東日本大震災:「海が怖い」もう漁師に戻れない
毎日新聞 2013年02月27日 11時54分(最終更新 02月27日 17時28分)
命の海が今も怖い。東日本大震災の津波で福島県浪江町請戸の自宅と漁船を流された浮渡(うきと)宣夫さん(43)は、約20年続けていた漁師にもう戻れないと思い始めている。間近に迫った津波の記憶、仲間を「死なせた」後悔が、まだ胸をふさぐ。東京電力福島第1原発事故で海が汚され、県内漁業は復活の緒についたばかりだ。「2年」が近づく今、先が見えない。
あの日、バックミラーを見る余裕も勇気もなかった。海沿いの自宅へ車で戻ろうとした浮渡さんは、100メートル手前で堤防を越す津波を見てすぐUターン。狭い農道を全速力で逃げた。視界の端に水の塊が映る。約2キロ西の避難場所・大平山で車を飛び降り、やぶをかき分け斜面を上って、振り返ると「町がなくなっていた」。コンクリート製の建物4棟を除き、古里は真っ黒い海に沈んでいた。
たとえ一つでも違う行動を取っていたら、命はなかった。それを思うとぞっとする。
津波で漁協の青壮年部の仲間2人を亡くした。揺れが襲った時は部の活動で、海から約6キロのショッピングセンターで一緒だったのに……。「仲間が自宅に戻るのを部長だった自分が止めれば、誰も死なずにすんだ」。自責の念が消えることはない。
津波禍は免れたが、原発事故で県内外を転々と避難した。隣の南相馬市の借り上げ住宅に父通正(みちまさ)さん(73)と落ち着き、昨年10月から市内にある浪江町役場の出張所で働く。高校卒業後に2年弱、家業を継ぐ前にバス会社に就職して以来約20年ぶりの事務仕事だ。日の出前に出航し海を相手にしてきた漁師とは、仕事の内容も生活のリズムも大きく変わった。だが県の期間限定の雇用事業なので最大1年間しか勤められない。
かつての仲間は船に乗り、放射線のモニタリング検査やがれき処理などで海に出る。漁を始めたと聞けばうれしいし、自分も頑張ろうと思える。「しかし、いつ震災前のような漁ができるのか。生活できるのか」
小さいころから海を見て育った。海の近くに住むのが当たり前だった。震災後、たとえ静かな海でも落ち着かない。どっちへ逃げたらいいか、と考える自分がいる。「海の近くにはいたいけれど、できれば少し距離を保ちたい」と吐露する。