関西Made ベンチャー政党(1)
日本経済新聞 2013/2/26
http://www.nikkei.com/article/DGXNASHC14043_U3A210C1LDA000/?dg=1
2012年12月27日、日本維新の会の元北海道1区支部長、大竹智和(35)は格安航空会社(LCC)の関西国際空港発札幌行き便のやや窮屈な座席で考えていた。「明日から生活どうしよう」
前日の衆院選落選者向けの党説明会。大阪の本部で幹部は言った。「小選挙区支部は解散を。次の選挙はまた公募で」
維新政治塾生だった大竹は札幌のテレビ局ディレクターの職をなげうった。妻子もあるなかで無謀ともいえたが、地方発の改革をうたう維新への共感と世論の勢いが背を押した。「地方の人間として東京に対抗意識はあった。中央の既得権に大阪から一矢報いる動きが痛快だった」と語る。
■政治家不毛の地
約2千人の受講生の空気も夏ごろから変わった。「いま選挙をやれば勝てる。国会議員として何ができるか考えよう」。塾生の自主的勉強会がいくつもでき、皆が歴史の当事者を意識した。
東京に次ぐ経済力を誇りつつ、戦後は首相を1人も輩出できず、政治家不毛の地とされる大阪。だが実は明治初期には日本の政治運動の中心舞台ともなった。1875年、大久保利通らが新政府の基本方針を「大阪会議」で協議し、同時期に全国の政治結社の連絡機関「愛国社」も創立された。「ベンチャー政党」維新はそんな大阪に久々に政治のスポットライトを当てさせた。
大竹は供託金600万円に加え、党から広報活動費100万円を請求された。貯蓄でまかなえずに退職金を当て、知人に500万円を借りた。スタッフは親族含め10人程度。当時代表代行の橋下徹(43)の発信力が頼りで、大竹は「維新」「橋下」を連呼した。
橋下の応援は公示3日後。事前告知なしでも約500人の聴衆が来た。氷点下3度の気候では驚異的数字だ。だが、千人単位で集まる大阪の熱狂はそこにはなかった。
維新初の国政選挙は陰影も濃い。54議席を得たが、大阪を除く小選挙区はほぼ壊滅。擁立数に対する当選率は自民党の82%に対し9.2%。大阪以外では1.4%と日本未来の党(1.8%)も下回る。
大竹は小選挙区で敗れ、惜敗率は54.2。終盤は党名より自身の名を連呼したが、比例復活当選まで2.2ポイント足りなかった。残ったのは約300万円の借金だ。
■「不条理超えろ」
不満をぶつける元候補者もいる。昨年末の説明会では「政治活動費用の助成は?」などとカネの質問や自らの処遇、選挙戦略への疑問も聞かれた。その空気に橋下が語気を強めた。「こんなんじゃ次は戦えない」
静まる室内。だが、地方議員を辞めて落選した30代男性は説明会後、「傷口に塩を塗られた」と吐き捨てた。配布資料には「供託金没収負担分30万円」「移動費ほか党本部広報活動支援費27万円」などとある。広報費100万円の使途内訳だ。
「移動費」は幹部の応援演説の交通費らしいが、男性の選挙区に橋下は来なかった。「『自己責任』の名の下に説明がうやむやにされている」
2月9日、大阪のホテルでの政治塾修了式で橋下は言った。「政治は不条理・不合理の世界。これを乗り越えることが必要」。選挙戦略への不満を意識したあいさつだった。数々の不条理を乗り越えてきただろう橋下の言葉に大竹は共感した。半面、多くを失った仲間の再起への思いも聞いた。
近代的中央集権体制を目指した明治維新は名もなき志士の犠牲の上に成った。現代の維新は皮肉にも地方分権が旗印だが、大竹は不思議な因縁も感じる。「今の維新も多くの犠牲の上にある。幹部は敗れた人の思いだけは忘れないでほしい」
(敬称略、年齢は現在)
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関西生まれの知恵は、その斬新さで時代を開いてきた。その知恵が生まれた「関西Made」の舞台裏を見つめ直し、次の一手を探る。
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