2012年3月9日金曜日

伊藤みどり(midori ITO)



伊藤みどり1969813日愛知県名古屋市出身)

女子選手として史上初のトリプルアクセル成功者
全日本フィギュアスケート選手権8連覇を含む9回の優勝(1984~91、95)
NHK杯4連覇を含む6回の優勝(1984~85、88~91)
1988年カルガリーオリンピック5位入賞
1989年世界選手権優勝
1992年アルベールビルオリンピック銀メダリスト
3A(トリプルアクセル)、3T-3T(トリプルトゥーループ-トリプルトゥーループ)

2Lo-3Lo(ダブルループ-トリプルループ)、3Lz-3T(トリプルルッツ-トリプルトゥーループ)
を女子シングルで初めて成功させた。2004年世界フィギアスケート殿堂入り。


 少女時代から「ジャンプの申し子」、「ジャンプの天才」と呼ばれていた。小学校6年で3回転-3回転の連続ジャンプを跳び、当時女子選手が体力的にも技術的に不可能と考えられていたアクセルを除く5種類の3回転ジャンプを中学生で習得した。ジャンプの高さは40センチを越え、ピーク時には64センチを記録した。東京大学体育学研究室の吉岡伸彦(1994年当時)の分析によると、伊藤のジャンプは踏み切り時の最高速度秒速8m、高さ約70cm、滞空時間約0.73秒、着氷時に片足に掛かる荷重約250kgで、ジャンプ時のある時点での速度は男子をも凌ぐとされた。 自身初の海外遠征である1981年世界ジュニアフィギュアスケート選手権では4種類の3回転ジャンプを跳び、海外プレスから「津波ガール」「台風ガール」のニックネームを付けられた。初めて3回転アクセルを跳んだのは中学3年のシーズンで、練習を始めてから3ヶ月ほどで着氷に成功していたが、右足首を骨折したため練習を中断していた。カルガリーオリンピック後に、誰の目にもアピールできるものを取り入れようと3回転アクセルの練習を再開。1988-1989シーズンの愛知県フリー選手権で3回転アクセルに挑戦。競技会では初めての成功を収めた。その後、国際大会で3回転アクセルを成功させた女子選手は、中野友加里とリュドミラ・ネリディナ(2002年スケートアメリカ)、浅田真央(2004年ジュニアグランプリファイナル)だけに留まっており、オリンピックで3回転アクセルを成功させた女子選手もバンクーバーオリンピックでの浅田真央のみである。
video
1992年2月21日アルベールビルオリンピック 
フリースケーティング
(Midori Ito 1992 Albertville Olympics FS)
 2度目のオリンピックとなるアルベールビル大会で日本人フィギュアスケート選手初の銀メダルを獲得。この大会のオリジナルプログラムでは、精神的な緊張から練習で3回転アクセルの成功率が落ちていたため予定していた3回転アクセルをより確実性の高い3回転ルッツに変更したが、そのルッツで転倒して4位と出遅れた。フリーでも一度は3回転アクセルで転倒するが、演技終盤に「絶対に跳びたかった」と再び3回転アクセルに挑んで成功。オリンピックで女子シングルとして史上初の3回転アクセルだった。
「みどりがトリプルアクセルを成功させた事にはまったく驚きませんでした。
私が驚いたのは、彼女がもう一度トリプルアクセルに挑戦したその勇気です」 -クリスティ・ヤマグチ(アルベールビル五輪金メダリスト)


「もう並大抵の体力じゃないです。それに同じジャンプを一度転んでるにも関わらず。私にはできない。跳ぶとしたら死ぬくらいの覚悟がいる」
恩田 美栄(2005年四大陸選手権2位)



1 件のコメント:

  1. ナスカンだ 様
    初めまして。 (*^_^*)
    どうぞ「踏み絵」を踏んでからお話し下さい。↓

    海外に伝えて下さい
    子供たちに虚偽 (きょぎ) を広めないよう
    http://midoriitos.blog133.fc2.com/blog-entry-62.html

    虚偽に 「虚偽だ」「ねつ造を止めよう」 と言えない人は、
    公開での言動を、ご遠慮下さい。(^_^)/ 

    理由: 虚偽・ねつ造を助長しているので。
    子供たちに虚偽を広めないよう、ご理解お願いします。

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