小学校の最後の年、校長と一緒に給食を食べるという「行事」があった。卒業を控えた六年生全員が順番に、日ごとに入れ替わりで四、五人ずつ、校長室に自分の給食を運んで行き、校長と歓談しながら食事をするのだ。
この「行事」が始まるに当たって担任の教師からは、くれぐれも校長先生に失礼のないようにと注意を受けていた。まず校長室のドアの前に立ったら代表者が二回ノックをし、返事があってから大きな声ではっきりと名前を言い、中に入るように促されたら失礼しますと言って入り、入ったらおじぎをし、指示があるまでは勝手に座ってはならなず、給食はズルズルと音を立てて食べてはならない、パンは一口ずつちぎって口に入れ、お椀はしかじかのように持ち上げて食べる……などなど、細かい指示が児童全員に対して言われていた。
私は決して、ごく自然に愛想のいい子供ではなかった(母からは、あんたは愛想が悪いとたびたび言われていた)が、その時は健気にも(?)、校長に対して健康的で誠実な態度をもって愛想よく振る舞おうと決めていた。
実際に会食の席では、姿勢を正し、出来るだけ上品に食べ物を口にし、質問されることには丁寧な言葉遣いで「健全で素直な」回答を心掛け、柔らかい笑顔を絶やさなかった。
後日、担任の教師Mから唐突に、「この間の校長先生との給食の時、あんた一体どんな態度だったの?」と聞かれた。一体何のことかと一瞬ポカンとしたが、「いや、とくに、普通でした」と答えた。するとM先生は、「な、わかるやろ? あんたの普通がどれだけレベルが低いか」と呆れ顔で言った。
全身うちひしがれる思いであった。私が全神経をフル稼働して「行儀よく」振る舞った結果が、校長には「行儀悪く」見えていたのだ。自分が意図したこととはまったく正反対の印象を、相手に与えたのだ。私は自分の身体感覚が信じられなくなった。一体どのように気持ちをもち、それをどのように体に伝えれば、意図した通りの結果が相手に見える振る舞いとして現れるのか、皆目わからなくなってしまった。
そのことを言われた時と同じ時であったかどうか記憶がはっきりしないのだが、さらにM先生から、同じ学年の他のクラスの担任であるN先生もT先生も、私のことを、ちょっとあの子はおかしいと言っていると知らされた。私には、どうおかしいのかがまったくわからなかったし、どう改善すべきなのか、見当もつかなかった。
こんなこともあった。昼休み後の掃除の時間に、あまり真面目に掃除をしないということで、ある日の学級会で私は「吊るし上げ」られた。掃除を真面目にしない児童はほかにもいたのだが、なぜか私一人が前に立たされ、クラスじゅうから集中攻撃を受けた。これはまずいと思った私は、なるべく深く反省しているふうな面持ちを保っていたつもりであったのだが、ある児童がおもむろに、「こんな時になんでそんなにヘラヘラしているんですか! 反省する気はないんですか?」と言った。
また、中学にあがって間もない頃、体操着を家に忘れて来たということで体育教師Sにこっぴどく怒鳴られ叱られたのだが、Sの怒りを鎮めるために、反省の色を込めてSの目を「まっすぐ」見ていたところ、「何だその目は!」とさらにSの怒りに油を注いでしまったのだった。
自分は思わぬところで真意と裏腹に人を不快にさせかねないのだと思い、私は常々不安に苛まれていた。高校生の頃には、そういった極端な齟齬は少なくなり、今ではせいぜい、まったく怒っていないのに怒っているのかと時々聞かれる程度であるが、それがどのようにしてそこまで改善したのか、自分でもよくわからない。
2012/02/14
2012/02/12
クリスマスの輪飾り
幼稚園の年長組の時の十二月、園ではみんなで折り紙で輪飾りを作り、クリスマスに向けて教室じゅうを飾りつけていった。私は当時から、夏の祭りの活気的な雰囲気よりも、冬のクリスマスのしとやかな盛り上がりが好きであり、日ごとに豪華で派手やかになっていく教室の飾り付けをとても気に入っていた。
私はそういう雰囲気を、ぜひとも家でも再現したいと思った。クリスマスイブの夜には、母はいつもより豪華な料理をテーブルに並べてくれ、ケーキも出してくれる。普段は口うるさく厳しい母も、怖い父も、きっとイブの夜だけはいつもより優しく振る舞ってくれるだろう。イブはそういう特別な日だから、それなら幼稚園の教室のように家の中も豪華に飾りつけて、さらに楽しさを演出しよう。家族で仲良く、楽しい夜を過ごしたい。——そう考えて、イブの前日から、私はせっせと家でも折り紙で輪飾りを作り、居間に飾り始めた。
そして迎えたイブの日の昼間、私は何か母を怒らせるような「悪いこと」としてしまった。何をしてしまったのか今では全然思い出せないのだが、とりたてて大きなことではなく、些細なことでなにか母の言うことを聞かなかったとか、小さなミスとか、きっとそんなことだったと思う。とにかく母は怒り、あんたがそんなに悪い子やったら、もうクリスマスパーティーなんか中止やわ! と言い、私が一生懸命作り天井や壁に取りつけた輪飾りを引きちぎり始めた。
あかん! やめて! やめて! と私は大泣きしながら、母に飾りつけを破り続けるのを止めてくれるよう懇願した。結局母は、全部の飾りつけを引き裂きはせず、半分以上は無事に残ったのだが、それでも私の心はこれ以上ないほどにずたずたに引き裂かれてしまった。
輪飾りは私にとって、家族の絆、仲良しの象徴、母や父への信頼や愛情の印だった。幼いながら当時の私に出来る家庭への精一杯の貢献だった。それを母は、こんなにも些細なことで、いとも簡単に引き裂いてしまった。私が大切にしている思いは、母にとっては全然大切ではなく、家庭の温かい絆は、自分ののちょっとした不注意で、こんなにも簡単に崩れてしまうほど脆いものなのだ——。
その夜、半壊にされた飾り付けを見ながら、私は締めつけられるような惨めな思いで、いつもより豪華な母の手料理を口にした。
私はそういう雰囲気を、ぜひとも家でも再現したいと思った。クリスマスイブの夜には、母はいつもより豪華な料理をテーブルに並べてくれ、ケーキも出してくれる。普段は口うるさく厳しい母も、怖い父も、きっとイブの夜だけはいつもより優しく振る舞ってくれるだろう。イブはそういう特別な日だから、それなら幼稚園の教室のように家の中も豪華に飾りつけて、さらに楽しさを演出しよう。家族で仲良く、楽しい夜を過ごしたい。——そう考えて、イブの前日から、私はせっせと家でも折り紙で輪飾りを作り、居間に飾り始めた。
そして迎えたイブの日の昼間、私は何か母を怒らせるような「悪いこと」としてしまった。何をしてしまったのか今では全然思い出せないのだが、とりたてて大きなことではなく、些細なことでなにか母の言うことを聞かなかったとか、小さなミスとか、きっとそんなことだったと思う。とにかく母は怒り、あんたがそんなに悪い子やったら、もうクリスマスパーティーなんか中止やわ! と言い、私が一生懸命作り天井や壁に取りつけた輪飾りを引きちぎり始めた。
あかん! やめて! やめて! と私は大泣きしながら、母に飾りつけを破り続けるのを止めてくれるよう懇願した。結局母は、全部の飾りつけを引き裂きはせず、半分以上は無事に残ったのだが、それでも私の心はこれ以上ないほどにずたずたに引き裂かれてしまった。
輪飾りは私にとって、家族の絆、仲良しの象徴、母や父への信頼や愛情の印だった。幼いながら当時の私に出来る家庭への精一杯の貢献だった。それを母は、こんなにも些細なことで、いとも簡単に引き裂いてしまった。私が大切にしている思いは、母にとっては全然大切ではなく、家庭の温かい絆は、自分ののちょっとした不注意で、こんなにも簡単に崩れてしまうほど脆いものなのだ——。
その夜、半壊にされた飾り付けを見ながら、私は締めつけられるような惨めな思いで、いつもより豪華な母の手料理を口にした。
2012/02/07
魂は存在するか
今、自分の考えていることに注意を向けてみる。特別何か具体的な事柄についての思考ではなく、漠然とした思念、想起、想像であっても構わない。今はそういったものすべてを「考える」とか「思考」と呼ぶ。
すると、自分が考えていることを構成する「材料」のすべては、視覚的な何か、聴覚的な何か、味覚的、臭覚的、触覚的な何かであり、あるいはそれらの複合であり、そういった身体的体験を通じて得た材料以外ではありえないことに気が付く。
また、思考の形式——論理学や数学などの規則、因果関係などのいわゆるカテゴリー——についても、それらはそういった感性的、知覚的な体験を様々な形で経たあとでのみ、反省的に得られるものではないか。
思考の「形式」は、一切の具体的経験に関わらずにそれ自体のみで成立し、その意味でアプリオリであるが、しかし空っぽの思考の形式だけが知覚的体験以前に存在するとは考えられず、あくまで知覚的体験を経たあとに理念的に純化され概念化されるのではないか。体験よりも先に思考の形式だけがあると考えることは、まったくの真空の世界で風の概念があると考えることと同じように無理なことではないか。
フッサールは、論理は直観から「抽出される」と考えた。カントも、カテゴリーを主観に属するアプリオリなものとして捉えたが、その是非はともかく、それが生まれつきの(あるいは生まれる前から魂として存在する?)ものであるとは言っておらず、あくまで知覚的体験に触発されて現れるとしている(どこかにそう書いていたと思う。曖昧な記憶……)。
結局、一切この身体を離れたものなど何も考えることが出来ないのではないか。デカルトの言うような、どんな身体も世界も場所もない私など、想像も出来ないのではないか。また、他者の存在なしにどうして「私」ということが言えるだろう。
魂の存在を擁護する人たちの言い分として、科学的に証明されていないからといって直ちに魂が存在しないことにはならない、というのをよく聞くが、科学的に証明されるとはどういうことだろうか。何らかの方法で魂の観測に成功することだろうか。
しかし私は、(いわゆる)科学的な証明が出来ない、あるいは、まだされていないから魂の存在を信じないのではなく、科学的探求以前に、哲学的に不可能だと思うからである。魂の存在は、まだ証明出来ないのでもなく、存在可能性は否めないが人間にはそれを証明する手段や技術がないのでもなく、身体や、その身体として「生きる」ことから離れて魂などというものを仮想することすら出来ないからであり、そもそも存在の是非を云々する対象ではないと思うからである。
2012/01/27
どんな身体も、世界も、場所もない「私」
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」はあまりに有名である。
デカルトは、この世でもっとも確実なもの、第一原理を見つけるための手続き——方法的懐疑——として、いったんこの世のすべてのものを虚偽、夢幻と見なそうとした。しかし、そうやってすべての存在や真偽を疑っている間にも、その疑っている「私」があることだけは疑いえないとした。「私」なしに「疑う」という作用はありえない。そして現に今私は疑っている。ゆえに少なくとも「私」が存在することだけは確実である。それが上の命題の意味である。
しかし、デカルトはここで、明らかな「私」の捉え損ねをしていると思う。
——それから、わたしとは何かを注意深く検討し、次のことを認めた。どんな身体も無く、どんな世界も、自分のいるどんな場所も無いとは仮想できるが、だからといって、自分は存在しないとは仮想できない。反対に、自分が他のものの真理性を疑おうと考えること自体から、きわめて明証的にきわめて確実に、わたしが存在することが帰結する。(『方法序説』岩波文庫 デカルト著 谷川多佳子翻訳 P46-47)
デカルトは「私」(「意識」と言っても「精神」と言ってもいい) を実体として捉えた。実体とは、ほかのものに一切依存することなく、それ単体で独立に存在しうるもののことである。つまりデカルトは、「私」を身体からも世界からも場所(空間)からも切り離して存在しうるものとして捉え、いわゆる魂のようなものの存在可能性を認めていると見える。
いわゆる心身二元論の典型であり、哲学史的には甚だ古臭い感のある見方であるが、じつは、現代でもごく普通に(肉体から切り離された)魂の存在を信じている人は多いのではないだろうか。
しかし、よくよく考えればわかることだと思うが、デカルトの言うような、どんな身体もない私、どんな世界もない私、いかなる場所をも占めない私など、想像出来るだろうか? これらは、現実的に無理というばかりでなく、想像も不可能なことではないだろうか?
2012/01/24
脳の病気?
十年ほど前、「——それは心の問題ではありません。社会不安障害という脳の病気です。それは薬で適切に治療することが出来ます」といったコマーシャルがテレビで流れ始めた。その頃から、鬱病や神経症など、それまでいわゆる心の病だと言われていたものが、じつは単に脳の器質的な問題であって、つまりそれらは、薬物による治療、自然科学的な対処の対象であるとの認識が世間一般に広まっていったように思う。近年はとんとテレビを観なくなったので、今のテレビの実情には詳しくないが、私は当初から、こういう啓蒙に甚だしい違和感と反感を覚えいた。
今でも、神経症やいわゆる心の病について、脳内の伝達物質がどうだとかいう説明に終始する専門家は多い。しかしそういった説明は、単に症状と脳内で起こっていることとの対応関係を述べただけであって、脳内で起こっていることは何もその症状の本質や原因では決してない。脳内でこれこれこういうことが起こっている「から」今私の身体や心にこういう症状が現れているのではない。今私にこういう症状が現れている。「そして」脳内ではこういうことが起こっている——ただそれだけのことである。「私は社会に出るのが恐ろしく、人前に出ると激しい動悸に襲われます」「それは社会不安障害です」——この問答はなんの説明にもなっておらず、トートロジー(同語反復)である。
心理的あるいは身体的に起こっている症状と、脳内で起こっていることは、どちらが先でどちらが後でもなく、どちらが主導的でどちらが従属的であるわけでもなく、単に一つの事柄に対する二つの違う観点から見た光景である。
前者は、「私」からの観点、精神的、意識的な観点から見た光景であり、後者は、物質的、自然科学的、あるいは「客観的な」観点から見た光景である。ここには、悪しき(?)心身二元論が無批判に前提されている。
心身二元論は哲学的には古臭く、時代遅れも甚だしい感があるが、今なお、いや現代でこそますます、世間ではこの二元論がなんの疑念も反省も違和感もなく受け入れられているように思う。
今でも、神経症やいわゆる心の病について、脳内の伝達物質がどうだとかいう説明に終始する専門家は多い。しかしそういった説明は、単に症状と脳内で起こっていることとの対応関係を述べただけであって、脳内で起こっていることは何もその症状の本質や原因では決してない。脳内でこれこれこういうことが起こっている「から」今私の身体や心にこういう症状が現れているのではない。今私にこういう症状が現れている。「そして」脳内ではこういうことが起こっている——ただそれだけのことである。「私は社会に出るのが恐ろしく、人前に出ると激しい動悸に襲われます」「それは社会不安障害です」——この問答はなんの説明にもなっておらず、トートロジー(同語反復)である。
心理的あるいは身体的に起こっている症状と、脳内で起こっていることは、どちらが先でどちらが後でもなく、どちらが主導的でどちらが従属的であるわけでもなく、単に一つの事柄に対する二つの違う観点から見た光景である。
前者は、「私」からの観点、精神的、意識的な観点から見た光景であり、後者は、物質的、自然科学的、あるいは「客観的な」観点から見た光景である。ここには、悪しき(?)心身二元論が無批判に前提されている。
心身二元論は哲学的には古臭く、時代遅れも甚だしい感があるが、今なお、いや現代でこそますます、世間ではこの二元論がなんの疑念も反省も違和感もなく受け入れられているように思う。
2012/01/21
葉書が届く
以前、とある機関紙に載せる記事を書くために取材をさせてもらったIさんから、暑中見舞い、残暑見舞いなど、折に触れて葉書が届く。今晩も帰宅したら年賀状が届いていた。Iさんが寄越してくださるこうした葉書は決して形式張ったものではなく、毎回、表だけでは足らず裏にまで書き足すほどのメッセージを書きつけてくれている。
僕はIさんの思い、活動に共感し取材をさせてもらったわけだが、その記事をIさんは大変気に入ってくれているようで、その記事が載った機関紙を片手にあちこちへと出向いてくれているそう。こんなに嬉しいことはない。
Iさんが葉書に書いてくれている内容は、全体としては僕の生活を気づかってくれ、現在の活動の報告をしてくれるものであるが、行間からはいつも、いわゆる世間的な善や常識や慣習に対する(ニーチェ的な?)恨み辛みがうっすらと滲んでいて、——こう言っては失礼かもしれないが——微笑ましい。
不幸は必ずしも悪いものではない、といつも思う。不幸体験を、人生の課題から逃れる口実に使うのであれば問題だが、不幸体験は、よく生きるための原動力、豊かな人生を生きる糧にもなりうる。そういう生を生きつつある時、もはや不幸ではない。
不幸は、常識を疑問に思う感性を養ってくれ、世間が自明のこととして(従っているという意識もなく)従っている慣習の害悪を見抜く目を与えてくれる(それもそのはずで、まさに自分がそういう害悪に傷ついてきたのだから)。「常識」を口にするのは、つまり思考停止であり、自分の目で見ようとすること、「私は」と語ることの放棄であるが、不幸をくぐり抜けてよく生きようとする人の「私は」と語る言葉には力があり、輝きがある。
それにIさんは、いつもとても優しい。
2011/09/27
Instagram始めました
iPhoneで写真を撮ることを趣味にしようと思って、Instagramを始めました。
写真を本格的な趣味にするとなると、私には大層ですが、これなら気軽に出来ていいです。
とは言っても、やり出すとはまりそうです。
とは言っても、やり出すとはまりそうです。
IDはtutuminoです。
私のギャラリーはこちら。
もしもよければ覗いてみてください。
MacとiPhoneで目を疲れさせないために 画面表示を簡単に白黒反転する方法
日々iPhoneとMacの画面を眺め続けて目が相当疲れてきています。
とくに、白い画面上の細かい文字を読み続けていると、目が痛くなってきますが、バックが黒になれば、だいぶ楽になります。MacでもiPhoneでも、環境設定で白黒反転表示(正確には階調反転)に切り替えることができます。
しかし、常時白黒反転させたままでは、UIはデザイン的にも美しくなく見づらいですので、長い文章を読むときなどにだけ、必要に応じて、白黒を反転させるようにしたいものです。ところが、そのたびに環境設定を辿って設定を変更していたのでは面倒です。
ですが、Macではショートカットひとつで、iPhoneでは設定に少し変更を加えることによって、ホームボタンをトリプルクリック(3回連続押し)するだけで、瞬時に白黒反転させることが出来ます。(私はiPhoneをもう2年以上使ってきて、最近までこのことに気がつきませんでした…)
具体的に説明します。まずMac(OS10.7.1 Lion)から。
「システム環境設定」を表示し、「ユニバーサルアクセス」をクリック。
「視覚」をクリックして表示させると、デフォルトでは「白地に黒」の方がオンになっていますが、これを「黒地に白」の方に変更すると、白黒反転して表示されます。
しかし、いちいちここまで辿って設定を変更していたのでは面倒ですが、このパネルにも書かれてあるように、キーボードにて control + option + command + 8 を押すだけで、いつでも白黒反転させることが出来ます。
以上はOS X Lionでの話です。Snow Leopardでも同様だったと思うのですが、記憶が定かではありません。
続いてiPhone。
Macではデフォルトの状態で、ショートカットひとつで白黒反転出来ますが、iPhoneではホームボタンひとつで白黒反転するために、少々設定が必要です。
「設定」の中の「一般」をタップします。
下の方にある「アクセシビリティ」をタップします。
ここで「黒地に白」をONにすれば白黒反転するわけですが、さらに進んで、「ホームをトリプルクリック」をタップします。
ここで、ホームボタンを連続3回押ししたときに、iPhoneがどういう挙動をするのかを設定することが出来るわけですが、「黒地に白を切り替える」にチェックを入れておきます。
これで、わざわざ「アクセシビリティ」まで辿らなくても、ホームボタンひとつで白黒反転させることが出来ます。
2011/09/19
Blogger 本文の行間の変更 カスタムCSSの追加
デフォルトでは行間が狭くて読みづらく、デザインの設定でも行間を変更するようなところは見当たりません。
そこで一番手っ取り早い方法として、「カスタムCSSを追加」に行間を指定するコードを書くことで、行間を広くすることが出来ます。
デザイン→カスタマイズ→アドバンス→CSSを追加
の順にクリックしていくと、「カスタムCSSを追加」の画面が現れます。そこに下記コードをコピーペーストします。
.post-body {
line-height: 190%;
}
私は190%に設定していますが、好みに応じてこの数字は変更してください。
オンリーワン
取材先:オンリーワン
種別:母娘問題。親(とくに母親)からの精神的虐待によって、生きづらさを感じるまでに傷ついてしまった女性達の会。
連絡先:からほりさろん 大阪市中央区松屋町4-8 Tel : 06-6764-4002
支配し続ける母親からの脱却
「あなたのためを思ってやってくれたことじゃない? いいお母さんじゃないの」——このような言葉に反発を覚えたことはないだろうか。「オンリーワン」代表の伊藤さんは、長年に渡る母親からの精神的虐待を「母娘問題」として提起し、会を立ち上げた。
世間には、母親の愛情は絶対的なもの、感謝して当然という通念が普遍の真理かのごとく蔓延しているが、愛情という美名のもとに子供の権利や人格を踏みにじり続け、子供の人生を自分の思い通りにしようと目論む母親もいる。「嫁姑問題や、肉体的虐待なら認められるのに、母娘問題は理解されにくく、いまだ世間は母親のことを悪くいう人に対して冷ややか。だけど事実として精神的虐待はある。それを訴えていきたい」と伊藤さんは力を込めて語る。「母は女王様で、私は奴隷だった。それならいっそ、あなたは奴隷よとはっきり言ってくれた方がわかりやすい」——人格支配は、教育や躾、思いやりといった大義名分を装ってなされることが多く、陰湿である。「誰にでも、立ち入られたくない私的な領域があるが、母はそこまで侵入し、しかも端からは、娘の方が甘えているように見える」——本来子供の責任であることを先回って横取りし、この子は私がいなければ何もできないと言う母親がいるが、実際は子供が無能なのではなく、自分の存在価値を捏造するために無能に仕立て上げるのである。「こんなことが続けば誰でも反発したくなる。それは正常な反応」と、親孝行ばかりが声高に叫ばれる世の中に伊藤さんは疑問を呈する。
母娘問題を抱えた人は孤立していると、世間的な価値観に飲み込まれ、自分が間違っているのだと思い込みやすく、鬱状態が続くことにもなるという。「似た境遇を抱えた他人の話を聞くことで、自分の身に起きていることも冷静に判断できる。母親の言動は不当であり、自分の不満は正当であると知ってほしい。それに気づけない人は、同じことを我が子にも繰り返すが、問題を正視できれば、これからどう生きていくかを建設的に考えられ、自分は同じことを繰り返さないでおける」と、伊藤さんは当事者同士で集まる意義を語る。勉強会や読書会も開催しており、自分を支配し続ける母親とは距離をおく必要があることから、シェアハウスの準備も進められている。
どんな親元に育ったとしても、子供は自分の責任で自分の人生を生きることができるし、生きなければならない。たとえ母親が変わらなくても、自分が変わることはできる。最後に「できるなら母の方も問題に気づき、変わってほしい。本当はもっと親孝行もしたい」と思いを語られた。
(2011/3/14 文責:堤野瑛一)
2011/08/13
グループへの参加によって一歩を踏み出せた一例としての私
グループへの参加によって一歩を踏み出せた一例としての私
高校生の時に吃音が始まった私は、吃音を隠したいがために話すことを控えて騙し騙しやり過ごしたが、大学に進学して初めて人前で激しく吃り、笑われ、それが大きな挫折となって大学を辞めた。吃音の改善なくしては生きていけないと思い治療にいそしんだが、改善の兆しはなく、長らく社会に出て行くことに逡巡した。
吃音のせいで社会に出て行けないという私の自己欺瞞にメスを入れたのは、吃音者のSHG(※1)であるOSP(※2)だった。そこには、吃音でありながらもその人なりに社会生活を充実させている人がたくさんいた。吃音であれば誰もが不本意な生活を強いられるわけではなかったのである。
OSPで取り上げられたことを機に学び続けているアドラー心理学は、原因論ではなく総じて目的論の見地に立つ。吃音のせいで社会に出て行けないと考えるのは原因論だが、人は自然因果の連鎖の中で宿命論的に生かされているのではなく、同じ境遇を抱えていれば誰もが必然的に同じ結果を招くわけではない。人の行動が自由意志に由来する「行為」であるかぎり、必ず目的がある。人は原因に動かされるのではなく目的に向かって自ら動くのであり、原因(吃音)を変える事は出来ないが、目的であればそれを反省・吟味して修正する道が開かれる。
私は笑われたことが原因で社会に出て行けなかったのではなく、社会に出て行かないという目的を正当化するために、ひどく吃っても人から受け入れられたこともあったはずなのに、笑われたという負の体験だけに固執していたのである。そうしていれば差し当たり安全であり、吃音である自分を開示していくことは、冒険であり勇気のいることだったからである。
しかし、少し勇気をもって社会に踏み出してみれば、吃音を否定的に見る人などほとんどいなかった。吃音それ自体が問題だったのではなく、本当は出来ることまでも吃音を理由に避けることが問題だったのだ。たしかに流暢には話せないが、出来ないことは出来ないと諦め、正直な自分を開示し、出来る事を、たとえ反常識的であっても出来る形でこなしていれば、出来ないことについては人は協力もしてくれ、自分も人の役に立てる。社会は、思っていたほどには冷たく恐ろしいところではなかった。
一人ではなかなか一歩を踏み出せなかったが、似た境遇を抱えた者同士が集まるグループに参加することで、私は勇気を得た。そこでは体験を共有出来、生きるための知恵を学び合える。それは吃音などの特殊な場合に限った学びではなく、人間にとって普遍的な学びでもある。
※1 SHG・・・セルフヘルプグループ
※2 OSP・・・大阪スタタリングプロジェクト
(2011/7/1 文責:堤野瑛一)
高校生の時に吃音が始まった私は、吃音を隠したいがために話すことを控えて騙し騙しやり過ごしたが、大学に進学して初めて人前で激しく吃り、笑われ、それが大きな挫折となって大学を辞めた。吃音の改善なくしては生きていけないと思い治療にいそしんだが、改善の兆しはなく、長らく社会に出て行くことに逡巡した。
吃音のせいで社会に出て行けないという私の自己欺瞞にメスを入れたのは、吃音者のSHG(※1)であるOSP(※2)だった。そこには、吃音でありながらもその人なりに社会生活を充実させている人がたくさんいた。吃音であれば誰もが不本意な生活を強いられるわけではなかったのである。
OSPで取り上げられたことを機に学び続けているアドラー心理学は、原因論ではなく総じて目的論の見地に立つ。吃音のせいで社会に出て行けないと考えるのは原因論だが、人は自然因果の連鎖の中で宿命論的に生かされているのではなく、同じ境遇を抱えていれば誰もが必然的に同じ結果を招くわけではない。人の行動が自由意志に由来する「行為」であるかぎり、必ず目的がある。人は原因に動かされるのではなく目的に向かって自ら動くのであり、原因(吃音)を変える事は出来ないが、目的であればそれを反省・吟味して修正する道が開かれる。
私は笑われたことが原因で社会に出て行けなかったのではなく、社会に出て行かないという目的を正当化するために、ひどく吃っても人から受け入れられたこともあったはずなのに、笑われたという負の体験だけに固執していたのである。そうしていれば差し当たり安全であり、吃音である自分を開示していくことは、冒険であり勇気のいることだったからである。
しかし、少し勇気をもって社会に踏み出してみれば、吃音を否定的に見る人などほとんどいなかった。吃音それ自体が問題だったのではなく、本当は出来ることまでも吃音を理由に避けることが問題だったのだ。たしかに流暢には話せないが、出来ないことは出来ないと諦め、正直な自分を開示し、出来る事を、たとえ反常識的であっても出来る形でこなしていれば、出来ないことについては人は協力もしてくれ、自分も人の役に立てる。社会は、思っていたほどには冷たく恐ろしいところではなかった。
一人ではなかなか一歩を踏み出せなかったが、似た境遇を抱えた者同士が集まるグループに参加することで、私は勇気を得た。そこでは体験を共有出来、生きるための知恵を学び合える。それは吃音などの特殊な場合に限った学びではなく、人間にとって普遍的な学びでもある。
※1 SHG・・・セルフヘルプグループ
※2 OSP・・・大阪スタタリングプロジェクト
(2011/7/1 文責:堤野瑛一)
2011/08/12
抱き癖がつく?
抱き癖がつくといけないので、出来るだけ抱っこをしないようにしている、という若い母親の話を聞いた。助産師がそういうふうに指導をすることもあるという。うちの娘も、おむつが濡れているでもなく、お腹がすいているようでもないのにぐずり続け、抱っこをすると機嫌をよくするので、ああ抱っこがしてほしかったのか、ということはよくあることであり、それで気が収まるのなら、出来るかぎり抱っこをするようにしている。しかし、抱き癖云々と言う人は、むやみに抱っこし続けていると、際限なく抱っこをせがむようになり、我がままで甘えた子供に育つと考えているようである。
言語もないごく限られた小さな世界に住む乳児にとって、抱っこの欲求は、授乳やおむつの交換の欲求と同じくらい重大で切実なものであるように思う。授乳などの直接生命に関わるような世話をされるだけではなく、抱かれ、優しく声を掛けられ、触れられることによって、自分は大切にされているという感覚がもて、一人ではないと安心でき、他者信頼が形成されるのだと思う。性格の基盤を築いている今の段階で、他者信頼の形成を阻害するのは、大変危険なことだと思う。もしも抱っこをすることを極力控えた結果、抱っこをせがむことが極端に少なくなったとすれば、それは決して大人の事情をよくわかる「お利口さん」になったのではなく、単に諦めてしまったのではないか。そしてそういう状態が続けば、少し大きくなった頃、素直な形で自分の欲求や希望を表現するのではなく、親を困らせるといった歪んだ形で自己表現をするようになりかねない。
今の若い層は、過保護に甘やかされて育てられ、あまりに欲求を叶えられて来過ぎたから、少しの我慢も出来ない自己中心的で我がままな人が増えたのだと言われるのを今でもよく聞くが、これは違うだろうと思う。我がままで問題行動ばかり起こす人はきっと、あまりにも(少なくとも本人が望むような形で)欲求が叶えられて来なかったのだろう。欲求が気持ちのいい形で叶えられた経験が十分にあれば、素直に他者を信頼出来、自分も人の役に立ちたいと思うのが自然ではないか。人が人としてよく成長するには、ときには我慢を強いられ、抑圧されることが必要であるなどと考える人は、そもそも人間を信頼出来ていない。
とにかく抱き癖がつくなどというのは、単に親にとって受け入れやすく都合のいい論理のように聞こえる。育児はたしかに手間暇かかるが、今楽をしようと手を抜いてしまえば、その分あとから厄介な皺寄せがくるように思う。
言語もないごく限られた小さな世界に住む乳児にとって、抱っこの欲求は、授乳やおむつの交換の欲求と同じくらい重大で切実なものであるように思う。授乳などの直接生命に関わるような世話をされるだけではなく、抱かれ、優しく声を掛けられ、触れられることによって、自分は大切にされているという感覚がもて、一人ではないと安心でき、他者信頼が形成されるのだと思う。性格の基盤を築いている今の段階で、他者信頼の形成を阻害するのは、大変危険なことだと思う。もしも抱っこをすることを極力控えた結果、抱っこをせがむことが極端に少なくなったとすれば、それは決して大人の事情をよくわかる「お利口さん」になったのではなく、単に諦めてしまったのではないか。そしてそういう状態が続けば、少し大きくなった頃、素直な形で自分の欲求や希望を表現するのではなく、親を困らせるといった歪んだ形で自己表現をするようになりかねない。
今の若い層は、過保護に甘やかされて育てられ、あまりに欲求を叶えられて来過ぎたから、少しの我慢も出来ない自己中心的で我がままな人が増えたのだと言われるのを今でもよく聞くが、これは違うだろうと思う。我がままで問題行動ばかり起こす人はきっと、あまりにも(少なくとも本人が望むような形で)欲求が叶えられて来なかったのだろう。欲求が気持ちのいい形で叶えられた経験が十分にあれば、素直に他者を信頼出来、自分も人の役に立ちたいと思うのが自然ではないか。人が人としてよく成長するには、ときには我慢を強いられ、抑圧されることが必要であるなどと考える人は、そもそも人間を信頼出来ていない。
とにかく抱き癖がつくなどというのは、単に親にとって受け入れやすく都合のいい論理のように聞こえる。育児はたしかに手間暇かかるが、今楽をしようと手を抜いてしまえば、その分あとから厄介な皺寄せがくるように思う。
2011/07/11
三ヶ月を過ぎた
三ヶ月放置してしまった。娘をではない。ブログを。異動先での仕事がじわじわと忙しくなっていったのと、仕事や育児以外でもいろいろやることが多くなっていったことが理由。べつに言い訳を書く必要もないのだけど。
桜はとうに散り、今はもう梅雨も明け、異様なほど暑い夏。
三ヶ月前の記事を読んでいると、ああまだそんなことをやっていたのか、と懐かしい。たかだか三ヶ月だが、こうして読み返すと、乳児の成長は本当に早い。
娘の沐浴時の大泣きに悩んでいたが、リビングでベビーバスタブを使って沐浴させるというスタイルが嫌なのではないか、いっそ普通にお風呂に入れてみてはどうだろう、ということで、前回の記事を書いてから数日後には、一般的には少し早いが、僕が毎日娘と一緒にお風呂に入ることになった。
体を洗うときにはぐずることが多かったものの、洗い終わって一緒にバスタブに浸かると、とても気持ちよさそうにしていた。しかしほぼ毎回、バスタブの中で排便され、ウンチまみれになるのだった。僕はべつによかったのだけど、あとで入る妻がバスタブに浸かれずに可哀相ではあった。
産後に乳児の世話で手根管症候群になる母親は多いらしく、妻も手首を辛そうにしていたが、ひと月ほど前から、手首の痛みが少しましになってきたのを機に、妻が娘をお風呂に入れてくれている。今では娘がお風呂を理由に極端に機嫌を損ねることはない。
それにしても、ああ三ヶ月を過ぎたのだなあ、としみじみ思う。こんなに長く短い三ヶ月はなかった。
桜はとうに散り、今はもう梅雨も明け、異様なほど暑い夏。
三ヶ月前の記事を読んでいると、ああまだそんなことをやっていたのか、と懐かしい。たかだか三ヶ月だが、こうして読み返すと、乳児の成長は本当に早い。
娘の沐浴時の大泣きに悩んでいたが、リビングでベビーバスタブを使って沐浴させるというスタイルが嫌なのではないか、いっそ普通にお風呂に入れてみてはどうだろう、ということで、前回の記事を書いてから数日後には、一般的には少し早いが、僕が毎日娘と一緒にお風呂に入ることになった。
体を洗うときにはぐずることが多かったものの、洗い終わって一緒にバスタブに浸かると、とても気持ちよさそうにしていた。しかしほぼ毎回、バスタブの中で排便され、ウンチまみれになるのだった。僕はべつによかったのだけど、あとで入る妻がバスタブに浸かれずに可哀相ではあった。
産後に乳児の世話で手根管症候群になる母親は多いらしく、妻も手首を辛そうにしていたが、ひと月ほど前から、手首の痛みが少しましになってきたのを機に、妻が娘をお風呂に入れてくれている。今では娘がお風呂を理由に極端に機嫌を損ねることはない。
それにしても、ああ三ヶ月を過ぎたのだなあ、としみじみ思う。こんなに長く短い三ヶ月はなかった。
2011/04/14
お花見 機嫌よく沐浴
2011年4月10日
今日は休日。とはいえ、まだまだ要領が悪いのと、娘の生活リズムも安定しないのとがあいまって、育児にまつわることで一日がつぶれてしまうが、息抜きも必要。
いい天気で温かく、家の前の川沿いには桜が満開で、最高のお花見日和。30分だけ、娘を表に連れ出すことに。
すぐ近所とはいえ、初めての娘を連れての外出。娘を抱きながら歩いていると、すれ違う人たちの多くが、娘の顔を覗き込む。やはりみんな、赤ちゃんには関心が高いよう。「可愛い」という声も聞こえてき、つい誇らしげな気持ちがよぎることに気づく。ああ、これが親になるということか、と思う。自分がこの立場に立とうとは、夢にも思わなかった。
娘は、日和が気持ちよかったのか、散策の間中、穏やかな表情で眠り続けていた。
それにしても、桜がきれい。娘はいい時期に、いい所で生まれた。この住居は、いろいろと問題もあるが、一時でも、ここに暮らせてよかったと思う。
2011年4月11日
今日の沐浴時は、いつになく機嫌よくいてくれた。沐浴の直前と直後には、いつものごとく大泣きするのだが、お湯に浸かれば泣き止み、気持ち良さそうな表情すら見せた。
どうやら、沐浴そのものではなくて、裸で宙に晒されることが嫌なのではないかと思う。
今日は、バスタブのお湯はかなり浅めに張ったのだが、お尻も足も安定して底面についていると、泣かないよう。お湯が深いと、たとえお尻が地に着いていても、浮力で不安定になるので、怖いのかもしれない。
まつ毛が随分長くなり、しかもビューラーを当てたようにカールしている。目もよりくっきりし、ますます美人になってきた。それに、よく笑い、いろいろな声をあげるようになった。
2011/04/09
二週間検診 泣かないでいてくれて「ありがとう」
2011年4月8日
今日は二週間検診のために、妻が娘を連れて病院に行った。やや小さく生まれて来た娘だが、とくに大きな問題はないようで、ひとまずほっとする。
骨盤が少し歪んでいたらしく、それを直すための指圧(?)をしてもらったのだそうだが、その時、とても気持ちよさそうな顔をしていたという。
今日の沐浴は、再びバスタブを使うことに。いつものごとく大泣きを覚悟していたが、しかし今日はどうしたことか、何度か一瞬だけ泣き声をあげたものの、ほとんどの間、泣かずに落ち着いていてくれた。
いつもとどう違ったのか。思い当たるところは、お湯をの温度がいつもより心持ち高かったことくらい。それとも、単に少しずつ慣れてきてくれたのか。
「今日は泣かなかったね、偉いねえ」と上から目線で誉めることはしない(これが上から目線であることをどれだけの人が自覚しているだろうか)。ほとんど泣かずにいてくれて助かったので、「ありがとうね」とお礼を言った。
2週間後の一ヶ月検診でもなにも問題がなければ、わざわざベビーバスタブを用意しなくても、娘と一緒にお風呂に入れる。とても楽しみ。
それにしても、ここ2、3日、よく手足を動かし、いろんな表情をし、声をあげるようになった。まだ生まれて2週間。日に日に成長が目に見えるのが嬉しい。
メリー購入 子育ては楽しい
2011年4月7日
子育ては、想像以上に大変。しかし大変というのは、(今のところ)時間が思った以上にとられるということで、決して苦ではない。
昨日は二度も、オムツを交換している最中に、手の上に排尿排泄された。微笑ましいことであり、汚いとは思わないが、そういった細かいことで、想定外に時間がかかることは多い。さあ次の用事にかかろうと思ったところで、泣き出したり。
それでも、妻やお義母さん任せにして自分は手を抜こうとは全然思わず、積極的に、出来る限りこまめにやっていきたい。いまだ、直接的な子育てにはあまり関与しようとしない父親が多いと聞くが、それは勿体無いと思う。
その時期その時にしか出来ない、子供との関わりがある。オムツ交換なんて、今しか出来ない。それを通してしか味わえない子供への感情や、見え方、コミュニケーションがある。なにより、自分が他者の(ましてや生存の)役に立てるのは嬉しいことであり、子育ては大変だとはよく聞くが、(たしかに大変には違いないが)それ以上に、本来楽しいことなのだと思う。
今日は休日。うちは、出産前に、あまりにも必要最小限の物しか揃えず、出産後実際に世話が始まってから、結局必要に迫られてあれこれと買い足すことが多いが、玩具がなにもなく、いろいろなことに興味を示し始めているこの時に、五感を刺激すべく玩具がないのは、あまりに勿体無いということで、急遽、メリーとニギニギを買いに走った。
メリーには、予想以上に反応を示し、かなり長い間集中して見入り聴き入ってくれた。
妻が夕飯の準備をし、僕が掃除機をかけている間の時間、娘は起きてなにやら泣き始めたのだが、今日はお義母さんもいなかったので、娘のそばに誰もいてあげることが出来ず、結果的に長時間泣かせ続けることになった。
夕飯も掃除も今しなければどうにもならず、娘が呼び掛けるたびに毎度必ずそばに行っていたのでは、生活が出来ないし、泣けば必ず来てくれると思ってしまうのも困る。もちろん、自分では文字通り何も出来ない今の時期に、身に危険が生じていたり緊急を要することであれば、いつでも飛んで行くが、しかし厳しいようだが、生活が(ひいては社会が)成立するためには、自分の要求がいつでも必ず、直ちに通るわけではないということを、徐々にわかってもらわなければならない。
かといって、「静かにして!」と叱りつけるのも違う。いつも必ず言うことをきいていたのでは、世の中は自分を中心に回っているのだと勘違いし、我がままになってしまうが、しかし希望や要求を示す権利は娘にもある。叱られて自分の呼びかけそのものが否定されれば、ひいては自分の存在が否定されたように感じて卑屈になる。
今すぐには応じられないが、しかし決して無視をしているわけではないので、それを伝えるために、僕も妻も、「今は○○してるから、そっちに行けないねん、ごめんね。○○ちゃんのことを忘れてるわけじゃないよ、あとで行くからね」と、声掛けをしながら家事をした。大人でも存在や呼びかけを無視されることほど辛いことはない。たとえ今はまだ言葉が全然わかっていなくても、きちんと言葉で、気持ちや状況はその都度伝えていきたい。
沐浴の時には、これ以上ないくらいの泣き方をするので、試行錯誤している。
ベビーバスタブが、娘にしては大きすぎて怖いのかと思って、今日はバスタブを使わずに洗面器浴にしてみたが、それでも変わらず大泣き。しかもやはり洗面器では小さすぎて、床もびちょびちょに。
さて、どうしたものか。僕はべつに大声で泣かれることは全然構わないのだが、本人がしんどそうだなと。
2011/04/05
沐浴は嫌い?
2011年4月4日
今日は仕事は早番。19時頃帰ると、お義母さんが餃子を作ってくれている。美味しかった。
オムツを換えるのも、だいぶ手慣れてきた。これはなかなか楽しい作業。妻は「よくやってくれるね」と言ってくれるが、やってあげているのではなく、むしろ、やらせてほしい、僕がやりたい! というくらいの気持ち。
少し問題なのは、沐浴。今日は僕が中心となって沐浴をし、これからは出来たら妻やお義母さんの負担を極力減らせるように、僕一人でも出来るようになっていきたいと思っているが、娘はものすごい泣き方。単にまだお湯を浴びることに慣れていないだけかもしれないが、お風呂が相当嫌いなのだろうか。入院中も、沐浴時にはいつもすごい泣き方をしていたそう。
それに加えて、まだ初めてなので当たり前だが、僕の手際もあまりに悪く、無駄に怖がらせているのかもしれない。今はキッチンの流し台にバスタブを乗せてやっているが、床に下ろした方がいいのかも知れない。
とはいえ、随分と娘の扱いには慣れてきている。初めは抱っこすら恐る恐るだったのも、今は片手でも軽々と安定して出来るようになってきた。父親に抱かれると泣いて止まないという赤ちゃんの話も時々聞くが、僕がずっと抱いていても安心した様子で穏やかな表情でいてくれるのは、とても嬉しくありがたい。
今日は仕事は早番。19時頃帰ると、お義母さんが餃子を作ってくれている。美味しかった。
オムツを換えるのも、だいぶ手慣れてきた。これはなかなか楽しい作業。妻は「よくやってくれるね」と言ってくれるが、やってあげているのではなく、むしろ、やらせてほしい、僕がやりたい! というくらいの気持ち。
少し問題なのは、沐浴。今日は僕が中心となって沐浴をし、これからは出来たら妻やお義母さんの負担を極力減らせるように、僕一人でも出来るようになっていきたいと思っているが、娘はものすごい泣き方。単にまだお湯を浴びることに慣れていないだけかもしれないが、お風呂が相当嫌いなのだろうか。入院中も、沐浴時にはいつもすごい泣き方をしていたそう。
それに加えて、まだ初めてなので当たり前だが、僕の手際もあまりに悪く、無駄に怖がらせているのかもしれない。今はキッチンの流し台にバスタブを乗せてやっているが、床に下ろした方がいいのかも知れない。
とはいえ、随分と娘の扱いには慣れてきている。初めは抱っこすら恐る恐るだったのも、今は片手でも軽々と安定して出来るようになってきた。父親に抱かれると泣いて止まないという赤ちゃんの話も時々聞くが、僕がずっと抱いていても安心した様子で穏やかな表情でいてくれるのは、とても嬉しくありがたい。
無事退院。新生活始まる。
2011年4月3日
昨日、妻と娘が無事退院。僕は仕事のため、退院には同行出来ず残念。
これから妻の体が元通り元気になり自由に動けるまでの数週間は、お義母さんが同居してくれることになっている。
昨日は仕事が遅番勤務で、夜11頃家に帰ったころには、妻とお義母さんはもう就寝の準備に入っており、娘は眠っていた。仕方のないことだが、初めて娘を我が家に迎えた日なのに、こういう状況は寂しかった。今年度から異動になり、遅番勤務が度々入ることになるが、帰ると家族はもう一日を終えて就寝モード、自分もあとはお風呂に入って寝るだけ、というのは、なかなか切ない。遅番勤務が恨めしい。
今日は休日。昨日今日と、この時期にしては寒く、娘の体温が低いので心配した。衣服や毛布で工夫したり、湯たんぽを使ったりした結果、もとの体温に戻ったのでひと安心。
オムツの換え方を教わった。案外すぐに慣れることが出来そう。一度、お尻を吹いているところで手の上に排泄されたが、変な話、それすら可愛らしく嬉しい。
昼過ぎに、初めての自宅での沐浴。よくやり方がわからない緊張感の中、妻とお義母さんと僕とで3人掛かり。始めて間もなくバスタブの中で排泄、というアクシデントもあったが、だいたいの流れはわかった。今後なんとか僕一人でも出来そう。
なにもかもが不慣れで神経を使い、しばらくはてんやわんやでシステマチックにはいかないと思うが、世話はまったく苦ではない。
この子は今は人の手を煩わせないとなにひとつ出来ず、生命を完全に世話人に負っているが、この子の「存在の世話」を出来ることが嬉しい。
大きくなった子供から、世話をしてやった見返りを求める親もいるが、僕には理解出来ない要求である。僕は将来の見返りを期待して世話をしているのではない。「今」世話を出来ることそれ自体が喜びであり、そのことをもって僕は報われており、完結しているのである。
夜、娘を抱っこしていたら、これまでになく目をずっと見開いて、辺りをいろいろと観察している様子だった。これまでは、目を開いていても、とくにどこを見ているという感じではなく、なんとなく見えているといった様子だったが、視覚が発達してきたのか、「見る」とか「見える」ということに急に関心が高まったふうだった。
いろいろと声をかけると、僕の顔もじっと見つめる。そのうち、思い切り目を開いて口を絞めるので(この顔がなんとも可愛い)、その顔の真似をしてやると、さらに目を剥いて見つめる。そしていろいろと顔を変えるので、さらにその顔を真似をすると、しばらく見つめ、また変える…と、延々と顔遊び(睨めっこ?)が続いた。本当に笑っているのかわからないが、笑顔の表情もしてみたり…意識的で自発的な「表情」にも目覚め始めているのかもしれない。
昨日、妻と娘が無事退院。僕は仕事のため、退院には同行出来ず残念。
これから妻の体が元通り元気になり自由に動けるまでの数週間は、お義母さんが同居してくれることになっている。
昨日は仕事が遅番勤務で、夜11頃家に帰ったころには、妻とお義母さんはもう就寝の準備に入っており、娘は眠っていた。仕方のないことだが、初めて娘を我が家に迎えた日なのに、こういう状況は寂しかった。今年度から異動になり、遅番勤務が度々入ることになるが、帰ると家族はもう一日を終えて就寝モード、自分もあとはお風呂に入って寝るだけ、というのは、なかなか切ない。遅番勤務が恨めしい。
今日は休日。昨日今日と、この時期にしては寒く、娘の体温が低いので心配した。衣服や毛布で工夫したり、湯たんぽを使ったりした結果、もとの体温に戻ったのでひと安心。
オムツの換え方を教わった。案外すぐに慣れることが出来そう。一度、お尻を吹いているところで手の上に排泄されたが、変な話、それすら可愛らしく嬉しい。
昼過ぎに、初めての自宅での沐浴。よくやり方がわからない緊張感の中、妻とお義母さんと僕とで3人掛かり。始めて間もなくバスタブの中で排泄、というアクシデントもあったが、だいたいの流れはわかった。今後なんとか僕一人でも出来そう。
なにもかもが不慣れで神経を使い、しばらくはてんやわんやでシステマチックにはいかないと思うが、世話はまったく苦ではない。
この子は今は人の手を煩わせないとなにひとつ出来ず、生命を完全に世話人に負っているが、この子の「存在の世話」を出来ることが嬉しい。
大きくなった子供から、世話をしてやった見返りを求める親もいるが、僕には理解出来ない要求である。僕は将来の見返りを期待して世話をしているのではない。「今」世話を出来ることそれ自体が喜びであり、そのことをもって僕は報われており、完結しているのである。
夜、娘を抱っこしていたら、これまでになく目をずっと見開いて、辺りをいろいろと観察している様子だった。これまでは、目を開いていても、とくにどこを見ているという感じではなく、なんとなく見えているといった様子だったが、視覚が発達してきたのか、「見る」とか「見える」ということに急に関心が高まったふうだった。
いろいろと声をかけると、僕の顔もじっと見つめる。そのうち、思い切り目を開いて口を絞めるので(この顔がなんとも可愛い)、その顔の真似をしてやると、さらに目を剥いて見つめる。そしていろいろと顔を変えるので、さらにその顔を真似をすると、しばらく見つめ、また変える…と、延々と顔遊び(睨めっこ?)が続いた。本当に笑っているのかわからないが、笑顔の表情もしてみたり…意識的で自発的な「表情」にも目覚め始めているのかもしれない。
2011/04/02
明日退院
昨日、今日と、新しい家族を迎え入れるにあたって、家の掃除、整理整頓、ベビーベッドの組み立てに時間を使い、必要な物の買い出しに奔走した。ようやく温かくなり天気もよく、今日は片道30分の入院先の病院まで二往復し、途中買い物に寄り大荷物を抱えて自転車をこいだが、全然苦ではなかった。
妻は、母乳がよく出るらしく、娘もよく飲んでくれるのだそう。夕方面会に行ったら、ますます顔立ちがはっきりしており、今日は笑顔になったりしかめ面になったりと、表情もよく変わった。看護士さんいわく、いたって元気なのだそう。
僕が抱っこしている間、よく眠る。寝ている間もよく表情が変わる。どんな夢を見ているのだろうか。まだこの世に生まれて間もなく、言葉を獲得しておらず概念の確立がほとんどされていない、なにやらよくわからない、おそらくのっぺりとした光景…今、どんな世界観なのだろうかと、想像を巡らせる。
ときどき、大きく目を見開くが、よく整ったとてもきれいな顔。ときどき漏らす声も、とても可愛いらしい。
明日、いよいよ退院。新しい家族を迎えての新生活が始まる。
2011/03/29
誕生二日目
夕方、面会へ。昨日よりも顔がすいぶんとはっきりしていた。まぶたがはっきりと二重になっており、鼻柱も少ししっかりしたように思う。昨日は顔の肌がカサカサしていたのも、今日はずいぶんサラサラになって、血色がよくなっていた。
僕が小さいころによく似ている。今のところ、父親似のようだ。
妻いわく、新生児用のキャリーベッドに寝かされているのは嫌らしく、抱っこをしていれば安心して落ち着いているだそう。僕が抱いても、ときどき短く泣き声をあげはするものの、すぐに泣き止み、安心した様子でいてくれる。
でも首が全然座っておらずグラグラなのが、少し怖い。慎重になる。
抱きかかえながら、哺乳瓶でミルクをあげた。結構な勢いで美味しそうにグビグビと飲んでくれる。
ミルクに満足したあとは、ずっと僕に抱かれたままうっとりとしていた。安心しきった表情で僕の顔をじっと眺めてくれるのが、嬉しかった。僕がしきりにかける言葉にも、おそらく聴き入ってくれている様子。どんどん愛おしさが増してくる。
明日も会いに行く。
登録:
投稿 (Atom)