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2007-05-04 「立ち去り型サボタージュ」とは逃散のことだろ
■[本][医学]医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

■医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か小松 秀樹 (著)
ずいぶん前に読み終えたのだけど、紹介するタイミングを失ってそのままになっていた。日本の医療崩壊については、医療者の間では何をいまさらという感があるが、一般の人々の間ではまだ十分に認識されていないかもしれない。医療者によるブログでは熱心に議論がなされているが、いかんせん、医療崩壊に興味のある人の間でだけである。私のブログには医療関係以外の方々もよく来られるし、特に最近は池田センセがらみで初めて来た人も多いだろうから、これを機に小松先生の著作を紹介することとする。
最近では、大手マスコミでも医療崩壊が扱われるようになった。毎日新聞では「医療クライシス」、読売新聞では「医の現場 疲弊する勤務医」など。マスコミは医療崩壊の主犯の1人であり、かような記事はマッチポンプであると医療者から思われているのであるが、まあ現状が報道されるのは良いことであろう。ぶっちゃけ簡単に言うと、医師、特に勤務医の勤務条件が劣悪になったため、医療の現場から医師が逃げ出している。これを小松先生は「立ち去り型サボタージュ」と言い、ネット上では自嘲気味に「逃散」と言う。
ネット上では何年も前より日本の医療が崩壊すると言われていた。医師によるブログもいくつもある(たとえば、id:Yosyanさんによる■新小児科医のつぶやき)。医療崩壊に興味のある人は既にこうした情報源にアクセスしていることと思うが、都会に住み、自分も身内も健康な人は医療崩壊などと言われても実感がわかないかもしれない。これから情報を集めたいが匿名でのブログは信頼性が低いと思われる人は、まず、『医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か』をお読みいただきたい。著者の小松秀樹は虎ノ門病院泌尿器科部長である。新聞記事に載っている医療者の主張はマスコミのフィルターを通しているため、医療者自身が書いた本のほうがよい。
この本を読まれても、一般の人は必ずしも納得がいかないかもしれない。特に、医師は高給でベンツなどの高級車に乗っており、金儲けのために不要な薬をバンバンだし医療ミスしたら平気でカルテを改竄する、などという偏見を抱いている人にとっては。納得いく、いかないは別にして、医療者側の主張も知っていてほしい。「医療は不確実であることが、患者や司法関係者にすら理解されていない。警察が医療過誤に介入しても解決にはならない。安全にはコストがかかるが、日本の医療費は減らされる一方である」など。医局制度や厚生労働省の問題点についても指摘がある。
ネット上や実生活での意見を耳にするに、一般の人たちと医療者との間での認識の相違点として、たとえば、医師の労働に対する考え方や、死生観があるようだ。たとえば、労働に対する考え方。小松先生の指摘は、もちろんすべての医師に当てはまるものではないが、大まかには当たっている。
私の目からみた勤務医の考え方と状況を説明する。勤務医は、社会と多少距離をおいて、自尊心と良心を保ちつつ仕事をすることを望む。医療にささやかな誇りと生きがいを感じており、医師の仕事を金を得るための労働とは考えていない。ただし、先頭に立って社会を引っ張るような迫力や、強い使命感のようなものはない。他からの賞賛よりも、自らが価値があると思うことが重要だと考えている。収入も、普段の生活でお金の苦労をするようなことがなければよいのであって、必ずしも多額の報酬を望んでいるわけではない。仕事で自分の価値観に反するようなことをせずにすみ、それなりに生活できればよいと思っている。(P158)
医師免許を持っていれば楽で稼げる仕事は他にもある。逮捕された偽医者の年収が2000万円だと報道されたが、偽医師でも2000万稼ぐのだから、本当の医師にしかできない仕事はもっと高給であると考えるのは誤りである。偽医者でもできるくだらない仕事だから、高い金を出さないと誰もやりたがらないのである。循環器科の医師は、夜間であろうが正月であろうが、急性心筋梗塞の患者がいれば(むしろ嬉々として)出勤してくる。時間外手当はすずめの涙である。その二十倍出すから風邪の患者も診ろと頼んでも断るだろう。医師であるから時間外に働かなければならないのは重々承知であり、時間外の心肺停止の患者に全力を尽くすことはかまわない。しかし、緊急性のない、たとえば4日前からの微熱で夜間に受診した患者からの待たされたというクレームに対処するのは医師の仕事ではない。他に仕事の口がないなら我慢して「申し訳ございません、患者様」と頭も下げるが、他にもっと楽で高給な仕事があるならがそちらに流れるのは当然である。「医は算術」などと揶揄されるが、「医療もサービス業だろう」などと過剰なサービスを要求するのに、「医は仁術」をも要求するのは一方的である。
死生観についても、一般の人と乖離があるかもしれない。大家族で平均年齢も短かった昔のころであれば、身近な人の死に接する機会も多かったと思われるが、核家族化が進んだ現在では、一般の人にとっては死は非日常であり、受け入れがたいものである。
補償の条件を低くして、避けようのない死まで補償の対象とすべきでない。病院での死、自宅での死を平等に扱う必要がある。病院で死ぬと補償金が得られるとなると、病院の医療がゆがんでくる。また、家族の成り立ちがゆがんでくる。それ以上に、死生観がゆがむ。すべての死が補償の対象となるということは、死があってはならないことだと認定するようなものである。いくら認定しても、死は厳然と存在する。あってはならない死は恐怖の対象となり、冷静に受け入れられることがない。死は、現世のすべてを無にするという意味で人間を平等にする。死ほど人間の平等を明確に示すものはない。死を受け入れることで、個人の欲望の空しさが実感でき、行動が律せられる。死を受容しないと、死への恐怖とあくなき欲望が人間の行動を醜くする。恐怖と欲望がひしめき合い争いが絶えない。死を受容する思想がなくなれば、日本人の将来が危うくなる。(P248)
不可避な死に対しても賠償金を請求される事例が多発していることを医師は憂慮している。正当な医療を行なっても、結果が悪ければ賠償金を請求されるのであれば、結果が悪くなりうる疾患を診る人がいなくなる。一方、患者側には「治して当然。治らなかったら医者の責任」と考える人がいる。もちろん、多くの患者さんはそうは考えないが、一部にそういう人がいるというだけで医師を逃げ出させるには十分である。
医療崩壊を止める手段はあるだろうか。紛争を処理する第三者機関の設立や適正な社会思想の熟成などの解決案が小松先生によって提案されている。おそらく、どのような手段をとろうとも、根本的な原因、つまり、医療費抑制政策を改めなければ問題は解決しないと私には思われる。いまだに医療崩壊へまっしぐらの状態であるが、危機感が共有されないと医療崩壊は避けられない。というか、既に崩壊しはじめている。身内も自分も元気であるうちは無関係でいられるが、病気はいつなんどき罹るかわからないのだ。
ところが、英国よりもずっと接触が多いはずの米国医療の実態すら、日本ではほとんど紹介されてない。マスコミのフィルターを通すと、米国医療は世界最高水準にあるから、日本で治療されるより米国で治療してもらうべきだという話になる。実際は、米国の高度医療はあまりにも高価であるため、米国赴任中の人は、一時帰国して日本で治療を受けていたりするのだが。(心臓移植は別。あれは技術ではなく制度的な問題で日本では受けられない)
もはや現代人の生活形態は戻りません。DQN患者だけではなく、我が良ければいい国民が多いことか。
崩壊促進結構でしょう。それは既定ですから。
結局、国民が困らない限り日本の制度は動かないということ
少数者である医療人が、自分たちの権利を放棄して頑張れば頑張るほど、自分たちの権利を主張して頑張らない駄々をこねる大多数に、現状を追認させることになる
もはや一般大衆に対する同情など何もござりませぬ
医療崩壊結構でございますこと。
困ったらアスピリン2錠飲んで、明日いらっしゃい
ここにアクセスしている方には言わずもがなかもしれませんが、多田氏は東京大学医学部元教授です。基礎医学とはいえ、医療方面には多くのコネクションがあるはずなのに、リハビリひとつ受けることができなくなっていたことに衝撃を受けました。
良くも悪くも、この国にノーメンクラツーラはいない。医療が崩壊したら、医学部教授だろうが、市井の人だろうが、等しく被害を受けるのです。
そういうことですな。
>もはや一般大衆に対する同情など何もござりませぬ
>医療崩壊結構でございますこと。
非医療人(一般大衆)の一人としては全然結構なことではないのですが、日本が民主主義国家である以上、連帯責任として受け入れさせていただきます。
私の配偶者が開頭手術を受けることになりました。
医療崩壊前で良かったと自虐的に考えています。
お医者さんからは良性だと言われていますが、手術する場所が場所だけに最悪の結果も想定しないといけないのでしょうか。
考えたくなくて現実逃避している私がいます。
こんな人が、最悪の結果になった時「言いがかり訴訟」とか起こしたりするんでしょうね。
むしろ軽い病気は自己負担を引き上げるなどの方法で医療費を抑制したほうが医師がやりたがらない風邪や微熱の患者が来にくくなっていいと思うんですが。
>雪の夜道さん
>土建国家抑制>>>>医療費抑制ができるかということなのですが・・・
ここ数年は公共事業費は医療費以上に削られているのですでに出来ているのでは?
自己負担≠医療費です。医療費の自己負担割合が1割から2割になったことがあります。それを例に取ると自己負担1000円が2000円に(ガス料金や水道料金が2倍になることがあるでしょうか?!)になっても病院の売り上げ10000円は変わりません。
窓口で払う人に病院を恨ませつつ、あるいは無言のアクセス制限をかけつつ、医療費は不変なわけです。支払い組合から8000円もらうか9000円もらうかの違いです。つまり、ここで経費が節減できるのは支払基金です。
支払基金は掛け金を運用しつつ、請求があれば医療機関に支払うわけです。
基金の収入は主に拠出(<1>被保険者・<2>事業主)、<3>国庫または他の公費負担となります。<1>は会社員、公務員、船員、私学教員などが給料から負担する分ですね。生命保険であれば加入者の掛け金みたいなものです。それだけではやっていけないから、<2><3>があるわけですが、
ところが売り上げとは関係ないところでコストは決まってきます。診療材料費の価格は市場経済のオキテにより決まります。自治体立病院であれば公務員である事務・看護師・医師の人件費は条例により左右されます。診療報酬が半分になっても薬の価格を半分にしてくれる企業はありませんし、給料を半分にするわけにはいきません。
今まで通りのコストで今まで通りの営業をしていたら、確実に病院は赤字になるようなゲームバランスのゲームを戦わされているわけです。
給料そのままで2倍の売り上げを出すまで働くか、ゲームそのものから降りるか、というところでしょうか。
(山陰や東北、北海道の小さな病院全てが訴訟をかかえているわけでもなかろう)(大和市立病院はともかく)
>RRRKさん
勤務医が病院経営を知っていれば、あなたの言われる主因は医療費抑制が原因と言えるでしょう。ほとんどの勤務医は経営なんて知ったことじゃないと、自らの良心に従って診療しているのです。
勤務医が萎縮医療に傾き、一人医長を拒否し、過酷な当直を忌避し、患者の我が侭に付き合い切れないと感じる主たる原因は、訴訟問題と言えるでしょう
経営などという自分の身に直接関係ないことより、自ら被告になったりする場面で身震いしているというのが現状です
医師は一般人より危機意識が高いのですから、他の事例を見て怯えない方がどうかしているのです。
訴訟を直接抱えていなくとも、訴訟への危機感は強いのです
例えていうなら、見通しの良い道路で100km/hで飛ばしていたけれど、ラジオ・テレビ・インターネットで次々とスピード違反で検挙されている場面が放送されており、目の前が50km/h制限だったとしたら???
捕まったら逮捕、免取り、高額賠償となったら、後続車の渋滞など関係なく、見通しの良さも関係なく、遵法的に行動することになるでしょう
もともと100km/hで走っていたのも、利他的行動であり、自分の為の行動ではないのだから、その行為が利他的でないと社会から言われた瞬間に、突っ走る気力が萎えるというものです
社会がそう望んだのです。遵法行為に栄光あれ!!!
私が勤務医の同僚に言えることは、『まずは自分の身を守りましょう』ということです。コンプライアンスが重要である限り、コンプライアンスが守れる仕事量に抑えるのが当然の行動です。
これまでの社会は医師(特に勤務医)に倫理を押し付けて、違法行為を強いてきましたが、もはや目覚めた医師には違法行為の押し付けは効きませんよ。
必要な経費を払って医療制度を守るか、崩壊させるかだけれど、この国の為政者には解決能力が欠如している様子。
高見の見物させてもらいます。
誤診した場合は国の責任で賠償して、誤診した看護士に落ち度があるなら刑事罰を与えるような仕組みも必要ですが。
また、医師が診てすら専門ではないという理由で不満を言うような患者「様」が、看護師による診療で納得するかどうかですね。検査を望んで大病院へ流れるような患者様もいます。結局はアクセス制限が必要になりそうです。初診の外来患者を適切に治療するのは、診療所・医院の開業医の先生こそがプロフェッショナルであり、ここは不足していません(24時間診療などを強制したら分かりませんが)。プライマリケアの分野では大病院の当直明けの勤務医よりも開業医の先生のほうがずっといい診療します。勤務医は専門に特化しがちですが、開業医は何でも診ますので。