2013-02-28 ガリレオ、仏教の宇宙観
■[書評]ガリレオ『望遠鏡で見た星空の大発見』:「星界の報告」新訳。神をも畏れぬ邪説を唱えたトンデモ本。発禁にすべき。
- 作者: ガリレオガリレイ,板倉聖宣
- 出版社/メーカー: 仮説社
- 発売日: 2013/01/04
- メディア: 単行本
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望遠鏡で見ると、星空はずいぶんちがって見えるんだよ、というのをガリレオが、自分の感動を素直に伝えるべく書いた本。最初は、望遠鏡の構造の解説から入り、その後は月はこんなふうに見えて、実はでこぼこなんだよ、とか星座の周辺にはほかにもいっぱい星があるんだよ、というのを述べる。月のでこぼこは望遠鏡なるカラクリを信用すべきかどうかにも関わるので簡単に断言すべきではないと思うが、そこまではいい。
だが問題はその後。ガリレオは木星を観察して、そのまわりをまわっているとおぼしき星の報告を行い、実はすべてが地球を中心にまわっているのではないんじゃないか、コペルニクス説が正しいんじゃないか、という神をも畏れぬ邪説を唱えている。ふつうに教会の教えを知っている人なら決して思いつかないトンデモで、しかもそれが実に淡々と書かれているために、うっかり読んだら信じてしまいそうなほど。同じ星が木星のまわりをまわっているように見える、というんだけれど、別にそんな解釈をする必然性もあるのかどうか。定評ある聖書の教えより、卑小な人間たる己自身のまちがえやすい目を、しかもさらに怪しげなギヤマンのカラクリ経由のものを大仰に言い立てる慎みの欠如は嘆かわしいにもほどがある。
しかもその書きぶりはきわめて断定的であり、それ以外の解釈はあり得ないかのようで、他の可能性をすべて否定している。そうした傲慢な書きぶりでは決して共感は得られないであろう。いたいけな信徒が読むと真に受け、ヘタをすると神の教えすら疑ってしまいそうなので、禁書推奨。著者も不届き千万なので火あぶりにすべきだと思う。
翻訳はきわめて優秀で、中学生にでもわかる。そして訳者の判断がこのトンデモ本の流布に貢献してしまっているのは、pp.56-57の図。原著では、「この日ではこんな感じでした」というのを日ごとに説明しているのをとばして、その図だけを並べている。すると、確かにそれを見ただけで、ああ木星のまわりを他の星がまわっているんだなあ、という印象が勝手に生まれるようになってしまっている。原著の記述だとまだ疑問の余地があったものを、無意味な全訳を避けて図だけ集約したことで、ガリレオの主張がかえってわかりやすくなってしまったという、神様的にはちょっと許し難い邦訳。その意味で厳密には全訳じゃないんだが、全訳よりさらに犯罪的ではないか。でもこうした書き方やまとめ方は、観察日記の書き方のお手本としていいんじゃないか。
訳者が誇る工夫として、長い修飾節を<>に入れる(たとえば、「多くの人にはずいぶん長くて細かい本はわからない」というのを「<多くの人>には<ずいぶん長くて細かい本>はわからない」という具合に処理する)というのがある。ぼくはやらないけれど、でも手法として嫌いではない。LISPみたい。なじめない人でも、そんなにうっとうしくはないと思う。
ただ、何語のどの本をもとにした翻訳なのかは明記しておいてほしかった。また、タイトルは原語直訳が「星空についての報告」で、このタイトルだとガリレオの本だというのがちょっと気がつかれにくくて損をしていると思う。ぼく自身、最初はガリレオとその発見についてのジュブナイル的解説書だと思っていて、実物だと知ってびっくりしたもので。
■[朝日新聞書評ボツ本][書評]佐々木『仏教は宇宙をどう見たか』:おもしろいが、まあ仏教の中の話なので。
仏教は宇宙をどう見たか: アビダルマ仏教の科学的世界観 (DOJIN選書)
- 作者: 佐々木閑
- 出版社/メーカー: 化学同人
- 発売日: 2013/01/30
- メディア: 単行本
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仏教は色即是空で現実は存在せずすべては心の働きなんだという一般的な主張に対して、いやそうじゃないよ、もう少し理屈はあるよ、という話で、仏教の挙げてい世界像を説明したもの。
現代科学のアナロジーであれこれ説明しようとしていて、まあわかりやすいといえばわかりやすい。その一方で、仏教がカオス理論を先取りしていたとか、その手の話がときどき出てきて鼻白む (pp.131-134)。カプラ『タオ自然学』とかでもそうだけれど、この宗教で万物が生まれては消失するというのは素粒子の対消失を先取りしていたとか、その手の我田引水はやめてほしいんだよね。いろいろ作用はあって先のことはわからん、という業の理論が、細かいものの作用が効いて結果がわからんというカオス理論を言い当てていたというのは、ちょっとアレでは。
仏教の中の世界としてこんなのがありました、という紹介としてはおもしろい。一方で、それはなぜそんな考え方になったんですか、というと……結局、仏教の後世の体系化(お釈迦さんはもちろん、本書にあるような世界観を直接述べたことはない)の中で後からこじつけででっちあげられたもの、なのでこれを真に受けるべきか、これが本当に仏教としての教えなのか、その本質に関わるのかそれとも枝葉の重箱の隅論なのか、というあたり、いま一つわからない。
仏教は面倒で、宮崎哲弥のように輪廻は実は仏教の教えではないとか業の発想があれやこれやとか、結局何なのよというのがはっきりしない。自分なりの浅い理解で何を言えるかということさえ判断つきにくいし、それでこういうものを紹介するのも及び腰になってしまう。もう少し読みこむと、またいろいろ言えるかもしれないんだけれど、そういう投資をすべきかどうかもアレなもんで、パス。まあ他に読みたいと手を挙げた人もいなかったし……