いかぞ徒然。

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help RSS 相棒Season9-10『聖戦』を観ました〜。

<<   作成日時 : 2011/01/02 20:04   >>

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昨日は『相棒』元日スペシャル、2011年初の相棒でございました。
一応親戚宅にてリアルタイムでも観ておりましたが、色々と雑談をしながらだったので、帰ってきてからもう一度観ました(笑)。
さすがに疲れていたので、1日遅れの感想です。


いかぞ的に、なかなかに面白かったです。
世間的には、ちょっと批判も多いかな?


人が、復讐心に取り付かれていく過程がテーマのお話でしたね。
そして、復讐が起こす憎しみの連鎖。
加えて、もうひとつのテーマが『母』かな。
『聖戦』より、タイトルが『連鎖』とか『母』とかのほうがよかったかもしれません。


南果歩さん演じる富田さんを中心としてそのテーマの重要な部分がよく描かれていて、とても恐ろしく感じました。
南さんの演技が素晴らしいのももちろんですが、倒叙法的にまず犯罪シーンから始まり、探偵役がそれを暴いていくこと(コロンボ的)よりも、探偵役の見えないところ(視聴者に見える部分)で富田さんの過去が回想によって小出しに明らかになっていくのがとてもよかったです。

以前違うお話のときに書きましたが、いかぞは刑事物などで『完全犯罪を目的とした計画殺人』はとても難しいと思っています。
犯人がしっかりとした常識的な人としての観念を持つ人間であれば、『殺した後に絶対に捕まらない』という決意や、『嫌悪感や犯行後の罪悪感』に勝るだけ強靭な意志を持続するためには、相応の動機がなくてはならないからです。
ですが、案外それだけの(殺した後に罪悪感を全く感じないほどの)動機というのは、なかなかストーリーとしてないものです(快楽殺人ならば別ですが)。

今回のお話では、回想シーンを取り入れていくことで、徐々にただ『復讐のために殺したい』という感情から、『捕まってもいいから殺したい』へ、そして『こんな殺人などで私は絶対に捕まらない』という感情に変化していく様子が、事細かに描かれていました。
それが、普通の主婦でありながら、『信じ難いことに』爆弾を使うような計画殺人を成し遂げた、という出来事にものすごい説得力を持たせていたと思います。

南さんのかもし出す『狂気』が尚更、その説得力を倍増させていました。

ただいかぞとしては、時間が足りない!という印象を受けました。
それは、ラストシーンがちょっと不満であったからなのですが・・・

ラストシーン、ナツミさんが彼女を止めるという結末は、ストーリーとしては説得力はあると思うのです。
右京さんの言ったとおり、今回の犯行は『母』という生き物だからこそのものでした。
彼女は絶望の世界に生き、最後の希望とやりがいは復讐のみであり、それを成し遂げた後、死ぬこと自体が彼女の目指す『幸せ』の一部となっていました。

こうなってしまうと、右京さんや神戸君の説得なんで通じません。
自らの死に対する抵抗もなくなっているので、隙をついて・・・ということすら出来ません。

その上でそれでも彼女を止めるというストーリーにするならば、やはりそれは同じく『母』か、『子』だけなんですよね。
ですが、もちろん彼女自身の子供は死んでしまっているため、とめることは出来ません。
だからこそ、富田さん同じく『母』の狂気が現れたナツミさんと、そして他人の子供であっても、まだ生まれていない無垢な存在で『誰々の子』と区別されない、まだ『子の象徴』でいられる存在のこの2つが、彼女を止める鍵になりえたのだと思います。

ですが、それにしてはナツミさん側の描写が弱かった。

折原さんは、かつて過ちを犯し、そのために人の命までも奪うことになってしまった。
しかし罪を償った後、それでもきちんと罪悪感を背負い、そして真面目に暮らしていた人です。
そうでなければ、自分が結婚をしようというときに、相手に過去をきちんと告白するなどできることではありません。

そしてナツミさんは、自らも過去に過ちを犯し、大変な人生を歩んだ上で得た幸せの中で暮らしていた。


努力と苦しみを経てやっと得た幸せを突然奪われたという意味で、彼女の中に後半現れた復讐心や狂気は、富田さんのそれと同等のものであったと思うのです。

ですが、ナツミさんの過去は彼女自身のセリフによって語られ、彼女についての回想シーンは京都から電話をかけたときのもののみでした。
富田さんの、息子の心臓病と戦っていた過程や成長の間で通った苦しみとその後得た幸せ同じように、ナツミさんが過去で通った苦しみを対比して描いていれば、最後の対峙シーンはもう少し重いものになったのではないでしょうか。

そうすれば、もっとナツミさんが富田さんに『理不尽に周りから幸せを奪っておいて『聖戦』などとのたまう傲慢さ』を糾弾することも、『これから生まれる命を奪おうとしている最低な人間』という目線から非難することもできました。

富田さんは、止められない衝動から起こした『殺人』という罪を、自分の中で作り上げた大義を礎に『聖なる戦い』と位置づけていました。
彼女の戦いが『聖戦』などではないのだと、大義そのものを否定して絶望を与えることこそ、彼女が止まる唯一の方法だったと思うのです。
なぜなら、その絶望は、最後の目的を遂行する意味を奪うのですから。

実際、昨日のストーリーでの最後、ナツミさんの『これが私の復讐』というセリフから考えても、そういうストーリーであったといかぞは解釈しましたが・・・(決して、あれはナツミさんが『許し』を与えることで復讐としたようなおキレイなものではないと思う)。

う〜ん、やっぱりもっとその部分が見えるように、ナツミさん側を描いてほしかったです。
帽子の流れから右京さんとの対決の方をメインにしてしまったように見えたので、そのために逆にストーリーとしては説得力も何もかも弱くなってしまった、という感じ。

正直、あのスケープゴートにされた『自称革命家』のお母さんのエピソードを減らしてでも、バランスを取るためにナツミさんの過去エピソードがほしかった。
もしくは、ほんの少し富田さんのエピソードを削ってでも。

いつもどおりの2時間半であれば、あと10分ほどプラスされたので、もう少し描けたのかなぁと感じました。

ほんのちょっとの違いだと思うんですけれどね。
面白かったしテーマも深く、作りも変わっていた分、ちょっともったいないなぁと思います。

あ、でもよく考えると、このいかぞの解釈って、またまた右京さんと神戸君ってあんまり『メイン』じゃないですね。
富田さんから右京さんがケンカを買ったくせに、勝手にナツミさんが奪っていった回(笑)。

まあ、ボーダーラインに続く、右京さんがどんなに頭を使っても、策の練りようがない(真実は暴けても、心情的な面ではなにも解決できない)という話ですからね。
そもそも、事件として『刑事』は関われても、今回は第三者である人が解決できる(犯人を説得したり思いとどまらせたりという面で)ものではなかったのだから、右京さんがメインになれないのは仕方がないのかも。


というわけで。
スペシャルの中ではなかなか面白かったけれど、もうちょっと何かが足りなかったような気もする・・・という回でした。
う〜ん、やっぱり古沢さん脚本と聞いた時点で、どこかバベルを基準に置いていたんだろうか・・・
それは望むレベルが高すぎるぞ(笑)。

予告を観たときに、右京さんがケンカを買って真正面から対峙し戦うSeason2の1・2話のようなものをちょっと期待したので、そういう意味では寂しかったかもしれません。




さて、メインストーリー以外で。

今回の右京さんと神戸君との関係は、なんだかよく描かれていてよかったですね。

神戸君、中途半端だな〜(笑)。
神戸君という存在を中途半端に作った,という意味ではなくて、神戸君が『中途半端に陥りやすい危険を孕んでいる』キャラクターだ、という意味ですよ。
ものすごくそれが神戸君らしいんですが。

亀山君なら、右京さんがプライドについて云々言う前に、反射的に思わず「貴女の息子さんは殺人犯じゃないんです・・・。間違いは、犯したかもしれないですけど、人は殺してません!俺達が、きっと無実を証明してみせますから!」とか言っちゃうと思うんですよね。
情が、か〜〜〜〜っと高まって。

右京さんは、その亀山君のまっすぐなところを知っているので、間違えてても、その亀山君が間違えた部分を一緒に飲み込む覚悟をその時につけるんですよね。
それが、上司としての責任なのか、仲間としての一蓮托生のような気持ちなのかは、その時々によると思いますが。
それが、諸刃の剣でありながらも、右京さんにない『柔軟な』部分として役に立っていた。
選択するよりも前にもう動き出してしまったから仕方がない、という諦めという理由を右京さんに与えてくれるので、結果普段ならば右京さんが選ばない選択肢を取る唯一の方法になっていたのだと思うのですよ。

でも、神戸君は、きちんとお伺いを立ててしまうんですよね。
理屈として正しくはないと分かっているから、話し合いで方針を決めましょう、と思ってしまう。
でもそうすると、右京さんは自分の持っている正論をぶつけざるを得ないので、右京さん自身も逃げられない。
神戸君も、正論をぶつけられてしまうと情で突っ走れないので、後手に回ってしまう。

そのくせ、右京さんとは違い、ギリギリなところでどうしても情が抑えられないことが出てしまう。
そのために、中途半端に間に合わなかった部分で1人で突っ走ってしまったりしまうために、今度は右京さんもフォローも出来なくなってしまう。

「後悔しています」なんて、あの言い方は右京さんを責めているようでちょっとずるいですね。
それでも嘘を言いに行く選択肢は『暴発』のときと同様に残されていたのに、今回は『正しい手段』をまず選ぶことを自分で選択してしまっただけです。
思わず言ってしまった、といったところでしょうか。


彼はタイミングが悪いと言うかなんと言うか・・・
真面目だからこそ出てくる弊害かなぁ。
下手に右京さんが神戸君を納得させる正論を言うことが多いために、「上司にたてはつかないが意見は申し上げる」の意見を言うタイミングが、ちょっと遅くなっちゃうんですよね。

でも、亀山君みたいな動物的本能、社長とかならいいけれど、普通は組織の中では問題ありですけれどね(笑)。
その『柔軟さ』や『情』で、『ありふれた殺人』のような状況になったこともありますし、突っ走り癖で何度も人質にもなっていますし、どちらがいいというわけでもないんでしょうが。



ところで。
神戸君って、本当に怖がりなんだなと今回の話で再確認しました(笑)。

血が駄目、死体が駄目、多分怖い人も駄目なんですね。
おそらく、『怖い人』の定義は狭いと思いますが。

暴力的な人だったり恫喝するような人には、別に恐怖は感じないように思います。
多分、努力して鍛えればそういう『怖い人』よりも上回れるから、本当の意味で怖くないと思っているのではないかなぁ、という印象。

でも、今回の富田さんのように、底知れない憎しみとか、普通の人ならばきちんと『躊躇う』はずのものを躊躇うためのストッパーが壊れてしまっているような狂気を孕んでいる人たちには、どうやっても敵いようがないので、呑まれてしまうのだと思います。
ホラーでも、スプラッタだけでなく幽霊物も駄目だとみた(笑)。

多分、心の闇が大きい犯人に対しては怖がる傾向にあると思います。
浅倉さんとかも怖がるのではないかなぁ。
あ、『殺人の資格』の殺人教唆を企てた子のことも怖がるような気がする。

ビスケットに気づいた時の右京さんは、完全に富田さんへの警戒と細かいことも見逃さない観察モードに入っているのに、神戸君はほぼ固まり気味なのがおかしかったです。
右京さんがやる気モードの強い表情で「信じがたいことですが、彼女でしょうね」と言っている横で、「彼女でしょうね」と返す神戸君は、どう見ても悪寒を感じている顔ですし。

カステラを持っていったときの富田さんの宣戦布告に対しても、右京さんは『売られたケンカは買った』という顔ですが、カメラフレームに再度入った時の神戸君は引きつった笑顔(笑)。
帰り途中に至っては、「普通のおばさんに寒気を感じたのは初めて・・・」とも言っていましたしね。

まあ、右京さんは大変な相手だとやりがいを感じると言っていましたものね〜(Season4『殺人講義』で)。
売られたケンカは買う人ですし。



そうそう、全然関係ありませんが。
映画の曲が、ずいぶん使われていましたね。

いかぞの感想の中で映画の感想は避けている方もいらっしゃると思うので、どれとは書きませんが。
でもなんだか、色々一般の人がネタバレに気を使っている中、テレビの宣伝も雑誌も凄いことになってきているので、あまり気を使う意味を感じなくなってきた・・・(笑)。



さて、次は12日放映ですか。
1週お休みですね。
といっても、昨日観たばかりでもう5日まで3日しかないので、あまり『お休み』感はないですね(^_^;)



それではまた。


相棒 Season 9 オリジナル・サウンドトラック
avex io
2010-10-20
池頼広


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