PM2.5環境基準の設定について
1972年に環境基準が制定されたSPMの測定開始(1974年)以来の継続測定局における濃度は1980年ころまでは低下していった。しかし、1990年代に入っても環境基準の達成率は低い状況にあり、大都市地域、特に交通過密な道路沿道において、SPMやそれより小さい微小粒子の健康影響が懸念されていた。
このような時期に、米国東部6都市においてPM2.5を含む大気汚染物質濃度が1974年以降14〜16年間にわたって測定され、年齢、性別、喫煙、その他のリスク要因を考慮して解析された大気汚染の死亡率に及ぼす影響が報告された。これがハーバード6都市研究と呼ばれる良く知られた疫学調査であり、ここで示されたPM2.5濃度と死亡率などの健康影響との関係から、微小粒子の有害性が明らかにされた(Dockeryら,1993)。これらの疫学調査報告などに基づいて、米国では、それまでのPM10の環境基準(年平均値50µg/m3、24時間平均値150µg/m3)より低い濃度で生ずるPM2.5による健康影響が考慮されて、PM2.5に係る環境基準が1997年に設定された。わが国でも、2000年前後にSPMによる大気汚染と健康被害に関する訴訟などもあり、大都市における大気汚染の改善(NOx対策の強化とディーゼル車から排出されるPM対策)は、緊急の課題となり、1999年から環境省において「微小粒子状物質暴露影響調査研究」が開始され、曝露、疫学、毒性学の3WGにより、各種調査研究が継続的に実施されていった。
米国ではPM2.5の環境基準設定後も、多くの実大気中で測定や裁判を含むPM2.5粗大粒子やPM10の健康影響に関する議論がなされた。そして、2006年にPM2.5の24時間平均値は65µg/m3から35µg/m3に強化され、年平均値は医学サイドから12µg/m3年にするべきとの意見などが有ったが、15µg/m3に据え置かれた。欧州連合(EU)やわが国で設定された環境基準値等を含めて、表1にまとめる。
表1●主なPM2.5環境基準
国または機関
(制定年) |
平均時間 |
基準値
(µg/m3) |
備考 |
米国
(1997) |
年平均
24時間平均 |
15
65 |
1* |
米国
(改訂2006) |
年平均
24時間平均 |
15
35 |
1* |
WHO
(2006) |
年平均
24時間平均 |
10
25 |
2* |
EU
(2008) |
年平均 |
25
20 |
3*
4* |
日本
(2009) |
年平均
24時間平均 |
15
35 |
5* |
1* 年間の24時間平均値の98パーセンタイル値の3年間平均値が基準値を超えないこと;2* 年間の24時間平均値が99パーセンタイル値;3* 達成時期2015年;4* 達成時期2020年;5* 年間の24時間平均値の98パーセンタイル値
2008年4月には、1999年から開始された「微小粒子状物質暴露影響調査研究」の報告書において、「微小粒子状物質は総体として人々の健康に影響を与えることが疫学知見並びに毒性学知見から支持される。」と要約された。これを受けて、中央環境審議会大気環境部会(平成20年4月)で検討が開始され、環境基準専門委員会と測定法専門委員会における審議と同部会審議を経て、「当時収集可能な国内外の科学的知見から総合的に判断し、地域の人口集団の健康を適切に保護すること」を考慮して指針値が設定され、測定法を含めて2009年9月9日に表2に示したPM2.5の環境基準が告示された。
表2●微小粒子状物質(PM2.5)の環境基準
物質 |
環境上の条件 |
測定方法 |
微小粒子状物質 |
1年平均値が15µg/m3以下であり、かつ、
1日平均値が35µg/m3以下であること |
濾過捕集による質量濃度測定方法またはこの方法によって測定された質量濃度と等価な値が得られると認められる自動測定機による方法 |
環境基準専門委員会が、これらを含めて当時収集可能な国内外の科学的知見から総合的に判断し、地域の人口集団の健康を適切に保護することを考慮して微小粒子状物質に係る環境基準設定に当たっての指針値として提案した環境濃度、及びその数値を導くに至った考え方は以下の通りである。
長期基準としての年平均値は、国内外の長期曝露研究から一定の信頼性を持って健康リスクの上昇を検出することが可能となる濃度を、健康影響が観察される濃度水準として総合的に評価し、判断したものである。一方短期基準については、短期曝露による健康影響の知見、日死亡、入院・受診、呼吸器症状や肺機能などの健康影響がみられた疫学研究の結果や、図5に示すように、「曝露濃度分布全体を平均的に低減する長期平均濃度の基準(長期基準、年平均値)と高濃度領域の濃度出現を減少させる短期平均濃度の基準(短期基準、日平均値)を併せて設定することで、長期影響及び短期影響に関して地域の人口集団の健康の適切な健康の保護が図られる。」と判断したものである。
図5●長期基準のみの場合と長期基準と短期基準両者の場合
(箱ひげ図は各仮想地域のPM2.5濃度日平均値の分布を、点線は短期基準値に相当する水準を示す。)
PM2.5の組成と測定について
都市部一般環境大気測定局と自動車排出ガス測定局のPM2.5濃度は急激に近づいており、一次排出主成分であった自動車排出ガス由来の元素状炭素(EC)濃度が急激に低下しており、2008年度ではその差は1µg程度となっている(図6)。図6より、存在状態が変化しやすいものや吸湿性の高いものから構成されている二次生成無機成分(硝酸塩:NO3−、硫酸塩:SO42−、塩化物:Cl−、アンモニウム塩:NH4+)と高極性成分をも含む有機粒子(有機炭素:OCとしての炭素だけでなく、有機成分中の炭素含有率でOCを割った値)の合算割合がPM2.5の7、8割を占めていることがわかる。このような結果は、フィルタ上に採取し、高い再現性をもってPM2.5の質量を測定するには、粒径の分離条件、吸引流量、試料採取中ならびに秤量の前後における温度・湿度など、多くの条件を厳密に定義する必要があることを示している。
図6●PM2.5の成分別組成(2008年度の平均値)


出展)環境基準専門委員会報告、平成21年度9月
これらを考慮して、告示された環境基準における測定法としては、米国環境保護庁(EPA)の連邦標準法(FRM)に相当するろ過捕集からなる標準法、それに対しての等価法としての自動測定機による方法が定められ、上記標準法と等価法の基本的な条件や等価性の評価方法等がまとめられてきた。しかし、上記二つの測定方法は、これまでの多くの疫学データや測定データの存在、適切な分級装置の存在、なども考慮して決められたものであり、測定に関わるすべての問題を完全にクリアできているとは言えない点もある。図6に示したように、現在のPM2.5の主要成分は二次生成無機成分や有機粒子となっており、それらは気温や湿度、粒子組成に依存するガス/粒子平衡など複雑な挙動をとる。そのため、発生源や環境条件の変化に伴うPM2.5濃度を化学輸送モデル(CTM)により予測し、上記の測定法による測定値と比較評価する場合には注意すべき点が残されている。
今後のPM2.5低減対策に向けて
2009年9月のPM2.5環境基準の設定に伴う課題として、次の[1]〜[4]の課題が挙げられている。
[1]大気汚染の状況を的確に把握するための監視測定体制の整備の促進と、体系的な成分分析が必要
[2]固定発生源や移動発生源に対するこれまでの粒子状物質全体の削減対策の着実な推進
[3]微小粒子状物質や原因物質の排出状況の把握、排出インベントリーの作成、大気中の挙動や二次生成機構の解明
[4]近隣諸国等との間での大気汚染メカニズム等に係る共通理解の促進と汚染物質削減に係る技術協力の推進
最近のPM2.5研究からは、冬季の一次排出として藁やもみ殻等の農業廃棄物、夏季における植物起源揮発性有機物(イソプレン、テルペン等)由来の二次生成有機物、夏季の海風卓越時における二次生成硫酸塩、によるPM2.5への大きな寄与が指摘されつつある。さらに、二次生成の多官能基型有機物のガス/粒子分布の測定からはこれまでの平衡モデルよりも大きく粒子側に偏っている可能性が出てきている。そのため、前記の[1]の常時監視としてのPM2.5や成分分析に加えて、植物起源か人為起源かに着目した有機粒子成分の分析やガス/粒子分布に着目した高い時間分解能での有機成分のフィールド測定が、課題[3]やCTMモデルの改良や検証のために必要となっている。
効果的なPM2.5低減対策へ至る道のりには困難が多いが、光化学オゾン問題とともに、越境汚染も考慮しつつ、総合的な調査研究と科学的な事実に基づいた着実な前進を期待したい。
(さかもと かずひこ)

前へ 4/11 次へ  |