いろいろあって、ブログの一部コンテンツを取り下げています。

 ちょっと言及しましたが、2月3日にMさん(藤沢数希の中の人らしき人)から、仕事の過労で精神的に参っているという電話がありました。うつ病と思われたので、病院に受診することを勧めました。周りに頼れる人がいないようなので、もし身の回りの世話など、人手が必要なら手伝うよと申し出てあります。

 Mさんから「いつ手伝いに来てくれ」と呼ばれるかわからないし、事情が事情であんまり彼を刺激するようなことは書けないので、ブログは一部コンテンツを取り下げて、ほそぼそとやっています。私も精神的に参ってしまって、一時期寝こんでいました。

 Amazonで私の暴露に言及したレビューを見つけた時には嬉しかったな。

「反原発」の不都合な真実 (新潮新書)

 このレビュアーさんもおっしゃっているけど、私は当事者という立場上、Mさんを暴露しつつ擁護しなきゃいけなかったけど、読者は言いたいこと言っちゃっていいと思う。欠陥商品にはブーイング飛ばさないと、市場原理働かなくなっちゅう。

 私も、藤沢の原子力絡みの記事や本については、言いたいこと・ツッコミたいことは山ほどあるのですが――。

 とりあえず、彼は火力発電→大気汚染説を展開していますけど、日本の大気汚染って、車の排気ガス・発電所の他に、ごみ焼却炉から出る大気汚染の問題が深刻なんです。この本に詳しいんですけど、世界の焼却炉の2/3が日本に集中している。

ごみを燃やす社会―ごみ焼却はなぜ危険か
 
 考えて見てください――自動車はガソリン・軽油しか燃やしません。火力発電所も、石油や石炭など、精製された燃料しか燃やしません。
 でもごみ焼却炉って、いろんなものを(ある程度分別はされているにしろ)燃やしますよね? 日本だとダイオキシン対策法で、800℃(だったかな)でごみを焼却することになっていますので、住宅街などにあるクリーンセンターはその法令に基づいて設計されています。800℃だと、たいていのものは気化します。鉛などの重金属も、いったん気化させてから、排ガスをフィルターでトラップしたり、触媒でトラップして浄化するという仕組みをとっています。

この論文のP.55、図2を参照ください。日本のごみ焼却炉建設コストに占める排ガス設備の割合です。
「廃棄物焼却主義」の実証的研究 ~財政面からのアプローチ~ 青山貞一東京都市大学教授(当時)

 とはいっても、理屈通りに清浄化できるわけではなくて、巨大な化学反応釜みたいなものなので、多種多様な加工物ができてしまって、カオス状態なんだそうです。

このようなごみ焼却大国・日本で原発事故が起きました。
 
 福島第一原発から放出された放射性物質は風に乗って流れてきて、雨に当たって地面に落ちた。すると木の葉や道路のアスファルトが放射性物質で汚染される。木の葉は剪定ゴミになり、市町村の焼却炉で燃やされます。
 道路は雨で洗われ、下水に流れこみ、下水処理場で下水汚泥に濃縮されます。多くの自治体では、下水汚泥は焼却処分しています。
 どこにどれぐらい落ちたかはこれを参考にしてみてください。 

文部科学省による第 4 次航空機モニタリングの測定結果について 
http://radioactivity.mext.go.jp/old/ja/1910/2011/12/1910_1216.pdf
東日本の地図があるので、空間線量率の分布を参考にしてみてください。

 焼却炉は塩素ガスで充満しているので、セシウムは塩化セシウムになります。塩化セシウムは200℃ぐらいで気化するため、セシウムがごみ焼却炉の煙突から、微小粒子状物質(SPM、PM)の形状になって大気汚染し、周辺住民の呼吸器被曝を引き起こす恐れがあった。

 原子力発電所でもぞうきん等、放射性物質がついたごみは震災以前も排出されていたのですが、そういうものは専用の焼却炉で厳重に焼却されてきました。
http://tsunamiwaste.blogspot.jp/2011/06/blog-post_9536.html
 この二年近く、住宅街にある市町村のクリーンセンターで、これを上回る汚染のごみが焼却されてきました。ごみ焼却はインフラだから、止めるわけにはいかないんですけど、汚染度の高い剪定ごみだけは別処理ができないかとか、溶融だけでもどうにかならないかとか、リサイクルを止められないかとか、下水汚泥は焼却するのではなく天日干しはどうかとか、いろんな学者さん・市民団体が代案を一生懸命考えてね……。

 災害って初動が大事なんですけど――特に原発事故なんて初めてのことで、あれだけ情報が錯綜したんですけど、その中で藤沢がデマをアジテーションした罪は大きかったですね……。関東大震災の朝鮮人虐殺デマを想起するな……。本人は自分のしたことの意味をわかっているのかな……。

 本当に震災以後の環境問題をリアルに考えたい方には、この本をおすすめします。地球温暖化問題についても一章を割いています。
環境省の大罪

 私が震災以来、ずっと取り組んできた問題はそれなので、藤沢の『反原発の〜』の第一章を読んで「ふざけんじゃないよ」と思いました。いけしゃあしゃあと、こんなふうに書いている。
肺炎や喘息や循環器系の病気などで生と死の間で闘っている人たちが社会には常に一定数いるわけですが、火力発電所や幹線道路の状況で濃度が上昇する大気汚染物質が、そういった人達の背中をポンと押して、死に追いやってしまうのです。ほとんどの人は大丈夫ですが、たまたま体力が落ちていた人たちが犠牲になってしまうわけです。
 
反原発運動家は、ことさらに放射線による健康被害の悲惨さを協調しますが、致死的な呼吸器系の病気は、ひどい喘息や肺がんなど、大変な苦痛を伴う悲惨な死に方です。そして、その数は放射線に関連するがん患者よりも圧倒的に多いのです。
 私はそういう人々の姿を実際に見てきました。彼らは車椅子の後ろに酸素ガスボンベをぶらさげ、付添人のご家族といっしょに行政との対話集会にやってきて、マイクを持って、息も絶え絶えに「災害廃棄物の受け入れに反対です」と向かって絶叫するんです。
 行政の人たちは、彼らに対して、放射性物質の量が少ないから、安全対策に配慮しているからと、安全性を説きます。とはいえ、市役所の人たちだって人間だから、良心の呵責があるんだよ。

 私はそういう無念のドラマを見てきたから、@kazu_fujisawaが、やれ中国の毒霧が問題だ、PM2.5だと、時事ネタにからめて本を売ろうと宣伝しているのを見ると、ほんとうに傷つく。

 Mさんはうつ病で死にたいなんて言っているけど、彼の軽率な言動で傷ついてきた人たちの心情を思うと、正直、同情する気になれない。

 放射性廃棄物の問題も、彼は高レベル廃棄物のみを話題にしていて、低・中レベル放射性廃棄物の問題はスルーです。
 法治国家である以上、彼が主張するように「健康に害はないから、安全だから」では世の中はまわらない。世界各国が採用している放射性廃棄物の基準を参考にしながら、国内で基準を作り、法制度を作ってきたという経緯があります(IAEAのBSS免除基準というものがあり、それに準拠して日本のクリアランスレベルは決められています)。
 
 彼の言説からは、どうやってコンセンサスを形成するかとか、法律をどう作るかとか、法源をどこからひっぱってくるかとか、他の法令や外国の基準とどうやって折り合いをつけるかといった、社会科学的視点がすっぽり抜けています。
「科学的に考えるべき」と言っている割には、科学的ですらないし。理論物理学で博士号を持っているというのも嘘だった。

 以下のブログは早期から藤沢批判を展開していて、私の目から見ても極めてまっとうな批判だと思います。

デマを撒き散らしてきた原発村の藤沢数希と池田信夫の総まとめ 2011年08月07日
http://blog.livedoor.jp/nnnhhhkkk/archives/65681040.html

 私生活でも、本人の自宅マンションの電力は東電の電気じゃないはず。以前私が、「計画停電のとき、大変じゃなかったですか?」と質問したら、「そんなものありませんよ」と鼻で笑われましたことがありました。金融業という仕事上、電力の安定供給が要なんだそうです。想像してみて――コンマ秒刻みの金融商品の売買の最中に、もし停電が起きたら、膨大な損失が出るでしょう? 福島・新潟刈羽原発の電気を使ってない可能性がある。
 趣味はクルマで、タイヤの溝がペラペラになるまでサーキットで爆走するのが好きだって言ってた。あとクルーザーと飛行機。何が“大気汚染で死人がでる”、だよ……。
 老後はハワイで暮らしたいって言ってた。そういう人に国家百年の計を説かれてもね、という気になりませんか? 藤沢数希というのも、実態はスタッフ4人の編集プロダクションだそうですし、文責めちゃくちゃですよ……。

 実のところ、Mさんが原発擁護を展開しているのは、巷間噂されるように、彼が原子力関係の株を持っているとか、炎上マーケティングによる売名目的ではなくて、原発を擁護しないと彼のアイデンティティに関わるからです。意固地になって、理論武装するガキと同じなの。まあ、生育歴を聞けば、理解できなくもないんですけどね――。

 まったく主張が正反対の、藤沢の私の間に友情関係があるというのは、あまりに話がデキすぎていて、私が話をでっちあげていると疑う人もいるだろうと思います。当事者がいちばんびっくりしているぐらいですから。

 でも、藤沢の本やブログエントリーをよく読んでみてください。「ほんとに理系で博士号持ってるのかな?」と疑問に思うはずですよ、理系の思考回路ではない。私が話していたMさんが完全に藤沢数希であるとアイデンティファイできたわけではないけども、この本がひどいという事実には変わりないです。

 いままでいっしょに運動をやってきた人たちの信頼と、「でもこの人をほうっておけないし」という人情の間で悩んでいます……。