「最近、友人の作家の解説をたのまれることが多い。もちろん、喜んで応じることにしている。ところが、先日、みような雑音をきかされたので、ひとこと弁解させてもらうことにする。/SF作家は、仲間内で褒めあいをしているというのである」(原文ママ)
一九八一年、映画『ねらわれた学園』のを観に行ったあの夏、すでに私は角川文庫で日本SFを読み漁る中学生になっていました。『ねらわれた学園』の巻末解説の冒頭は、いまも鮮明に胸に刻まれています。豊田有恒さんの文章はそれだけ当時の私にはショッキングでした。好きだと感じ始めていたSFにはコミュニティ内外での軋轢や論争があり、そうした価値観の違いや弁解が、文庫解説という公の場にもストレートに書かれてしまうのだという事実が恐ろしかったのです。
仲間うちだからこそ解説を引き受けるのだし、褒めるに値する作品だから読めるのだ。日本SF作家クラブでは、意見の対立はあっても喧嘩ひとつ起こらない。喧嘩してしまえば楽なはずの作家同士で、これは奇跡的といえるほど珍しい例だ──あれから三〇年以上経ち、自分が日本SF作家クラブの会長となったいま読み返すと、豊田さんの文章に深い含蓄と変わらぬクラブのメンタリティを感じます。いまでもこの文庫解説は私のナンバーワン──これを読んだ中学二年で、私の人生とSFに対する想いは決まったのでしょう。
私は日本SF大賞をいただくことで、外部から日本SF作家クラブに入りました。瀬名さんには迷惑かもしれないけれど、と恐縮した文面で当時の会長からお誘いを受けました。最近、ある会員から「瀬名さんが本当に入るとは思わなかった」といわれました。もちろん別の人生はあったでしょう。そちらのほうがはるかに幸せで、成功したかもしれません。でも仕方がない、私は『ねらわれた学園』が大好きである人生を選んだのですから。
日本SF作家クラブは二〇一三年に設立五〇周年を迎えます。クラブのますますの発展を願っています、と書くのがいちばんですが、胸に手を当てて考えた末、それは自分の本当の言葉ではないとわかりました。だから会長職にしか書けないことを書かせて下さい。
「何もせんほうがいい(中略)このまま......何の手も打たないほうが......」『日本沈没』で賢人たちが最後に達する結論です。日本SF作家クラブもまた日本列島なのだと私は思うようになりました。世界は日本SF作家クラブが何かを求めるようにできてない。クラブも〝業〟からは逃れられない。今後の五〇年で少しずつクラブは消えてゆくでしょう。しかし列島は沈んでも〝日本〟はひとりひとりの中で継がれたように、日本SFもそうして宇宙へ羽ばたくでしょう。
それは決して悲しみではない。むしろ希望です。だから私は勇気とともに、みなと日本SFの未来を祝いたい。そしていつか首相役の丹波哲郎のように、一度だけ涙を流したい。