんと検査してくれ」(要約)という物が残っています。要するに武器商人に足下見られて良いようにカモにされ不良品を摘まされ頭に来ていたようです。
*11徐固卿:(じょこけい)1861〜1936年。固卿は号で本名は徐紹(じょしょうてい)。武昌蜂起に呼応して江浙省で蜂起。南京攻略に浙江連軍総司令として参加。だと思うのだが詳しい資料無し。
*12朱瑞・林述慶:(しゅずい・りんじゅつけい)資料無し。たぶん両方とも浙江派の軍人だと思う。
*13程徳全:(ていとくぜん)1860〜1930年。清朝の軍人。黎元洪と同じく兵士に受けが良かったので担ぎ上げられた人だと思うが詳しくは不明。この南京が革命派の手に落ちた後、江蘇省都督になる。その後の第二革命では討袁を掲げて蜂起するも途中で寝返って革命失敗の原因となる。
*14洶濤:(きょうとう)洶=波立つさま。濤=大きな波の音。
*15七卿の都落ち:禁門の変(1864年)のこと。
*16奔瀑:(ほんばく)奔=勢いよく流れる。瀑=比較的大きな滝。
*17俯仰:(ふぐぎょう)うつむいて下を見ることと、顔を上げて上を見ること。転じて、たちいふるまい。起居動作。
*18池亨吉:(いけりょうきち)宮崎滔天の革命評論社同人。資料には詩人・革命家となっているが詳しいこと不明。
*19太田海軍大佐:誰でしょう?
*20中村法学博士:中村進午(1870〜1939年)。国際法学者。
*21日比谷原頭に見る:日比谷焼打事件(1905年、明治38年)のこと。日露戦争後のポーツマス条約の内容に不満を持つ民衆が、東京日比谷公園で講和条約反対の決起集会を開きそのまま暴徒化。交番、内務大臣官邸、国民新聞社などが焼き討ちされる。
*22『正義の神なり』:正しくは「自由と理性の女神」。フランス革命後、権力を掌握したロベスピエールはあらゆる封建的特権を否定。王家と結びついていたキリスト教も否定。恐怖政治を行い貴族・司祭など旧特権階級をギロチン台に送る。教会も廃止して代わりに「理性」を崇拝させようとして「自由と理性の女神」という女神像を作りパリを行進した。
*23大日本史:水戸藩が何年にわたって編纂していた日本の歴史書。水戸黄門こと水戸光圀が始めた。編纂方針として天皇を中心とした尊王論(水戸学)で貫かれており、幕末の思想に大きな影響を与えた。完成は明治39年。
*24趙内閣、趙秉鈞:(ちょうへいきん)1865〜1914年(大正3年)。北洋軍閥の軍人・官僚。1912年9月25日、袁世凱臨時大総統の元で国務総理に任命される。1913年3月20日、宋教仁暗殺。犯人に趙秉鈞から金が出ていた。1914年、直隷都督になるも袁世凱によって毒殺される。
*25輿夫:(よふ)かごかき。
*26淫蕩:(いんとう)猥らな遊びにふけって、節度のないようす。
*27南孫北袁:武昌蜂起後の、南京の孫文を臨時大総統とする南京臨時政府と、北京の袁世凱を首相とする政権が並立した状態。
*28士君子の歯せざる所なり。:どういう意味?
*29沐猴の冠:(もっこうのかんむり)沐猴=猿。野蛮な人がうわべだけを着飾っている。
*30ルイ十六世:フランス革命の時のフランス国王。
*31チェートン:たぶん「ゲルマン」の意味だと思う。学術用語は変遷が激しいから当時の辞典でも持ってないと調べられない。
*32緝攬:(しゅうらん)緝=つぐむ、集める。攬=物を集めて上から見おろすさま。
*33馬君武:(ばくんぶ)1882〜1939年。孫文の秘書。
*34飄風:(ひょうふう)つむじ風、疾風、激しい風。
*35龍華廟:調べたが現在では上海の観光名所になっていることぐらいしか分からなかった・・・。
 
 
 
 
 
 
    八 南京政府崩壊の経過
 
           統一的共和政の憲法編纂に当れる宋−−日本元老らの妥協勧告の風説と宋の遣日全権代表
           −−孫党日本人の宋排斥運動と孫自身の迷惑−−盛宣懐を再びせる孫の漢冶萍借款交渉
           −−革命生起の根本精神に反逆せる孫の四面楚歌−−孫政府の動揺に対する張宋らの苦心
           −−孫の始めより革命政府に首長たるべからざる説明−−袁に投げ出せしは孫ただ一の活路
           なりき−−日本人のある者は革命を援助せりと言う虚妄よりも甚しく妨害したり−−フランスの
           北米独立援助後両国々交の阻隔を戒とせよ−−南北妥協の大局的行動−−日本朝野の相扞
           格せる妾動を反省せよ。
 
 南北講和*1にあらず、かくのごとくにして成れる中央政府の一月有余にして土崩瓦壊*2したるはもとよりその処なりとすべ
し。
 激怒せる外国人に反して宋君は冷静なる微笑をもって迎へたり。彼は不肖の勧告に従いて直に法制院総裁を選べり。
たとえ革命中の暫行的憲法とは云へ大統領政治と連邦制を原則とするアメリカ的夢想を輸入することは支那の禍なるべし
とは一外国人の警告し得べき所なりき。特に彼はフランス的統一制と大統領無責任制とが同様なる政治的経過を辿りつ
ゝある−−すなわち君主制より共和制に激変せんとする支那において、フランスのごとき反動と革命の反覆を避くべき結局的
憲法なる事を洞察せるをもってなり。彼は自己の草案をもって新国家を編むことは政治的活動に優りて重大深遠の責務
なりと感じたり。しかも常に政治的考量を忘れざる彼は、その副総裁に武昌の民政長たりし湯化龍*3君をもってしたり。
実に漢陽を敗走せる事は全く武昌を危険に暴露せるもの。したがって武昌の同志および他のすべての黄君らに抱ける憤恨が漸
く彼地と南京との疎隔たらんとしつゝありしことは彼の大局的眼光の看過せざりし所なり。彼は群衆心理が黎派と
の密通者ならずやと猜推しつゝある時、自己に対する排斥同盟が企てられつゝある時、正副元帥が意義を失へるを
もって孫を大総統とせば黎元洪の副大総統推挙は当然なりとして奔労せるごとく、湯君の推選も等しく彼が武昌と南京
との連鎖を憂慮せし一例と見るべし。−−実に南京と武昌との断絶は同時に袁と黎との握手を意昧す。これいわゆる南
北講和の時を待たずして当時に彼および具眼者のすべてが孫系の盲進を憂慮せし所なりき。しかして彼の憲法草案はフランス人
より見ればフランス的大総統なりと感ずべきごとく、日本人より見れば日本的統一制なりと解すべきごとく、また支那人自身
が見て唐の郡県的盛大の復活なりと自負し得べきごとく、一個厳然たる東洋的共和制なり。不肖は実にこの国家大典の
樹立せし際において支那の覚醒が深き根拠を有するを見たり。すなわち日本的思想により国粋文学によりてすでに国家的覚
醒統一的要求の真精神なくんば、アメリカ制の非国家的分立的翻訳は当時の孫君の光輝と群衆心理によりて新共和国に
禍因を播きしやも知るべからざりしなり。不肖は日本的思想の勝利を悦ぶ日本人たる立場よりも広く東洋民族の誇
に立ちて、覚醒せる東洋精神がかくのごとく欲しいままに欧米の長短を取捨しつゝありしを視て満腔*4の欣快*5を感じたるものなり。
一夜張君が自己の高遠なる社会革命的要求のあるもの、すなわち万人は平等に土地を所有するを得との一ケ条を加へしめん
として彼と争ひつゝ不肖を顧みて、宋君のごとくんば日本憲法の翻訳なり民国と帝国と何の差ぞと痛語せし事あり。
しかも傍聴者はこれ反対語をもって支那の統一的覚醒を立証するものとして欣快いよいよ深からざるを得ざりしなり。しかし
ながら故宋君は日本帝国憲法を編纂せし伊藤公のごとく泰平の学究的研究にふけるあたわざりき。彼は革命党の秘密運動
頃において常に革命の成否を決するもの実に日本の向背いかに存すとして憂慮せしごとく、弾雨中の武昌都督府において
日本国民の赤熱的同情に落涙感謝し日本政府の善意なる傍観に胸撫下したるごとく、彼は一たび日本におもむきて革命の
目的と両国の将来をその朝野に訴へんと欲する切迫せる願望を抱けり。彼は法制院総裁として憲法草案の筆を執り
つゝ再び不肖の勧めに従いて自ら遣日全権代表の任に当れり。群衆心理は悪夢の醒めたるごとく満場一致の拍手を以
て参議院を通過したり。彼はその手大典の章句に動きつゝその耳は霞関*6のささやきにそばたちたり。果然、内田君の長電によりて
不肖は彼に戦慄すべき警報を伝へざるを得ざりき。すなわち長州元老らの発意なるべき満清皇室を存続せしめ、立憲君
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主政を樹てゝ妥協すべしとの勧告これなり。しかして各方面の風説は隣国に共和政の出現する事は日本の帝政に害あ
りとする元老らの真意にして、あたかもフランス革命に対する列国の干渉をこの意味に誤解する低級の歴史的観察をもって裏
書とせるものなり。不肖が宋君の名をもって内田君らの活動に斯待せしはその山県・桂諸公の長州系に有する地歩により
て当時の中心的権力なる彼らの黙諾または冥助*7を得る事にありき。同君が朝鮮および支那の秘密結社に精通せりとの信
用は、武漢勃発と同時に杉山茂丸*8氏らと共に桂を動かし山県を動かしもって伊集院公使の残虐なる提案−−ドイツの為
せしごとく武漢を鎭圧して満洲のせつせつたる諸懸案解決の好意を買ふべしとする打算的無道−−を破砕して革命の萠芽
を蹂躙せんとする過失を一髪の間に阻止したるものなり。これ実に他の囂々者流の匹敵すべからざる氏の勲功にし
て宋君ら革党一団の深く認めて感謝せし所なりき。然るに彼らを動かせし彼が、今かえって彼らに動かされてその妥協
勧告の取次を為す彼とならんとするに会す。不肖は宋君の面色見る見る土のごとくなるを見たり。南京の埠頭において
敵兵監視の間を声色自若*9たりし彼は、不肖が彼の名をもって同君らおよび各方面に打電せし写を披見するにその手の打ふる
ふを知らざりき。彼はようやく冷静に復し瞑目久うしていわく、万事を放置して日本に行かんと。
 当時を回顧する毎に、不肖は革命に何の理解を有せざる支那浪人団の言動に対して冷汗背を流るゝを覚えずんば
あらず。彼らは単なる人間として有する倫理的本能と本能的喝采とを表はすに、卑しむべき奴隷心を外人環視の間
に晒らすを恥とせざりき。彼らは御者の奴僕的誇栄をおのれが臣従する晏子*10の為に競ひ、日人互に凌辱してもって快しと
したりき。彼らは後進国の覚醒を善導せんとする日本国士の適当なる責務を閑却し、かえって革命渦中の群衆心理に随
伴して彼ら自身の群衆を妄動せしめたりき。しかして支那の群衆が孫君を拝するに足らざる偶像なりと感じ始めたる
にも係らず、彼らの群衆は随伴に後れて独りそれを担荷*11して喧々囂々たりしは実に市井の祭典に見るべからざる滑
稽事なりき。担荷せられ混迷せる孫君の難有迷惑は十分に同情せざるべからず。池君が革命の説明に渇望せる日本
内地に帰りて、武漢は孫逸仙の命令を待たずして発せるものなりといふ主意の大阪における演説のごときこの一例な
り。混迷せる孫君はこの功を窃むの流言を掲げたる新聞紙を差しつけて一喝せらるゝや、池君がおのれの莫逆の友*12なる
事もおのれを香港に迎へて大総統の栄位を受くるに至らしめし保護者なりしことをも顧みずして、あたふたその委任せし大総
統秘書を取消さゞるを得ざりき。池君は自ら信ずるあつき稀世の才子、求めて虚偽を捏造するがごとき人物にあらざるは
不肖の熱知する所なり。特に不肖は前に滬寧*13往来の車中に氏と邂逅*14せし時、孫君の親しく説明せる所なりとして革
命生起の真相を講義せられ孫則革命の三位一体的論法*15に会して噴飯を抑制するにすこぶる努力したるもの。当時の談話と
日本における演説とが同旨意なりしに見て恐くは同君の捏造にあらざるべく、孫君が外国人の前に自己の価値を飾り
し悪意なきものなり。しかも狼狽して外国の紙上に取消を広告するごとき婦人的態度に出でざるを得ざりしもの、いわゆる
ひいきの引倒にして混迷せる孫君の難有迷惑や察すべきなり。明敏なる池君にしてすらしかり。支那革命の元老として
児女子も知らざるなき滔天の名誉をもってしてすら宋教仁排斥の文電を諸所に発せしごとくしかり。他の擾々*16たる晏御的*17
集団の孫君を拝跪する奴隷心の迸発する所、失脚せる宋君に対する理由なき垢罵にいたってはほとんど聞くべからざるものあ
りしなり。しかして三百年の鎖国政策の為に外交的訓練の全く欠如せる日本人の常として内地の政争に外交問題を利
用するごとく、遠く援助の為に来れる頭山・犬養氏らの一団は宋君の日本行をもっておのれが本国において政敵とする長閥に結
托する者となし、彼が隣国に訴ふるにその政権の中心を主眼として人のいかんを問はざるべき正当の行動を非難した
り。多く発言せざる頭山翁が宋君の遣日全権代表に代ふるに支那において存在を認知せられざる何天烱君をもってすべ
きことを、無力にして改易の力なき孫君に勧告して当惑せしめしごとき実に当時の事なり。これ不肖を始めとして日
本人全般の今後鑑戒*18すべき下品なる党同異伐にあらずや。この四面に起る楚歌を聞きて不肖は日本人としての反省を
忘却し、民立報楼上において干右任・張継の二参議に怒を向けていわく。遣日全権代表は孫君に排斥せられて日本に亡命
せんとするものなるか。諸君の汚辱せし失敗者を導きてこれ革命政府を代表して交戦団体の承認を求めんが為めに
来れりとは不肖の故国に欺き言ふあたわざる所なり。孫君自身がすでに宋に中心より全権を代表せしむる者にあらず。南
京を出づる時八分権代表たり上海を発する時五分権代表たり長崎に達して三分権代表たらば諸君は彼に何者を期待
せんとするか。対日外交は孫の空想と浮浪漢の大陸経営論をもって当るべし。不肖は断じて行くあたわず。宋もまた然る
べしと。借問す。あゝかくのごとくにして日本人は革命に一滴水の援助だにあえてせりと言ふや。ただ天意は人の盛んな
るをもってまげず。日本々国の厳然たる世論によつて長州元老の干渉説を一流言に終らしめしを天に感謝す。
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 天は実に革命に幸いせり。しかしながら革命党は自ら招ける禍を被りて窮地に陥れり。宋君の言へるごとく勲功の有
無を論ずべき時に非ざりしにせよ、現実の理想を異にし眼前の運動に没交渉なりし外国人のごとき孫逸仙君を大総統
に擁立したる責罰は直に群衆の上に降れり。孫君がアメリカ的共和国の出現に揚々たる間において、彼らは彼の国家観念
の許すべからざる欠陥を発見したり。ゴウゴウたる日本浪人団が局外者を拝跪合拝しつゝある間において、彼らは彼と日
本とが愛国運動を根本より覆へさんとしつゝあるを見出せり。すなわちかかる多くの者の中の一、彼と三井との間に進捗
せる漢冶萍借款*19これなり。外国に生れて国家的執着心を有せずかつ現下の革命運動に局外者なる事等しく外国人の
ごとき孫君はこの借款をもって目的の為めの手段と考へたるペし。しかもこれ目的の為めの手段にあらずして臨時政府の政費
に過ぎざる一手段の為めに革命勃発の大目的とせるところを蹂躙するものにあらずや。粤川漢鉄道借款に反対して四川よ
り起れる革命は、南京に拠れる革命党の首領が漢冶萍借款をくわだつるを寛恕*20するあたわず。満洲において日露の武力的侵
入を扞禦*21せんとしてさらに英・米・独・仏の経済的侵略を誘引したるものは亡国階級の事なり。中原において四国が鉄道を奪取
する事を坐視せざりし革命的新興階級は、他の一国が鉄山を占領することを拒斥せずして止むあたわず。彼らは禹域
割亡の因実に借款に存すとして万死の間に四国の虎を前門に防ぎたり。然るに数十百の日人に奉ぜられて威を振へ
る局外者はなんすれぞ最も恐るべき狼を後門より進めんとするか。支那は孫君が広東の独立を扶助せば福建に日本の
勢力を樹立するを得べしとせる十数年前の支那にあらず。貧寒の亡命書生をもって猫額大の間島を争ひし幾多の宋教仁
に導かれて、鮮血を踏みつゝまさに興国の第一歩を踏み始めたる支那なることを想見すべし。彼らは日本浪人団の倫
理的共鳴と本能的喝采を過信して、これ先進の愛国者が後進の憂国的奮闘を援助するものなりとして感謝したり。
彼らは彼らの偶像と日本とが内外相応じて国家売買を計ること、盛宣懐*22と四国とが為せるごとくなるべしとは期待せ
ざりき。彼らは革命の始めにおいて四国に向けたる鋒先を今日本に転ぜざるを得ざる恐怖に戦慄すると共に、彼らの
奉戴せる偶像を仰ぎ視て実に売国奴の相貌を持てる事に驚愕したり。浪人団が大資本家の侵略と国権の拡張とを混
同する盲目のごとく、彼らは三井の利慾と頭山・犬養氏らの声援とを判別する冷静を有せざりき。日本と日本人とが隣
国の覚醒を慶賀し一点の私心なき義侠をもって革命の進行を援助せんとしたることは俯仰天地に誓ひていつわらざる所な
り。しかも侵略的資本はこの国家と国民の真意に反して興国の企図に割亡の毒汁を注がんとしたり。後に回収された
る滬杭甬鉄道*23の一部を担保せる三百万両の借款が宋君の不同意より行悩むと聞きて大倉組*24が彼の説得を委托したる
時、言下に拒斥したる不肖は非愛国者にあらず。日本の長計とすべき対支政策は列強の資本的侵略によりて亡びんと
する大陸を保全するにありとせば、借款亡国の警鐘に蹶起せる革命は日本帝国の将来取るべき根本政策と符合すべ
きものなり。さらば国家の大策と資本家の利権とを判別して考慮せる不肖の拒絶は世のいわゆる社会主義者なるが故に
あらず。一外国人にしてすら支那の将来を憂ふる者の見る所かくのごとし。擁立の内情がいかんなりしにせよ、堂々たる
大総統の身をもって革命の本義を屠るごとき非国家的妄動をあえてしていかんぞ大勢の憤怒を免かるべけんや。理由を北伐*25
の軍費に求むるなかれ。隣強に国を売りて討伐を進むるは文王*26の師にあらずして桀紂*26の交々相せめぐのみ。群衆は超国家
的思想の孫君と売国的腐腸の盛宣懐との差別すべきゆえんを視ざりき。一に英米化を能事とする孫君は支那の開放が
かかる意味をもってすべからざることを解せず。ただ自己に逆行して波立ち始めたる群衆心理を呆然として眺めたりき。
日人の群衆はこの心理的一変に随伴する暇なくしてなお孫君の讃美に熱狂し、かえってますます彼を非難の渦中に陥らしむる事
に気付かざりき。彼の秘書長胡漢民君の実権総理としての感ずべき努力もかえって彼の家兄が咋春広東における犠牲
の責任者なる回想を新たにせしめ、古来の連坐的刑罰観に加へて、梟首*28さるべきものを重用する孫文の横暴測るべ
からずとする激怒を煽ぐに過ぎざりき。在住イギリス人らは自己が画せる長江流域の勢力範囲内に乱入して日人の揚躍飛
舞するを嫉視堪へずとし、十百年来練磨せし外交的舌頭を揮つて日本と孫政府との間に秘密なる恐怖の存するを流
言し中傷したりき。−−日本が今日ようやく対支外交の範囲内において日英の両立せざるを感ずるは遅きに過ぎたらずや。
宋君らの弥縫何の效なくしてますます隔絶を深めつゝありし武昌は、漢冶萍が湖北にありかつおのれの戦利品たる発言権の
上より直に南京との断絶を決意し、黎都督を代表せる三名は袂を連ねて参議院を辞去したり。実に法制院総裁の憲
法草案が提議さるるまで暫行せられたる孫君の各省連邦的空夢はここに遺憾なく害悪を暴露し、各省を統一せんとす
る中央政府がかえって一省の一吹によりて翻倒すべき脆弱を示したることを見よ。敗将の大元帥を許さゞりしごとく局外
者の大総統を承引せざりし章太炎は、ついに統一の大勢に鞭つて立ち政府の所在地たる浙蘇の二大勢力張謇*29・湯寿潜*30
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二総長を従へて統一党を組織し一挙孫君を駆逐するの威を示したり。ロベスピエール*31の果断なき黄興は、参議院を解
散すべしと威嚇してかえってその激怒に萎縮したり。断頭台上より我首を人民に示せ我首こそ人民に示すべき価あらん
と叫びしダントン*32の胆勇なき孫君は、ほとんど策の出づべきなく日本浪人団の担荷にますます混迷するのみにしてただ世論の
恣濤に喪心したり。俘虜を副総統としたるの故に漠口・漢陽の敗戦を招きたる天理は、ここに局外者を大総統として天
下を欺ける中央政府を責罰して仮借*33せざらんとす。
 外来の一賓客として起居を共にせる不肖はこの際における宋君の痛心を日夕目撃したり。彼は日本の干渉説が風説
に止まりし安堵の思に撫でたる胸を再び政府それ自身の動揺に痛めたり。同盟会系の二、三氏を除きて有力なる総長
はことごとく南京を見捨てゝ上海に悠遊し*34、調停の為に往来せる張継君は連日の汽事に疲労を極めたり。第一総統は孫逸
仙ならざるべからずと主張せし張君も、アメリカ制の暫行にまで譲歩せし宋君も、天理に背ける責罰なる事に考へ及ばず
して一に倒満の大事に当りてこの危磯をいかんせんの憂慮に焦心したりき。火の発する時人原因を論ぜずして消火にはし
るごとく、彼らはただいかにしてこの中央政府を維持すペきかに砕心したり。彼らは天の局外者を怒る者なるを反省せず
して、日人の崇孫に耳をおおひ太炎の排孫に眉をひそめたり。法制院総裁はその起革しつゝある憲法によりてのみかかる
危機を免かれ、またかかる危機を生まざる事の実物教訓に会したり。アメリカ的大総統政治は大総統が責任を負ふものなる
をもって、かく議会と世論に弾劾さるゝに当りては大総統そのものの引責辞職に至るべく、すなわち国柱の交迭を見ざるべか
らず。平時ならばあるいはもって忍ぶべし。ようやく覚醒せる各省の心的共通を統一せんとして求めたる心的中心を、今の南
北対立の際に突として交迭し得べくんば始めより孫君を上海の埠頭より逐ふに如かざるにあらずや。しかしながら彼の
心的傾向は全く別個のものにしてすでに共通的心意に背反する言動を広居に立ちて天下に示したり。革命党は憐れに
もジレンマに立てり。不肖はこの危機の最中において○○○君*35のクーデター敢行を宋君に力説しつゝあるを聴けり。不
肖は彼がその指命者なるといふ譚人鳳の旨をためたる者なる事を熟知し、かつ宋君ももとよりその旨に出でしにあらざるを
洞察し慰諭して追へり。しかも批評の自由なる事後の今日、外国の感想を考慮すべしとせる無用なる差出口よりも、
宋君の大局的考慮よりも、かかる純乎たる支那自身の必要より発せる革命的行動はあるいは袁の天下たる局面を一変せし
やも知るべからざるを回顧せざるあたわず。○君はもとより内外の大勢を知る者にあらず。ただ彼の飾無き憤怒は孫愚我が
革命を僭奪してさらに袁奸に贈呈せんとするは許すべからずとするにありしがごとし。事後の批許は聡明なり。当時の
天下にみなぎれる統一的要求は南京に中心を得ずんば北京に要むべく、すなわち孫政府の崩壊は同時に袁政府の設立を意
味す。彼の冒険的計画は成敗の今日より見れば革党が陥れるジレンマより脱して一道をばく進せんとする同情すべき要
求なりき。偶像を路傍に放棄して『十月十日』の空拳奮闘に復へらんとせる興国的猪勇を暴挙と一笑し去れる不肖
のごときはついに外国人なりき。世論の鼎沸*36を聞き事変のあるいは勃発すべき不平の醗酵を憂へたる宋君はついに黙すべから
ずとして政府の交迭を要めたり。彼はクーデターに依る国柱の変改が彼の一貫せる各省の心的統一策に反し、かつ南
北対立の際、鼎の軽重を問はるゝ*37の不利を考へ、孫大総統の下に責任内閣の設立を要求したり。これ革命党の窮地を
脱すると共に孫君個人の為めにもすべての非難を超越すべきただ一の途なりしなり。しかしながらアメリカ大総統政治は孫君
の十数年来の固疾的信仰にして、フランス的大総統として単なる栄誉の中心たることは彼の手より権力を奪取するもの
なりと感じたるやも知るべからず。加ふるにこの革命に没交渉にしてわずかに擁立せられたる立場上より、内閣の交
迭を要求せらるゝはあたかも貸付せる物件の返還を督促さるゝかのごとく感じたるやもまた知るべからず。遷延*38決せず、しか
して大勢は奔流のごとく急転し始めたり。北の方袁世凱あり。
 願くは日本民族の誇たる任侠と多涙において不幸なる孫君に一掬の涙あるべし。滔々たる支那軽侮論者はいわゆる南北
講和なるものの成立するや彼が数十万金の賄を受けて袁に譲位せるかの流言をなし憐むべき敗者を垢罵したり。誣妄
何ぞ極まる。彼が革命のある方面の指導者たる尊敬すペき資格は実に金銭を度外視するこの美点にして、守銭奴的亡国
階級を打破せんとする新興階級を人格的に代表する者、実にこの一事に存するは不肖の固く保証せんと欲する所なり。
浪々二十年の亡命をもって得たる大丈夫一世の栄位を一月有半にしてなげうたんには、黄金の塔を築くといえども彼の遺恨を
償ふあたわざるなり。また弱者を凌犯して自ら快とする奴隷心の満足より、彼が電報談判をもって袁に譲りしかのごとき外
観を見て薄志弱行なりと嘲笑するなかれ。彼の伝記の光輝ある部分は実に不屈なる意志と行動の終始一貫にして、交
遊する者の時に処置に苦しむ剛腹の性格は利害の打算等によりて容易にかの栄位を退く人物にあらざるを熟知する者
69
なり。理由は軽侮論者の言ふごとく彼の人格的欠陥にあらずして彼の局外者なりし事にあり。彼の利慾を超脱せる美性
と、いかんなる不利をも不利と感ぜざる楽天的剛腹とをもってして、なおかつ袁の電告に萎縮せざるを得ざりしゆえんは、彼
の理想的錯誤が革命的群衆の逆鱗を招きたる事にあり。約言すれは彼の人物問題にあらずして彼と討満革命とが没交
渉なりし事なり。彼が革命的群衆に記憶せらるゝ点は東京において中国同盟会の総理たりし過去の名称に過ぎず。ナポレ
オンを見よ。フランスを分割侵入軍より救ひさらに同盟列国を馬蹄に蹂躙して十二分に報復せしめたる大恩を垂れし救国
主なり。しかもフランスは彼がモスクワを走るとともにエルバ島に逐ひ、ワーテルローに破るゝと共にセントヘレナに見
殺にせし*39にあらずや。国家がおのれの利益に反すと感じたる時の無情冷酷はフランスが救国の恩主に為せる所のごとし。当時
の支那に分割侵入軍なく、したがって彼は救国主として迎へられたる者にあらず。武漢も南京も彼に係りなく革命せられ、
民国は彼に微細なる少恩だに被らざりき。彼が大総統たりしはあたかも南京占領後の連軍諸将が功を争ひしが故に、かっ
て巡撫*40たりし老廃程徳全を持出して都督としたるごとし。すなわち俘虜と敗将との故にかって中国同盟会総理たりし者に求
めたるのみ。救国の大恩ある希代の英雄に対してすら一戦の過を許さゞる彼がごとく無情なりしとせば、統一的必要
の為に埠頭より拾ひし偶像を統一の障害と考ふると共に路傍に投棄したる冷酷は国家至上主義より視てむしろ恕すべ
き道徳的選択にあらざりしか。不倫なる対象を止めん。軽侮観者のごとく孫君が支那人なるが故の人格的薄弱にあら
ずして、一にただ彼と革命政府との接合が薄弱なりし故に存す。否、薄弱なりと云はんよりも二者の接合の不合理な
るは俘虜を大元帥となし敗将を副元帥となせるよりも擾りて、ほとんど悪魔の胴に天使の首を載せたるごとし。天使の首
はワシントンの楽園を夢み、悪魔の胴はフランス革命の地獄に血をなめんと欲す。アメリカ独立後の楽園は財政も裕かに、
隣強の窺ふものもなく、自由も立ち、憲法も行はれ、反動の蛇も潜まざりき。フランス革命の地獄を渡り始めたる革命
党らは、かかる天国の歓楽を語らるゝだに憤怒すべき苦痛を抱ける鬼なり。その根本的思想・本能的感情よりすでに同席す
べからず。各省分割的憲法と割亡的借款とは単に破裂を求めたる噴火口に過ぎずして、二者の理論的討究によりて
分離したるものにあらず。地獄に王たる者はサタンなり。革命を支配する者はダントンなり、ロベスピエールなり。天使
とワシントンとはむしろ敵国の人にあらずや。苦痛の鬼、戦の地獄の支那にまさにサタンとして来るべかりし孫君は、天
使の心を以つて三井との割亡的借款を企てたり。ダントンのごとくロベスピエールのごとく大屠殺をもっても敢行すベき統
一的要求の支那に帰りて、孫君はワシントンの十三州分立の翻訳より各省分割的憲法を強ひたり。革命運動が彼に
何の恩恵を被らざりしのみならず、革命の理想に対して彼の理想はかえって明白なる反逆者なりき。中国同盟会総理が
放浪の間に染色して懐にしたるアメリカ風の国旗は一顧だにされずして、別種の統一的理想を五族に及ぼさんとせる五
彩の民国旗に見よ。−−これ国家的理想のシンボルにおいて彼の理想が全部抹殺されたるを四億万民に示せる証明に
あらずや。すなわち彼は始めより共の旗陰に立つ大総統たるべからざるものなりき。かくのごとき天下の大勢より孤立し
たる孫君を擁して北方の袁世凱に対立すべきを期待したる日本人は、不肖いかにすとも革命の理解ある援助者なり
と信ずるあたわず。革命的群衆がその推戴せる偶像の真相を看破して怒り始めたる時、群衆心理の残虐はこれを粉砕せ
ずんば止まざりし事例は史に見る所なり。孫君の活路は宋の提案せし当時においてせばおのれ非難の上に超越して一切
の責任を内閣制に負はしむることにありき。遷延決せずしてここに至りし後のそれはただ一あり。すなわち速かに袁に投げ
出すことのみ。電報談判の妙境に入りて孫・袁授受の決する*41まで援助団の代表頭山・犬養氏らも与り聴かざりしといふ
は信用すべからざる民族性の故にあらず、活路を見出せしときの生物の本能なり。しかし孫君にして頑然各省分割的
憲法を維持せしとせよ。彼はアメリカのそれを主張せしラフアエットの運命に従いて断頭台に登らざるべからず。しかし
また依然割亡的借款を遂行せしとせよ。彼は一月前諮政院に弾劾せられたる盛宣懐の後を追ひて参議院の問責の下に
亡命せざるべからず。実に支那浪人団の声援は大勢に取残されたる轍鮒*42のごとき一紳士に大ナポレオンもくわだつべからざる不
可能事を強ひし者と言うべし。声援の反動として講和後彼に対する嘲笑慢罵の風潮に一変せしは、革命の理想と運
動の真相を理解せざるよりの過失にして深く責むべきにあらず。しかも任侠を誇とする日本人としては彼の思想的欠
陥を論ずるに厳正なるべく、いわれなき誣妄を尊敬すべき人格に加ふるは恥辱にあらざるか。日本人としての多涙は彼
が微功なくして万死一生の実勲者らより奪ひし当時に憎むべく、王葬の威嚇に酬ゆるに一人の味方だに無かりし悲
惨なる没落に及んで指笑するはその誇とする所を傷けざるか。不肖は独り怪しむ、常に傲然として支那の指導者を以
て任ずる日本及日本人は、かかる革命に交渉なき別個の一思想家を選びて援助したる自己の無知無理解を反省せざる
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事を。力なき孫君は責を負ふべからず。革命の実体を把握せずして幻影に後援し俗諺のいわゆる「のれんに腕押し」の錯誤を
演じてかえってのれんの薄弱を罵り、売節をしい、怒の移る所ついに支那民族は革命の資格なしと独断するに至る。不肖は
実に日本人の反省的良能の健在む憂ふると共に、無力なる孫君の不幸に同情を禁ぜざるものなり。事実に見よ、かかる
笑ふべき支那の指導者らがのれんの後援に叫喚しつゝある間において、統一的要求は黒潮の太平洋を流るゝ勢をもって北
に向ひしにあらずや。卑むべき晏子の御者らが局外者を担荷して喧囂せし間において、愛国的覚醒は埠頭より拾ひし
偶像は路傍に放棄すべきものとして顧みざりしにあらずや。いわゆる南北の講和なるもの、彼らが故国に報告するごとき
袁孫の角逐にあらずして、孫に行き袁を選べる大勢の根本を把握せずんば考察すべからざることなり。罪は民族性
の生理的約束にあらず孫君の人格的価値にあらず。実に五族統一旗の理想と孫君の空想とを混同するがごとき日本人
の非研究的性格をもっては解すべからざるのみ。不肖は日本及日本人が新支那の指導者たらんとする抱負を歎賞する
ものなりといえども、その前提としての道念智見に欠くるよりして今なお伝来的軽侮観の堕力に支配さるゝ風潮に遺憾
なきあたわざるなり。
 実に不肖は日本朝野の反省を請はざるあたわず。武昌に黎元洪の名をもって排満宣言したる十月十三日より南京参議
院に孫逸仙が袁大総統を推選せし二月十三日に至る満四ケ月間、その始めより終までを通じて日本人は隣国の国士を
罵詈して忘恩民族と呼ばはる程にいかんなる援助の恩をうりしか。宋君らの南京における九死を救ひたる日本人諸君
は義に勇む者を悦ぶ興国的気魄の自ら満足したるもの。黄君を拝跪し孫君を合掌したる者はまた自ら有する封建的奴
隷心の快しとしたるに過ぎず。個人の間においてすら感銘を受くる程の恩義には重大なる事実を要す。いやしくも一国が他
の国家の建設に感謝さるべき授助を自任せんとするには建設者の運命を有效に確実に負担したる事実なかるべから
ず。史家エミ−ル・ライヒ*43はアメリカのフランスに対する忘屈を指摘して遺憾なし。アメリカは陰謀の当初よりフランス人ボーマル
シェ*44より給付せられたる二百門の大砲およびそれに適当せる軍器を有したりき。(暴利を貪りたる廃銃が戦争終熄
後に到着したる日本人の比にあらず。)独立軍は戦へば必ず敗れその卑怯と脱走と裏切とはフランス義人をして幾度か落
胆せしめたりき。(欧米崇拝の奴隷心よりしてアメリカ独立戦争を買被れる日本人はその軽侮する支那の第一革命において
はかかる薄胆を感じたる事あらず。)仏将ドグラス伯*45はヘンリー岬にイギリスの海上権を打破して叛乱植民地に陸兵を輸
送する能はざらしめたりき。(ドイツが公然と清朝を助け*46その将校が漢口の砲列に号令しつゝあるを傍観せし日本の
態度と較すべきことにあらず。)アメリカの建国がいかにフランスに援助せられたるかは、彼がアメリカの独立は自ら得たる誇
にあらず全然英仏戦争の結果として与へられたる賜なりと断言せるに見て察すべし。しかも愛国的自尊心は最も恩恵を
垂れしボーマルシェに感謝するを恥として空言虚名のラフアエットの銅像をもって代へ、フランス公使ゼネーが援助に
誇りし態度あるやその召遼を要求したりと言う。国家の尊厳は国際間の恩義を軽んずるおおむねかくのごとし。建国の戦に
おける同盟国むしろ保護国に対してすら忘恩ここに至ることアメリカ人のごとしとせば、すでに一種の軽侮観より忘恩民族なりと
せらるゝ支那人の革命において何らか重大の援助ありしかのごとき虚構誣妄を流布するは、革命遂行後の両国々交に恐
るべき爆弾を埋むものにあらずや。義人の急におもむきて身命を保護しあるいは亡命客の安全を保証するは日本民族の興国
的気魄より生ずる自然的発露にして、代償を伴ふ権利にあらず。乃公その大事に参与せり乃公某々の秘密を企画せ
りといふがごとき虚栄浮誇は大丈夫の恥づる所。いやしくも東亜の盟主たらんとする国民はかかる支那浪人の多きに誤られて
革命後の支那に臨むに恩主の誇をもってし、ついに忘恩民族の慢罵に雷同するがごとき事あるべからず。アメリカ的夢想より
十数年来日本の援助を哀求せる孫君の過失は彼自身の負ふべきもの。かって一顧だにせざりし日本政府は北米植民地に
関してイギリスに恨を構へしフランスにあらざるをもってなりき。植民地の独立軍がイギリスの支配を脱せんとしたるゆえんは、則
ちフランス等の同盟国よりも永久に中立せんとしたるゆえんなり。排満を叫んで満人の征服を斥けたる興漢革命は日本
の保護国となりて亡漢を再びせんが為にあらず。フランス公使を召還せしめたるアメリカ人の怒は忘恩にあらず独立戦争の目的よ
り見て正当なる愛国的行動なりき。さらば頭山・犬養氏らが南北一統を誹謗せしを憤りて日探速かに帰国すべしと宣
言せる章太炎はまた堂々たる興国の先覚者なり。実にいささかの援助だになかりし自己を反省せずして忘恩民族の誣妄を逞
ふするは東洋の盟主たるべき国民的道念にあらず。革命党の援助を求むるは日本民族の任侠的国風に信頼し黄人種の
先覚者なるが故におのれの覚醒にも同情すべきを期待するもの。日本の保護の下に国家を措き無知驕慢なる浮浪漢の指導
に甘んぜんが為にあらず。不肖がある範囲における実見者として、また不肖自身を一実例として、支那革命における日
73
本及日本人の援助なるものの多く功績なかりしを論述せるゆえんは何ぞ。実に米・仏に鑑みるを待たず、南北一統と同
時に生じたる両国人士の悪感情を実見して、しかし不法なる日本人の自負を改めずんば将来の国交あるいはかえって革命の遂
行によりて阻隔*47すべきやを憂慮するが為のみ。否。ただに日本人が感謝さるべき何の援助を与へざりしのみならず、
日本政府は革命の遂行を中途に阻止したる妨害者にあらざりしか。すなわち流言のごとく消えし長州元老らの清帝中心の
南北調停策がイギリス本位の外交によりて袁世凱中心の講和斡旋に変形して現はれたる前後を看よ。国民の声援を代表
して来れる頭山・犬養氏らは革命の局外者を擁立して南方に喧囂し、ジョルダン*48と伊集院氏とは同盟二国を代表して
北に袁を擁護して譲らず。かかる発狂漢のごとき外交策は日本の特産物なるにせよ。受動の立場にある彼らにおいては同
情者を探偵と誤認したるごとく、当然に隣強の計必ず鷸蚌の争*49を煽して漁利を窺ふに存すと解釈せざるを得ず。強国
がその貿易の保護を理由として申出でたる調停は当然に弱者においては干渉来の恐怖を惹起すべく、この危機に当て
袁・孫を論ずべからずとなして、ついに主客顛倒の恨を呑でこれに応ぜざるを得ず。袁に譲らざるを得ざらしめて、しかもその
譲りたるが故に嘲笑さるべき民族なりといふがごときは、援助の声にあらずして追害者の論法なり。おのれらの公使が妥
協を斡旋しおのれらの領事がその調印に立合ひて、しかも袁と妥協したるが故に革命の資格なき国民なりといふがごときは、
既に俯伏せる頭に足を加へんとする卑怯者の暴行なり。維新革命における勝・西郷の談笑の間に握手せる根本原因が、
実に英・仏の干渉起らんとするに顧みたる大局的行動なるを顧みよ。さらば独り日英干渉の殺到せる支那において福沢
の『痩我慢誅』*50を孫逸仙に強ひんとするは何ぞ。不肖は一般日本人と共に維新革命における両雄の大局行動に誇を
有するものなり。故に抑制すペからざる痩我慢を殺して一切を袁に譲りし革命党諸氏の統一的愛国的覚醒を同様なる
大局的行動なりとして敬重せざるを得ず。不肖は明かに断言すべし。日本及日本人は革命の支那に妨害を加へて感
情を要求する顛倒事を夢むるよりも、忠実なる従僕として大英帝国の嘉賞に甘んぜば足るべきなりと。イギリスの買辧*51
たる袁世凱の為めにおのれが背に負ひ胸に抱きたる革命党を弾圧して、あたかも租界の路傍に立てるインド巡査のごとき恥辱な
る任務を遂行せし以外、革命の支那より一点頭の謝意をだに期待し得べきものにあらざるなりと。言の礼を逸するもの
あらば憂国の微衷をくんで暫らくこれを寛恕せよ。不肖は日本の朝野が挙りて支那の革命さるゝことによりて両国の親
善を期待しつゝある天啓的信念を遵奉せんと欲する一人なるが故に、実に無理解の為めに陥れるこの重大なる国際
的罪悪に反省せずんば、かえって反対の結果に至るべきを予見して憂慮恐縮禁ずるあたわざるものなり。暴言何ぞ異をたて
んや。
                                 (大正四年十一月起稿十二月印刷配布)
75
 
 
 
*1南北講和:南孫北袁の状態から中国政府をまとめようとする動き。
*2土崩瓦壊:(どぼうがかい)土が崩れるように崩れ落ち、瓦が砕けるようにバラバラになること。物事がすっかりダメになり元通りに直しようがないこと。
*3湯化龍:(とうかりゅう)1874〜1918年。湖北省諮議局議長。武昌蜂起以後、湖北軍政府民政長に抜擢。1918年、カナダで暗殺される。あまり資料がないがこの経歴からすると立憲派。つまり革命派ほどの急激改革は望まず、立憲君主制の方向で緩やかに改革をやろうとするグループ。
*4満腔:(まんこう)体の中全体。
*5欣快:(きんかい)非常に気分がよく、喜ばしい。
*6霞関:霞ヶ関のこと。ご存じ日本の中央官庁街。この時代は一番古くからある外務省の代名詞として使われることが多く、たぶんその意味。
*7冥助:(めいじょ)辞書に無いが、「知らず知らずのうちに助けること」だと思う。
*8杉山茂丸:1864〜1935年。頭山満の玄洋社系の国家主義運動家、大アジア主義者。経済に明るく政界の黒幕的存在。桂太郎・山県有朋などの参謀役も務める。
*9声色自若:(せいしょくじじゃく)声色=声と顔色、転じて態度。自若=落ち着いて慌てないようす、物事に動じないようす。
*10晏子:(あんし)斉の宰相晏子のこと。ここでは「主人」の意味。「晏子の御」と言うことわざがあり、晏子の御者が主人が宰相であることを威張っていた、転じて他人の権威をかさに着て得意になる人。
*11担荷:(たんか)荷物をになうこと。転じて責任をになうこと。
*12莫逆の友:(ばくぎゃくのとも)互いに心の通じ合った非常に親しい友。
*13滬寧:(こねい)上海・南京。
*14邂逅:(かいこう)思いがけなく出会うこと。
*15孫則革命の三位一体的論法:孫文の革命三原則を一体的に行う論法。三原則とは「駆除韃虜」(満人の虜囚状態を駆除する)「回復中華」(世界の中心としての栄光を回復する)「建立民国」(共和国の建設)。
*16擾々:(じょうじょう)ゴタゴタと乱れるさま。
*17晏御的:(あんぎょてき)*10参照。
*18鑑戒:(かんかい)戒めとすべき前例。
*19漢冶萍借款:(かんやぴょうしゃっかん)漢冶萍煤鉄公司を担保とした三井財閥からの借款。漢冶萍公司の出資者盛宣懐が革命政府に没収されることを恐れて資本金を上積み。その分を三井財閥から出させてその資本金を革命政府に又貸しさせた。日本側の仲介者は犬養毅・頭山満。孫文と黄興は極秘にこの話を進めたが粤川鉄道借款を行った清朝と同じ事をする気かと反発を招く。
*20寛恕:(かんじょ)とがめ立てをせず、大目に見てゆるす。
*21扞禦:(かんぎょ)防いで相手を入れないようにする。
*22盛宣懐:(せいせんかい)1844〜1916年(大正5年)。清朝の経済官僚・資本家・実業家。清朝の元で殖産興業を進め、鉄道・鉱山・製鉄・運輸・紡績等の各種事業を推進。各官営会社の要職を務める。袁世凱とは対立関係。彼の行った鉄道国有策が辛亥革命の導火線となる。革命後日本に亡命。その後上海に戻り、政界とは絶縁して実業家として活躍。
*23滬杭甬鉄道:(ここうようてつどう)上海−杭州−浙江[勤の力がおおざと]県。
*24大倉組:戦前の中堅財閥の一つ、大倉財閥の中核企業。商社。中国に積極進出していた。
*25北伐:北の袁世凱軍閥討伐。
*26文王:(ぶんおう)中国の古代王朝、周の創設者武王の父。儒教では聖王として崇められている。
*27桀紂:(けっちゅう)桀=夏の桀王。紂=殷の紂王。共に暴君として有名な古代王朝の王。夏は桀王の時に殷に滅ぼされ、殷は紂王の時に周に滅ぼされた。
*28梟首:(きょうしゅ)さらし首。
*29張謇:(ちょうけん)1853〜1926年。江蘇諮議局議長。1911年南京臨時政府実業総長。
*30湯寿潜:(とうじゅせん)1857〜1917年。浙江諮議局議長。1911年浙江都督、南京臨時政府交通総長。1890年に改革論「危言」を著し、1906年には張謇と共に立憲公会を組織。清朝を内部改革しようとする立憲派。
*31ロベスピエール:マクシミリアン・ロベスピエール。フランス革命の政治家。下層市民階級から支持を受けたジャコバン派。フランス革命後、経済・軍事面で失政を重ねたジロンド派(裕福な商工業者を初めとした上層・中層階級が支持)を追放して政権を掌握。清廉潔白な理想主義者だったが政権掌握後は恐怖政治を行い、革命反対派・王党派・穏健派・過激派・ジャコバン派内の対立派などの人物を次々に処刑。最後はクーデターで自らも処刑される。
*32ダントン:ジョルジュ・ダントン。フランス革命の政治家。ロベスピエールと同じジャコバン派だったが恐怖政治の行き過ぎに対してロベスピエールと対立。ギロチン台(断頭台)へ送られる。
*33仮借:(かしゃく)知らないふりをして罪などを勘弁しておく。見逃す。
*34南京を見捨てゝ上海に悠遊し:張謇・湯寿潜などの立憲派は南京臨時政府を見限り上海に引き上げてしまった。
*35○○○君:原本のまま。誰の事だろう?
*36鼎沸:(ていふつ)群衆などが騒ぎ立つこと。
*37鼎の軽重を問はるゝ:権威のある人の実力を疑う。また、力を疑ってその地位・評判を奪おうとする。
*38遷延:(せんえん)長びくこと。長びかせること。のびのびになる(する)こと。
*39モスクワを走るとともにエルバ島に逐ひ、ワーテルローに破るゝと共にセントヘレナに見殺にせし:一時は欧州を席巻したナポレオンはロシア遠征失敗後、反ナポレオン同盟軍に敗れて失脚。地中海のエルバ島に追放される。その後、脱出してパリに戻り復帰。しかしワーテルローの戦いに敗れて大西洋の孤島セントヘレナ島に幽閉される。そこで死去。
*40巡撫:(じゅんぶ)各省に置かれた地方長官のこと。
*41孫・袁授受の決する:南京臨時政府がガタガタの状態になった後、孫文は本来なら倒すべき相手である袁世凱と本格的に南北講話交渉を開始。政権を袁世凱に移譲する代わりに清朝の廃止と将来の議会・大総統選挙、憲法の制定などを確約させる方向で交渉。交渉は南京・北京間の電報で行われた。その結果、1912年2月12日宣統帝退位、清朝滅亡。4月1日孫文辞任、袁世凱が臨時大総統に就任、翌日臨時参議院北遷。孫文としては自分に政権担当能力が乏しいことを自覚したため、せめて最初の目的だった共和国建設の形だけでも作っておきたかった。
*42轍鮒:(てっぷ)わだちの跡の水たまりの中であえいでいるフナ。転じて、危急の事態に陥って苦しんでいる者。
*43エミ−ル・ライヒ:誰でしょう?調べても出てこない。
*44ボーマルシェ:劇作家のカロン・ド・ボーマルシェのことか?代表作「フィガロの結婚」
*45仏将ドグラス伯:誰でしょう?アメリカ独立戦争関係は資料が少ない。文脈からすると支援に来たフランス艦隊の提督では無いかと思う。
*46ドイツが公然と清朝を助け:当時ドイツ人将校が北京政府側の新軍に加わり指揮を執っているとの流言が流れていた。しかしそう言う事実は無い。ただ武昌蜂起に対して各国領事は協議の上で不干渉・厳正中立を宣言しそれを守っていたがたが、ドイツだけは清朝側に武器を引き渡していた。清朝の洋式軍隊である新軍はドイツ軍人の顧問により教育を受けていたのでその関係と思われる
*47阻隔:(そかく)じゃまをして間をへだてること。
*48ジョルダン:北京駐在イギリス公使。武昌蜂起に対しては早くから袁世凱を支持。袁と革命派との南北和議交渉の仲介役を勤める。
*49鷸蚌の争:(いっぽうのあらそい)鷸=シギ。蚌=ドブ貝。ことわざ「漁夫の利」の前の部分。
*50『痩我慢誅』:たぶん「痩我慢の説」の事だと思われる。福沢諭吉が明治時代に書いた、江戸城無欠開場を決めた勝海舟・西郷隆盛会談を描いた本。
*51買辧:(ばいべん)清末から民国時代に掛けて欧米資本の元で商売していた地元中国人資本家。
 
 
 
 
 
 
    九 投降将軍袁世凱
 
           天末だ支那に英雄を与へず−−理論を没したる超人的説明をもって孫を視、袁を考ふるは一種
           の支那人崇拝論者なり−−袁は猟官運動者として偶々起用を得たるのみ−−袁は簒奪の奸
           雄にあらず卒凡なる忠臣なり−−彼は起用後直ちに武昌に降伏密使を送れり−−全支那の
           連日的呼応蜂起に包まれたる袁内閣の隆伏方針−−彼は事大主義者として革命風潮に恐怖
           随従したるのみ−−彼が端方のごとく殺されざりしゆえんは一に京漢鉄道に近かりしのみ−−
           勝海舟の役割を演ぜるモリソン−−『革命』は統治者として講和使に臨めり−−革軍の勤
           降僕に一変せる事大主義の唐紹儀−−革命を中挫せしめたるイギリスおよびその従属国日本−−
           革命を決したる北京最後の爆烈弾−−良弼の爆殺と袁の爆殺未遂は日・英の妨害を突破して
           清帝退位を決す−−官革両軍を翻弄せし奸雄とは何の謂ぞ−−革命終りたる時に来れる孫
           は残されるただ一の任務たる対袁交渉においても到底凡骨なりき。
 
 あゝ排満興漢の革命旗が武昌城頭の砲煙中に翩翻*1たりし時、誰かまた四個月後にかかるべきを想ひ見しぞ。不肖は徐ろ
に前後を回想する毎に、実に孫逸仙君が新支那の根本要求を体現せる英雄ならざりしことに一切の遺憾を帰納せざ
るを得ざるものなり。誤認せられたる大義の首唱者としてしかし黎元洪が英雄なりしならば孫君は議院の一討論家たる
に過ぎざりしなるべし。これと同様に、革命運動の統率者と誤認せられ、全支那全世界の衆望を負ひし彼がすでに奉
ぜられて大総統たりし今日、袁輩のごときはもとより一降将、免罪起用を得ば歓天喜地の満足なるべかりしはまた論なし。
黎の怯懦喪心の俘虜なりし事が孫君を大総統たらしめしと同一の理由によりて、彼が革命の理想にも運動にも没交
渉の木偶*2なりしことが、ついに袁をして南北統一の終局を立働ける英雄なるかのごとく天下に誤認せしめたるのみ。何
たる不可解の顛倒事ぞ。大ナポレオンの超人的天才をもってすら自己の個人的価値の微少なるを省みていわく、吾は時勢の寵
児なりと。天実にその寵児を大義の首唱者に求めて得ず、中国同盟会総理に尋ねて得ず、四億万民中未だ天寵を享く
べき一児を見ざるに怒りて禹域なお未だ興すに足らずとなし、ついに遺憾なき亡国階級の代表的人物を送りて暫く国運
を傍観するの自暴に出でたるのみ。俘虜と木偶とをもってしては興国の天寵をみだりにすべからざるが故に、代表的一売
国奴を与へて売国行為を欲しいままにせしめ、もってさらに真個徹底的の覚醒を試練せんとする天意ならざらんや。袁を買被り
て奸雄となし、支那の治安を彼の人物に期待したる滔々たる官吏および支那通諸氏は根拠なき独断をもって理智を暗ま
すこと街頭の占い師と選ぶ所なし。亡国の恨を呑める外国人の英雄児をかえっておのれが亡ぼしたるコルシカ島*3より得て分
割の危機を免かれたるフランスは天寵をうけたるが故なり。袁世凱を奸雄、少なくも奸悪なる英雄なりと観ずるものは、
その前提として英雄の出づべき天寵すでに支那に降下せることを論証したる後においてすべし。彼は瀕死の亡国階級が
カンフル注射によりて蠢動せるが為にあたかも新時代の国運を代表せるものなるかのごとく凡俗に誤解されしのみ。
 すべて凡俗は何事においても超人的説明を歓迎する者なり。講談師の岩見武勇伝*4を悦ぶ印半纏*5諸君と、孫君が西半球
の果てより東半球の革命を支配したりと信ずる支那浪人諸君と、超人的説明によりて満足する凡俗的情操において同
一なり。袁世凱を奸雄となす者も等しくこの同一なる凡俗的範疇を脱せざるよりして、笑ふべき超人的説明に陥る
もの比々として然らざるなし。すなわち彼の多智多策を称して人類の智嚢*6を超越する怪物に非ざればあたわざる事にまで
及ぼして南北統一の解釈となすごとき、不肖は支那を説き対支政策を論ずるものゝ名誉の為めに惜まざるを得ず。凡
俗的情操はアメリカにありし孫君と漢口の爆弾破裂とを人為的に結合せしめて考へずんば満足せざるごとくに、袁と
革命党との握手を考察せんとするに当りてもまた然らざるを得ず。彼が西太后*7の死去によりて失脚すると同時に河南
の草廬*8より常に孫・黄との間に密使の往来ありしといふささやきを聴きて肯定せんと欲す。かくのごときは彼をもって国運の興
亡を洞察せし予言者的神人なるかのごとき独断より出発するもの。当時わずかに二、三千人の年少読書生の結社に過ぎざる
革命党は彼の皮相なる俗眼には康有為よりも遙に価値なく、土匪草賊の集団よりも無力なるものに映じたるは疑ひ
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なし。事実また彼は亡国階級の典型に従いて常に官職に眷恋*9しその起用運動に日もまた足らざりし幾年間は内外人の等
しく見聞せし所にあらずや。同様なる超人的説明を悦ぶ凡俗的情操は、彼が大兵を擁して密かに革命党と握手し、一面
清朝の為めに計るかに装ひて胸中歴々たる簒奪の成竹を有して進退せしものゝごとく信ぜずんば止まず。しかしかかる
『偶然の成行』より『必然の計画』を推論せんとする俗情に従へば、比較的最も無策なる大隈伯は袁に帝政延期の
警告を発せんが為めに有賀博士*10を遣はして日本の承認すべき事を彼に軽信せしめ、さらに周特使*11の来朝を謝絶して彼
を窮谷に陥れんが為めに小田切万寿之助*12氏・坂西大佐*13らを招きて満蒙案*14・漢冶萍案の解決を運動せしめたりと云はざる
べからず。伯やもとよりいささかおいぼれせりといえども山県公と共に残存せる維新の革命児なり。しかも天行の健なる推移に対し
て予め計策を立るあたわざるは論なく、昨是今非の行動、天の指導によりて偶々そのよろしきに合せるものに過ぎず。袁
輩の凡々たる俗物。滔天翻海の端睨*15すべからざる革命渦中において一小策一小方針の画かるべきものあらざるは常識に
照して何人といえども推想し得べきはずなり。支那軽侮論者はその実支那崇拝論者にして、興国日本における山公・隈伯に難
しとする深遠なる謀略が独り最も腐敗せる一支那人に企画せられ実現されたりと言うか。
 事実は一切の論断を支配すべき権威なり。事実によりて不肖の判断し得る所は西太后の没後故山に幽居して再起
の望なかりし彼としては、猟官*16熱に没頭して岑春?*17の一言に拒斥せしものを抃舞*18拝受したるのみと。餓えたる彼は
食を選ぶあたわずして食へり。凡眼俗頭の彼は武漢の烽火が何を意味するやを知らず、また漢人の身をもって排満興漢の
大潮流に逆行し得べきものなるや否やをも考察すべき智慮を有せず。ただその猟官的慾望を凡俗なる道徳的形式の踏襲
に求めて忠臣義士の嘉賞を被り、もって往年の軍機大臣を夢みたるに過ぎざるなり。亡国階級に生活し飛舞したる彼
はすべての事、亡国的範疇を出づるあたわざるはもとよりなり。すなわち旧道徳を維持すべき誠実なる良心を欠如すると共に、
新に興隆したる気運を眼前に提示さるゝも明確なる理解を有し経綸*19を画き得べきものにあらず。すなわち彼は清室の重臣
として不忠不臣の誹毀*20を免かれんと欲しながら忠臣義士たるべき強固なる道念を欠き、革命の風潮に恐怖しながら
それにさおさして潮頭に立べき計策を有せざりしのみ。一言にして尽くせば彼は餓えたる官職を頬張りて嚥下*21する能は
ざりし狼狽者に過ぎず。彼が曹操・董卓*22の大野心を包蔵して官革両軍の間に縦横の略を運らせしかに考ふるごとき低扱
公武合体論に止まりし事実の明白なるものあるにあらすや。維新革命において公武合体論は亡国階級の人々すなわち諸侯
と上級武士との間においてただ一の妥協案たりき。同様に、新気運の視界に入るべからざる階級の人、袁は垂涎美膳*23
臨みつゝ箸を下すに先ちて抱腹絶倒すべき四ケ条の大策を提起して裁可を得たり。一にいわく明年国会を開くべし、
二にいわく責任内閣を組織すべし、三にいわく革命党検挙令を廃すべし、四にいわく党禁を解くべしと。これ公武合体論
のごとく妥協案のごとくにしてその実は古今亡国階級が興国的運動に提出したる降伏条件の完備せるものにあらずや。一と二
とはフランス革命において王が国民議会に降伏したる条件なり。二と三とは維新革命において徳川政府が薩長の青年に降
伏したる条件なり。あゝ諸公。東洋に人となれる不肖らが奸雄の音響より与へらるゝ暗示は候令道義人情を蹂躙す
るもすべからく雄大剛毅なるものなるべし。腐敗旗本と痴呆大名とが為せしごとき浅薄屈辱なる妥協案に依頼して一に主家
及自家の無事を僥倖*24せんとするごとき腐腸軟骨なる忠臣義士は奸にあらずまた雄にあらず。袁氏行動の跡の不忠不義なりし
は彼が忠臣義士の美名をこいねがわざりしにあらず。亡国階級のすべてが旧道徳を死守すべき良心すら腐朽せる原則に基きて
彼が旧道徳の勇者たるあたわざりしが為めのみ。旧道徳的良心の朽腐してしかも新道徳的良心の萠芽せざる無道徳なる
人物が単に肉塊のごとく勢力に阿附随従*25するは当然なるべし。これをかえって超人的見解者のごとくある遠大なる野心の下
に立てられたる計策となすごとき誠にもっての外なりとす。彼の智謀胆略を絞りたる一切の大策は四ケ条の降伏条件の
み。卑むべき猟官運動の食丐*26は燎原の火に一荷水の力だになき降伏条件がたとえ亡清朝廷に納れらるゝとも革命的集
団にいかん様に受取らるべきかを看守せず、卒爾*27として湖広総督欽差征討大臣を拝命したり。食丐はこの大官のまさに
岑春?に任ぜられんとせしを見て狼狽したるべきも、武漢一角の兵乱が後彼をいかに狼狽せしむべき大事なるかを
考ふるあたわざりき。彼の智識程度として全国土に拡汎せる民族的情操・国家的覚醒を理解し得べからざるは論なく、
諮政院の声をもって直ちに革命的要求なりと誤断し、四ケ条の大策が朝廷にだに許容せらるれば可なるかに盲信した
り。火中に栗を拾ふことは比較的得意なりし岑のあえてせざる所なりき。永久に官場より封鎖されし彼は欽差大臣の
名に眩して進退を考慮する聡明を失ひしのみ。
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 果して彼はその愚策が嘉納せられたるに安じて起つと共に、始て排満興漢の澎湃*28たる大勢を見て狼狽したり。武漢
勃発を聞きて伊集院公使を筆頭とせる日本の官吏すべてが清朝のなお万歳なるべきを盲信せしごとくに、彼が慶親王の文
書を携へたる陰昌と河南の草廬に会見せしは実に十月十七日にして黎擁立後五日目なりし事を忘るべからず。当時
もとより革命の噴火口は湖北省の一地域に過ぎず。為めに伊集院氏が清朝を助けて暴動を鎭圧すべしと進告せしと等
しく、彼は武功をもって君寵を買はんといふ軽率なる楽観に基きて大命を拝受したるものなりとす。しかも彼の軽率なる
楽観は二十二日湖南の長沙および宜昌の噴爆と、さらに同日北京に近き山西省太原府における独立の声に打破せられた
り。翌々二十四日江西の九江また陥落し、吏に翌二十五日陜西の西安府革命の火を挙げ、諮政院は北京において盛宣懐
を弾劾し、南に向へる鳳山将軍は叛徒に殺され、驚心核目の凶報櫛の歯を引くがごとし。凡々たる俗吏は大命を拝受
してしかも一週日に激変せるこの不可解不可測の大勢に錯愕喪心したり。馮国璋と黎元洪とが漢ロを争奪しつゝある間
において、彼は亡国階級の典型にしたがってすでに敵に媚を呈する婦人的行動に出でたり。馮の軍が確実に漢口を回復せし如
くさらに武昌を衝きて陥るるを得たりしならば、彼は忠臣義士の因襲的堕力にしたがってあるいは少しく勇者を学びたるべし。
大命拝受後腹背の各地に起れる革命の声に萎縮したる彼は、独の軍が武昌の砲弾に辟易して江の半より退却せし如
く、亡国階級としての怯懦に襲はれたり。革命党および日本留学生らが上海関門の襲撃を企てつゝありし日、摂口に
屯せし彼より武昌に送られたる彼の密使は明白なる投降の申出なりき。一戦漢口を奪還して革軍の胆を寒からしめ
もって妥協を申込める彼の遠謀計るべからずとなす者のごときは噴飯すべき支那崇拝論者なり。去就に迷へる彼は清室
に対する旧道徳の排満興漢の大勢に逆行し得べからざる恐怖との間に立ちて首鼠両端を持せざるを得ざりしのみ。
革命のモットーが満漢の争を掲揚したるが故にすべての亡国的官僚が吾また漢人なりとして投降の口実たりしと同様に、
内閣総理の任命を飛電辞退せし彼は摂政王の歎息して袁もついに清室を輔けざるかと言へりしごとくすでに投降のやすきに
選びつゝありし一亡国的官僚に過ぎず。武昌都督府において黎元洪、胡瑛*29、故宋教仁三氏の前に恐惶俯伏せし二人の
密使は、彼が清室に対する臣節と漢人たる義務に迷へる事を愁訴し、宋君らより漢奸*30となりて墓陵をあばかるゝより
も、明末忠臣の跡を継ぎて興漢の義士たるべしと鼓舞せられて活路を発見せし事実を見よ。しかして密使の送派が北
京に洩るゝと共に、実に十一月一日袁内閣を決定し、即時帰京を促すの上諭となりし事実を見よ。彼は北京朝廷
の看破せしに違はず、召還を受けずんばすべての亡国的官僚の為せしごとく革命の雷同的投降者たりしなるべく、また革
命政府より漢人の功あるものは一律に重用すべしとの保証を受けずんば召還に応じて北京に入るあたわざりしなるべ
し。あゝこれをしも簒奪の遠謀を包蔵して官革両軍を翻弄せし奸雄なりといふ乎。怯懦なる狼狽者の妄動に過ぎず。
 怯懦なる狼狽者を迎へたる北京朝廷は、またもとより怯儒狼狽を極めたる平家の一族なりき。狼狽者が革軍政府より
活路を指示せられ起用の約諾を受けて北京に入り隆裕太后*31に謁したる十一月十四日に至るまでの形勢を見よ。四日
揚子江流域の咽喉たる上海は堅確に革軍の手に帰したり。付近の通州、杭州、揚州、蕪湖の陥落は翌五日にして、
同日貴州は雲南に呼応して独立したり。南京の攻撃開始は八日にして風声鶴唳*32陥落に至らざる以前においてすでに敗報
は各地に電告せられ、山東省民は連邦組織を要求し、安慶、静江、桂林相次ぎて応じ、翌九日広東は独立し海軍は
挙げて革軍に投じたり。福州、汕頭、廈門の独立は翌十日にして、さらに翌十一日にいたっては宮城の守護たるべき奉天
山東および芝罘また独立して北京は全く革命的潮濤に包囲さるゝ孤島となれり。連日連夜接踵して到る所の凶報かくの
ごときは古今の興亡に比類なき激変にして狼狽せる亡国的官僚の為し得べき所はただ亡国貴親*33らの悲泣に和して涕涙を
流すことのみ。実に十四日の謁見が討伐を全然不可能としていかに革軍と和を議し皇家の存続を望むべきやを諮問
奉答せし涙物語なりしといふは当然にあらずや。しかして南に在て革命的要求を察知するを得たる岑春?が北京の貴親
に共和政体採用を勧告せし十五日において、なお未だ公武合体論に捉はれたる彼は貴親内閣に代ふるに自己らの漢人内
閣をもってしもって排満興漢の要求を迎へ得べきものと考へたりき。浅薄短見なる彼はかくして革軍政府の賞讃を期待
すると共に旧道徳的形式に従いて忠臣義士たるべきを夢みたり。−−彼は世評のごとき奸雄の器にあらずして堕弱なる
俗吏なりき。摂政監国の退位が彼に取りて積年の失脚を報復せしものか、勢の止むを得ざるに出でしかは末葉なり。
亡国階級内における満漢の争より外見聞せざる彼は、武漢に挙がれる排満興漢の声が根本に徹底的要求を有するこ
とを理解せずして、浅薄にも今の貴親内閣を廃して満人の君主の下に漢人の責任内閣と国会とあらば国乱平定すべ
しと妄想したり。しかも彼が摂政王の退位と共に発表せし君主立憲政の愚策は天下の革命党をして洪然として笑倒せ
81
しめたり。革命は雷のごとく振ひ電のごとく馳けれり。袁内閣成立の十六日とその翌日とにおいて京畿背面の鎭台吉林・黒
龍の二省はおのおの保安会を組織して両端を持すべきを表白したり。二十二日にいたっては四川の重慶独立を宣布し、二十
六日にいたっては藍天蔚*34を都督として眼前指呼の奉天に革命の炬火を見たり。翌二十七日黄興が漢陽の敗走は彼および亡
国貴族らにおいていささか愁眉を開きしやも知るべからずといえども、対岸の武昌は馮軍のかって江の半ばより却走せし所。特
に同日成都独立し全蜀挙げて革軍の領有たりし驚愕を相殺し得るものにあらず。しかして翌二十七日彼の自ら認めて大
策とせる一切の降伏条件を具備せる憲法信条が大廟に宣誓されたる日、彼の同僚端方*35は四川に進むあたわず湖南に退
くあたわずして資州に屠られたり。討伐将軍の血髑髏がその親兵の鎗尖に懸かれりとはいかに清室三百年の大廈*36傾き
て支ふべからざるを全天下に示すもの、怯懦なる袁輩の戦慄や想見すべきなり。さらに五日を隔てゝ南京陥落の飛報
あり。全局の勝敗明かに決して堕弱なる忠臣義士は浅謀小策の案出すべきものだに無し。
 これを約言すれば、数年間の猟官運動者は革命が単なる暴動なるかのごとく湖北省の一角に噴出しつゝありし十月半
ばにおいては軽率なる欽差征討大臣たりしことは事実なり。湖南直ちにつぎて起ち、長江の各省動き、北方の守また危
うからんとし、江の両岸勝敗視るべからざるに至りし同月末においては彼は自ら変じて講和大臣となれり。しかして実
に北京に入りて太后に謁せし十一月ばにおいては、彼はあたかも革命軍政府より派遣せられたる勧降使なるかのごとく豹変
したるものなり。すなわち彼は一定の謀略計画を有せしものにあらずして単に大勢に付随せし事大主義者なりしのみ。
不肖は支那軽侮観者と異なれる論拠に立ちて支那人の多くが事大主義者なることを唾棄す。事大主義とは多くの支
那人に見るごとく、維新前の日本においてまた欧洲各国の衰亡斯において示されたるごとく、亡国階級の通有性なり。知己を
百世に待つの論議、千万人といえども吾行かんの操守は独り新興の国民においてのみ視るを得べく、内治外交たゞ強者の
勢力に阿附随従するに至りて国はすなわち亡ぶ。衰亡期の清国がただ強国に阿従*37するを事とし、その亡国階級の一人たる
袁の外交が常に事大主義なりしことは世人の周知する所にあらずや。然るに独り革命の大渦乱中においての彼の対革
党策が事大主義ならざりしとは不肖らの信ずるあたわざる論法なり。事大主義者とは言うまでもなく卑怯屈従を意味
して、天下を奪はんとする奸雄の堂々たる胆略と何の相似たる所ぞ。操守なく識見なく大勢に阿従して頭首の全き
を僥倖せんとする軟骨腐腸の老爺を指して奸雄と名くぺくんば老いて邪悪なるものことごとく然るぺし。彼が大兵を擁し
て自ら護れるは超人的見解者の考ふるごとく簒奪の野望を包蔵せしが故にあらず。支那の内地において富豪が日常武装
せる家人を養ひ家壁を守りて群盗の襲来を防御すると同一なる自衛方法を軍職にありしが為めに大規模にしたるに
過ぎず。彼が端方のごとく深入りして進退を革軍に断たれしならば、その自ら護らんとする親兵そのものによりて屠られた
るべきは推想し得べし。彼は幸運にも当時官場の失脚者なりしがために起用を受けて未だ任に赴かざる一週日間に
天下の大勢のすでに全く抗すべからざるを視たり。彼は革軍に降伏を申込みつゝただ一の退路を北京に発見したる事は、
退路を塞がれたる端方より長命なるゆえんなりき。彼の救主は京漢鉄道なりき。敏活に逃亡したる総督瑞徴と、逃亡
するあたわずして俘虜となりし黎元洪とがその運命を天地に分ちたるを笑ふなかれ。端方と袁世凱とは一に退路の有無に
よりて生死を異にしたり。二者共に革命の猛火に包まれたるは同様にして、ただ彼は地理的幸運より戸口に近かりし
が為めに端方のごとく焼死を免れたるに過ぎず。占い師に従いて言へば彼は端方のごとく火難剣難の死相を有せざりし
と言うに過ぎざるなり。富士川の水禽に驚走せし平家の大将のごとくに彼は京師に入れり。満清の公達は退却将軍の
袖に縋りて身家の安全を悲泣鳴号したり。敵軍に投降を申込みたる二心の事大主義者はなお腐朽せしといえども旧道徳の
良心を有したりき。彼は武昌の密使が復命せし興漢の義士たるべき積極的道念を欠如すると共に、この悲劇を眼前
に見ては流石に主家の保全に努めざるべからずといふ旧道徳の堕力に従へり。彼は主家の保全の下においてのみ自
家の安全なるべきを見たり。彼は申分なき亡国階級の典型的人物なりき。怯懦無気力にして狼狽悲泣するの外なき
彼および彼らはもとより一戦して敵勢に当るの概なきは論なし。すなわち一切の要求に降伏して一に自家の安全を僥倖した
り。これあたかも維新革命において徳川将軍が大阪城に陣して軍容堂々まさに皇居に迫りて威嚇せんとし、かえって伏見の一戦
に却走すると共に戦意頽然として砕け一に勝海舟によつて首級と封地の安泰ならんことを祈願せしと等し。亡国階
級の代表者として彼の企画し得たる所の一切は無条件降伏と主家の存続とにありき。流布せらるゝ世評のごとく彼は
主家を簒奪せんが為めに講和を計りしにあらずして、全く主家の存続の為めに降伏を努力せし汚穢なる忠臣なりしこ
とは疑ひなし。しかしながら彼の君主立憲政とは漢人の主権に屈従して満清皇室を存続せしむべしといふ意味のもの。
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皇帝の主権は依持して犯さるべからずとする字義に基きて解すべきにあらず。彼は彼の鳴号が全支那の革軍に笑殺せ
らるゝやすなわちその事大主義によつてイギリスの保護を求めたりき。かの租界に近き富家翁がその財産を外国銀行に委托
するごとくに、汚穢なる清末の一忠臣はジョルダン公使のポケツに三百年の帝冠を保管すべく哀求せり。一新聞通信
員モリソン氏*38の活動は犬養氏の十把、頭山翁の八ダースをもってするも及ぶべからざるものなりき。−−すなわち袁のその器
にあらざるが為めに勝海舟の役割はこの一イギリス人の演舞する所となれり。あゝ諸公。袁世凱のイギリスにおけるや彼が朝
鮮公使として日清戦争を挑発せる三十年前よりの後援者にあらざるなきか。イギリスの認めてもっておのれの勢力範囲となす長
江の各省に日本人と日本の資本とが侵入する事を制禦すべく保守的勢力を維持せんとするはジョン・ブル*39の智慮に非
ざるなきか。永年の官場に習熟せる袁は突発せる革命に対しては一小策だに無かりしといえども、イギリスを動かせば日本
の自ら追従し来るを熟知せり。伊集院公使はジョルダンの従僕のごとく忠実なりき。諸公。イギリス本位の対支外交は加
藤前外相がイギリス的紳士なるが故にあらずまた日支交渉に始まれるにあらず。実に日英同盟を自主的に理解するあたわざる
日本外務省の結核性遺伝病なり。五年前不肖らが動乱の渦中に在て、彼の浪人らの多くが異口同音支那において日本
に何の敵意なきドイツを怒罵するを視て遺憾なりとせしもの今にいたって一書生の狂言にあらず。
 果してイギリスの従属国としての日本は君主立憲政に盲従したり。内田君らの電告によりて故宋君の錯愕したるは実
にこの時にして、君主立憲の名において満清皇室を維持せんとする袁の妥協案に対して共和の主張を譲歩するは排満の
根本目的を放棄するの結果に陥るべし。維新革命において攘夷鎖港の文字が倒幕の異名詞なりしごとくに、共和政の主
張は征服者の主権を顛覆せずんば止まざる民族的要求の符号として政体論以上の意義を有したるものなりき。水禽
将軍が北京において降伏内閣を組織したる十一月十六日より正に二週間を経て漢口のイギリス領事立会の下に武漢両岸の
軍は和議のために停戦したり。十二月八日北京を出発したる講和使唐紹儀*40一行は実に十八日の上海会議において四ケ
条の要求を提出せられて純然たる投降使となれり。一にいわく大清朝廷を撤廃すること。二にいわく共和政体を採用す
ること。三にいわく皇室及皇族には所定の年金を支給すること。四にいわく貧窮なる旗人*41に対し新政府は可成これに官職
を与へまたは年金を給与し寛仁の処置を取ること。あゝこれをその始めにおいて袁が清朝のなお万歳なるを信じて欽差征討大
臣を拝命したる時に立案したる四ケ条に較すべし。明年国会を開くべしと云ひ責任内閣を組織すべしと言う朝廷の
屈従に対して一と二とは明かに主権者の交迭したる事を宣告するものにあらずや。革党検挙令を廃すべし党禁を解く
べしと言う譲歩に対して三と四とは君主を降伏者として取扱ひ戦勝者のすべからく寛大なるべきに信頼せよとするの態
度にあらずや。四ケ条はかくのごとくにして倒まに提出されたり。『革命』は明白に統治者として殺活与奪の大権を
把握したり。しかしながら諸公。袁に取りては双方の四ケ条共にその本心の要求を充たせるものにあらざるか。何と
なれば彼の主張する君主立憲政とは−−彼が往年排陥せし康有為のごとき一個の政見より出でたるものにあらずして
−−興漢の声に抗すべからざるを見て降伏せんとする恐怖と、満清の主家を存続せしめざるべからずとする旧道徳
の堕力との二要求を捏ね合せたるものなればなり。漢人の責任内閣も共和政治も降伏者に取りては同一なり。主権
の維持も優待条件付の退位も主家の存続を望む上において差等なし。十一月十四日の謁見における太后摂政らと彼と
の問題は必ずしも上諭に表はれたる四ケ条を固執するものにあらずして、恐くは亡国階級共通の心理においてむしろ革軍
政府より与へられる四ケ条に甘んずべきに落着したる事は推想し得べし。ただ彼は亡国階級の代表的事大主義者なり
き。京漢鉄道に救はれて北京に却走せし時かかる最少限度の希願より持たざりし彼は、イギリスおよびその従属国たる日本の
後援を期待し得べきを発見するにおよびて俄然として強硬なる一政治的理想を持てるもののごとく豹変したり。彼は何
人かの入智恵によりて君主共和の国体問題は国民議会において決定すべきを主張したり。革軍政府は戦勝者の正義に
基きて自ら問題の決定者となり、実に一月一日孫逸仙君を立てゝ共和政府の成立を告げ断乎として彼および満清皇室
に服従を強ひたり。亡国階級通有の事大思想は北京に入れる袁をして革軍の勧降使たらしめしごとくに、上海に来れ
る唐紹儀は共和政府の使節に一変して彼に向つてその主張の放棄を勧めたり。(かかる唐輩を革命的一人なるかに待遇
する支那および日本の昏迷こそ抱腹すべき限りならずや。)しかしながら彼はイギリスの後援によりて二週日前に見るべか
らざる強硬に変ぜり。唐紹儀は講和使を辞任したり。モリソンは自ら為を上海の政戦場に駆りて日本浪人団の幾百
は雑兵のごとく蹄塵を浴びたり。ジョン・ブルの外交的能カは日本政府の手を借りて革命援助に来れる日本国民を列国
環視の間に侮弄唾辱せしめたり。独立国政府がある一国の頤使の下にその国民の対外活動を裏切りたる無恥下品な
85
る奴隷的外交は不肖始めてこれを日本の外務省に見たり。日本浪人団の声援をもって日本政府の同情なりと斯待したる
革命党はこの政府と国民と相扞格残害*43せる外交的乱調によりてまさに孤立無援せる叛徒の集団たらんとしたり。日本
人の空虚なる同情はいかに鯨波のごとく起るとも、日本政府がイギリスのインド巡査たらんとせしこの一事は革命の進行を
中途に挫折せしめし最後有力なる圧迫なりき。いわゆる南北講和なるものゝ真因が支那人の民族性的欠陥に帰すべきや
否やは少くも日本人においてこれを論ずべき体面なし。彼らは彼らの政府がイギリスの利益の為めに頤使せられつゝありし
ことを知らず。しかして特にイギリスの巧みなる煽動に煽せられて、すべての彼らはかえって何の利害背馳なきドイツを支那に於
ける日本の敵国なるかのごとく解していささかの悟る所なかりしものにあらずや。切に諸公の憐憫に訴へんと欲するは隣邦国士
が当時の悲痛なる遺憾なり。しかも一挙革命を弾圧しひいて日独相疾視するに至らしめしイギリスの詐謀を察知する所な
き日本政府及国民の愚呆にいたっては、不肖実に声を放つて諸公の面前に慟哭せざらんとするもあたわず。
 しかしながら『支那人之支那』はその革命の遂行を支那自らの手をもってしたり。漢口の爆弾が革命の始なりしごとく、
その終は北京における爆弾なりき。イギリスおよびその従属国日本が君主立憲政によりて妥協を斡旋しつゝありし間に於
て、孫逸仙君と袁世凱とが政体論の名に借りて絶対的降伏か否かを電報談判によりて争ひつゝありし間において、興
国的青年は断々としてその進路をばく進したり。北京は巷は爆弾の血煙となれり。不肖は渦中の人として、易水粛々
の古へを忍ばしむる隣邦志士の続々として北上するを見送りて泣けり。一月十六日轟然たる爆煙は袁の馬車を包め
り。火難剣難の人相なき彼は肉体に微傷だも無かりしといえども、実に一点微かに腐朽して存する旧道徳の良心を吹き
飛ばされたり。顛倒せる亡国階級の代表者は路傍に落ちたる良心を拾ふあたわずしてその肉体のみを馬車に載せて逃
走したり。日英両国を後援としたる彼の外交的成功も、一発の爆弾より受けたる戦慄を緩和するあたわずして直ちに
忠臣義士を廃業したり。この廃業届は二国公使の後援なかりし以前においてまさに武昌に送られたる密使の提出すべきも
のなりき。ただ北京に入ると共にこれらの後援を発見したるが故に躊躇惑迷して出し後れたるものに過ぎず。しかして更
に十日後同一なる爆弾は同僚良弼*44を雷撃のごとく彼の眼前に屠りたり。すでに君主立憲の主張を吹き飛ばされて顛倒せ
る袁は察すらく恐怖戦慄に七顛し八倒したるべし。誠に蜀人の誇るごとく良弼の爆殺は清朝のただ一支柱を斫り倒した
るもの。三百年の腐朽せる大廈は轟然として崩壊したり。−−不肖は少くも支那革命において暗殺が革命成否の全部
を決定せる実証を見しことを特筆す。−−彼は主家を存続せしめざるべからずとする旧道徳的良心を遺失したると
同時に、幸運にも存続し得べからざるべく主家その自身の崩壊するを見たり。彼は漢人の名によりて投降の口実を得
たる官軍諸将が連名して共和政体採用の上奏をなせるに習ひて共和政府の一将軍に豹変したり。彼は清室に対する
良心を遺失して空虚となれる懐に、明末義人の良心を詰め込みて革命政府の北上先発隊なるかのごとく一変したり。
彼は天が造りたる事大主義者の傑作なりき。革命党を許して憲政を布くべしといふ君主の四ケ条と、君主を優待し
て共和政を探るべしといふ革命党の四ケ条とは根本の精神を異にす。しかも両者いずれもの良心を有せざる一肉塊の彼
においてはその一より他に移るの不合理を感知せざりしは論なし。いずれの四ケ条なるにせよ主家および自家の安全を保
証せられたる事は投降者の願望の十分に充たされたるものなりき。笑ふべき支那人崇拝論者よ。(軽侮論者たるべき
奴隷心の故に崇拝論者たる者よ。)悲泣狼狽せし一俘虜を大義の首唱者なりと誤認するは事実の蔭おおされたる故に
恕せらるべし。一挙一動明々白々に報告せられたる怯懦無策のこの投降者を指して官革両軍を掌上に翻弄せし奸雄
となすはほとんど何の謂ぞ。二者共に彼に翻弄せられたるものにあらず。満清皇室は存続の願望を容れられたり。革命
政府は排満革命の大目的を遺憾なく貫徹したり。翻弄したるものゝあらばイギリスにして、翻弄せられたるものゝあら
ば伊集院公使としかりしかして日本外務省のみ。
 しかしながら一俘虜を挙げて大義の主唱者たらしめし革命の第一歩において譚人鳳の許すべからざる責任ありといへ
る前言と別個の精神、すなわち道義的弾劾において論結せざるべからず。すなわち革命の終局においてこの一投降者をして南北
統一の役者たらしめしことは孫逸仙君の弁解すべからざる責任なりと。すべての遺憾は孫君が革命の理想を体現し運
動を統轄したる英雄ならざりし事に帰納すといへる不肖の断言はこの南北講和の一事において明かに立証さるべし。
孫君の上海到着の日は十二月二日南京城は陥落して天下の形勢殆んど全く定まり、翌三日実に武漢の両軍は和議の
為めに停戦したる後。彼の全任務はただ革命政府の優勝的地位を維持して投降者を処分するに寛厳よろしきを得ば足
れりとす。加ふるに敗者の身をもって主的地歩を保たんとくわだつる君主立憲政の主客顛倒事は烈士爆弾の一撃に破られ
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たるにあらずや。彼の凡腕は投降者を主位に置きて革党の客たるべき実質上の顛倒事を現出せしめたりとはこれを何
とか言はん。彼は革命の始めに来らざるのみならず、革命が終りつゝある時に来り、他のすべての革命的指導者らが
すべてその任務を尽くしたる後に来れるもの。しかしてただ彼の為めに残されたるこの一任務にすら孤負したるかくのごとし。
支那浪人団とそれに雷同する衆愚とは孫逸仙の名に眩惑して恥となさず。しかも当時隣邦国士の挙りて、孫文虚栄の
為めに虚位を窃みて天下の大事を誤れりとせる切歯痛憤の情は不肖あえて一管の筆をもってこれを後世史家に残さざるべ
からず。ここにおいて疑間あるべし、−−袁世凱の大総統たりしは孫君の木偶なりしが故なるかと。
 
 
 
*1翩翻:(へんぽん)旗などが風にひらひらとひるがえるさま。
*2木偶:(でく)木彫りの人形。転じて役に立たない人。
*3コルシカ島:ナポレオンの出身地。
*4岩見武勇伝:岩見重太郎のことか?大阪冬の陣・夏の陣で活躍した武将。明治時代の講談の定番。
*5印半纏:(しるしばんてん)背やえりなどに家号や紋(モン)を染めぬいた、はんてん。職人が多く着ているはっぴ。ここでは江戸っ子とか遊び人の意味。
*6智嚢:(ちのう)知恵袋。知恵のある人。
*7西太后:(せいたいごう)1835〜1908年(明治41年)。清朝の実力者。光緒帝の叔母。辛酉事変(1861年)を起こして八人の大臣を抹殺。垂簾政治を行った。清朝の保守拝外思想の中心人物で、戊戌の変法では変法派を弾圧。義和団の乱では叛乱軍を攘夷に利用しようとして諸外国の介入を招いた。実力者だった彼女の死により清朝はその権威を急速に低下。
*8草廬:(そうろ)草ぶきのいおり、粗末な小屋。有力者が引退後の住処とする場合が多いので、ここでは引退していたことの象徴。袁世凱は西太后の死後、失脚して全ての役職を辞して引退していた。しかし武昌蜂起後の相次ぐ反乱を収める人材が清朝には無く再び復帰。
*9眷恋:(けんれん)恋いこがれること。心に思って何時までも忘れないこと。
*10有賀博士:有賀長雄(ありがながお)1856〜1921年(大正10年)。社会学者・法学者。日清・日露戦争には法律顧問として従軍。後に袁世凱の法律顧問になる。
*11周特使:誰でしょう?
*12小田切万寿之助:(おだぎりますのすけ)1869〜1934年(昭和9年)。明治期の外交官。1902年上海総領事。戊戌政変、義和団の乱時の混乱に対処した。
*13坂西大佐:誰でしょう?
*14満蒙案:武昌蜂起後、中国各省で清朝からの独立が宣言された。多くの省は南京の革命政権と合流したが、外蒙古(モンゴル)・西蔵(チベット)などでは元から民族が違うため革命政府に合流せずこのまま独立する方向に進んでいた。この動きに乗じて日露戦争後、満州に利権を持っていた日本では満州と内蒙古も独立させようとする案が出てきていた。
*15滔天翻海の端睨:(とうてんほんかいのたんげい)辞書にないのですが、「荒波が翻っている海をにらむ」ぐらいの意味でしょうか?
*16猟官:(りょうかん)官職にありつこうとして奔走すること。
*17岑春?:(しんしゅんけん)1861〜1933年。清朝の政治家。清末には四川・両広・雲貴総督を務めたり、1918年には孫文に変わって国民政府主席総裁になってるから重要人物だと思うが資料が少ない。
*18抃舞:(べんぶ)喜びのあまり手を打って舞うこと。躍り上がって喜ぶこと。
*19経綸:(けいりん)治めととのえること。広く国家を統括し治めてゆくこと。また、その方策。
*20誹毀:(ひき)悪口を言って他人の名誉を傷つける。
*21嚥下:(えんか)飲み下す。
*22曹操・董卓:(そうそう・とうたく)共に三国志に登場する奸雄。
*23垂涎美膳:(すいえんびぜん)垂涎=食べたくてよだれを垂らす。美膳=豪華な食事。
*24僥倖:(ぎょうこう)思いがけない偶然の幸福。また、それをあてにすること。あてにすべきでない幸運。
*25阿附随従:(あふついじゅう)他人の機嫌をとり追従すること。
*26食丐:(しょくかい)乞食(こじき)。
*27卒爾:(そつじ)突然に。にわかに。
*28澎湃:(ほうはい)水が盛んにみなぎり、逆巻くようす。転じて、物事が盛んな勢いで起こるようす。
*29胡瑛:(こえい)武昌蜂起の後、山東省で蜂起し山東民軍都督になる。後に袁世凱の元に走り籌安会の設立に参加。日本留学組らしいのだがあまり資料無し。
*30漢奸:(かんかん)中国で、敵国に通じて自国を裏切る者。売国奴。
*31隆裕太后:1868〜1913年(大正2年)。光緒帝の皇后。西太后の姪。袁世凱に宣統帝が退位させられたとき、まだ幼い宣統帝の後見役だった。
*32風声鶴唳:(ふうせいかくれい)戦いに敗れた者が風の音や鶴の鳴き声にも敵が攻めてきたのかと疑い恐れること。また、おじけづいた人がちょっとした事にも驚き怖がること。
*33貴親:たぶん清朝の貴族と皇族(親王)のこと。
*34藍天蔚:(らんてんうつ)?〜1921年。武昌蜂起時、呉禄貞などと共に蜂起を計画するも失敗。1912年関外都督兼北伐第二軍総司令。この人もあまり資料無し。
*35端方:(たんほう)1861〜1911年(明治44年)。清朝の官僚。四川で鉄道国有化反対運動が起きたとき川漢・粤漢鉄路督辧とされて鎮圧を命ぜられる。このことが四川暴動に発展。進軍が重慶で足止めされ、武昌蜂起に呼応した部下に殺される。
*36大廈:(たいか)大きな建物。
*37阿従:(あじゅう)他人の機嫌を取り従う。
*38モリソン氏:タイムズ紙通信員で中華民国政府外国人顧問も務めたジョージ・アーネスト・モリソンのこと・・・だろうか?
*39ジョン・ブル:(John Bull)擬人化されたイギリスの国家像もしくは擬人化された典型的イギリス人像の事。転じて個々人の保守的な典型的イギリス人もジョン・ブルと呼ばれる
*40唐紹儀:(とうしょうぎ)1860〜1938年。清朝の官僚。アメリカ留学組。この時、袁世凱政権の全権代表として南北講話を結ぶ。後に袁世凱臨時大総統の元で内閣を組織するも袁と対立して辞職。孫文側につく。
*41旗人:(きじん)清朝の支配階級。元は清朝建国の際の満州人による軍事集団を「旗」と呼び、後にモンゴル人や漢人も加わり全部で八旗ある。俗に言う満州八旗。清朝成立後はそのまま官僚組織に移行。この集団に属する人を旗人と呼んだ。ただし清朝末にはほとんど漢化していた。
*42侮弄唾辱:(ぶろうだじょく)侮弄=人をバカにしてもてあそぶ。唾辱=つばを吐きかける。
*43扞格残害:(かんかくざんがい)扞格=互いに拒み合って相手を受け入れない。残害=害を残す。
*44良弼:(りょうひつ)〜1912年。日本の陸軍士官学校卒。辛亥革命期に清朝再興をめざし宗社党を組織。宣統帝退位反対運動をするも革命派の爆弾テロで暗殺される。
 
 
 
 
 
 
    十 英公使の買辧衰世凱
 
           日英同盟と支那保全主義とは両立せず−−日英同盟はロシアの恐怖なき今日においては本来
           の意義なし−−正義に根拠せる日本の支那保全主義とイギリスの資本的侵略の為めのそれ−−
           日本を南満に占拠せしめたる天の配剤−−揚子江各省に対してイギリスは勢力範囲を主張する
           何らの根拠なし−−北支那の為めの日露戦争は南支那の為めに日英開戦となる−−イギリスの
           資本侵略を翻訳する日本の対支策−−日本はカルセーヂよりもローマたるべし−−日本の対
           支策は分割か保全かを分つあたわず−−イギリスの資本的侵略を打破したる後に日支提携を云ひ
           得ペし−−保全主義の本来の面目より堕落せる日本に対して支那の憤恨する論なし−−南
           京政府は日本に対する国民的反感の為めに倒されたるもの−−おのれの買辧を擁立しつゝ日本を
           讒誣したるイギリス−−日支交渉とはイギリスの指導権下にある支那に向つて等しくイギリスの指導権
           下にある日本が指導権を要請したる被保護国同志のつかみ合いのみ−−イギリス人の活躍と酔眼朦朧
           の孔明藷君−−同族相食ましめて巧みに擒縱するイギリスの下等人種統御策−−日本の堕落外
           交の犠牲たりし革命党の悲惨なる末路。
 
 もとよりしかりと言ふべし。ただ然らずと言はんと欲する一事あり。何ぞや。
 日本のイギリスに付随せる奴隷的外交と日本の不信用不徹底なる支那保全主義これなり。諸公。不肖は支那保全主義
と日英同盟とが絶対的に両立するあたわざることを信ずるものなり。しかして支那の革命によりて支那自らの力をもって
領土の保全を主張せんとするの日は、当然に両立せざる日英同盟は日本および支那の一撃によりて破却さるべきこと
を信ずるものなり。この信念は不肖の首級を掛けて諸公に訴へんと欲する所のものにして本書論述の主眼また実にここ
89
に存す。イギリスと日本とがロシアの南下東侵に対して同一なる利害を感じて締結したる政守同盟は日露戦争と同時に
その存在の意義を失へるものなり。イギリスのある論客が同盟をもって日露戦争の為めにイギリスの利用されたるに過ぎずと
評せしことも一の真相なり。日本の多くの識者がポーツマスにおける小村大使の大失敗*1をイギリスの対独政策上、露仏同
盟の勢力失墜をおもんばかりて日本を制肘*2したるに基くと看破したることも一の真相なり。日英同盟とはロシアがかって両国
の共通なる恐怖たりし期間においてのみの意義なればなり。故に日英共通の恐怖にあらざるアメリカが日本の威厳を毀損せ
んとしたる時イギリスが、かえってアメリカに向つて英米仲裁条約の締結を求めたりし事も彼の自由なり。したがって支那において日本に
何の恐怖たらざるドイツがイギリスの敵国たる今日、日本が同盟条約を曲解して戦争に参加すともまた正解して傍観すとも
日本の自由が全く絶対的のものなりしことは『日英同盟の誼』に照して明かなり。−−不肖の断乎として抜くべから
ざる信念と痛憤限りなき遺憾とは、日本が日露戦後常にイギリスの掌上に翻弄されつつ、ついに一の悟る所なく、現下の大
*3に際して選ぶべき所を根本的に錯誤し国運まさに九仭の淵に臨める*4ことなりと。これ不肖の後章に詳述せんと欲す
る所なり。実に日本のイギリスに翻弄せらるゝの甚しきあえて南洋の独領を赤道の南北に相争へるがごときせつせつたる小事に
あらず。不肖らは五年前の支那に親しく視て、支那における二国同盟は日本の正義の為めに存せずイギリスの利権の為
めに存するかのごとく感じたることなり。元来正義に根拠する日本の支那保全主義と利権の保持に汲々たるイギリスの資
本的侵略政策とは、たとえロシアの分割的勢力に対抗せし期間、外見上相似なるかのごときも根本精神において全く氷炭相
容れざるものなり。日露戦争は支那全部の保全的正義の為めに戦はれたるもの。ロシアと協商して*5北支那を分割し
揚子江流域の南支那をイギリス利権の範囲として割譲せんが為めに同盟したるものにあらず。全世界の富をもってするも購
ふあたわざる十万の枯骨はアジアの盟主がアジアモンロー主義の天啓的使命の故におしまざりし所。北より脅かさんと
する武力的分割と、南より漸侵せる資本的侵略を助長せんが為めにあらざることは、旅順白玉山巓の表忠塔*6に誓ひて
不肖の断言せんと欲する所なり。ついに南北満洲の分割を結果して戦前の保全主義を形式において損傷したることは、
当時の清国がすでにロシアに割譲し*7さらに加るに日露戦争に参加せざりし権利放棄としてロシアの領有より譲渡*8せられた
るもの。三国の条約関係は外交の無能の為めにいかん様に存するかは問題にあらず。南満領有の精神において、日本がその
保全せんとする支那そのものより割取したるにあらざる事は炳乎*9としておおふべからず。視やすき引例を用ゆれば、彼の沿海
黒龍江州のごとき昔時清国の領有たりしものをロシアより占有する場合において、日本が支那保全主義を欺むかざると
同様なりと言ふべし。不肖は固く信ず。天の配剤によりて日本が満洲に占拠したるが為に全支那は北露の分割より
消極的に保全せられ、さらに日本がバイカル以東黒龍沿海州の一帯に進出したる時始めて支那保全主義は根柢より積
極的に確立すべきものなりと。奴隷的外交は支那のいささか関係なき日露二国の大戦の戦利品としてロシアより得、か
つ戦争の意義の為めに守持せざるべからざる南満洲をもって、単に支那を欺きて約束せしめたる揚子江流域の不割譲
と相殺し得べきものと考ふるや。不割譲の誓約は団匪乱*10の当時支那分割の将来を仮想したるもの。すなわち日本がその
腰間の秋水*11に掛けて保全主義を取るべしと宣明せざりし以前の想定に過ぎず。これを換言すれば日本の支那保全主義
が列強の経済的分割に敗退したる日本自身の亡国の場合においてのみ有效なるべき空文なり。日本がその陸軍と海軍
とを有して、誠実にしかして勇敢に全アジアの保護者を任じて毅立*12せば千百の不割譲条約ありといえども反古に等し。然
りしかして特に不肖らのいかにすとも了解するあたわざる他の一事は割亡の仮想の下に存せし不割譲の誓言と、利権
を獲得し得べき勢力範囲とが、イギリスの利益の為めに日本において混同せられて承認さるゝかのごとき疑惑これなり。
この全然異なれる二者の混同−−揚子江流域不割譲の誓約が同時にイギリス利権の勢力範囲なりといふ曲解がイギリスによ
りて主張せられしかして是が承認せざるべからざるものとせよ。青島占領*13後袁政府をして宣言せしめたる沿岸不割
譲の誓約をさらに袁現時の窮境に乗じて全支那に拡充せしめ、十八省全部の不割譲を日本に対して誓約せしめたると
き−−これ何たる平易にして合理的なる可能事ぞ−−日本は支那全土を日本利権の勢力範囲なりと主張し、イギリスまた
これを承認して鉄道と鉱山を荷ひつゝ東洋より退却すべきや。功利弄策を事とする白人国外交の顰に倣はず*14日本が
厳然その国際的正義を支那保全主義に持して動かざるならば、揚子江流域における不割譲誓約は全然無意義なり。
特にいわんや擾越権のごときは保全主義の本義に撞着する一個の侵略として許容すべき限りのものにあらず。不肖は日本
対外策の根軸が支那保全主義に存すべきを確信す。故にそれと両立せざる日英同盟の存続を南支那の為めに理解す
るあたわざるものなり。支那保全主義は北支那の為めに日露戦争を戦はんとしてイギリスを利用したり。同一なる保全主
91
義がさらに南支那の為めに日英開戦の準備としてある他の一国を考慮せざるは何ぞ。不肖らは五年前の第一革命当時
において日本の対外方針が恐るべき迷路を辿りつゝあるを見て粟膚戦慄に堪へざりしなり。
 誤解すべからず。不肖がこの言を為すは日本の正義の為めにして日本の利権の故にあらず。イギリスはドイツを語らひ
て支那を南北に分ちて鉄道借款権の協定を為し、経済的分割を策して日本の保全主義を脅威したり。しかも日本はこ
れあるが故に全アジアの保護者たらんとする天啓的任務に違背するがごときことあるべからず。すなわち欧洲各国の経済
的分割に習ひて日本また紛々たる割前の要求者たらんとするごときはその主義に違ひ任務に背く自殺的堕弱にして、歴
史の批評に対して赤面するがごとき足跡は堂々たる大国民の残さゞる所なるべし。詐略と投資とをもって外交なりと考
ふるごときは官吏輩の翻訳的智識にして、日本民族の対外行動は挙手投歩ただ正義と強力とあるのみ。不肖が揚子江流
域におけるイギリスのいわゆる優越権を否認せんと欲するは、彼および列強の支那に加へつゝある経済的侵略を保全主義の名
において許容するあたわざるが為めなり。これに換ふるに三井・大倉らの資本を『悪用』して国家の正義を覆へさんと考ふ
るものにあらず。保全主義がかってロシアの武力に脅かされたる時敢然としてこれを撃破したるものは日本の正義と強力
なりき。日本の正義と強力は今日イギリスの資本に支那のまさに屠殺されんとしつゝあるを視てその保全主義の励行に怯懦
なるべきか。日本が大胆聡明なる道義的信念の下に、その保全主義を資本的侵略を企てつゝあるイギリスに遵守せしめ
んとする決意あらば、今の経済的亡国たらんとする支那を救ふことは易々たり。同時に日本また自ら二、三資本家の慾
望を犠牲に供せざるべからず。日露戦争における保全主義は十万の国民と租税の二十億万金とを犠牲に供したり。
さらばイギリスの資本的併呑より支那を保全せんとする国家の大策においてある種の資本家を満足せしめざる程度の抑制は
これを犠牲といふべからず。彼の黄金をもって購入したる各州を付加して膨脹せる黄金建国の北米合衆国すら、六国借
*15加入がウィルソン*16政府の正義に反すと考ふると同時に果敢に脱退せる事例を見よ。不肖は資本に国境なしといへ
る原則に抗争して日本の資本がいかんなる意昧をもってするも支那に入るべからずとするものにあらず。しかも外債利子
の高低や数千万円の償否が内閣の交迭を来すほどの債務国の身をもって、国権の拡張を債権の設定に求めんとするが
ごとき現状を見て実に欧米外交の翻訳的模倣を痛歎せざるあたわず。日本の陸軍と海軍とはカルタゴを学ぶよりもロー
マたるべきのはるかにやすきを教ふ。支那を奪はんと欲せばすべからく一個師団の陸兵と三隻の巡洋檻をもってすべし。白人
国の下品なる高利貸政策を学びてしかも支那の信頼を要請するの矛盾は発狂せるアジアの盟主なり。アジアの安全の
為めに支那と共に日本の擁護せざるべからざる経済的利権の存するあらば至誠一貫堂々として支那と共にこれを協る
べし。資本的侵略に根立するイギリスの優越権を承認してしかも夜盗のごとくその一角を窺[穴かんむり兪]*17するの従属国はアジアモンロ
−主義の発言者たるべきものにあらず。ロシアの武力が支那を脅かせし時日露戦争ありき。イギリスの資本が支那を半ば
亡国に陥れつゝある今日、日本はついにイギリスの随伴より脱出するあたわざるか。不肖は切に諸公の指導によりて日本の
支那保全主義が国家的正義に根拠してさらにイギリスの併呑に抗して徹底するに至らんことを祈る。
 かくのごとき現実の理想に向つて躍進しつゝある支那革命党および革命の遂行によりて両国の国交に革命的進転を期
待しつゝありし不肖らは、身親しくイギリスの外交策内に局限駆使せられたる日本の堕弱卑屈なる行動を見ていかに失
望したるべきぞ。漢冶萍が白人国の分割を予想したる債権の下に置かるゝ事が日本および支那の危機なりとせば、誠
実聡明なる両国の協定は支那の進で求むる所なるべし。経済的分割を確定せんとするイギリスのいわゆる擾越権を承認して
日本まず自ら根本においてその保全主義の不徹底を表白す。対支外交の真意保全に存するか分割に存するかゞ不肖ら日
本国民自身に理解されず−−政府そのものまた理解せざるごとくにしてしかも独り支那の不信を責めんとするや。保全主義が
俯仰神明に恥ぢざる*18正義に立脚してしかしてその故に漢冶萍が売国階級の手に懸かりて白人国に占有さるべからずとな
らば正道自ら歴々として存す。何為ぞ革命の血祭に挙げられたる盛宣懐と孫逸仙とを結合せしめて南京政府を覆す
がごとき革命援助の大恩をうりしか。密かに国を売らんとするものに結べる日本は他の白人国と等しく国を買ひて侵
略するものと解せらるべく、仰いでもって東洋の盟主となすあたわざるは支那民族の狡獪なりとするか。保全主義を資本
的侵略の排除に徹底せしめてイギリスの優越権を拒否したる後においてせよ。日支両国が両国の必要に基きていかんなる協
定をあえてすとも、なんじが誤りて敵国となせるドイツまたなさんとするアメリカの賛同もまた難しとせざるべし。イギリスがその同盟
国を傷くるに巧妙なる流言と術策をもってしたる事は断じて許す可らざるはもちろんなり。しかも罪は如ち承認すべからざ
る彼の優越権を認めたる日本の無智にして卑屈なる外交にあり。四国の分割に結托せる盛宣懐の日本に擁護さるゝ
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を見たる支那が、日本の保全主義を全く犲狼の羊言として解したるはかえって賞すべき聡明にあらざるか。イギリスの日が西
に没せんとして歴史の筆はまさに彼の国交にいささかの道義的規道なかりし罪業を弾劾せんとしつゝある時、保全の名に陰
れて分割の走狗たるごとき国辱は日本民族の忍ぶべき事にあらず。保全と分割と、立策の当否は論究もとよりほしいままなり。しか
も不肖の切に諸公に望まんと欲する所は陰険詐略の外交圏外独り日本の言動堂々として大丈夫のごとくならん事これ
なり。かかる無主義無方針的外交より生ずる小策小術数は日本民族の誇において不肖再びこれを支那に見るを恥とす。
 この日本のイギリス本位外交と支那保全主義の矛盾撞着せる不信用とはすなわち一投降者袁世凱をしてさかさまに大総統たら
しめし有力なる原因なり。強大なる国家が弱国の信頼を繋ぎて一点の不安なからしむるにおいては、その国交正義の
大道に基きて常に眼前の小利害を超越せる道義的弾力の充実せるものを要す。いかんなる善意をもって解釈するもイギリス
の保全政策とは単に揚子江流域における利権を保守せんとする純乎たる打算なり。日本の保全主義の四億万民の独
立を擁護して白人の地球儀に一角の黄色を残存せしめんとする人道的発奮と対較し得べきものにあらず。単なる利
権の保守は清帝を存続せしむるも、袁世凱を擁立するも、はた出来得べくんば自己の利益圏を可成拡大して分割さ
るるも、もとよりそのいわゆる保全主義を傷げざるべし。人道的要求より迸発せる保全主義は支那そのものの自立によりて真
の実現を見るべく、国家を白人の競売に付しつゝありし亡国階級を存在せしめて期待すべきものにあらず。これを
換言すれば、日本が誠実に支那の保全の為めに支那の復活を望みしならば、亡国階級を擁護せんとするイギリスに盲従
したる奴隷的外交と、債権の設定に参加し競争せる資本的侵略とは、日本の国家的道念に訴へて為すべからざりし
なり。大局に放眼して断案一下せよ。支那の危機は日本の国運の傾かざる限りロシアの武力にあらず。さらば今日の
財政的亡国を原因せしめ、財政的に支那の主権を把握し終らんとするイギリスは支那の併呑者にして日本の保全主義に
対するただ一の敵なるにあらずや。孫君が英雄なるか凡骨なるかは言ふの要なし。日英同盟が内乱の他の一方に加担し
て明白に干渉を始めたる時愛国の憂慮によりてその鋒の自ら鈍らざるを得ざりしはこれを憫察*19せよ。日本思想系の革命
的青年は日本の保全主義の薄弱動揺に怒るよりも、まず世論の乱矢を被りて自家を防御するに急ならざるを得ず。
北において亡国階級を擁護しつゝついに恐くは兵力をもって、南においては革命政府を声援しつゝ現に資本をもって、第二の
朝鮮を支那に求めんとすとの猜疑恐怖は彼らの過渡なる憂国的警戒にあらず。日本の道義的堕弱の外交が支那の信頼
に背きしが故なり。不肖は諸公の信念が明確に徹底的ならん事を期待す。革命的新興階級の親日主義は日本の左顧
右眄*20せる保全主義がアジアモンロー主義の天啓的使命によりて正義化したる後始めて至純至誠なる信頼に表現すべ
しと。日本に啓発せられたる思想によりて、しかして日本国民の熾烈なる声援を負ひて、まさに支那自らが支那の保全
に目醒めたる時、その政府は保全主義の本義と両立せざる資本的侵略を南に学び、北においてはかえって財政的亡国を原
因したる亡国階級の維持に努むるを視る。かかる不安不徹底なる空言の盟主に対して諸公仮りに不幸にして支那に
国籍を有するものならしめば、これに一糸毫*21の信頼を繋ぎ得べしとするか。いわゆる日支の親善が常に口辺唇頭の辞令に
止まるゆえんは革命的新興階級に道念の覚醒なきが故にあらず。日本の支那保全主義が徒にイギリスの財政的併呑の走狗と
なりて全く道義的弾力なき空虚の声なるをもってなり。憐むべし日本に対する支那の不信用は直ちに革命党に対する
国民の不信用となれり。彼ら国民は分割か保全かの察知すべからざる卑劣なる犲狼の盟主に望を嘱するよりも、日
本を圧迫頤使*22しつゝあるイギリスの危険なる保全策に依頼するの遙に危険少なきを見たり。日本に対する信頼感謝の誠
実なりしだけ猛烈なる反動は一撃にして南京政府を打破したり。イギリスの従属国政府と国民は非難の矢を孫の好紳士
に集中しあるいは譚・黄の人物を批判して革命の責を負荷し得べきや否やを論争しつゝあり。しかも不肖をもって視ればむしろ
日本はなんじが天啓的使命たる支那保全に就て道念の鼓動なく聡明なる大策の樹立せるものなきを反省せざるべからざ
るを考ふ。かくのごとくにして愛国的覚醒統一的要求は木偶の南京に中心を失ひて武昌の俘虜に還るあたわず、滔々と
して北を指したり。彼ら国民の多くが袁の投降者なることを解せざるは黎の俘虜なるを知らざりしごとし。寄せては
返へす革命の大濤は孫君を砂岸に投棄して朽木のごとき袁を潮頭に揺り上げたり。諸公の微笑の為めに一言せしめよ。
大義の首唱者と南北統一の奸雄との差はただその擁立に際して落涙せしと落涙せざりしとの相異のみ。しかもイギリスおよび
その従属国日本の清帝中心の妥協斡旋が直ちに清帝の任命せる降伏大臣袁本位のものに転化すべきは論なく、一面孫
政府の崩壊と相待ちてついに統一政府の大総統としての袁世凱を見たり。在支イギリス人の日本に対する中傷讒誣は当時不
肖らの忍ふ能ほざるものなりき。頭山、犬養氏らに対する日探の怒は章太炎の狂にあらずして支那の包むあたわざる恨
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なりき。日本に期待したる革命的青年は国民に対してその体面を失へり。不肖ら革命に関与せる日本人の恥辱は一
に諸公これを憫察すべし。本国政府に一個の意志なく一にジョルダン公使の命を仰ぐのみとは高祖高宗*23の名誉に対
して告白するあたわざる所にあらずや。日本はイギリスのインド巡査として駆使せられたる事によりて革命党と亡国階級との
両者に信を失ひ、イギリスは日本を駆使しつゝ誹謗する事によりて全支那の景仰を受けたり。あゝ袁輩の俗吏を指して
日本を翻弄し得る外交的怪腕あるものゝごとく考ふるものよ。自己に向つて盟主を強要しつゝあるものゝ上にさらに盟
主の存在するを視ば、その最高の権威に結托するはアフリカ土人といえども難しとせざるべき外交ならん。袁は日本を
翻弄したるものにあらず。日支両国実に一英公使に駆使せられ蹂躙せられて奴僕のごとく取扱はれたるのみ。歎ずべき
かなイギリスの買辧に過ぎざるこの国家の競売人を擁立したることによりて、日本は東洋の盟主にあらずまた支那を保全し
得るものにあらざる一弱少国なる事を暴露したり。あゝ諸公。かくのごとくにして支那の軽侮嗤笑するを怒る日本政府
および国民はジョン・ブルの手を拍ってもって御し易しとするゆえんにあらざるか。支那の革命、およびしたがって来るべき日支両国
の自覚的結合が、ついにイギリスの財政的併呑策を顛覆せずんば止まざる大勢なる事をジョン・ブルの巧慧をもってして看破
するあたわずと考ふるか。支那の指導的青年らが未だこの点まで自覚せざることは事実なり。しかも日本の朝野なお未だここ
に覚醒せざることもまた事実ならずや。昨春の愚劣罪悪に満ちたる日支交渉*24は実にこの覚醒せざる両国の衝突にして、
イギリスの指導権下にある日本の要求を扞禦せんとして、支那また共の指導をイギリスに仰ぎたる盲人のつかみ合いのみ。支那の
不信は言ふべきことにあらず。支那は支那人の支那にあらずしてイギリスの支那なればなり。支那に対してイギリスは指導権
を有す。あらず! 支那に指導権を強要したる日本の上にイギリスの指導権あり。
 かくのごとくにして、面縛将軍袁世凱は日本の外交的堕弱と擁護との為めに全く主客を顛倒したり。かくのごとくに
して、新興め頸血を注ぎつつ国家の根柱礎石より再建せんとしたる革命党は一切の外交的関係を断絶せられ、その
最も信頼を懸けたる隣邦の指導者より裏切られたり。革命期中のヒステリ的神経は先きに宋教仁を漢奸なりとして
排斥せる参議院ありしごとくに、支那国民はイギリス人を中心とせる在支欧人の中傷讒誣に昂奮して日本を支那の侵略者な
りと誤解したり。四国と盛宣懐との記憶を忘れて三井と孫君とを怒り、イギリスの奴僕たりし憐むべき妄動を察知せず
して排満革命を阻止せんとするものの元凶として日本に警めたり。かかる理否を弁ずる能はざもヒステリ的昂奮に際
して、清帝を退位せしめたる者は袁世凱なりと誤解せしめ、日本の立憲政維持の主張を制御し得るものはただイギリスの
みと錯覚せしむるは易々たるべく、あえて運動費三十万元を散ぜるモリソンを偉なりとするの要なし。ヒステリ的錯
覚はすでに武昌の俘虜を大義の首唱者と視たるもの、北京の投降者を革命の終局者と聴くに何の意義あらんや。同一な
るヒステリ的発作がまさに孫君を擁して割亡を図らんとする日本を怒りつゝある時、袁の英公使とのありてこれを扞禦
すべしと慰諭せばたちまち肯定百偏して狂喜すべきは論なし。−−不肖ら日本国民は幾年胸裏に呑みし恨をキング・ヂ
ョージの国旗に報ゆるの日を見ざるべからず。三井の偸盗よりも山賊のごとく揚子江流域に蟠据せるものは彼にあらず
や。日本の顔色を窺ひつゝ蒙古の一角を蚕食せんとするロシア*25よりも、全支那の破産を誘致してまさにエジプトのごとく監
督し始めたる者は彼にあらずや。伊集院公使の従属的賛同よりも清朝の維持を努力したるものはジョルダン大人に非
ずや。酔眼朦朧の孔明諸君が通俗三国史の鼎立策を論じつゝありし時、島国内の小政策小術数に慣熟せる犬養氏ら
が日人相互間の紛争を事としつゝありし時、翻訳的外交官らが一点の恩怨なきドイツをもって支那における日本の抗争
ものなるかのごとく惑乱しつつありし時、かのイギリス人の計は欲しいままに日本と支那とを離間し終りたり。あゝ同族を相食ましめ
て巧みに檎縦するは彼らのいわゆる下等人種統御策としてイギリス殖民史を一貫するところ。かってインドに加へエジプトに用いた
るものを執りてこれを日支両国の間に施したる深甚なる厚意は『日英同盟の誼』として不日干戈*26相見ゆるの時に感謝
せずして止まんや。納税の多少国債の償否のごときは国民ことごとく解知するを要せず。ただ外交の事に至つては国家の存亡
誠に一髪に懸ることあり。いやしくも血税の義務ある者挙りてその終始表裏を知得して駟もまた及ばざる*27の悔あるべからず。
いわゆる第一革命の中挫、罪何ぞ革命党と支那浪人とにあらんや。不肖は実に帝国外交の根本精神に就きて適帰する所
なき不安を諸公に愁訴す。
 あゝ諸公。革命の支那が再びイギリスの支配に落ちイギリスの買辧が統一政府の中心たるべき形勢に逆転したる時、革命
党の悲惨はこれを推想するに難からざるべし。不肖は法制院総裁としての宋君が孫逸仙君のアメリカ的大総統制を削り各
省連邦的翻訳を除きつゝ、しかもその臨時約法においてかっておのれれが苦しめられたる総長大公使らの任命に参議院の同意
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を要すとの個条を起草しつゝあるを見ていぶかり問へり。彼は答へていわく。統一後今日の形勢をもってせば袁あるいは大総
統たるべし。吾党議会によりて彼を拘束すべきのみと。革命の日は西に落ちたり。不肖は忠言を頑守するあたわざり
き。怪む事を止めよ。革命中のフランスが十六回憲法の変改ありしに比較せば、暫行を標榜せる『臨時約法』にこの事
ありしは諒とすべし。革命議会の議員が多く反覆して王朝の臣たりしが故に、すべて議員は大臣たるを得ずと規定し
たるフランスをもって立憲政の本義に矛盾すといふものなし。さらば敵将の元首を迎へざるを得ざりし支那において、守を
憲法の城廓に求めんとしてこの事ありしはまた笑ふべきなし。彼の革命を理解せずして軽侮を事とするの徒と、袁を
中心として立君統一あるのみと論ずるの輩とは諸公の聡明をおおひていわく。支那は一人の皇帝にて足る。革命党の輩
共和立憲の知識なきことこの一条を見ると。不肖は省みて東洋の盟主支那の指導者がその外交的転進の活気を捉ふ
るあたわずして、隣邦復興の運動をかえって参議院の城塞に退守せざるを得ざらしめしを悲しむ。
 孫逸仙君の英雄ならざりしことが袁をして大総統たらしめしことはもとより一の原因なり。しかも投降将軍を倒まに
南北統一の元勲たらしめることは、イギリスの走狗たりし日本の外交が最も有カに原困したり。断じて言う。袁を誹謗
することを止めよ、−−日本がイギリスの指導権に服従する限りにおいて。
 
 
 
*1ポーツマスにおける小村大使の大失敗:日露戦争後のポーツマス条約で賠償金が取れなかったことにより国内の不満が高まり、日本全権代表小村寿太郎にその矛先が向かって行った。
*2制肘:(せいちゅう)他人に干渉して行動の自由を妨げる。
*3現下の大戦:第一世界大戦(1914〜1918年)のこと。この本が書かれたのは1915年(大正4年)から翌年に掛けて。
*4九仭の淵に臨める:何のことでしょう?中国古典からのことわざの様ですが。仭は長さの単位で九仭だと1.5mほど。おそらく「崖っぷち」のことではなかろうか?
*5ロシアと協商して:日露戦争後に結ばれた日露協約のこと。四次まであり秘密協定では日本は南満州、ロシアは北満州での利益範囲を協定していた。
*6旅順白玉山巓の表忠塔:旅順にあった日露戦争記念の記念塔。
*7清国がすでにロシアに割譲し:義和団の乱(1900年)の時にロシアは東三省(満州)に侵攻。実質支配していた。さらに朝鮮に手を出そうとしたことから日露戦争に発展。
*8ロシアの領有より譲渡:日露戦争後のポーツマス条約により日本は関東州(遼東半島南端部)の租借権、南満州鉄道と付属地の炭鉱の租借権を譲渡された。
*9炳乎:(へいこ)光り輝いて明らかなようす。
*10団匪乱:義和団の乱
*11秋水:(しゅうすい)鋭く研ぎすまされた曇りのない刀。
*12毅立:(きりつ)辞書にないが、「毅然(きぜん)として立っている」ぐらいの意味だと思う。
*13青島占領:第一次世界大戦でイギリス側で参戦した日本は山東省青島のドイツ租借地を攻略占領。対華21ヶ条要求でその権益を日本が継承することを要求した。この時、中国沿岸部を外国に割譲しないことも要求。
*14顰に倣はず:(ひそみにならわず)「顰に倣う=事の善し悪しを考えず、むやみに人のまねをする。また、他人にならって自分もそうすることを謙遜して言う語。」の反対。
*15六国借款:袁世凱が1913年(大正2年)に日本・イギリス・フランス・ドイツ・ロシアの五ヵ国借款団との間で行った大借款のこと。当初はアメリカも加わる予定だったが抜けて五国借款となった。これは袁臨時大総統が議会の承認無しで行ったもので、これにより国民党が優勢の議会との対立が激化。潤沢な資金を得た袁世凱の強気もあって第二革命へとつながる。
*16ウィルソン:トーマス・ウッドロウ・ウィルソン。アメリカ合衆国第28代大統領。博士号を持つ教授でもある。第一次世界大戦後、国際連盟の設立を提唱した事で有名。
*17窺[穴かんむり兪]:(きゆ)隙をうかがい狙うこと。
*18俯仰神明に恥ぢざる:俯仰天地に愧じず(ふぎょうてんちにはじず)の間違いだと思う。かえりみて、自分の心や行動に少しもやましいところがない。公明正大である。
*19憫察:(びんさつ)哀れんで思いやること。相手が当方の事情を察してくれることの尊敬語。
*20左顧右眄:(さこうべん)左を見たり、右を見たりする。周囲の動きを気にして決断を下さないこと。
*21糸毫:(しごう)非常に少ないこと。少しも。毫=細い毛、筆の先。
*22頤使:(いし)横柄な態度で人を勝手気ままに使うこと。あごで人を使うこと。
*23高祖高宗:高祖・高宗、両方とも中国歴代王朝の初代皇帝のこと。ここでは祖先の意味。
*24昨春の愚劣罪悪に満ちたる日支交渉:対華21ヶ条要求のこと。
*25蒙古の一角を蚕食せんとするロシア:辛亥革命で清朝よりの独立を宣言した各省の中でも、外蒙古(モンゴル)はもとより漢民族では無いためそのまま革命政府に合流せずに独立の道を進もうとする。この動きに隣接するロシアが積極的に介入して支援をしていた。
*26干戈:(かんか)干=たて。戈=ほこ。武器のこと。
*27駟もまた及ばざる:ことわざ「駟も舌に及ばず」のこと。駟=4頭だての馬車。一度しゃべったことは、4頭だての馬車でも追いつけないように、取り返しが付かない。
 
 
 
 
 
 
    十一 対日警戒の為めの北京中心
 
           黎・袁の人物批判の無用なるは朽木と糞土との比較論のごとし−−統一的要求の波濤中に浮沈
           せる孫・袁−−孫が革命を起さざりしごとく袁は南北を統一したる者にあらず−−日支同盟の
           必要条件として北京を首都たらしむべからず−−北京兵変は袁の謀略にあらず−−東洋の
           独墺同盟たるべきを理解せざる日支両国−−南満洲は日本の領土にして支那の主権を認む
           る何らの理由なし−−支那浪人学者らの国権的無自覚−−南満は支那保全の万里長城なり
           き−−南満占有の意義を志れたる日本の外交的堕落−−各省独立に応じて蒙古独立の名に
           陰れたるロシアの蒙古侵略−−日露の野心の為めに北京を中心としついに関中にありし袁を
           王たらしめしのみ−−憤々として帰国せる愚人島興行団−−故国の誤策を戒むる一義人を
           見ず−−親日主義を取れる故宋らの大打撃−−故友との激論を顧みて遺友断膓の涙−−北
           京の兵変に兵を逝めたる日本の大愚呆−−支那の革命に並行して日本対外策の根本的革命
           を要す。
 
 こいねがわくは諸公。不肖をして聡明なる諸公の前に黎・袁らの人物批判を為さしむる事なかれ。歴史の江岸に立ちて流の来
る所を顧み潮のおもむく処を望まんとするもの、いずくんぞ朽木と糞土の垣との差等を考較するの愚を為すべけんや。二人者共
に亡国階級の支那人なる事に解釈せば、その擁立に際して悲泣せしと悲泣せざりしとは好々爺と奸雄とを判別すべ
き理論とならず。黎が袁のごとく最後の投降将軍なりしならば悲泣せざりしなるべく、袁が黎のごとく故張振武君らの
兵変に俘虜たりしならば必ず声を放て唖々として悲泣したるべきは論なし。不肖は多くの支那軽侮論者が袁を考慮
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する時豹変して支那崇拝論者たるを見、実に弱者をしのぎ強者に侫する封建的奴隷心の発現なる事を恥づ。問題は二
人者の人物にあらずして俘虜と投降者の所在せし偶然の地理なり。すなわち問題は袁と黎との人物にあらずして武昌と
北京となり。むかしまず関中に入るものは王たりき。排満革命中の支那は北京にあるものはたとえ投降将軍といえども統一
の中心とせざるべからざる危機に威嚇せられたるものなり。不肖は前に孫政府の崩壊その事が同時に袁政府の設立を
意昧すと云へり。支那の危機は愛国的要求の反逆者を南京に覆へすと共に一分時といえども統一の中心を見出さずして
安んずるあたわず。愛国的覚醒統一的要求はかって武昌を中心として俘虜に集まり、次ぎて南京を中心として木偶に来
り、さらに投降者に中心を求めて北京に走らんとす。統一的要求が、支那の存亡により日本の思想的啓発によつて覚
醒せられて広くかつ深く拡汎せられたるだけ、要求の対象を把握するにかえって真贋を誤らざるを得ず。飢えたる者は
食を選ばず、熾烈切迫の要求は中心人物の価値を批判するの暇なし。黎と袁としかして孫君と、これを個人的に評価
すればその面のおのおの異なるごとく人格に相異あるはもとよりなり。しかも支那の統一的要求といふ本体に立ちて考ふる時、
これら個々人の起倒は一時的現象の明滅せるものに過ぎず。統一的要求の波濤が一波俘虜を上げ一濤木偶をもてあそびしごと
く、投降者を潮頭に浮揚せしめたるが故に世界の視聴を錯眩せしめたるのみ。全支那の知識階級に革命的理解なく
して独り一孫逸仙のアメリカに悠遊するありて清朝を倒したりといふがごとき凡俗的見解は諸公に許容せられざるべし。
さらば何ぞ一袁の力量によりて南北の統一を得たりとするがごとき超人的説明の承認せられたりしや。革命起りたる
が故に木偶といえども首長としたるなり。統一の必要ありしが故に投降せる俗吏といえどもこれを中心としたるなり。すなわち孫
君が革命を起したるにあらざるごとく袁世凱は南北を統一したるものにあらず。
 換言すれば第一革命の統一者は人にあらずして『北京』なりき。来るべき革命後の首都が北京なるべきか南京または
武漢なるべきかは後章に述ぶる所あるべし。ただ不肖らが講和声中の支那にありて見聞せし首都所在地の論究がついに
北京に決したるを見て、隣邦の措置誠にそのよろしきを得たるを慶賀せざるを得ざりき。−−不肖は日支同盟の必
要条件として将来首都の必らず北京たるべからざることを支那および日本の為めに確信す。しかしながら彼ら革命的
青年らがその拠る所の南京を捨てゝ敵将の守りとする北京を選びし大局的理解と国家本位の行動とは後世史家の必
らず歎賞する所たるべし。超人的説明者は袁が南京参議院の推挙を受けてしかも一たび南下すべきの約を果す事を好
まず、密かに北京の兵変を煽して唐・蔡・宋*1ら歓迎使一行の宿旅を掠奪せしめて威嚇し、傍々もって自ら北京を去る能は
ざるの口実を作りしかのごとく解す。かかる度すべからざる袁崇拝家はいわゆる『焼け太り』といふがごときを解して、彼の
商店は繁栄ならんが為めに自ら求めて類焼したりといふの愚呆と一般。しかし黎元洪を解して彼は副大総統とならん
が為めにまず密かに漢口の爆弾を破裂せしめ自ら計りて張振武らの強迫に悲泣したりと解せば洪笑さるべきにあら
ずや。黎・袁の差が泣きしか泣かざりしかの一点に存する朽木糞土に過ぎざるを知らば、黎に考へて笑ふべき解釈を
独り袁に及ぼして疑ふ所なしとは迷妄と言うべし。北京に兵変ありしは同時に南京において兵変ありしごとく、否維新
革命後、西郷南洲の第二革命乱*2に至るまで日本に数十回の兵変相つぎて絶えしことなかりしごとく、革命後の一般的現
象なり。袁の統一大総統に推挙せられしことは兵変以前にして、また北京が首都たるべく決せられしは袁の推挙せら
れざりし以前の世論なりき。あゝ北京。彼らが涙を呑みて敵将の占拠する北京に走らざるを得ざるに至らしめし所
以のものは抑々誰の責ぞ。
 日本なり。アジアの自覚史に東天の曙光たるべき天啓的使命を忘れてイギリスの走狗たりしのみならず、さらにロシア
の従卒たらんとしたる日本なり。あゝ国運頽勢に向ふ時上下いたずらに威に驕り権に侫り国交一点正義の輝なきもの古
今挙げてかくのごときか。日露戦争を戦へる意義は日清戦争のそれにあらず。日清戦争は日本が天佑によりて列強の
分割より免かるゝと共に、黄人諸国の盟主たるべき覇位争奪の墺普戦争なり。しかも日露戦争にいたっては東洋のプロイセン
がアジアのオーストリアを保護せんが為めにロシアの侵略を退けたるものなり。墺普戦争においては戦勝に酔へる近眼者流
が土地の割譲を主張せるに限らず、一ビスマルク*3のありて両国同盟の根基をこの間に築くことを誤まらざりき。当
時の日本における伊藤公・陸奥伯*4らがビスマルクの達識と決死的胆勇ありて世論を制御するを得たりしならば、遼東
半島に三国干渉を誘致する*5がごとき大失態を演ぜざりしなるべし。しかも既往*6は追ふべからず。また日露戦争に支那の参
加せんことを申込みしに係らず日本はこれを拒絶し、支那また日本に拒絶せられたるが故に茫然として傍観したり。こ
れ両国の将来が同盟をもってロシアの東進に対抗すべき運命に立てること、あたかもオーストリアがその南下に対してドイツと共に
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立てる*7ごとくなることを覚醒せざりしことは遺憾なり。しかも既往は追ふべからず。兎に角日清戦争を終はるに当つて
二国同盟の基礎を築かざりし錯誤は日露戦争によりて償はれたり。日露戦争は支那の深甚なる感謝と陰然たる援助
の下に、日本一国によりて戦はれたりといえども東洋の独・墺は条文無き攻守同盟に握手したり。第一革命に亡びし清国
の無策無主義なりし死児の齢を数ふるは要なし。いやしくもアジア各国の盟主をもって居らんとする者自らその国運を賭し
て戦へる大戦の意義を理解せざるは何ぞ。誤解すべからず。不肖をもって南満洲を獲得したることを非議するものと
なすなかれ。不肖は彼の孫・黄の周囲に集まれるある種の学者および日本浪人らが彼らの国家的自尊心を迎へんとして、日
支の親善は満洲における日本の蟠踞を撤回することにありと言ふがごときを聞睹して、その国家的無理解と婦人的行
動とを唾棄したるものなり。張継君を始め隣邦の諸友すべては不肖をもって侵略主義者に駆使せらるゝかのごとき流言を
信じて交情疎隔したり。しかも不肖は日本の権利と支那の保全に考へて言動一点の不義なきを確信して動かざりしも
のなり。南満洲はロシアより奪ひたるものにしてすでに清国の領有にあらざりしなり。笑ふべきかな、南満洲を還付
して親善を買ふべしといふがごとき商取引によりて支那の歓心を得ざるべからざるものならば、台湾を孫逸仙陛下に
献上せずんばその逆鱗に触るゝものとなるべし。中華民国の主権は清帝より譲渡せられたるものなるが故に袁は主
権者にして民国の領域また清国のものを継承すとなすがごとき解釈は、有賀博士の脳細胞が下等なる物質を以つて組織さ
れたるが為めのみ。同時に南方に付加し来れる寺尾、副島二博士*8らが前者の袁主権説を否認して後者の領域継承論
を是認せんとするも讃すべき見解にあらず。革命党の愛国的覚醒はなお未だ理性的に至らず。為めに、主権本来の意義
『力』に説明を仰がずして妄動の鋒を日本に向はしむる事ありとも、不肖らは日本の国家的正義に訴へて南満洲領
有の法理を考ふるにロシアより得たる南樺太と同一なりと断ずるものなり。−−明確なる法理に基く南満洲主権の了
解は今後日支両国に取りて重大なる必要なり。亡びたる満清の失へるものを新たに興らんとする漢民族が主張せん
と欲せは干戈に見ゆる事を要す。したがって不肖は日露戦争によりてロシアより奪へる南満洲をもって日本の正義を疑ふも
のにあらず。ただ正義の発動は一張し一弛す。日本がロシアよりそれを奪ひし時に緊張したる国家的正義は南満洲に
占拠すると共に崩然として跡なく、支那をロシアの侵略より防護せんが為めの占有にあらずして全く北満洲に拠れ
るそれと相携へて支那を脅かさんとする南満洲に一変したり。日露戦争中の南満洲占有は支那保全主義の為めの城
壁としてなりき。日露協約に至りての同一なるそれはロシアの分割政策に協力し助勢する所の前営となれり。何た
る惰弱卑屈なる盟主よ。旅順の山に遼陽の野に迷ふ十万の霊は、日本の保全主義を徹底せしむべくさらに北満洲を奪
ひて支那の北境に万里延々の長城を築き、好機一閃黒龍沿海の一帯を掩有して彼が東進の根拠を覆へし、もって朝鮮
と日本海とに一敵なからしめんことを祈りつゝあらずや。日露再戦の声に萎縮して勝者かえってその走狗となり、全
世界に声明せる大戦の本義に裏切りて保全主義の反逆者となる。支那の排日親日は問題にあらず。不肖は歴史の批
評に対して日本民族の名誉を恐るゝ者なり。
 聡明なる諸公。かくのごとき日本の堕落せる政策に対して革命的青年および愛国的覚醒を与へられたる支那国民がただ
に親善なるあたわざるのみならず居常警戒を怠らざるは当然にあらずや。彼らは南満洲の還付を期待する程に自恣自
ら量らざるものにあらず。彼らは保全主義者の城廓に踞えられたる砲門が当然に北方の侵略に向けらるべきを期待
したるに係らず。かえって反対におのれに向つて開かるゝ不信不義に怒らざる事を得ず。日露再戦論はロシアの声なりき。
日本は反響のごとくその声を返へして再戦三戦我れ辞する所にあらずと答ふべきものなりき。ノックスの脱線的提議*9に狼狽
して堂々至誠を披瀝して当るの義勇なく、日本の満洲に拠るは彼の再戦に備へ侵略者より支那を保全すべき正義の
為めに必要なりと答ふるあたわざりしは何たる卑怯者ぞ。国交の節義は国際法の条文と外交史の素読を能事とする俗
吏の解し得べきことにあらず。その拒絶の手段においてロシアと提携的行動に出づるか然らざるかは枝葉なる手続なり。
ついにアメリカを敵となし、感謝さるべき支那四億万民の憤恨を招き、大日本帝国立国の本義『信』を世界に疑惑さるゝ
の大禍を来せしもの、実に日露戦争の道徳的意義を遺却したるが為めにあらずとせんや。国信無くんば立たず。アジア
各国の盟主はすべからく国歩必ず天地の正道を踏むべし。おのれの邪径*10に迷へる事を省みずしてかえって支那のすでに頼らざるを
背徳忘恩なるかのごとく垢罵し、ウラジオストクの根拠を覆へす事を忘れて威嚇を北京に加ふるをもって能事となすに至る。
日露戦争と日露協約と、これを支那の側に立ちて看るに殆んど天使変じて悪魔となれるものゝごとし。あゝ諸公。排満
革命の声に応じて各省独立あり。各省独立の名に陰れて蒙古独立あり。豪古独立の背後にロシアあり。しかして日露
103
協約あり。これイギリス人の奇貨措くべしとする所にして、日露相結んで支那を瓜分せんの恐怖は彼らの煽揚と相待ちて
北京の守護に挙国一致せざるを得ざらしめたり。亡国階級の代表者たる可。面縛将軍もまた可。袁いやしくも大兵を擁して
北京にあり。しかしてジョルダン公使の援護あり。モリソンの奴輩上海の世論を一変せしめて英に依りて日露の野心
をたくましうせしめざるべしとするに至らしめしもの、実に日本の外交的堕落がジョン・ブルの掌上に翻弄されし証明にあらず
や。驕眼侮視して講和政局の真相を看取するなき政府と浪人輩とは、北京の兵変より南京政府を袁の膝下に移せ
し革党の愚を指笑す。いずくんぞ然らんさらに巧慧なるイギリス人は北京の兵変によりて周章*11兵を進めし日本の無策を指笑したり
しなり。日露相結びて首都の烽火急なり。孫の木偶と黎の糞土と袁の朽木と、悲痛なる愛国的叫声の前において何の
選ぶ所ぞ。北京へ、北京へ。総統首都を去るべからず、政府北に移すべし、参議院北に集るべしと。これ袁の大総
統たりし一切の原因なり。反省の能力麻痺せる日本の上下が妄論するごとき買収の故にあらず、術策の故にあらず、また阿権
附勢*12の事大的国民性なるが故にもあらざるなり。他を指笑することを止めよ。革党袁にいたされたりするは群盲の象評
なり。日露戦争においてただ一の友邦たりしアメリカを駆りて敵国となし、勝者さかしまに敗者の馬前に走りてその掲揚せし保全
主義の戦旗を蹂躙せしめてもって恥とせず。かかる日本外交の道義的堕落がその信頼主事する同盟国の術中に陥りて、
ついに袁中心の南北講和を来せしゆえんの実相を理解せよ。あゝ他を指笑する背後におのれを指笑する指の動くを見ず。とつ、
坤円球*13上愚人島あり。名けて日本と言う。
 諸公。当時渦中の人たりし不肖は革命党領袖らの真意を了解し、またこの愚人島を中傷讒誣してもってその地歩を回
復せるイギリス人および他の欧人らの言動を見聞したるものなり。愚の甚しき者はおのれの愚を知らず。頭山・犬養氏らに代表せ
られたる数十百の日本浪人らは敢然として大丈夫のごとく本国の堕弱不義なる対支外交策に抗争してこれを改めしめ
んと試むる者なく、ただ一に袁を垢罵し孫・黄譲るべからずとなして、その行はれざるやついに嘲笑漫罵を革党に加へ憤々
として帰国せり。支那は顰蹙し欧人に抱腹して高笑せり。あゝ列強環視の前に恥を晒して帰れる愚人島興行団の怨
言憤語を聞きて愚人島の朝野はますますその伝襲的対支軽侮観を深くせり。魔の導きによりて国歩邪路に迷ひ友邦ことごとく翻
つて友たるものなし。実に三国干渉以来の国辱を被りつゝ真個故国の前途を憂へ憐邦の将来を悲む一義人の起つて
故国を戒むるものなく。廟堂*14と国論と互に相傷けてもって得たりなせし事のなんたる遺憾ぞや。諸公。当時不肖は本国
の上下に起れる恥づべき嘲罵の声に歎息すると共にまた革党諸友の憤怨ことごとく日本に集まるを見て、理において服せざる
を得ざるだけ情の激動を抑制するあたわざりき。不肖の理性は日本の保全主義の動揺がイギリス人の術策に秉ぜられたる今
日となりては、南北講和の止むべからざる大勢なる事を承認したり。不肖の理性は日本浪人団の妄動によりて孫逸
仙の木偶を擁立したるが為めに崩壊せる南京政府が再び武昌に返へるあたわざる今日となりては、袁の一時的中心も
抗すべからざる大勢なることを承認したり。しかしながら革命的日本人の血をうけたる不肖の情は故宋教仁君の北上
に向て満腔の不快を吐かざるを得ざりき。彼は孫逸仙らの親米主義にしてかかる対日悪感の横漲せる際、すこぶる得意な
る立場に対立して親日党の代表者として認められしもの。したがって日本の外交的敗亡はすなわち彼の政治的衆望に対する大
打撃にして彼の痛恨や名状すべからざるものありしなるべし。しかも彼は第一革命前後を通じて革命運動の実権的総理
たりしが為めに、内閣会議の一員として国政の決に列せずんば自ら安んずるあたわざる国家的責任の負荷を閑却する
あたわざる者なりき。彼は憂国自ら任じて国家危急の際、彼無き連立内閣は退きて傍観するあたわざる盲人の道行となせ
り。彼は北上を阻止する不肖の千百言に対して断乎として余あらずんば国家をいかんせんの答を繰り返へしたり。彼
は再び譚人鳳を謀主として不肖の参画せる講和破壊の運動をかえってある重大なる被害に終はれる失態を責めずして、
言々骨を刺すがごとく日本の対支外交策の根本的錯誤を痛罵したり。日本の国交的堕落は日本人たる不肖の彼よりも
熟知する所なりといえども、彼によりて指摘さるゝことは日本人たる不肖の忍ぶあたわざる所なりき。狎友対酌*15してついに
交々激語を飛ばし、君今にしてなお間島問題当時の小局見を脱するあたわざるかと罵れるに対して、あゝ諸公、彼の答
へし所を聴け。−−日本は驕慢の為めに逆上して国策一として当を得たるものなし。日本の誤れる国策はまず日本
に禍すべく、支那のみと思ふべからず。余は日本の錯誤の為めに我が愛する国家を殉ぜしむるあたわず。余ら革命を
謀りて辛酸ここに十余年、諸友多く難に倒れて今日光復の悦を分つあたわざるを悲しむ。しかも建国自彊*16の大任はむしろ余
輩生残者の双肩にあり。言辞いかに紛黛して天下を欺かんとするも、日本がロシアと結びしかして蒙古独立の蚕食的
陰謀が日本の黙認の下に行ほるゝ当面の危機においては、余は一点日本の誠意を信ずるあたわず。国難ここに迫る。党見
105
相争ふ時にあらず。足下の云為何ぞ彼のゴウゴウたる浪人輩のそれと相似たるやと。あゝこれ最も大胆にして誠実なる
日支同盟論者の悲憤せる声なり。しかして実にこの弾劾は廟堂に立ち世論を指導せらるゝ諸公らの受くべき一大警告
にあらざるなきか。翌夜彼れ別を告げんとして来る。何を恥ぢ何を怒るかの分つべからざる激情に捉はれたる不肖は
彼の行を埠頭に送るの礼を欠けり。あゝ在天の霊よ。七年の歳月栄辱を共にし死生を契りしなんじがただ一の友は碌々なお
ここにあり。なんじが頼らんとして頼るべからざりし日本は朝野なお酔夢たけなわにして、英・露を討つてなんじの山河を保全すべき大
策を悟らず。天の賜ひし欧洲戦乱の機を逆用してかえってその走狗となり、両国墻にせめぎて日支交渉のごとき蝸牛角上の紛
争を事とす。なんじが生前の悲しみとし余の恥とせる所のもの、今日ことごとく現実せられてその極に達せり。遺去今一管の筆
を揮つて巷に義を叫ぶ。講和政局を論叙せんとして図らずもなんじが尽くるなきの恨を想ひ[さんずい玄]然*17として涙紙上に落つる
もの幾滴。
 あゝ諸公。南香港に根拠してついに支那を財政的に併合せんとしつゝあるイギリスの為めの日英同盟と、北、満蒙を蚕
食して分割の端を開かんとするロシアの為めの日露協約と、−−日本いやしくも保全主義を掲げて四億万民に臨むにこの
両立すべからざる分割的二勢力の走狗たり先鋒たるは何の矛盾ぞ。英に臣従して袁擁立の自殺的斡旋に努め、露の
蒙古独立を黙認して北京の兵変すなわち機至れりとなし兵を進めてついに腐臭紛々たる膓を露出す。日東君子国の体面無
智無恥に塗れて泥のごとし。諸公。不肖は支那の革命を語る者なり。しかも一を聞きて二を知るの諸公は支那の革命に
並行して日本対外策の根本的に革命さるるなくんば両国の親善興隆断じて望むべからざるを知らん。排袁援袁公ら
の欲する所に従ふ。ただ国策の根幹かくのごとく動揺して定まるなくんば、現下隣邦の乱局に処するにおいて再び五年前
の失態を繰り返へすべきは掌を指すごとし。猛省特に当局に向つて求む。
 
 
 
*1唐・蔡・宋:唐紹儀・蔡元培・宋教仁、だと思う。
*2西郷南洲の第二革命乱:西郷隆盛の西南戦争のこと。
*3ビスマルク:オットー・フォン・ビスマルク。鉄血宰相の異名を持つドイツ帝国初代首相。プロセイン王国首相だったときに、、普墺戦争や普仏戦争に勝利してドイツ統一に多大な貢献を果たす。伊藤博文は訪欧の際に彼と会見して多大な影響を受け、明治日本の政治国家体制に与えた影響は大きい。
*4陸奥伯:陸奥宗光伯爵。明治の外交官・政治家。日清戦争のときの外務大臣。
*5遼東半島に三国干渉を誘致する:日清戦争勝利後の下関条約で遼東半島を日本に割譲することになった。しかしフランス・ドイツ・ロシアの三国がこれに干渉。やむなく日本は遼東半島を清へ返還する事になる。
*6既往:(きおう)すでに過ぎ去った時。過去。また、過去の物事。
*7オーストリアがその南下に対してドイツと共にたてる:第一世界大戦前、オーストリア・ハンガリー帝国はドイツ帝国と軍事同盟を結び、現在のボスニア・ヘルッェゴミナ併合など南方に進出している。その結果、サラエボで皇太子が暗殺され第一次世界大戦が始まる。
*8寺尾、副島二博士:寺尾亨=国際法が専門の東京帝大教授。頭山満の友人。副島=だれ?
*9ノックスの脱線的提議:1909年(明治42年)にアメリカから出されたノックス提案のこと。満州における全鉄道を清朝に還付して列国共同管理下に置こうというもの。日本はロシアと共に反対。計画は中断された。
*10邪径:(じゃけい)まっすぐでない曲がりくねった小道。正しくない心や行為。
*11周章:(しゅうしょう)あわてふためき騒ぐこと。
*12阿権附勢:権におもねり、勢につく。時の権勢家に追従する事大主義。
*13坤円球:(こんえんきゅう)辞書にはないがたぶん地球儀のこと。
*14廟堂:(びょうどう)政治上の事務が行われる場所。朝廷のこと。
*15狎友対酌:(こうゆうたいしゃく)狎=なれる。辞書にないが「友人同士が酒を酌みあいながらなれあう」だと思う。
*16自彊:(じきょう)自分から進んで努めてはげむこと。
*17[さんずい玄]然:(げんぜん)涙がひとしれず流れ落ちるさま。
 
 
 
 
 
 
    十二 亡国借款の執行吏
 
           南北の統一者は『北京』なりき−−四国借款に反対して起れる革命が日・露を加へたる六国
           借款に反対せずと考ふるか−−財政監督−−六国借款は日本の対米勝利にあらずイギリス投資
           の執行吏なり−−清を亡ぼしてさらに六強清を迎へんとするか−−譚人鳳の第一獅子吼−−
           宋・黄の反対、各省の呼応−−亡国的官僚唐紹儀の天津逃亡−−盛宣懐の運命を再びすべか
           りし袁世凱−−一年有半の抗争ついに第二革命に至る−−日本は何故にアメリカの脱退に学ばざ
           りしか−−日本の歴代内閣を支配せる『愚呆』と『驕慢』−−今後再び借款をもって革命精
           神を屠るなかれ−−支那に対して財政監督の外なしとする者は日本自身がイギリスと財政監督の
           借款交渉ありし維新後を回顧せよ−−維新前の賄賂公行、欧洲列国会議の公然たる賄賂取
           引を回顧せよ−−革党の借款拒斥論を侮る日本現代の墜落−−革命期のフランス財政と亡清の
           財政状態を比較して示す−−三族会義よりバスティーユヘ、諮政院より武漢へ−−一国内に
           おける亡国階級と興国階級の天地的相異ある思想行為−−フランス革命党と等しく支那革命党
           は破産せる財政を整理せんとするもの−−幕府は藩長に倒されたるにあらず財政破産の為めの
           自滅なり−−革命乱の為めに財政破産せんと言うは因果律の顛倒なり−−日支両国は昔年
           の英仏のごとき宿怨仇讐の関係にあらず−−東西文明旋転の歴史的意義において日本は東洋の
           ギリシャなり。
 
 かくのごとくにして『北京』は革命を統一したり。蒙古の独立は直ちに西蔵*1の独立を来たし、日露協約・日英同盟に
よりてその背後にある英露と結べる日本が最も警戒すべき豺狼なりしことを発見したるが為めに、その衝に当れる
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『北京』は一切の者を挙国一致せしめたり。大兵を擁して独立せる各省は、支那通等の兵変相つぎて割亡に終るべ
しといふ予言を冷笑しつゝ、国家の名の下に恩怨を抛ちたり。革命的青年らは日本の爪牙に懸りてまさに第二の朝鮮
たらんとする時、袁賊といえども推戴扶翼して過なからしむべしと叫号したり。南北の統一者は『北京』なりき。−−
袁その人を論題として足れりとするごとき短見浅慮なる支那通等の考へ得べき事相にあらず。二十二行省鋭意治を図り
て乗ずべき一騒乱なからしめし統一者は、日本の野心に当るべき『北京』なりき。−−近代支那の愛国的覚醒統一
的理解は既に堕落の坂を降りつゝある日本人の察知し得べきにあらず。袁焉んぞ革命を統一せんや。排日焉んぞ袁の
陰謀に始まらんや。
 しかしながら諸公。列強の対支圧迫は他の形を取りて出現せり。しかして無智無恥の日本は再び得々としてその走狗と
なれり。あゝ度すべからざるアジアの盟主よ。革命たけなわならんとすると共に、なんじは蒙古を食らんとするロシアと、西
蔵を併せんとするイギリス*2とより、南満洲割譲の餌をもって誘引せられたり。なんじは『あえて公等の認知を待たず、我が権利
は日露戦争において存す』と答へて拒否応諾堂々たるあたわざりしは憐むべきものなりき。しかもなんじは多年反覆声明せる
保全主義に対して恥を知れるものありき。しかも明白に財政的亡国の陥穽*3たり彼の六国借款団に参加することをもって
自ら保全主義に忠なる者のごとく信ぜしは何たる無智ぞ。なんじ陸海軍は白人の支那における投資を保護すべき執行吏と
して甘んぜんが為めの者か。ストレートの四国借款はなんじの権利を満洲に脅かせし時、なんじの狼狽より先きに怒号噴叫
して支那人之支那を主張せしものは支那の革命的先覚者に非ざりしか。四国借款が併呑の舌を吐きて粤漢鉄道の本
部支那をねぶるに至るや革命は勃発したり。なんじは手を額にして支那の自立自彊あるいは望むべしとして慶賀せざりしか。
然るにかえって日露相携へて四国に加入し、もっていわゆる六国借款団なるものを作る。あゝ革命の支那が乱後整理の為めに
六国借款を歓迎すべきものならば、その四国なりし時に戈を執りて起たざるを得ざりし理由どこにかある。四国借款
が粤漢諸省を白人の支配下に置くものとして革命的新興階級に拒絶されたる理由は、全支那の財政的独立を六国借
款団の脚下に蹂躙せしめて唯々たり得べきものにあらず。諸公。支那の革命が日本の興隆と日本思想の啓発とにより
て醗酵せられ、しかして四国借款が革命勃発の直接原因たることを理解せられしを信ず。さらば、袁たとえいかに売国
借款を計るも我が日本の取るべき途はすべからく愛国的先覚者の借款拒絶運動を援護するものなるべかりしなり。四国
の鉄道投資は単なる利権の壟断なりき。少くも分割の場合における仮想的用意に過ぎざりき。一呼直ちに百万の軍
を動かし得べき日本の参加したる六国借款は割亡の明白なる実力的準備を具有したるもの。特に財政監督の要求を
掲げて肉追したり。あゝ財政監督。驕慢にして愚呆なる日本の朝野は支那の財政が六国財団によりて監督さるゝ事
は支那人の幸福なりとのみ叫喚して、しかも白人国の投資における卑むべき執行吏の職に任ぜられたる恥辱を反省す
る道念を失ひたり。財政を監督せんとせば武力の後援を要す。当時驕慢なる執行吏は肩をそびやかし揚々としていわく、
我はついに東亜の強国なり、列強我れの参加を拒絶するあたわずしてかえって歓迎する事かくのごとしと。しかしてまた愚呆漢の
愚直を表白していわく、腐敗せる支那は自ら財政を整理するあたわず、日本列強と共に監督せば支那国民の幸福にして
また国家の保全を全うすべしと。他に監督せられたる財政がその国家あるいは国民に幸福を与ふといふ財政学は悪魔の編
纂したるものにして、イギリスは是をエジプトとインドとに強行して自らその真理を証明したりと言う。あゝ諸公。四国借款を
忍ぶべからずとして爆発したる革命は、かかる白人の真理を支那において是認するあたわずとなす正義に目覚めたる黄人
の叫びならざるか。イギリスや今日その財政学を東洋に強行すべき武力なし。すなわち『日英同盟の誼』によりて悪魔の真理
を隣邦の同族に向つて代弁し執行すべき光栄を日本に与へ、おのれその蔭に僭みて撫髯莞爾*4たるもの、これを六国借款
加入の実相とす。グレー*5の舌長きこと三尺。
 不肖は誇の意昧をもって書かれたるこの情報を受取るや名状すべからざる霊的激怒に打たれて蹶起したり。宋君農
林総長*6として北上したる後、熊希齢*7氏財政総長を受けてなお北面招討使の幕下を去らざりし前、不肖は視えざる手の
導きに引かるゝごとく譚翁を訪へり。譚や実に人中の鳳。長江一帯の盟主として青年愛国党を振起鼓励して倒満革命
の真個号令者たりし者。名を日本浪人らに求めず権を南京政府に争はず、風霜二十有余年の老駆みずから三道の北伐軍を
督して流血もって禹域の積醜累悪を洗はんとして自ら『北面招討使』たりし者。治国平天下の大義何ぞ鼠輩の解すべ
きものならんやとしてイギリス人の策せる孫・袁の握手を頑として肯定せざりしもの。漂木浮萍流に従つて去るも巨巌独り波浪
の間にそびえて動かず。南北講和の大潮彼を水中に没して『中部同盟会連絡部長』の存否内外に忘らるゝに至りて
109
いよいよその不退転的重器なるを知らしめるもの。不肖は満腹の怒気を彼に注ぎていわく。『あゝ中華民国清を亡ぼしてさらに
六強清を迎へんとするか』。一を聞きて十を知るの言いは彼なり。彼は居常二、三語を聞きて裁決を与ふる流るゝ如
し。言下答へていわく、これを破る鄙人*8の一声と。即時長電獅子吼して北京に飛べり。袁いかに返報せしか不肖これを知
らず。しかも故宋君は内閣会義において断乎大借款の無用を主張し始めたり。上海報界の世論は翕然*9として起れり。各
省都督諸将は交々飛電して国家の危機を叫びたり。黄興は当時なお『南京留守府』にあり、切々哀々の情を傾けて抗
争しついに全国に向つていわゆる『国民捐』*10を訴へたり。不肖は猛虎一声して四山響を返へすの壮観を看て微笑を禁ぜざ
りしと同時に、支那の愛国的覚醒が誠に徹底せるものあるを発見してアジアモンロー主義の実現断じて遼遠*11ならず
の確信を深くしたるものなり。全支那は悲憤の声にみなぎれり。満洲における四国借款に始めの俑を作れる*12アメリカそのもの
が自ら脱退を声明するに至りて六国協調まさに殆んど破れんとしたり。官僚より革党へ転藉せる総理唐紹儀は亡国的
官吏の面目を露出して、列強を拒ぐあたわず国論に抗するあたわずとして天津に逃亡したり。総理無き後の連合内閣は
『吾閣員たらずんば国家をいかんせん』と言へる故宋の大借款拒絶論に支配されたり。袁は孫がしかりしごとく木偶とな
れり。あゝ日本。日本この時において白人の投資的侵略の前駆たるなくんば、今日の帝政延期勧告*13を待たずして彼は
当然に唐の跡を追ひて盛宣懐たりしを断言せん。袁を擁立して干渉的講和を斡旋せしイギリスの走狗は反覆責めずして
可。相携へて資本的併呑に結べる白人列国の傭兵となり、講和成立より革党の失脚し終れるいわゆる第二革命に至るま
での一年有半、財政監督を強要して止まざりし日本の大罪悪に至りては不肖これを何とか云はん。一年有半日本は
鬼面して支那を嚇し、革党痛呼憤叫してこれを拒ぐものまた一年有半。ついに五国借款に変じて第二革命弾圧の大軍資とな
り、日本的思想系の勢力一空見るべからざるに至つて袁の報謝せし所の者を見よ。いわく排日の二字。愚人島にあらず
して何ぞや。
 諸公。一国民の身をもって故国の愚劣と罪悪とを指摘せざるを得ざる痛恨を憫察せよ。不肖はおのれの愚を知らずして
いたずらに驕慢なる愚人の成すべからざる者に我が日本を比喩する事を好まず。しかしながらアメリカ人の主謀せる四国借款が
日露の加入によりて六国借款となり、さらにウィルソン政府の賞讃すべき脱退によりてイギリス本位の五国借款となりて
交渉さるゝや、少くも愚劣なる執行吏は少なからざる驕慢に鼻を揺めかしていわく。米はついに日本の敵にあらず。日本
英・露と相携へて臨むや自ら築きし城を開きて献ずるかくのごとしと。諸公。全局の達観者に取りてアメリカ本位の投資と
イギリス本位のそれと何ほどの相異する所ぞ。日本がたとえ政策において多少の愚劣ありとするも、その支那保全主義を守持
する道念を失はざりしならば、革命動乱中、露を引きて米を退くるの転倒事は断じて義の宜きを得たるものにあらず。また
日本がたとえ支那の危機は日本の危機なりとの覚醒に達せずとも、その対支軽侮観の驕慢に盲せざりしならば、財政
監督は支那共和国の主権を損傷すと言へる米政府の脱退宣言は是をおのれれに対する反省の警告として拝謝すべし。英・
米いずれかよく支那の保全に忠実なるやは一目瞭然たり。否。不肖は日本の誠実なる保全主義を信ず。したがって日本の朝
野が真に支那の復興を希望し多大の精神的援助を革命運動に傾注したる至純なる動機を信ず。さらば大借款拒斥の
声が挙りて革命的指導者の口より叫ばるゝを見たる時、何が故にまず同情の耳を傾けて彼らの主張いかんを聴取する
の謙虚なかりしか。不肖は現時の大隈内閣を責むるものにあらず。また前きの山本内閣を咎め当時の西園寺内閣を罪せ
んとするものにあらず。数年来日本の統冶者は諸公の内閣にあらずして『愚呆』と『驕慢』なりき。考察なく討究なく
経綸なく、ただ隣邦の国難を侮弄し白人の煽揚に意満ち気驕れる無頼漢のごとし。『愚呆』はいわく、支那はついに団匪乱当
時列強の共同統治せる都統衙門*14を見るべし。日本が列強と共に財政を監督することはついに支那全部を都統衙門的統
冶によりて平和幸福ならしむる第一歩なりと。しかも諸公は白人の分割同盟の先駆たるを期せず、支那および他の黄人
の独立自彊を保護指導すべきアジアの盟主をもって日本の天啓的使命とせるは不肖の信ずる所なり。『驕慢』はいわく、
支那人を支配するものは剣と黄金なり。革党の借款拒斥運動は下宿楼上の書生論のみ。くらわすに利をもってし圧するに
威を用ゆ。対支政策の妙諦ここに存すと。しかも諸公がイギリスの利をくらい、ロシアの威に屈せし清朝を支那保全の為に存
続せしむべからずとなし、その興国学と興国的精神とをもって数十万の革命的青年を作り革命を培養したる使命の無
意識的遂行は不肖深く天の嘉賞に値せし事を信ずる者なり。帝政中止勧告を一転機として諸公の聡明を暗ます『愚
呆』と誠実を惑はす『驕慢』とはまさに諸公を去らんとす。しかしながら不肖は排袁後における財政の革命的整理が諸
公に了解されざるべきをもって、直ちに逢著すべき借款問題に対して再び革命の精神を屠るがごとき過誤に陥るなきや
111
を恐る。借款そのものは非ならず。否、支那の興隆に伴ひて急速に大々的に外款を輸入せざるべからず。ただ四国または六
国借款のそれにおけるごとき意味においてすべからざる財政組織そのものに対する革命的一変の前提あり。
 前提とは何ぞ。すなわち古今革命の直接原因たる財政組織そのものの腐敗崩壊なり。これ最初に説述せる『革命の思想的
遠因』に対照して『革命の物質的直因』たるもの。思想の堕落その極に達して政治的社会的組織の腐敗を来し、同時
に並行して因となり果となり一切の財政的経済的組織の崩壊に至る。亡国これなり。革命とはこの亡国的腐敗崩壊
の間より新精神の興奮して新組織を構成せんとするもの、亡国の形骸を残存して内容は興国の精気に充実せるものなり。
イギリス人らは形骸を見て亡国なりとしたり。日本は内容を洞察するあたわざるか。かってエジプトとインドとは思想的並に物質的
に腐敗し崩壊したり。当時新精神の革命を旋起するものなかりしこれらを亡国として取扱ひついに財政監督によりて併呑
したるイギリスは二国を正当に理解したる者なりき。しかも英公使パークス*15は新精神の奮興によりて新組織を構成しつゝ
ありし維新革命の日本に対して、デビッドソンとの借款交渉*16に財政監督を企図しこれを亡国視したる錯誤に陥れり。
諸公。封建国としての日本のもとより亡国なりし事は、清国としての支那の亡国なりしと同様なり。亡国清国の官吏
に賄賂公行せるごとく、亡国徳川時代において将軍府に参朝する諸侯は厠の所在を問ふに多少の白銀をもってせずんば終
日塞尿に苦しめらるゝ程の腐敗なりき。今日市井に伝唱さるゝいわゆる御家騒動なるものゝ物語は全国三百の統治者が
いかに賄賂に左右されしかを示し、賄賂を公然の収入とせる『役徳』の権利を無視されしことより起りて四十七士
の復警劇を生ぜしに見よ。清朝の貴親と総督巡撫らが金帛美女を政治の動機とせしは民族性なるが故にあらず。慶親
王がロシアの満洲侵入を導きて数百万両の賂を受けし事は、外国奉行竹本淡路守が三百万$を連合国に贈りて馬関
砲撃を依頼せし*17売国的行動と同じ。ヴェストファーレン会議*18、またはウィーン会議*19において列国の使節が公々然と収賄贈
賄を商量して敵国の用をなせし駭くぺき堕落時代に比すればまた人種的差等の問題にあらず。民族または人種といふ生理
的約束に一切の道義または国家の興亡が支配さるゝかのごとく妄断するは白人の偏狭低級なる見解を迷信する者なり。
彼らはエジプトとインドとに現はれたる時代的現象を異人種の永久的実相なりと誤解す。彼はかってこの誤解を挟んで、腐敗
せる封建国を亡ぼし新興的財政組織を構成し始めたる維新後の日本に向て財政監督を強いんとしたり。当時および今
日の日本をもって見ればパークスの企図は笑ふべく憎むべき空夢なるは論なし。腐敗せる清国は腐敗せる徳川が亡ぼ
されたるごとく、新精神の奮興によつて亡ぼされたり。しかして維新後の日本帝国と革命後の中華民国と同一なる愛国
的統一的精神によりて躍出したり。今日さらに英公使ジョルダンがパークスの夢を再びしてかって日本帝国に加へんと
したる者を中華民国に用いんとす。日本は何が故に亡国的徳川より維新の興国に転進したるなんじの体験を回顧する事
なかりしか。−−この尊き体験は天爾をアジアの救主に指名せんが為めに賜ひしもの。日本は何が故になんじの体験に照
らして亡清と民国とが立つ所の精神を異にする事を諒察し、もって白人の侵略より支那の復活を庇護するの義勇に出
でざりしか。仮りに徳川の崩壊せる財政組織を依持してイギリス人顧問の下に国庫の監督せらるとせば、維新革命党の黙
視せざるべきは論なし。さらば清朝時代のそれを墨守して打破建設の胆識なき反動的腐吏らが密かに売国借款を交
渉しつゝある時、何が故に発奮挺身して拒斥に努めたる支那革命党は、日本人の眼に憫笑すべき書生の空言妄動と
映じたりしか。諸公。不肖は興国の正気頃ごろ隣邦に移りて日本の上下かえって一縷維新の血を伝ふるものを見ずとは云
はず。しかも興亡の転機に鈍感無神経なるかくのごときは、これ支那に加ふる侮辱にあらずして維新建国の先輩に向つ
て吐く唾にあらざるなきか。
 諸公。さらに革命期のフランスを想起して語らしめよ。これ支那に対する軽侮観が欧米崇拝と同根なる奴隷心に基く
ものなるが故に、ある種の愚呆にして驕慢なる日本人を啓蒙するに便利なる説明法なればなり。実にフランスの精神的
腐敗が清朝の末年に比すべからざる魔界なりしごとくに、その財政的組織の全然崩壊し尽くして手の加ふべき途なか
りし事は革命前の支那をもって測るべからざるものなりき。すなわち一国民としての物質生活の組織はことごとく解体して、終
にすべて国内の経済的取引を禁圧し、四隣との国際的経済交渉を断絶せざるを得ざる程の無組織に陥れるものなりき。
実に革命たけなわなる『九三年』において革命政府は軍需品徴発の名の下にすべての経済的資料、米麦菜果牛羊馬匹等の食料、
布帛等の衣料、その他薪炭車輌船舶に至るまで、ことごとく銀紙比価百分の一に当らざる濫発紙幣をもって掠奪し、経済生活
の中枢たる銀行業貿易業株式取引所のごときを国賊として取扱ひたり。すなわちナポレオンの大陸封鎖以前すでに自ら隣邦より自
国を封鎖せざるを得ざる程の社会的解体そのものなりき。一般に恐怖時代と称せらるゝ二年間の日子は中世的旧組織な
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く、また近代的新組織の建設されざる無組織の期間を称するもの。後の支那通等が四百余州紊乱解頽して収集の術なか
るべしとせる想像のごとき及ぶ処にあらず。否、恐怖時代を待たずとも革命生起の翌年、すなわち王と国民議会とがあたかも
支那が為せしごとく妥協成立して一たび平和なるべしとせられたる九〇年において、一億一千万法の公債が実に三割の
高率をもって募られたるに係らず、一人の応募者なかりし事実を見よ。これ革命乱中にしてすでに南政京府の八分利付
公債が数百万元の売行あり、袁の弥縫*20的統一に至りて数千万元の愛国的結晶を欺き得たるに比して天地の差等なら
ずや。同一なる財政破産を近因とせる支那の革命は、日清戦役当時の八千九百万両の歳入を得し旧財政組織を墨守
して三億数千万両の歳出を要する近代政治を支ふべからずとなし、年々の欠陥を外借に仰ぐは国家の危亡なりとい
ふ先見的覚醒より起れるものなりき。全国三分の二の土地を貴族と僧侶とに占取せられその残りの三分の一を耕作せる
国民が、王の年収二億万円と国庫歳入の四分の一に当る王室費二千七百万円とを推持するあたわざるの極に至りて現
世の地獄を演ぜしフランス革命の事後的無智の匹敵すべからざるものなり。一切の計算を立るあたわざる今日の支那に於
て、地租の未進脱税が年々数千百万円に上るべきことも、革命五年後のフランスが滞納六億万円に達せしに比較せば
驚くべきにあらず。また清帝退位の時なお内帑金千数百万両の私蔵されありしを発見せしことも、フランス王室が毎年寵幸
者に投恵する無意味の年金千三百万円を計上せしに対照せば怪むべきにあらず。支那の官職売買とフランスの貴族株
公売と同様なり。支那の総督巡撫らが自己の算盤によりて徴税せしことゝ、フランスのファーマー・ゼネラルが法律
に遵拠するを要せざる租税掠奪と同様なり。支那の内地釐金税*21とフランスの貴族らが領土至る所おのおの関を設けて誅求*22
せし通過税と同様なり。什一税*23なる名の下に各人の収入を迫要捜査しいやしくも資産ある者は挙げて奪取せられしフランス
国民は富者といえども赤貧をよそおいてわずかに免かれざるを得ざりき。さらば支那人の多くがボロをまとい茅屋*24に住する事は人
類の自衛的本能に出づる者にして軽侮すべきにあらず。財政組織の崩壊より湧き出づる無数の流民乞食は当然の産物
にしてパリの劇場前に餓を叫ぶ群集のたむろせしごとく、長江の埠頭行くところ乞食の群がり天津橋上繁華の子を見ざ
る支那の独り顰蹙さるべき理由なし。実に革命前のフランスは当時旅行せる対岸のイギリス人アーサー・ヤングなる者、満
目荒掠鶏犬の声を聞かず民に菜色ありて青春の少婦一見五十歳の老嫗に似たりとして、救ふべからざる亡国なりと
断言せるほどなりしなり。諸公。革命とは亡国と興国との過渡に架する冒険なる丸木橋なり。今日対岸の日本人に
して支那の精通者をもって任ずるものことごとく皮相近眼なるヤングの旅行記的観察を事とし、もって日本の対支政策を誤ら
しめずんば止まず。不肖は支那に幾倍せる財政的崩壊を来せるフランスが革命の橋を渡りて興国の彼岸に達せし歴史
に照して、未だ渡橋半ばならざる隣邦の国運を妄断して亡国的取扱を強ひんとせる六国借款の交渉を是認する能は
ざりしものなり。フランスの国王貴族僧侶が財政破産を弥縫するあたわざるに至りて『三族会議』*25を召集せしごとくに、清
朝の貴親と買官的官吏らとは『諮政院』に哀訴して歳出入表を公開したり。しかして財政組織そのものが革命的一変に出
でざるべからざる気運は、三族会議の討論をバスティーユ襲撃によりて終結せしめしごとくに、諮政院の議題また武漢の
勃発をもって一括否決せられたり。不肖は興亡の転機三族会議よりバスティーユへ動き諮政院より武漢を運ぐりし両国
一致の同軌的進行を見る。したがって独りその帰着たる財政組織の近代的建設において、彼の為せし所を我にあたわずとする背
理なる断見を認容するあたわざるものなり。元来革命過渡期において亡国階級と興国階級と天淵を隔つる思想行為の並存
するは論なし。フランスの王貴族らの亡国階級は故国を分割せんとする列強侵入軍の内応者となり、その亡命者の一隊
は自ら先鋒となりて侵入軍を嚮導したり。しかしてその興国階級に属する革命党およびいわゆる暴徒乱民は内応者の首魁ルイ
王を刎ねて累卵の危きに社稷*26を支へたり。同一国民同一民族が興亡二途の両極に走るかくのごとき事は革命期にあらず
んば見るあたわざる所。さらば南北統一後の支那において、袁に代表せられたる亡国階級の残骸等が全く守持すペから
ざる旧経済組織の下に割亡的借款を交渉しつゝあるに対立して、他方譚人鳳およびすべての革命的青年らが憂国的叫声
を挙げて抗争拒斥したる事は、興亡の過渡期たるゆえんを古今一律に挙証するものにあらずや。フランス革命史の価値は王
貴族らの亡国的行動にあらずして革命党の興国的精神に存す。清朝の破産して投げ出せる財政をいかに組織すべきや
を理解し得る鍵は、六国借款を交渉せし売国奴にあらずして、それを打破せんとしたる愛国的冒険家にあり。歴史
は白人と黄人とによりて流を異にするものにあらず。
 勝海舟自ら徳川幕府の亡びたるゆえんを説きていわく、幕府は薩長に倒されたるものにあらず、財政破産の為めに自ら
崩壊せるものなりと。言何ぞ清末とフランス王朝とに似たるや。清朝の財政が破産し終はれるが故に民国の革命あり。
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支那通等の考ふるごとく革命乱の起れるが為に財政の破産せんとするにあらず。彼らの論理はすべて因果律を顛倒した
るものにして、あたかも大雨の為めに洪水ありといふを洪水の為めに大雨ありといふと一般、言々一顧の価値なし。破産
は将来の問題にあらず。現在既定の事実なり。外款を輸入して弥縫し外人の監督によりて整理し得べき枝葉の紊乱
にあらず。根幹ことごとく朽倒しまさに革命的新精神に培養せられたる新組織の樹立を待望するもの、すなわち財政組織そのものに対す
る革命あるのみ。諸公。これら破壊と建設との道程に向つて今後東洋のフランス革命がいかに展開し、しかして東洋の英
国がいかに処するかは実に日支両国の興隆と滅亡とを決定するもの。しかし一歩を誤らば諸公に随ひて小僧一輝また塵
史の法廷に立たざるを得ず。革命乱の支那に対して日本は昔年の英仏のごとく旧怨結んで解けざるものにあらず。英の北
米に占拠するを妨げ仏のエジプトを領するを奪ひしごとき殖民地争奪の競争者にあらず。しかも支那の割亡を結果するの外な
き列強の借款同盟に自ら進んで先駆たりしはほとんど何の言いぞ。さらに革命乱を経過すべき支那の保全は日本のついに負
荷するあたわざる重荷なりと言うか。アジアの救主たらんが為めに踏破すべき幾多の険難に萎縮してむしろ白人の走狗
たる安きに就かんと欲すと言うか。日本は地理において東洋のイギリスなり。しかも東西文明旋転の歴史的意義に依りて観
ずればアジアに位するギリシャなり。ギリシャはすでに日本海のサラミス海戦*27において強露ペルシャの侵入を撃破したり。あゝ旭日
東海に昇りて、天命の指呼する所誠に歴々たり。不肖は支那の革命的覚醒がいかに徹底するものありとも、日本に
して自ら外交革命の分水嶺に立てることを顧み、有史以来の大使命に大悟一番する所なくんば東亜の大局ほとんど言ふ
に足らずと断ずるものなり。白人投資の執行吏か東亜の盟主か。天これを諸公に選ばしむ。
 
 
 
*1西蔵:(せいぞう)チベットのこと。現中国のチベット自治区。元々チベット人が住んでいた地域であり、辛亥革命を契機に独立を宣言。
*2西蔵を併せんとするイギリス:チベットの独立には隣接地であるインドを殖民地としていたイギリスが支援していた。
*3陥穽:(かんせい)落とし穴。罠。
*4撫髯莞爾:(ぶびんかんじ)髯(ひげ)を撫でて、にっこり笑うこと。
*5グレー:エドワード・グレー。イギリスの外相。
*6宋君農林総長:袁世凱臨時大総統の元で組閣された唐紹儀内閣で、宋教仁は農林総長となっていた。
*7熊希齢:(ゆうきれい)唐紹儀内閣財政総長。立憲派。後に第二革命のときに袁世凱のもとで総理になる。
*8鄙人:(びじん)田舎の人。身分の卑しい人。自分をへりくだって言う言葉。
*9翕然:(きゅうぜん)多くの物事が一つに集まり合うようす。
*10国民捐:(こくみんえん)革命派の資金調達のために黄興が考えた国民から取り立てる義捐金。これについては支那革命外史以外に書き残した資料が無い様だし、短期間で終了した物の様なので詳しい事は不明。どうやら税金の様に公平負担で取り立てようとしたわけでなく、有るところから無理矢理義捐金を取り立てようとしたらしく問題噴出して終了した模様。
*10遼遠:(りょうえん)遙かに遠いようす。
*12俑を作れる:ことわざ。俑(よう)=土人形。悪い前例を作る。よくないことをし始める。
*13今日の帝政延期勧告:1915年(大正4年)に袁世凱が皇帝に即位しようとしたとき、日本政府は帝政延期の勧告を行っている。
*14都統衙門:(ととうがもん)都統=軍事の官職名。衙門=役所や兵営の門。自由に入れない場所のたとえ。
*15パークス:ハリー・パークス。幕末・明治維新のときの日本駐在イギリス公使。
*16デビッドソンとの借款交渉:明治初期の鉄道敷設のための借款交渉だったと思うが、詳しい話は忘れたし資料も見つからない。
*17外国奉行竹本淡路守が三百万$を連合国に贈りて馬関砲撃を依頼せし:幕末の馬関戦争のこと。北はむちゃくちゃ書いていますが実際は、攘夷派の長州藩が下関海峡(馬関海峡)を通過する外国商船に対して無差別砲撃を始めてしまい、列強が怒って四ヵ国連合艦隊を仕立てて馬関の砲台を占拠。その後、商船の被害と戦費の賠償金として幕府が300万$支払ったと言う話。
*18ヴェストファーレン会議:三十年戦争終結後の1648年、現在のドイツ・ヴェストファーレン州に欧州のほとんど大国が集まり開かれた講和会議。
*19ウィーン会議:ナポレオン戦争終結後の1814年、今後の体制を決めるためにオーストリア帝国の首都ウィーンに欧州諸国が集まり開かれた会議。各国の利害が絡み合いなかなか進まず「会議は踊る、されど進まず」と評された。
*20弥縫:(びほう)補い間に合わせること。失敗・欠点を取り繕うこと。
*21内地釐金税:(ないちりきんぜい)内地通関税のこと。清朝末の苛捐雑税(かえんざつぜい=こまごまと雑多にかけられた重税)の一つ。
*22誅求:(ちゅうきゅう)税などを厳しく取り立てること。
*23什一税:(じゅういちぜい)収入の十分の一の租税。
*24茅屋:(ぼうおく)かやぶき屋根の家。あばら屋。
*25三族会議:フランス革命前に召集された三部会のこと。三部とは三つの身分のことで、第一身分=聖職者、第二身分=貴族、第三身分=市民。各身分の代表者により重要議題が議論される。
*26社稷:(しゃしょく)社=土地の神。稷=五穀の神。転じて国家・朝廷のこと。
*27サラミス海戦:紀元前480年、古代ギリシャの連合艦隊がペルシャ帝国艦隊を撃ち破った海戦。
 
 
 
 
 
 
    十三 財政革命と中世的代官政治
 
           革命的指導者らの財政革命に対する主張の一、二−−借款は財政策と名くべからず−−黄興
           の国民捐とネッケルの税金法案−−掠奪とは組織的に徴集せざる租税にして租税とは掠奪
           の法律化せるもの−−ルイよりナポレオンまでの十年間は掠奪政府なりし事実−−ネッケルと黄興の
           相異は財政革命に対する根本精神の相異なり−−フランスに合理的なりし掠奪は今後の支那
           において是認せらるべし−−維新革命が財産権否認たるゆえん−−譚人鳳の官僚財産没収論と
           タレーランの寺領没収論−−支那の官僚階級は一切の政治的罪悪、財政破産の根源なり−
           −日本フランスのごとき封建制を見ざりしは割拠を許さゞる支那の地理にあり−−封建諸候の
           代りに支那は中世的代官政治をもって中世および現代に一貫せり−−代朝革命とは代官故治に
           対する国民運動の英雄化せるもの−−土地没収によりて小地主国となりて富強の根基を築き
           し日本およびフランス−−官僚に奪はされば支那は財政整理の基礎なし−−支那の官職は純然
           たる営業権なり−−革命本来の要求は中世的代官政治の打破なり−−今日までの支那の革命
           は未だ序幕のみ−−掠奪没収は財政整理に先だつ基礎工事なり−−借款は財政整理に何ら
           の效なし−−徴税法の整理にあらず徴税者そのものの顛覆−−徴税者そのものが財政紊乱者なりし仏
           国の事例−−日本の五国財団に入りしは正義としても野心としても何らの意義なし−−完
           きを譚・黄らに要むるあたわざるはなおルソー西郷に求むべからざるごとし−−盗賊の計算書によ
           りて収支を考へんとする官吏学者らの迂愚。
 
 こいねがわくは一切の対支軽侮観より脱却せよ。この支那に対する軽侮は『愚呆』と『驕慢』の間に産れたる私生児にし
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て、数年来日本の対支外交が諸公の勇敢なる正義に支配されず、一にこの私生児の欲しいままにする所たりき。為めについに日
本そのものが自ら軽侮さるべき白人の執行吏に堕せるのみ。不肖は諸公本来の面目たる聡明と誠実とに信頼して、六国
借款交渉を機として発露せられたる革命的指導者の財政革命に対する主張の一、二を考察せんとす。しかして同一なる
原因の存在は同一なる結果を来すといふ原則に従いて、支那革命の事誠にフランスのそれと符節を合するごときに驚か
ざるを得ず。
 諸公。南京留守府黄興君が六国借款に反対すると共にいわゆる国民捐なるものを全国に向つて提唱するや、愚呆に属
する種類の日本人は革命党の政策無きことかくのごとしとして嘲笑したり。しかしながら僅々二億五千万円の為めに国
家の財政的独立を失はんとする袁が支那第一の能力ある政治家なりとせられたるは、白人の投資に利益なる人物の
故なり。現時の支那において借款を一の政策と考ふるはあたかも父祖の遺産を典して浪費する遊蕩爺を財政家なりとする
高利貸の讃辞と言うべし。四億万民の各人に各一元を課せんといふ黄君の主張は実に統一後の乱局を処理すべき一
個の見識にして、当時彼はその局に当らざりしが為めにこれを国民の愛国心に訴ふるの外なかりしのみ。しかもしかしその
れに法律的威力を具備せしめば人頭税*1となり、もって塩税に外人の侵略的施設を迎ふる*2ごときこと無かりしなるべし。
人頭税の可否はここにこれを論ずるにあらず。遊蕩爺の入典政策よりも黄興の愛国的叫声がはるかに政策的要素を有すとい
ふのみ。バスティーユ爆発の翌年、王と国民との妥協成立するやネッケル*3は各人の収入の四分の一を義税せんことを
義会に提案したり。義会がこれを拒絶したるは浪費を節約することなき王室の非愛国的不誠意を怒りたるもの。黄興
が野にありしが為めに主張の行はれざりしと同一の談にあらず。不肖は彼が袁の地位にありしならば必ず六国借款
を待たずして四億万円の人頭税を徴集したるべきを確信せんと欲す。しかしてその国民の自由意志による徳義に訴ふる
方法が所在微集者の強迫的掠奪的傾向を生じてついに彼自ら税金の主張をなげうつや、また驕慢に分類さるべき種類の日本
人は黄の薄志弱行を指笑し支那人は自ら統治するあたわざる政治的無能力の民族なりとして慢罵したり。黄君が革命
家として断の一字を欠くの憾ありや否やは再びこれを論ずるの要なし。しかも国民捐の徴集者が黄君の意志に反して掠
奪的行動に出でし事は 不肖をもって見ればかえって支那民族の統治的能力を立証するものなり。租税とは掠奪が法律の美
服を着たる者なり。国家の存立のために必要なる物質的資料を徴集せんとして強要する掠奪力の最も強大なる最も
組織的なるものがすなわち法律なり。国家が平和に存する時租税となり、軍事行動を取る時徴発となり、物資徴集の組
織を根本的に一変せんとする革命の時において掠奪となる。−−掠奪とは組織的に徴集せざる租税にして、租税とは
掠奪の法律化せるものゝみ。ルイ王朝の倒れてナポレオンの組織成らざりし前後十年間のフランスは租税の形式を具備する
あたわず、一に掠奪によりて維持せられたる革命政府に非ざりしか。単なる紙片に過ぎざる零価の紙幣をもって地方農
民より米穀を強徴し、全国四万八千の各市町村に設けたる『革命委員会』と『革命軍隊』なる七千の匪賊的兵士と
を分遣して徴発に応ぜざる者を処刑せり。これ大規模なる掠奪にあらずや。パリ、リオン、マルセーユ等の市民は随
時家宅捜索を受け、衣食その他の生括資料を貯蔵せることだけによりて投獄死刑せられ、貴族の邸宅は兵器工場に寺
院の鐘は小貸幣に金く無償をもって徴発せられ、銀行家・富商の断頭台に引かるゝものほとんど踵を接して列らなり、八百
万円の資財を全部義税すべきことを迫られて拒みしが為に投獄せられたる八十四歳の老爺ありしに考へよ。フランス
全土は掠奪の共和国と称すべきものにあらずや。革命において財産権不可侵の卓上論を為すなかれ。皇帝の不可侵権そのものよ
り否認し、その国家組織そのものより否認してただ新精神と強力との存在する時、その下に認知せられたる財産権のごときは已
に法律上の権利にあらず。旧法律の保護するなく新組織の認知するなき財産とはただ暴露せられたる経済的物件に過ぎ
ず。いやしくも強力あるもの、その流賊たると新統治的勢力たるとはた旧権力の掠奪者たるとこれを取得するに問ふ所なし。
革命とは旧法律の全部に対する否認なり。さらば何が故に独りその一部に過ぎざる財産権を法律的形式を経ずして犯
すあたわずといふか。暴露せられたる経済的物件を新法律がいかに認知するやは新強力の絶対至上権にして、旧法律
によつて許容せられたる財産権をもって対抗し得べきものにあらず。法律の形式を備へて掠奪すると骸骨的強力を露出し
て徴税するとただ新権力者の自由なり。旧財産権を主張せんとせばそれを認知せる旧権力が新権力者を駆逐したる後
ならざるべからず。すなわち反動が革命に打勝ちたる日においてせざるべからず。諸公。問題の主眼点は同一なる国民捐
にして、ネッケルの提義せるものと黄興の号叫せしものと根本の精神を異にすることなり。一はすでに強制力を失へ
る亡国階級に立て哀求したるもの。これはまさに新権力を得て興国的に統治せんとする新精神の湧出なり。黄君が主
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張を放置したるは恐らく組織的税金、すなわち革党の権力を握りたる後に法律的に掠奪せんと欲したるが為にして、驕
慢者の指笑するごとき薄志弱行なるにあらず。しかしてその国民捐徴集者の多くが革命党及革命的階級の人々にして、応
ぜざる者に対して威嚇強迫を加へたる事は政治的能力の欠如せる民族なるが故にあらず。一にただ彼らがネッケルた
らずしてダントン、ロベスピエールたり得べき財政革命の無自覚的信念を有するが為めなり。黄君の国民捐とその徴集
者の掠奪とは、『愚呆』と『驕慢』との悪声に関せず財産権の法理が革命フランスの論証を挙げて十分に是認するを
いかんせん。フランスの愛国者は当時四隣の亡国階級らに笑罵せられたり。支那の革命が日本に同情せらるゝゆえんは日
本人の胸奥に残存潜在する興国的気魄の共鳴する者にして国家の前途安んずべきに似たり。しかも不肖はなお彼らの革
命的施設を迎ふるに一種軽侮の情をもってするもの多きを見てかえって日本の堕落的傾向を反証するものならざるやを恐
る。不肖はフランスに合理的なりし掠奪が今後あるいは支那革命の過程中に行はるゝ時諸公を昏迷せしめざることを信ぜ
んと欲す。その東洋民族なるが故に野蛮行為なりといふがごときは卑屈なる無智なり。
 実に支那のすべての事物は革命せらるべきものにして改良し得ペきものにあらず。改良とは現存せる根本組織の健全を
是認するものなるが故にその法律慣習に従いて根葉を矯正整理せんとするもの。革命は旧国家旧社会の組織そのものより
否定さるべきものとして遵拠すべき一切の旧秩序を許容するあたわず。清朝はすでにその国家組織の根源たる主権者その
ものより否認せられたり。したがってその否認せられたる主権者が設定せし権利組織は当然にかつ一律に否認せられたるも
のなり。諸公。維新革命は三百貴族の統治権を否定すると共に、その財政的基礎たる土地領有の権を否定して版籍
奉還の名の下に数百年来の財産権を無視したるにあらずや。当時の亡国階級たる武士はその職業とせる帯刀の営業権を
剥奪せられ、子々孫々世襲すべき食緑の財産権を侵害されたるにあらずや。維新革命における財産権蹂躙は権利本来
の原理に照らして日本に是認せられたり。さらば現下の支那革命がその展開に随ひて必ず遂行すべき亡国階級らの財
産に加ふる処分に就きて無智半解なる権利論を為すがごとき事あるべからず。今日の日本人にして日本は維新革命を
要せず徳川の改良にて足れりとするものなし。また、諸侯および武士の政治的権力を否定して、独りその版藉と食禄と
は財産権なるが故に保持せしめて侵すべからずと言うものなし。さらば日本および列国は大清皇帝の主権そのものを否認
して建てられたる中華民国に承詔を与へながら、かえって革命の斧鉞*4をその否認されたる旧主権者の残せる財政組織に
加へんとするを妨げ、外款と外人顧問とを入れて極力倒壊を支持せんとするごとき実に自家撞着にあらずして何ぞ。
諸公。あるいは維新革命が亡国階級の版籍と食禄とを奪ふに当りて公債を交付したるが故に財産権蹂躙にあらずと言うもの
あらん。さらばフランスの貴族と僧侶とはその占有せる全国三分の二の土地を没収さるゝに何の代償を与へられしか。
統治権を奪はれたるルイ王に断頭台が酬いられ同じき徳川氏に貴族院議長*5が与へられしことは、新権力者の自由意
志に出でたるものにして彼らの権利に対する代償にあらず。同様に、単純なる没収に処せられたるフランスの貴族僧侶
と、公債を恵まれたる日本の諸侯武士と、共に新統治者の任意にして、彼らの財産を既得権として思考したるものに
あらず。旧政治的権力が育成し維持したる旧経済的権利はその権力の覆没と共に殉死すべし。新統治者の意志に対し
て何らの対抗力を有するものにあらず。すなわち純理的に結論すれば革命においてはすべての旧権力者の手より権力の奪はるゝ
ごとく、すべての財産は旧財産者の所有すべき理由を失へるものなりとす。あゝ支那の革命はついにフランスが行き日本が行
ける道を行かざるべからず。六国借款に反対せる首唱者として譚人鳳はその抱懐せる一端を洩らしていわく。国家に
罪を有する官僚らの盗財を没収せよ、数億千万金もって焦眉の急を救ふに足ると。
 諸公。欧米崇拝者の対支軽侮論を避んが為にフランス人をして翁の言を翻訳せしめよ。タレーラン*6いわく、まず全国三分
の一を領する寺院より没収せよ。国庫二十億万金、年収七千万法を得べしと。これルイ王朝のなお主権を保持せし時
にして、亡国階級らはもとより数百年来の既得権を主張して抗争したり。しかもフランスの革命的強力は議会の決議を以
てこれを没収したり。真理はタレーランと譚人鳳とに対して公平ならざるべからず。数百年間国民の膏血を絞りたる
寺院の領地が既得権として維持すべからざるならば、国民の租納を私服し国家の公金を掠めて蓄積せることまた数百
年なる官僚階級の資産は正に無償をもって没収されざるべからざるものなり。寺院の土地が国民に奪ひしものを国民
に返へせしに過ぎざるごとく、官僚らの富は国家に盗みしものを国家に還へすに過ぎず。諸公。支那の憂は官僚に在
り。一切の政治的腐敗、財政的崩壊、ことごとく病根を官僚に発す。支那にフランスの貴族僧侶なく日本の諸侯武士なくし
てしかも革命の大斧鉞を待たざるべからざる程に国家的社会的組織の腐爛壊倒せるゆえんは、一に官僚の階級ありて貴
121
族諸侯らと同様なる中世的罪悪の根源を為すものあればなり。すなわち『官に封建なくして吏に封建あり』といへるも
の是なり。もとより中世史のフランス及日本は全国画一の統治を行ふあたわざる必要より、貴族と諸侯とが数十百の小地
域に割拠して各統治者たりし時代なりき。四百余州の広大なる大陸は二国のごとき封建制度の形式を採らざりし代は
りに、封建的全権能を有する無数の統治者を全国に分遣せざることを得ず。同一なる時代的要求は同一なる時代的
制度を生む。フランスの貴族日本の諸侯と支那の官僚とを対比せば外見はなはだ異なるがごとくしかりといえども、その制令する
地域の人民に対する権能においては生殺与奪の絶対的自由を有し、軍事財政司法一切の専権を行使すること全く中世
的統治者なり。ただ統治者の上の最高なる統治者すなわち主権者に対して、日本の諸侯が徳川将軍に、フランスの貴族がル
イ王において多少の拘束を感ぜし程度の権利主体なりしとは異なり。支那においては最高の主権者の権力強大なりしが
為めに、官僚は人民に対して中世的統治者なるに係らず皇帝に対しては単純なる代官なりき。すなわち支那は地理的区
画なきが為めに封建的統治を必要とせる中世期において早くすでに強大なる君権の確立せるあり。為めに必要に応ずべ
く封建的統治者を君権の代官として分遣したるものなりき。しかして封建時代の人民が直属せる領主よりも遠隔の所有
者より派遣せられたる代官の誅求暴逆に苦しめられる各国の事例は、支那の官僚が日本の諸侯よりもより多く国民
の膏血を絞り国租を私腹したるべき推定をあえてせしむ。諸侯はその領土の肥痩人民の休戚*7に対して、土地人民の所有
者としての永遠なる利害を自己の利益の為めに感ずるものなるが故に、誅求暴逆のかえって自己そのものに不利なる事を知
る。彼らの善良聡明なる者は所有者たる権利に伴ふ十全の義務を負荷し、たとえ自己の利益の為に家畜を撫育するが
ごとき意味なるにせよ、その被治者に対して父母の愛を自任したり。代官は権利を与へられて義務なし。借用者は所
有者に比して器物の取扱ひに不親切なり。生殺与奪の全権能を借用し、おのれが殺しおのれが奪へる終局の不利益がおのれに帰
せざるものなりとせば、これすべての義務より免除せられたる桀紂なり。支那の代官的官僚が誅求暴逆為さざるなか
りしは当然なりとす。フランスの貴族が父祖の居城に土着して所有者たる義務を履行せし間は革命起らざりき。その
ことごとくパリの宮殿に集まり、恐るべき中世的統治権を義務なき借用者の代官に行はしめて顧みざるに至るや、天地震
撼の爆裂は都市田園を通じて一整呼応して起れり。清末の所在烽起と符節を合するごとし。−−実に支那は歴史の紙
面においては古代すでに封建政冶を廃したりといえども、封建的統冶の必要は中世的制度の最悪なる『代官政冶』に変形し
てもって清末に及べるものなりとす。しかして領主が聡明にして威力ある間、代官は君侯に対する義務の恐怖よりその統治
権を悪用することなし。また支那大陸の地理的形勢が封建的割拠を許さず、したがって強大なる一主権者の交る交る全国を
統一したる歴史は是を日仏のごとき意味における貴族国といふあたわざるは論なし。すなわち代朝革命して新なる主権者が
全支那の領主として立てる当初においては、封建的統治の為に分遺せらるゝ代官らは君主の聡明威力に対する義務の
恐怖あるが故に、その統治する封建的区画内の人民に対して誅求暴逆を加ふるあたわず。換言すれば革命によりて王朝
の更代せる当初の支那は一皇帝に統治さるゝ一国家なり。しかも皇威ようやくたるみ君主の暗愚なる者相継ぐに至るや、すなわ
ち義務を負はざる代官らの生殺与奪を欲しいままにせし『実質上の封建政治』をもって一貫したりと考へざる事を得ず。代朝
革命とは君主政治が代官政治に堕落すると共に新なる君主政治を再建せんとする国民的運動なり。かの文字の素読
をもって足れりとするの徒、二十二史*8すべて是君位の争奪なりと断ずるごとき妄もまた甚し。代官政治下における日本の佐
倉宗五郎*9は悲劇の役者なりき。二十二史の代朝革命は代官を刎ね領主を屠り匹夫ついに天下を争ふに至りて宗吾装
ひを変じて多く英雄劇の舞台に立てるのみ。諸公。『官僚』の字形によりて日本現時のそれと全然別個なる支那の
それを考ふ可らず。これ日本思想の普及が異義同語を混用する顕著なる一例とのみ見るべく、むしろ正当なる用語を
当つれば中世的罪悪の根源たる本来の意義に従いて『代官』と称すべきものなり。あたかも彼の清朝の総督と民国の都督
と、語はなはだ相似たりといえども、一は中世時代の代官にして一は省民の推挙せる公僕を理想とせる近代的官僚なるが如
し。真理をして譚人鳳に裏書せしめよ。代官政治を顛覆したる国民的革命は数百年間蓄積せる代官階級の盗財を国
家に回収すべきものなりと。
 この真理と革命とを妥協せしめたるものは日本の維新なり。日本は中世的階級の財産すなわち諸侯武士の版藉秩禄を徴
発するに公債を恵与したり。この真理を最も大胆に最も忠実に履行したるものはフランスなり。革命政府は当時の財
産階級すなわち貴族と僧侶とより土地を没収するに当りて、彼らに代償として与へたるものは一の断頭台なりき。全国三
分の二の土地を占有せしこれら中世的階級の富、実に驚くなかれ七十億円。彼らは恵まれたる断頭台によりてその魂を
123
神のものとして神に返し、累世国民に奪ひし宝は国民に返したり。これ幾多動乱の反覆ありしに係らずこの時に還付せ
られたる全国の土地はフランス国民を無数の小地主として植付けもって以後強富の基を築きしもの。日本また自作的小地主
国として国民ことごとくその拠る所の経済的独立を得、政治の自由道徳の覚醒この独立の上に立ち、もって今日旭日の国運を
見るに至りしなり。諸公。諸侯と武士とより政治的権力のみを奪ひしかもなお全国の土地を彼らに領有せしめて明治の
財政革命を為すべしといふものあらば痴人にあらずや。国土三分の二を持てる貴族僧侶らの財産権を侵さずして残余の
貧民にルイ王朝の破産を整理すべしといふ者あらば、フランス人はこれ不可能を強ゆる者と考ふべし。経済的実力と政治
的権力とは一個不可分のものなり。不可分なる一個『旧勢力』に向つて粉砕の斧を揮ふ時革命あり。満人皇帝の退
位はまさに来るべき革命の単なる序幕にして、斧鉞は未だ政治的経済的旧勢力たる代官階級に向つて試みられしに非
ず。代官政治は支那の政治的および経済的勢力を数百年間最悪に基きて組織したるものなり。四百余州至る所の富家
豪族は現に代官たる者、かって代官たりし者、代官たりし父祖の富を相続せる者、および代官と結托して富を作りし者、
他はことごとく貧民なり。貧民は雨ふれば乞食となり日照すれば盗となり、匪徒隊となしてかすめるや官支ふるあたわずしてムシロ
を巻くがごとく、権家富人常に兵を執りて自ら門壁を守らざるを得ず。かかる代官政治とかかる流賊横行と、何ぞ各
国中世史の貴族政治と相似たるや。しかして土地人民を君主貴族らの私有せる経済的貨物と考へ、統治権をその経済
物に対する所有権と信ぜし中世的政治思想はついにフランス王をして貴族株を公売せしめたり。清末にいたって公々然官を
ひさぎて王家の収利としたるものまたこれのみ。中世的思想をもってすれば経済物に対する所有権の行使をある範囲ある期
間、他に貸付するとき一の商取引として利を収むるは不可思議にあらず。したがって官職は今の支那においては王の為の臣事
にあらず人民の為めの公務にあらずして最も有利なる営業権なり。今なお歳計表において人目に触るゝ年々数百万元の売官
収入はそれに倍十する数千万円の僧賄収賄の見えざる大取引を運転し、濁浪滔天*10ほとんど想察に堪ふべからず。この高価
を支払ひたる営業権はもとよりそれに十百倍せる租税私服と賄賂請託と誅求苛歛*11とをもってせざれば営業者の計算を満
足せしめざるは論なし。故にいわく、三年の仕官三代の坐食と。諸公。排満革命は爆発の宣言を異人種の支配を排除
することに求めたるものに過ぎず。革命本来の要求はこの中世的代官政治に対する打破なり。フランス革命がその始
めにおいて君主立憲政を目的として起てるに係らずついに民主的革命に徹底せざるを得ざりしゆえんを見よ。一に中世的
貴族制の政治経済的組織のすべてが維持すペからざるをもってなりき。康有為らによりて変法自彊よく君主立憲政を得
んとしたる支那の革進的進行がついに『十月十日』の民主的革命*12に到達したるゆえんのもの、また実にこの国家と国民とを経
済的物件として取扱へる中世的代官政治の根本的一掃を要するが為なりとす。いかんんぞ天下の大勢一孫輩のアメリカ的
模倣によりて動くものならんや。すべての鍵は支那の中世的組織にあり。しかし袁や実に代官階級の代表者。岑しかり、
段しかり、馮しかり、黎しかり、唐しかり、今の各省都督各州紳士ことごとくしかり。あゝ国家組織の大綱細網ことごとく腐朽し尽したる
今日、革命にあらずんば鬼神といえどもこれを整理すべからず。バスティーユは覚醒の暁鐘のみ。武漢は革命の入相にあらず。
−−いやしくも革命支那を論ずる者、なんすれぞまんじりに平凡なる序幕を可否してまさに隱れたる名優の登場せんとする舞台の
転回を待つの雅量なきや。勇敢なる掠奪、大胆なる徴発、一歩の仮借なき没収、かくのごとくにして一切の政治的腐
敗財政的紊乱を醗酵する罪悪の巣窟は顛覆せられ、ここに始めて新政治組織・新財政制度を建設すべき基礎を得べし。
君主政なるにせよ共和政なるにせよ、近代的政治組織はかかる代官階級の富と力とを存続せしめて期待すべきものに非
ず。強固なる大建築は完全にコンクリートされたる基礎を前提とす。前代の傾倒せる腐柱壊壁を集めて一時の雨露
といえどもしのぎ得べくんば古今革命の惨なし。革命勃発の時は既にすでに朽屋の倒壊し終はれる後の事なり。六国借款を
入れて一握の土を塗り、外人顧問なる年俸事務員らを傭ひて腐柱と壊壁に笑ふべき細工を加ふる意味にあらず。問題
は新なる建築にあり。しかして当面の問題はその前提として基礎をコンクリートする事にあり。前提的基礎とは何ぞ。
掠奪なり。没収なり。徴発なり。一切の腐柱と壊壁とを除去して代官階級を一掃しもって四百余州を平坦なる基礎と
なして新建築を待つことにあり。すなわち諸公の期待する支那の財政改革とは納税の律を上下する事にあらずして納税者
そのものの一変ならざるべからず。徴税法の整理にあらずして徴税者そのものの顛覆なるざるべからず。否、代官的致富の階
級はことごとく脱税者にして、納税すべき人民はすべて免税に価する貧民なり。代官は国家の租税を徴収する者にあらずして、
購買せる営業権の代価を回収し、契約せる年賦支払金に対して商業道徳を守るのみの者なり。あゝ諸公。革命のフ
ランスは貴族と僧侶より掠奪せずんば何らの財政的資源を有せざりき。維新の日本は諸侯と武士とより徴発せずんば
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また一のそれを持たざりき。今の支那は全国朝野の代官階級より没収せずしては国家を維持すべき寸地片金を有せざ
るものなり。−−掠奪は財政整理に先だつ。天は支那に断頭台を準備せしむ。諸公。ルイ王の財政が四十億法の国債
を負ひてついに破綻を国民に公開せし後、ネッケルの募りし五年間の五億三千万とカロンヌ*13の三年間に得たる八億万
とによりていささかの整理を見ざりしにあらずや。さらば五国財団が二億五千万円を仮りに十倍して投ずるにせよ、支那の
それを弥縫し得べしと考ふるはほとんど底なき沼を埋めんとするの愚に等し。笑ふべきかな白人投資の執行吏よ。ルイ
王が年収二億数千万円を浪費し年々の厩費実に明治大皇帝の皇室費と同額なる三百万円を空費せし時、舅家オーストリア*14
は彼奪ふべしとして兵を進めしといえども、かって巨款と顧問とを送りて財政整理を勧めたる事なし。黄河一回の氾濫に
要する堤防修理費一千万両が徒に代官業者の商利となり、孔雀の舌を賞味せし古代ローマを忍ばしむる河南料理の浪
費を演じつある今日、支那の保全的責任者は僅々二億五千万金の執行吏を栄としてその財政の監督を得べしとするか。
高等裁判所の判事職を営業権として売買し相続し、理由なき逮捕権をもって苟くも金穀あるものを監禁し、または原被
両造より贈賄の糧り上げらるゝが為に判決を延引せしフランスにおいて連年の大飢饉は洪水に原因せざりき。さらば独
り准河の氾濫を防止して餓孚なからしめんと号する口舌的人道の赤十字借款が揚子江の中原に何らの経済的痕跡を
残すあたわざるは論なし。東洋の盟主はアメリカの施設かくのごときかとしてますます白人投資団を結束せしめもって幸ひに拝命
せし執行吏職に精勤せざるべからずと焦心せしか。財政の整理も国民経済の発展も一に代官政治の掃蕩されし前提
問題解決の後なる事を要す。支那に対して何らの道義的憂慮を感ぜず単に投資すべき大陸と考ふる白人らは、袁世
凱なる代表的代官が塩税徴収の営業権を外国市場に売れるが故に我これを買へるのみとするは理において不可なし。日
本しかし誠心よりその執行吏となりて支那の財政を整理し監督し得べしと考へしならば実に愚の極。野心を包蔵せしと
せばまたはなはだ豆小に過ぐ。不肖は六国借款が五国借款として成立しついに一回にして行詰りに陥れる今日に至つて、敢
て一点先憂の当れるを誇る者にあらず。しかも神明の加護諸公の誠心を照してかかる後患を再びするならんことを祈り
て止まざるものなり。
 黄興の掠奪公許に導くべき国民捐と、譚人鳳の代官政治そのものの顛覆を来すべき汚吏悪僚の資産没収論と、もとより
一斑の露出に過ぎず。しかも革命の支那がいかに近代的政治組織と財政組織とを建設すべき気運に充実し、また真個革
命的指導者らがその気運に鞭つて起たんとするの意気信念を見るべし。『革命』が日英の講和干渉によりて暫らく竹
の間に隱れたるが故に、世人は黄の一斑譚の一斑を瞥見して未だ財政革命の全貌を見るの機に至らざるのみ。しか
し依然たる愚呆と驕慢とが通俗的断見を挟んで、破壊は可なりこれらの一、二をもって建設をよくすべからずと言ふがごと
き事あらば、彼ら革命党はルソーと西郷とに弁護人を得べし。ルソーは具体的成案として贅沢税と進級税との笑ふ
べき二者を有せしのみ。西郷は征討将軍として江戸に入りし時もなお版箱没収に対する後年の大々的掠奪を口外せざ
りき。しかもフランスと曰本と、革命生起後数年にして共に当然の結果たる革命本来の目的を成就したり。支那の事
まさに今後に存す。かかる通俗的断見をもって譚を論じ黄を評するは、支那民族がルソーの国民、西郷の国民よりも優等
人種なりといふ笑ふべき仮定の上に立つ者と云はざるべからず。しかしてまた、彼の統計的数字に基きて支那の財政を
甲乙する学者官吏のごときその実は盗賊の計算書に依りて収支を考へんとするもの、その愚また及ぶべからず。支那は財
政精神の革命を要して数字を求めず。古今東西統計表を抱きて革命したる者なし。革命とは政治的方面において然る
ごとく、財政的経済的一切の社会的組織に対してただ一の暗中飛躍あるのみ。中世的暗黒の中一点微かなる近代的曙光
を望んで飛躍する−−これをフランス革命といひ、維新革命といひ、しかりしかして現時の支那革命といふ。
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*1人頭税:収入に関係なく国民一人あたりに定額課税する税。為政者としてはやりやすいが、貧民にはかなりの負担。
*2塩税に外人の侵略的施設を迎ふる:清朝末に塩税は借款の担保に列強に徴収権を奪われていた。
*3ネッケル:ジャック・ネッケル。フランス革命期の政治家・銀行家。スイス出身の外国人だが破綻状態のフランス王家財政再建のため財務総監に起用される。しかし保守派の反対で財政再建は進まず解任。彼の解任の知らせに市民が怒りバスティーユ襲撃に発展。フランス革命の口火を切る。
*4斧鉞:(ふえつ)斧=おの。鉞=まさかり。辞書には無いがこの場合「建設的破壊」の意味だと思う。
*5徳川氏に貴族院議長:徳川将軍家は明治維新後公爵の地位を与えられ徳川家達・家正は貴族院議長になっている。
*6タレーラン:シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール。フランス革命期の政治家・外交官。貴族出身。ナポレオン第一帝政期の外務大臣。しかしナポレオンの拡大政策に反対して失脚。ナポレオン失脚後のルイ18世政権では再び外務大臣を務める。ウィーン会議で敗戦国にもかかわらず国益を護ったことで辣腕外交官として有名。
*7休戚:(きゅうせき)良いことと悪いこと。喜びと悲しみ。
*8二十二史:中国歴代王朝正史のこと。清代には「二十二史箚記」という正史をまとめた有名な書物が出ているためこれだが、正確には二十四史ある。現在では清史も含めて二十五史。
*9佐倉宗五郎:江戸時代の大規模一揆の指導者。明治時代には講談や芝居になり有名だった。
*10濁浪滔天:濁浪=にごった波。滔天=天にあふれるほどの波。
*11誅求苛歛:たぶん苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)の間違い。税を厳しく取り立てること。
*12『十月十日』の民主的革命:武昌蜂起のこと。
*13カロンヌ:シャルル・アレグザンドル・ド・カロンヌ。フランス革命期の政治家。資料無し。
*14舅家オーストリア:フランス革命時のルイ16世の后、マリー・アントワネットはオーストリア皇室との政略結婚。
 
 
 
 
 
 
    十四 支那の危機と天人許さゞる第二革命
 
           投資国および貿易市場として革命乱を傍観し得べきやの問題−−干渉の権利は革命を援助し
           得べき権利−−永遠の利益および日本自身の存亡的必要の為めに数十ケ月間の貿易を犠牲と
           せよ−−イギリスの財政的優越権は支那に許すべからず−−フランス革命が欧洲の恐怖たりしを以
           て日本に何らの恐怖たらざる支那革命を弾圧するの理由なし−−恐怖時代とは国家の発狂
           にして革命の常態にあらず−−単なる財政革命の為めの寺領没収も四隣の政教一致的寺院に
           対する挑戦となれるフランス革命の不幸−−維新革命に恐怖時代なくしてフランス革命に是ありし
           ゆえんは一に外国干渉の有無に存す−−支那をフランス革命たらしむるか維新革命たらしむるか
           は一に日本の態度いかに帰す−−貿易的打算、弊政整理を云々する今の低級外交策に取り
           ても干渉は不利−−第一革命の四国借款を恐れずして第二革命の五国借款を怖れしゆえんを
           考へよ−−『団匪乱』を捲きし支那が『九十三年』の狂乱を内外に加へざるの理なし−−
           亡国階級に率いられたるフランスと興国階級に率いられたる革命フランスとが分割同盟軍をし
           て攻守処を倒にせるごとくなるべし−−愛国革命党の対日抗争決意−−支那を討伐する時は
           日本の亡国たる時−−第二革命に加へたる軍資貸付による干渉−−対支外交の無智堕落は
           ついに神霊の刑手を出さしむ−−幕府を討ずるの名に包まれたる三百貴族および武士階級の顛
           覆に天の戦略を見よ−−今の時、段・馮・岑・唐・黎のごとき亡国階級を選ばんとするのは維新後に将
           軍位の継承を水戸・仙台に尋ぬるごとし−−革命の実質は『興漢』の二字−−『尊王』とは中
           世的階級を一掃して一天子を国民的大首領としたる大統一の義−−『排満』中に満人に仕
           へたる漢人官僚の排斥を包合するのはなお『倒幕』中に幕府を盟主とせる一切の諸侯武士の
           倒壊を意味せるごとし−−明治帝の大ナポレオンたりし民主的統一的革命の理解すら無し−−維新
           革命における南朝の悲劇と排満革命における明末義人のそれの感情的動力−−倒幕に努め
           し諸侯武士が煮らるゝの走狗たりしごとく排満に提携せし漢人官僚またその功終はりて屠らる
           べきのみ−−革命を二段に分画して興漢の本義を数年後に保留せし天意−−第二革命を破
           りし孫文と阿部局長−−宋教仁暗殺の主犯は陳其美にして袁と○○○とは従犯なり−−袁・
           孫を排して黎を正式総統たらしめんとせる宋の秘策−−干右任君への遺言−−陳其美は下
           手人らを獄中に毒殺しまた逃亡せしむ−−第二革命とは宋を殺せる両犯が宋の死を弔ふの名
           に藉りて兵を挙げしもの−−宋の亡霊と三年の退去命令。
 
 ここにおいてたちまち逢着すべき難問題あり。いわく、支那は日本および列強の投資国にしてまた貿易市場なり。近代的建設は
もとより望まざるにあらずといえども、投資せる利権の安全と貿易市場の平和とは日本および列強の考慮せざるべからざる
所なり。この重大なる利害を彼らの暗中飛躍に放任して傍観するあたわずと。これ動乱の拡大または永続の場合において
日本その他が干渉の権利あることを主張するものにして、第一革命において日英両国が袁本位の講和斡旋をなせしものこ
れなり。しかして講和後の六国借款がついに五国借款となりて違憲的に調印せられもって第二革命を鎭圧せしものまたこれ
なり。不肖はこの主張の全部を是認す。権利とは力なり。日本は支那に対して力を有す。干渉が実力を要するとき
日本にあらずんば支那に対して力を有するものなし。しかしながら諸公。日本の力は日本の利益と正義との為に行使すべ
きものにして、列強の投資と貿易とを護衛せんとして持てるものにあらず。動乱に干渉し得る権利は、同時に動乱を傍
観し−−露骨に言へば、ある時は動乱を後援助力し得る権利なり。文書の上においてのみ力ある白人列強の投資と貿易
とがいかに損傷さるゝとも、換言すれば日英同盟のある一国のそれらが大なる損害を被るとも、日本の永遠なる利益
と立国の正義とに考へて支那の根本的に自立すべき革命的動乱が歓迎すべきものならば、日本は実力を行使し得べ
きただ一の強者としてこれを傍観しまたはこれを後授助力し得る権利を犯さるべからず。−−第二革命の勃発を時機にあらず
として当時極力隣邦諸友に警告せし不肖はその失敗に憫憐を感じたるのみ。満人排斥の平凡なる序幕に意満ち気驕
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れる元勲先生らの醜態を看て小僧図るに足らずと断ぜし不肖は、孫・黄割腹論の末節よりも彼らを殺さずして反省の
鉄槌を下したる天意の深甚なるに拝跪したるものなり。支那は自ら責を負へり。不肖の遺憾は彼らにあらずして第二
革命に処せし我が日本の大錯誤にあり。孫君の錦衣帰郷的渡来を待つにほとんど天使降臨を迎ふるの祭典を挙行し、終
に括として恥なき驕児をして今日同志の苦悩たる『精神病者』を作り上げしは市井の悪戯として可。堂々たる大帝
国、ジョルダンとその買辧とに駆使されたる講和斡旋においてなお悟る所なく、さらにおのれの匁をもっておのれの肉を割くがごとき
五国借款を締結して汎アジア主義の隣邦後進を残賊せしに至つては何たる遺憾ぞ。革命の継続がついに中世的代官階
級の顛覆となりてイギリスの投資と貿易とが傷害を被るとも、自ら保護すべき力なき彼は東洋における権利者にあらず。
日本は何が故に動乱に干渉し得る強者の権利をもって第二革命を傍観するあたわざりしか。イギリス人に学びて日本また英に優
るの貿易表を有すといはん。立国の正義と永遠の利益とは一、二年間の商取引よりも軽んずべきものなりとするか。歴
史の戦慄するフランスの恐怖時代といえども、時日を算すれば鮮血の頁はわずかに九二年末より九四年までの二ケ年間のみ。
支那大陸の存亡が急転直下日本そのものの亡国史を残さんとするの危機に際して、数十ケ月間の貿易的損得がなんじかく国
是を左右すべき大事なるか。否、革命的破壊の後当然に躍進すべき支那の経済的発展は、日本の貿易と国富とに予
見すべからざる倍加累積を来すべし。財政的独立の為にイギリスの利権が回復すべからざる覆没に終はるべきを見て日
本また然るかのごとく考ふるは、外務省がグレーの翻訳局なるが故に過ぎず。日英同盟とは日露戦争を戦はんが為に東
洋人の得意とする、夷をもって夷を制するの策に出でたるもの。戦時中の傭兵は戦後もとより解雇すべく、保全主義の徹
底に従いてイギリスの対エジプト的優越権は過去のそれといえども支那に許すペからざるものなり。しかるをいわんや五国借款をや。
 要するに、日本の参加せる五国借款は日本の握手すべき日本的勢力を日本自らの撃破したるものなりき。すなわち日本
が白人らの亡国借款にその力の保障を与へざりしならば、支那のすべての愛国的青年は袁に忍びて革党の失脚を傍観
するがごとき事なかりしなるべし。何となれば他の四国を合せたる金力よりも日本の傍観は支那保全のただ一の保障な
るが故に、彼らの愛国的憂慮心が日本野心説の流布に利用さるゝことなきをもってなり。否、憲法を無視して一メッ
テルニッヒ*1の後援に二億五千万円を投じたることは明かに革命と議会と国民とを弾圧すべき意志をもって加へたる同
盟干渉なりとす。諸公。フランス革命がついに同盟四隣との戦争に至りしゆえんは、たとえ革命政府より挑発せる跡なきに
あらざるにせよ、列強の冶者階級に取りては自己の頭上に加へらるゝ脅威なるをもってなりき。独・墺・露ことごとく貴族と僧侶
とがフランスのごとく生活し統治し腐敗しつゝある時、欧洲の中原におのれらの階級が掠奪せられ刑戮せらるゝことは端的
におのれらの人民よりおのれらそのものの覆へさるゝことなるをもってなりき。欧洲は政治的神経において古来一国なり。欧洲の一
省たるフランスが先覚者としてまず武漢に爆発したる事は、独・墺・露ら各省に存する中世的階級等の兵を出さずして止
むあたわざる所なりき。支那はフランスのごとく革命の先覚者にあらず。その中世的代官政冶がいかに苛烈に残虐に覆没さ
るゝとも、それと階級的苦痛を感ずべき封建貴族はすでに日本に存在せざるなり。フランスの四隣に対する挑発は階級
戦争の勝利に酔へる誇と同階級の悲惨に対する情義の発露なり。欧洲より後るゝこと百年、日本より後るゝことまた
五十年なる彼が、列強に禍するごとき誇に酔はざるべきは論なし。否、常に自己の悲惨に顧みて先進国の同情に感奮
鳴謝し、ただに挑発的言動なきのみならず戦々兢々として列強の威に触れもって国家を誤るなきの戒慎はむしろ憫察に堪
へずや。彼の軍起る毎に外人を犯す者は斬ると令するごとき、不肖ら日本人をもって見ればまず血祭に挙ぐべき首のこれ
ら侵略者なるに係らず、憂国的戒心に出づる所ほとんど虎尾を踏むの態を憐むべし。あゝこの戒慎可憐なる愛国者は巨額
の軍費を貸付して弾圧せざるべからざる程に、日本に取りて恐るべき影響を波及するものと考へしか。
 不肖は考ふ。フランス革命といえども列強の共同干渉および分割同盟あらざりしならば、断じて驚くべき恐怖時代なしと。
恐怖時代は国家の発狂にして革命の常態に非らず。個人において然るごとく国家が絶望に封ぜられたる時は発狂するもの
なり。国家の痴呆狂は亡国なり。自ら起ちて革命し得たる程に精気の充実せる国家の発狂は内外に対して狂乱狼藉
為さゞる所なし。彼らが王に対する忠順を失はず、寺院の土地二十億円を没収してそのを担保とせる四億の公債を発
行せし当時は、あたかも黄興が国民捐を四億民に訴へしと同様なる動機にして、その財政革命に流血を期待せざりき。しか
も政治的神経において然るごとく、欧洲の宗教的神経はまた一国なり。寺院の土地没収は僧侶の国外に亡命して愁訴する
運動を待たず、四隣の政教一致的教会をして地獄の反逆を見るごとく一斉にその鐘を鳴らさしめたり。自国の財政革
命が隣国に対する挑戦宣言なりしを知らざる彼らはただ列強の侵入に驚愕したり。つぐんで亡命貴族が分割同盟軍の陣頭
131
に立ち、皇帝その人が内応者の元凶なるを発見したる時、フランスはついに内外に対して狂乱せざるを得ざりしのみ。諸
公。日本に貴族制打破の革命ありて恐怖時代なし。しかもしかし幕府の小栗一派*2が努力せしフランス後援運動が效を奏し、
またフランスの国情が変化せずしかして侵入軍に対して徳川氏が内応者たりしとせよ。日本また将軍をギロチンに引て発狂
したるべきは論なし。すなわち二国の跡につきて鑑みるに、支那の代官政治打破−−政治的財政的革命は必然的に恐怖
時代を伴ふべき約束のものにあらず。フランスが貴族僧侶より七十億円の土地を得たるごとく、日本が諸侯武士より全国の
土地を得たるごとく、支那は代官階級の土地と財宝とを没収公売して乱後整理の数十億万金を得、もって日本の健行せ
る足跡を追ふに足る。−−すなわち支那の財政整理は外款にあらず外人顧問にあらずして、ただ革命的精神をしてその位を得
せしむることのみ。問題は今後の支那が日本のごとく革命後の建設を健確なる順路によりて成しとぐるか、またフランス
のごとく国家の発狂に至るかの二途なり。しかして諸公。この問題の答案者は支那にあらずして日本なり。支那は単なる提
出者に過ぎず。列強が干渉し侵略せざるならば日本のごとく、然らずんばあるいはフランスのごとしとしてその革命を進めざる
を得ず。日本とフランスと、等しく前代の破産を継承したり。しかも日本はフランスと異なり中世的階級に対して多大の
金禄公債*3を負担して整理を始めたり。十年戦役*4の不換紙幣*5濫発の極においてすら銀紙比価半額を下りたることなし。
然るにフランスを見よ。干渉に対する戦争の為めに余儀なき『九三年』の恐怖時代を現出し、国家を挙げて外戦内乱
の一大軍営と化せしめ、為めに前掲七十億円の外不換紙幣三十五億万を有し、銀紙投機を為す者を六年の禁錮に処
してしかもなお紙価百分の一を保つに過ぎざるに至る。九十五年恐怖去りて一万法の紙幣の市価わずかに金五円、六人の
会食費六万法を要し、翌九十六年(革命発生の一七八九年より八年後)に至りて不換紙幣百六十億円市価五百分の
一なりしとは恰かも夢物語にあらずや。実に同一なる二国の革命にしてその建設の道程にかかる雲泥の差を来せしゆえん
のもの、日本民族の賢にしてフランス人の狂なるにあらず。一にただ外国干渉の有無に存す。諸公。単純なる貿易的打算を第一
義とする今の低級なる対支外交策の上においても、支那の革命が日本維新のごとく順風に帆走する事を希望すべく、国
国の発狂に駆らるゝは好まざる所なるべし。斗升*6の顧問輩、支那の事幣政整理*7を先務とすとなして借款交渉しばしばこ
れを主題とするのとき、支那が恐怖時代を演じてフランスのごとき革命紙幣の支払をなすと聞かば驚愕卒倒に値すべし。
不肖は断言す。支那をしてフランスたらしむるか日本たらしむるかは一に干渉の力を有する日本の態度いかに決すと。
清朝のルイ王が鉄道売国の内応者となり四国の財政的侵入軍が迫りし第一革命当時において、支那はフランスに学びて
侵入者を扞禦すると共にルイを刎ねしごとく大清皇帝を駆逐したり。これ支那の興国的気魄が東洋に武力を用ゆるあた
はざる四国連合を眼中に置かざりしをもってなりき。然るに日・露の参加せる五国借款が中世的代官の巨頭を塩税売国
の内応者として侵略せし第二革命の時に及んで、支那はフランスのごとく発狂せず切歯忍辱もって革命の再来を待てり。
これ支那の興国的聡明が日本の武力に抗することの不可能にして不利なるを知れるをもってなりき。愚呆漢と驕慢奴
とは一斉に手を拍って嘲笑していわく、支那人の節義なきかくのごとし。咋革命を叫び今袁に俯伏す、眼前の名利を事
として国家百年の長計を知らずと。しかもはるかに下瞰*8し給ふ皇祖皇宗の眼は怒に燃えて言うべし。日本国交の一点節
義なきこと一にここに至るか。咋保全主義を叫んで強露を挫き今敗露にしたがって分割の犬鷹となる。欧人の煽揚を以つて
足れりとし借款手数料の漁利を争ひて眼前咫尺*9の対策だに解せずと。あゝ諸公。十数年前一括外人を掃蕩せんとし
て『団匪乱』を捲起したる四億万民の大衆が深刻に国家的覚醒を来せる今日、かのフランス人の発狂を日本および他の四国
に加ふる精気なしとは何をもって断ずるか。支那が亡国たるべき痴呆狂の外なきものならば始めより団匪乱なし。しか
らば何が故にフランス人と等しきバスティーユ襲撃をもって始まれる支那の興国的精気が、独り列強の干渉に遭遇する時『九
三年』の狂乱狼藉を内外に加へざるべしと考ふるか。打算主義の対支外交はボイコットの声にすら辟易す。支那が
頻々たる売国代官と借款侵略者との契約を忍受するあたわずとしてついにその拒絶を『恐怖時代』に訴ふるに至らば、
経済的勢力圏と対支貿易表とは一挙抹殺せらるべし。二億五千万金の執行吏は恥づべき執行力を主張するか。これ
打算外交が侵略主義に転藉する明白なる変説。また他の四国債権者が元利二億万円全部を挙げて執行費用として日本
に贈呈すべきことを夢想するものなり。愛国心が四百余州至る所の絶望の谷に隱れ悲憤の森に現はれて『国家危急』
の鐘を乱打する時、僅々二億五千万金をもって国民的大恐怖を鎭圧し得べしと空想するは借款外交としても侵略政策
としても価値なし。ルイ十六世とオルレアン公とを通じて見たるフランスと、ダントン、ロベスピエールに現はれたる
それとが分割同盟軍をして攻守処を倒にせし前例に鑑みよ。清帝と袁世凱とのそれに加へたる暴慢をもって譚人鳳及
133
び団匪的愛国党に号令さるべき支那に望まんは笈々乎として危ふし。あえて執行吏逃ぐべしとは云はず。しかも、支那
侵略はー個師団と三隻の巡洋艦にて足ると欺言せし不肖の前文を悦びし者あらば天下第一の馬鹿者なり。近時譚人
鳳故国革命のために上京し事をもって不肖に怒りていわく。足下速にこれを大隈総理に伝へしめよ。我が国人日本の野
心を恐れて常に回天の大業を中挫す。今日また然らんとす。鄙人まさに帰へりて国民に告ぐべし。日本強兵ありといえども
我が国の海岸線を封鎖し得るに過ぎず。鄙人一息すれば中国一日亡びず。この翁兵を引きて内地に退守進出する事数
年、日本まず財政破産をもって亡ぶべし。日本何の恐るゝ所ぞ。日支共に亡びて黄人枕する所なし、日本これを望む
や。鄙人伯の一言をはなむけとして去らんと。あゝ諸公。天の加護日支両国を去らずして第二革命が支那の失敗に終はり
しが故に可なり。しかし孫にして怯ならず黄にして勇なりしならば、敵に給付せし違法なる負債は革命政府必ず義務
を拒絶すべく、日本は列強と共にあるいは干渉して恐怖時代を東洋史に書かしめしやも知るべからず。四億万民の発狂
は二十個師団全部の動員と五十万dの船艦とをもってせばあるいは鎭圧し得べし。恐怖の大暗黒が借款の目的たる財政整
理と全く背馳する結果なるはまた問はずして可。貿易は破壊せらる。外債の担保はすでに日露戦争にて空し。譚はこれ
を財政破産と言う。不肖はこの時をもってウラジオストクのコサックが津軽海峡に飲かひ、香港のジャックが東京湾頭の砲台
に歌ふの日なりと断ず。なんじよく備中に備へずして徒に鞭を本能寺に向つて挙ぐ。日支の武力的差等を対較するごとき
は無用なる児戯なり。日本の恐怖は『ウラジオストク』と『香港』に存す。憂は英露の日本分割に存す。危機去つて遠か
らず維新よりわずかに五十年。
 実にいずれの点より考蔡するも支那はフランスのごとき逆流に投ずべきものにあらずして日本の順路を追はしめざるべ
からず。日本とフランスとの順逆別るゝ所ただ一に外国干渉の有無に有せしとせば、革命をして干渉来の恐怖に襲はし
むることは支那を保全し支那を指導すべき日本の為すべからざることなり。不肖はここに第二革命を顧みて軍費貸付
に依る一種の干渉なりしことを恨みとす。しかも、因縁するところ実に第一革命における講和斡旋が保守的勢力を維
持せんとするイギリスの指導権に服従せし国策そのものの堕落に発足せるをいかんせん。政務局長阿部某は神武皇帝の神霊が
岡田満を刑手として行へる死刑なり*10。神明上にありて照覧す。しかも凡頭俗眼位を占めて自ら賢なりとし、国論かえって
神の声なるを知らず。諸公。第一革命の終属において袁世凱を擁立したる事は、あたかも維新革命において依然たる封建制
度を維持して徳川将軍に代ふるに薩長の諸侯をもってしたるもののごとし。講和成立より第二革命に至るまでの二年間日
本の上下ことごとく一袁の人物力量に支那の治安を付託して大勢推移の流に一顧するものなく、さらに昨年の日支交渉に至つ
ていよいよ迷を深くし、学者と論客と官吏とをおのおの衒ふ所を競ひて現状を前提とする帝政共和の空論に耽けるを見たり。
徳川氏に薩長の代はりしとも痴呆大名と腐敗武士とが国家組織の中堅たる間は憲法発布のごとき砂上の楼閣にあらずや。
自ら崩れすでに崩れまさに崩れんとする中世的代官政治の砂上に近代的政体の楼閣を築かんとするもの、その君主政と共和
政とを問はず空なる建築に終はるべきは論なし。阿部某は天の運らせる東亜復興の計を傷けんとしたる匹夫。天一
匹夫を斬て国民をしてついに今日神の声を叫ばしめたり。『討袁革命』これなり。国民が神の声を挙ぐる時、官吏学者
らの予測すべからざる超論理的のものを有す。支那は共和政体ならざるべからず。支那は君主専制にあらずんば統御
するあたわず。論理堂々たりしかも砂上の楼閣なるをいかん。神は国民に結論を与へて説明を避く。しかも『討袁』の二字
は維新における『倒幕』のそれのごとく中世的階級の代表者を指名したるものにして義理明快これに過ぐるなし。幕府の
乱臣賊子なりし万悪を挙げて政撃の乱矢を一点に集中せしめしは天の戦略。しかも天の深意は後に代表せられたる三
百貴族および武士の一切を顛覆する事にありしはこれを維新革命に見たり。さらば今の討袁軍が中世的代官階級の誅戮
に至らずんば止まざるべき天意に存するはあえて不肖輩の説明を待たざる所。何者の愚ぞ、今の時段といい馮といい
岑といい唐といい黎といい*11ほとんど将軍位の継承を水戸に求め仙台に尋ねるがごときや。特にいわんや袁に致されたるの久
しきに懲りて今日の事ただ袁を退位せしむれば可、その何人なるを問はず日本に誠心より信頼するものゝ出づれば足る
となす。これ諸公の近眼政策にあらずして『愚呆』が内閣を左右し、『驕慢』が国論を指導しつゝあるが為ならずとせ
んや。支那が国家の存立および興隆の為に日支相携ふべしとするは革命的愛国者が権力を握りての後。自己の地位の
保障と安全の為に日本に臣事すべしといふ意味の親日主義者を求めんと欲せば、何ぞ彼の日本の統治下に鼓腹せん
と公言せる粛親王を擁立して東亜の大局を定めざるや。過去の権力と握手して将来の国策を定むべしとする日本現
時の大矛盾は昨夜と今朝との明暗を知らざる盲人の所行なり。諸公。不肖は前に第一革命の排満興漢なるゆえんを解
135
説したり。しかしながらこれを維新革命に対照する場合においては、日本は異人種の征服なかりしが故に革命の実質『興
漢』の二字を考察すれば足れり。もとより排満の本義は満人の君主とおよび満人に仕ふる漢人官僚の排倒を意味して
『排満興漢』がすなわち討袁興漢に至るべきは論なし。日本はこれを『尊王倒幕』といえり。諸公。薩摩長州の大名ら
が徳川氏に代はりて封建制を維持せしならば単なる倒幕といひ得べきも、尊王の本義すなわち中世的階級を一掃して一
天子を国民的大首領としたる民主的大統一を見るあたわざりしは論なし。『興漢』はなお『尊王』のごとし。長州侯はたとえ
倒幕に力ありしにせよ、尊王の本義と相納れざる中世的貴族なり。袁世凱その他の漢人が排満運動に裏切りの勲功あ
りしにせよ、満人に仕へ満人と共に中世的代官階級の人なる事は『興漢』の根本目的と両立せざるものなり。故に
人種的感情を除却して考ふる時は『排満』は自らにして満人および満人の中世的統治権の代官たりしすべての漢人官僚
の排斥を包含すること、恰かも『倒幕』が幕府および幕府を盟主とせるすべての諸侯武士の倒壊を意味せるごとし。しかし
て諸公。古今すべての革命とは説明を除きたる結論のみを天に与へられたる国民的運動なり。故に多く理論の冷頭に
借らずして情熱の激浪を捲く。不肖は緒言に言明してフランス革命が百年後の今日正当に近き解釈を得、維新革命が
五十年後の現時一の理解なしと云へり。実に維新革命は理解なき天の結論を人の情熱にて遂行せるものなりき。
万世一系の皇室が頼朝の中世的貴族政治より以来七百年政権圏外に駆除せられ、単に国民の信仰的中心として国民
の間に存したる事が、維新の民主的革命において民主々義の大首領をコルシカ島より輸入せざりし天佑に保全せられ
たる真義は未だ埋没せらる。明治大皇帝が国民の身命と財産との所有権者にあらずして、貴族政打破の国民運動に号
令し鼓舞し計画しその渇仰の中心たりし重大なる価値は未だ埋没せらる。力に訴ふべき断乎たる決意と準備とを具
へて中世的階級の経済的基礎を一挙にして覆へしたる時はダントン、ロベスピエールを行ひ、帯刀の失業者が反動的
運動を言論に求めたる時は頻々たるクーデターを決行し、ついに西郷南洲を擁立したる武士階級の暴動が土佐・奥州の
各藩を語らひて第二革命の旗を挙ぐるや、市民と農民とに編成せられたる民主的軍隊をもって一撃に弾圧せる大ナポレオン
たりし深甚なる光輝は未だ埋没せらる。『万機公論に決す』の自由主義を宣布しつゝしかも二十三年間専制をもって統
一したることは、サンジュスト*12が、『憲法を設くべからず、自由を害するものを刑戮する能はざればなり』といへる、
専制によらざれば得べからざる統一的要求を自由と混同せしフランスの妄動の及ばざる所。二千五百年間縷々として
滅せざりし神道の法燈が国民の興国的信仰を統一したることは、寺院を壊ちたる後に女優を担ぎ出して礼拝しロべ
スピエール自ら噴飯すべき法王となりて『道理』の神を祭りしフランスの狂態の及ばざる所。民主的革命家が同時に専
制統一の皇帝にしてまた同時に復興せる信仰のローマ法王たりし三位一体的中心の下に行はれたる破壊建設の整然たる
運動は、国王が売国奴となり寺院が地獄となり自由が断頭台たりしフランスの反動と革命を幾反覆せし乱脈の及ばざ
るところ。−−これら維新革命の意義およびその代表者たる明治大皇帝の英雄たるゆえんの本体は五十年後の今日に至りて
なお未だ深く埋没せらる。しかしながら諸公。かかる理論は事後に来る説明に過ぎず。『尊王倒幕』が五十年前単なる結
論として天より与へられたる時、幕府が代表せる貴族政治を倒し皇帝に代表せられたる国民的自由統一を求むる理
論に走らずして、国民の革命的情熱は北条・足利の乱賊と楠公父子の忠烈に激動したり。この極悪の跳梁と至善の悲劇
とを対立せしめて歴史の涙を絞ぼらしめもって維新革命の種子を七百年前に播ける遼遠なる天意は、公等これを二百
数十年前の明末義人の涙痕血史に類推するあたわざるか。排満興漢の理論的説明は一外人の身をもってして今の時特に
早計なり。しかも明の亡びんとして残せる幾多湊川・四条畷の大悲劇*13は、不肖これを太炎らの論議に見また維新革命に鑑み
て、実に一九一一年の革命を捲起せるただ一の感情的動力なりし事を疑はず。彼ら憫むべき人類は天の戦略を知らず
してただ満洲朝廷を退位せしむれば足るかのごとく奮進したり。あたかも高杉・西郷らすべての人類が徳川氏を倒せば維新の
目的終れりとせしがごとし。天は説明せずして戦略す。倒幕の破壊運動の為に兵を取りし諸侯武士といえども尊王の建設
目的四民平等の終局理想に至つてはついに煮らるゝの走狗たらざるを得ざりき。満人と共に排斥さるべき漢人官吏ら
は戈を倒まにして排満運動に参加し雷同し降伏せり。しかもついに興漢の建設時代に入るやおのれれまずギロチンに引かる
べき運命なる事を解せざりき。代官階級間に有せしいわゆる『満漢の争』は彼らを迷はしめたる天の計策にして、維新
においては関ケ原以来の宿怨旧恨を利用して然る後に両者共に倒したるそれのごとし。『亡国階級』が二分して一の
『満人貴親』が政権より脱退し、他の『漢人代官』らが興漢党と提携したること、これ実に第一革命の天意。ただ日
本のごとく尊王党の権力を把握せざりしゆえんは前掲諸多の原因と共に、日本がイギリスの代官階級保守策に随伴せし講和
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干渉のありしが為めのみ。天茫々仰ぐべからず。しかし孫のごとき愚呆なる驕児が大総統の栄を窃まず、革命捲煽の盟
主たりし故をもって譚人鳳を擁立せしとせば彼がごとき団匪的豪雄、必ずや干渉二国を敵として既に早く恐怖時代に支
那を狂せしめしや論なし。天、愚人島談ずるに足らずとなし、革命を二段に分画してまず排満運動を終らしめ、興
漢の本義はこれを数年後に留保せし乎。しかるを彼の驕児と第一次に恥ぢざる愚人島興行団とは眼前の名利に眩して
これをいわゆる第二革命なるものに試む。小僧尾を巻いて走りしが故に可。支那をフランス革命たらしむるか維新革命たら
しむるかを決すべき日本は当時未だ日英同盟と日露協約の走狗たりしをいかんせん。爾今満三年の日月、日本は買辧
袁世凱を通じて行はるゝイギリスの排日政策に覚醒し始めたり。またロシアが日露再戦を夢想するあたわざるべく、現下の
大戦によりて打撃せられ全く爪牙なき尨大の熊となれるを発見したり。しかしてこの間において支那は依然たる亡国借
款の売国階級を観察し、袁に代表せられたる中世的代官階級の顛覆によりて『興漢』の根本義を樹立すること『尊
王』のそれに対するがごとくならざるべからざることに徹底したり。元勲先生らの犠牲心なき汚行は全支那の愛国的
青年をしてことごとく自己の肩上に懸かれる国家の危機を自覚せしめ、奴輩再び位を僭まばすべからく斬つて棄つべしと憤り
と共に各人おのおの頸血を漑ぎて国難に当らんの赤誠に熱狂せしめたり。−−あゝ万人地に伏して神明の照す所を泣謝
せよ。天、黄人の地獄界にあるを憐んで日支提携を急なりとし、まず俗吏をして日本の対支外交を誤らしめ小僧を
して支那の革命第二期に敗れしめ、もって両国今日の覚醒を来たさしめしもの。阿部某と孫文と、大悟一番すれば共に
天の使徒。不肖は諸公に従いて夙夜黽勉*14精励もってこの深甚なる天意に背かざるを期せん。
 さもあらばあれ、第二革命の因を為せる故宋教仁の横死は誠に悼むべく憤るべきものなりき。−−あゝ天人共に許さゞるの
この大悪業よ。亡霊の浮ぶべからざる怨として遺友三年胸奥に包みたるこの大秘密よ。袁は主犯にあらず一個の従犯なり。
暗殺計画の主謀者は彼と共に轡を列べて*15革命に従いし陳其美にして、さらに天の従犯は驚くなかれ世人の最も敬すべ
しとせる○○○*16なるぞ。−−あゝ人、権勢に眩する時、万悪為さゞるなき一にここに至るか。深甚なる天意の三年後
の今日に存せしことを知らざりし故宋は、譚・黄らと呼応して五国借款拒斥に努むると共に、日本の大錯誤を悟らざ
る対支政策下において動乱を反覆することは故国の滅亡なりと考へたり。彼は国民党を組織して自ら実権総理となり、
上下両院にわたる三分の二の絶対多数を占めてまさに選挙さるべき正式大総統の人撰を方寸に収めたり*17。彼は孫君が南
京政府において為すなき木偶なるを見、さらに故張振武事件を提げて肉薄せし時、袁の実にくみしやすき卑怯駑才なるを視
たり。彼は南孫を推さず北袁を考へずして第三者−−最も愚呆脆弱なる黎元洪を黙想しつゝありき。黎は孫・袁らの
仮大総統たりし間副大総統たりし者、二人の争闘を鎭撫するに憲法上の当然的順位者をもってし、実権を革党に把握
して危険なる過渡期の渦流を棹さんとしたり。北袁南孫がかかる故宋を倒すべき立場において握る所ありしは後にいたって
歴々挙証さるべき所。諸公。譚人鳳の乾坤を一擲せんとする主戦一貫策とこの聡明なる過渡策とを三年後の今日に
おいて批許すペからず。彼は瀧のごとく滴たる血潮を抑へて干右任君の首を抱き遺言していわく。南北統一は余の素志な
り。諸友必ず小故をもって相争ひ国家を誤ることなかれと。一宋の死は革党の脳髄を砕きたるものなりき。黄は棺を抱き
膓を絞りて泣けり。譚は後れ来りて獅子吼したり。天下騒然。−−悪逆このに至つてはまた何をか言はん。主謀者は葬
祭に奔走したり。一の従犯袁は北京より弔電を致せり。他の大なるそれは最も大なる花輪を送れり。悲しめる黄は
ただ進退に迷ひ、怒れる譚は武力解決の外なしとしたり。しかして正反対の結果を見たる彼ら凶徒は、北の従犯を倒す
べしとして、他の大なる従犯と共に挙兵を叫びもって天下の耳目を欺きたり。北の従犯は主謀者と他の従犯との背信
に怒りてむしろそれらを発きて自ら潔くせんが為めに意外なる強硬に変じたり。革党の世論は彼の強硬に怒りかつ北の
彼れを主犯者と錯認せることによつて他の従犯を立てゝ真の主犯者と共に不義の軍を起さんとす。挙兵の謀略は上
海都督府より底なき樽のごとく洩れたり。下手人らは租界警察より主謀者らの権力内に引渡さるると共にたちまち毒殺せ
られたちまち逃亡したり。挙兵に躊躇したる黄は主犯者と従犯とより袁に結べる者なるかのごとく垢罵せられ、かえって彼ら
と結べる袁は悲痛に喪心せる黄を宋暗殺の嫌疑者として法廷に要求したり。全支那の急進愛国党はただ彼の死に激動
して鼎の沸くがごとく、かえって彼の遺言に背馳せる北伐討袁を準備したり。あゝかくのごとくにして宋を殺せる元凶両犯
は宋の死を弔ふの名に藉りて第二革命の陣頭に立たんとす。正義の鼓動を感ぜざる日人浮浪漢は阿付追従を事とし
てただただ雷同したり。現世明かに見たる畜生道の巷よ。魔鬼跳梁して人心明を失へる時、黄を醒まさんとして訪へる
不肖はかえって彼より面会を謝絶せられたり。亡霊一夜まざまざと枕頭に起ちし翌る日、不肖は秘密の所在を発見した
139
り。義を見て為ざるは勇なし。朝露五十年何の惜む所ぞ。不肖は秘密の蓋に手を掛けたり。あゝ神か魔か我が手将
にそれを開かんとしてたちまち打ち払はれたり。−−三年の退去命令*18。実に長くも尊き釈尊の降誕し給ひし四月八日。
当時不肖は俗吏何をか為すとして領事有吉君を怒りしといえども、三年の今にして回顧すれば氏は兇徒の殺害計画より
不肖を救ひ出せし我が神の使なりき。老譚が氏を訪ひて命令の取消を懇願し、その聴かざるやまさに挙兵せんとする
湖南に携へ、『我兵力をもって足下を保護す、日本一北氏の為めに戦を宣するあたわず』と勧めたる厚意を謝して、−−
独り悄然として埠頭を去りし喪心の影よ。
 長江流れて濁波海に入ること千万里。白鴎時に叫んで静寂死のごとし。断膓の身を欄に倚せて千古の愁を包める浮
雲を望み、天日の悲しむを仰ぐ。限りなき追憶は走馬燈のごとく眼前に浮びては消えつゝ。−−満洲の馬賊運動より
帰りし彼の始めて来訪せし七年前のこと。刑吏に追尾され、時に一飯の食を分ちし窮時のこと。悪女の深情に困惑
せし滑稽のこと。武昌都督府の玻璃窓に震ふ砲声を聞きつゝ宿志遂行の欣快に寝物語せし抱寝のこと。砲弾落下の
中を漕ぎて蒼白の顔を見合せながら弾は中らずと傲語せし若さのこと。同時声を合せて生きていたかと相抱きし南
京城外の嬉しかりしこと。横死の前日議論を上下して相争ひし後悔のこと。白きべットに横りし死顔のこと。主犯
者が空涙を浮べつゝこれ宋先生の親友なりとして未知の吊者に不肖を事々しく紹介せし挙動の不審千万なりしこと。
黄興・干右任君らの腸を絞るがごとき泣声の耳を離れざりしこと。蹌踉*19として棺車を引きし思ひ無量の長途なりしこと。
霊前に別を告げんとして至るや、讐を報ずるの日を待てと思ふと共にハラハラと落涙せし昨日のこと。−−しかして
思ひは回りて幻のごとく枕頭に立ちし亡霊の不可思議に返りつゝ。
 
 
 
*1メッテルニッヒ:フランス革命期のオーストリアの政治家。ナポレオンのウィーン占領後に宰相になった人物・・・、だと思う。あまり資料無し。
*2小栗一派:小栗上野介(忠順)一派のこと。幕末の政治家。幕府内の改革派で財政再建やフランス公使を通じて武器を購入して幕府陸海軍の近代化を進める。
*3金禄公債:明治新政府が版籍奉還で俸禄を失った武士対して配った公債。
*4十年戦役の不換紙幣濫発:西南戦争(明治10年)のとき、明治政府は戦費調達のために不換紙幣を濫発。インフレを招く。
*5不換紙幣:金・銀との交換保障の無い紙幣。当時の多くの国では銀本位制が多く、紙幣は兌換紙幣が基本。つまり中央銀行の金庫に銀を保管しておき、その交換券として紙幣を発行する仕組み。不換紙幣は銀の積み立てが必要ない分、政府の意向で自由に発行できるが、大量に発行して発行元の信用を失うと価値を簡単に失う。
*6斗升:(としょう)一斗マスのこと。ここではわずかな給料のたとえ。
*7支那の事幣政整理:不換紙幣の回収整理のこと。当時の不換紙幣は政府が緊急に資金を必要とした場合に発行するもので、そのままだと通貨流通量が増えて経済が混乱するため、発行後は回収しておく必要がある。当然、回収には資金が必要。清朝も大量の不換紙幣を出しておりその整理が問題となっていた。
*8下瞰:(かかん)高いところから見下ろすこと。
*9咫尺:(しせき)ごく近い距離。
*10政務局長阿部某は神武皇帝の神霊が岡田満を刑手として行へる死刑なり:1913年(大正2年)9月5日、阿部守太郎外務省政務局長が自宅付近で右翼青年、岡田満(19歳)に刺殺された事件。阿部は中国通で知られた外務省きってのエリート。玄洋社系大アジア主義の岡田は、阿倍の中国革命のガンである袁世凱支援に憤慨したのが殺害の動機。岡田は二日後に自殺。
*11段といい馮といい岑といい唐といい黎といい:段祺瑞、馮国璋、岑春?、唐紹儀、黎元洪。袁世凱の死後、中国の政治をになった政治家。すべて清朝の官僚・軍隊出身。
*12サンジェスト:ルイ・アントワーヌ・ド・サン・ジュスト。フランス革命期の政治家。ロベスピエールの側近。名演説家として有名で、彼の演説がルイ16世の処刑を決定づけた。ロベスピエールと共に処刑される。
*13湊川・四条畷の大悲劇:湊川=楠木正成が戦死した湊川の戦い。四条畷(しじょうなわて)=楠木成行(正成の息子)が戦死した四条畷の戦い。
*14夙夜黽勉:(しゅくやびんべん)夙夜=朝早くから夜遅くまで。黽勉=努めて励む。
*15轡を並べて:轡=くつわ、馬のたづな。多くの人がそろって同じ事をすること。
*16○○○:原文のまま。入るのはどう見ても孫逸山。ただし孫文が宋教仁暗殺主犯説は北のみが唱えているのみで一般的には袁世凱が主犯と見られている。私が見てもどう考えても主犯は袁世凱。北がどうしてこう考えていたか不明。梟奸袁世凱の孫・宋離間策にでも引っかけられたのか?
*17正式大総統の人撰を方寸に収めたり:宋教仁は議会で優勢な国民党を率いて大総統権限を縮小する憲法制定に動いており、正式大総統の人選も議会で行うようにしようとしていた。
*18三年の退去命令:北は「宋教仁暗殺は孫文の仕業」と新聞に書いて革命党の孫文派から狙われていた。そこで上海の日本領事館に逃げ込んでいたが、そこの有吉領事に「三年間中国からの退去」を命ぜられて帰国している。
*19蹌踉:(そうろう)足下が確かでなく、よろめくようす。
 
 
 
 
 
 
    十五 君主政と共和政の本義
 
           袁と孫の私心をもって対抗する第二革命以後−−袁氏皇帝の『籌安会』と孫家神聖の『中華
           革命党』−−袁に依らざる君主政と孫に依らざる共和政は共に支那に思考し得ペし−−維
           新革命とフランス革命とは自由と統一を要むる歴史的進行において全く同一なり−−革命前の
           政治的解体の意味における自由−−ルソーの天賦の自由とは動物の生れながらにして有する
           本能的自由の義なり−−専制統一の理論なくして本質においてそれを要めたる『革命政府』
           −−維新革命また本能的自由を得たるが為めに起り、しかも明治大帝二十三年間の専制統一に
           よりてかかる自由を圧伏したり−−フランス革命また始めより自由の為めに統一的中心の国王を
           否定したるにあらず、国王に代つて『革命政府』『公安委員会』『ナポレオン』を統一的中心として
           終れり−−革命の始めより大ナポレオンを有せし維新革命は革命の直接目的、新たなる専制新た
           なる統一を得たり−−故に支那は日仏革命の意味における君主政体たり得べしと言う−−
           近代的統一とは自由の基礎の上に立てられたる専制にして、また自由を保護すべき為めの統
           一なり−−白人の歴史を自由政治となし黄人のそれを専制政治となす迷妄極る俗見−−日
           本およびフランスの革命論に復古的調子ありしとも近代的自由政治の建設なり−−進化律は古
           今を流るゝ時間的のものにして東西を分つ地理的のものにあらず−−革命の三年は三世紀を飛躍
           す−−支那は武漢のバスティーユより一貫的に共和主義を掲げて動かず−−革命的理想を動
           揺せしめざりし点においてフランスより優れる日本および支那−−支那革命の理想は五族統一の
           大共和主義なり−−純然たる奴隷のフランス人が自由政治を建設せし意味において今の支那は自治
           政治を得べし−−今の支那はことごとくいわゆる天賦の自由を得たり−−天賦の自由すら無かりし人
141
           類物格時代のフランスおよび日本−−今の支那に中等階級なきが故に自由政治の基礎なしと云
           ふは因果律の顛倒なり−−革命前の日本フランスに中等階級ありしか−−アメリカは中世的掠奪
           者を本国に見捨てたる近代的人格の集合にして、始めより自由政治の基礎たる中産杜会な
           りき−−アメリカの独立と革命とを混同する一般の俗見−−古来支那に自由ありといふ孫君の
           論理的錯乱−−海外貿易より生ぜる中等階級の萠芽の支那に存することはなお日本・フランスに
           それらのしかりしごときのみ−−支那の自治政治と中等階級は官僚討伐後に来るもの−−自由民の
           支那は恐怖すべき大富強を推想せしむ−−自由と統一を君主政に得たる日本、それらを共和
           政に求めつゝある支那。
 
 諸公。天人共に許さゞるいわゆる第三革命の大罪悪は日本の大誤策によりて亡ぼされたり。天は魔を打つに魔をもって
するの方便あり。しかして暗黒時代の三年間において、支那は元勲先生らの贋造貨幣なることを発見し、日本はその後
援せる袁世凱より十分に裏切られたり。日本を裏切れる魔と支那を欺ける魔とは相戦ひて共に天の斧鉞に終るべき
運動を知らず。袁は北京において孫毓[竹かんむり均]・胡栄君らの路を踏み迷へる革党諸氏を集めて『籌安会』を作り自ら皇帝たら
んとしたり。孫は東京において『中華革命党』なるものを組織し、陳其美・戴天仇*1・居正*2・田桐*3の諸氏を集めてまた籌安会と
なし、孫逸仙神権説を主張したり。魔はついに愚。袁魔は日本が誤策より覚めて彼がイギリスの買辧たることを発見せし
を知らず、自ら皇帝たらば隣邦の承認容易なるべしと孜々三年を努めたり。孫魔は支那が第一革命の事を破り、第
二革命また同志を死地に投じて遁竄*4せし彼の諸罪を断獄すべく準備せることを知らず、我れ共和を叫ばゝ隣邦の後援
国を挙げて来るべしとなし、また切々三年を努めたり。−−努めたるかな両魔よ。天日未だ輝かず魔軍相争ふ暗黒の
今日までにおいて、また天の審判を知らざる日支両国の群小は各その従ふ所によりて政体論を争ひたり。利をくらえる官
吏政客はいわく、支那は袁世凱の力に依つてする専制の君主政体ならざるべからずと。名に餓えたる支那浪人らはいわ
く、支那は孫逸仙の理想に照らされたる共和政体ならざるべからずと。投降将軍と遁竄元勲と籌安会と中華革命党
と、袁氏皇帝論と孫家神権説と、これら何ほどの相違ぞ。二人者始めより魔の使にあらず。ただその器にあらずして外援
の為めにその位を窃み、一度び権勢の毒果を味ひてより肝脳頽壊*5して魔質に変じ、もって万悪為さゞるなきに至れる
のみ。諸公。支那はもとより君主政体たり得べし。何となれば建国以来の歴史がしかりしをもってなり。ただ袁世凱が有す
る中世的思想と中世的代官階扱とはすでに亡びつゝある過去の者なるが故に、彼は近代的君主政体を建つべき国民的
基礎を有せざるをいかんせん。支那はまたもとより共和政体たり得べし。何となれば君主建国の歴史が急激発展してしかり
しフランスあるをもってなり。ただ孫逸仙が有する植民地的思想とアメリカ的社会組織とは支那大陸が氷河に洗はれて無人の
平野となるべき大将来のことなるが故に、彼は連邦制と大総統責任制とを移住せしむべき土地を四億万民に占拠さ
れつゝあるをいかんせん。不肖は断言す。袁に依らざる君主政体と孫に導かれざる共和政体とは共に両つながら支那
において真理なりと。しかしてさらに断言す。真理とは実現の立証を待ちて真理たるものなるが故に君主政体と共和政体
とは支那において両つながら交はるばるあるいは幸ひなれば同時に行はるゝものなりと。
 この逆説真理はフランス革命と維新革命とが形式および径路においてことごとく異なるに係らず、『自由』と『統一』との歴史
的進行の本質において全く同一なることを看取せる者にのみ理解せらるべし。すべて革命とは旧き統一すなわち威圧の力を
失へる専制力が弛緩*6して、新たなる統一を求むる意味において強大なる権力を有する専制政治を待望するものなり。しか
して近代革命とはこの統一的専制的権力が自由に発表せらるる国民の政治的理解を代表するものなる観察点において
自由政治を樹立するものなり。すなわち同一なる自由にして未だ新たなる統一的権力を得ざる時期の−−例へば腐朽せる
旧専制政治の弛緩せる結果として生ずる、脱税し得る自由、法網を免れ得る自由、罪悪を犯して罪する力を見ざる
自由、兵変暴動を起して征討されざる自由、帝力我において何かあらんの自由は、これ革命前の政治的解体と称すべ
きものにして近代的意義の自由にあらず。彼の孫君らの非論理的低脳は支那の現時にかかる社会的解体の存するを見、
また旧権力を拒斥し得る各種の自由なる言論および行動の存在するを見て、我が支那は古来自由の民なりと妄断す。しか
もかくのごときは彼自身の努力する自由を得んが為めの革命その事が屋上架屋の無用事なりといふ自殺的反撃に逢ふも
のなり。しかしてまた袁の夢想する専制政冶とは専制し得る権力そのものより弛緩朽腐して存在せざるが故にほとんど無より有
を生ぜしめんとするもの。彼のすべての努力は今後永久に太揚をして地球の表面に支那の部分だけを照らすことなから
143
しめんとする妖術の研究なり。諸公。現時の支那はある者の主張する近代的君主政治を建つべき『統一』なく、また他の
者の力説する近代的共和政冶を敷くべき『自由』なし。すでに存するものならばまさに求めんとする努力を要せず。いやしくも
一国の革命として全国民が存亡を賭しての大努力を考察するにおいて、元来日本の朝野はこれを理解すべく心事はなはだ
敬虚を欠く。もとより革命に当りては旧き統一的権力を批判し否定し打破し得る『思考の自由』と、その自由思考を
実行し得る程度にまで旧専制力の弛頽しおわれる『実行の自由』を要す。これ社会的解体の意味における自由なり。
従つて革命とは自由を得んが為めに来るものにあらずして、自由を与へられたるが故に起るものなりとも考へ得べし。
あたかもフランス革命において彼のミラボーらの貧乏貴族が貴族政治を批判し得る思考の自由と、その思考の否定に基きて
これを打破せんとする実行の自由とが、これらに対する抑圧力を失へるまでに旧権力の弛頽せし社会的解体の結果と
して与へられたるがごとし。これ野蛮人および動物の生れながらに有する本能的自由にして、ルソーは天賦の自由と命
名したり。しかしながらこの天賦的本能の発動はフランス革命を産めるものにして、フランス革命より産れたるものに非
ず。すなわち生物たる意義において有すと言へる本能的放縦は中世組織の崩壊が産みしものなり。しかしてフランス革命の育
成したるものはかかる自由を拘束し統制せんとする専制統一なりしことは事実の立証する所なり。『革命政府』が大殺
戮をもって自己に反対する者、自己を非議する者、自己を指す者の自由を蹂躙して、暴君逆主の専制を敢行したるを
見よ。これ最も露骨に革命が自由を与へず専制を求むるものなりといふ原理を挙示す。革命政府が革命の目的を理解
せず、『国家の存立の為めに我らは専制的統一を要す』と言ふことの代はりに、『自由の為めに他の自由の蹂躙を敢
てす』といふ自殺論法に陥れるをもってこの原理に疑惑を生ずるものあるべし。さらば維新革命を見よ。王覇を弁じ得
る『思考の自由』と覇を倒して王を奉ずべしとする『実行の自由』とが、その階級間によわいされざるほどの最下級武
士によりて現はれ、しかして封建制の旧権力がこれを弾圧せんとしてかえって白昼大臣の頭を切り取られたる*7程度にまで
腐朽せし社会的解体なりき。いわゆる勤王無頼漢と称せられし切取強盗の本能的自由を欲しいままにすることを得て幕府を倒し
たるもの、維新革命は自由を与へられたるが故に来れるものなり。しかも明治大皇帝の革命政府は彼がごとく自由の蹂
躙が自由なりといふ論法を取らず、明白に統一的専制の必要を掲げたり。しかして革命の目的は一天子の権力下に一
切の統制なき本能的自由を圧伏することにありとして、秋霜烈日*8の専制を二十三年間にわたりて断行したり。−−革
命が自由政治を求めずして専制的統一を渇仰するは東西に符節を合するごとし。同一航路を走る船なりき。日本は順
風に帆走して統一の直路を取れり。フランスは逆流旋風に会する再三なりしが為めに左回右転してどこに向ふものな
るやの察知し難かりしのみ。見よ。バスティーユの破壊さるる時といえども、軍隊の威嚇に対してミラボーが議会の神聖
を叫びし時といえども、飢民乱入してテュイルリー宮殿の階上に鮮血の鎗が閃きし時といえども、フランス国民は帝王に対する
忠順を失はざりき。彼らは古来貴族の横暴に対して抗争すべく常に王権の擁護を得たる歴史的感謝を持てるものな
りき。彼らは不幸にしてルイ十六世なる売国奴を与へられしが為めに、当初の方針を持続するあたわざりしのみ。デ
ュムーリエ*9らの反動的将軍が『ブールボン王なきも可、フランスは一王を有せざるべからず』と渇望せしごとく、議会の
『七百四十九人の虐主が』大なるネロ*10を組み立てしごとく、最も空想的なる自由主義者ラフアエットその人が自由を叫
んで王宮に向ふ乱民をその率いる護国兵をもって砲撃せしごとく、フランス国民は革命の統一的中心を王室に仰ぎたるも
のなりき。これ薩長その他各藩の革命党諸氏が京都の皇室を革命運動の中枢として奉戴すべく努力せしと異る所あり
や。彼においては動かすべからざる国王の売国的証拠と、まさに首都を陥れんとする分割侵入軍との故についに発狂せざ
るを得ざりしといえども、さらに統一的権力の中心を『革命政府』に求め『公安委員会』に求めついに『ナポレオン』に求めて漸
く安んずるを得たり。是に反して日本の皇室は約一千年の長き貴族階級に対する痛恨の涙を呑みて被治的存続を忍
びしもの。しかして明治大皇帝は生れながらなるナポレオンなりき。ナポレオンは英艦隊擁護の下にトゥーロンに上陸せる宗社党*11
撃破したる愛国者なり。京都の皇室は馬関海峡の列強艦隊砲撃を号令せし団匪的興国魂の中心なりき。ナポレオンは大濤
の寄するごとき暴民が護国兵と共に三万の大衆となつて反動の波を挙げし時一撃に掃蕩して革命政府を擁護したり。
明治大皇帝は江戸のブールボン家が親ら海陸の大軍を率いて大阪城にたむろし威嚇をもっておのれれに臨むを見るや、これ
を伏見街道に迎へ撃ちて追撃席捲たちまちにして革命政府を樹立したる革命的指導者なりき。ナポレオンは自由を擁護せんが
為めに王党の反動的爆発に先んじてクーデターを敢行したり。明治大皇帝は征韓論の名に藉れる第二革命の大臣将
軍を一括して藩南に鎭圧したる強大新鋭なる統一者なりき。諸公。フランス革命がナポレオンの輸入に至りて完成したりと
145
いふエミ−ル・ライヒの解説に従へば、革命とはその直後目的とするところ新なる専制、新なる統一を得ることな
り。さらば最初より万世一系のナポレオンに指揮せられたる維新革命は革命の理想的模範たるものにあらずや。問題は解決
せらる。すなわち革命後の支那が強大新鋭なる統一を要する意味において君主政体ならざるべからずと主張するものに対し
ては、不肖日・仏の跡に鑑みて満腔の敬意を表する者なり。ただ袁世凱にて可なり宗社党を推すべしとするは、徳川氏
にて可なりルイ十七世を即位せしむべしとする亡命貴族の見解*12にしてこの説明に交渉なし。
 さらば問はん。古今革命の直接目的が統一にありとせば、自由を熱叫せしフランス、万機公論に決すべき宣布*13を以
て建てられたる日本は、何の意味をもって自由政治を基礎となすやと。これ革命後の支那が共和政体ならざるべから
ずとの主張を考察せしむるもの。不肖はまた切実に支那における自由政治の必然的可能を確信する者なり。何となれば
近代的統一とは自由の基礎の上に建てられたる専制にして、また自由を保護すべき為めの統一なればなり。これ中世
的統一貴族的専制との相異なり。その国家組織の基礎が自由民なるか、ある所有者に属する経済的物件たる人類な
るかゞ近代的統一と中世的専制とを段画するものなり。歴史は時代の流れによりて段を画すべし。皮膚の黄白といふ
生理的作用が政治能力といふ心理的事実を左右すとは不肖らの解するあたわざる心理学なるは論なし。進化律の波は
白人の居任する地域と黄人の生息する地球の部分とをダーダネス海峡*14によりて堰き止めらるゝものにあらず。すなわち皮
膚の生理的差別が白人の政治組織を古来自由主義ならしめしといふことの虚偽なるごとく、黄人のそれが将来永遠に
自由組織なるあたわずとは大なる迷妄なり。見よ。人類が歴史的生活を始めたる最初の記録が東洋史において君主政な
りしごとく、欧洲の古代史また実に暴君と賢王との跡を残せしものに過ぎず。君権が細胞的分裂作用によりて各地に土
地と人民とを所有する権力者の叢生*15せし欧洲の中世史は貴族政治なり。同様に皇室の王子王孫が各地に権力を樹立
して桓武系の平氏清和系の源氏に封建貴族の萠芽をなし、幾変遷の後徳川氏に至るまでの間、貴族政治は日本の中
世史を編纂したり。しかして『自然に返れ』と叫びしルソーに復古的調子ありしともフランス革命が民主的覚醒の近代
史なるごとく、復古的理論をもってしたる『王政復古』の名に統一されたる維新革命は大ナポレオンの指導統制の下に貴族政
治を覆へしたる近代的自由主義の建設なりき。諸公。進化律とは古今を流るる時間の波にして地埋的に東西を分つ
空間の原則にあらず。したがってフランスと支那との地理的空間は政治的覚醒の拡張発展を思考すべき歴史の進化的説明に関
係を有せず。もとより水の流れが巌石に障害さるゝ物理的法則はフランスを進化律に洗ふこと百年前にして、支那を今
日に後れしめたる時間の遅速を生ぜしむ。しかも平和なる岸を逝く百年の水は、革命の断崖を奔躍すると共に千里の
江峻一日にして帰ることあり。十年前の支那通が、今日すでに一事一物現下の支那を理解し得ざるごとくに、代官政治
を葬りたる後の支那の躍進的進化はほとんど三年をもって三世紀の道程を奔るべし。不肖ら黄人の誇は三百年の鎖国的停
滞を開国進取の一詔勅をもって数年間に一鞭飛躍せし維新革命にあり。さらば維新革命を啓発したる支那がさらに維新
革命に啓発せられて一九一一年以来の革命を継続しつゝある時、独り四億万の黄人においてのみ対岸同族の誇を分つ
あたわずといふか。維新革命において平民的生活に近き最下級武士が階級戦争を叫び始めたるごとく、中世的代官政治に
対する眼前に見る官僚討伐軍は、また実に市民農民と大差なき下級官僚の子弟によりて遂行されつゝあり。しかして彼
らは始めより、漢人の国家を亡ぼせる仇敵の異人種を君主とせり。為めに国家の存立上斬らざるを得ざりし売国皇
帝の発見に至りて、余儀なく民主政治を叫びしフランス人のごとくならず。武漢のバスティーユより明白に直截に一貫的に共
和主義を掲げたり。これ同一なる自由主義の基礎に立つ近代革命において、日本が革命の理想を動かすべからざる君
主主義に現はせると対立して堂々たる一貫の旗幟なりとす。−−フランスが革命と反動との幾変動を経しゆえんは、実
に革命の始においてあるいは日本のごとく、その半ばにおいてあるいは支那のごとく、君主政と共和政との間を彷惶して一貫不惑の理
想なかりしをもってなり。指導者に理想なく国民に理想の理解なくんば、共和政府が共和主義者を断頭台に送り、民
主的国民の投票が挙国一致して一外国人を皇帝に推戴せしごとき矛盾を続出せしめて、国本動揺定まらざること数十
年なりしは論なし。維新の民主的革命は一天子の下に赤子の統一にありき。支那の国民的理解は共和旗の下に五族
を統一する大共和主義なり。実に革命的理想を動揺せしめざる根本的価値において島国の黄人はフランス人より聡明なりき。
大陸の同族また実に白人の迷妄すべからざる不惑の理想を有す。諸公。問題は生理的皮膚にあらずして一に共和政治の
基礎たる国民の自由に存す。いわく、今の支那人に共和政体を建つべき国民の自由ありやと。
 しかりといい得べし、−−当年のフランス人に共和政を建つべき国民の自由ありしと歴史の教ふるならば。実に革命前の
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フランス国民は自由の微光だに見ざる奴隷なりき。国民のすべては農民にあらずして農奴なりき。土地に対する財産権を
有するあたわざる耕作用の生物にして法律上の主体たり得べき人格にあらざりき。夫婦の道徳的人格を有せずして領
主の命のまゝに事の貞操を上納せしめ、すべての処女は領主のもてあそびたる後にあらざれば婚嫁するあたわざる動物なりき。
彼らの自由はただアフリカ黒奴のごとく鉄鎖に繋がれざるだけの自由なりき。諸公。かかる奴隷が十年間の流血によりて
自由政治を得たるならば、中世的代官政冶に生活する今の支那国民が、たとえ先進国より見て憫むべく笑ふべきこと
の多々あるにせよ、今後ある躍進的機会の三年間において共和政治の大本を築く能力なしと断言し得べきや。『思考
の自由』と『実行の自由』とはまた等しく中世組織の崩壊せる社会的解体として支那革命党と暴民匪賊とに与へられ
たり。法律より免るゝ自由、盗賊横行の自由、暴動反逆の自由、一切生物として有する『天賦の自由』はかってフラン
スの都鄙*16に与へられたるごとく、今や支那の各省に普及し終れり。すなわち否定の自由と破壊の自由とをもってフランスが革
命したるごとく支那は革命しつゝあり。−−しかして人類はある時代の政治的社会的組織がその生物的本能と両立せざる
に至る時は、天賦の本能的衝動に従いてそれを拘束する組織を破壊す。すなわち不肖のいわゆる今の支那に共和政治を建設
し得べき自由ありといふことは、フランスの革命哲学が天賦人権説の愚論に立てる意味において、すなわち支那人もまた等し
く天より生物的本能を賦与せられたる人類なりといふ意味において主張するものなり。人類はある制度を破壊し、ある
組織を建設し得。政冶学の根本原則はこの一あるのみ。中世史までにおいては人類は高価なる家畜にして人にあらず。
彼らは土地に付属せる牛馬として売買贈与せらる。フランスの貴族領および日本の版籍とはこれにして家畜の生命が所
有者の自由なるごとく、殿様の前に立てる武士および武士の前に立てる農奴は御手討または切捨てを許されたる物格なり。
牛馬が土地を耕やすものにして土地の所有者に非らざるごとく、中世史の人類は人としての財産所有権を持てる国民
に非らず。果して然らば天賦人権説は今日においては愚論なりといえども、ルソーの唱へたる家畜時代においては人類の近
代的覚醒を報ずる暁鐘なりしことはおおふあたわず。この愚に近き平凡なる真理がドイツを覚醒せしめたるカント*17に取り
ては、人はそれ自身目的なり、手段として取扱はるべきものにあらずと叫ばざるを得ざりしほどの人類物格時代な
りき。しかしてフランスが農奴より目覚めたるがごとく、また日本が切捨御免より目覚めたるがごとく、支那は明かに人類的
生活の権利に覚醒したり。四億万民が各自権利の主体にして君主とその代官とのために存する物格にあらずとの覚
醒は、実に中世的君主政治を排除して近代的共和政治を樹立し得べき根基にあらずして何ぞ。各人ことごとく権利主体た
る覚醒は切取強盗の中世的権利思想に対抗して、労力の果実に対する所有権の神聖を主張せしむ。この所有権の近
代思想は貴族と諸侯とが刀鎗によりて設定せし土地領有権を否認してフランス革命となり維新革命となれり。支那に
おいては売買による代官職の租税掠奪を拒絶して新中産者階級の所有権神聖を主張する排満革命となり討袁革命とな
らざるを得ず。愚呆と驕慢よ。−−支那には中等階級なきが故に自由政治の維持者なしと言う者あり。ヤングが旅
行せし時フランスの田園に中等階級は存在せざりき。『十三里行きて四人に会し六里歩して三戸を発見し、耕地四分
の一は荒蕪なりし』といふ全国の土地は僧侶と貴族の領有なりしが故に、自由を主張し得べき中産者無かりしは論
なし。(彼の中産階級の勃興によりて封建政治の倒されたるかに解説する白人一般の革命史観は、その提出する各
種の革命的理想の基本観念よりいかに非論理的なるかを示す)。路傍に土下坐せし農奴時代の日本において今日の衆
議院を維持すべき自由の農民は一人だに存在せざりき。全国すべての土地は三百の貴族とその武士階級に分割占有せら
れ、他はすべて単に耕作用の生物として生活したるが為に自由政治を樹立すべき中産階級なかりしはまた論なし。すなわち
近代革命とはすでに自由政治を維持すべき中等階級の存在より起るものにあらず。自由の理想的覚醒が革命によりて新た
なる中等階級を造るものなりとす。彼らは原因と結果とを顛倒して考ふる昏迷者なり。すでに有する者ならばまさに求め
んとする理想を生ぜず。−−孫逸仙のアメリカ的理想が度すべからざる空夢なりとはここに存す。しかし孫君が共和政の犯
すべからざる首唱者にして同時に権化なりきといへる不肖の前言を悦びしならばまた天下第一の馬鹿者なり。彼におい
ては自由移住民が自己の権利として労力の果実を新開地に収めんとして所在国を建てたるもの。開墾の土地は直ちに
彼らの所有権を設定したり。彼らは土着の異人種に対しては強力の中世的権利思想をもって臨みしといえども、彼らの労
働による近代的所有権を脅かすべきものを彼らの間に有せざりき。彼らが本国を見捨てたるはいわゆる個人主義云々の俗
論をもって解釈さるべからざる事にして、掠奪より免れんとする人類の本能に従いて中世史を見捨てたる歴史的意味
の者なり。アメリカ独立史が近代史の巻頭に書かれ、フランスおよび欧洲各国の近代革命がアメリカの独立に啓発されたりとは
149
このいいなり。すなわちアメリカは中世的掠奪者を本国に放棄したる近代的人類の集合にして、集合その自身が共和政治なり
き。彼らは各人ことごとく財産権の主体にして近代的人格なりき。彼らは生れながらにして自由政冶の基礎なる中産社会
なりしなり。したがって彼らは自由政治を建設するに当りてその前提たる革命の努力を要せず。−−アメリカの共和政治とは
勤勉なる開墾事業にして破壊建設を流血に訴ふるフランスおよび支那の革命と何の相似たる所ぞ。彼らに取りて開墾その
事が自由の建設なり。ワシントンは単なる開墾事業の大村長にして乱世を統一する英雄の事業と何の係はりありや。
革命の努力なかりし国を範としてまさに革命されつゝある本国の指導者たらんとせし孫君の低脳に基きて革命の支那
を考ふる者よ。アメリカが欧洲各国の革命を啓発せしことは彼れが欧洲の移民によりて得られたる最初の近代的理想の
実現なるをもってのみ。しかも移民の得たる所を本国の求むるに及んでは、移民の有せずして本国に存する中世史の破
壊より始めざるべからず。ルソーとカントとはアメリカに無用なり。彼らは人格として耕やし人格として持てり。彼ら
は彼ら自身が目的にして彼らを手段として取扱ふ皇帝と貴族僧侶を有せず。しかも彼らの本国において彼らを学ばんと
するには、まず天賦人権説によりて人類としての動物的本能より覚醒せざるべからず。耕作用に馴育したる家畜の
鎖を断ちて、広野に放たれたる猛獣としての人類に覚醒されざるべからず。しかして中世的権力の鎖は腐朽して自ら
断たれたり。家畜は檻を出でて猛獣の天賦を現はしたり。動物は食はざるを得ず。人類は財産権を求めざるを得ず。
彼らは食ふべき財産権を寺院の土地に奪ひ貴族の領土に掠め帝王の中世的所有権に求めたり。革命とは移住民の組
合組織に築かれたる自由民に起る何らの理由なし。すなわち近代史が自由なき中世史より脱却せんが為めに人類を獰猛
なる破壊に駆る期間を名けて革命と言う。しかり。近代史が自由政治を意味せばなお未だ中世史を脱却せんとしつゝあ
る過程中の支那に向つて、自由政治の基礎たるべき中等階級なしと論ずるは、古来自由ありと答弁する孫君と伯仲*18
すべき論理的錯乱にあらずや。革命起るまでのフランスに農奴ありて中等階級なく、維新史に至りて日本は土百姓より
自由民の中農階級を生じたり。すなわち二国共にその国家の中堅たる中等階級は革命によりて生まれたものにして革命
の前に存在したるにあらず。もとよりフランス革命が植民地発見に係かる海外貿易の為めに新たなる中等階級を都市に萠
芽し、日本また鎖国の厳法を破りて密貿易をなして富める都市の新中等階級を発生して、近代的権利が中世的それに
侵されざる主張に立ちて革命の先駆たりしものはありき。あたかも今の支那において海外貿易の為に生ぜる中等資産者が代
官的権利に奪はれざる主張を持して多くの開港場に叢出し、もって近代的権利の前駆となりつゝあるは事実なり。
(例せば南洋地方および租界居住の商人が革命先覚者に最も多くの後援を為せしごとし。)しかしながら近代国家の基礎
は少数者にあらずして自覚せる多数国民に存す。フランスの富国が中世的階級の土地を分有せる自作農民の財産権に基
いするごとく、日本の強兵が大名武士より奪ひし農民の経済的独立に根源するごとく、支那また実に四億万民を農奴土百
姓より解放して代官階級に代はれる経済的自由民の天地たらしめずんば止むあたわず。−−支那の自由政治と中等階
級は『官僚討伐』の後に来る。自由民は自由の思考と自由の実行とによりて大ナポレオンを擁立して欧洲征服戦を戦ひ、
明治大皇帝を奉じて日清日露の大戦に打勝てり。さらば来るべき四億万民の自由はついに昔年の大総統オゴデイ汗*19を選
挙して退潮落日の白人を血蹄に蹂躙するの日なしとせんや。今日までの支那に共和政を建つべき自由なきはフランス人の
農奴たりしごとく、日本人の土百姓たりしごとく事実なり。しかも共和政の理想を実現すべき自由を得べきことはフランス
革命が歴史家に抹殺さるべき虚構ならざるごとく、維新革命が梧下の一夢*20に非らざるごとくまた確実なる事実なり。不肖
をして欧米崇拝家の奴隷心を粉砕すべく一言せしめよ。自由主義の近代的革命を当初より君主政治に掲げて動かさ
ゞりし日本は、共和政府に専制せしめたる白人よりはるかに聡明なりしと。しかしてまた当初より共和政治を唱へて惑は
ざる支那は、主権を外国人に世襲せしめんとせし彼よりまた遠く政治的能力にて優越なりと。フランス史をもって革命の
金科玉条と景仰するなかれ。彼は国王の売国と列強の侵略の為めに革命的理想を動揺せしめて日本と支那との間を迷
へる変態化の革命のみ。自由と統一を君主政に得たるものは日本なり。同一なるこれらを共和政に求めんとしつゝある
ものは支那なり。歴史は形式の衣を脱ぎて後世の治者に訓ふる所多し。
 ここにおいて疑問は百出すべし。いわく何いわく何、日く何と。
151
 
 
 
*1戴天仇:(たいてんきゅう)1891〜1949年。天仇は号で本名、戴季陶(きとう)。日本留学組。後に国民党宣伝部長。
*2居正:(きょせい)1876〜1951年。日本留学組。同盟会に参加。1911年同盟会幹事。1914年中華革命党創立に参加。以後、国民党などで色々活躍。
*3田桐:(でんとう)1879〜1930年。日本留学組。同盟会評議員兼総理書記。1911年民国成立後臨時参議員。1913年衆議員。1914年中華革命党に加入
*4遁竄:(とざん)人目に付かないように逃げ隠れること。
*5肝脳頽壊:(かんのうたいかい)肝脳=肝臓と脊髄。頽壊=壊れてくずれ折る。
*6弛緩:(しかん)ゆるむこと、たるむこと。転じてだらしなくなること。
*7白昼大臣の頭を切り取られたる:たぶん井伊大老を暗殺した桜田門外の変のこと。
*8秋霜烈日:(しゅうそうれつじつ)秋の冷たい霜と、夏の強烈な日光。転じて刑罰・権力・威厳・信念などが非常にきびしいことのたとえ。
*9デュムーリエ:シャルル・フランソワ・デュムーリエ。フランス革命期の将軍。国民公会でジロンド派が優勢なときに将軍になるが、革命フランスに反対する各国同盟軍との戦争に敗北。国民公会ではロベスピエールらのジャコバン派が権力を握りジロンド派を処刑し始めたので敵陣に寝返る。
*10ネロ:古代ローマ帝国第5代皇帝。暴君として有名。
*11英艦隊擁護の下にトゥーロンに上陸せる宗社党:フランス南部の港町トゥーロンでは革命政府に対して反乱を起こし、イギリスに亡命した王族を擁立しようとしてイギリス艦隊を引き入れる。これに対して革命政府は軍を派遣し奪還作戦を行う。この戦いでナポレオンが功名を上げる。
*12ルイ十七世を即位せしむべしとする亡命貴族の見解:ルイ16世の息子ルイ17世は父と同時に革命政府に捕まり幽閉されて生涯を閉じている。ルイ16世の弟、ルイ18世はイギリスに亡命して王位回復を狙っており、ナポレオン失脚後は王位に返り咲いたので、ルイ18世の間違いだと思われる。ちなみに宗社党は清朝の復興党なので、フランス革命の場合は王党派が正確。
*13万機公論に決すべき宣布:明治維新直後に宣布された五ヵ条の御誓文のこと。明治天皇が宣布した明治政府の基本方針。第1条に「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」とあり、これが国会開設を求める自由民権運動の根拠となった。
*14ダーダネス海峡:トルコにある地中海と黒海を結ぶ海峡。ここではヨーロッパとアジアの境界の意味。
*15叢生:(そうせい)草木が群がり生い茂ること。転じて勢いが盛んになること。
*16都鄙:(とひ)都会と田舎。
*17カント:イマヌエル・カント。ドイツの思想家・哲学者。近代において最も影響力の大きな哲学者のひとり。
*18伯仲:(はくちゅう)兄と弟。転じて技量などの差があまりないこと。
*19オゴデイ汗:オゴデイ・ハーン。中国から東欧に渡る大帝国を築いたモンゴル帝国の二代目ハーン。チンギス・ハーンの息子。彼の死後は巨大化しすぎた帝国は各ハン国に分裂したので、事実上の大帝国最後の支配者。
*20梧下の一夢:梧下(ごか)=あおぎりの机の下、転じて、手紙のあて名の左下に記し、相手に敬意をあらわすことば。辞書にないし意味不明だが「机上の空論」の意味で使っているようだ。
 
 
 
 
 
 
    十六 東洋的共和政とは何ぞや
 
           暗殺されたる故范鴻仙君の至言−−支那はまさに大殺戮時代を見んとす−−ロベスピエール、
           ナポレオン、明治帝の観音的夜叉王−−今の支那は一に英雄の出現を待望す−−投票神聖論は共
           和政治の本義に反す−−ナポレオンと明治帝の自由弾圧なかりせばフランスは貴族政治に復古し日
           本は封建制度を維持せしなり−−フランスの反動的大挙兵は支那革命成立のときまた同一な
           る反動的大暴動を推想せしむ−−人を食むの自由を虎に許すべしと言う共和故治の誤訳−
           −官僚の国外亡命を許さばついに恐く支那分割軍を導く事フランスのごとくならん−−明治大帝
           の大折伏を学ぶべし−−義和団匪をウオステリッツの野に指揮する英雄の出現を推想せよ
           −−支那の大総統は翻訳的議会より選挙さるべからず−−『東洋的君主政』と『東洋的共
           和政』とは何ぞや−−君主なき後のフランスと同一なる支那の不安−−カエサルの古代共和
           政よりもはるかに優秀なる理想として東洋には蒙古の中世的共和政あり−−白人は共和政の
           専有者にあらず−−何人が終身大総統として支那を統一すべきの問い−−議会の饒舌は英雄
           を沈黙せしめ、民意を代表すと称する者の投票は革命の時、特に天意に反す−−戸籍法なき
           フランスの革命議会は自己選挙に依る革命指導者らの集会なりし事実−−ナポレオン法典の完成ま
           で数十年間合理的選拳なかりしごとく、代官階級を一掃し終るまで支那に投票選挙は法理
           的不合理なり−−蒙古の終身大総統を皇帝と諡名せるは歴史に反す−−東洋的共和政は大
           総統と上院にて足る−−日支興亡の分れし根本原因は中世史に入りて武士制度と文士制度
           との相異にあり−−民族と言うがごとき生理的現象にあらず、興亡を分つものことごとく国民の心的傾
           向に帰す−−支那の文弱的亡運は儒教にして日本の武断的興運は大乗仏に出づ−−支那に
           魂を失ひて日本の賢君名まさに守持せられたる大乗仏−−文士制度の最悪なる科挙の法、及
           び科挙の法と大差なき言論文章の大総統議員の撰出−−支那は心的革命においてフランス革命の
           キリスト教に加へたるごとくなるべし−−儒教と共和政の絶対的不両立−−すべて革命とは国民信
           念の革命なり−−儒教の害毒実に今の堕弱怯詐の支那人を作る−−今の官僚階級は儒教的
           文士制度の遺類−−秦始皇を再びすペき四千年未曽有の革命を決意せよ−−支那に滅亡し
           つゝある儒教−−蒙古共和軍は鬼面せる我が神の使徒−−蒙古共和国と大日本帝国と何ぞ
           言論文章によりてその大をなさんや−−アメリカ制の自由と儒教の統一とは支那の要むる自由
           統一にあらず。
 
 亡友范鴻仙君、第二革命によりて日本に亡命す。庭を隣りて一家のごとく、日夕国事を談ず。支那の急は旧組織を破
壊し終りたる後、自由的覚醒を代表する少数革命家の専制的統一にありと言ひし時、彼は喜然として手を拍っていわ
く、足下のごときいわゆる民主社会主義者と認めらるゝものにしてなおかくのごときか。革命の時はただ強大新鋭なる専制あるの
み。自由は十年の後。余常に諸葛孔明*1の心をもって大総統時代のナポレオンを行ふべしとすと。不肖またかっていわく。むかし人を
殺すをたしなまざる者は王たりと云へり。これ儒教が世界最悪の宗教たるゆえんの一にして、また実に支那千年の文弱を来
せしすべての因。革命の支那において統一者たるべき英豪はすべからく人を殺すをたしなむ者ならざるべからずと。しかして談
笑袁におよびて、彼はいささか々たる暗殺の卑怯事を為し得べきも堂々義を掲げて大殺戮を敢行し得る器ならずとせしもの。
−−君ついにかえってその暗殺に倒る。宋と云ひ君と云ひ前後かくのごときもの痛恨限りなしといえども、袁が卑怯なる暗殺者
にして大殺戮の義人ならざりしことはこの五年間に挙証せられたり。しかして往年の君、儒生*2袂を投じて起ち『鉄血
軍』を率いて不義を討じ不仁を屠るの雄姿はこれを再び見るあたわざるを悲しむといえども、君の止むを得ざる道程なり
と信ぜし大殺戮時代のまさに眼前に迫まれるを見て、不肖は君の霊と四億万民との為めに大杯を挙げて祝せずんばあ
るべからず。弥陀の手に利剣あり*3。左手、自由の経巻を展べて右手、専制の剣を揮ふ。不肖は今の反動的一代官に
代はれる真の革命的統一者が必ずや袁輩を千百倍せる一大専制家なるべきことを、予じめ非常なる確信において断言
153
せんと欲す。
 しかしながらこれ支那の革命がフランスと等しき血をもってする中世史の破壊なりと言うのいいのみ。自由の楽土は専
制の流血をもって洗はずんば清浄なるあたわず。キリストの愛といえども我は平和を来す者にあらず刃を出さんが為に来れりと宜
布し、仏の宇宙大に満つる大慈悲は道を妨ぐる一切の者を粉砕せずんば止まず。−−観世音首を回らせばすなわち夜叉
*4。大海に溢るゝ慈悲の仏心をもって四億万民の自由を擁護扶植せんとする者、焉んぞこれらを残賊する暗黒時代の魔
群を折伏せずして止むべけんや。ロベスピエールは多恨多涙の士。死刑を宣言するあたわずとして判官を辞せし程の愛
を持てり。しかも国民の自由が内乱外寇に包囲さるゝに至るや、パリの断頭台に送る者一万八千人、さらに全国に渡り
て死刑すべき者七十万人を予算せし夜叉王に一変せり。ナポレオンは自由の熱狂児。議会が反動的勢カの占拠する所とな
りし時、自由の為めにクーデターを敢行するに自ら卒倒せし程の良心を持てり。しかも彼れの史上における価値
は全欧洲の自由の為に他の中世的勢力を幾戦場に屠りたる流血の夜叉王たりしことにあり。明治大皇帝の仏心天の
ごときはこれを言ふの要なし。しかも国家の統一の為めには最高の功臣大西郷が過ちて錦旗に放ちし一羽翦(やばね)を仮借せざ
りしほどの利剣を持てる弥陀如来なりき。諸公。仏と魔との相異は小我私心に立脚すると宇宙大に満つる慈悲心よ
り迸発するとの差なり。ロべスビールとナポレオンとが後年権勢になれて魔界に落ちし事はもとよりしかり。しかもある期間までの
彼らは国民の自由を擁護せんが為の殺戮者なりし事を否むあたわず。不肖はここに利剣を持てる弥陀如来が支那に降下
すべきや否やを予言せず。袁と○君と、小我私心に基く暗殺を行ひて心事行跡すべて魔鬼。実に今の支那が鬼類魔群
の世界なる事は論なし。然ながら天地循環の理によりて夜の終ると共に暁を見、中世史の暗黒時代につぎて近代国
家の白日を仰ぎたる事実は、独りまさに暗黒時代を終はらんとする支那に類推するあたわずと言うや。日本の中世史が
封建の暗黒に堪へずして自由と統一の中枢を二千五百年来の法燈に渇仰するに至るや、如来はついに明治大皇帝に権
化して救済の為の折伏*5を賜へり。支那の万人口を揃へていわく、今の吾人はただ英雄の出現を待望する耳と。英雄の文
字を現代の墮落せる解説によらず、如来の使なりという本義において理解し、少くもカーライル*6の神人を意味するもの
とせよ。今の支那は明かに救済の為の折伏を渇仰するものにあらずや。何者の愚ぞ君主政と共和政の可否いかんのごとき物
質文明者流の翻訳を事とするか。愚昧なる翻訳的知識よ。いかんなる議員の投票もことごとく神聖にして国民のいかんなる自
由意志を表白するものも共政和体なりと云はゞ、執政官ナポレオンをしてクーデターを為さしめず大多数王党の投票に
よりて中世的反動を再硯せしめばこれ共和政治の本義なりと考ふるか。他の執政官三名はことごとく王党なり。三百余名の
議員中三分の二以上またすべて王党貴族党なり。わずかに三種を除ける全国七十種の新聞紙はことごとく新建設に反抗して中世紀
を謳歌したり。投票則神聖論の共和主義者に従へばかかる場合反動者の自由を尊重して封建貴族を再建し、現在および
将来の自由政治を破壊せざるべからざる論理的自殺に陥るべし。一人専制の君主政また必ずしも自由主義と両立せざ
るものにあらず。しかし明治大皇帝の専制的施設を許さずして、幕府の倒るゝと共に全国に議員を選集せしめしとせよ。
支那・フランスと同一なりし奴隷民は代表者を送るべき覚醒なきが故に、武士階級の中世的意志を表白する機関たりし
ことは明白なり。彼らは自由政治の名によりて版籍掠奪に反対すべし。国民の権利に藉口して食禄没収に反対すべ
し。帯刀の自由を主張して国民皆兵の民主的建国に反対すべし。すべての神聖を投票に求めて恐くは徳川氏の復活を
主張しあるいは水戸・加賀等の買収運動によりて将軍選挙を論争せしやも知るべからず。さらば国民永遠の自由を残賊せ
んとするかかる階級に自由を与へざりし大帝は全く自由の擁護者にして、自己の権威の為に権力を私する意味の専制
君主に非らざりしことは疑なし。諸公。日本およびフランスのこの事実−−すなわち国民に自由の覚醒まっとうからざる間、革命
のある期間において反動的勢力が必ず議会と世論とに拠りて復活を死力的に抗争すべしとの事実は−−討袁革命遂行
の後、今の代官階級の朝野に充満せる勢力がすべての力を尽くして議会と世論としかして暴動とに訴へて革命を反撃す
べしとの推断に至らしむ。彼らの数十万人は四億万の国民に比して知識を有し金力を有す。土地を領有する事によ
りて農奴の上に権力を有し、国民の覚醒せざるが為めにかえって国民そのものより指導者として遇せらる。官界金界の首
脳、各省・各県・各村に群がる父老紳士、しかして所在暴動を為し得べき軍隊を持てる都督諸将軍。−−天日禹域を照さ
んと欲せば大総統に弥陀の利剣を与へよ。(混同すべからず。袁が議会を解散したる事はナポレオンのターデターにあらず。
また議会が解散されたるゆえんは、当時の北京の軍隊に革命的情熱が普及せずしてフランスの国民議会が軍隊に護られた
るごとくならざりしをもってのみ。)議会に拠らんとする反動は恐らくは即時来らざるべし。しかもパリの中央政府および
155
革命議会が中世的権利のすべてを否認するや、リオン、ボルドー、トゥーロン、マルセーユ、ラバンデその他の各地一斉
に兵を挙げて反乱せり。これらの地はこれ漢口、南京、上海、天津に比すべく、支那の各所軍を動かして民主的建設
に抗するの日あるべきを推想せしむ。日本の弥陀如来は折伏の剣を揮つて十年間にほとんど百回に近き大小の兵変暴動
を弾圧しついに西南役において全国の帯刀的遺類を一掃したり。これ今後の大総統および革命政府が将来永遠なる自由と
統一との為めに幾十万の中世的魔群を屠殺せざるべからざる義務を天地の大道に向つて負ふことを示すものなり。
猛虎あり人を噛まんとす。虎は美食の自由を叫び人は生存の自由を訴ふ。『殺すをたしなむ』ものにあらずんば悪を求む
るの自由を斬つて正義の自由なる発現を擁護扶植するあたわず。悪の求むる所は栄華と権勢なり。数十万の代官階級
は数百年来のこれらを一朝にして奪はるべからずとなし、もって四億万民の生存と四百余州の独立とを喰らはんとす。
共和政治を誤訳して殆んど人を食むの自由を虎に許すべしとする論理は隣邦国士の耳を傾けざる所なるべし。革命
は速にギロチンを準備せざるべからず。彼らをして国外に亡命せしめば愚人島の亡国階級らと相結びて日本と共に
支那に禍ひせん。彼はすでに宗社党を助けて復位君臨せしむべしと考へしこと、あたかもルイの遺子をトゥーロンに援護し
て十七世に即位せしめたるイギリスの顰に傚はんとするもの。フランスの列強侵入軍は実に国外亡命者の導げるものなりし
事を鑑みざるべからず。すべての文武百官を網羅する権力階級がプロイセンに逃れオーストリアに走りて愁訴誘導せしが為に、
奴隷の暴動何ほどの事ぞと誤認して二十年前のポーランド分割*7の甘味を想起せしに過ぎず。実に同盟侵入軍は同盟三国の
ポーランド分割をフランスに再びせんとしたるもの。代官階級らの交遊と金力とは優に愚人島の亡国階級を煽動し惑乱せし
め得べし。袁が某博士に托せし前後五十万円とおよび某大佐に委ねし百数十万円は、もとよりその大部分は尊敬すべき人
々の私腹を肥せしとは言へ、現に日本の国民道徳が許すべからずとせる簒奪の企図をすら日本皇帝の名において是認
せしめんとし、政局の紛争を利用して堂々たる大帝国の内閣が一たび動揺したるにあらずや。維新革命が諸侯と武
士とを断頭台に送らざるを得たる天佑の一はもとより明治大皇帝に存す。しかもまた実に鎖国時代の日本の地理が海洋に
封鎖せられて国外逃亡を禁圧する必要なかりしをもってのみ。かの支那は日本の仁政の下に鼓腹せんと欲すと言へる
肅親王の鳴号がいかに愚呆と驕慢とに快よく響きしかを見よ。鳴号いよいよ大にして響音ますます耳に快よきに至らば、愚
呆と驕慢とは諸公に代はりて日本を統治しもって同族相食むの醜を万世に残すべし。あゝ天の命しかし支那を救はんと
欲せばこいねがわくは彼らをして日本に亡命せしむることなかれ。日本とフランスとが革命の道程において順逆難易ほとんど天地の相
異ありしゆえんのものは、実に亡国階級らの国外逃亡の有無に存す。国際戦争において尊とき数百万の屍を砂上に横ふる
ことも、国家の独立に避くべからず。さらば革命の支那はまた等しく国家の存立の為めに許容すべからざる犠牲の数
十万人をおしむものにあらず。断陽の涙を呑みて勲功第一の忠臣を討伐せざるを得ざりし明治大皇帝に顧みて魔界の
残類を屠りて蒼生*8を塗炭に救はんとする新統一者の折伏を妨ぐることなかれ。あるいは身命と財産とを外国租借地に運び
て保護を白人の国旗に求むるものあるべし。これかってフランスの貴族が為せしところ。日本はオーストリアに学びて彼らの悪
を擁護せんが為めに兵を進むるの不義を為すべからず。あるいは東洋に実カを及ぼすあたわざる空虚なる租界地の権利な
るものを無視すべし。千里の遠き本国にある兵艦を指して威嚇する保護者を衝き飛ばして国権の発動を自由ならしむ
べし。しかしてさらに万悪なさゞるなき袁大総統を庇護し煽動せる○○○○○*9のポケツを捜らずして止まんや。−−全
地球の義人をして怒髪冠を衝かしむる大罪悪を秘めたるポケツよ。日本は日英同盟の誼によりて再び三たびそのイン
ド巡査となり団匪乱に兵を派せしごとく、白人侵略者の生命財産を保護すべく同胞の血税を不義に絞らんとするごとき
ことあるべからず。彼らはもとより官僚討伐の中道において列強と事を構ふることを好むものにあらず。外人の横暴に
対してはあるいは暫くの間涙を呑みて忍辱することあるべきも、恐らくは維新革命後の拝跪屈従のごときものあらざらん。
しかも中世的階級らが外国の国旗に保護を求むること絶えず、また列強これを幸いとしこれをくみし易しとせば、必ず
やフランスの発狂に一変すべし。義和団匪の敗はなお馬関の団匪が連合艦隊に降伏せしがごときのみ。しかも馬関団匪あ
りて日露大戦ありしならば、彼らがフランス的発狂に駆らるゝとき、小ボナパルト将軍*10の出でて義和団匪をアウス
テルリッツの野*11に指揮することなしとせんや。日本はイギリスにあらず。日本を亡ぼさんとするものは神武帝の神霊ありて
処分すべし。−−日本の天啓的使命は一にただ支那をしてフランス革命の狂乱に駆らざる事にありとせずや。諸公。支
那の革命が維新革命の跡を迫ひ、しかして維新革命と等しき中心人物をその指導者と国民とが渇望しつゝあるならば、
いずくんぞ利剣を持てる如来の降下せざるを保するものぞ。しかしてさらに諸公。かかる意味の中華民国大総統とはいわゆる投票神
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聖論者の期待するごとき翻訳的議会より選挙さるゝものにあらず。すなわち王党の議員と武士の投票によりて進退推貶さ
るゝものにあらずして、天の使命をうけ国民の渇仰によりて立てるものなるは論なし。故范君はこれを称して諸葛
孔明の心をもってするナポレオンの行と云へり。総統一人の責においてするとはた少数革命家の集団に任を分つと形式は問ふ
の要なし。支那の共和政がその大総統を白人のごとき選挙運動と議員の投票に求めずして天命と民意の上に立たしむ
ることは、不肖これを彼と区別せんが為めに『東洋的共和政』と名けざるを得ず。『東洋的君主政』は二千五百年
の信仰を統一して国民の自由を擁護扶植せし明治大皇帝あり。『東洋的共和政』とは神前に戈を列ねて集まれる諸
汗より選挙されしオゴデイ汗が明白に終身大総統たりしごとく、天の命をうけし元首に統冶せらるゝ共和政体なりとす。
近代支那と近代日本との相異は終身皇帝と万世大総統との差のみ。連綿の系統なき支那は日本に学びて皇帝を尋ぬ
る事を要せず。ナポレオン魔界に落ちてその小僧に主権を私有せしめんとせし覆轍は、後の統一的英豪において深く戒むべ
き所。革命生起以前の一文において孔子の子孫を仰いで国家の中心たらしめんと言へる章太炎の戯れは、ルイを失へ
る後のフランスが適帰する所なかりしと同じき無組織時代の不安に過ぎず。欧米の共和政治がギリシャの古代に理想の回
顧を有せしとせば、黄人の共和国はさらに近き中世史蒙古の建国に模範を持てり。実にチンギス汗と云ひ、オゴデイ汗と
云ひ、クビライ汗と云ひ、君位を世襲継承せし君主にあらずして「クリルタイ」*12と名くる大会議によりて選挙されしカ
エサルなり。しかしてカエサルのローマよりもはるかに自由にはるかに統一しさらにはるかに多く征服したり。翻訳より脱せよ。
黄人の大総統はアメリカのごとき開墾事業の大村長の意義にあらず。不肖ら蒙古人の有せし大共和国はカエサルのごとき凡
俗の雄なる者にあらず。常に神を視、神に接し、神と語りて、今の欧洲列強に向つて数百年間の大征服を行い、もって彼ら
の暗黒時代を覚破せし如来の使なりき。白人は共和政の専有者にあらず。君主政的中世史の暗黒なりしが為めに古代
のそれを回顧したるのみ。革命の支那は自由と統一との覚醒によりてまさに最も光輝ありし共和政的中世史のそれを
探りてオゴデイ汗を求めんとす。明治大皇帝とオゴデイ汗と、これ実に君主政と共和政の本質。元来白人の知識は独り
自らのみ有すと独断する二種の政体そのものを理解せず。
 ここにおいて問ふ者あらん。いわく、何人かよく終身大総統として国民と統御し得べきオゴデイ汗なるやと。しかしながら
諸公。これ占い師に向つて発すべき問いにして不肖のもとより答へ得る限りのものにあらず。ただ試みにナポレオンをして答
弁せしめよ。革命とは地震によりて地下層の金鉱を地上に揺り出すものなりと。支那の地下層に統一的英豪の潜む
ことは天と国民の渇望とが証明すべし。これを人目に触れしむることは地震の後なり。今の革命が山を崩づし地を裂
くの震動に至りて始めて光輝を放つ人のあらば、すなわちそれなりとす。議会はあるいは選挙すべし、あるいはせざるべし。天
の使命は必ずしも言論の機関を借りて降る者にあらず。救済の仏心と折伏の利剣とをもって、内各省の乱離を統一し、
外英露の侵略を撃攘し、もって天を畏れ民を安んずるの心を失はざる者あらば、これ天の命じ四億万民の推戴するオ
ゴデイ汗にあらずして何ぞ。あえて全く衆議の府を要せずと言うにあらず。しかも議会の饒舌は英雄を沈黙せしめ、民意を代
表すと称するものゝ投票は革命の時において特に天意に叛逆す。もとより日本が白人に学ぶ所ありしごとく彼の長にして
我の短なるものは補ひてもって制度とすべし。ただ中華民国の大総統は刃にくじりて得べく、またきじれる刃を提げて保たざ
るべからず。大統領ナポレオンしかり、明治大皇帝しかり。これ革命後においては統一者その人のみが国民の自由を代表し、しかし
て議会または世論に拠るものゝ多くが反動的意志を表白する者なればなり。もとより大総統は革命の元勲らによりて補
佐せらるべし。しかも彼らは投票の覚醒なき国民の法理的無效なる投票によりて議会に来る者にあらず。旧権力階級を
打破せる勲功と力とによりて自身が自身を選出すべきもの。断じて世のいわゆる人民の選挙にあらず。すなわち適切に言へば、
彼らは新国家の新統治階級を組織すべき『上院』の人なり。真に国民の自由意志を代表する『下院』は、下院を組
織すべき国民を隱おおせる今の中世的階級を一掃屠殺したる後ならざるべからず。故范君の自由は十年後と言へるもの
明かにこれなり。彼の戸籍法すらなき今の支那に議院政治を望むは不可能なりといふものゝごとき、等しく戸籍法な
き時代のフランスの国民議会と革命議会がまた実に自己選挙に依る指導者らの集会なるを解せざるもの。フランスのそれが
自由の確立せる今日の文明国に見る議会と基礎において全く別個なるごとく、支那の上院は革命元勲者の集会にして、
不可能不合理なる国民の投票によりて来れるものにあらず。−−今次の革命によりて立つペき大総統と上院とは大汗と
諸汗との蒙古共和国に範を求むべし。断じて投票万能のドグマに立脚する非科学的・非実行的なる白人共和政の輸入
に禍さるゝなかれ。自覚ある公乎なる国民の選挙がナポレオン法典*13の完成するまで数十年間フランスに不可能なりし真理は、
159
代官階級を一掃し終はるまで支那においてまた不可能なることを断言せしむ。不可能とは不合理の言いなり。ラファイエ
ットらがアメリカの開墾的政治をもって革命を律せんとせし不合理のいかにフランスの革命的進行に価値なかりしかを鑑み
よ。不合理に基く不可能事を東洋的共和政に輸入せしむべからず。維新革命は白人の革命を取捨採択して自ら有す
る東洋的君主政を建てたり。支那の革命はまた彼らの長短を批判して黄人独自の合理的にして可能なる東洋的共和政
を樹立せざるべからず。儒教の害毒は事物の真をおおひて常に形式に走り、太祖皇帝・太宗皇帝と諡名して蒙古共和国
の大理想を隱おおす。しかも剣を横へて神前に集まれる数百の諸汗が大総統を選出してこれを大汗となす者、古代ローマ
にこのすべからざる大共和国にあらずや。支那においては不合理にして不可能なる衆議院は今後約十年明かに不用なり。
東洋的共和政は大総統と上院にて足れり。しかして上院議員は幾険難を踏みて中世史を打破し、さらに近代的自由を擁
護せんとする鮮血の勲功を帯びたる諸汗たるべし。投票と空論と虚名とによりて来るべからず。終身大総統はこれら
諸汗議員の推挙を受けもしくは承認を求め得るほどに、存亡の過渡期を双肩に荷ひて打破建設のすべてを統御し、もって
割亡を協商し同盟する外敵を撃攘せる護国救民の一大恩主たるべし。軽浮なる官吏と名利に餓えたる支那浪人に理
解され得るごとき驕児と肉食者流とは与からず。『何人が然るか』の問いはナポレオンの答弁にて足る。不肖は『何をか東
洋的共和政と言う』の根本義を提げて諸公の雄大なる心胸を叩かんと欲す。
 あゝ蒙古大汗を意昧する大総統と上院の諸汗よ。かかる大理想に生れたる中華民国は内に対して武断政策を取ると
共に外に向っての国是は軍国主義ならざる可らず。これナポレオン大汗の共和政にして、武断と軍国とは自由に反すと言う
がごとき愚論家あらば、まさにロベスピエールによりて自由の名の下に断頭台に行かざる可らず。同一なる中世史にして
支那の代官的中世史と日本の封建的中世史との相違は、日本の武士制度なりしに反して彼は文士制度の邪路を踏み
し事の一に存す。一毫千里の差*14とは実にこの言い。今の知識界はすべて白人の悪影響を受けて万般の事人種民族と云
ふがごとき生理的物質的解釈に求む。しかも六千年の歴史は国家の興亡が実に国民の多数に抱るゝ心的傾向によりての
み決する事実を挙証せざるはなし。日本がすでに早く旭日の興運を迎へたるに係らず、支那の今日なお亡国の淵を渡ら
ざるを得ざるゆえんは、一に文武の二途に別れたる国民の心的傾向に存す。皮膚と瞳睛とが国運を決する者ならば白
人に古来亡国史なく、近時日本海に欧洲の恐怖が覆没せざるべく、独帝ハインリッヒ二世と王妃アンナ*15の血髑髏が
蒙古共和軍の馬腹を飾らざりしなるべし。日本と支那とが同種なると異族なるとまた問題にあらず。したがって二国の興亡は
生理的現象に考ふる皮相なる物質的知識を翻訳しては察すべからざるものなり。すなわち一に中世史に入りて千里の差を
生じたる両国民の心的傾向の考察に存す。支那の文弱による亡運は儒教にあり。日本の武断至らざるなきの興運は
仏の大乗に出づ。夷狄の迫るものある時、民を率いて避くの儒教はあたかもモーゼの羊群と共に浪々たりし惰弱なるキリスト教
のごとく、慈悲の為の折伏を教ふる仏の大乗はコーランと剣を持てるイスラム教もまた及ばざる遠し。日本は二者共に彼を経
て彼れに受けたり。しかも彼は興国教の大乗仏を日本中世の明君賢まさに残して、自らは亡国教の孔孟*16に捉はれつゝ一
千年の暗黒に蠢動たりしとは何たる遺憾ぞ。もとより時代の交迭期に至りて、教理の守持者が墮落すると共に教理が
他の代はれる階級に守持せらるゝ事は事実なり。すなわち支那の文士制度は治国平天下の論策を職業となし、行政的能
力なき者が官を売買するに至りて亡びたり。同様に、日本の武士制度はまたその道徳的基礎たる忠君を家伝の売薬と
等しき一家糊口の営業となし、ついに拠つて立つ所の軍事的能力を失ふに至りて亡びたり。しかしながらこれ守持者の
滅亡にして教理の滅亡にあらず。慈悲と折伏の妙法蓮華経八巻*16は明治大皇帝の手に守持せられ、武断政策と軍国主義
の心的傾向は自由民の全部に普及して日露大戦となれり。支那はいかん。彼らはすでに科挙の法と名くる文士制度の最
も墮落せるものを捨てたり。君臣の義を立国の基礎とする儒教は共和政治によつて抛たれんとす。孔・孟は章太炎の
爬羅剔抉*18によりて完膚なし。しかも儒教に発せる文士制の害毒は中世的文士の亡ぶると共に今やかえって革命的階級のある
る部分と国民との心的傾向に宿りて、−−見よ一たび言論文章の徒に大総統と参議院を委ねたり。これ答案を英文
または日本文に求めたる形式の変さらに過ぎずして依然たる科挙法の精神を継承する者。空虚なる言論を崇敬する文弱
なる心的傾向なくんば、誤謬の知識を伝ふるに過ぎざる英語の達人を大総統に迎ふるの理あらんや。参議院議員の
多くは血を浴びて来れるものにあらずして文名をうりて建国の功を窃まんとせるものなり。彼らは大勢に浮流する塵
埃にして大勢を捲煽する原動力にあらず。支那はこの心的革命においてフランスと等しき恐るべき断崖に立つ。彼において
はキリスト教が悪魔の寺院に拠り僧侶が神の名の下に王貴族と共に罪悪階級を作れる時、『革命』は僧侶を追ひ寺院を壊
161
ちついに神を否定しグレゴリオ暦を廃するに至れり*19。儒教と共和政の絶対的不両立は明に革命支那にフランス革命を要む。堯・
舜の禅譲と言う酋長的生活時代の伝説*20を民意に依る交迭に牽強附会*21し、また人民主権説*22を一夫紂論*23に捜査するなかれ。
君臣の義を人倫の大本となし政道の根軸とする教義は、その枝葉といえども共和国に公許すべからざる異端邪説となれ
り。平和なる無抵抗主義の信条は、支那の山河が天下のすべてなりと考へし時代にすら多くの価値なきものなり。武断
政策によりて各省を統一し、軍国主義を掲げて外敵を撃攘すべき救世済民の英雄を弾劾する結論に導くに至つては、
寸言の存在をも許すあたわず。−−すべての革命は国民信念の革命なり。形式のみの墮落は寺院を壊ち僧侶を逐ひてた
れり。教理そのものに対する革命家は支那においては太古ただ一人の秦始皇帝ありしのみ。『書を焚き儒を坑に』*24せしと伝
へらるゝもの、後の反動は是を別個の説明に求めざるべからずといえども、要するに孔・孟の文士教をもってしては禹域の統
一断じて望むべからざるを洞察せしが故なり。維新革命また信仰を洗練し復興したり。しかも日本建国の神道そのものが剣
の教たる点において、明治大皇帝に守持せられたる大乗仏は八百万神の守護の下に一切の教義信条の上に君臨したり。
支那は日本に与へたる慈悲と折伏の経典を失へること一千年。儒教の貧弱暗愚はトルストイズム*25よりも甚しく、勇
猛なる霊的動物を残賊して今の支那人を作れり。彼らは仁を口にして仁ならず、義を書して義ならざるは軽侮観者
の言ふ所に偽なし。信ずる者を要せずと訓へたる因果応報は儒教の上に報いて儒教そのものを信ずる者なし。衣冠束帯
の形式的扮飾は儒教の文明なるゆえんにあらず。霊的動物が勇猛精進の心を失へる場合においてあらわるゝ繁文縟礼*26のみ。
礼儀三千威儀三百とは亡国期の宮廷生冶において列国然らざるものなし。華麗なる文字を列ねて一躍富貴に居り万言の
封冊を奉りて名聞一世を空しうするの国において、いかんんぞ無言の死をもって国に殉ずるの仁、一諾の誓に勇んで火中
に投ずるの義を求むべけんや。神の姿を見ず神の声を聞かず神と与に謀ることなき儒教は断じて国民の信念を支配
する教義にあらず。孔・孟の徒は少々大なる文士。その語録を点検すれば単に口舌をもって仕官を遊説せし断片的政談の
み。あゝかかる教義を金科玉条*27として文士制度を一貫せし支那は禍なるかな。政談をもって国家の理想とし文士猟官の
文字を拝して治者の信条とせば、巧言誑語射利漁色*28の国風を為して救ふべからざるに至りしは論なし。彼の異人種
の征服者が一たび支那に移住するやその文明に征服を報復せらると論ずるもの、これその文化高きが故にあらずして儒
教の毒悪触るゝもののすべてを退廃せしめずんば止まざるの言いのみ。何ぞ支那文明の優秀を証するゆえんならんや。また
何ぞ満人と民国とを問はんや。−−諸公。支那は四千年未曽有の革命を為さゞるべからず。彼は全部か然らずんば
皆無かの断崖に立てり。彼は武断政策を取りて中世的代官を一掃し各省の乱離を統一せざるべからず。これ流血を
戒めたる儒教に反す。彼は軍国主義を取りて露の北夷を討ち、英の南蛮を破らずんば自己の生存を失はんとす。こ
れ非戦を義とし無柢抗を仁とする儒教に反す。彼は中世史の蒙古共和国を理想とすともフランスの共和政が古代ローマ
のそれと異れる近代的建設なるごとく、四億万民の自由の上に築かるゝ近代的民主政を求む。これ忠孝をもって人倫の
基本とし、君主政をもってただ一の政道とする儒教と反す。しかしてすべて国家の統一と国民の自由の為にまさに屠殺さるべ
き中世的代官らは実に孔・孟の文士教を信仰する文士制度の遺類なり。−−オゴデイ汗と上院の諸汗とは書を焚き儒を
坑にすべき大使命の下に立てる者ならざるべからず。あるいは難事なりと言うものあらん。否、易々掌をひるがえすごときの
み。必要は万事の母。国家と国民とはその独立生存の前には為さゞる所なし。第一革命において共和政を樹立したる
ことその事がすでに儒教の否認なり。官僚討伐その事が文士階級の一掃なることにおいてまた儒教の終焉なり。内武断政策の
外なく、外軍国主義をもって防がざるべからざる必要の母はまさに新なる国民的信念を孕みたり。全世界の春秋戦国た
る現時において不義不仁なる儒教の存在し得べからざることは、その教祖らが生れし時代に容れられざりしごとくに国
民の心胸より拒斥されたり。実に儒教によりて建てられたるすべての旧制度がいささかの抵抗力なくして破壊されしことは、
その教義その自身がすでに国民的信念より消滅せし事を示すものにあらずや。フランス国民は神の名によりて行ふ悪魔の跳
梁に堪へざるに至るや、彼らは神そのものより否定して常に異教徒なりとせるギリシャ・ローマの古代に政体と信仰とを求めた
り。漢民族が蒙古共和国に亡ぼされしゆえんは断じて民族性と誤称さるゝがごとき生理的約束にあらず。一に貧弱暗愚
なる儒教が支那国民の心的根本を腐爛せしめたるが故に、神意に依りて揮ふ折伏の剣に当るあたわざりしが故のみ。
彼らは鬼面せる我が神の使徒なりき。−−東洋的共和政はフランス人が為せしごとく黄人自らの有する政体と信仰の回顧よ
り始めざるべからず。同一なる革命前に至るまでの暗黒時代において日本が武士制度を採りて今日興隆の因を播き、
支那が文士制度に誤られて今なお衰弱の果を拾ひつゝある根本を洞察せよ。実に非戦無抵抗の政談と慈悲折伏の大乗
163
仏との心的傾向に淵源す。往年の蒙古大共和国と今の大日本帝国と、何ぞ言論文章によりてその大を為さんや。諸
公。不肖らが危きを踏み険を冒かして隣邦諸友を鼓舞指導するゆえんのもの、実に今の支那が数千年のすべてを否定して
ある何らかの者を求めつゝあるをもってなり。求めよ、さらば与へられん。彼らは自由のパンを求めて孫逸仙より米
国制の石を与へられたり。彼らは再び統一を求めて袁世凱より孔子尊崇の亡国教を与へられたり。求めて止まざる
ものはついに得べし。−−オゴデイ汗の大共和国の慈悲折伏の妙法蓮華経と、何ぞ豪古民族と明治大皇帝の専有ならんや。
 この推論は支那の覚醒が世界の恐怖たるべし言う黄禍論に裏書きするものなり。大にしかり。粟小日本群島の覚醒に
してすでにしかり。いわんや四百余州四億万民の戈を提げて起つにおいてをや。
 
 
 
*1諸葛孔明:(しょかつこうめい)本名は諸葛亮(りょう)。三国時代の蜀の丞相。中国では天才的軍略家・政治家、理想的忠臣として講談・劇などで有名。
*2儒生:(じゅせい)儒学を学ぶ学生。ここでは「志を掲げた若者」ぐらいの意味か。
*3弥陀の手に利剣あり:利剣=仏教で邪悪なものを打ち払う剣。阿弥陀如来は手で印を結んでいるだけで、利剣を持っているのは不動明王だとおもうのですが・・・。
*4観世音首を回らせばすなわち夜叉王:十一面観音像の後ろの面は「暴悪大笑面」と言う恐い顔。夜叉面とはおそらくこの顔のこと。
*5折伏:(しゃくぶく)仏教用語で、悪人・悪法を打ちくだいたり、相手を強くせめて迷いをさまさせたりして、仏道に帰依させること。
*6カーライル:トーマス・カーライルのことだと思う。イギリスの批評家・歴史学者。「フランス革命史」で有名。その他、偉人の伝記を多数書いている。「英雄および英堆崇拝論」を書いており、俗人の大して物質主義・利己主義におぼれない英雄・天才の優越を唱える。「神人」とはこの英雄のことでは無いかと思う。
*7ポーランド分割:王朝の断絶後、国力が低下していたポーランドは1772〜1795年に掛けて周りの大国ロシア・プロイセン・オーストリアに三分割されて消滅している。
*8蒼生:(そうせい)国民。民衆。
*9○○○○○:原文のまま。だぶん元老、西園寺公望だと見た。彼は中国が日本のように朝廷を残したままの立憲君主国になることを望んでおり、色々と介入していた。
*10ボナパルト将軍:ナポレオンのこと。
*11アウステルリッツの野:アウステルリッツの戦い。フランス軍がオーストリア・ロシア連合軍を破った戦い。ナポレオン戦争の中でも最も見事な戦いと言われる。クラウゼヴィッツいわく「戦争芸術の粋」。
*12クリルタイ:中世から近世にかけて開催されたモンゴル族の最高意志決定機関。有力者が集まりハーン(中央アジア遊牧民の君主の称号)の決定、戦争、法令などを決めた。
どうも北のモンゴル帝国に関する知識は勘違いが多いと言うか妄想が入っています。こうなった原因は、もともとモンゴル帝国の歴史を書いた元史は中国二十四正史の中でも最も杜撰な物として有名で、北はそれを読んでいたためと思われます。正史は王朝が滅びた後に次の王朝が編纂する物ですが、元史の場合は編纂期間が短く、元朝が出していた生資料をそのまま書き写したような物が多くい。そうすると当然良い話しか残らなくなるので、通常は他の資料とつきあわせて編纂して恣意的な視点を排除して正確に記するのですが、それがまともになされていない。北はそれを読んで勘違していたと思われます。ただしモンゴル族は文字すら持たない未開の遊牧民からいきなり大帝国を作り上げたかなり珍しい例なので、帝国になってもいわゆる原始共和制的な雰囲気を持っていたのは確かです。中国史で他に原始共和制的雰囲気があるのは堯・舜の伝説王の部分ぐらい。しかも他の遊牧民族王朝は中国を支配下に置いた後には漢化して中国の制度を取り入れたのに対して、元朝だけはほとんど漢化しなかったことで有名。クリルタイにしても多数の村の酋長が集まり、村の間での問題毎を調停する大酋長を決める会議程度のもの。ただこれを近代共和制と同様視するのはどうかと思う。まあ「原始に帰れ」といったルソーと似ていると言えばそうなのですが。
*13ナポレオン法典:1804年にナポレオンによって制定された法典。種々の慣習法・封建法を統一した民法典で以後の近代法の規範となった。
*14一毫千里の差:一毫=一本の細い毛、転じてほんのわずかの意味。辞書にはないが「ほんのわずかの違いで大きな差がある」という意味だと思う。
*15独帝ハインリッヒ二世と王妃アンナ:この名前のドイツ皇帝はいない。神聖ローマ帝国皇帝にハインリヒ2世はいるが話の筋から考えるとたぶん違う。おそらくモンゴル帝国遠征軍と戦ったシロンスク公ヘンルィク2世(ドイツ語でハインリヒ)と間違えていると思われる。ただヘンルィク2世はポーランド王。ただし自身もドイツ騎士団の一員であり率いたのもドイツ騎士団連合軍。当時の国境を現在の物と同じと考えると間違えると思う。ただドイツ皇帝は間違い。
*16孔・孟:孔子と孟子。
*17妙法蓮華経八巻:法華経のこと。
*18爬羅剔抉:(はらてっけつ)かき集めてえぐり出す。人が隠している事をあばくこと。
*19グレゴリオ暦を廃するに至れり:ロベスピエールの恐怖政治の時代、今でも使われているグレゴリオ暦を教会に関係が深いとして廃止しフランス革命暦が作られている。ちなみに合理主義のロベスピエールらしく、曜日から時刻まで全て10進数の暦。ちなみに同時に作られたメートル法は今でも使われていますがこちらの方はほとんど普及しなかった。
*20堯・舜の禅譲と言う酋長的生活時代の伝説:堯・舜は中国の伝説上の王。儒教では聖王となっている。堯は舜に王位を禅譲、つまり生存中に世襲はなく徳の高い者に王位を譲った。舜は禹に禅譲し、禹は息子に譲り夏王朝を開いた。章炳麟はこのことを持ち出し、中国を共和国にする革命の根拠として使っていた。
*21牽強附会:(けんきょうふかい)自分の都合のよいようにこじつけること。
*22人民主権説:フランス革命でのフランス人権宣言、アメリカ独立宣言、孫文の三民主義などに取り入れられた国の主権は人民にあると言う説。たしかに君主とはどうあるべきか、臣下とはどうあるべきかの追求で国を安定させようとする儒教の思想とは相容れないものがあるでしょう。
*23一夫紂論:辞書にない。どういう意味?文脈からすると「暴論」ぐらいでは無かろうか?
*24『書を焚き儒を坑に』:秦の始皇帝が行った儒教への弾圧。書を燃やし儒者を坑(あな)に埋めた。
*25トルストイズム:19世紀ロシアの文豪、レフ・トルストイの思想のこと。彼の作品中の「平和主義」「無政府主義」は文学だけでなく政治的にも大きな影響を与える。明治後期から大正に掛けての文学の流行。
*26繁文縟礼:(はんぶんじょくれい)こまごまとしていて煩わしい飾りと、細かすぎて役にたたない礼式。形だけで、必要のない礼法のこと。虚礼。
*27金科玉条:(きんかぎょくじょう)尊ぶべき大切な法律。絶対的なものとして守っている規則・教訓・教え。
*28巧言誑語射利漁色:巧言(こうげん)=言葉巧みに言い回すこと。誑語(きょうご)=デタラメな誤魔化しの言葉。射利(しゃり)=ひたすら利益のみを得ようと事を運ぶこと。漁色(ぎょしょく)=次々に女を求めて情にふけること。
 
 
 
 
 
 
    十七 武断的統一と日英戦争
 
           各省の武断的統一−−行政的区画の各省を統一することは日本・フランスの独立国的侯国を統
           一せるに比して実に易々−−メキシコの動乱止まさるゆえんは米制に禍されたる各州の独立的
           権力にあるを鑑みよ−−馬上をもって取らざる天下は孫文のごとく、馬上をもって治めざる天下
           はなお蓑世凱のごとし−−支那はビスマルクの鉄血的統一を要す−−支那の革命は今の生ける
           日本人より何らの指導さるゝ所なし−−革命支那は軍国主義に築かれたる一大陸軍国たる
           べし−−制度に対する自己破壊は国民信念に対する自己否定なり−−フランス革命以後のキリスト
           教はキリストもまた多神中の一神として許容さるゝもの−−支那が儒教の文士制度・文弱文明を棄て
           ゝ一躍中世史蒙古の一大軍国に急転し得へき可能的推論−−すべての国家民族の興亡は国民
           信念の盛衰に根源す−−支那軍隊よりも怯懦なりしフランス陸軍が自由的覚醒の市民・農民の烏
           合をもって同盟侵入軍に対抗せし理論を革命支那の陸軍に推論せよ−−自由的覚醒なかりし
           時代のドイツ陸軍の怯懦−−自由的覚醒なかりし幕府軍また支那のごとかりき−−今の支那を以
           て革命支那の陸軍を推想する重大なる論理的錯誤−−支那の危機と統一および自由に対する
           覚醒はカルノーを出現せしめん−−スイス庸兵のごとき支那浪人の思議し得る所にあらず−−
           今の支那の軍隊は訓練すべきものにあらずして解散か屠殺すべきもの−−自由的国家的覚醒は近
           代国家のすべてを作りたるもの−−近代革命がカルノーを生み、山県公を生みしならば四億万
           民皆兵制度の革命は支那の黄禍を信ぜしむ−−革命支那の軍国的組織は英・露との衝突を意
           味す−−財政革命において支那はまずイギリスの財政的保護権と両立せず−−イギリスの長髪賊討伐
           なかりせば支那革命は日本より五十年を後れざりしなり−−仏領安南の介在によりて揚子
165
           江流域がインドの接壌的英領たることを免かれし天祐−−インドより安南・ビルマに通じ揚子江流
           域に至るイギリスの南アジア併呑策−−香港は支那本部経略の策源地−−第一革命の天意は支
           那がイギリスのインドたるあたわずと言う深奥なる根柢より出づ−−前後の虎狼たる英・露に対する
           日本の以夷制夷策時代−−革命支那がイギリスの債権を蹂躙せる時をいかんする−−香港はイギリス人
           のみならず、すべての白人の東洋経略の足溜なリ−−ドイツは支那保全の為めのただ一の同盟国た
           るべきものなりき−−山座公使の遺策を追想す−−今の日本に一の相模太郎を見ず。
 
 いえどもしかり、支那の革命がついに黄禍*1の恐怖たるべしの結論に到達すべくなお幾多の疑問に妨げらる。いわくいかにして各省
の乱離を統一して富強なるを得るや。いわくそのいわゆる英・露を討つて独立を保全するの途はいかん。兵備はいかん。財政は
いかん。外交の関係はいかん等。
 不肖は固く信ず。オゴデイ汗と上院の諸汗とはその武断政策をもって各省を打つて一丸となしもって唐代の郡県制度を
近代化せる大統一を敢行すべしと。これ真の革命的覚醒者に取りては容易なる可能事にしてかつ必然に断行せざる
べからざる急務なり。孫逸仙の翻訳的連邦制がアメリカ開墾事業の模倣に過ぎざることは先きに解説せり。しかしながら
ある種の顧問学者と精神的薄弱の為めに困難の予想に辟易する革命的系統とは、現時の政治的解体が各省に放縦な
る自由を与へ、革命の挙兵また『独立』の語を用いしを見てついに今日の二十二行省は支那に利益なる永遠的制度なる
かのごとく思惟せざるはなし。もとより各省おのおの多少の言語風俗を異にし、特に歴史的情操を引きて数国対立せし回顧
を有す。彼の揚子江の上流と下流と対話に官話*2を要し、南人と北人と風紀性格の甚しく相異せるごときを地理的阻隔
の例証とし、また洪秀全の乱*3においてその広東的勢力を打破したるものが、曽国藩*4の湖南的勢力なりしごときを歴史的阻
隔の例証とするごときこれなり。然かしながらこれ支那民族の特有物にあらざるはもちろんなり。薩長藩士と青森藩士と
の講和談判に謡曲の音曲的古語をもってしたることは彼らの間に相通ぜざる時に筆談すると異ることなし。各省に歴
史的回顧を有することは各藩にそれを有するがごとく、薩州が会津藩と連盟して皇室を擁立せんとしたる長州青年を
京都より撃攘したる*5ことは革命の数年前なりき。維新前の各藩は理論上その統一の困難においておのおの異なれる統治者
の下に截然たる政治組織と区画とを有して対立したり。支那はすでに強力なる一主権者の下に対立的関係を一掃され
て今の二十二行省となれるもの。独立的各省の困難とは日本に見たるも支那の統一において言うあたわず。あるいは日本と異
なれる困難として異民族の雑住を挙ぐべし。さらばフランスを見よ。ノルマン、プレトン、ガスコン族*6の頑強なる抗
争をなし、特に侵略によりて得たる領土なりしが為めに、無数の大小侯国は司法、行政、税法のすべてにおいて全然異
なれる独立的対立を為せしにあらずや。彼は革命起りたる後といえども直接選挙制を取るあたわずして間接法に拠らざる
べからざる程の地方的分立を持てり。彼らの間にいささかの一国的理解の連絡なかりしことは、地方の騒擾を都市は無関
係となし、パリに革命起りしことを農民は数ケ月間聞知せざりしを以つて想察すべし。一石の投下が全局に呼応す
るごとき支那現時の画一的覚醒とこのすべからず。しかも革命政府の勇敢なる統一は八十三県五百四十七郡の一個フランス
共和国を組織したり。かくのごとく日本の封建的分立、フランスの大小侯国の独立を統一せし革命的建設に比せよ。すで
に一主権者の下に統一せられたる跡を継ぐに過ぎざる支那の郡県的統一はその難易ほとんど同一の談にあらず。否、支
那が日・仏のごとくその中世史において封建君主の独立的統治を見ざりしゆえんのもの、一に山岳湖沼の天然的区画なき地理
に原因するを察せよ。さらば黄河と揚子江の大平野を眺めたる旅行者は、何が故にナイル河を渉りてエジプトの中央集
権なるべきを看破せしナポレオンのごとくならざるや。アメリカ植民地を翻訳せる虚名空言のラファイエットは故国に帰へりて二
十三の小共和国の連邦を夢想して断頭台に引かれたり*7。これ相似たる孫君がまさに相似たる運命に走りつゝあるに対
照すれば足る。メキシコの動乱絶えざるゆえんは米制に禍されたる各州の独立的権力にあり。彼れの各州は支那の各省
都督制のごとし。第一革命を序幕にて閉ぢたるゆえん、第二革命に国民の加担せざりしゆえんは実に各省の独立的権力に
よる武力的抗争が支那の存立の為に許すべからざる危険なるを覚醒したるに基く。さらば各省を打破して盛唐の郡
県制に統一せんとする中央集権的大総統は国家と国民の讃歎して止まざる所なるべきは論なし。しかして中世的代官
階級はあるいは都督となり紳士となりて諸省に残存すべきが故に、自己らを掃滅せんとする新権力者に対して極力抗争
し、恐くは外国の後援を引きて対立を計ることフランス貴族らのごとくなるべし。−−解決は文士の空論にあらずして兵
馬の間に現はる。始皇帝の儒教撲滅政策に反動して勝てる漢皇に向て彼の文士空言を為していわく。沛公*8馬上をもって
167
天下を取れり、しかも馬上をもって天下を治むべからずと。何たる愚教ぞ。古今東西天下を治むるに馬上をもってせざる
者なし。現時のいわゆる武装的平和と名くる者明かに武力をもってせずんば平和を保つあたわざることを実証するもの。馬上
をもって取らざる天下は孫文のごとく、馬上をもって治めざる天下はなお袁世凱のごとし。見よ、今のドイツは馬上によりて起
り、馬上によりて統一し、馬上によりて富強となりつゝある生ける証拠にあらずや。彼が統一されざる分立時代の
醜態を見よ、ほとんど袁世凱の支那のごとし。フランスの侵入軍に対して先きを争ひて降り数十騎の召喚によりて堡塁の陥
落せることは清末のごとく、首都に入れるフランス国民軍に媚を献ずるは朝鮮人よりも醜くかりき。イェーナの敗戦*9に至
ては旧都ケーニヒスベルクに蒙塵*10して償金一億三千万法を支払ひ国土の半ば以上を割譲し、実に僅々四万二千以上
の常備軍を養ふあたわざる条約に調印せしめられたり。シラー*11の愛国的叫号なくビスマルクの鉄血政策なくんば、
今のドイツは五十年前に地図面より抹消されたるものなり。支那がメキシコたるかドイツたるかの決論は叛逆すべき各省を
討伐して遺類なからしめんとする武断的大総統の有無に存す。当年のフランスが二十三の共和国にて隣強の分割同盟
より免かれしと言はゞ可。今の日本が三百諸侯を独立せしめたる連邦国にてロシアと戦ひ得べしと言はゞ可。−−
フランスと等しき分割の危機に面してしかも対露一を断行せざるべからざる今の支那を観察するに、各省の自治連邦を
言ふ者のごときは断じて学者の見識にあらず、顧問の市価をだに有せず。支那の革命は維新革命に多くの啓発を受けた
り。今の生ける日本人より何者をも指導さるゝにあらず。かって故宋君法制院総裁たりし時ささやききていわく、余は知識材
料を供給する助手としての日本人の学者を顧問に求むるのみと。維新革命そのものを理解せざるごとき現時の卓上観察と
書斉的断見とによりて支那革命の進展を褒貶するがごとき現時の日本を見て、不肖はただに隣国の不幸のみならざるを
恐る。(故にいわく、顧問の押売のごときは深く顧みることを要すと。)
 この武断政策に依る郡県的統一は当然に中華民国を軍国主義の上に築づくものなり。すなわち不肖は革命の支那が一大
陸軍国たるべき可能的目的に向つて躍進すべしと推断せんと欲す。愚呆と驕慢とは一斉に嘲笑して云はん。足下の
議論は自家撞着にしてかつ一種の楽天的空想なり。足下の言ふがごとく支那が文士教に毒されし理由は一大陸軍国た
るべき推論を許さゞるものなり。十年間に二十五万哩の鉄道と五百万の兵を得べしと放言せる孫逸仙は足下の空想家
なりとするゆえんの一にあらずやと。しかり、自家撞着なるが故に革命は真理なり。不肖は孫君の空想を是認し保証する
ものなり。諸公。革命とは数百年の自己を放棄せんとする努力なり。制度に対する自己破壊はすなわち国民的信念に対
する自己否定なり。見よ、フランスの建国より中世史まではその信念と制度とをすべてキリスト教の帝王神権説*12によりて立て
たり。したがって近代革命は帝王の神聖を打破すると共に当然キリスト教に対する信念の否定となれり。神の代わりに女優を
祭り、愛の代りに『道理』を拝し、旧教の寺院につぎて新教の僧侶に奪ひ、キリストの禁ぜしすべての背徳乱倫を為さず
んば王党の嫌疑をこうむり、『道徳家なるが故に』ギロチンに引かれざるを得ざりき。建国以来フランスのすべてがキリスト
教による生活なるに係らず、彼らはキリスト以前のギリシャ・ローマの『異教的文明』に信仰と制度とを求めたり。したがって今の彼
に存する教会は単なる形式の残骸にして、一点の信仰にあらざることは政教分離によつて証明せらる。統治的階級の
信念となり、国民大多数の心的傾向に信仰せらるゝならば、反対的信念の存在を認容せざる国教の強迫に至るべき
は人性と歴史に鑑みて明白のことなり。ナポレオンの後一種のリヴァイバル的現象をていせしはキリスト教的信仰の洗練されて
復活したりといふも可。しかも徹底的に理解すればローマ文明の万神教によりて−−キリストもまた多神中の一神として−−
許容さるゝに過ぎず。絶対多数の欧米人の信念はローマの現世教のごとく、裸体美を讃美して乱倫淫蕩至らざるなき肉
慾教なり。すなわちキリスト教的信念はフランス革命において制度と共に亡びたるものなり。−−革命の自己否定が一国民をして
建国精神をなせる文明より一転せしむる事おおむねかくのごとし。さらば革命の支那が儒教の文士制度と共にその文弱文明
を否定して豪古共和国の軍国主義に急転し得べき事は、実に革命なるが故の真理なりとす。革命なるが故の真理が
欧米人を一朝に全然異なれる古代文明の民主的制度と肉慾的信念とに改造せしめたり。さらば中世史蒙古のなお武的
一大陸軍国に支那の制度と信念の革命さるべきは推想し得べし。諸公。翻訳的低脳児の口を藉るが故に孫君の五百
万強兵説は空想家の空言なり。彼は革命の根本義が伝襲的文明の一変、国民の心的改造に存する事を理解せず。一
に白人をもって先進国なるかのごとく崇拝するの余り、その皮相を模倣して足れりとするに過ぎず。根拠なき言論の空想
なるべきは論なし。同一なる民族が同一なる信念と同一なる制度に改造せられたるならば、略々同一なる結果を推
想し得べしとする不肖の根拠は、彼徒のそれと自ら選を異にする者なりと信ず。実にすべての国家と民族の興亡は信
169
念の盛衰に根源す。ローマがある信念によりて興りある信念によりて亡び、ポーランドがある信念によりて興りある信念
によりて亡び、フランスがある信念によりて興り、ドイツがある信念によりて亡びんとし、しかしてある信念によりて蒙
古人の彼れがごとく偉大なりしものゝある信念によりて今のごとく貧弱なる、−−これ古今東西興亡の神髄なり。亡国
教の為めに常に異人種の侵略に悩みし支那が、ある偉大なる他の者の把握によつてかえって倒まに征服の鉄鞭を挙ぐ
る一大陸軍国に至り得べきは一にただ革命なるが故の真理なり。すべての鍵は国民の心的傾向なり。亡国階級に率いら
れたる当時のフランス軍隊と革命政府の下に集まれる無訓練烏合の国民兵との差等を一顧せよ。将校のすべてが貴族に
占有されしことあたかも維新前の武士が護国の権利を独占せしごとくなりしが為めに長剣肥馬の美は至れり。しかもオーストリア
一国の交戦に用いし時一兵を見ざるに営を棄てゝ逃がれ一弾を放たずして走れることほとんど満洲旗人に等し。フランス
革命が欧洲を征服したることはナポレオンの軍略与からざるにあらずといえども、帰する所国民の自由的覚醒に依る国家的信念
に存す。見よ、ナポレオンの現はれざる以前トルコを撃破して来れる新勝の独・墺同盟軍に対戦せしものは、実に貴族の亡
命したるが為めに指揮官を失へる五万の補充兵と九万五千の市民農夫の烏合なりしにあらずや。彼らは自由の覚醒に
よりて国家が王貴族の私有財産にあらずして彼ら自身の責任に存する信念に赤熱したり。彼らはその権力階級の逃亡
によりていささかの防御力なき裸体の国家を負へるものなりき。彼らは侵入軍がセダンに陣しロングビーを陥れヴェルダン
を砲撃しつゝある絶望的亡国を守らざるを得ざるに加へて、かっておのれらの支配者たりし人々が敵の嚮導をなし、王その
人の売国奴を処置せざるべからざる未曽有の内憂を持てり。彼らはさらに英艦隊に擁護せられたるルイ十七世のトゥー
ロンに挙兵せるを防がぎるべからず。これを支那に取りて説明すれば、英・露の分割同盟軍に日本の参加し今の各省
都督諸将軍らがその嚮導をなすに対して、年少なる革命政府と擾々たる農民とが護国軍を組織せりと言うことなり。
諸公。同一同時代なるフランス人にして亡国階級に率いられし時は今の支那軍隊よりも怯懦に、自由的覚醒による国家的
信念に立てる時は三国同盟軍を撃退してナポレオンにいささかの邁憾を感ぜしめざりしにあらずや。自由意志に基く信念覚醒なき
時代のドイツがフランスの自由的国民軍に降伏せし時間は一週日半を要せざりき。その卑怯無気力にして非愛国的なりし
ことは宗社党の公達も及ぶべからざる醜態なりき。しかも自由と統一を得たる後の彼らはビスマルクの指揮の下にル
イ・ナポレオン皇帝と、将軍六十六人と士官六千人と卒十七万人とをセダンに捕虜とせる*13にあらずや。否、七百年の
中世史を武士専制をもって一貫したる戒厳令政治の日本といえども、幕府の亡ぶるに当つてはいかん。単なる砲撃に駑きて
三百年の主権者は将軍旗を大阪城に忘却せるほどの狼狽をもって遁走したり。しかしてさらに驚くべきことは数万の武士
階級中一人の立ち帰りてこれを取らんとする勇者なく、市井の匪徒新門辰五郎*14を煩はしてようやく全きを得たるほどな
りき。これ黄興の逃亡せる後に年少何海鳴*15を指揮者として堅守せる南京軍よりも怯懦なる大和魂にあらずや。諸
公。革命されざる今の支那をもって革命されたる将来の支那を断ずるはルイのフランス人をもってナポレオンのそれを推し、徳川氏
の大阪城をもって乃木将軍の旅順攻撃を考へんとするごとき重大なる論理的錯誤なり。革命とは軍隊腐敗して革命勃発
すら防御し得ざるをもって起るもの。すなわち革命の起れる事その事が軍隊の価値なきことを立証するものなり。この論理
的錯誤に気付かざる混迷者を指して是を支那通と言う。いずくんぞ知らん、ペリー、ハリス*16らが『虚言人種なり』と書
き残し『亡国のみ』として立策せる我が日本の軍隊が後年大ロシアを撃破せし事実のごとくに、革命の支那は混迷者
の妄評を無視して黄禍の濁浪を巻くのはなはだ遠からざるを。スイスの傭兵によりてようやく秩序を維持せしごとき軍隊の腐敗
よりナポレオンの用い得べき強兵を作りしは何の故ぞ。国民の自由的覚醒による愛国的信念とフランスの絶望的危機がカル
ノー*17をして将校を賤民農奴たりし階級より抜擢せしめ、強制徴集を断行し、弊風情実を打破し、王党の嫌疑を恐る
ゝより良家の子弟挙りて自衛的に入隊せしごとき軍政の一大革命を為さしめしをもってなり。支那の同様なる危機と、
統一及自由に対する国民的覚醒とは、カルノーの出現を思考し得ざるか。スイス備兵をもって見れば当時のフランス軍隊は
歯牙に掛くるに足らざる者と映じたるは論なし。同様に、孫黄輩に雇傭さるゝを栄とする傭兵者流は、また帰りて朝
野に報ずるに支那の軍事語るに足らずとしたり。−−軍政の根本革命の事、革命家その人を外にして傭兵的浪人らの
思議し得べき所ならんや。支那の軍国主義は今の軍隊を保持して単に軍事的教練を加ふるに過ぎざる教官顧問の招
致によりて得べき者にあらず。すなわちカルノーの問題なり。否、国民の軍事的精神そのものを一変すべき信念と制度に対す
る根本的革命なり。諸公。貴族と武士に国防の権義を世襲的職業とせしめたる事がフランスと日本の墮落時代なりき。
さらばそれらに砲術を伝授して教練することは問題にあらずして、それらの一掃を先決的急務とせざるべからず。袁冶
171
下の支那は同じく世襲的営業とせる八旗兵は除かれたりといえども、代官政治の精神によりて今の軍隊は最も廉価なる
悪種の浮浪漢を購買して組織せるものなり。−−諸公。支那のすべては打破すなわち建設にして弥縫を考ふる余地を存せず。
盗賊となる代はりに軍隊に傭はるゝ者、匪徒の集団が協商して代官の用に買収せられたる者に、堂々たる帝国軍人
と称する者何の体面をもって徒労なる教官を勤むるや。彼らはフランスと日本の為せしごとくことごとく解散せしむるか屠殺す
べきものにして、五国借款をもって養ふがごときは言語に絶する沙汰なり。日本は帯刀を奪ひて解散せしめ、聴かざる者
は西南役において屠りたり。フランスは始めより断頭台を用いその多くは逃亡したり。支那の軍隊処分策また国民軍と百姓
兵をもってすべし。今の彼らを養はゞ国を挙げて食ふも足らず。彼らが討伐を要するほどの流賊、数省を連ねたる叛
徒となる事は国民軍の実戦的訓練の為めにかえって望ましきことにあらずや。ナポレオンいわく、余は泥土の中より将軍を作れり
と。一大陸軍国たる支那の将軍は革命的青年と四億万民の泥土中より出づべし。自由的覚醒による国家的信念は近
代国家のすべてを作りたるものにして、今の列強の将卒また実にこの覚醒されたる信念の産物なり。真理は独り支那に
不公平なるべからず。自由の覚醒を得るとほとんど同時にフランスの農奴は全欧洲を蹂躙したり。明治五年に常備軍三万
〇六百八十人を有せし日本は、土百姓に国家的信念の普及すると共にロシアを撃破したり。四億万民の国家的信念
を自由政治によりて覚醒せんとしつゝある中華民国はまた必然に一大陸軍国として黄禍の恐怖たるべし。−−是を楽
天的空想なりと云はゞ維新革命はことごとく虚偽ならずや。山県公らの歴史的価値は東洋のカルノーとしてなり。全国の
武士階級が指笑する百姓兵を指揮して偉大なる西郷に指揮されたる亡国的軍隊を打破し、もって国民自身の自由的覚
醒による国家的信念を全国皆兵の現時に拡張せしめたる事に存す。したがって大西郷の征韓論を後年の理想に抑止したる
天意は、亡国階級を率いては外戦し得べからずと言う事にあり。国家的信念を得たる後の国民軍が日清戦争に打勝
ちしとは根本を異にす。近代革命がカルノーを生み山県公を生みしならば、国民的信念の覚醒によりて起れる支那
の革命が、四億万民皆兵制度を樹立して蒙古共和国を近代史に現出せしめざる理なし。山県公は『泥土の中より作
られたる将軍』の一なり。日清戦争に戦へる者、日露戦争に戦へる者、ことごとく中世的軍隊より出でたる者にあらずして、
土百姓およびそのに近き階級に生れたる将軍なる事なおナポレオンの諸将の然るがごとし。第一革命に現はれたる人々がすでにことごとく
支那通らの意表に出でたる泥土中の将軍なりしを見よ。何ぞ現下の革命においてオゴデイ汗とその諸汗とが『地下層より
揺り上げら』るゝを推想し得ざるや。
 諸公。革命の支那が武断政策によりて国内を統一し軍国主義に立ちて外邦に当るべしとの以上の推定は、すなわち支
那と英・露との衝突避くべからざるを断決せしむるものなりとす。支那が財政的独立を得ることは、直ちにエジプトの如
くそれを侵しつゝあるイギリスの駆逐を意味す。すでに海関税を奪ひまさに塩税を奪はんとする彼は、支那の財政革命と同
時にもしくは前提としてまず第一に革命政府の許容するあたわざる侵略者なり。エジプトがイギリスの主権の下において財政の独
立を得べしと言う愚論無し。支那の革命政府は中世的代官階級の維持に腐心しその維持によりてのみ自己の利権を保
持せんとするイギリスの駆逐を先決問題の一とせざるべからず。天意の測るべからざる事彼と中世的階級との悪因縁は
長髪賊*18の昔時に存す。洪秀全がキリスト教を奉じたるの可否は秦始皇帝が道教を国教とせんとしたるごとく疑問なるは論
なし。しかも文士教と中世的文士階級に対する根本的革命を掲げてほとんどまさに征服を終らんとせし時、イギリスはゴードン
将軍*19を派して保守的教義と階級を維持したり。−−あゝイギリスなかりせは支那は日本の維新革命より五十年を後れざ
りしなり。現時また袁を後援する昔年のごとく、ついに五年の歳月を遅延せしめ、日本を煽揚して四億万民を暗黒時代に
封鎖せずんば止まざらんとす。天幸いになお支那に憐みを有して安南一帯がイギリスと抗争せしフランスの旗下に置かれし*20
が故に可なり。(地図を展べて仏領安南がイギリスの支那併呑に対して極南の万里長城として横はれる天佑を見よ)。侵
略盗掠為さゞるなきジョン・プルの併合する所たりしならば、インドよりの一円揚子江流域の中原に至る沃野と蒼生
とはすでにことごとく彼の植民史に編入されしものなり。−−恐るべき揚子江流域の優越権よ。保全主義を掲げたる日英同盟
はかかる優越権を尊重せざるべからざるものなるか。インドを同盟条項に加へたる意義において、日本は支那分割の時
揚子江流域を第二インドたらしめんと考ふるか。フランスの領土安南が英領インドと南支那の間に障壁を築きしことは彼
が欧洲の覇権を失はざりし昔においては支那保全の保証なりき。しかも現下の大戦に見るフランスをもってしては、イギリスの
領土的接続を妨ぐるあたわざるは明かなり。イギリスは国交に一点の正義なきをかえって外交的能力なるかのごとく誇りとす。
大戦の終局と支那の革命によりて破らるる列国の新なるバランスに処するに当つて、翻然フランスと日本を売りてイン
173
ドより安南・ビルマに通じ、揚子江流域に達すべき南アジアの大経営を策するなきを保するか。ピョートル大帝のロシア
が北アジアの侵略を国策とするごとく、イギリス殖民史の精神を一貫する南アジアの経営は勢の及ぶところ支那の恐怖時
代となり、直下急転日本の亡国史を書かんとする未曽有の危機を感知せざるか。彼れの占拠せるシンガポールは仏
領インドの咽喉を扼するもの。しかして実に香港は支那本部の心臓に刃を擬する一切の策源地なるを見よ。イギリスが植民史
の精神を棄つるあたわざるはなおロシアがピョートルの遺勅に背くあたわざるがごとし。彼は仏領インドと揚子江流域とをインド
に接続したる英領南アジアに彩色するを得ば、いかんなる敵国とも握手せんは尋常茶飯事のみ。イギリスにシンガポール
と香港とに拠れる経略を放棄せんことを望むは、なおロシアにシベリア鉄道の割譲を求むるごとき不可能事にして、−
−すなわち国家の存亡を賭して争はざればあたわざる事にして、独帝の発作的外交より青島に来れるそれの比にあらず。
換言すれば、支那とイギリスとは一がインドとなるか、他が日没無き誇を失ふかの決勝的対立に面するものなり。あゝ諸公。
一九一一年の革命が利権回収論の爆発なるゆえんは、経済的打算にあらずして、支那がイギリスのインドたるあたわずといふ
天意を宣布せる民の憤なり。イギリスまた事々にこれらを傷けて妨碍至らざるなきゆえんの者、実に南アジア経営の為めに袁
世凱とおよび共の階級の存続を必要とする国是に基くものなり。存亡と国この衝突は干戈にあらずんば決せず。彼の
日支交渉に処せしイギリスの態度を見よ。彼は満蒙に日本の来ることをもって保全主義に抵触せずとしたり。何となれば
是をもって彼はある場合における自家の揚子江流域を併合すべき自家の保全なりと考へたるをもってなり。しかも自家の
併合区域内のもの、および支那の覚醒を来して支那が自ら保全し得るの将来を来すべき開発的条項に至つては断々乎と
して両国に干渉したり。これ何の保全主義ぞ。ロシアの北アジア侵略は前門の虎にして、イギリスの南アジア経営は後
門の狼なり。前門の虎を退けんとして後門の狼を進めたる日英同盟は、支那が中世的暗黒なりし間、日本の採るべ
きただ一の以夷制夷策なりき。支那は曙ならんとす。彼は掠奪没収徴発によりて財政精神より革命すべきが故に、イギ
リスのエジプト的権利を打破すべし。不換紙幣の天下たるべきが故にイギリス資本の利払ひを拒絶すべし。主権は絶対なりの
原則に従いて必要の場合彼れの資本そのものを収得すべし。提携すべき国の債権には金銀の山を送ると共に、イギリスの投
資に対しては砲弾を支払ふべし。諸公。現下紛々たる日英同盟可否の空論はオゴデイ汗とその諸汗との断行によりて討
論終決となるべし。あゝ我が日の本に神々の加護あれ。国策いかに属僚政冶によりて誤らるゝも、義に死するの建
国精神を失ふ者にあらず。千百の岡田満は出づべし。『日英同盟の誼』によりてイギリスのインド兵に雇はるゝか、立国の
正義と永遠の利益の為に第二の日露戦争をイギリスに向つて戦ふべきかは日比谷原頭に挙がる神の声によりて決すべし。
南シナ海の防備が日本の国防的必要の為に福建省の不割譲を要求して、何人にも割譲すべからずとする保全主義と
矛盾するよりも、−−いささかの軍事的価値なき青島を奪ひて来るべき恐怖を沿岸不割譲宣言によりて隱おおするの児戯に
出づるよりも、−−最も完備せる軍港、ただにイギリス人のみならず、白人すべてが東洋経略の足溜となす軍港は手を額にし
て東郷二世の占領を待てるにあらずや。香港これなり。天すでに香港太守を狂乱せしめて日章旗に発砲せしめ、もってその
必ず奪ふべきを指示せし事を見よ。あゝ山座公使*21。公が生前ドイツと結んでイギリスのアジア経略を覆へさんとせし大策
は、朝野の無智無恥の為に英の傭兵に甘んじてかえって日独戟争となりて現はれたり。彼らは日本の対英露策に取りて
ドイツが支那保全主義の為にただ一同盟国たるべき事を思考だもせず。依然たるグレーの翻訳局、臣事隷従至らざるな
き殆んどインド兵のごとくにしてしかも唾辱蹴弄*22かえってかくのごとし。大秘密の死におおわれたる公及水野参事官*23の綿々たる恨
は高祖高宗の知るあり。イギリス本位の外交は公等を犬のごとく葬れりといえども、義に死するの国民は革命的対外策の犠牲
者なりしことを痛哭感謝するの日を見ずして止まんや。空しく公等の屍と共に土に帰せしかのごとく見えし日英開戦
の大策は、今やまさに支那革命の展開に伴へる必然の運命となれり。三年の長き、日本は公等の恨を知らずして却つ
てイギリスに隷従し、公等世に存せば天与の好機とすべき欧洲大戦に会して倒まにドイツを敵とす。戦局遅滞英独あるいは和
を結んで香港に拠らば国運累々たること恰ど元寇襲来の昔時に似たり。完備せる香港あり。沿岸不割譲宣言は何の
価ぞ。敵とすべからざるものに戦を挑める天の責罰はいよいよますます英に頼らざるを得ざらしめ、同盟の鉄鎖は日本の行
歩を繋ぎて蹌踉奴隷の行くがごとし。退て英に従ふあたわず進んで独に結ぶの体面なく、その繋がれたる鎖を断つの自
由をすら失へりとはこれを何とか言はん。上下呆顔喪心して一の相模太郎を見ざる時、不肖らはついに公等の遺志を
支那の動乱に望まざるを得ず。あゝ天、諸公が殉国の丹心を憐んで現下隣邦の革命を捲き、もって日本を存亡の窮谷
より救はんとして然るか。荘厳なる犠牲よ。駑才不肖のごとくにしてなお公等の恨を三世諸仏に祈りて止まず。支那
175
の革命何ぞ独り支那をのみ救ふものならんや。
 さらにオゴデイ汗共和国の対露一戦に就きて語らしめよ。
 
 
 
*1黄禍:(こうか)黄禍論のこと。19世紀終わりから20世紀初めにあった「やがて黄色人種が世界に禍をもたらすだろう」とする論。もともとは東洋における日本近代化の成功、アメリカなどへの日系・中国系移民の増大、見えてきた帝国主義の限界、中国・トルコなどで高まる民族主義運動などが原因で、欧米で出てきた否定的脅威論だが、日本・中国などでは大アジア主義との融合で「次はアジアの時代」と肯定的にも使われている。
*2官話:官僚が使っていた言語。当時の中国では地域ごとの方言の違いが大きくほとんど通じなかったので、仕事が広範囲にわたる官僚・商人の間では共通語として官話が使われていた。ただし全国共通ではなく大別して華北東北・西北・西南・江淮の4種類があった。ただし発音が違うだけで表意文字である漢字で書けばほぼ全国共通。
*3洪秀全の乱:太平天国の乱(1851〜1864年)のこと。キリスト教と結びついた清朝に対する大規模な反乱。洪秀全(こうしゅうぜん)はその指導者。
*4曽国藩:(そうこくはん)太平天国の乱を鎮圧した清朝の軍人・政治家。反乱鎮圧に正規軍である八旗軍が役に立たなかったため、漢人による湘軍を組織して鎮圧に成功。その功績により漢人としては異例の出世で直隷総督となる。その後、軍を近代化させる洋務運動に尽力。幕下には北洋軍閥を作った李鴻章がいる。その李鴻章から北洋軍閥を受け継いだのが袁世凱。
*5薩州が会津藩と連盟して皇室を擁立せんとしたる長州青年を京都より撃攘したる:禁門の変のこと。
*6ノルマン、プレトン、ガスコン族:フランスの創生期にフランク族と抗争を繰り広げたゲルマン諸部族・・・、だと思うのだがプレトン族・ガスコン族が何のことなのか不明。大正時代の本なので今とは言い方が違っているだけだとは思うが。ノルマン族はノルマンディー半島に住み着いたヴァイキングのこと。
*7ラファイエットは故国に帰へりて二十三の小共和国の連邦を夢想して断頭台に引かれたり:ラファイエットはフランスに帰りフランス人権宣言を起草し立憲君主制にすることで革命の収集を目指したが、共和国派との抗争に敗れて失脚した。ただし断頭台に送られたわけでは無いのでこの部分は間違い。
*8沛公:(はいこう)漢王朝の創設者、劉邦のこと。沛県の亭長から出発したことからこう呼ばれる。
*9イェーナの敗戦:ナポレオン戦争でフランス軍が2倍の兵力のプロセイン軍に勝った戦い。
*10蒙塵:(もうじん)君主が難を避けて御所を逃げ去ること。
*11シラー:フリードリヒ・フォン・シラー。18世紀ドイツの詩人・歴史学者・劇作家・思想家。
*12帝王神権説:王権神授説のこと。王権は神から付与されたと考える欧州の絶対王政期における理論的根拠。
*13セダンに捕虜とせる:普仏戦争(1870〜1871年)の「セダンの戦い」のこと。この戦いでフランス皇帝ナポレオン3世はビスマルク率いるプロシア軍に敗れて捕虜になった。
*14新門辰五郎:幕末の侠客。最後の将軍徳川慶喜の知り合いで、慶喜が京都に上洛すると呼ばれて、子分を率いて二条城の警護に就く。以後、幕府が消滅し慶喜が上野寛永寺に謹慎した際には寺の警護、水戸・静岡と移り謹慎するとそれぞれ警護を務めている。
*15何海鳴:(かかいめい)辛亥革命に参加していること以外資料無し。
*16ペリー、ハリス:幕末に黒船を率いてきたペリー提督と、初代アメリカ駐日公使ハリス。
*17カルノー:ラザール・カルノー。フランス革命期の軍人・政治家・数学者。革命フランス軍の軍政改革を指揮する。
*18長髪賊:太平天国の乱のとき、辮髪を切っていた太平天国軍を清朝ではこう呼んでいた。
*19ゴードン将軍:チャールズ・ゴードン。イギリスの軍人。太平天国の乱では欧米人の将校と中国兵により組織された常勝軍を指揮し叛乱軍討伐に活躍する。ちなみに北はイギリスから派遣されたように書いてますが、たまたま中国に派遣されていたところに中国側に雇われた傭兵です。ただし居留民保護の目的もありイギリス政府の了解は得ている。
*20安南一帯がイギリスと抗争せしフランスの旗下に置かれし:安南は現在のベトナムのこと。当時はフランスの殖民地となっていた。
*21山座公使:山座円次郎(やまざえんじろう)のこと。日本の外交官。ポーツマス講和会議に随員として出席するなど、小村寿太郎外交の中心的役割を担った。1913(大正2年)中国公使となり、辛亥革命後の中国に特命全権公使として赴く。翌年北京で客死。あまり資料がないのでどんなことをしていたか詳しく知りませんが、頭山満の玄洋社と関係があったようです。
*22唾辱蹴弄:(だじょくしゅうろう)辞書には無いけど「ツバを吐きかけ蹴飛ばしもてあそぶこと」だと思う。
*23水野参事官:水野幸吉のこと。日本の外交官。山座の同僚で1912年には中国公使館の臨時代理公使を務めたこともある。1914年に北京で客死。
山座と水野の客死については北は何か知っていたのだろうか?資料には両方共に「北京で客死」としか書いてないのですが。実際に当時、袁世凱による毒殺説が流れていたようです。おそらく玄洋社を通じて孫文とつながっていたと思われる日本公使は袁世凱にとってはじゃまなはず。二人が同時期に客死と言うのも何か怪しいのでそう言う噂が流れて言いましたが真実は闇の中。単に市中に流れている噂を北が信じていただけの話かもしれませんが。北の場合、意図的に死んだ人間を高く持ち上げている節があるので、宋教仁暗殺の孫文黒幕説の件もあり、話半分で考えた方が良さそうです。山座公使にしてもどう見ても漢冶萍借款での日本側の中心人物だろうし、生きていれば北は批判をしていたと見る。
 
 
 
 
 
 
    十八 露支戦争と日本の領土拡張
 
           イギリスと日本とはスエズ以東の覇権において両立せず−−支那とロシアとは両国歴史ありて以
           来の相互的恐怖なり−−第一革命終局と同時に挙がれる対露一戦の声に興国的風湖を察せ
           よ−−日露協約をもって支那に臨むの言いにあらず−−国際間における親善または同盟とは存立
           的必要の一致を言う−−同文同種相争ふ欧洲各国を見て何ぞ日支の同文同種を言うや−−
           支那の排日は日英同盟と日露協約の日本を排するのみ−−アンウエルスのフランス分割会義
           −−蒙古一角の喪失は全支那の割亡を結果す−−満蒙回蔵を放棄して十八省の統一を策せ
           よと言うはなお琉球をペリーに北海道をロシアに割きて維新後の統一を為すべしと言うと一
           般なり−−日本は日支親善を言うの体面なし−−支那は分割すべき列強の相殺戮しつゝあ
           る大戦によりて日本と等しき天佑を受けんとす−−革命フランスが天佑に救はれしと同じき
           支那の天佑−−英・露に苦しめる支那が英・露と戦へるドイツに対して親独主義なるは論なし−
           −日本自身が英・露分割より免かれしは明治四年に勃興せるドイツが英・露に後顧の憂たりしこ
           とにあり−−大隈首相に山座氏の志を成さすことを切望す−−太平洋のイギリスは大西洋のイギ
           リスの遺産相続人たるべし−−日本が支那を喰はずして支那の敵を喰ふに至りて日支の同盟
           を言うべし−−維新革命中の日本が欧米の紛争の為めに亡国を免かれし事実の列挙−−ロ
           シアが三国干渉の外交的全盛時代において朝鮮に進出せば日露大戦の敗なし−−北露南英に
           奪ふはただ今の時をしかりとす−−宗社党を利用せんとする武弁政客の誤謬−−今のロシアは
           支那新興の一撃にて足る。
 
177
 実に支那のイギリスを駆逐すべきことは、ただ日本とイギリスとの覇権争奪において日本を覚醒せしめ後援すれば足れり。イギ
リスがスエズ以東に威権を振ふことが東洋のイギリスを自負する日本と両立すべからざる覇権の衝突なることは明白なり。
支那はただ天地を貫くの至誠と鬼神も避くべき断行とをもって、日本を日英同盟の落とし穴より救ひ出せば足れり。日本がその
錯誤せる外交より覚醒して『将来の孤立』に戦慄せば、すなわち同一なる外交的失策の為に『現在の孤立』に苦悩せる
ドイツとの同盟に至るべきは自然の数。日・独の海軍は大西洋と太平洋に彼の海軍を分割せしめ、本国の降伏はドイツに
よりて、本国そのものに値するインドの独立は日本によりて実現せらるべし。かくして異人種迫害の罪悪史は英帝国の分
割によりて終末を告ぐべきにあらずや。すなわち南アジアよりイギリスを駆逐せんとする日英戦争は支那のいかに関せず、
今の『小日本』が『大日本』として覇権を確立すべき領土をイギリスの持てるものに奪はずんば行く所なきをもってなり。
中華民国の対露一戦に至りては然らず。支那の分割か保全かを端的に決定する者一にただオゴデイ汗とその諸汗とがロ
シアを撃破し得るや否やに存す。実に支那とロシアとは両国歴史ありて以来の敵国にして、露が支那に加へずんば
支那が露に加ふべき運命に立てり。支那の盛時とはすべて露を制したる時にして、清朝の盛衰また実にロシアとの勝敗
によりて定まれる眼前の事例のごとし。彼のクロパトキン将軍*1が絶叫して黄禍を説きシベリアの防備を論ずるゆえんの
もの、これを彼の側に立ちて見る、実に蒙古共和国の馬蹄下にありし三百年間の中世史*2を回想し、さらに清朝の盛時に
戒しめもって彼に加へずんば我加へらるべしとする憂心[こざとへん中]々*3の声なりとす。何ぞ軽佻暴慢なる日本浪人のごとく支那を
軽侮しての侵略主義ならんや。
 しからば諸公。同一なる立場に立てる支那が第一革命の終局と同時に、対露一戦の声に鼎沸せし興国的運命を洞察
せよ。不肖は先に第一革命が序幕にて閉ぢたる原因を述べてロシアの侵略を前駆する蒙古の独立が重大なる理由な
りしことを論じ、袁中心の忍ぷべからざる講和を忍びし革命党の愛国的行動と大局的理解とを賞讃したり。しかして
また第二革命に国民の加担せざりし原因が、日本の顛倒的大誤策の為にまさにロシアと携へて支那の動乱に乗ぜんとし
たる危機に警戒したるに依ることを論じ、三年間の日本の不安がまた実に支那の革命と共に革命さるべき外交方針の
分水嶺に立てるが為めなることを説明したり。諸公。支那の存立の為めに避くべからざる必然に属する対露一戦は、
必ずしも日本が露の走狗たる故をもって止むものにあらず。成敗は別問題なり。日本がロシアとの協約に盲従して今の
支那を討つならばこれ露支戦争にあらず日清戦争による支那の再敗と云ひ得べし。建設の基礎だに成らざる彼はただ恐
怖時代を演ずるに過ぎざるは論なし。これ三万〇六百八十人の常備軍を有せし明治五年の日本に向つて (例へば大
西郷の征韓論に基きて)当時なお勝海舟らの畏敬せしごとき強大なりし清国を破らんことを要め、四万二千人以上の常
備軍を養ふあたわざる降伏条約に従いしドイツに向つてモルトケ将軍*4のパリ入城を望むごとし。不肖はかの愚呆と驕慢に
学びて壮丁の長兄が三歳の幼弟に力を誇るごとき日支国力の対較をなして喜ぶものにあらず。不肖は日露提携せる圧迫
が支那に破らるべしと言はざることは、支那が恐怖時代を演ずべしとなす前述の説明に明かなり。不肖はイギリスの南
アジア経営と、ロシアの北アジア侵略とが、恐怖時代の支那と共に財政破産の日本を一括割亡すべしとは言へり。
−−不肖のここに論ずる露支戦争とは日本が日露戦争の正義に復活して支那自らの支那保全に同情し後援し、かつ日
本自身が朝鮮と日本海の防備の為めにバイカル以東黒龍沿海の諸州を領有すべき運命に覚醒せる基礎に立ちて言ふ
ものなり。国際間に存する親善または同盟とはかかる存立的必要の一致を意味するものにして、何ぞ同文と同種とに係は
りあらんや。同文なるが故に親善なるべくんば英・米の間は日支の文脈語義相通ぜざるの比にあらず。しかも独立戦争
ありついで英米戦争あり、仲裁条約は成らずして今日独・米のかえって親和なるは何ぞ。同種なるが故に同盟し得べくんば
ポーランド人は露・独に別れて戦はず、イタリアはフランスに抗する三国同盟に加入せざりしなるべく、皇帝の叔甥的血族の英・
独相屠りつゝあるは何ぞ。支那が同文同種の誼に背きて排日を叫んで止まざるゆえんは、民族的性格にあらず。国家
の存立上日英同盟の日本を排し日露協約の日本を排するもの。断じて自己らの盟主としての日本を排するゆえんにあ
らず。すなわち支那民族の道徳的墮落にあらずしてむしろ国家に対する道徳的覚醒なり。政策的に言へば支那政府の誤
策にあらずして、日本政府が両国親善なるべきゆえんの道を理解せざる外交方針の根本的顛倒事に因す。諸公。独・墺
に導かれたるイギリスがフランスの分割をアンウエルス会議*5に議決したる時、革命フランスがイギリスとの唇歯輔車*6を提唱せざ
りしはラテン民族の不徳と革命政府の誤策に帰すべきものか。蒙古そのものは支那の大をもってすれば数ふるに足らざる如
し。しかも蒙古にロシアの北的侵略を導く事は直ちに西蔵にイギリスの南的経営を迎へ、仏の雲南・貴州を求むる*7あれば英
179
はさらに場子江流域を呑まんとし、露・独また協定して山西・陜西の森と山東の海より呼応し、対岸の島国は狼狽してまたトゥ
ーロンに上陸すべし。蒙古一角の喪失はすなわち全支那の割亡を結果す。すなわち蒙古・西蔵は浅薄なる支那学者らの考ふる
ごとき中世史の外藩にあらずして、英・露の経路に対抗して支那の存立を決する有機的一部なり。彼の五族統一は不可
能なりとして一国の国旗を侮辱し、すべからく満蒙回蔵*8を放棄して十八省本部の治を図るペしと言うがごとき一顧の値な
き愚論が日本の朝野に敬重せらるゝごとくにしていかんぞ日支の親善を望むべけんや。これ四肢を切断して口腹の生存
を続けよと言うもの。唇亡びて歯寒しの論法に従へば四肢なきの肉塊は鳥雀の啄ばむ所とならんのみ。維新革命の
時ペリーの門戸開放に従いて琉球と小笠原島とを譲渡し、ロシア軍艦の対島に租借せしを追逐する以夷制夷策なかり
しとせよ。英は九州を掩有*9すべく、露は従いて北海道に占拠し、米・仏またおのおの欲する所を要めて日本の所在どこに在
るかを見るべからず。今の支那学者・支那浪人らは日本の本州のみにて可、維新革命者らの痛心外交笑ふべしと言う
か。列強対時に至らざる中世史において蒙古・西蔵らが多くの要なき外藩なりしことは事実なり。これなお維新前におい
て琉球が日清両国に事へ、北海道が蝦夷の地として重視されざりしがごとし。彼らは林子平*10の国禁を犯せる国防的絶
叫を先覚者なりとして賞す。さらば、何が故に求むべき名利を顧みずして革命先覚の呉崑*11君が『蒙蔵旅行団』を率
いて不毛に入らんとせし企図を讃美せざるや。支那の革命を機として蒙・蔵を窺ふ英あらわなおフランスの動乱に乗じて分
割を同盟せる墺・普のごとし。しかして日本また当年のイギリスを学びて、日英同盟と日露協約を遵守し、ついに故桂公を露都に
派して『アンウエルスの分割会議』に列せしむ。何の体面かよく日支親善を言ふや。
 諸公。不肖は支那の革命がフランスに似たる困難に面する事を見ると共に、また日本のごとき天佑を被らんとするを考
へざるあたわず。プロイセンとオーストリアとロシアとはポーランドを分剖したる革命動乱中の甘味を二十年後のフランスに推及して
直ちに兵を進めたり。これあたかも英・露が黙契せるものゝごとく北と南とより支那に殺到しつゝあるに比すべし。彼らは
東洋民族を経略し来れる甘味に酔へるものなればなり。しかして墺普同盟軍がパリの四十哩に迫りながら突如退却せ
し理由は、フランス国民の愛国的死闘よりも二国の背後にあるロシアの反覆に警戒したるが為なり。相似たる形は、
ロシアをかって三国干渉によりて支那分割に煽動し、イギリスに媚びて露仏同盟に当りつゝありしドイツが、今日意外にも
英・露と相闘ひ、もって背後より革命の支那を保全する事あたかもフランス革命における露のごとくなれる事なりとす。−−当
時のフランスがロシアに救はれし理由によりて支那の親独主義を山座公使の霊に感謝せよ。名誉なる孤立にせよ不名
誉なる孤立にせよ、今の国際政局において孤立を許さゞる事情は支那をして英・露を牽制するにドイツと結び日本を制扼
するにアメリカと握手せしめたり。聡明なる以夷制夷策よ。これ山座公使の進退を賭して本国に訴へんとせし一大外交
政策にあらずや。愚呆と驕慢とは山座公使の堂々雄大なる大局的眼光を理解するの明なく、一に支那を侮弄して夷を
もって夷を制するは春秋戦国の弊を継ぐ者なりとす。個人と国家とはその生存の為に境遇に適応する形を取る事はダー
ウィンに学べり。さらば支那の春秋時代において原則たりし外交策が、日本戦国の賢君名まさによりてことごとく夷をもって夷
を制するの戦略となり、さらに全地球の春秋戦国において露を討つに英を引き、さらに英を破るに独を迎ふるの策に出で
んとせし山座氏は支那人と等しく軽侮さるべき器なりしか。存亡の危機より発する本能的叫声は多く誤なきものな
り。支那が英・露のアジア経略の為めにまさに亡びんとして救ひを独・米に求めたるは一種の本能的生存慾より出でたる
もの。日本は何が故に独・米に結んで侵略者を挫くの任侠的国風を発揮せざりしか。イギリスが墺普同盟に加わりしは英・
仏の歴史的宿怨に原因す。日本が英・露に対して往年支那たらんとし、一歩あるいは再び支那たらんとする日・支の存立的
一致とは全く異れるものなり。日本は明治四年に勃興せるドイツによりて英・露の分割より救はれし回顧を、同一なる
今の支那に推想するあたわざる程に墮落せしか。あゝ支那の不徳なる誤策なりとのみ自任してまさに宗祖の国家を九仭
に投ぜんとしつゝあるおのれの根本的顛倒事を省みるものなく、荘厳なる犠牲者をして三年の長き墓標のほとりを迷は
しむる者は抑々誰ぞ。−−その身維新革命の生ける歴史として、その位まさに支那革命を支配し得べき空前の雄大なる舞
台に立てる大隈老伯よ。第二革命がイギリスの全勝と日本の全敗とをもって消失するや、公は『日本の知識とイギリスの資本
をもって日英経済同盟とすべし』と声言せり。イギリス人の挙措に怒骨髄に徹する不肖は彼らの冷酷なる嘲笑を想ふよりも
日本外交の悲惨時代なりとして慟哭したり。加藤前外相の価値はいかに日英両国の両立し得べからざるものなるか
を日支交渉によりて立証せんが為に世に出でたる阿部局長と等しき我か神の方便なり。陸軍と海軍と国民と、ことごとく
前代未聞の不安を公の統治に抱きてしかも公にあらずんばこの難局に当るあたわずとする絶対の信頼を掛くるの矛盾は、こ
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れ何の意味なるかを知るや。不安は革命期の不安なり。信頼は革命者たりしが故の信頼なり。すなわち公の内閣の前期
において行き詰れる英・露同伴の外交策が、まさに後期に入りて独・米提携のそれに転化せんとする国策動揺の不安と信頼
にあらざるなきか。齢八十の老雄七首爆弾の間を馳駆して国事に労するは高祖高宗の嘉賞に堪へざる所。しかも伯爵の
形骸ありて八太郎*12の壮心なくんばこれをいかんせん。支那の革命にあらず、二千五百年存亡の大事なり。頼山陽をして
高歌胆甕のごとしと詠ぜしむるも公。皇天公に冥助せし加護を変じて岡田満を用ふるもまた公。断じて斗屑の官吏輩を
集めたる対支会議を開きて決し得べき外交の危機にあらず。万籟静なるの一夜、こいねがわくは山座公使の墓前に座して冥目
教を受けよ。−−痛憤胸を衝きて起るものあるべし。外交革命の転機とはすなわちそれなり。不肖乏しといえども公の導き
を為さん、噫。
 諸公。かくのごときフランスと相似たる分割の危機に臨める支那は、今日まさにフランスの露におけるごとく、欧洲に於け
るドイツと英・露との孚覇関係によりて救はれたり。しかしてさらに維新革命における日本と同じき天佑は現下の欧洲大戦
を機として日本の外交革命と共に降下せんとす。もとより日本が英・露の為めに支那を討ぜば正にフランスと異るなき危
機なるは論なし。オゴデイ汗の共和軍がイギリス人を駆逐し蒙古討伐を名として対露一戦を断行するの時、日本は北の方ウラジオストク
港より黒龍沿海の諸州に進出し、南の方香港を掠し、シンガポールを奪ひ、−−あゝ仏領インドを領してインド救済の
立脚地を築き、−−さらに長鞭一揮赤道を跨ぎて黄金の大陸オーストラリアを占めもってイギリスの東洋経略を覆へすべきは論なし。
太平洋のイギリスは大西洋のそのを相続せざる可らず。支那はまず存立せんが為に、日本は小日本より大日本に転ぜんが
為に、古今両国一致の安危を感ずる斯ぐのごときものあらんや。是を日本の利益より云へば、支那は膨脹的日本の前駆
を為すものなり。支那の利益より云へば貧弱なるおのれを喰はずして豊富なるおのれの敵を喰ひ双腕おのれを抱きて保全を図るもの
なり。−−かくのごとくにして日支の同盟を言うべく、両国の親善はまさに天人狂舞すペきのみ。これ維新革命と同じ
き天佑に際会せるものにあらずや。実に日本の維新もまた欧洲の戦乱によりて独立を得たる革命運動なりき。対島の租
借権を主張して動かざりし露艦*13、長崎に入りて威嚇至らざるなかりし露艦が上海に入るやクリミヤ戦争*14の爆発によ
りて英仏艦隊と抗敵せざるを得ざりし天佑ありき。これ五国借款の分割同盟が現下の大戦によりて自ら解体せし天
佑と何ぞ相似たるや。ペリーの公文に残存せるごとく、アメリカの日本侵略が突如として交迭せる反対党の政策によりて
平和主義に豹変せし天佑ありき。是、蒙古の煽動的反乱を機として直に進出せんとしシベリアの駐屯軍が、露本国
の危急の為に一空召還せられし天佑と何ぞ相似たるや。是を思ふに、日本の独立は明治大皇帝が常に自己の功に居
らずして言々必ず天佑に保全せられたる感謝を彼の神々に捧ぐるを忘れざりしごとく、全く欧米の動乱によりて分割
を免れたる天佑の日本保全なり。見よ、今の袁世凱の支那を見るごとき中世階級の腐爛退廃せる時代は、欧洲は革命
動乱に燃えつゝありし時なり。フランスの第三革命は一八四八年にして全欧洲は地震のごとく崩壊したり。クリミヤ戦
後の新均勢の為に列強は同盟協商に没頭して他を観る暇なく、五八年より五九年にわたりてイタリア独立に係はる仏・墺
の戦争あり。さらにプロシア勃興のバランス破壊と、六四年の丁抹戦争*15につぎて六六年の墺普戦争あり。最も日本に危険
なりしルイ・ナポレオン*16は維新後に至りて普仏戦争に亡びたり。しかして東の方あるいはペリーに見るごとき恐れありしアメ
リカはメキシコの保護権問題によりてフランスと兵火まさに見えんとし、六一年より六五年にわたりし南北戦争と乱後の財政
的破壊は日本に加るの余暇を与へざりき。−−これ日本がフランス革命のごとき恐怖時代を見ざりし原因の一切なりと
す。さらばすなわち現下の欧洲大戦は日本につぎて四億万民を救済せんが為の天の冥佑にして、かって天佑に保全せられ
たる日本は支那革命に処するにおいて天意に背く事ある可らず。国際的事実として、一国が他の内乱に乗じ得べき権
利を有するはもとよりなり。しかも天地の公道を踏むべき日本は、天意の保全せんとする所を犯す可らず。まさに天の責
罰しつゝあるより大なる獲物に向つて一大奮躍を敢行すべき天与の幸福を把握すべし。天の賜を取らざれば天の罰
あり。ロシアが三国干渉の外交的全盛時代において断乎朝鮮に進出せしならば後年日本に撃退されし日露大戦の悔な
かりき。今の時において日本また天意を奉じて北露南英に奪はずんば敗露の侮を再びするも詮なし。国家の興亡実に間
一髭。いわんやカイゼル四面の楚歌に疲れてあるいは楚項の運命を追はんとするの時、しかし彼を失はば欧洲のバランス破
壊は奔流のごとく英露黙契の日支分割に至らずんば止まず。しかして対等の講和は英独巧提携に至らしめてまた日支の亡。
朝野の諸公何するものぞ、おのれを滅ぼすの敵に走りておのれを護るべき朋を攻むるの狂乱事を為すや。夷をもって夷を制する
は古今東西、外交の原則。ロシアの全敗に終らざる事が欧洲の均勢たる露仏同盟と東亜の日本駕御策とに必要なる
183
が故に英のポーツマスに施せる跡を見よ。山座公使死し水野参事官たおれて駐支ドイツ公使との密謀を伝ふる者なかり
しにせよ、諸公の至誠愛国をもってしてこの一目瞭然なる興亡の岐路を踏み迷へりとはこれを何をか云はん。国家は
天に対して義務を有するのみ。独軍がポーランドに入りし時、ウラジオストク港の砲台を占領するあたわざる義務は日露協約の条
項に明記せられざる所なり。今五月旭日旗に向つて過ち放てりといふ香港太守の砲撃は彼より日英同盟を破棄せん
と欲する布告なき開戦の宣言。近海に遊戈せし東郷二世らは何が故に屠腹の決意をもって本国政府の命を待たざる一
発を酬いざりしか。脆弱露のごとくんば同盟の値なく横暴英に至つては是を懲すの外途なし。一指弾驚倒の軽薄児、
いかにグレーの翻訳を事とするも日本は天と国民との為めに存在するものなり。あゝ長剣闊歩の八太郎今どこにある。
支那の保全者をもって任ずる日本は今やかえって支那の飛躍によりて彼より保全されざるべからざるか。不肖は天佑支那
の革命に降下せりといふよりも、かくのごとき日本に対してなお天の冥護去らざるゆえんを泣謝恐縮して止まざるものな
り。
 あるいは言はん、(十行側除*)*17。しかして南満洲は日本の血をもってロシアより得たる所。未解決のまゝに二個の主権を存
立せしむることは断じて両国親善のゆえんにあらず。北満に至つては英の妨ぐるなくんば日露戦争の当時すでに獲得すべ
かりしもの。大戦の意義に照してついにロシアより奪はずんば止まず。−−これ支那の為めに絶対的保全の城廓を築く
ものにあらずや。南北満洲と黒龍沿海の諸州とウラジオストクと。かくのごとくにして朝鮮と日本海とは始めて泰山の安きを
得べし。しかしてこれ実に清朝発祥の地。彼の武弁政を談ずるの士、至誠余りありてかえって策を知らず、宗社党のごとき
を擁して蒙古独立の顰に倣はんとす。蒙古は独立せる民族の独立地なるに反して宗社の貴親らは枕する所なきもの。
日本は北に一国を建つるの基礎なくまたその要なし。これら一円、古代韃靼*18の領土は明治大皇帝と十万の霊を祭るべく、
亡びたる清朝の跡を享くるものは有賀博士の主権譲渡論に基く中華民国にあらずして支那ならざるべからざるは論な
し。日露戦争以来正に十年、天意歴々たり。日本の財政を覆すべき日露再戦を唱へし彼は、今日爪牙なき熊となれ
り。これを倒す支那新興の一撃をもって足る。日露戦争に支那を参加せしめざりしが為に、彼をして独り欲しいままに露支戦
争を戦はしめよ。日本が支那の領土保全の為に戦ひし感謝を表せしむべく、彼をして日本の領土拡張の為に戦はし
めよ。あゝ諸公。日支相食みてついに二千五百年の国家を英・露に委せんとするか。四億万民を救済すると共に南北に
大日本を築きて黄人のローマ帝国を後の史家に歎賞せしめんとするか。茫々歴史ありて以来諸公のごとき重大なる使命
を受けしものを見ず。
 
 
 
 
 支那の対露一戦は可なり、しかも日支交渉における内蒙古の歓利をいかんせんと。卓上論も極はまれるかな。日本国
民は加藤前外柏を祖述し注釈せんが為めに生れたる者にあらず。外交革命とは天意に基きて彼徒の誤策を一掃するこ
となり。晩年の桂公より彼徒に継承せられたるロシア同伴政策より脱出して日露戦争の天命に帰へることなり。天何
ぞ無用の悪を為さん。彼に依りて播かれたる内蒙古の権利は露支戦争を援助すべき一条件として『満蒙交換』の協
定によりて対露日支同盟の条件たるべし。支那は外蒙古と共に内蒙古を得べし。日本は南満洲と共に北満洲を得べ
し。内外蒙古は支那存立の絶対的必要なり。彼が日本の後援によりて内外豪古を得ることは西蔵を維持し支那全部
を保全し得る保障を得るものにして南満の一角と較量し得べきものに非らず。
185
 
 
 
*1クロパトキン将軍:アレクセイ・クロパトキン。ロシアの軍人。日露戦争のときのロシア満州軍総司令官。
*2蒙古共和国の馬蹄下にありし三百年間の中世史:13世紀から15世紀に掛けてロシア一帯はチンギス汗の長男ジュチの子孫達によるジュチ・ウルスの支配下にあった。「モンゴル・タタールのくびき」と呼ばれる。それを打ち破ったのがモスクワ大公国。のちにロシア帝国に発展する。ちなみにジュチ・ウルスは本拠地となったキプチャク草原からキプチャク・ハン国とも呼ばれるが、子孫達による複数のハン国全体をさす。
*3[こざとへん中]々:(ちゅうちゅう)[こざとへん中]=うれえる。
*4モルトケ将軍:ヘルムート・グラフ・フォン・モルトケ。プロセインの軍人。軍事の天才として知られ、彼とビスマルクの政治手腕によってドイツ帝国が成立。普仏戦争に勝利してパリに入城した。
*5アンウエルス会議:何の会議のことだか調べても分からなかった・・・。アンウエルスとはベルギーのアントウェルペン(英語読みでアントワープ)の事だと思うのだが、それらしい会議が見つからなかった。
*6唇歯輔車:(しんしほしゃ)利害関係が密接で、たがいに助け合わなければ共だおれになるような関係。
*7仏の雲南・貴州を求むる:フランスはベトナム支配を巡っての清仏戦争(1884〜1885年)に勝利した結果、雲南省・貴州省など中国南部の鉄道施設権などの利権を得ていた。
*8満蒙回蔵:満=満州族、蒙=蒙古=モンゴル族、回=回族=ウイグル族、蔵=西蔵=チベット族。これと漢民族を合わせて五族。
ちなみに回族のことはあまり出てきませんが、回とは回教(イスラム教)のことで当時、昔からの伝統風俗を守っているグループと風習は漢族化して信仰のみがイスラム教のグループに分かれており、両者は非常に仲が悪かったため(漢族化したグループは平気で豚を喰う)、統合しての大きな勢力にはならなかった様です。
*9掩有:(えんゆう)覆うように残らず自分の物にすること。
*10林子平:(はやししへい)江戸時代の経世論者。ロシアの脅威を説き「海国兵談」「三国通覧図説」などを著す。特に「海国兵談」は海防をの必要性を幕府に問う物だったため、御政道に意見する危険人物と見られ発禁処分をうけ蟄居させられる。
*11呉崑:(ごこん)誰?資料無し。
*12八太郎:大隈重信の幼名。
*13対島の租借権を主張して動かざりし露艦:露艦とは幕末のペリーと同時期に日本に開国を求めに長崎やってきたロシアのプチャーチン艦隊のこと。ただしこの時、対馬の租借うんぬんの話は無かったはず。ただ千島列島とカラフトの国境確定交渉はやっているので、北はこちらと勘違いしているのでは無いかと思う。
*14クリミヤ戦争:1853〜1856年。ロシアとトルコ・イギリス・フランス同盟軍とによって行われたクリミア半島を巡る戦争。
*15丁抹戦争:シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争のこと。デンマーク、ドイツの間にあったシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国を巡り、プロシア対デンマークで行われた戦争。プロシアが勝利しシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国は統一ドイツに組み込まれた。
*16ルイ・ナポレオン:ナポレオン3世のこと。フランスの政治家。ナポレオン1世の甥。皇帝になり第2帝政を開くも普仏戦争に敗れてイギリスに亡命。
*17(十行側除*):「支那革命外史」は4回発行されており、この部分は1回目にはあったが以後の版では削除された部分。
*18韃靼:(だったん)中国北方の遊牧民の総称。この名前で呼ばれたのは韃靼族(タタール族)を初め突厥族、モンゴル族、女真族(満州族)など多数。
 
 
 
 
 
 
    十九 日支同盟と日米経済同盟
 
           国内の革命的諸問題はただ対外一戦の機をもって解決し得べし−−五族統一旗に表れたる革命
           的理想はその二族を割取せんとする英・露との衝突を意味す−−日本分割に代りて人身御供
           となる支那−−日本存亡の危機は挙国一致を要求して三百諸侯の否定となる−−革命フラン
           スのごとき対外軍資の必要によりてのみ革命支那は官僚階級より没収するを得べし−−千百
           のカルノーよりも首都四十哩前の敵騎−−中世的軍匪に代れる覚醒的農民の支那護国軍−
           −支那護国軍の弊衣破帽とナポレオンのイタリア遠征軍−−武器供給による日本の援助−−支那に
           統一の大器なしといふよりも日本に一ビスマルクなきを歎息す−−今の四面楚歌に至らし
           めたる日本自身の驕慢を怖る−−何ぞ日支交渉を要せん−−山座公使の遺策たる日支官民
           の一大軍器製造会社−−蒙古共和軍の欧洲征服を再びするを得ん−−革命されたる日本の
           対支策によりて援助さるゝ支那統一者の幸福−−アメリカの排日熟は日本の対支誤策と対独誤
           策に原因す−−アメリカをイギリスの分家視する俗見を打破してむしろドイツ系のアメリカと考へよ−−日
           本移民をアメリカの拒絶し得るはなお支那苦力を日本の拒絶し得るがごとし−−移民拒絶が日米開
           戦の理由たり得るならは何故に日英開戦を同しき理由に叫ばざるか−−アメリカの支那投資は
           日本の武力的保証なくしては安全なるあたわざる両国の対支利害の一致−−亡国階級の支那
           に借款亡国論なりし者革命後の支那においては借款興国策となるべし−−墨銀三百万$を送
           りて馬関砲撃を依頼せる竹本淡路守−−呉廷芳・唐紹儀らのいわゆる親米主義とは銅臭主義にし
           て興国精神の借款策にあらず−−怖るべきロシアの南下を導かんとせる唐・袁・孫らのベルギー借款
           に亡国的腐腸を見よ−−日本の五国財団加入は自家防衛上臨機の応策として是認さるペし
           −−支那を割亡せんとせし六国の協調は欧洲大戦にして破了したり−−横溢せるアメリカの資
           本を支那に導くべき支那及日本の急務−−北満を得て日露戦争の完全なる解決−−支那は
           英・仏・白らの鉄道を無償にして没収すべし−−支那は鉄道分割によりて亡ぶとなす支那論者
           の錯乱せる推論−−鉄道統一は分割的原因を根本より一掃す−−英・仏・露と戦ふことによつ
           て得べき日本および支那の一致的利益−−老譚の団匪的傲語は支那の愛国革命党を代弁せる
           もの−−鉄道切売政策をポーリング会社に試みし孫文は政策においても新支那を代表せず−−
           鉄道院の独立会計は財政監督にあらず−−六国財団の財政投資を鉄道統一の投資に奪取する
           を得べかりし孫文の鉄道総辧−−イギリス人の結べる袁・孫の握手はことごとく東亜の大局を破らんとす
           −−フランス革命に示されたる審判の手を陳其美の暗殺によりて革命の支那に見んとす−−
           アメリカの投資をもってする支那の鉄道網−−軍隊輸送本位の敷設−−革命期の富民策として鉄
           道急設はナポレオンの運河開鑑のごとし−−鉄道なき支那の小国なることはなおロシアのドイツより小
           国なるがごとし−−支那の統一者は『鉄道』なり−−陸海軍将校の増加に苦しむ日本は天極
           東露領と南洋英領の占有を指示するもの−−アメリカはカナダの領有の為めにフィリピンを譲渡すべ
           し−−日米の離間はイギリスの秘策なるを警告す−−天道に反せば日本自身といえども天の罰を受
           けん−−天匹夫一輝をして言はしむるのみ。
 
 是によりてこれを観れば、支那の革命は天佑において日本と同じき欧洲戦乱を恵まれたり。しかして一面また日本と異り、
革命と同時に対外戦争を敢行せざるべからざる点においてついに東洋のフランスたる運命を負へるものなり。日本が日清
の墺普戦争に至るまでの約三十年間専心国基の培養を努めたるに反して、支那は現下大戦の機を捉へて乾坤一擲存乎
亡乎を天意に任じて飛躍せざるべからず。しかしながらこれ必ずしも日本より天佑の乏しき言いにあらず。天佑はただ天
の使命を理解せるものにおいてのみ天佑なり。不肖は確信す。支那は対露一戦をもって山積せる革命的諸案を一挙に解
決し得べし。代官階級の一掃も。財政革命も。軍政改革も。郡県的統一も。なお武的軍国的精神の樹立も。しかして日
支同盟による両国共通の大々的兵器製造所も。全欧洲の資本が横溢せるアメリカの投資に依る五十万哩鉄道急設の有機
187
的近代国家の実現も。
 この説明は単純にフランス革命を回顧せば足るものなり。フランス革命の理想、自由平等はすなわち不自由不平等組織の
隣邦と両立せざる対墺普戦争を意味せり。これ支那の五族統一の国旗に現はれたる革命的理想が、直ちにその中の
二族を分割して蒙・蔵に占拠せんとする英・露との衝突を意味せると等し。維新革命においては白人東進の慾望を飽満な
らしめんが為めにあたかも支那が身代はりとなれるかのごとく、フランスに安南を与へ洪秀全の乱・阿片戦争らを捲きて白人
相互間の戦闘を生ずる時代まで日本の人身御供を努めたり。故に日本においては大西郷の冒険的外戦論が容れられず
して谷干城*1らの悲哀なる亡国的警告に戒しめたり。龍渓先生*2の『経国美談』柴四朗氏*3の『佳人の奇遇』のごときに見
る亡国を恐れ亡国を警しむる累々たる長年月を送り、列強またことごとく日本の亡国を確信してただ支那の美膳を喰ひ終はれ
る後の残飯として一に前後の問題なりき。しかしながら中世史を一掃する廃藩置県の近代的統一はたとえ警戒に終りし
といえどもこの存亡に面せざれば不可能なりしにあらずや。蒸気と電気とが海濤の対鎖を破りて特に日本分割を現示する
なくんば、歴史はあるいは薩長幕府の連邦的あるいは戦国的中世史を楯環せしやも知るべからず。存亡の危機は挙国一致を
要求し、拳国一致は三百貴族の否定を意味す。維新革命はただ内乱外寇一時に来れるフランス革命を内外二期に分ちて
日清戦争まで引き延ばせしものに過ぎず。フランスまた墺・普の侵入なくんば中世的貴族政を覆没するあたわざりしは察す
べきなり。彼らはテュイルリー宮殿が万悪の源泉なることを知る。しかも皇帝を売国奴としたる分割同盟軍を見るに至
らざれば斧鉞を加ふるあたわざりしなり。ルソーが僧侶貴族らの富を奪はずんば国民に自由なしと言はざりしことは
章太炎と差なし。しかも同盟軍の侵入に抗戦すべき軍費の必要は断々として没収政策を行はしめたり。彼は意識せず
して国民自由の経済的根拠たりまた財政革命の前提的基礎たるものをこれによりて恵まれたり。寺院貴族より奪へる土
地の七十億円。公債三分の二の没却。年収八百円以上の者に三億四千万円の軍費徴発。中世的致富にあらざる正当な
る新富豪より八千八百万円の掠奪。支那と同様に革命とは無税なりと信ぜし国民にルイの悪税を窓戸に二倍し車に
十倍せし誅求苛歛。さらに今のメキシコが靴一足百$を唱ふるごとき不換紙幣の百五十億法。かかる形容辞も見当らざるが
ごとき大英断が単純なる革命の理想を説き政治財政の改革を論じて国民に承認さるゝものならんや。一にただ『国危し』
の警鐘乱打によりて行はれたるのみ。さらば支那の代官階級の一掃と財政革命の基礎とが口舌的借款亡国論に望む
べからざるは論なし。−−不肖は固く信ず、対露一戦の軍費は代官階級の富を没収徴発することによりて得べく、
政治的財政的革命また対露一戦に依りてのみ始めて望むべしと。四万々民の存亡を叫んで軍資徴発を代官階級に要め
ば秩序整然として三十億円を徴発するに数ケ月を要せざるべく、蒙古の戦場しかし国民軍苦闘に陥らばさらにすこぶる可、
一年百億何ぞ難とせん。軍政改革またしかり。ビスマルクが一戦して分立的侯国を統一せし原則は、すなわち公安委員会が
パリの城門を閉ぢ獄裏の貴族を屠殺してナポレオンの統一的フランスを準備せし原則。腐敗墮落して国内の革命的暴動をす
ら鎭圧するあたわざりし都督将軍らの代官階級は逃亡して『泥土の将軍』と『地下層の金鉱』とがゴビ沙漠の陣頭に
立つべし。千百のカルノーありといえども首都の四十哩前に敵騎を見ずんば一躍徴兵制度を強行するあたわず、国民また死
を決して来り加はる者なし。あたかも日本のそれが数百年の制度に対する急変を緩和せんとする条件付にしてしかも戸籍
を偽る徴兵忌避の養子を流行せしめ、血税の文字を誤り血液を絞りて電柱に塗布すとして所在噴飯すべき竹槍ムシロ旗
を演じたるがごとし。フランスと同一なる支那の危機は、日本のごとき気楽なる旅行を許さずして、四億万民そのものの休戚
を決する護国軍となりて出現すべし。代官に購買せられたる『最悪なる人民』の中世的軍隊は四散して、『国家の
為めの国民』に覚醒せる至純なる農民の組織せる愛国軍を見るべし。すなわち高杉晋作らに率いられたる馬関砲撃の如
き団匪乱を捲ける国民が一躍大山・乃木*4に指揮さるゝ国民軍として戦線に立つべしといふことなり。あるいはフランスの如
く毎月一億万の不換紙幣を濫発するごときことは今の時無かるべし。しかも彼れがごとく巡警剣を典して口を糊し将士馬
を売りて飢を凌ぐの窮に陥ることなしとせず。革命とは賽を投ずる事なり。支那は一九一一年においてすでにルビコン
を渡れり*5。戦はずんば亡。戦へば亡中興の険路あり。ナポレオンは支那に見るがごとき年少なる革命将校なりき。イタリア遠
征の途に上らんとしてその軍に諭していわく、フランスは諸子に負ふ所大なり。しかも国庫空うして諸子に報ずるあたわず。
諸子の衣は裂け靴は破る。願くは死を共にしまた栄を与にするの日を見んと。対露一戦は日本の憲政擁護者流の神輿
となりて得意に狂するごとき浮華軽佻*6の孫文輩を見て推論し得べき支那の将来にあらず。オゴデイ汗とその諸汗とが大風起
つて雲飛揚するの時、馬背に立ちて鳴鞭憤叫国家の存亡を訴ふるならは何ぞ国民軍の弊衣破靴を憂へんや。我は則
189
ち飽食暖衣して泡沫の空名に甘んじ徒に万言を列ねて国民捐を鳴号するごとくんば黄興といえどもその任に堪へず。むかし亡
国教の文士歌ひていわく、古来征戦幾人還と。何ぞ然らんや、明治大皇帝の日本とオゴデイ汗の中華民国とは征戦勝つ
て還りし者にあらずんば今の時特に統治の任に当るあたわず。不幸屍を馬革に包みて終らば護国の鬼。徹底的革命後の
大総統は断じて露支戦争の凱旋将軍ならざるべからず。兵は四億万の組織さるべき国民軍あり。資は亡さるべき代
官階級の富数十億万の山積せるあり。しかして各省乱離の統一、財政基礎の革命、一大陸軍国の根柱、自らにして成
る。大ナポレオンは神にあらずただこの平凡事を成せるのみ。あゝ爪牙なき熊を屠りてオゴデイ汗の蒙古大共和国を築くものは誰
ぞ。いわんや精鋭なる兵器を供給すべき日本を背後に有するにおいてをや。
 以上の論述を点検さるゝことによりて、諸公は日支両国が全く独墺同盟と等しき存亡的一致に立てることを肯定
せらるべし。実に今の日本に必要なる人物は近眼軽佻なる俗論を鎭圧すると共に、充実せる興国の正気を向ふべき
所に向はしむる一個のビスマルクのみ。彼は墺普戦争によりて一握の土を求めず、戦勝に酔へる軍将の要求を排し、
一見支那のごとき割亡に終はるべをオーストリアとの同盟を策するに自殺の決心をもってしたり。−−何ぞ日本朝野の対支策
と相距る甚しきや。彼はいわく、オーストリアの旧屋はあるいは瓦解すべし。しかもドイツは彼のセメントなり。否瓦解すといえどもド
イツは煉瓦の一片を求むるものにあらずと。清末よりの支那は正しく解体したるタガなき大なる桶なりき。日本が真に保
全主義を唱ふるならば北露と南英との領土を奪ひて四百余州を抱く雄大なるタガを外交方針とすべかりしなり。軍人
と国論とが侵略主義を高調するは興国の正気にしてみだりに抑圧すべきものにあらず。要は向ふべき所に放つにあり。
ビスマルクは墺に向はしめずして当時強大を極めたる仏に放ち、もって一挙欧洲の覇位を争へり。戦時中なるが故の
耐忍に得々として我れは日英同盟の主位なりと誇り、露ついに我に抗するあたわずとして苟安*7に送るがごとき日本現時
の覇位はビスマルクのくみせざる所。あたかも厳父不在の留守居を幸ひとして乱舞する頑童の行ひなり。帰来鉄拳の戒
は鏡にかけて見るがごとし。しかして一瓦片をだに求むべからざるオーストリアに対して第二革命の個人的加担者が数人死傷
せりとしてはすなわち艦隊を派して威嚇し、英の妨害によりて日支交渉の頓挫するや鋒を彼れの強大に向けずしてかえって
落涙合掌の弱者に加へんとす。不肖は日本歴代の内閣を一貫するかかる醜態を見て、『現下支那に統一の大器なし』
と歎息する公等よりもむしろ『日本に一ビスマルクありや』を憂慮せざるを得ず。否、諸公何ぞビスマルクに劣らん。
ただ彼は国歩艱難の時挙手投足おのれを制して過なきを努め、諸公は強露を破つて心自ら驕りついに下等人種の煽揚を事と
する英の術中に落ちて最も『不名誉なる孤立』に至りしのみ。独を敵とし延いて米と相警しめ、露と和するがごとく
にして英と交々含み、対岸の四億万民また皆を決して酬いるの時を待つ。四面楚歌の声とは真にこの事。−−こいねがわくは諸
公の活眼達識よく一転独・米と結んで英・露を撃破しもって抑塞せる国力の向ふ所を南北に分ちて欲しいままに放たしむるなきか。
雄略かくのごとくんば古今を空しうするもの、何ぞ一ビスマルクの匹敵すべき所ならんや。日支親善は是において実に独・
墺刎頸の交となるべし。彼の恥づべき恫喝と譎詐とを闘はしめたる日支交渉案のごとき、北、満蒙は日露大戦の正義
に返へる事によりて解決すべく、南、漢冶萍の鉄はただに日本の軍器独立に必要なるのみならず支那の存亡の為に支
那の進んで共同経営を求むべきは論なし。日本第一の噴飯すべき外交家加藤氏のごとくイギリスに致されて『第五項案』
を保留するに及ばず。またある種の陸軍系政客のごとく漢冶萍解決の為めに周特使を迎へて逆臣の簒奪を日本皇帝の名
において承認せんとする国民道徳の指弾を受くるにも及ばず。−−漢冶萍その他の鉄炭を基礎とせる大々的グループ会
社を組織し、三分してその一を支那政府に、他の一を日本政府に、余の一を日支両国民の民有とせば両国軍事同盟の
礎石ここにおいて動かず。−−故山座公使はこの点に就きて具体的成案を有したりき。白人の担保流れを企画する高利貸
政策を学びて僅々数千万円を貸付しもって日夜他の侵すなからんことを恐る。対支外交一として児戯にあらざる者なし。
独・米を連ねたる日支の軍事同盟に依る軍器の共通は支那の側より進んで漢冶萍の解決を求めざるを得ず。何ぞ日支
交渉と周特使とを要せん。然るに英・露に随ひてアンエルスの分割会議に列する外交方針の下にその合弁を求む。これ
合弁にあらずして明白なる侵略なり。袁世凱ならば皇帝の金冠と国家独立の鉄山とを換ふべし。日本に必要なるごと
く支那の軍器製造に必要なる漢冶萍は、日本が英・露随伴の国歩を一転せざる限り断じて革命政府の死力堅守する所
なるべきは論なし。天意人心日支両国の同盟を熱望するかくのごとくにしてしかも阻隔ここに至るゆえんのもの、一に諸公が
ビスマルクたらざるに存す。あゝ日支両国を永遠に結合する日支官民の一大軍器製造会社よ。営利は不肖の知る所
にあらず。ただ軍器の製造は国権の拡張を意味す。不肖はこの壮観より史上の回顧を欲しいままにする時、かのシベリア平原の
191
風雪を蹴立てゝ中央アジアの恵まれたる諸大国を攻め、もって露都を衝きポーランドを降だし、オーストリア・ハンガリーを屠り、ド
イツ、ワールシュタットの戦場*8においてハィンリッヒ二世と王妃アンナを討ち取りし蒙古共和軍の光景に肉躍骨鳴せざる
を得ず。何ぞ疲弊せる我がカイゼルをして再びアンナ礼拝堂の壁画より黄禍の図案を画かしめんや。わずかにアジア
人之アジアの為めに。
 諸公。大ナポレオンが軍事外交と同時に運河を穿ち国道を開き法典を編纂せし多忙のごとく、支那のオゴデイ汗は日英戦争
に参加し露支戦争に出陣し、財政革命を為し軍政改革を図り郡県的統一を遂げ、日支同盟の軍器製造会社を組織す
べし。しかしてさらにアメリカの資本を輸入して四百余州を有機的一体たらしむるピョートル大帝の働きを為さゞるべからず。
ナポレオンは革命の破壊的部分がダントン、ロベスピエールの死力によりて終結せし後に来れり。支那の大総統においては建
設とともに破壊を断行せざるべからざるは明治大皇帝のごとくにして、しかも日本のごとき三十年の歳月を許されざ
るものなり。−−ただ彼れのただ一の幸福は革命されたる外交によりて日本の後援の下に断行を欲しいままにするを得る一事
なりとす。すなわち孫君のいわゆる二十五万哩の鉄道敷設が同盟国日本の保証の下にアメリカの資本を奔流のごとく導く事により
て急設せらるゝごとき最も大なる後援の一なり。諸公。アメリカの資本を支那に導くべしとの提唱に駑くなかれ。元来アメリカ
と日本とは何の宿怨あり、何の利害衝突ありて今日のごとく相いましむるや。彼れに排日熱あるは恰かも支那に『あえて物
言はずして怒る』ところの排日熱あるがごとく、日本の支那に対する顛倒的誤策より生ぜし反響に過ぎざるにあらず
や。また支那において日本に一の敵意なきドイツを日本の攻撃したることによりて、アメリカにあるドイツ系統の愛国的憤怒に
過ぎざるにあらずや。アメリカに帰化せるドイツ人シーフは日露戦争の時−−露独抗争の国家的道念をも加へて−−専ら日
本の外債を担任し自ら日米会長たりし程の親日主義者なりき。しかも日本の青島攻撃と同時に一切を辞して最も熾烈
なる排日論者となりし一例に鑑みよ。俗見の多くは今のアメリカをもってイギリス人の分家なるかのごとき了解の上に外交の論議
をいやしくもす。これ日英同盟すればアメリカしたがって同情するかのごとき幻想を生ずるゆえんなり。しかも今のアメリカは全欧洲のアメリカ
にしてある一国のそれにあらざるは何人も知る所にあらずや。否、建国の最初より欧洲各国民の各洲に殖民せしもの。一
たびイギリスの優越権下に落ちしといえども、たちまち欧洲各国の合力によりてイギリスを排除したる歴史が明示するにあらずや。
しかして特に今日においては欧洲に最も優越なるドイツ人が同時にアメリカの財界政界の主力を把握してむしろドイツ系の支配に
属するアメリカなるにあらずや。すなわち今のアメリカにおける排日熱はなお支那のそれのごときものにして、日・独の提携と同時に実
力の後援を得べき頼母しき親日論に一変すべきものなり。何者の計ぞ日米戦争のごとき悪魔の声を挙げて日本の朝野
を混迷せしめ、支那に事あればまず米に備ふるの用意を艦隊司令官に命ずるごとき狂的政策にはしらしむるや。あるいは日
本移民の拒絶を理由とするものあらん。一国が有害なる移民を拒絶し得べきことは日本が支那の苦力を拒絶しイギリス殖
民地のオーストラリアが絶体に日本人の入国を拒絶しつゝあるがごとし。自国に敵意ある日本人を排斥するアメリカは国家の自衛的
権利を行使せるもの。日本がその包蔵する敵意を放棄するかまたは英領を奪ひて自国の黄金郷に走るかによりて決す
る単純なる問題なり。移民拒絶が日米開戦の理由たり得るならば日本はすでに早く日英戦争を実行したるべき論理な
らずや。−−際限なきイギリスの奴隷よ。これイギリスが日本をしておのれの拘束より離れざらしめんが為めにかえって巧みに煽動
するところのものにあらざるなきか。諸公。アメリカはキューバ・メキシコに対しては債権の設定より侵略に出でたりといえども、支
那の投資に対して兵力を用ゆることは長鞭馬腹に及ばざる*9ものなり。したがって彼の対支政策が列強の分割によりて支那
の閉鎖さるゝことを恐れて完き意義の領土保全主義−−開放されたる市場としての支那を主張しつゝあることは彼
としてこれ以外の途なきをもってなり。これ彼れがロシアの併呑策に対して保全主義を提げて起てる十年前の日本に強
大の後援をおしまざりしゆえん。したがって露支戦争および日本のシベリア侵略に対して再び有力なる同盟的立場に立ち得べき
ゆえんなり。彼の弱点は支那の投資において日本の保証なくんば元利一切の不安なることにして、日本の弱点は彼の投
資によりて支那の開発さるゝなくば日本の富強なるあたわざる利害の一致に存す。−−隈伯何ぞ『支那における日米
経済同盟』を提唱せざる。アメリカが支那に投資すること、一億より十億に進み百億に達せば、日本の市場が数十倍の
貿易表を示すときなるとともにアメリカはいよいよその投資の保障を日本の実力ある保全主義に繋がざることを得ず。別言
すれば、日米経済同盟とはアメリカをして日本に叛く能はざらしむべく、アメリカより保証金を日本の兵力下に供託せしむ
ることなりとす。フランスの資本におけるロシアの陸軍と言う関係が露仏同盟なり。すなわち米の対支投資は支那保全主
義に対して日米間を不可分的同盟たらしむるものなり。アメリカがしかし第二のイギリスを学びて支那の経済的併呑を策する
193
ことあらば、日本は支那と共にその兵力をもって供託せる保証金を没収すれば足る。戦費賠償金の前渡しをもってする
ならば不肖ら何ぞ日米開戦説にくみせざらんや。五国借款の執行吏と黄白両大陸国の支配と、一にただ外交革命の一
転機によりて分る。清末と袁世凱との時代において借款亡国論たりしものはオゴデイ汗の共和国にいたって借款興国策に一
変すべし。これ鎖港攘夷論が徳川氏の亡国組織において皇帝および革命的青年によりて唱へられしに係らず、革命政府
成立と同時に開国進取の宣言に一変せしと同様なり。開鎖の論は末なり。墨銀*10三百万$を贈りて馬関攻撃を依頓せ
る竹本淡路守の心をもってする開港と、連合艦隊に敗られて対等の休戦を頑守せし高杉晋作の心をもってするのそれと
は興亡の精神を異にす。さらば同一なる外国借款が中世的代官階級の時代に行はるゝ時亡国論となり、団匪的正大
気に充実せる革命政府の利権回収論的精神に施さるゝ時興国策の一となるに何の疑ひなし。故にいわく、借款はただ日・
独・米を連ねたる英・露撃攘の大策に立ちて親ら馬を蒙古・西蔵に駆るの英雄にあらずんばなすあたわずと。誤解するなかれ、
故にこれいわゆる親米主義にあらず。呉延芳*11のごとく日本は貧国なり米は富家翁なりとして銅臭紛々たる代官根性をもって行
ふべき政策にあらず。彼徒すべてはアメリカ投資が日本の保証の下にあらずんば支那に入るあたわざる経済学の原則−−資本の
安全性−−を理解せざる程の亡国的官吏なればなり。海外投資はこの原則によりて武力の後援を要す。彼の唐紹儀と
袁世凱・孫逸仙とが共に計りて南北講和後の急需にベルギーシンジケートを借れるごとき無智浅見の凡俗をして当らしむ
べき者にあらず。彼らはその外形を見て侵略的性質を帯びざる小国の資本なりと誤解し、現下の大戦に暴露されたる
ごとき露仏同盟の羊皮せるものなるを察せずして驚くべきロシアの鉄道を導かんとしたり。不肖をして日本の五国借款加
入を弁護せしめよ。その当時かって一言の反対だにせざりし孫逸仙が第二革命に臨んで怯懦なる犬のごとき五国ボイ
コットなんどの吠声を挙げし事あり。しかも孫と袁世凱と唐紹儀との責任に出づるロシアの侵入を導けるベルギー借款は
当面に日・露の均勢を破り、ついに日露再戦の場合において日本を不利に陥るるもの。日本に取ては孫・黄の八百ダースより
もロシアのそのに代れる満蒙五鉄道が必要なりしなり。すなわち日本の五国借款加入はその前渡金を以つて孫・唐らの禍根を植
えんとせしベルギー借款の償還を条件としたるをもってなりとす。同一なる借款にして国を亡ぼし国を興す事かくの如
く、同一なる親米主義にして団匪的興国魂より迸発せるものと代官的慣習の腐腸より露出せるものと、天淵またかくの如
し。しかして我日本たる者かって『皇国の存亡この一挙にあり』し時後援し、さらに現下の戦慄すべき存亡に臨んで再び最
も有效に後援せんとするアメリカを敵視するとは狂乱の沙汰と言うべし。さきに支那を割亡せんとせし六国の協調は欧
洲大戦に破れて四国の富はことごとく他の一国に横溢せり。溢るゝものは流れざる可らず。日本依然として米資の支那に入
るを防がは平和克復の後−−資本水準の理法に依りて−−再び欧洲に逆流せしめもって国力の回復を促進し白人東侵
の勢を倍加して鞭撻するに至らんは必せり。先んずれば人を制す。夷をもって夷を制するの外交的原則は世界春秋の
現時特にこれを捨つ可らず。伯やすべからく日米経済同盟を策せん。
 諸公。日米経済同盟による支那の鉄道急設は当然に他の四国英・独・露・仏の鉄道敷設権および借款権と両立せざるものな
るは論なし。ドイツは英・露を挟撃すべき我が攻守同盟国としてその有する津浦鉄道の北段(三九一哩)は、輸入せる米
資をもって償還し彼の為に現下切迫の軍資に供せしむべし。ロシアの東清鉄道(一、〇六七哩)はその北満洲と共に日
本の南満鉄道に接続したる昔時に返へりて日本の領有に帰すべし。これ日露戦争の完全なる解決なり。ロシアは他
に未設線の権利を有すといえども分割乎保全乎を問題とさるべき彼はこれによりて支那に何者をも残さず。イギリスの有す
る鉄道は最も大なり。京奉鉄道及支線(六〇六哩)、津浦鉄道南段(二三二哩)、滬寧鉄道(一九三哩)、[さんずい松]滬(一二
哩)、広九(二三哩)、滬杭甫鉄道(一〇四哩)合計一千百七十哩の既設鉄道は支那の無償をもって没収すべきものなり。
諸公。不肖をもって暴論を欲しいままにする者となすなかれ。国家の主権は絶対なり。理由はいかん様にも発見し得べし。日本が
ドイツに最後通牒を発する時三国干渉の旧怨を引き出せし論法をもってすれば阿片をもって中国を毒せしことより数へて
千百を得べし。屠殺さるべき在支イギリス人の埋葬費と言うも可。欧洲大戦または日英戦争に参加せる戦費賠償金の前渡し
なりと称するも可。ほしいままに国旗を立てゝ占領と名け租借と号せし彼らに比すれば戦時行為としてかくのごときも猶人
道的なるに過ぐ。恐くは日・独のインドと本国とに加ふる挟撃によりてイギリスの歴史は巻末となるべきが故に、支那は単
に放棄されたる債権を収得するものとなるべし。フランスまたしかり。[さんずい真]越鉄道(二九六哩)。ベルギー同じくまたしかり、海蘭
鉄道(一三六哩)。−−あゝ諸公。いわゆる今の連合軍側と称せらるゝ英・仏・白*12・露の以上諸鉄道を没牧することによりて
支那が分割の危機より脱することを得とせば、一国の権利においてドイツに加担して戦ふことは罪悪なる無策なりと云
195
ふか。止めよ支那悲観論者。支那の分割は経済的分割にあり、経済的分割は鉄道分割に始まると為すもの、支那地図
の東西南北に彼らの未設線路または予定線路を彩どりて分割まさにここに至るとなす。−−元来支那亡国論者は論理的矛
盾を極む。清国の亡国なりし事は論者の言のごとく革命によりて亡ぼされたることをもって証明されたり。彼らの論理
はこの点まで正当にしてかつすでに終結したるものなり。彼らは自己の所論が一九一一年に終結せることを気付かず、
清国を亡ぼしたる跡に興らんとする他の理想と制度と外交関係とを有する別個将来の国家に演繹せんとするは何ぞ。
亡ぷべき材料と事実とに基く『いかにして清国が亡びしや』既定的解説と、新たに興らんとする風雲の機を今古興
亡の機微に考へて『いかに民国が興らんとするか』の可能的努力と、これ実に錯誤すべからざる全然別個の二者に
あらずや。すなわち既定的解説はいわゆる支那通と称せらるゝ事情の精通者に求むべし。一大革命によりて興らんとする民国
の将来に至つては斗屑彼らの容喙*13すべからざる権域外の別事なり。−−これ一大経世家の思考すべき事項。ナポレオンの
フランスがアーサー・ヤングの旅行記によりては想察されず、明治大皇帝の日本が『虚言人種ただ強圧政策あるのみ』
とせしバークスによりては推知されざりしがごとし。不肖は断言す。支那の興亡は二十二史と数年の支那旅行により
て考ふべきものにあらずしてこれを決定するただ一の者は−−日本の外交革命と英・仏・白三国の鉄道没収に存するのみと。
すなわち少数なる支那人とおよび諸公とによりて決せらるゝ方寸のいかんなりといふの言いなり。歴史ありて以来諸公のごと
き重大なる使命を負ひしものを見ずと云へる不肖の前言を形容辞たらしむるなかれ。諸公。しかし革命を断行せし少数な
る支那人なかりせば、清末の鉄道切売政策は前掲既設線に加へて列強利権の分野となり、図上一面に紅黄紫緑を縦
横して経済的勢力圏より一転政治的分割に終はりしは論なし。すなわちただ彼らの断行ありしが故に支那亡国論は討論終
結したるなり。さらば諸公。公等の外交革命を断行する事によりて、さらに彼らをして英・仏・白三国の既設線路を収得
せしむるならばこれ一切の分割的原因を根本より一掃するものにあらずや。−−繰り返へして断言せしめよ。支那
の興亡は千百の無用有害なる支那通、支那学者、支那浪人の放言妄動にあらずして一に諸公の方寸にありと。日露
戦争の本義ここにおいて貫徹すべし。保全主義の公道ここにいたって徹底すべし。あゝ雄図古今を空しうする日支同盟よ。日
本がイギリスより香港を奪ひ、シンガポールを奪ひ、南洋諸島を奪ひ、オーストラリア大陸を奪ひ、さらに国庫を破産せしめんとす
る債務を奪ふことに対して、支那に一千百七十哩の鉄道と債務とを奪はしめよ。日本がフランスよりかって支那の領土
たりし安南一帯を奪ふに対して二九六哩のそれと債務とを奪はしめよ、日本がロシアより東清鉄道の一〇六七哩と
北満洲を奪ひて支那に何者をも与へざるに対して、彼に露仏同盟の前駆をなせるベルギーの一三六哩を奪はしめよ。
かくのごとくにして大日本ならざるなく、保全されざる支那無し矣。譚人鳳かって不肖に語りていわく。袁・孫の徒国を洋
夷に競売す。鄙人無きの後中国あるいは亡びん。しかもこれなお可。洋夷数十百億の資を投じて中国民を富強ならしむれば
これ中国を独立せしむるもの。一挙団匪を起して彼らを追はんこと必せり。彼らは鉄道と鉱山を荷ひて逃走するあたわ
ずと。諸公。彼の翁が不肖のごとき明確なる組織的理論を有するや否やを知らず。しかれども故宋君といひ、故范君と
いひ、現時不肖の交遊聞知せる人々のほとんどすべてがことごとく譚的団匪ならざるなきは、帰納的に不肖をしていわゆる北袁と南
孫とに基きて妄論する者と見解を異にするかくのごときに至れるのみ。袁・孫共に過渡期の贋造貨幣。世界の眼を欺き
て革命の支那をおおふといえども、現下の革命乱によりて所在『地下層より揺り上げらるゝ』無数の譚的団匪は必ずや欧
洲大戦の機を捉へて支那自身の根本的保全を策すべく一点の疑なし。塩税徴集権を競売せし袁と、全国鉄道総辧と
なりて依然たる切売政策をボーリング会社に試みし*14孫とによりて今後の支那を思考すべからず。何人が任に当るべ
き天命を享くるやはナポレオンの答弁を反覆するの外なし。また時機到来のいかんを洞察して、施策自ら形勢のよろしきに応
ずべきも論なし。しかも日本の動かすべからざる対支根本政策は彼らの分割的基準を一掃せんとする冒険を援助して
保全主義を徹底せしむることなり。一挙艨艟*15を英に放ち貔貅*16を露に駆りて太平洋を庭池としたる大ローマ帝国を基く
ことなり。何ぞ支那の三国より奪へる『煉瓦の一片』を欲するものならんや。
 実に支那に横溢せざるを得ざる大資本を抱けるアメリカが、今日に至るまで一の利権的立脚地を支那に有せざること
は、日米経済同盟の可能をしてさらに大可能ならしむるものなり。もとより両国の投資は中世的組織の維持に用いらるべ
きものにあらざることは論なし。蒙古的共和国の大総統は対露一戦の期において、維新革命よりも急激に、フランス革
命よりも秩序的にこれらを一掃し、もって新たなる建設を奮励すべし。彼れは恐らく『鉄道院』の計画と会計を独立せ
しめん。日本とアメリカとは自由にその段資の安全を注意するを得べく、一切の代官的人物を存在せしめざるが故に、
197
支那は進んでその公開をよろこぶべし。これ財政監督にあらず。普通に行はるゝ事業の経営方法なり。行政費の欠陥を
補はんとしてその費途に容喙し、回収の不安なるが為めに徴税権の行使に参与せんとする者は財政監督なり。事業
の経営において計画を有效にし会計を公明にすることは、外資たると内資たるとを問はず国営と民業とを論ぜず一般
の通則なり。民国元年、不肖は六国借款の交渉さるゝ時隣国の諸友に力説していわく。何ぞ六国の款を用いて独立せ
る鉄道経営を断行し、もって各国の経済的分割圏を抹除して経済的保全に一転せしめざるや。六国を一団とせる鉄道
院の会計と計画の下に列強の既設鉄道を買収し一切の未設線を取消さばこれ彼らをして自ら保全に努めしむるものな
り。津浦鉄道の南段と北段とに見るごとく北支那と南支那とを英・独に協定せしむることは鉄道による支那分割の亡清
的遺策なり。ノックスの鉄道中立案は日・露の満洲に企てられたるが故に夢想に終はりしといえども、彼がまず英・仏・白ら
の支那本部にあるそれと、今後の敷設さるべきすべてとを列強の投資による中立とせば日・露また悦んで参加すべかりし
なり。今はすなわちその時にあらずやと。実に当時孫・袁の−−言ふべからざる提携−−固き私利的握手なくんば、革命党は
亡国階級の維持に浪費されたる六国借款を鉄道に導きて列強と支那の前途とを平和の間に解決して保全的基礎を築
きしやも知るべからず。もとより形勢の変化に応ぜんとする今の開戦による鉄道没収が英雄にあらずんばなすあたわざる
ごとく、この『六国資本の鉄道統一に依る経済的保全策』が袁政府の交通部と孫文輩の鉄道総辧をもってしてはいわゆる虎
を描いて狗に類すべきは明かなり。しかしながら孫にして寸分の経済的識見ありしならば袁を倒す上においても行政費
に消ゆべくして監督の可否の論争さるゝものに投資すべきや、収利の明かにして材料の供給に利し会計の明白なるもの
に投資すべきやを資本の安全性に訴ふべきはずなりしなり。六国財団が袁政府を棄てゝ孫総辧に走るべきは論なく、
すなわち孫の回復にして袁の失脚にあらずや。−−今にして顧る、実に英公使ジョルダンの旨を受けたる一英医モリソン
の結べる孫・袁の握手が東亜の大局を浮ぶべからざる深淵に投ぜんとせし事ほとんど粟膚戦慄に堪へず。しかしながら諸公。
見えざる偉いなるものはついに正義を顕はし東亜諸邦を救はんとす。この文字を草しつゝある中に宋を上海に暗殺せる
陳其美は実に同じき上海において天の暗殺を受けたり。第二革命の因を為せる宋が敵味方に悼惜されたるに反して、
第三革命の妨げを為せし彼は敵味方によろばれつゝ終はれり。しかして早くすでに籌安会を解散せし袁がついに刑戮に至る
ベきごとく、近時中華革命党を解散したる孫も相前後してギロチンに上らんとす。−−あゝエべール*17の霊がおのれを殺
せしダントンを同じき獄房に招き、ダントンの霊がまた同じくおのれれを殺せしロベスピエールを同じき獄房に招き、ロ
ラン夫人*18の為めに仇を復せし少女コルデー*19の室が実にロラン夫人の室なりしはフランス革命の審判なりき。同じき
我神の審判は今や明かに支那に現はれつゝ始まれり。南北に現はれたる亡国的代表者の一掃さるゝかくのごとくにし
て、天は四国の資本をアメリカに横溢せしめ、日本を戦争圏外に置けり。−−天意鏡に掛けて見るがごとし。これ天オゴ
デイ汗とその諸汗とをして英・仏・白より没収せしむると共に、日米両国に命じて経済同盟を固くし四百余州を鉄道により
て有機的一体たらしめんとするにあり。孫文において夢なりしものを倍加して十年正しく五十万哩。これ全欧洲より集
注せる大資本をもってかって西大陸に鉄道網を縱横せし経験を東大陸に復習せしむるに過ぎず。アメリカの当らばその容易知
るべきのみ。日本は彼と共に経営者の位置を求むべきかはた支那の側に立ちて裏書人たるかは不肖あえて言はず。ただ
オゴデイ汗の希望の一を充たさしむれば足る。−−すなわち従来の分割的将来より画かれたる各国の予定線を一抹して軍
隊輸送を基本とせる設計を取る事なり。実に支那の統一者は袁・孫にあらず譚・黄にあらずして一にただ鉄道なり。支那の郡
県制度は鉄道によりて統一せられ、支那の『産業革命』は鉄道によりて中世的経済生活を近代に飛躍せしむべし。
鉄道は支那の主権者なり。代官階級の富が露支戦争に消費さるゝ一面において、敷設費の半ば以上は四億万民に落ち
てフランスのごとき恐怖時代の再演なからしめむ。これナポレオンが戦争の禍害を防がんとして国民の労働的利益の為に一面
運河の開鑿*20、道路の通達を急ぎしゆえん。しかしてまた日本が革命乱より被る貿易的災禍を空前の幸福に一転せしむる焦
眉の対応策となるべし。−−支那革命期に対する対支貿易の維持策はただ一にこれあるのみ。インド三億万民の統治は
三万数千人のイギリス人にありといふ。これ鉄道を有する三万人と有せざる三億人との強弱なり。鉄道なき時代の日本は
各地に鎭台を置きて内地の反乱に備ふる兵カを徒費せり。四百余州の郡県に連れる蒙古・西蔵が軍隊輸送本位の鉄道
に統一さるゝに至りて、支那は内地の為の軍隊浪費を要せざるべし。これ日支軍器製造会社と共に支那が統一的有
機的一国たる根本基礎にあらずや。ロシアは単に図上の色彩に過ぎざるシベリアを有して鉄道を有せず。別言すれ
ばドイツより小国なるが故に破られたりと言ひ得べし。今の支那は鉄道の通ぜる地域だけの小国にして地図の面積に
199
係はりなし。不肖は確信す。五族統一の中華民国は一にただ日米経済同盟に依る鉄道急設をもって実現すべしと。
 陸軍当局が処置に苦しんで師団増設を唱ふる将校の増殖はシベリアを支配し得べき国力の充実と、支配せざるべ
からざる運命を指示するものなり。海軍当局また案配に悩んで海軍拡張を叫ぶ将佼の増殖は、大西洋のイギリスに代はるべ
き太平洋のそれの実力と運命を指示する者なり。二個の物体は同時に同一地位を占むるあたわず。一のイギリスは他のイギ
リスを除去してその領土を有せざるべからず。しかして年々歳々増殖限りなき壮丁は日本の国籍を脱し日本人として死
せずんばアメリカに入るあたわず。国力の横溢はかかる效果なき死者を惜まず。さらば何ぞ彼らを北満の野に死せしめし意
義において英露撃攘戦における護国の鬼たらしめざるか。正貸準備を英蘭銀行に監督さるゝこと袁世凱が五国銀行団
におけるごとくなるよりも、日露戦争の戦費賠償金を得る能はざらしめし陰謀家に償金を課することは独立国の威厳
を持する正義にあらざるか。支那のごとくすべての収入を担保とせる二十億の外借を帳消しとせば、いかんなる凡物も大
蔵大臣の局に当りて陸海両省の国力横溢に答ふるを得べし。償金前渡しの開戦なり。しかも足らずんば米に求むべし。
彼は居ながらにしてカナダを獲得すべき大報酬あり。彼はカナダの為にはフィリピン群島の譲渡をも辞せざるものなり。
 あゝ日章旗を欺かざる太陽の公平をもって米支両国を照し、さらに両半球のすべてを照すべき大日本帝国よ。近時袁の
背後に米資あるが故に日米開戦を避くべからざるかに迷ふか。何ぞさらに米の背後に青島攻撃を恨めるドイツと、国難
に乗じて主位を奪はるゝことを含むイギリス外交の潜むことを想はざるや。太陽に向って矢を番ふ者は日本そのものといえども
天の許さゞるところなり。日本は天地の正義に従いて始めて太陽旗に守護せらるべきのみ。いわゆる独探は処罰せらる。
その位にありて日独戦争に陥れたる露探と、さらに再び日米開戦に至らしめんとする英探とは、明治大皇帝の神霊がその
の改心を待たんが為めに暫く刑の執行を猶予し給ふことに三省せざるか。言ふ所の者は匹夫一輝なり。彼奴をして
言はしむる所の者は天なり。天、日章旗を指さし、大日本帝国の名において諸公の厳粛なる国際的正義に依る外交革
命を要む。(大正五年四月未より五月末稿印刷配布)
 
 
 
*1谷干城:(たにたてき)明治初期の軍人。西南戦争のときに熊本城を死守し政府軍の勝利に貢献。
*2龍渓先生:矢野龍渓(やのりゅうけい)。明治時代の政治家・小説家・ジャーナリスト。『経国美談』は代表作の政治小説。
*3柴四朗氏:明治時代の政治家・小説家・ジャーナリスト。代表作『佳人之奇遇』は日本最初の政治小説。
*4大山・乃木:大山巌、乃木希典。
*5ルビコンを渡れり:後戻りできない重大な決意をすること。
*6浮華軽佻:(ふかけいちょう)浮華=うわべだけが華やかなこと。軽佻=考えが浅はかで落ち着きが無く、すぐに調子に乗るようす。
*7苟安:(こうあん)一時しのぎに安楽を楽しむこと。
*8ワールシュタットの戦場:ワールシュタットの戦いのこと。バトゥ率いるモンゴル帝国遠征軍とドイツ・ポーランド諸国連合軍の戦い。この戦いで連合軍は敗れポーランド王ヘンルィク2世(ハインリヒ2世)は戦死。その後モンゴル軍はオーストリアのウィーン近くまで迫るが、本国よりオゴデイ汗死去の報がはいりバトゥは軍を引いた。ちなみにワールシュタットは現在ではポーランド領だがこの本が書かれた当時はドイツ領。
*9長鞭馬腹に及ばざる:長いむちでも馬の腹までとどかない。強大な勢力でも及ばないことがあるというたとえ。
*10墨銀:(ぼくぎん)メキシコ(墨其古)銀貨。当時メキシコは世界有数の銀の産出量を誇っており、その銀貨は世界貿易の基軸通貨となっていた。
*11呉延芳:伍廷芳(ごていほう)の間違いだと思う。イギリス留学組。辛亥革命後、南京政府司法総長。
*12白:ベルギー(白耳義)
*13容喙:(ようかい)くちばしをはさむこと。はたからよけいな口出しをすること。
*14ボーリング会社に試みし:どういう意味?山師の意味か?
*15艨艟:(もうどう)軍艦
*16貔貅:(ひきゅう)猛獣の名前。転じて勇ましく強い軍隊。
*17エーベル:ジャック・ルネ・エベール。フランス革命期の政治家。ジャコバン派でロベスピエールの恐怖政治に貢献するが、後に対立してギロチン台に送られた。
*18ロラン夫人:フランス革命期の政治家。ジロンド派の女王。ロベスピエールの恐怖政治でギロチン台に送られる。
*19少女コルデー:ロベスピエールの同士、マラーを暗殺した人物。暗殺されたマラーが浴槽で死んでいるシーンが有名絵画になっているのでやたらと有名。
*20開鑿:(かいさく)山野を切り開いて道や運河などを通すこと。
 
 
 
 
 
 
    二十 英独の元寇襲来
 
 何ぞ支那の革命と云ひ日本の外交革命と云はんや。宇宙の大道一ありて二なし。太陽の照らすごとく大に、太陽の
行くごとく正しかれば足る。道を『明』かにして民を『治』めたるは『明治』の準備時代なりき。天地の正道を踏ん
で雄大なる慈悲折伏の歴史を開くことは『大正』の現時ならざるべからず。『大正』とは『正』に立ちて『大』な
るの義。遼遠なる古へにおいて釈尊の預言し給へる日出づるの国の太陽旗は今やまさに全世界の暗を照らさんとす。諸
公何ぞその旗手たらざる。
 支那に対して慈悲あらしめよ。オゴデイ汗の共和国は一年にしてその基を築き十年に至らずして日本に代りて日本
を保全し得べし。ドイツに対して平和あらしめよ。彼は宿昔の半亡国より学術と勤勉とをもって刻苦富強なりしもの。小
弱国を貪食して大なりし露のごとく、未開人を屠戮して冨を積みし英に非らず。彼は日本と同一なる外交的錯誤の為
に窮谷に陥り日本と共に相救はれん事を望めり。彼はトルコ以東に来らざる約束において英・仏の持てるアフリカ全部
を経営するを得べし。日本はフランスのアジアに持てるインドシナを占有して、英領インド三億の民に自由あらしむべし。
これ英領インドにドイツの来らざる約束の保障として絶対に占拠せざるべからざる地域なり。インドはドイツによりて独立
すべきものにあらずして、日本の仏領占拠によりて後援せらるべき独立なり。仏領インドに拠らずしてインド独立を言ふ
は処士の横議のみ。米合衆国をして建国以来の国家合衆策をすでに事実上米領化せるカナダに許容せしめよ。これ日
本がオーストラリアおよび南洋の英領諸島を併合する為めの公平なる正道なり。支那をして蒙古を確保せしめよ。日本は南北満
州黒龍沿海の韃靼領を統治すべし。イギリスは東ローマが亡びたるごとくポーランドが亡びたるごとく今後の歴史に無用なる遺
物なり。彼はユダヤ人のごとくその誇るべき功利主義をもって世界に居住するを得べし。しかして支那とインドとトルコとが
201
アジアの近代的自覚史を書き始むべし。−欧洲大戦はかくのごとく終結せざるべからず。呆うけたる顔を列べて遠き
火を望むかのごとく勝敗いかんを待ち講和会議の参列を争ひ経済同盟会議の出席を停車場に見送る国賊に近き者よ。彼
らを決せしむる者は彼らに非らずして一に日本なり。いかに講和せしむべきかを指示して会議を召集するものまた従
て日本なり。会議の地はスイスに非らず。山紫水明なる蓬来島なり。すなわち世界列強の治乱興亡はわずかに東京における
諸公の方寸に懸かるものとす。一塊掌上の地球儀何ぞ滑かにして小さきや。
 あゝ古今の興亡間一髪とは今の日本を言ひしものか。ドイツあるが故に北アジア侵略のウラジオストクを南アジア経営の
香港とが日本の存亡を問はず。然るにドイツを打撃して、かえって英・露の為めに後顧の憂を除かんとするは日本全国の発
狂に非らずや。ドイツの敗戦は直ちに日本の勢力失墜となりて英は同盟を要せずとすべく、あらわ放胆なる再戦を求む
べし。これすなわちドイツ勃興以前の維新時代の英・露東侵に帰へるもの、日本の亡国は支那を分割し終はる数年後に来らん。
あるいはドイツの勝利に一縷の望を繋ぐか。これまた等しくおのれが敵のおのれに勝たんことを祈る狂気の沙汰。ドイツ六分の勝
ちに終らば仏領インドは必ずカイゼルの足場となるべく英独妥協の東亜殺到は鏡に掛けて見るごとし。ドイツの東洋に来
るべきを警戒せる沿岸不割譲の宣言は仏領インドを包括したるものにあらず、またイギリスをして香港にドイツ艦隊の碇泊を許
さゞるべしとするの言いにあらず。何者の痴漢ぞ、茫々乎手を拱きて勝敗いずれにせよ我が日本の利益なりとうそぶくや。
限りなき狂乱はさらにこの機会をもって米と一戦を欲すと言う。米は全欧洲そのものなり。各種の白人種が欧洲においてはギリ
シャのごとく小邦分立し、米大陸においてはローマのごとく一国を成せるもの。彼れに対する挑戦は戦乱に疲れたるギリシャ諸国の
講和の機会を与へて戦慄すべき対日同盟軍を見ん。日本はこれに不義の戦を挑まんとするか。さらに支那大陸は白人
の侵略より覚醒せる意味において日本従来の凌辱を理解せり。支那の革命乱を統一するものはついに日本なりとし、好
機一閃直ちに兵を進めて強圧すべしとなす。日本は彼に対してかかる不仁の兵を用いんとするか。あゝ支那に不仁の
兵を用いるの時は米の正義を求むるに対して不義の戦を挑むの時。しかして日米開戦に至らば白人の対日同盟軍と支
那の恐怖的死力によりて日本の滅亡は一年を出でず。呆顔喪心支那の革命において策の建つる所なく、いたずらに欧洲大
戦の決を待たはあるいは英露東侵の維新前に帰へりあるいはついに英独提携の元寇襲来を見ん。故山座公使と駐支ドイツ公使と
の提携が日本に通ぜざりし事を知らずして日本必ず英・露を挟撃すべしと過信せしカイゼルの外交的不謹慎はもとより
しかり。しかも日本にうられたるの怒は対等的講和の時、彼れのキング・ジョージ*1に要求すべき一条件をなすべし。
カイゼルはいわん、英帝国とドイツとは積年の希望のごとく妥協すべきものなり。かかる無意義なる同族相殺の争を事とし
て黄禍を招かばこれをいかんせん。イギリスはインドを失はざりし幸福を永久に享有せよ。ドイツはフランス本国の占領地を還
付して彼に無用なるインドシナを得べし。英独相和して両インドを有せば、先年協商せる支那南北の分割は日本討伐に
よりて完成せん。彼はすでに我が北方の権利を侵したり。願くは香港を借るの便宜を得ん。イギリスは宿望の揚子江流域
を得べし。おのおの本国に要なき艦隊を両インドに回航せしめば日本は三国干渉の屈従を再びすべきのみと。これイギリスの
国是とドイツのそれとの一致なり。しかして敗露またただ々として参加すべく、三国干渉よりも恐るべき三国の支那分割な
り。日本よく夜郎自大*2なりといえども、カイゼルの指揮の下に英・露の裏切るに会せば一戦の勇だになかるべきは論なし。
あゝ上下苟安を貪りて権に驕り利に走り、一点奉公の至誠をもって政に当るものを見ず。ついに国策を倒まにして興国
の天機を亡運の呪ひに変ぜしめ、もって建国以来未曽有の国難に導く。諸公の招きたる英・独の襲来は元寇の国難と責
任を異にす。むかし日蓮上人辻説法の迫害を被りつゝ『立正安国論』を草して執政者を戒む。しかも上下ことごとく信ずるもの
なき今の日本のごとし。あゝ三世十万の諸仏なお日本を棄てず。諸公何ぞ支那の革命が伊勢大廟の神風なることを悟ら
ざるや。
 世界列強の興亡に最後の判決を与ふる大にして正なる『大正日本』たるか。英・独の元寇襲来によりて消失すペき
亡国史を書くか。一に支那革命の神風を賜ひし天籠を拝謝して外交革命を断行することにあり。不肖何をか隱さん
また妙法蓮華経の一使徒。教兄日蓮慈悲折伏のコーランを説きて未だ刃を出さず。世界一教を説きてなお支那・インドに至
らず。成敗ただ釈尊の照覧し給ふところ。経巻を抱いて神風渦中に投ずる数旬を出でざらん。一巻『大正安国論』を
諸公に献じて去る、生死もとより仏意にあり。ただ諸公にしてなお神風の天恩を解せず再び処すべきゆえんの途を誤らば、
二千五百年は諸公の亡ぼすところなるを断言す。
 支那革命の犠牲−−宋教仁君および范鴻仙君。
203
 日本外交革命の犠牲−−山座公使および水野書記官。
 あゝ日支両国を救はんとして三年の先きに今日の因を播きし護国の神神よ。仏光東亜を照らさんと欲せばこいねがわくは
公等の怨に燃ゆるものゝ魔血に我が経巻を浸さしめよ。不肖はオゴデイ汗たるべき英雄を尋ねて鮮血のコーランを授
けん。宇宙の大道。妙法蓮華経に非らずんば支那は永遠の暗黒なり。インドついに独立せず。日本また滅亡せん。国家の
正邪を賞罰するものは妙法蓮華経八巻なり。
 法衣剣を枚いて末法の世誰か釈尊を証明するものぞ。(大正五年五月二十二日稿了)
 
 
 
(支那革命及日本外交革命
 
 
 
 
           有 藷 無 智 人 悪 口 罵 詈 等
           及 加 刀 杖 者 我 等 皆 当 忍
 
           我 不 愛 身 命 但 惜 無 上 道
 
           如 日 月 光 明 能 除 諸 幽 冥
           斯 人 行 世 間 能 滅 衆 生 闇*3
205
 
 
 
*1キング・ジョージ:イギリス国王のこと。
*2夜郎自大:自分の力の程度を知らずに、仲間の間でいばっていること。
*3法華経の一部
「法華経の行者には無知な人から悪口罵倒が加えられるが耐え忍ばなければならない。」
「一身を犠牲にしても正しい教えを奉持しなければならない。」
「日月の光が闇を除くように正法の奉持者が民衆の闇を取り除く。」
ぐらいの意味。
 
 
 
 
 
 
 
    補 ヴェルサイユ会議に対する最高判決
 
           大戦満五年目の調印当日たる六月二十八日−−講和会議第一の失敗者ウィルソンを成功者の
           ごとく見るは非常なる幻惑だ−−権威を持して断言す−−アメリカ自身の戦争目的『海洋の自
           由』を志却した『憲政の神様』−−『海洋自由』の一点張で押せば日・仏・伊を味方として英
           を挫き得たはずだ−−日本を敵にした彼と、彼に結び得ざりし日本の無策−−すべての講和会
           議を決定する勢力の原則−−舌切雀の慾張婆のごとく選び取つた三目小僧の箱−−海洋の自
           由なき国際連盟ありや−−大馬鹿者を笑殺せよ−−日本こそアメリカの不併土不賠償の主張を
           支持すべきであつた−−英一国の独領占有を阻止すべき日米一致の利害−−国際連盟は不
           併土不賠償の変形である−−アメリカをして国際連盟か独領アフリカかを選ばしめよ−−アメリカ
           の東進は英領植民地に失望するより起る−−アメリカが失敗に気づく時を期待するの外なし−
           −ウィルソンの九天落下を明言す−−ドイツの調印は日本の天佑にして条約はカイゼルとレ
           ーンの約束だ−−ヴェルサイユそのものの革命に包まるゝ日−−国際連盟を今の時代に言うウ
           ィルソンは未来の意味における時代錯誤だ−−日米の将来を日本よりアメリカに向つて宣伝せ
           よ−−英帝国分割の時代−−米藉を有する一千万のドイツ人がアメリカの国是を一変するの日を
           見よ−−アメリカの排日言動に神経を刺激さるゝはイギリス人の術中に陥るのみ−−支那の革命は資
           本労働の者と全然別個なる中世的革命だ−−旧著の立証さるゝにつけてますます断乎国策の革
           命的一変を要す。
 
 拝啓。過日の書簡を広く示され誠に感謝します。支那の事ついに実行時代に入りましたので、今後は鮮血の筆が小
207
生の拙文に代て御報告申すであらうと信じます。今月今日は大戦満五年目をもって調印するはずの日でありますから、
欧洲講和会議に対する『最高の判決』を君に向て書きます。この事は世上の見る所と大に異て居りますが、四年前の
旧著が一歩一歩立証さるゝ点よりしても、小生の所述を納受さるゝ方々に御伝へを願ひたい。そして明確に各方面
の根柱たるべき方々に慎重なる熱慮と泰山の決意を促して下さい。
 小生が力を極めて断言せんとすることは、講和会議における失敗者は日本であることはもとよりであるが、その第
一の失敗者はウィルソンその人なりと言うことです。彼と日本委員との個人的軽重を比較して、彼をもって講和会議に
おける成功者のごとく考ふるは非常なる幻惑であつて、実に彼の失敗を正当に理解する事は、将来の対支政策、対米
政策、否すべてを包括する日本の国策の樹立において、最も必要欠く可らざることである。すなわち是によりて日本がいか
にして失敗したかの根本的了解を得ることも出来、したがって日本の方針を将来いかにすべきかの事も自ら結論さるゝこ
ととなるのです。小生はパリにおける人々よりも法華経の前に安座してこの断言に権威を持ちます。
 それはウィルソンなる男はその本国が何故に大戦に参加したかと言う『戦争目的』を忘却して、鐘太鼓に浮かれ回
つた事にある。申すまでもなくアメリカ参戦の理由は『海上の自由』と言うことにあつた。海上の自由が公海における
イギリスの捕獲臨検に脅かされたる当時イギリスに向て起たんとしたと同じ理由によりて、海上のそれがドイツの潜航艇に脅
かされたが故に、一転してドイツに向て起った開戦当時の事情を回顧すれば明白です。正義人道はツァーリ*1の言ふの
もカイゼルの言ふのもウィルソンの言ふのも同じ事で眼中に置くに足りない。アメリカを考ふるにはただ海洋自由の一事
にて充分であつたのだ。しかしウィルソンにて『憲政の神様』と等しき御調子者で無かつたならば彼れは英、仏、伊
が風説さるゝ同盟を結んでウィルソンの来るのを待った時に、彼はこの三国を引裂くに『海洋自由』の一点張りで
押すべきであつたはずだ。アメリカのこの要求に対して苦痛を感ずるものは一イギリスのみであつて、フランスのごときイタリアのごとき
き、はた日本のごときは、海上における自由を求むる点においてアメリカと利害一致するものである。さらば彼は一のこれ
によりて英仏伊同盟を引裂き、日英同盟を揺撼し、もって全勝将軍たるイギリスを脚下に屈服せしむることが出来たので
ある。独立戦争後戦はれたる英米戦争なるものは実に『海洋自由』の為めではなかつたか。アメリカは大戦参加の目的上
よりしてかつこの歴史上の回顧よりして、彼に絶大なる後援をなし、一時両国を危機に置くかのごとき形勢を現ずる
とも彼れを支持したであらう。小生の実に洪歎に堪へざりしは、何故に日本が率先してまず彼の主張を助けなかつ
たかと言う大眼目である。彼れにしても少しく歴史的価値を有するごとき人物ならしめば、何故に日本を敵に駆りて
自ら基穴を掘るがごときことをしたかを反省して宜しい。講和会議の勝敗を決するものは戦争に尽力したる功労ある国
にあらずして、戦争終了の時に有する兵力財力にありと言う原則に依りて、日米両国の完全なる提契あらば、疲弊
せる英・仏・伊を屈服せしむる易々たるものであつたのだ。いわんや仏も伊もこの点において英と利害を異にせるをや。
 彼は舌切雀の慾張婆のごとく大小二個の箱を提示された。一は小さき宝物を満たした『海洋自由』の箱であつて、
一は百足や蛇や三目小僧の出て来る『国際連盟』と言う大きな箱である。一個口舌の雄にして乾坤を呑吐する大器
にあらざる彼は、小さき宝物の箱を日本の手を借りて開くことを忘れたるのみならず、柄にも無き世界改造といふ大
望に逆上して化物の箱を背負つたものである。この二つの箱が両立する性質のものでないごとくに、アメリカの立場より見
る時、海洋の自由なき国際連盟が成立するものでないことは小学児童でも承知のことだ。彼の反対党が彼の極力主
張せし連盟と講和条約との合本を分冊にせよといふのは、これまさに三目小僧が飛出さんとしてゐるものである。日本
の世論は何故にこの大馬鹿者を笑殺しないのか。実に小生の見る所では、非難のある西園寺よりも牧野よりも*2、彼
がごときその愚劣さの程度において三文銭の価なき凡骨である。
 もとより小生は日本の失敗を非難することにおいて異論を挟むものではない。それは日本委員なる個々氏の成敗に非
ずして、日本の朝野すべての負担すべき国策の樹立せざるより生じたる失敗である。すなわちアメリカが海洋自由において日本
に握手を求めざりし失敗と同じく、日本がアメリカの『不併土不賠償』の主張を極力支持せなかつた事である。戦争す
れば必ず鼻糞ほどの土地でも取らなければならぬと言う伝統的思想がまずこの事に累してをる。之は金を貸せば必ず
利子を取らねばならぬといふ質屋の禿頭の考であつて大建国者の大策でない。現にビスマルクは来るべき普仏戦争
の目的準備のためにオーストリアから何者をも割取しなかつたではないか。大正五年六月に小生がドイツとの提携を言説し
た当時とは異なつて、近時日本国民の親独的傾向はほとんど世論のごとくなつていたにも拘らず、依然たる猫の割前を争
209
ひて他に独り獅子の満腹するを欲しいままにしたとは何事である。戦後の対独策は今日となつては別問題だ。講和会議に於
ける問題は、獅子の貪食を阻止する事が日本及アメリカの熟慮すべき事ではなかつたか。アメリカはこの点に注意したるが故
に『不併土不賠償』を高調した。彼としてはイギリス独り独領を併合すべきを看たのであるからして、少くもこの点に於
ては日本よりも高眼大処の国策と言うべきものだ。小生の思考では『国際連盟』とはこの不併土不賠償の主張がドイツの
対抗力なき全敗と言う意外なる結果によりて表皮を着せ替へたものに過ぎない。ドイツが彼の十四ケ条の宣言せられた
る当時のごとき形勢で講和するものであつたならば、彼は国際連盟を云はずして不併土不賠償を固守したことはもちろんで
ある。ただウィルソンは形勢の激変に応ずるに足る妙境に達した達人でないだけに、御面が外れたら胴を打つと言う
ことを知らぬ。彼は正義人道屋の看板に対し遁辞を設けて、すべての敵国領は国際連盟の領有とすべしと脱線して来
た。満川君。日本は何故に彼の本心が何を求めてるかを見破らなかつたか。彼がイギリスの独占を阻止せんとして、品
のよい大学教授の昔を出して旧式な非科学的な政治学講義を始めたといふことが分からなかつたのか。国際連盟が
不併土の変形であると知つたならば、日本は二段の計画を胸に塁んで言下に賛意を表し、日本また独領を得んと欲す
るものにあらず、青島のごとき、マーシャル、カロリン*3のごときドイツに還付すべしの意を示すべきであつた。日本とアメリカ
とは講和会議におけるただ二国のみの強者であるが故に、英仏伊三国を十二分に威嚇することが出来る。しかして三国
の中フランスのごときイタリアのごときはおのおの存立上譲歩すべからざるアルザス、ロレーヌのごときフユメ港のごとき領土併合上
の欲求を有する。故に、イギリスに裏切つても日本とアメリカとに不併土不賠償の主張の緩和を求めて来る。その時である。
日本とアメリカとは国家存立上必要とする仏・伊の要求のみを聴入れて、単なる強慾なるイギリスの独領々有を打ち破るべき
裏切者として味方せしむる事が出来るのだ。アメリカと日本との戦時中の功労、および戦後に有しつゝある実力より考へ
ても、広大なる独領を一イギリスにのみ欲しいままにせしむペき理由がどこにあるか。
 日本はアメリカに向てアフリカの独領占有を約束し、アメリカは日本に向つて赤道以南の南洋独領を約束する。さらば青
島争奪の醜態なく、マーシャル、カロリンの尠少なる獲物にあらざるのみならず、欧洲の舞台において真個の強国たる
認識を得るのであった。あるいはアメリカが承知すまいかと言うものあらんむ国際連盟かアフリカ独領かと言う二つを提出し
た時、ウィルソンといえども後者を取るは自明の理である。アメリカの侵略を東洋に招来する根本原因は、彼れをしてイギリス
の植民地に絶望せしむるから起る事でありますぞ。要するに国家が一時連合して共同の敵を倒したる時は、その刹
那において打勝ちたる国家間における戦争を決意せずしては断じて講和会議に臨むことは出来ぬ。アメリカのかかる不用
意に加へて、日本は出席前いずれを敵としいずれを味方とするかの大略方針すら決定して居なかつたとは、実に情けな
いにも程がある。昨年小生が書簡にて『今後日本の方針はいかにして英・米を引裂くことに成功すべきかにあり』と
申上げしに、御返事にその書旨に御同意の方々が多かつたとありました。しかも今にして見ると日本政府も在野の国柱
諸氏も、未だこの事に具体的政策を有して居らなかつたであらうか。
 小生はただここに一つの期待を持つ。そのはアメリカがウィルソンの箱を開いて見て百足や蛇や三目小僧を発見し、もって絶
大なる国力を有して史上未曽有の失敗をした講和全権であつたと気の付日の遠かるまいと云事を。日本は自らのな
せる失敗を正当に受入れて内外に示すと共に、−−アメリカ民にその失放を理解せしめ、−−もって両国の将来をいかんせん
と言う同病相憐むの情を湧起せしむるの外はない。これ英米相食むの第一歩である。英米相和する時パリにおいて日本
全権の被告扱となり、支那においては全部に亙る排日熱の昂騰となる。ウィルソンがアメリカにおいて逆起ちの曲芸を演じ
て九天落下するの日は、支那における親米的妄動の閉息する時である。
 要するに今日の調印は日本の天佑である。しかしドイツが調印せずして日本もアメリカも従前の行きがかりに引きずられて、
出発の第一歩より誤れる連合軍参加を続くならば、あるいは国家を底無し沼に投じたかも知れぬ。もとよりこの調印はカ
イゼルとレーニンとのそれである。小生は近き将来においてドイツが社会革命の大風潮を煽つて一片の反故紙となすこと
を確信し且一の権威をもって予言する。日本は速かに彼の使節らを帰朝せしめて、ヴェルサイユそのものが革命に包まる
ゝ日を望見して準備しなければならぬ。
 もとより国際連盟のごときは大馬鹿者の喜劇として残さるゝに過ぎぬ。元来国際連盟とは我々社会革命的思想家が各
その国を支配したる将来の問題である。西園寺、牧野らが岩倉卿もどきに、ちよん髷を載せてパリの見世物となり
しことが時代錯誤なるごとく、ウィルソンは『未来の意味における時代錯誤』である。資本家の番頭らによりて組織
211
さるゝ今のアメリカ政府の一員の分際としては誠に大外れた野望である。カイゼルが世界征服を夢みて天の斧鉞にたおれ
たごとく、世界改造を旧式なる政治学講義の舌先で言上する彼がごときを、いかんなる天かこれを怒らざるべきぞ。小生は
日本先覚の力をもって日米両国を誤るかかる『憲政の神様』を米本国より葬らしむべく期望する。すなわちアメリカに向つて
日米将来の根本方針の了解を宣伝するごときその一の方法なりと信じます。
 約言すれは今日の講和条約が故紙となる時に起る問題は、英帝国の分割にある。今のイギリスは軍艦の数のみ多くを
有している点において外見に驚倒する田舎者には強国と見えるだらうが、満五ケ年の大戦によりて疲弊し尽したるこ
と、全く講和前のドイツと同一程度の弱国と打算して掛かればよろしい。日本がアメリカの野心を支那より外に転ぜしむる
には、彼に向てイギリスが今日有するアフリカの英領及新たなる独領(委任されたといふ占領地)をもってすることであ
る。日本はすなわち赤道以南の独領たりし植民地およびオーストラリアを領有する。オーストラリアの日本に対する恐怖は明かに日本の来襲を
予覚したる叫である。
 もちろん日本はドイツを中心としたる従来の敵国側を味方に引入るゝ準備をも要するが、これらは日本の決心いかにより
て容易なことで論ずるまでもない。しかして米藉を有する一千万の独人がアメリカ参戦の無意味なりしことを覚醒し始む
ると同時にアメリカ内においてアメリカの国論を一転せしむべく、ここに始めて日独米提携の英帝国分割といふ歴史的大段画を
見るであらう。日本の朝野は日露戦争前に日英同盟を準傭したるごとく、イギリスを分割すべき共同目的の為に、アメリカを
正道に導くべく竪忍力説して中挫してはなりません。機会はもとより天の与ふる所。要するにこのれが日本の大方針た
るべきもので、これ以外今の小日本が名実伴へる大日本たる日は断じて有りとは信じませぬ。講和会議における英
米の提携、−−現時の支那における英米提携の排日運動−−を大きくする時は、−−英米同盟の日本叩き潰ぶしと
いふ元寇来の恐怖を推論することが出来ます。小生はパリと支那とにおけるアメリカ人の排日的行動に感情を刺戟せられ
て、しかもこの間に漁夫の利を占めつゝあるイギリスを忘れんとする日本の現状を見て深甚なる憂慮を抱く者です。神功皇
后は熊襲を討するにその後援をなす三韓の根本を衝きて後世の経国者に英・米の関係を指示しているではないか。
 序でながら芳書に支那の過激化といふ点を論ぜられ、また内地の新聞にも然様に見えますがこの俗称がしかし徹底的革
命と言う意味ならばもちろん左様です。しかし資本対労働の争が現はれたる露・独のごときそれであるとするとそれは大間違
です。産業の勃興した結果の社会革命を要求するドイツのもの、及ドイツの理論とドイツ人の移住とによりて社会主義が培
養されたロシアのものは近代的の革命であつて、支那の徹底的革命は拙文に『中世的代官階級』と称して置いた中世
的遺物が政治則掠奪をやつているのである。したがって独・露の社会革命党の言う資本則掠奪といふのとは全く政治組織も
社会組織も異なつているのです。ただ新人物中にウィルソンが出れば直ちにそれを崇拝し依頼するという風に妙に事
大的流行的のものがあつて、今回の排日運動がバタ臭い理由で過激化とは申されません。すべて支那の事は近き将来の
事実が説明します。ただ一事承知すべきことは現時支那を掩有せんとしつゝある英米的勢力を打破するものは支那本来
の徹底的革命家の一団であつて、日本が真個生死栄辱を共にするに足る新興支那の国柱的人物である。
 小生はもとより文筆の士にあらず。したがって前書の旧説を固持する次第でありませんが、事実は満三年後の今日支那革命
においても、列強の向背においても着々として卑見を証明して来始めました。大戦参加の第一歩より国歩を反対方面に
導きて、今日の四面楚歌の危磯に投じたことを悟つた以上は、大勇猛心を揮つて国策を樹て直さなければなりませ
ん。芳書には日本の外交革命に絶望したかのごとく見えますが大丈夫です。数十人の国柱的同志あらば天下の事大抵
は成るものと御決意下さい。
 今日講和会議の帰途にある永井柳太郎君*5に逢ひました。氏と懇談の暇がありませんでしたからこの書簡を氏にも示
して下さい。また同じく講和会議における日本委員の不始末を国民に警告せられた中野正剛氏*6にも頼みます。さらに拙
文を読まれた小笠原海軍中将*7にも願ひます。(大正八年六月二十八日於上海満川亀太郎君宛書簡)
 
 
支那革命外史
213
 
 
 
*1ツァーリ:ロシア帝国皇帝の称号。
*2西園寺よりも牧野よりも:パリ講和会議の日本代表、西園寺公望と牧野伸顕。
*3マーシャル、カロリン:マーシャル諸島、カロリン諸島。太平洋の諸島。ドイツ保護領だったが第一次世界大戦で日本が占領。国際連盟により日本の委任統治領となる。
*4アルザス、ロレーヌのごときフユメ港のごとき:敗戦で各国に割譲されたドイツ領。アルザス、ロレーヌはフランスへ。フユメ港はポーランドに割譲された部分だと思う。
*5永井柳太郎君:拓務大臣 逓信大臣 鉄道大臣を歴任した政治家。名演説家として有名。
*6中野正剛氏:政治家。名演説家として有名。ちなみに永井・中野ともに後には有名な政治家になるが、代議士としての初当選は1920年(大正9年)なので、本文が書かれた時期は政治活動を始めたばかりの時期。
*7小笠原海軍中将:小笠原長生。海軍軍人。文才があり東郷平八郎を賛美する文章を次々と発表し、東郷の神格化に努めた人物。
 
 
 
 
 
 
     ヨッフエ君に訓ふる公開状
          (ロシア自らの承認権放棄)
 
 敬重すべきヨッフエ君。君は今革命ロシアの承認とそれに附帯せる外交的折衝の為めに日本に来た。病身を担架
に横へて敵国に乗り込む信念と勇気だけにおいてすでに君の歴史に悲壮なる幾頁を加へている。君が交渉の相手として
いる後藤新平君の階級及びそれを中心として愚論を渦いている知識階級とに対照する時、拙者共は実に御恥かしい
次第だと思つている。
 しかしながら君が今相手としている後藤君及び世論は君等の政府が革命の始めにおいて投獄し銃殺した地主貴族階扱と
知識階級とである。君の周囲に群り接している彼等の心理状態を側面から観察していると実に面白い。怖いやうな
安堵したやうな接近したいやうな逃出したいやうな、丁度小供等が猛犬の耳や尾に触れる時のビクビクした又強が
りを示す心持でいる。胆カも智力も分娩の時産婆に盗まれて持合せない連中ではあるが、ただもういかにしてヨッフ
エ閣下の逆鱗に触れまいかという憂慮が彼及び彼等の全部を支配している。君が一言ノーと吼えれば子供等はワア
と逃腰になる。君が目を細くして「後藤君の顔を立てゝやる」とでも言へば、子供の一人は君の耳を引き尾をつかん
で他の子供等に向つておのれの強がりを誇示する。これだけで君は全勝に近い程度の勝利を把握している。
 しかし御同類の拙者共から見る時、こんなことは君に取つて何んでもない茶飯事だ。君等がロマノフの全盛時代
に極度の少数者として彼等に接した時の飜弄術幻惑手段で、風霜幾十年の練磨を以てするのだ。ことに一旦権力を握
るや一匹残らず噛み殺ろしてなお満腹の虎舌を吐いてる君等だ。日露交渉の相手方に後藤新平君とその世論とを選ぶ
などは余りに人の悪い腕の凄さで御座る。
 ヨッフエ君。君は今日本の首都の最ただ中に大の字になつて寝そべつている。猫はいかなる群集とがたしも鼠の中なら
397
ぱ安眠を妨げない。しかもその中の最も肥えたる一匹を捕へて前足でヂヤレている。この猫の快さは日本にも存する多
くの猫共の羨望の的である。日本の猫属は−−猫属の中には虎もあり豹もありライオンもある−−空腹の面前に君
一人の満腹を見て喉を鳴らし舌をなめている。温泉に浸りながらの極東宣伝も、ここに至ってはまた満点だ。
 よって猫が猫に物申さう。ライオンが虎に物申さうでもよろしい。−−だいたい貴公は何の理由ありとして日本に承認
を求めに来られたか。ロシア対列国の承認交渉において、非を列国に塗りつけて来た君等の言分は何年来詳知してい
る。道理を踏み外づした、また愚劣な言分は何年反覆しても同じく無效だ。古今を貫き東西を通ずる自然律の法則−−
この法則の中に革命の法則もある−−によりて君等自身が革命の第一歩において、国際間に自己の承認権を放棄して
いるのではないか。列国が与へないのではない。君等自ら放棄しているのだ。
 頭の悪い奴は鼠の中にもいるが猫の中にも沢山いる。諸君の政府は世界革命史中において頗る頭のよろしからざる
分類に属する。ヨッフエ君の虎頭に事理弁別の能力あらばライオンの問題に答へよ。−−承認とは何ぞや。承認を
求むるとは大使の往来というタワけたことではあるまい。すなわち前代主権者の有せし国際的諸権利を継承することを
承認せよという義である。諸権利の中の根本的権利−−前代主権者の領有せる領土継承権の承認−−これがすなわち承認
問題の実質である。(鼠共の世論が言ふ実質的承認とは意味をなさない)。
 しからばヨッフエ君。承認を要求すること、ロマノフ皇帝の領土継承権を主張することは、ソビエト政府がロマノ
フ政府の延長であるという法理の上に立つのだ。すなわち君等自身の主張を以て、革命当初の君等の革命宣言を根底か
ら全部抹殺する。この点は今論ずまい。拙者共の諸君に敬意を保ち得る点は、その行動の男子的なることであつて
その議論のデタラメなる故ではない。ことに世界中で嘘を吐く国民は支那人とロシア人であるが故に、五六年前の世界
的約束を証文に取つて諸君を革命理論で攻め立てゝも牛角に蜂の無関心と信ずる。よって今日諸君の主張してるロマ
ノフ政府の延長説を許容して、−−それだから諸君自ら承認権を放棄してるという根本義を講釈して上げやう。
 革命当初のごとく、地球北半の地理的土地に−−ロマノフ帝国の政治的城跡ではない。−−社会主義国家の建設を
試みるのだと云へば、これ初期の空想的社会主義者が『理想郷』なる考案を村落的区画に試みたのを大平原に試み
るだけの者である。したがってレーニンの『理想郷』とロマノフ帝国との間に何等の義務はない。労農組合政府はこの主張
に立ちし点において、何百億円の義務を拒絶しやうと自己を欺かざる自己の理論に立つていたのだ。この、レーニンの
理想郷ロマノフ帝国の義務を負はずという主張は、すなわち、ロマノフ帝国のすべての権利−−何百億円の債務に何百倍
せる価格の大領土は労農政府の継承せんと欲する所に非らずという結論と一個不可分のものである。よって英・米・仏等の
債権者はロマノフ帝国なる債務者を失へるが故に、債務者の所有せし領土の上に兵力を以て強制執行に出た。当時
のロシアは法理上単なる月世界である。レーニン政府は無主の世界に漂着した気分を以て一切の義務を負はずと声明
して村落を結んで行く。債権国等は兵力の強制執行に出でつゝしかも無主の土地を分画して居据わる高利貸の見識決
断さへ無かつた。要するに拙者共から見ればバカとバカのつかみ合いであつたのだ。
 しかしながら体験は諸君のバカを一級だけ利巧者にした。諸君は革命建国の理論を打捨てゝ別個の主張に乗り替へ
た。自分共は前代のロマノフ帝国と没交渉の者ではない。前代帝国の財産−−ロシアではことごとく土地−−はその子孫
の相続すべき者である親爺も阿母もことごとく叩き殺した極道者ではあるが、その家に生れた戸籍上、一切の田畑山林は息
子の所有権に属するという主張に一変して来た。しかり! 聡明にして御尤なる御変説で御座る。すなわちマルクスの祖
述者からピョートルの相続人に宙返へりして来たのだ。社会主義から大帝国主義大侵略主義に一足飛びをして来たの
だ。
 かくして諸君はバカを止めた。しからば相手もまたバカを止めなければならぬ。−−よろしい。親殺しの息子だが相
続を承認しやう。君の家の親子喧嘩に割込みはしない。ただ親爺様の借金はいかがなさるか。
 敬重すべきヨッフエ君。諸君はこれに対して何と答へて来、また答へつゝあるか。英・米・仏は資本主義国である。金
貸である。吾々は社会主義である。プロレタリアートである。吾々が父祖の大資産を相続するのに対して父祖の負債
をも相続せよというのは迷惑である。吾々はかかる資本主義に屈服することは出来ぬと。−−あゝヨッフエ君。諸君
は革命の後に権力を握れる者が常に墮落して天の斧鉞に亡びた史上の戒をも見ざるやうに逆上しているのか。革命
者の少数が警察と軍隊とを以ておおえる全天下を粉砕し得るゆえんは、その理論と行動が天地一貫の大自然律に則りて
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行くからである。諸君の栄冠を全世界が手を額にして慶賀したゆえんは何だ。諸君の行動に諸君自らを裏切る者がな
かつたからである。−−さるに五六年の瞬時において、全世界の血をなめても自已の利益ある権利は主張し自已の損
失になる義務は負はぬと頑張るのはどうしたのだ! ベルギー国に何百億円の金を貸す者はない。水呑百姓に一万円
を貸すユダヤ人もない。彼の大領土を有する大地主なるが故に、フランスの農民と工夫とはその額上の汗を積んで君等
の前代に預金したのだ。兄は鍬を以て弟は鋤を以てその父を撲殺した。しかしてその土地を占有して大地主となつた。
子に殺されるやうな親爺の借金は返へす義務がない。国際債務の問題は国内における争鬩、殺した子が悪いか殺さ
れた父が悪いかの問題とは別個独立の者である。大債務の継承を承認せざる者に大領土の継承権を承認すべき御用
は拙者共において断じてまかり成らぬ所である。かかる両立すべからざる辻強盗の言掛りを社会主義国家の名において宣伝
しつゝ来れるごときは、君等の師匠−−拙者共には師匠ではない−−マルクスを売る者である。師を売れるユダの子
孫を以て政府の中枢を構成せるが故にユダを行ふのみと言はしむるなかれ。ユダヤ人の中よりキリストが出たではない
か。
 ヨッフエ君。真実、諸君は今世界とその国民に対してユダたるかキリストたるかの分水嶺に立つているぞ。よって
諸君の革命行路を公明と安全の一路に導かんが為めに、諸君の隣国、支那がいかにしてその革命の時、列強の爪牙を
免かれて承認を得たるかを御聞かせ申さう。革命は諸君が元祖でもなければ特権者でもない。承認問題において支那
の諸君は君等よりも非常に複雑な険呑な列強関係に絡まつていたに係らず、一滴の流血もなく極めて滑かにこれを
処理した。君等は承認問題よりも先に君等自身から捲き起した国際債務不承認問題によりて国境の全線に幾年の国
際戦争を招いた。支那は弱国なり吾々は強国なりというまいぞ。弱国として常に列強の侵害に悩まされていたれば
こそ、支那の諸君は革命の時にも自ら守るべき国際的公義を忘るるごとき驕慢専恣に走らなかつたのである。諸君は
全世界を脅威しつゝあつた大帝国の臣民として国際的苦労のごときは薬にしたくも味ふことがなかつた。国際生活に
おいては権門の驕児である。大低の暴逆は隣家の父老に加ても咎められない習慣に養はれて来た。−−この幸運が革
命決行の壮気沖天の機に際して国際的交渉の時不運にもたらし現はれたのである。ことさらに不承認を声明せずとも事足
れる正当の国際債務を蹂みにじりて、ロマノフ帝国の大戦敗に加算すべき天命のごとく内乱外戦の幾十万人を殺ろした。
殺人の多きは革命の徹底だなどいう迷信で自己弁護は許されない。革命家に過誤なしという無反省は、ローマ法王に
過誤なしというと同一なる中世史の福音である。諸君の革命行程における国際戦争はことごとくこれ諸君の自己迷信より
発したる大過誤に原因するものである。但し古来ロシア民族ほど国際戦争を戦つた民族はないが故に自分共も親讓り
の遺伝梅毒だと申さるゝならばまた何をかいわんやである。
 革命支那の承認に返へらう。支那の革命は漢民族の土地を征服して君臨せる異民族に対する追放戦の理論と運動
であつた。革命の烽火は異民族の首府北京方面から挙がらず、漢民族の中心地方より起つた。彼は異民族の大清帝
国に対峙せる交戦団体として中華民国と号した。革命の始より別個の国家、二個の国家である。ところが革命の進展と
共に国際間に彼等の占有すべき領土問題に面接したのである。異民族の帝国と全然没交渉なる別個の民族が他の領
土に共和国を建る時は、異民族の所有せる帝国発祥の領土南北満洲を放棄しなけれはならぬ法理に落ちて来る。また
蒙古民族の住する内外蒙古、西蔵民族の住する西蔵の領土を占有すべき法理的根拠を失ふことになるのだ。支那の
諸君はここにおいて全国一斉に革命理論を根底より転換した。いわく大清皇帝の退位と同時に民族革命は終結した。今後
は支那に存する五族を統一して、大清皇帝の領土全部を継承するのであると。彼等は理論及び行動の全部的一変と
同時にその革命旗をも一変した。民族革命と社会革命とを併べ掲げた孫逸仙考案の国旗を棄てゝ、五民族統一の国
家を表はす今の五彩旗にしたのはこれ故である。理論が大事か革命が大事かという問題は、馬が大事か騎手が大事か
という問題である。ロシア諸君のごとき騎手は百頭の名馬を以てするも償ふあたわざる英雄漢と信ずるが故に、その理
論として乗れる馬を捨つること支那の諸君のごとくすべきであつたのだ。−−すなわち社会革命はロマノフ皇室を倒すま
での理論であつた。今ロマノフは倒れた。吾々はロマノフを継承した。吾々の馬は正に大帝国主義、大軍国主義で
あると。(これは失敬! また社会主義より帝国主義への御変説を御勧め申した)。
 しかし、国際的に承認を求めるという以上は、承認の実質すなわち前代主権者の領土継承を承認せよということの外
には無い。馬に騎して野を渉り山を越えて来た。今ゴビの大沙漠に来た時に馬をラクダに代へて旅することが革命行
401
程において何の恥辱であり得る。ヨッフエ君等は支那の諸君が敢然その理論と行動を一変したごとく、地球北半の大領
土の相続人たらんが為めに「ソビエト政府は前代侵略者の奪略せる所を把持するを主義とする大侵略主義に一変せ
り」と声明すべし。これに何等の恥はない。
 ヨッフエ君は満足を以てこの変節の忠言を首肯するであらう。その通り恥辱どころかそれ故に日本をシベリアより
欺き追ひ、さらに北カラフトからも欺き追はんとして来たので御座ると。誠に善い度胸である。しからばロマノフ帝国の負
へる義務、すべての国債は帝国主義の継承者たる理論において−−ロマノフ帝国の延長はロマノフその者たる常識において、
これを拒絶し得る主張は全然消え失せるのだ。権利はカラフトの半片でも主張する。義務は一切御免をこうむる。これが社
会主義原理だ。−−余り馬鹿を言ふものではない。
 諸君の国際債務とは何ぞや。諸君が今相続継承の承認を求めつゝある領土に投下された大資金ではないか。シベ
リアの大鉄道も各所の大鉱山・大農原もそれらの大資本によりて今在るごとくあるのだ。この鉄道・鉱山・農原を継承すべき
権利の承認を相手方の債権者その者に要請しつゝ、しかもそれらの上に負へる債務の承認を拒むに社会主義を盗み用ふる
とは何だ。これ諸君の屠殺した天主ヘの坊主共がその盗犯的慾望を他の財物妻女の上にとげんとする時、善悪共に
神の名を用ひたと同じき墮地獄の沙汰である。
 さらに別種の債務がある。それは諸君の過去の延長である前代がドイツとの戦争に負へる者だ。諸君の経済学説は相
場に負けた時は銀行に尻を捲くるべしという驚くべき菅理に築かれている。今回の世界大戦の最初かつ最大の元凶
はドイツの前代と諸君の前代である。その責罰としてドイツは彼等の革命を以て諸君は諸君の革命を以て、各々そのカ
イゼルとツァーリに課する所があつた。自分の一家内の喧嘩に血迷つて、隣家から向岸まで暴ばれ込む革命家様は
近所合壁の鼻摘み者である。由来諸君は革命くらいしたことを英雄の事業のごとく逆ぼせ上つているのが火傷の本だ。革
命という者は火災に風向の悪くなつたくらいのものに過ぎない。火事に気が狂れるやうな奴は小人匹夫と相場が定つてる。
カイゼルとツァーリに課して足れる所の者を、隣家フランスの農民工夫の貯蓄に加ふる発狂漢は世界革命史中の恥辱
である。しかもこの恥辱をマルクスの理論に塗り附けててんとして省みざるを見る時、−−終に諸君はユダを産める者
の裔、蝮の裔である。
 ライオンは徒らに虎を弄殺して楽しむ者ではない。諸君の為めに助舟を下ろして、国際債務否認に至るまでの諸君
の行動を合理化して上げやう。しかり。諸君が債務承認を拒否して来たのは決して社会主義の理論からではないのだ。
ヨッフエ君等がブレスト・リトフスクにおける降伏条約に調印してドイツ帝国との提携を公けにするに至るまで、諸
君は国内に倒すべき抗争者を持つていた。すなわち英・米・仏を後援とするケレンスキーという色男の一派だ。諸君はこれら
を倒す為にドイツ皇帝政府の援助を受けた。国内の争闘は諸君の全勝に帰した。(これ拙者共の同慶とする所である)。
諸君はこの勝利を国内に得たが、国外のドイツに対しては全然の降伏者となつた。−−敬重するヨッフエ君。君はこの
条約の時、ドイツの将軍等の前に直立不動の姿勢を取り一列横隊をなして最敬礼をしていたさ。何でも知ってるだら
う。その時君等の醜体無恥を憤つて自殺した諸君側の軍事委員スカロン将軍もある。−−降伏者はすべての命令に服従
せねばならぬ。征服者の命令する所の者を敵として戦ふことをも辞することが出来ぬ。諸君はドイツ皇帝陛下より今
日までの戦友を敵として戦ふべきことを命令され、しかしてそれに悦んで服従した。敢て悦んで連合国を敵としたと
断言する。何となれば、連合国は諸君の命懸けの政敵を支持していた根本の敵であつたからである。加ふるにドイツ
の旗風は全世界にはためいていた時だ。ドイツの後援によりて本国の主権を奪取した甘味に加へて、さらにドイツの著し
き優勢が誘惑する。御恩と御利益との並び備はれるかに見えたドイツと同盟的提携に出たことは、降伏者の義務以上
に諸君をドイツ皇帝の犬馬たらしめたゆえんである。諸君は御恩と御利益の命令者の前営たらんことを欲した。しかもい
かせん敗戦の為めに軍隊は潰滅状態に在るし、かつ戦争中止を題目としての革命であり降伏であり露独提携であつ
たが故に、軍隊の出動を以て英・米・仏や日本に対することは出来なかつた。よって諸君は別個平凡なる対敵行動に訴へ
て来た。英・米・仏・伊等一切連合国の債権全部を踏み蹂つて喧嘩を売つて出た。いわく連合国に負へる債務は返金まかりな
らぬ。乃公において没收して遣はす。欲くば腕で来いと。当時ドイツ軍の優勢に悩まされていた英・米・仏諸国は、露国の
敵国への降伏に驚き、さらに降伏者の対敵行動の凄まじいのに泡を吹いた。自国内において敵国の大使を捕縛するより
も容易に、(今君を東京において捕縛するよりも容易に)、自国内に貸付けた敵国の財産を押収して了つた。開戦の時
403
に敵国の財産でも生命でも奪ひ易き所に在る者を奪ふのに何の遠慮はない。ヨッフエ君の政府は交戦状態における
政府者として一点恥づる所がないのだ。しかり。これに対して連合各国また諸君の土地を差押へんが為めに遠征の軍を
動かした。腕を出して恥とせざる者にスネを出したからとてまた恥ではない。社会主義対資本主義で胡魔化してはいけ
ないよ。諸君が敵国の財産をフンダクる時に社会主義呼ばはりすることの狼藉は、米国がメキシコの石油を狙ふに
正義人道の名を用ふると等しき喧嘩の原則である。喧嘩の原則をマルクスの経済学説に結びつけて、社会主義国家
は借金を踏み倒して可なりとは獣類の脳髓において構成さるゝ論法である。
 すべてこの通りだ。ただその行動においてのみ男子的なる諸君は、債務不承認の主張を社会主義の名に求める卑怯未練
があつてはならぬ。腕の奴とスネの奴と講和の出来ぬことはない。承認の要求これ喧嘩中止の提言ではないか。承認
が、その実質ロマノフ帝国の領土継承権の承認に進展せんとする時、諸君は先づ断乎として債務不承詔の腕を引か
なければならぬ。ことに況んや諸君の債務不承認は、露独同盟の為めに連合各国に宣戦を布告したゝめの者であるの
だ。同盟国として盟主として選んだドイツが存外に早く脆かりし諸君の意外事は、ウィルソンその人とがたしも十四ヵ条の
公約をメチヤメチヤにした意外事である。諸君自らが意外のドプ溜に落ちて無用なる敵軍を四境に招いた後悔は当然
に諸君自らが国民と世界に負ふペき大責任である。マルクスに尻を持ち込むなど不心得の限りではないか。−−ヨ
ッフエ君。変説くらいは何んでもないことだ。論点は明瞭になつた。国際債務の拒否は社会主義と何の関係がない。債
権国に対する対敵行為は兜を脱ぐから止めに致します。ドイツと道連れになりかけたのは一生の不覚で御座つた。何
百億円の債務は前代の帝国が負担していた通りに自分共において負担します。故にロマノフ帝国の領土継承権の承認
を求むと。−−何んのことだ。タダの戦争からタダの平和に行くだけのことだい。(混乱してはなりませぬぞ。以
上は君等の「承認」すべき者に対して他の与ふべき「承詔」に過ぎない。ドイツとの攻守同盟から売つた喧嘩に対す
る開戦責任、すなわち各国の賠償を求むべき戦費いか、土地の割譲いか等は全部別個に残されてあることを特に強く注
意して置く)。
 敬重から侮笑すべき者に移れるヨッフエ君。君等は常に言ふ。社会主義国家建設の為に至急数十憶金が欲しい。
返へす談判よりも貸す相談を先きにして貰はふと。これは貸した金の可愛さに迷ふ高利貸共を釣る無ョ漢の論法で
ある。社会主義国家の建設だろうが、エデンの花園の庭作りだろうが入用の者は第一第二第三共に金だ。金故に諸
君のやうな夢を喰ふ貘のごとき社会主義者が帝国主義者ともなり、開戦行為の財産没收にマルクスの経済学説を盗用
したりするのだ。これ人生その者に絡み附いた悲慘なる運命である。皇帝もその女房子供も叩き殺して来た諸君に今
更の泣言は鬼眼涕涙の妙ありとも言へまい。−−要するに諸君の政府は獣類の論法から人類の言論に移ることを急
とする。すなわちタダの開戦からタダの講和談判に進行する道に出て、押收したる国際債務を英・米・仏等に返却すること
が第一。社会主義村落の建設は不可能にして不利益なるを見たるが故に、ロマノフ帝国の相続者として大帝国主義
を持することを声明し、以て従前のタワケたデタラメ宣伝を止むることが第二。しかりしかしてドイツの同盟国に裏返へり
した開戦責任者として第二のヴェルサイユ会議に引出さるゝことが第三。−−しからざれば日本が今占有しつゝある
北カラフトのごとき、否、一度び誤りて軍を撤去せるシベリアのごとき、諸君の領土継承権を承認せざる理論の上に立ちて、
しかして今日こより戦闘状態を継続しつゝある現実の日露関係に立ちて、いかなる民族のいかなる国旗を飜へすやは
敢て保せざる所である。
 ヨッフエ君。諸君は諸君の虐殺せる皇帝等の祖先に拜謝を忘れてはならぬ。全世界の上に鷲旗をおおえるロマノフ
帝国の大領土と大軍隊ありしが故に、諸君は支那の革命政府のごとき国際的苦労艱難が無かつたのである。支那の革
命の時はロシアは蒙古・満洲より英国は香港の海上と西蔵の山脈より、ドイツは山東の咽喉より全領土を四分五裂する
所であつた。彼等の国際債務は君等のごとき富源開発と弱国併呑に用ひた者でなく一にただ分割を目的としたる侵略債
権であるのだ。その上に租界地条約と云つて国土の心臓肺肝の要所々々ことごとく九十九年ならざる者はない。冶外法権と
いう国際義務もある。彼等が中華民国の承認を求むる時、これら前代の国際義務はことごとく承認すべきが故に、大清帝国
の領土継承権を承認せよということであつた。ロマノフ帝国は世界の恐怖であり大清帝国は世界の軽侮であつたが
故に、同一なる革命政府に権門の驕児と貧家の有道とを別つに至つたのだ。労農ロシアには租界地条約もなく治外
法権もなく侵略借款もない。ただ履き違へたる社会主義と形勢の打算を誤れる対敵行動との為めに、領土拡張と富源
405
開発に投下した債務を蹂躙し、以て無名の戦禍幾年自己の同胞と四隣の子弟とを屠つた者に過ぎないのだ。円滑平
和に国防義務を負ふと共に領土継承権を承認された革命支那の前例に照らす時、革命ロシアを中心として継続せる
幾年の屍山血河は諸君等指導者の無智暴逆が負ふべき者である。世界大戦を原因せるカイゼルの暴逆とツァーリの
無智とは天斧の許さゞる所であつた。しからば同一程度の無智と暴逆から地球北半の大地域を血ノ池地獄にした元凶
等に天斧はその執行を猶予するであろうか。ルイ十六世を殺したダントンとロベスピエールは後からからとルイの断
頭台に上つた。レーニン君と来遊せるヨッフエ君とは拙者共の健在を祈る丈夫児である。しかも人類の歴史において英雄
を断腸せしむる者は、神の導きにおいて殺活せざる革命者の末路である。
 ヨッフエ君は世界と日本との歴史的交渉に蒙古来襲戦のありしことを想起する必要がある。蒙古大帝国は欧洲大
陸の殆どすべてを征服し諸君のロシアを属邦たらしむるまた二百有余年の強者であつた。しかもこの粟大の群島に来襲し
て撃破されたことによつて彼の大帝国の破滅を原因した。歴山大帝よりもナポレオン皇帝よりも遙かに雄大なる世界征服
者が、実に一日本島の逆撃によりて致命傷をこうむったのである。後世の詩人之れを歌つていわく。趙家の老寡婦を脅かし
得て、これを以て来り擬す男子の国と。君の今交渉している後藤新平君とその世論とは年老いた寡婦と同じき女性
的人物なのだ。君等の脅かし得る趙家の女房共だ。日本に人無しとして帰へるなかれ。相模太郎胆甕のごとし。この一
書簡によりて諸君の政府が五六年間、全世界の資本主義者を脅威し無産階級に君臨拜跪せしめて来た革命理論、−
−したがって理論を宿す貴公の首を−−喝ツ! 今由井ケ浜に切り落したのである。
 日露の交渉を論題とせずして露国対各国交渉を論述した。日本の国際的行動はすなわち古今不変の国際的法則の外に
逸することが出来ないからである。日本の債権三億金を計算する要はない。−−日本はシベリアを計算する時があ
ろう。仏人、英・米人の被害幾百億なるを思考し、仏国の律義者は露国債券の紙片を蔵して飢えている者すらあること
を忘却してはならぬ。明かにヨッフエ君に告ぐ。いやしくも睾丸を股間に垂れてる者は出来ない相談はサラリと見切りを
付けることである。山紫水明の養病。これ君のためにする日本の礼遇である。しかし君の病、及びレーニン君の病が医
学の範囲を超出した者であることに気付くならば、これ革命幾十年の血漢辛酸とその勲功によりて神の手が君の為
めに天国の門を開かんとする者である。
 御回答は必ずしも待つに非ず、また待たざるにも非ず。
 
   大正十二年五月九日
407
 
 
 
 
 
 
    対外国策に関する建白書
 
 恭恐頓首 一書寧呈仕候 薄徳菲才を顧みず敢て尊厳を冒すゆえんのもの誠に対外国策の重大事、黙過傍観に堪へざ
るが故にござ候。こいねがわくはとくと御熱議の上、干障万難を排して御断行有の度、伏して奉切願候。
 直言すれば近時十数年間、我が帝国の対外策においてその根幹たり眼目たり精神たる者なく、為めに歴代政府の対外
策ことごとくただその日暮しその時の風次第という状態の継続にござ候。これ閣下等も偽りなき御心事において御肯定の事と存上
候。彼の満洲事変以来、国際連盟の一顰一笑を以ていかに帝国朝野の一喜一憂とせしか。一にこれ対外根本策の皆無
空虚の故に政府自ら信ぜず、国民また安んぜざるより来る所と存じ上げ候。不肖自身また率直に告白して政府を信ずるあたわず
国民と共に安んずるあたわざる者なりと申上げざるを得ず候。
 しからばいかすべきか。これに対し多くは日米戦争あるのみと申し候。しかしながら日露戦争又は独仏戦争というが如き
日米二国間に限定せられたる戦争を思考する如きは現代世界において有り得べからざる事にござ候。日米戦争を考慮
する時は、すなわち日米二国を戦争開始国としたる世界第二大戦以外思考すぺからざるは論なし。すなわち米国及び米国側
に参加すぺき国家とその国力を考慮せずしては、経国済民の責に任ずる者の断じて与するあたわざる所と存じ上げ候。不
肖かって海軍の責任者に問ふ。対米七割の主張は良し。しかし米国海軍に英国の海軍を加へ来る時、将軍等はよく帝国
海軍を以て英米に国のそのれを撃破し得るかと。答ていわく、不可能なり。一死以て君国に殉ぜんのみと。不肖歎じて
独語すらく、君国は死を以て海軍に殉ずるあたわざるをいかにせんと。
 これ切に閣下等の御熟慮をこわんとする点にござ候。日米戦争に際して英国はある場合において開戦当初より米国
409
の側に参加すべし。ある他の場合においては日本に悪意ある中立を持しつ、米国の軍器軍需に巨利を博したる後、米国
側に立ちて参加すべし。これ過ぐる大戦において米国が英国に参加したるよりも容易かつ必然なる可能にござ候(日英
同盟の廃棄事情、その後の英米対日関係及ぴ支那並に英領アジアにおける関係等)。しからば現状のままにおける日米開
戦論者は日本対英米戦争論者として、最も警戒を要する論議又は行動なりとみなさヾるを得ずと存じ上げ候。
 
 さらに別個の一敵国あり。ソビエトとロシアは日米開戦の翌日を以て断じて日本の内外に向て全力を挙げて攻撃を
開始すべし。これソビエトとロシアの大方針にして、日米戦争すなわち世界第二大戦を捲起して以て彼のアジア撹乱並
に世界撹乱の大目的を達成せんとするは言うまでもなき事にござ候。彼はこれを世界革命と申しい候。不肖は彼と今の
支那との関係に就き特に深甚なる御注意を喚起せられたく存じ候。実に日本は国際連盟を以て支那に対する認識不足
と申し候へども、日本自身が今の支那政府とソビエトとロシアとの関係につきて至重至大なる根本点を認識せざるこ
とを驚き入る者にござ候。
 すなわち世界大戦終了後突如つむじ風の如く起りたる支那の排日熱、排日政策はなぜの者にござ候や。もちろん日本が大戦参
加の唯一の戦利品たる青島が米国の恫喝によりて何の苦もなく支那に奪取せられたる軽侮より生起したる事は事実
にござ候。支那は以来日本を以て米国の一喝によりて何ら為すあたわざる弱小国としてその軽侮を年々に増加し、日
本又米国の前に自ら軽侮を重ねて支那の軽侮に値する事を進んで立証し来り候。この点において支那の排日政策が米
国の支持援助を基調として進展し遂行せられたることは論ずるの要なき儀に候。しかしながらこの形勢を看破し以て
乗ずべき国策を確立したる者はソビエトとロシアにござ候。彼は当時、近東及びインドに向け来れる世界撹乱の鉾を転
じて排日の支那にその指導と援助とを注集し候。生前の孫文及び死後、彼の精神と党国とはその全部を挙げてソビエ
トとロシアの成功に随喜し、その革命理論と組織とを輸入継承致し候。認識の要点は大正八年にござ候。しかして彼我
の往来密かに繁く終に幾百万金の援助によりて広東の一角に蟠居し、長江に出で、ボロヂン等を迎へさらに北伐の完
成を告ぐるや、ソビエトと政府そのままの党国政府なる者を形成して今日に至り候。すなわち国民性による唯物主義事大主
義の彼等は革命前期において米国をならいて大総統制と共和制を試みたることを一抛して、今や議会も共和政をも廃止
して一党団を以て国家を掌握する今の党国政府なる者を作り上げ候。
 共産主義が支那に行はれ居らざることはなおソビエトとロシアに行はれ居らざるに等し。ロシアと支那に実現せら
れたる者はただ一つ党国を以て国家を掌握して放たざる奇怪なる制度これのみにござ候。今の新支那の政府がその南
京の者と広東の者とを間はずかくしてその呱々の誕生より北伐統一の現時まですべての指導と援助とをこうむりしとせば
その対日本方針においてまた当然ソビエトとロシアの忠実なる遵奉者なるべきは論なき議にござ候。否。支那自らすでに
米国の支持を青島奪取の現実に見て以来、勇敢に日本排撃を国策とし来れるにおいては、ロシアはその期待せる日米戦
争を排日の支那より導火せんと試むることは当然に候。支那は終に米国の日本攻撃を期待して皇軍の兵馬を自家の
南北に迎へたり。日米は未だわずかに一戦を免れつヽあるのみ。ソビエトとロシアたる者自らの大計画の奏功したる日
米開戦を見ん時、支那の対日抗争を千倍せしめ日本内地の共産党と共に日本に攻撃を開始せんことは一点の疑問だ
になし。実に大戦終了大正八年以来の支那の排日政策が一面米国に交渉を有する外に、その根本においてソビエトと
ロシアの日米戦争を爆発せしめんとせる長久深甚なる計画によりて行はれたるものなることを御承知有りの度候。認識
はすべて皮相又は枝葉末節にわたるまじく候。日本対英米大戦の場合においてソビエトとロシアが日本に対して頑固執拗
なる敵国たるべきは明自なりと言はんよりも、ボリシェヴィキの魔手、支那を導火線として日米両国を爆破せんとする
に存すと考ふることの方かえって妥当なるかに存じ候(日本が米国その他の列強に対しこの根本点の理解を与へざりしこと
を遺憾と存じ候)。要するに米露いずれが主たり従たるにせよ、日米戦争の場合においては英米二国の海軍力に対抗する
と共に支那及びロシアとの大陸戦争を同時にかつ最後まで戦はざるぺからざる者と存じ候。米国と英国とが日本に屈せざ
る以前において露支両国の無抵抗的に処理せらるぺきを言う者の如きはすこぶる危険なる児童輩と存じ候。
 しかり。いわゆる日米戦争は英米露支対日本の戦争なりとせば、我が帝国はこの災禍より免かれんとするの外なきか。
閣下。これを免かれんとする対外策は大正八年より昭和六年秋に至るまでの日本歴代政府の方針−−無方針の方針な
りと存じ候。仮に名けてこれを衰亡政策というべく、一挙日本を破減せしめんとする恐怖より優れりとして歴代政府
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の墨守し来れる所のものにござ候。ヴェルサイユ会議よりワシントン会議を経てロンドン会議に至るまでの対外策を見
よ。すべて米国と及ぴその背後の英国とに恐怖したる衰亡政策にござ候。支那に続出したる百千の不祥事に対してい
かに無恥無慙なる忍従を事としたるかを見よ。衰亡政策の墨守にござ候。支那を撹乱し朝鮮を煽動しさらに大帝国の
君主国体と国家組織の破壊顛覆を日本の本国に試みたる共産党検挙において、その指揮命令計画及び資金のすべてがソ
ビエトとロシアより出でたることの明白なる証拠堆積せるにかかわらず、今なおその公表を禁じ未だ一片の抗議問責の挙
に出でざるを見よ。万世一系の帝位帝権をすら冒さるヽに忍び得ぺくんば、何の帝国か衰へしかして亡びざるを得ん
や。上下ことごとく一日の安を貧つて大帝国衰亡の道に迷ふこと正に十有余年。皇天の加護、終に三千年の国魂未だ滅せ
ずして秋天一夜満洲の天地を震憾して躍出したり。日本は昭和六年九月十八日を以て明かにルビコンを渡り候。江
南の大軍未だ屯して帰らずといえども衰亡政策の道は閉ぢて再び返へるあたわず前路大光明と大危機に直面したる者にご
ざ候。
 閣下。しからば汝は汝の恐れ戒しむる所の英米露支対日本の大戦を提唱する者に非ずやと。固よりしかり。以下の建
白特に秘事に属するものに有り、文書の記載に躊躇致し候へども大要を略述し候。
 
 不肖は始めに歴代政府の対外策において根幹たり眼目たり精神たる者なきことを以て一切の禍根なりと申し上げ候。四
境ことごとく敵国たるべき形勢に置かれてしかもそれ等を牽制し又は攻撃し得べき同盟国を考慮せざる外交なるもの世に有り候
や。かって考慮し計画したるときは笑ふべき日英同盟の継続運動とその恥づべき失敗に候。大戦後米国が日本及びア
ジアに脅威を感ぜしむるまでの勢力となりしが故にある他の同盟国を必要とするにおいて、これを英国に求めたりと
は何たる無智昏迷の沙汰に候や。米国を顧慮して日本と攻防を共にするあたわざる同盟国が日本に何の必要ありとす
るか。日英同盟は英国側よりその継続を拒絶せられたる通りに対米関係において当初より日本の思考だもすべき性質
の者に非ず候。(今なお日米戦争論者中、英国の好意又はその米国との利害不一致を打算する者無之とせず沙汰の限り
にござ候)。由来日本朝野の対外的頭脳は中学生徒が外国語則英語と考ふる如く、英米二国以外の大陸諸国を考慮
しあたわざるやう伝統化し鉱物化したるに非ざるかと存じ候。
 死児の齢を数ふるは詮なき事なるも死児の齢を数へんとするは人の情にござ候。過去の歴代当局が英米以外の大
陸諸国を考慮する識見雄才ありしならば、世界大戦参加の第一歩において当時のドイツを深甚に注意すべきはずなりしは
今日となりてこれを言う者の通りにござ候。為に日本は何者をも得ず一青島をも得ず、得たる所は支那の排日と俄か
に強大化したる米国の日本に加ふる脅威のみにござ候。何ぞ死児の齢ならんや。一昨年のロンドン会議の醜態に見
よ。自己と利害行動を共にすべきフランスを見捨て、独り英米の膝下に媚を呈し、かえってさきに速かに脱退せるフランス
が遙かに優勢なる比率を以てその潜水艦を維持せるはいか。閣下。世界大戦前においてドイツを考慮すべかりしよりも
深甚に重大に、今の日本帝国にとりて興亡を決するものはフランス共和国にござ候。不肖はロンドン会議を覆轍の戒
として今次のジュネーブ軍縮会譲に出席したる諸氏にこの事を切言し来れる者に候。咋春五、六月の交より要所枢機の
諸氏に向て口耳密かに語る所のものは一にただ日仏同盟の一事に有り候。以来奉天の事変あり、上海の兵伐あり、日米の
間まさに戦雲低迷せんとするに至て痛切に不肖の提言を是認考慮する者多きを加へ、他面、日仏の懽交、天の意ありてしか
るかの如き甘密を増長せる風を見聞し候こと恐らく終に時期到来を示す者のごとく存じ候。
 
 平和を愛する者は米国貴婦人と米国々務卿とのみに限らず日本国民の最もしかる所にござ候。ただ米国が今の強大を
以てその背後に英国の海軍力を恃み得ることが、彼の側より何時にても平和を破り得る恐怖に有り候。日本対米国に
限られたる戦争ならばいささかも日本の怖るヽ所に非ざるが故に米国の側より平和を破ることもこれ有りまじく、太平洋は必
ず太平の海なるべくを確信したく候。日本に対する英米二国の海軍力を仮定するが故に、ワシントン会議に日本を辱
かしめて足らず、ロンドン会議に繰返して足らず、奉天の事、上海の事、一々を挙げて平和を破るの口実を見出さんと
する者と被存じ候。フランスとの同盟は米国が日本に対して平和を破り得ざるやう英国を牽制し得るための者にござ候。
英国の艦隊を加算せずして米国が日本に攻撃を加ふるが如きはその貴婦人と国務卿の敢てせざる冒険と存じ候。フラン
スは世界大戦の反覆を防止するが為に、真に日本の提言を世界絶対平和の保証として受取るべきは十分に推想し得
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べしと存じ候。
 日本が根本国策を有せざる通りに、大戦以後世界列強のいずれもが国策の根本たるものを把握せずして盲動しつヽ
あることが事実にござ候。米国の日本に対する事々物々の暴慢無礼もまた根本策なきよりの盲動に有り候。特にフラン
スに至りては日本と同等なる四顧暗澹たる者と存じ候。自己と不倶戴天のドイツを復興せしめんとして努力止まざる英
米両国に対し、彼は痛切に生死栄枯を共にし得べき真の友邦を求め来れる者にござ候。大戦後の英仏関係は大戦前
の英独関係なるは申すまでもなし。英国が米国を率ひて仏国に加ふる時彼の受くる孤立的脅威は今の日本帝国と符
合する所のものにござ候。日本が米国に対して平和保障の牽制力を有することは、欧洲において英仏間の平和を保障
せしむる者にござ候。
 
 しからば日仏同盟は今の無用有害なる国際連盟に代りて全世界の平和を保証する者と可相成り候。古今の史上来るぺ
き戦争の前において必ず各種各様の会議協商等行はれ、為めに会合を重ぬるに従ひて利害感情等の不一致衝突等を重
ねかえって以て戦争勃発の動因を作る者に有り候。ワシントン会議、ロンドン会議等がいかに日本を憤恨せしめ、米国
また日本の憤恨がおのれに出で、おのれに返へるものなることを忘れて日本に戒め、終に今日見る如き日米間に不祥なる
感情を醗酵せしめたる如し。国際連盟また甚しくしかり。君子は危きに近づかずの通りに日本はフランスと共に世界の平
和を荷ひて禍因重畳せる連盟又は軍縮会議等の危地に遊ばざるを可しと存じ上げ候。日仏同盟成立の日は日本はフランス
と共に百ダースの国際連盟よりも世界の平和と正義と人道とに奮進すべき重大事を有し居候。
 すなわちボリシェヴィキ国家の根本的処分にござ候。排日の支那を導火線として日米両国を爆破せんとする陰謀は前述
の通りに候。前年欧洲の秩序がいかに彼によりて脅かされたるかを考ふる時、日本及びアジアのこうむる脅威はその体
験によりて同情する所なるべしと存じ候。否、フランスはドイツより受くる償金よりも遙かに正当なる債権をロシアに対
して有するはずの者に候。強盗に奪はれたる財宝が時劫によりて強盗の所有権を認定せらるヽ如くに、フランスは自己
の債権を奪取せる強盗を承認したりとは何事ぞ。日本の軽率無理解なる承認が彼を余儀なくせしめたりとはしかるぺ
し。しかも日本が「衰亡政策」を取りしが故に我また衰亡を政策とせざるぺからずとはフランスの朝野また憐むべしという
外なく候。正義と人道と平和の為めに日本はソビエトとロシアに対する限り最早忍ぷあたわざるに立ち至り候。北満
鉄道の爆破は天 日の本の神々に凶悪残虐なる偽国家の誅伐を命じ給ふものにござ候。中村大尉の虐殺と同一意味
において凱旋将士の無惨なる横死は天 日本の対露誅伐を促してここに至りし儀と存じ候。日本は全世界の平和と秩序を
撹乱し鬼畜に非ざれば敢てせざる残虐凶悪の偽政府を地球上に存在せしむるあたわざる者にござ候。ただ前年のシベリ
ア出師に非ずといえども、彼の盲動の米国またこれを妨ぐるの恐れなしとせず。すなわちこの儀、欧洲よりフランスの積極的攻撃と相
応じて速に地獄の恐怖より全地球の平和安寧を擁護せざるぺからず候。
 実に為政者、政柄を誤りてソビエトとロシアを承認せし以来、日本国内の共産者の蔓延ぺすとこれらのそのれよりも
甚しきを承知仕候。国家の恥にしてかつ国民に伝染することを怖るヽが故に多くこれを秘するを以て施策とすといえども、
しかし日本の共産党を露国の指揮援助の下に放置することさらに一、二年ならしめば国家と万世一系の安泰、誰か保証し得
べき。支那を撹乱し朝鮮を撹乱し天子の赤子をしてその父に叛かしむる悪魔を隣国に居らしめて交を結ぶとは何ぞ。
帝国の尊厳と安泰とを来り脅かす者を伐つに何の国かこれを妨ぐるを許るさんや。昔、熊襲の叛乱に悩まさるヽや
その背後に存する三韓を降して帝国の平和を恢復したる事有り候。修交国民を使嗾指揮して不断の危害をその国家
と元首とに加ふる者の存する時、今の世界はこれに対して義憤を発するものなきまでに功利化しおわれるかと存じ候。日
本は自己の正当なる防衛を為すと共に、全世界の為めに正義の師を動かし以て打算を超越したる天地の大道を行か
ざるべからずと存じ候。もちろんフランスが欧露において自由なる行動を為し得る如く、三韓の領土は神功皇后の治下に併合
せらるぺきは言うまでもなき儀にござ候。
 
 帝国の前途大光明と大危機とあり。カイゼルは四境を敵として帝冠を失ひ申し候。
明治大帝陛下は臥薪甞胆して秘かに同盟攻守の交を結びて一挙世界の大恐怖を撃破仕候。衰亡政策は固より論外な
りといえども、カイゼルの跡を追はんとするは戒しめざるべかざる儀に候。天の加護によりて日米相屠ることは僅かに
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免かれつヽあり。今の時最も速かに日仏同盟の一事を成就し以て 明治大帝陛下の範に従ふぺき者に非るか。米国
に対してといえども戦はずして勝つを得ば勝の上乗なる者と存じ候。日仏の攻守相結ばヾ対米の事、対露の事しかしてさらに対
英の事、和戦そのいずれなるにせよ敢て一喜一憂を要せざるぺしと存じ上げ候。
 閣下。言うは易く行ふは難し。不肖一輝輩の言うは易くしてこれを日仏の間に行ふ閣下等の難事なるは千万奉諒
察し候。
 三千年の帝国まさに興亡を分たんとする時、切に御熟慮御断行の程懇望に堪へず。
 野人礼を知らず直言虎威を犯す。
                                        泣訴百拝頓首々々。
   昭和七年四月十七日
 
 
 
 
 
 
     日米合同対支財団の提議
 
 粛啓。内外稀有の難局に面し閣下等の御心労御対策等に対し衷心より深甚なる敬意を表し奉り候。陳者本書建言
申し上げ候儀は聡明なる閣下等の御所見と大差なかるべきを信じ候へ共、微小なる一国民の至誠なる陳述として一応の御
考察を御願申し上げ候。もちろん煩鎖なる論述の如きを除きたる結論的、個条列挙的のものにござ候。
 一。支那を問題として日米間に戦争を勃発せんとしたること再三にこれ有り、幸にして今日までこれを免かれ候へ共
今後なおこのままに放置致し候ては近き将来において必ず両国の戦争すなわち両国を破滅的深淵に投ずる不祥事を到来せしむる
は言うまでも無之儀にござ候。
 二。もちろん日本帝国の道義的使命、その権威又はその存立が脅かさるヽ場合においては国家を粉砕して太平洋の底に
沈め一人の生くる者なきを期すべきは論ずるまでも無きに候。ただ日米両国が支那を間題として太平洋上に死闘するこ
と仮りに一、二ヶ年ならしめばその結果する所はいか。太平洋の覇権も、問題とせる支那その者の権益も、その一、二ヶ
年の期間においてことごとく大英帝国の掌中に握らるるは天日を指す如く明かなるを忘れまじく候。
 三。太平洋が日米両国のみの争覇場なるかに考ふるは無智の児童輩に候。太平洋を周ぐりて英国の領土は南方オースト
ラリア・シンガポールあり、支那に沿ひて香港等あり、米国に隣りてカナダあり−−すなわち太平洋上に雄を争ひ得る者は日
英米三国にして断じて日米両国のみに非ず。しかるを日米両国のみの勝敗によりてそのいずれかに覇権を帰するかに速
断するは何ぞ。誠に不心得千万なる痴言妄行と申す外なく候。
 四。特に英国の伝統策なんどと称して英国は自己の安全の為めに常に独仏の不和争闘の止まざるを望むとは彼の
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児童輩も申すに非ずや。しからばインドを有し香港シンガポールを有しカナダを有する同じき英国が、日米両国を常に
不和争闘の状態に置き以て日米開戦の好機を鶴首待望すぺきは妥当なる政策と考ふべきに非ずや。英国が本国の安
全の為めに独・仏を戦はしむるを政策とせるならば、その太平洋及び支那に有する領土又は権益の為めに日・米を相戦
はしむることまたその政策ならざるを得ざる理にござ候。
 五。右の根本点に気付きたるが故に、先年国際連盟脱退後、日本全権石井菊次郎氏が米国に上陸するや大統領ルー
ズベルト氏は握手と同時に何と申し候や。ザツクバランの話にござ候。どうだ石井君、日・米を戦争させて英国始め一
と儲けしようとして居る、拙者はやつと気が付いたが君の国の方はどうぢやと。支那の一部たりし満洲が日本によ
りて独立国となり上海が日本によりて砲撃され日本帝国が国際連盟より閉め出されたる時、日本上下の怒はことごとく米
国に向はしめられい候。勇敢にして時に思慮を失し易きサムライの国日本は、米国の三目入道に向ひて一劔を加へん
と致しい候。しかもルーズベルト氏、自ら拙者も軽率で三目入道の役は致したが古狸は英国でござると堂々日本全権その人
に向ひて宣明したる以上、日本また背後の古狸を顧みるの要あるに非ずや。否、連盟囂々の当時、すでに日本の外務陸
海軍の当局の聡明よく状勢の根源を洞察して一切の妖怪変化ことごとく彼の古狸の為す所なるを看破し始めたる慶賀に不
堪存じ候。
 六。満洲・蒙古一帯がロシアに属すべからず支那に属すぺからず日本に帰属すべき理論は条約の文字以上の大事実
に基くものにござ候。しかる所、その帰属の不安定なりしが故に、露支両国の陰密なる結托となりて世界大戦後支那
の日本に対する反抗ほとんど膏肓に入りしは持に支那の為めに(多少日本の為めにも)不幸なる十数年を送り来り候。蒋
介石氏等革命児の精神は貫徹して当時日本政府のある者等が故張作霖等を支持せるにかかわらず、北伐を完成し以て自己の
一党を以て支那を掌握致し候。しかも禍福は糾へる繩の如し。数年間ロシア共産政府の支援後給によりて北伐を完成し
革命を徹底したるは可なり。しかも同時にロシア共産政府の目的、支那をして日本排撃を極度に到らしめ日支戦争ひい
て日米戦争、第二世界大戦を極東の一角より点火せんとするに在りしが為めに、北伐完成後支那における日本排斥
日本侮辱は実に日本の忍ぶべからざるまでに到達致し候。禍福の繩は神国日本の手によりて幸福のみを選ばしめ候。
虎父作霖の生める者に豚児学良あり、蒋介石政府また日本の為すなきを侮りて−−(要するに年少気鋭の致す所のみ)
終に、満洲国を支那の主権外に放棄して日本帝国の保護に置き、上海神兵の天罰いかに日本の親しむべく狎るべか
らざるかの教訓に接して一大団円を結び候。
 七。実に日露戦争以後、日本が支那保全の為めに大ロシア帝国を撃退せるにかかわらず、かえって日支間に衷心誠実なる親
善の成立せざりしゆえんは、一にただ満蒙一帯の帰属安定せざりし故のみに有り候。いわば日支間の疎隔の為めに埋蔵
せられたる地雷火ともいうぺく、該地方に対して日本がある事をなし支那がある事をなし又は第三国がある他の事
をなすとも、直に日支両国に暗雲を捲き全世界に轟々の鳴動を響かしむる所なりしものにござ候。しかるに地雷火は完
全に掘り出されて捨てられ候。日支間は第三国に禍さるヽ以外、両国間において今後一点の親善和合を妨ぐる禍源たる
べきもの、存在を見ざるに至り申し候。これ一に 至尊陛下の御稜威に出ると共に閣下等尽忠報国の賜、不肖等国民
の感謝感激に不堪ところにござ候。
 八。ただ気の毒にも禍の繩は今なお蒋介石氏等の足に絡み付し候。氏等革命児の一団は当時革命を完成する事を主た
る目的とせしに反し、支持者たりしロシア共産政府においては支那の排日侮日を以て日支間の兵火より大戦乱を招来
せしめんとせし目的の基本的相違にござ候。蒋介石政府が満洲の独立を以て日支間の禍根摘抉なりという探甚の意
義を大悟し、上海の砲火を以て日支相闘を戒しむる天の啓示なりと大覚したりとせば、これロシア政府にとりては
極東撹乱の大政策を千仭一簣において破却せしめられたるものにござ候。すなわち日本排撃を徹底し得ず、日本の武力に
屈従する如きは我が大政策に書あるも益なしとするは当然の沙汰に候。支那においてロシアを背景とせる共産軍が俄
然重大なる勢力となりて、あるいはまさに蒋氏政権の覆没を宣伝せしむる等。すべて満洲事変以後上海事変以後の支那の状
勢を洞察可被遊候。すなわちロシアにとりては支那に必要なる勢力は日本と相争ひ相戦はんとする勢力にして、蒋氏が
排日策を転向せしめ又はせしめんとする今日においてはむしろ明かにその存立を許さヾらんとするは明白の儀にござ候。
 九。以上、要するに満洲国が独立し日支間の地雷火が掘り捨てられたる今日、日支間を敵国関係に置かんとする
者はロシア共産政府にござ候。又支那を問題として日米間に戦争又は現在見る如き戦争直前の状態に対立せしめん
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とする者は、自己の伝統政策よりする英国のみにござ候。しからば今後の事日支両国はただ親善なるより外なく、親善
を妨ぐる者(共産ロシアの如き)を除去するより外なく、しかして日支の親善を以て支那を保全開発せしむるが故に、
支那の保全開発を国是と主張する米国を参加せしめて日支親善を躍進完成せしむるよりほか途なし。−−日米合同投
資団はこの根基を築くものにござ候。
 十。日米合同財団の捏議に対して直に首肯し兼ぬる考察としては現在有名無実の存在たる四国投資の約束にござ
候。しかしながらこの列強均等の投資を意味する現在の日・英・米・仏の約束はもちろん規約に基きて廃棄通告の手続をとれば不
可なく候。ただ、問題の重点は列強均等の投資が日本にとりて又支那その者にとりて果して納受すべき者なるや否やの
根本に候。大清帝国の末期以来、各国の支那に対する投資が支那分割の権域設定の為めのものなりしが故に、そのれに対
して別個支那を列強の共同統治下又は共同管理下においていわゆる保全せんとしたるものが列強財団結成の原因なりしは
周知の所にござ候。すなわち大清帝国の末年、日本及び当時のロシア帝国を除外したる四国、英・米・独・仏の四国が北支那に
おける日・露の武力的抗争が支那の分割を将来すべきを見て、四国共同して支那を四国の管理下において保全せんとし
たる者、いわゆるストレートの四国借款団なる者にして実に二十四、五年前に始まれる者にござ候。しかしながらこれ支那自
身にとりて全然自己の独立を喪失するに至るべき亡国借款なるは何人も察知し得べき所、終に該問題を切掛として
武漢革命の勃発となり、大清皇帝の退位となりたる次第にござ候。しかるを四国財団の当事者は是の国民の根本的要
求の奈辺に存するやを察せずさらに袁世凱政府を通じて始めに除外したる日露両国を加へたる六国倍款の交渉と相成
申し候。支那の新興勢力は当然四国のそのれに対すると同一なる反対に努め、米国また支那国民の要求に非ざるを悟りて
財団を脱退し英・仏・独・露・日の五国財団として成立致し候。該財団は袁世凱に政治借款として若干の金額を給付し借款反
対者は第二革命に破れて国外に亡命致し候。しかして袁世凱政府が新興勢力の第三革命に依りて倒れたる時はすなわち世界
大戦の時にして列強ことごとくその財資を戦場に蕩尽して対支投資の如き固より顧みるを得ざる有様に立到り申し候。是く
列強共同財団の足跡をいちべつして今の四国財団を見よ。今の有名無実の存在たる四国財団なる者は戦後革命ロシアと
革命ドイツを除きたる日・英・米・仏の約束にして最初の四国財団とも後の五国財団とも同じからず日本にとりては特に恥
づべき拘束の者に有り候。すなわち大戦中は日本一国のみ自由奔放に対支投資をほしいままにせしが為めに、戦後日本を拘束す
る目的を以て伝統の共同投資の約束を仮用し復活せしめたるものにござ候。当時、日米両国の外に英仏両国の如きが支
那に投資する能かと閑暇なかなりしは説明の要も無之、日米両国共に遺恨なる失策と存じ候。
 十一。以上見らるヽ如く支那にとりて分割的侵略的投資が歓迎せられざると同時に、支那を共同統治又は共同管
理に結果せしむる列強の共同投資は支那の納受するあたわざる所の者にござ候。支那の好まざる所は日本の好まざる
国これにして、支那の革命に訴へても拒否せんとする所は日本の兵馬を動かしても拒否すぺき国策に可有り候。大ア
ジアの盟主を帝国の道義的使命として自覚したる今日、支那の完全無欠なる保全は日本の使命において第一義的なるべ
く、したがってある一国の分割的投資も共同統治を将来すぺき列国共同の投資も、支那と同一なる利害情熱を以て日本の
拒否すべきものたるは明かなる儀と存じ候。−−すなわち現時空文として存する四国財団の約束は支那の保全独立とその保
全独立を擁護すべき日本帝国の使命において当然かつ至急これを廃棄すべき者にござ候。
 十二。しからばなぜに日本一国の対支投資を捏唱せずして日米両国の合同財団を考慮するやと。答は極めて簡単に
候。この地球は日本と支那のみの存在に無きに候。又日本のみが唯一最大の強国には無きに候。日本と幾年にわたりて互
角なる戦争に堪ふる強国もこれ有り、又二国連合して日本を撃破し得る強国も可有り候。近時、屈辱外交の後を受けて勃
興せる自主独往の精神的自覚は誠に慶賀すべきはもちろんに候。しかも、その局に当る者の一挙手一投足がいかに帝国の栄
辱に結果し、あるいは時に百年の興亡にも係はるぺき大事を惹起するかは常に戒慎を忘るまじき事と存じ候。満洲国の成
立は該地域がロシア帝国の極東進出によりて日露戦争以前よりすでに支那の領有に非ざるものなりしが故に、全世界
の囂々に対しても敢て怖るヽ所なく日本の使命を遂行し以て天佑を享受したるものにござ候。しかもさきにこの事ありし
が故に支那に対していかなる事を加ふるも可なりと考ふる者あらば実に 至尊陛下の聖徳を汚し近き将来における
世界的洪図を破り帝国を列強の四面楚歌に投ずる者にござ候。すなわち支那は日本一国のみのかを以て保全し又は開発
し得べき者に非ず、日本の対支国是と一致したる強国との同能盟的捏携を欠くぺからざる必要とすと申すことにござ
候。善き意味においてせよ支那の保全開発を日本一国において独占せんとするは、太平洋の平和を米国一己の力に依り
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て支配せんとすると等しき夜郎自大の沙汰に候。西方の国土より日本を指して光は東方よりと言ひ得べき如く、日
本の東岸に立ちて米国を眺むる時、光は東方の米国よりとも言ひ得べし。個人において無反省なる自己是認がその一生
を破滅せしむる如く、国家においては持に現実を離れたる自己礼讃は実に怖るぺき国難又はそのれ以上の事を将来せし
むる者にござ候。−−すなわち日本の現在及び近き将来の実力を見るに、日本一国のみの資本を以て支那を開発するあた
わず、日本一国のみの武力を以て英米又は該二国以上の武力を撃破して支那を彼等の分割又は共同統治より保全す
るあたわざるは明白なる現実にござ候。しからぱ当然に提起さるべき問題として、日本は支那の保全及び開発の為めに
いかなる強国を抗争者とし、いかなる強国を協同者とすべきかに深甚周到なる考察、討察、討究を要すべきに非ずやと存じ
候。
 十三。この事は直に欧洲大戦の列強の留守中、日本一国のみの対支投資に対して平和後直に英・米・仏の連合を以て日本
を四国財団に封じ込めし前例を見るも明かにござ候。支那の事に関して英米両国を同一戦線に立たしむる如くんば
日本の対外策は皆無と申すも過言なるまじと存じ候。時に英米二国を敵とするも何ぞ恐れんやというが如きを聞き候
へ共、かくの如きは豆絞りの鉢巻にて市井の勇士が束になつて来いと申す者、単に査公到来までの戯的光景に過ぎず
と存じ候。日本の対支策は常にある強国との提携を原則と致し候。明治時代においては日英同盟を以て支那を保全し得た
り。日本の国力充実躍進して日・英・米の三大強国の一となれる今日、支那を単に保全せしのみならず積極的に大々的
に開発せんとする今日に至りては必ず日米経済同盟の財資に依るの外なしと存じ候。対支投資における日米経済同盟
は支那及び太平洋の平和を維持すべき日米の武力的提携たるべし。
 十四。日米財団の投資目的につき申し上げ候。すなわち支那本部の今の首都を中心として東西南北に縦横無尽なる鉄道網
を布設することにござ候。例へば百億としてその中の十億又は二十億を以て先づ主要本幹を布設せば交通に依る支
那の政治的統一は実に堅確不動の者と相成るべく候。しかして断じて政治的借款に流用し得ざるやう鉄道の会計を独
立せしむる等忘るぺからざる注意と存じ候。又日米いずれも該財団より武器給付等の事を避け堂々たる名分支那の経済
開発のみを任とせしむることまた忘るべからざる注意と存じ候。米国の資本が支那に入るあたわざる多くの理由は日本の
武力的執行力を欠如せるが故の者にござ候。資本の安全性は日本の武かによりて何の疑なく支那に流入すべく、支
那その者の利益を躍進せしめ、米国のそのれを豊富ならしむると共に、日本の受くる所投資の多大に応じて多大なるべきは
申すまでも無きに候。飛行機を某国に求め銃砲を某々国に購ふが如き何程の事かあらん。
 十五。特に御考慮をこわんとするは支那政府その者が国内の不安反対等に悩まざる親切にござ候。いかに日支提携
に目覚めしとは申せ幾十年間にわたる日支紛争重畳し最近特に満洲独立の事あり、日本一国との経済的捏携の如きは
(小規模の者は兎に角)彼等をしてほとんどその存立をも危ふからしむる恐れなしとせず候。持に日本の外に置かれた
る米国を始めとし英国は固より仏・伊等に至るまでことごとく国内の反政府勢力に策動すべく、すなわち日本自身の過誤より支
那における日本的勢力を覆没せしむる結果と可相成り候。米国と合同し混和したる日米財団なる時は反政府的勢力、排
日的勢力といえども一切の疑惑猜疑なく、一にただ謳歌万歳を叫ぶのみと存じ候。特に排日的勢力の期待する所は日米戦争に
よりて日本が敗戦するか甚しき弱小国に墮するかに依りて日本の支那に加ふる所を免かるべしという目的の下に言
動する者にこれ有り、日米の基本的提携を眼前に見るにおいてはその排日的理論も目的も雲散霧消すべきは御推想可被遊
候。すなわち支那の親日的勢力は何ら後顧又は脚下の憂なくして日本との根本的捏携に猛進し得べく、その親米的に走
りし者もまた自ら日本の傘下に来り投ずべく、説明の要なき自明のことにござ候。
 十六。あるいは狐疑して日本に対しほとんど仮装敵国として用意怠りなき米国その者を日本の力を以て支那に導くは禍根を
ううる者に非ずや等。一応も二応も道理あることにござ候へ共、今日の国際関係は純然たる元亀天正時代にして、
その妻妾に寝首を掻かるヽこともあるべく、実子より夜討せらるヽことも可有り候。これが恐ろしく候ては東京市
中の散歩もなるまじく、不良ありギヤングあるが故に一室に閉ぢ籠りて品行方正を堅持せんという御令嬢方の論法
にござ候。日本の対外策が品行方正なりし時代は満洲事変、上海事変以前の御令嬢方を以て終りと致し候。御壮齢成さ
んとして成すあたわざるなき 聖天子を奉じて元亀天正の国際渦中に突入したる今日、日米婚嫁修交して四海波静か
なるや否やを疑ふは何ぞ。聡明果断なる閣下等は斯かる巾幗者流に非ざるを信じ申し候。
 十七。要するにすべては議論にても建策にても無之、ただ閣下等の聡明周到なる実現の情意手段にござ候。しかしてすべ
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ての事の根本は日米提携の対支策以外いかなる第三者をも許容せざる泰山富岳の大決心を固むる事にござ候。この
大決心はまた固より支那の執政者において微動だもせざるを根本と致し候。しからぱ当然来るぺき英国の干渉横鎗の如き真
に鎧袖一触にして拒斥し得べし。
 附言。四年前日仏同盟に関する建自書奉呈仕候。以後フランスの現状はヒツトラーの出現に狼狽して共産ロシアと
結ぶ等の次第にしてしばらく冷静にその推移を見るの外なく候。ただ日仏同盟の目的は実に英帝国の海軍力を東西に二分
すべき大事にこれ有り、支那において日米合同財団よりフランスを除外せるが為めに、日・仏の間に著しき疎隔を来すまじき
は目的の別個に在る点より御了承なさるべしと存じ上げ候。現在の世界状勢及ぴその推移を大処達観する時、大日本帝
国は太平洋において米国、大西洋においてフランスと契盟する外なく、又運命必ずしかるぺきを確信まかりあり候。第二世界大戦
を極東において点火せしむるなかれ。しかも欧洲の天地再び戦雲におおわるヽなきは何人かこれを保せん。日・仏の事、日・米
の事、閣下等において誠に誠に最大最重の儀と奉存じ候。
 終りに臨みて閣下等の御健勝御清栄を祈上候。
 
   昭和十年六月三十日
 
                                             頓首再拝
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