2012年08月02日 22時30分00秒 posted by uruseiblog

「イエスキリストを信じなさい」?

テーマ:ブログ

大量のゲル状異物製造と
顔面への電磁波照射を受け続けています。


局所的なアレルギー物質と電磁波による
痒みの誘導も始まっています。


妙な音波の脳への関与もあるようです。


記事を書き始めると
それが私事でも一段と電磁波攻撃が強くなるのは
いったいどんな意味があるのでしょうね。


日本が柔道で負けると
それを喜ぶかのように集スト自動車が走っていく。。


再び反日意識の強い人間たちの
私への攻撃のターンが始まったか、
もしくはそう見せかけているのか。。


何といっても私は事実上のユダヤ傀儡組織に
片っ端から憎まれていますから
関わってくる組織も複数の人員組織ですし。。


政局の方も従来の与党と野党の有力政党が
なにやら全て連携している気配ですし、


日本国内の政治の連携はそのまま
政治を応援する組織の連携につながる様な気もしています。


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全く記事とも関係のない私事です。。


子供の頃は吉田拓郎さんの歌”夏休み”
頻繁に頭の中で鳴っていたのが
真夏の今頃の時期の話。


北海道は夏休みが短く、(25日間)
しかも私の田舎の稚内は気温もあまり上がることなく


30度を超える事が年に一度あるかないか
という涼しい夏ではありましたが


それでも夏休みには海水浴や海に出かける事を
楽しみにしていましたし、

その時期が一年で一番楽しかったことも間違いありません。


個人的には小学校の時に初めてキャンプに行って以来


小学校時代はボーイスカウト
(実質はメーソン予備軍と言う話です(苦笑))
中学高校はクラスキャンプや友人とのキャンプと、


毎年決まって一回は
海辺か森林公園でキャンプをするのも
恒例となっていました。


自然の中で不便な暮らしをすることも
そのまま楽しい思い出となっているようです。


飯ごう炊飯でのこげ飯も、
キャンプ恒例のただのカレーライスも、


自然の中で食べているためかとてもおいしく感じる、
そんな経験を誰もがしていると思います。


北海道ではジンギスカンも夕食の定番となっていたのですが、
食事をしようとするとモヤシが早々と腐っていて


肉だけのジンギスカンを食べる羽目になり、


その上に固形燃料の金具が壊れていて
弱い火力で生焼けの肉を食べる羽目になった事も
今では楽しい思い出です。


人里離れた場所から下界の町のネオンを見下ろしたり、
砂浜で波の音を聞くことが


あれほど心地よいと感じたのも
キャンプならではのものでしょうし


町から離れたことで星空がとても綺麗だった事も
キャンプならではの素敵な体験。


考えて見れば私は外を飛び歩いていることが
大好きな子供だったようです。


今の10代の若者にはそんな機会があるのでしょうか?


と想像していましたが、
臨海学校はあってもキャンプは体験することは
少ないかも知れませんね。


そして若い方々は、おそらくは旅行はしても
キャンプをするような機会は少ないと思います。


ただ、そんな機会は実は私達には貴重な体験となると思います。


日頃の便利すぎる文明社会を離れ
自然の中で不便を強いられながら苦労して生きる時間。


私は箸までナイフを使って自分の手で削って作りましたし
カマドやテント張り含めて
”気分はサバイバル”を体験していた気がします。


いまどき長期間テントを張って
不便を強いられた暮らしをしているのは
ホームレスのような方ばかりかも知れませんが


彼らが体験してる近代文明を離れた生活、


そして不便を強いられながらも
都会のしがらみを全て逃れたようなそんな体験も
私達が魂の濁りを取り払うよい機会になるかもしれません。


(ある意味文明の利器のありがたさを感じるでしょうし、
それに頼りすぎる自分に気がつく機会にもなります)


周囲は自然だらけで悪い想念も少ないですし
自然からは創造主のパワーを感じ続けることにもなります。


考えてみれば電磁波含めた悪い意味での文明の影響から
脳も逃れることになりますし、
他人の悪意からも逃れることができます。


人間らしさを取り戻す瞬間は
得てしてそんな自然の中にいる時だと思います。


と言っても音楽好きの私は”ラジカセ”を持っていって
ビートルズにベイシティーローラーズ、
そして大滝永一産の曲を聴いていましたが。。。


ところで吉田拓郎さんの曲”夏休み”で


ヒマワリ、夕立、セミの声


という歌詞があるのですが、


今ではそれが夏の風物詩でなくなりつつある事を
寂しく感じています。


昔はどこの家でも植えていたヒマワリも
最近はあまり見かけることがなくなりましたし


夕立などいつの間にか体験する事も
殆どなくなっています。(ゲリラ豪雨はありますが(笑))


唯一文明社会の中でも健気に頑張っているのがセミですね。


麦わら帽子を被る事も、
田んぼの蛙の声を聞く機会もなくなっている私達が
今、夏を感じる風物詩は一体何なのでしょうね。

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予備サイト希望編に書き込まれていたコメントを紹介し
ここで返事をしておきます。


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初めまして
集ストを受けて2年半になるものです
どうやって仲間になっていいかわからず、困り果てています
よかったら下記のアドレスに連絡ください

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えーと、ごめんなさい。


私は今新規の交流を一切していません。


一番の理由は私にかかわると
被害が激化することが予想されるからです。


被害者と交流する一番容易な方法は
テクノロジー犯罪ネットワークのような
被害者の会に参加すること。


もしくは被害者の街宣などに訪れることだと思います。


ただ、被害者と言ってもピンからキリまで存在していて
政治や組織と無関係の純粋な被害者から


どこかの組織の紐付き、
政治的な意識を持って動いている人間
更には加害者組織の工作員までいますので、


多くの方に交流を求めて
自分が信頼できそうだと認識した方と
交流するのが一番かと思います。


工作員に捕まらない為にも
多くの人間と同時に知り合い


其の中で自分にあった人間を見つけて交流をするのが
一番長続きすると思いますし精神的にも良いと思います。


負担や信頼度を加味すると
今私が紹介できる方はいませんし


私とはどこかの集会などで会った時に
話すと言うのが良いと思います。


自らを孤立化させることになりますが
被害の元々酷い人間以外は
私との交流はお勧めできないのです。


大変な日々を送っていると思いますが
負けずに頑張って欲しいと思います。


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マスコミによる集団ストーカー行為


私も同じく、星占いに自分の事が書かれています。
この件については、ある理由で詳しく書くことができませんが。


私は外資系アパレル企業に勤めていて、企業が集団ストーカーをして、
私から退職するようにしむけられました。


しかし退職後も集団ストーカーは行われています。
アパレルなので、私はよくファッション雑誌を読んでいたのですが、
よく読む雑誌にほのめかし、嫌がらせなどされます。


なぜなら主犯格の人間が広報部長だったからです。


マスコミとはよくつながっています。
TVでのほのめかし、嫌がらせもありましたが、TVは基本的に見ないので、
今どうなっているかはわかりません。


ファッション雑誌もなるべく買わないようにしています。 


でもこれだけではありません。
外に出れば、尾行と嫌がらせがひどいです。


もちろん盗聴もされているので同じですね。
本当に、どうしたらいいのでしょう? 


私の母は集団ストーカーに気がついてから、
嫌がらせをされるようになりました。


5年くらい前から都営住宅に引っ越してから、ひどくなる一方です。
海外に行っても、調べられて、いろいろやられるので、逃げ場がありません。
母以外に相談する人がいないので、ついコメントを書いてしまいました

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私も自分に降りかかる火の粉すら払えない状態にいるので
ろくなアドバイスは出来ませんが


貴方の場合、家族が同じ自覚被害者であることは
幸いだと思います。


孤独感を感じることなく身近な理解者を頼ってください。


そして同じような被害者と知り合うことで
情報も増えますし、交流があることで精神的にも楽になります。
(同じような目にあっている人間がいると言うことで)


上の被害者の方のコメントで触れたように
多くの被害者と会うことの出来る場所や機会を
ぜひ有効にかつ積極的に利用すると良いと思います。


私のように孤立化すると被害は更に
酷くなる傾向がありますしその辺は要警戒です。


盗聴に関してはレーザー盗聴器の使用が
想像できますし、おそらくは室内設置型のものは
使用されることはないと思います。
(証拠になるからです)


私は技術的対抗策を持たずに苦しんでいる人間なので
技術的なアドバイスは出来ませんが


被害に関しては常にハイテク技術を
意識して欲しいと思います。


付きまといに関しては慣れるしかないと思います。
進路妨害(コリジョンキャンペーン)には注意して
とりわけ自転車の時には自動車の追突に
警戒して欲しいです。


私は狭い道でさほどスピードは出てませんでしたが
歩いていて自動車に正面衝突されました。


都営住宅は以前から加害者が多いと評判です。


考えられる一つには生活保護者が
強制的に組織的犯罪へ協力させられてる可能性。


もしくは組織的なネットワークが
公団の中で出来上がっている可能性もあります。


マスコミの仄めかしに関しては
無視して行きましょう(苦笑)


事情を知らない一般人に主張すると
被害妄想扱いされる原因になるからです。


気分が悪いことも多いでしょうが
彼らはそんなくだらないことにも尽力を尽くす
人間達なのだと理解して放置です。


主犯格が判っているということは
加害者が特定できていると言うことなので


逆に被害が激化する可能性もありますので
ぜひご注意ください。


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本題です。


今日も掲示板のクリスチャン同士の議論の中で
気になった箇所を引用して独断と偏見で解説します。

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980 :神も仏も名無しさん:2012/08/01(水) 21:15:56.30 ID:xiISUlcA



主イエスが言われている「福音」と、
パウロが説いている「福音」とは、まったくちがったものです。


主は、福音の意味を、悔い改めと再生により、
神の国に入れることを教えられているのに対し、


パウロは、死者の中から復活されたイエスを信じることにより
救われるのだと言っているからです。


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昨日は否定させていただいたスエデンボルクの宗派の解釈ですが
ここでの彼らの主張は、まさに的を得ていると思います。


ただし、パウロの書簡を”文字通り解釈した場合”です。


イエスキリストが述べ伝えた福音は、


私たちが自らの持っている価値観を変え、其の生き方を変え、
過去の生活を悔い改めることを求めているのだとこの方は触れています。


それはまさに聖書にイエスの言葉として述べ伝えられているように
「放蕩息子が父の元に帰る」、其の意識に他なりません。


私たちは誤った価値観を捨てて、過去の人生を振り返り反省し、
悔い改めることが求められているのです。


そしてそれが生命の科学でも
魂への経路を強く感じるための第一歩でした。


私達が”心”と言うエゴに囚われた意識の経路にばかり囚われていること。


そして其の”心”と言うものは、
過去に私たちが培った価値観や生まれ持った本能に従っている
意識であること。


イエスは私たちに其のことを理解したうえで
もう一つの一色の経路として真の自分自身である魂を
感じなさいと伝えていたのです。


”魂”は同時に創造主の分身であり、
創造主からの意識の経路でもあります。


創造主の意志をそこから感じて
それを皆に述べ伝えるのが真の福音だと思います。


(各種教会では個人が創造主の意識を述べ伝える事は
認められていないようですが。。。)


そしてこの方が批判しているように


【パウロは、死者の中から復活されたイエスを信じることにより
救われるのだと言っている】


とそれを額面どおりに受け止めれば
それは確かに間違いだと思います。


イエスを信じようが信じまいが、
その行為は創造主への信仰に繋がるものではありませんし
私達の魂の覚醒をもたらすものでもありえないからです。


しかし実はここでも
其の記述は額面どおり受け止めていけないものです。


それに新約聖書のパウロの記述の時代的背景、
そしてその手紙を受け取った人間の素性をも
私達は加味しなければいけません。


つまりこの方はカトリックやその他聖書の記述を
額面どおり受け止める人間の事を批判しながらも、
結果としては彼らと同様の誤りを犯していることになります。


私が以前から主張しているのは
聖書の記述に関しては其の時代背景を
必ず加味しなければいけないと言うこと。


まず12使徒が活躍した時代は
パレスチナ周辺は古きユダヤ教の戒律に囚われていました。


そして其の戒律が形式に拘った物であったために
創造主の法に従うための根本的な心のあり方が
人としてあるべき姿をかけ離れてもいました。


先日触れたように、人間の慣習や律法の形式ばかりにこだわり
創造主の律法で一番大切な、正義や哀れみや誠実さを失っていたわけです。


それに対して異論を唱え
古き契約の無効と新しい神との契約を
主張したのがイエスの教えでです。


つまり12使徒の一番主張したかったのは
多くの人間に対して新しいイエスの教えこそが
正しい創造主の法であると言うこと。


それを一言で言えば


「古き律法ではなくて
イエスキリストを信じなさい”」


と言うことになります。


さらに、パウロの手紙の中にも考慮すべき事が
ヒントとして現れている箇所があります。


ローマ人への手紙16章より

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ケンクレヤにある教会の執事で、
私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。


どうぞ、聖徒にふさわしいしかたで、主にあってこの人を歓迎し、
あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。


この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。


キリスト・イエスにあって私の同労者である
プリスカとアクラによろしく伝えてください。


この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。
この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。


またその家の教会によろしく伝えてください。
私の愛するエパントによろしく。
この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。


あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。


私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、
アンドロニコとユニアスにもよろしく。


この人々は使徒たちの間によく知られている人々で、
また私より先にキリストにある者となったのです。

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私の福音とイエス・キリストの宣教によって、
すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現されて、


永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、
信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、
あなたがたを堅く立たせることができる方、


知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、
御栄えがとこしえまでありますように。アーメン

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここからも私達が理解しなければならないことがあります。


一つ目にはイエスの側近でイエスキリストの奥義を受けていた
12使徒よりも先に

”イエスにあるもの”となった人間が存在していると言うこと。


つまり”イエスにあるもの”と言う言葉は
形式的にイエスに従って付いていったとか
イエスの事を信じたと言う形式的なものを意味するのではなくて


何か実質的な見えないものを意味しているらしいと言うことです。


つまりは”イエスにある者”というのは
単にイエスの教えを信じイエスに従った人間と言う意味ではなくて


イエスの教えを実践して、
ある特定の状態へと進むことになった人間と
解釈することができると思います。


プリスカとアクラはパウロよりも先に
その状態へと辿り着いた事になります。


そして其の”特定の状態”というのは
おそらくは魂の経路を見出すこと、覚醒すること、
啓示を受ける事と言った状況であろう事も私達には想像できます。


つまり12使徒よりも先に覚醒し、
イエスの奥義を理解し使用できる様になった人間が存在していたと言うことを
ここでパウロは語っているのだと思います。


12使徒だけが特別なイエスの遣いではなかったと言うことです。


そして一番最後の


【永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くために
あらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示】


これは言うまでもなく”イエスの神の国の奥義”のことです。


この時代にこの奥義を使用しては創造主の意志を語った人間は
旧約聖書の時代の預言者と同様の存在だといえます。


おそらくはイエスの直伝の奥義は多くの人間に引き継がれて、


多くの人間が覚醒を果たし
魂で受け止める創造主の意志を語ったのだと思います。


そしてそんな人間達が
更なる預言者を作り上げていった。

(予言と言っても、今の時代に取り上げられる
オカルト予言を語るのではなくて


創造主の意志や、そこから導き出せる
私達のあるべき未来を語ったのだと思います。
予言の意味も今の時代とは異なっていると想像します)


更に、一番留意してほしいのは、


このローマ人への手紙はイエスの奥義を理解している人間に対して
パウロが其の質問等に返答した内容こそが
其の記述の中心となっていると言うことです。


以前にも触れたように、12使徒からの手紙は
イエスの奥義を知っている、もしくは理解している、


さらにはそれを実践している立場の人間が
その手紙の受取人であるということです。


おそらくはパウロの手紙の受取人たちは
皆同じような立場の人間であったと推測できます。


つまりは彼らはイエスの奥義の存在を知っていて
それこそが彼らを創造主の法へと導くことを理解していた
存在だと言うことです。


そんな人間達に対しての手紙であったことを前提とすれば


パウロが”御霊”とか”精霊”とか”天”と”地”と触れても
彼らはその意味をすぐに理解したはずですし、


パウロが「イエスを信じなさい」と語ったときに
それが意味するのは、


私達が「イエスを信じなさい」と言われた時に
受ける印象とは別のものであったと言うこと。


つまりは「イエスの新約聖書の言葉を信じる」と言う意味ではなくて


「イエスの奥義を伝えてくれたイエスの事を信頼して
魂の経路を見つけ、覚醒しなさい。」


と言うニュアンスになるのではないでしょうか。


元々持っている価値観が異なるから、
同じ言葉であってもそこから受け止める印象も異なるものとなる。


イエスの教えを、”単に聖書のイエスの言葉を
額面どおり受け止めることを前提としている人間”と


”イエスの教えの真意は
創造主の意志を感じてそれを実践するイエスの奥義にある”と
捉えている人間とでは


「イエスを信じなさい」


という同じ言葉であっても
其の指し示している内容は異なってくると言う事です。


このコメントを書いた方も
その事は理解してはいなかったと言うことです。


何度も繰り返しになりますが
イエスはこう語っていました。

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わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、
天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。

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イエスキリストが私達に求めていたことは
イエスキリストを美化し神聖化し拝むことではなくて


イエスを信頼し其の教えを正しく理解し
創造主の意志に適った生き方をしていくことだと
解釈できるはずです。


私達もイエスを”信じて”イエスの一番伝えたかった
創造主の法を理解してそれを実践して行きましょう。


【地球人の神は遠い場所にいるのではなく
近くの万象の中に、人間自身の内部にいる】


このイエスの転生の言葉も”信じて”
深い覚醒へと進んで欲しいと思います。

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P.S.


”死者の中からのイエスの復活”をパウロが神聖に表現したのは


イエスキリストの存在とその主張に
強い信憑性と信頼を持たせるためのパウロの独創表現であったと
理解していただくのが良いと思います。


イエスの教えを広めるためには、


旧約聖書の人格神の魅力を、
イエスキリストが超えなければならないと考えた
パウロとブラザーズの演出だったのではないでしょうか。


そしてイエスキリストは美化されなくても
心ある人間にしてみれば神聖な存在だと感じるはずです。


そんな私達のマスターにいつか出会う事も
私達にとっても小さな希望となるかもしれません。


私にとっては大きな望みとなっています

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