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【芸能・社会】海老蔵 誓う 「一生かけて精進」 市川団十郎さん葬儀に2500人2013年2月28日 紙面から
3日に肺炎のため66歳で亡くなった歌舞伎俳優、市川団十郎さん(本名・堀越夏雄)の本葬が27日、東京・南青山の青山葬儀所で約2500人が参列して営まれた。葬儀は神式で行われ、喪主を務めた長男の市川海老蔵(35)は団十郎さんの“遺書”となった辞世の句も紹介。「父が35年間かけて伝えてくれた歌舞伎の精神、一生かけてこの道に精進してまいりたいと思います」と力強く誓った。 歌舞伎界の巨星を失ったことを悼むような涙雨が降り注ぐ中、父の遺骨をしっかりと胸に抱いた海老蔵は午前10時すぎに同所に到着。仏式の位牌(いはい)にあたる霊璽(れいじ)を持った母・希実子さんらと共に会場入りした。3月末に第2子を出産予定の妻・小林麻央(30)は大事をとって欠席した。 正午から始まった告別式では、松竹の迫本淳一社長、日本芸術院院長で元文化庁長官の三浦朱門氏、日本俳優協会会長も務める坂田藤十郎(81)、元首相の森喜朗氏(75)、団十郎さんと親友だった尾上菊五郎(70)の5人が弔辞を朗読。参列者は玉串をささげて故人の冥福を祈った。 喪主あいさつの冒頭では「とても…寂しいです」と声を詰まらせた海老蔵。だが「父は若くして父を失い、また母を失い、そしてまた白血病という大病を二度にわたって患い、そして息子が私という、何とも苦労の絶えない人生でございました」と話すと、しんみりした会場に思わず笑い声もこぼれた。 また、「色は空 空は色との 時なき世へ」との“辞世の句”があったことを紹介。団十郎さんは、あの世への旅立ちを覚悟していたことを明かした。 団十郎さんが昨年12月にパソコンに書き残していた「色は空 空は色との 時なき世へ」という句は、会葬御礼にも印刷された。喪主あいさつで海老蔵は「自分の死を悟っていたのだなと。気付かなかった。大変申し訳なく、情けない思いがしました」と悔いも明かした。 本葬後、報道陣からあらためて辞世の句について問われた海老蔵は「般若心経からきたものかと思ったが、父は空とか宇宙が好きだったので、色(しき)、空(くう)とも読めるので、そう読ませてもらった。最期を覚悟していたのだと思う。父も(新しい)歌舞伎座の開場に出るつもりでいたけれど、自分の最期を覚悟はしていたから書いたのかな…」と故人の思いを懸命に代弁した。 歌舞伎に詳しく俳人でもある作家の三田完さん(56)は、団十郎さんの句について「非常に透明な達観した気持ちを表している」と話し、団十郎さんが自らの死が近いことを悟って作ったのではと推測する。 「色は空 空は色との」は般若心経の一節「色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)」を参考にしたと思われ「いろんな物があるようで何にもない。何にもないようでいろんな物がある」という意味だという。「時なき世へ」は時間もない所へ行くことを表し、来世へ旅立つことを覚悟したとも受け取れる。三田さんは「俳句というよりは悟りでは」と語る。 さらに団十郎さんが天体観測が好きだったことから「大宇宙にはいくつもの星があるけど何にもない。悟りと好きな宇宙を重ねたのでは」と話した。 ◆心配をかけた父に謝罪も本葬を終えた海老蔵は会見に応じ、「父を愛してくださったファンの方々には、父に成り代わってお礼を申し上げます」と感謝。「きのうは菊之助君の結婚式がありましたが、歌舞伎界も3月からは華やかで楽しい話題が提供できるように頑張っていきます」と意気込みをみせた。 喪主あいさつの中で団十郎さんの苦労の中に自身の存在も挙げたことについて、海老蔵は最後の共演映画のワンシーンを引用。「父は私(利休)の師匠の役で、私が師匠に『申し訳ありませんでした』と謝るシーンがあった。そのときの父のセリフが『大変迷惑したわ。しかし興があったぞ』というものでした」と懐かしそうに回想。暴行事件などで心配をかけた父への謝罪もにじませた。 入院中だった1月15日の看護日誌に団十郎さんが「海老蔵にはもったいない嫁、いい嫁をもらって安心したぞ」などとつづっていたことも明かした。欠席した妻・麻央の状態については「昨日ぐらいから、おなかが少し下がってきた。長い間冷えるのは良くない、無理するなと、周囲と相談して大事をとった。きょうは家で暖まってる」と説明した。 長男となる第2子で「名前は既に決まっていて、父も承知していました」と明かした。「父は孫と共演したいという思いが強かった。ぼくも孫と共演できるよう精進できたら」と将来を見据えた。納骨の日取りについては「いろいろな人の意見を聞き、慎重に決めたい」と話した。 ◆あいさつ全文とても…寂しいです。しかし父の子として生まれて本当に幸せでした。 父は若くして父を失い、また母を失い、そしてまた白血病という大病を二度にわたって患い、そして息子が私という、何とも苦労の絶えない人生でございました。 しかし、そんなとてもつらい苦しいことがあるのにもかかわらず、我々家族の前ではいつも明るく、優しく、大きくドーンとした父でした。 初めて父とお酒を飲んだ時に、父は十一代目団十郎、父とそのような時を過ごしたことがなかったために、「孝俊、とってもうれしいよ」と。「幸せだ」と。言ってくれたことがとても思い出に残ってます。 生前、最後の言葉は「いつも、みんな、ありがとう」でした。そんなときも、そんな優しい言葉をかけてくれるのだなと、とてもびっくりした思い出があります。そして人工呼吸器を付けるときに意識がなくなるので最後に話がしたいというので、私が浅草公会堂に出演させていただいてましたので、テレビ電話での会話になりました。 そのとき母から聞いた話ですと、呼吸がつらく、とてもしゃべるのは困難だったと。しかし私とテレビ電話がつながったとき、そのときテレビの画面から見えた父の顔は、とっても優しく、いつもと同じような…笑顔でした。本当に目をつぶるとそのときの父の笑顔がまぶたに焼き付いています。これは本当に私の一生の宝物です。 そして先日、父の残した句が出て参りまして、その句は「色は空 空は色との 時なき世へ」。初めてそれを見たとき、自分の最後を悟っていたのだなと。ああ、気づかなかった。大変申し訳なく、情けない思いがしました。 しかし父は空を眺めることや、星を眺めること、宇宙がとても大好きでした。もし、空を眺めた時に、少しでも父のことを思い出していただければ、我々家族にとりまして、この上の幸せはございません。 また私にとりまして父であって師匠であるかけがえのない存在を亡くしてしまいましたが、父からいただいたこの体、そして父が35年間かけて伝えてくれた歌舞伎の精神、これは一生かけてこの道に精進してまいりたいと思います。 また父がとても大切にしておりました市川一門、いずれも様におかれましても今後も変わらぬお引き立てのほどを、また厳しいご指導のほどをよろしくお願い申し上げます。 最後になりますが、父は皆さまに感謝する心というものをとても大切にする人でした。そんな父に成り代わりましてひとこと言わせてください。みなさま、本日は本当にありがとうございました。 ★主な参列者 藤村志保、なかにし礼、尾上菊五郎、富司純子、坂田藤十郎、扇千景、中村吉右衛門、松本幸四郎、片岡仁左衛門、沢村田之助、坂東三津五郎、尾上菊之助、市川中車(香川照之)、市川団子、波乃久里子、西郷輝彦、市川猿之助、中村勘九郎、中村七之助、仁科亜季子、片岡愛之助、王貞治、篠山紀信、北大路欣也、尾上松緑、中村橋之助、三田寛子、市川染五郎、米倉涼子、水谷八重子、徳光和夫、野田秀樹、中村福助、中谷美紀、中村時蔵、岡田裕介、中村獅童、森喜朗、市川右近、市川左団次、中村歌六、中村又五郎、沢村藤十郎、大谷友右衛門、中村芝雀、坂東玉三郎、市川段四郎、中村扇雀、中曽根弘文、松本紀保、神田川俊郎、林家正蔵(順不同、敬称略) PR情報
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