「第二皇子殿下ならびに妃殿下、おなーりー」
大広間にシュナイゼルとスザクの訪れを知らせる声が響き、ざわめきが生まれる。いっせいに集まる視線に、スザクは小さく震えた。
「大丈夫だよ。私が一緒にいるだろう?」
スザクの手をぎゅっと握ってやり、シュナイゼルは不安そうに翠の瞳を揺らすスザクの顔を覗き込んで穏やかに笑った。
「・・・うん・・・」
こくん、とひとつ頷いて、スザクはすっと姿勢を正して顔を上げた。そうして、シュナイゼルはスザクの手を引いて、ゆっくりと緋毛氈の上を進む。
シュナイゼルは白を基調にして紫と黒をアクセントにした礼服をいつものように隙なく着こなしている。藤色の瞳の色と金糸の髪を持つシュナイゼルを最も引き立たせる色だ。
そして、そんなシュナイゼルに手を引かれて進むスザクはソフィアの見立てたこれも白をベースにした可憐なドレスに身を包んでいる。肩や袖口、華奢なウェスト周りには大小の紫色のリボンが飾られ、シュナイゼルの衣装とまるで対のようなドレスはスザクの清廉な魅力をさらに際立たせている。
「あの方が『月の姫』ですの?」
「まだほんの子供じゃないか」
「あらあら、子供でも閨でのお振る舞いはきっとそうではないのでしょう?」
ひそひそと交わされる貴族たちの会話の内容は、スザクが日本にいた頃から繰り返し何度も聞いてきたものと同じだ。
・・・大丈夫。
こんなの、いつものことだもの。
平気だもん・・・。
しっかりと前を見つめて毛氈を進むスザクの手が、小さく震えていることにシュナイゼルは気づいていた。今ここで、噂話をしている貴族たちを叱責したところで何の解決にもなりはしない。シュナイゼルは無責任な噂話をする貴族をしっかりと記憶するだけに留める。
玉座の前まで進むと、ふたりは膝を折って皇帝に頭を垂れる。
「シュナイゼル・エル・ブリタニア、妻スザクとともにまかりこしましてございます」
シュナイゼルが皇帝に挨拶を述べる。それは、『親子』というにはあまりにもよそよそしいものだった。
「堅苦しい挨拶は良い。・・・時に、『月の姫』をソフィアはいたく気に入ったようだな。ソフィアの奴、とうとう皇宮の女官長を辞したいと申し出て来おったわ」
じろり、とシュナイゼルよりも濃い紫の瞳に睨み下ろされたスザクは、皇帝の言った言葉を理解した瞬間に青くなった。
「・・・女官長って・・・」
呆然と呟いたスザクに、シュナイゼルは『ああ、お前には言っていなかったね』とのんびりと返した。
ソフィアって、そんなに偉い人だったのっ?
そんな人が僕の世話をしてくれてて・・・っ。
それで、女官長を辞めるって?
「なんでも、おぬしのことが気に入ったので自分の手で育ててみたいのだとソフィアは言っておったぞ。あの女にそこまで言わせるのは、さすがに『月の姫』と言ったところなのか?」
面白そうに瞳を眇める皇帝に、シュナイゼルが優美な笑顔を向ける。
「『枢木の巫女姫を得るものは、世界を握る』。そんな幸運を授けてくれる姫君を妻に迎えられた私は幸せ者でございます。しかし、私の妻になったとは言え、姫はまだ14。まだまだ幼い姫を心配していたのですが、ソフィアがまるで実の娘のように可愛がってくれるので私もついそれに甘えてしまっております」
優しく穏やかに笑みを浮かべてスザクを見つめたシュナイゼルは、唇だけで『私に合わせていなさい』とスザクに伝える。
「昔からあの女は、自分が気に入ったことにしか力を貸さん。ソフィアのしたいようにせよと、お前からあれに伝えよ」
「はっ。かしこまりました」
事実上、ソフィアの辞職を認めた皇帝の表情に淋しげな笑みが浮かぶのをスザクは見逃さなかった。
駄目。
皇帝陛下だってソフィアのこと必要なのに、僕が独り占めしちゃ駄目。
だって、こんなに淋しそう。
「あのっ、ぼく・・・っ、わたしがあんまりにも何もできないから、ソフィアは心配してくれてるんですっ。だけど、早くちゃんと自分でいろんなことをできるように、ソフィアを心配させないように頑張りますから・・・!だから、ずっとじゃなくて、少しだけ・・・。少しだけ、ソフィアをお借りしていて良いでしょうか・・・っ」
一生懸命に言葉を紡いで、スザクは皇帝に懇願する。
潤んだ翠の瞳と、震える小さな桜色の唇に、皇帝は苦笑を漏らした。
なるほど、と皇帝は胸の中で考える。ソフィアが気に入ったのは、スザクのこういった素直さや優しさなのだろうと思い至る。
「わしはソフィアをクビにするのではない。戻ってきたいとソフィアが思ったのならば、いつでも戻ってくれば良い。だが・・・」
こつん、と皇帝が玉座を降り、膝まづいたままのスザクの目の前に膝をつく。
「お前のようないたいけな子供が相手では、わしに勝ち目はなさそうだからな」
そう言って面白そうに笑うと、皇帝は自らの左手の小指に嵌めていた皇家の紋章の入った指輪を外し、スザクの華奢な右手の親指にそれを嵌めた。
ぶかぶかの指輪と目の前の皇帝を見つめ驚きのあまり声もないスザクに代わり、シュナイゼルが『ありがとうございます』と深く頭を下げた。