夜会を途中で退出し、シュナイゼルは皇宮に与えられている部屋へスザクを誘った。
かつん、かつん。
遠くに『美しく青きドナウ』が聞こえるだけの静かな回廊をスザクはシュナイゼルに手を引かれて歩いた。
・・・大きな、手・・・。
スザクの手を握っているシュナイゼルの手は、スザクの手を片手で包んでしまえそうなほどに大きい。
そうして、スザクが手から視線を上げると、そこには濃紫の長衣に包まれたシュナイゼルの広い背中があった。
ダンスの時、簡単に僕を抱き上げて踊ってた・・・。
それでもびくともしない逞しい背中に、スザクはなんとなく紅くなった。
「もう夜も遅いからね。今日はこの部屋に泊まって、明日離宮へ戻ろう」
重厚な黒檀でできた大きな扉を開いて、シュナイゼルはスザクを部屋へ招き入れた。
部屋は居間と寝室の二部屋だけの比較的小振りのものだった。離宮のシュナイゼルの部屋よりも、調度がやや華やかで派手やかであるのは、皇帝の趣味なのかもしれない。
「疲れただろう。座りなさい」
手を引かれたまま、スザクはシュナイゼルがかけているディヴァンの隣に腰を下ろした。しばらくすると、侍女がお茶を持って現れた。侍女は特に何を言うこともなく静かにティーカップをシュナイゼルとスザクの前に置くと退室していった。
「・・・冷たい方が良かったかな?」
ティーカップを持ったまま、じーっとお茶の表面を見つめているスザクにシュナイゼルが言った。
「?」
「猫舌、なのだろう?食事の時もあまり熱いものは食べずらそうにしていたから」
不思議そうに見上げてきたスザクに、シュナイゼルは苦笑を返した。
・・・見てて、くれてるんだ・・・。
「・・・大丈夫・・・」
ふうふうと表面を吹いて冷ましたお茶を、スザクはこくんこくんと飲む。その様子をシュナイゼルは瞳を眇めて見つめている。
お茶を飲んで、ふー、とスザクは息をついた。初めての夜会に、思う以上に緊張していたのだ。
「スザク・・・」
「は」
『い』とスザクが答える前に、持っていたカップを取り上げられ、細い頤に手を掛けられた。びっくりしたスザクが声を上げるよりも早く、シュナイゼルはスザクの桜色の唇に唇を寄せた。
「・・・っふ・・・、ぅ・・・・っん・・・」
スザクは驚いて唇を固く閉ざしたままだ。そんなスザクの唇に、シュナイゼルは何度も何度も優しく口付けていく。唇で上唇を食んだり、すこぉしだけ舌でスザクの唇を舐めたり。小さく震えて、シュナイゼルの上着を握り締めてくるスザクを腕の中に抱き込んで、何度もキスを交わした。
「・・・唇を、噛み締めないで・・・」
睫毛まで震わせているスザクに、シュナイゼルは吐息で囁く。
「・・・そう、ほんの少しでいいから、唇を解いて・・・」
アメジストのイヤリングが光る小さな耳に、シュナイゼルは甘い毒のような懇願を注ぎ込む。
「・・・ぁ・・・っ!・・・ゃ・・・ぁ・・・・んっ」
甘い毒に侵されたように、スザクの唇が解かれた瞬間をシュナイゼルは逃さなかった。甘い唇を割り、舌を忍び込ませる。奥で怯えたように丸まったままのスザクの舌を絡め取り、吸い上げて、甘く噛む。
ちゅ。
音が鳴るのが恥ずかしくて、スザクは深いキスに泣き出しそうになる。
「・・・いい子だ。怖くないから、もっと力を抜いて・・・」
「・・・ふ・・・っぁ、ぁ・・・っ」
背中に回された腕に力が篭り、スザクは口付けられたまま体が浮き上がるのを感じた。軽々とスザクを抱き上げたシュナイゼルは行儀悪く足で寝室のドアを開けると、しっかりとした足取りで寝台へ進み、口付けからスザクを解放することなくスザクを寝台に横たえた。
しゅる。
溶かすような甘い口付けにぼんやりとしていたスザクだが、ドレスのリボンが解かれた瞬間に我に返った。
「や・・・!だめ・・・っ」
背中のリボンを解かれ、華奢な肩先から白いドレスを肌蹴られていく。顕になった肩に口付けられて、スザクは今度こそ泣き出した。
「嫌なのかい?」
震えて大きな翠の瞳からぼろぼろと涙を零すスザクの顔を覗き込んでシュナイゼルは尋ねる。
「いや。だめ。だめっ」
ふるふると子供のように頭を振って、『駄目』と繰り返すスザクをシュナイゼルは困ったように笑って抱きしめた。
口付けには、ちゃんと応えてくれていた。
私のことが心から嫌い、というわけではないのだ。
「わかったよ。お前が嫌ならしないから。・・・けれど、その代わり聞かせておくれ。どうして嫌なんだい?」
キスは受け入れていただろう?
こんなにも瞳を潤ませて。
縋るように私の上着を握り締めて。
ひっく、とスザクはシュナイゼルの腕の中で、引き攣ったようにしゃくり上げた。シュナイゼルは優しくスザクの背を大きな手のひらで撫でたり、長い栗色の巻き毛を梳いたり、頬に流れる涙を唇で拭ったりして、他愛もない優しい言葉でスザクを慰めた。
そうして、すん、とひとつ鼻をすすったスザクはシュナイゼルの広い胸から顔を上げて、寝台から見える窓を見つめた。窓からはまだ薄い三日月がかかっている。
「・・・だって、満月じゃないもの・・・」
小さな小さな声で、スザクが言う。
「は?」
あまりにスザクの声が小さく、そして意外な答えだったため、シュナイゼルは素っ頓狂な声を上げてしまった。
「だってっ、満月じゃないんだもんっ。そんな時に、あ・・・っ、あんなこと僕としたって、いいことなんかないんだもんっ!」
叫んだ拍子に、スザクはまた泣き出した。
満月の時は、きっと殿下も楽しめる。
だけど、他の時は駄目。
体だって光らないし、あんな風に熱くなったりもしないんだもの・・・。
そんな僕なんかとしても、いいことなんかないんだもの・・・。
「・・・・・・・・・・・・」
さめざめと再び泣き出したスザクを思わずじっと凝視していたシュナイゼルは、やがて金糸の髪をかき上げて、ふー、とひとつ大きくため息をついた。
私は、いったいこの子にどんな男だと思われているんだろうか・・・。
新妻との情事を月に1度だけで良いと考えるほどには、自分は枯れていないつもりなのだが・・・。
「・・・!?や・・・っ、どうして・・・っ?」
「別に私は、『月の姫』である時のお前だけに価値があるとは思っていないよ」
シュナイゼルは濡れたスザクの唇に唇を重ね、華奢な首筋に愛撫を与える。
「確かに満月の光を浴びて内からほんのりと発光するお前はとても綺麗だ。けれど・・・」
大きな翠の瞳は、シュナイゼルを見上げて幼子のようにほろほろと涙を零す。
「今、私の腕の中にいるお前も、とても愛らしいと思うよ。大きな翡翠のような瞳も、柔らかくて甘い唇も、くるくるの巻き毛も可愛らしい。それに・・・、いつもいつも人に気を遣ってばかりで自分に自信がないお前のことが、私は心配でたまらない」
もっと、狡猾になってもいいのに。
お前はその魅力で、きっと世界を手に入れることすらできると知っているかい?
大きな手のひらで、スザクの涙で濡れたまろい頬を優しく撫でる。
「・・・愛してる。『月の姫』であるお前も、そうでない時のお前も。だから、満月でない時だって、私はお前を愛したくなるんだよ・・・」
「・・・っぁ・・・!」
吐息で甘く囁き入れ、ゆっくりとスザクの白いドレスを落としていく。
「満月の月明かりの下で見たお前は、まるで月そのもののようだったけれど・・・」
華奢なスザクの右腕を手に取って、内側の柔らかい部分に唇を這わせる。
「今のお前は、月明かりの下で咲く、白い花のようだ・・・」
そう。
夜に咲く、白い花。
夜に咲くのに、どこまでも清楚で愛らしい。
「・・・どんなお前も、お前だ。そして、私はどんなお前でも愛しているよ・・・」
心臓の上あたりにシュナイゼルに口付けられ、スザクは小さく跳ねた。
「・・・お前を、愛してる・・・。だから、どんなお前でも愛したいんだ・・・」
『いいかい?』と口付けの合間に尋ねられて、スザクは甘い吐息を零しながら小さく小さく頷いた。
初めての夜とは違う、熱が先行しない行為。
怖かったり、恥ずかしかったり、嬉しかったり。
ひとつずつ、互いに教えあう。
スザクがキスはあまり長くなると、呼吸を忘れてしまうこと。
シュナイゼルがスザクがあまりに華奢で、抱き壊してしまわないように自制しようとしていること。
スザクがシュナイゼルに耳元で囁かれると、ぞくぞくしてしまうほどにその声に弱いこと。
シュナイゼルが行為の最中に泣いてしまうスザクを、可愛くてたまらないと思っていること。
ひとつずつ、互いを知って深くなる。
「・・・愛してる・・・」
深く深く繋がったその時、シュナイゼルが言った。
震える手でシュナイゼルの背中にしがみついて、その固くて重い楔を受け入れたスザクが小さな小さな声で、『すき』と返した。