【神庭亮介】新アルバム「ダーティーサイエンス」を発表したライムスターへのインタビューに先立ち、記者のツイッターアカウント(@kamba_ryosuke)を通じて、質問内容を募集しました。メンバーとの一問一答は次の通り。
――最初の質問です。「日本語はラップに合わない、という偏見と闘ってきた面があると思うのですが、ラップを日本語に落とし込むためにどういう試行錯誤をしてきたか。その際に、どの程度、日本語の詩歌を参考にしてきたかをお聞きしたいです」
Mummy―D これだけで3時間以上話せるな(笑)。それを二十何年間やってきてるからね。
宇多丸 一大テーマですよ!
Mummy―D 五七五からの脱却というのは、俺らよりもっと先輩のいとうせいこうさんも初期の段階からおっしゃっていて。字数でつくってきた韻律を、どう壊して、日本語の抑揚に合ったカッコ悪くないラップをどうつくるか、っていう二十数年間でした。3分以内で言うと。
宇多丸 ラップのフォーマットは英語だし、英語で発展してきた。自然で合っているのがよければ、五七五とか日本人の生理に合ったところだけをやってればいいわけで。それを壊して、不自然だったり、齟齬(そご)があったりするのが面白いんですよね。合っていないから面白いってところもあると思うんだよな。
あと逆に、ずっと色んな実験を繰り返していると、五七五は強いなっていうのもわかる。染みついたリズムだから日本語に合ってるし、それをラップに乗せると強いんですよ。
Mummy―D 強いね。
宇多丸 そういうことが改めてわかったりもする。欧米のラップと比べて遜色がないというベクトルと、日本語として強くて不自然でないという、完全に相反する百八十度違うベクトルを、どうバランスとって、グイッとメビウスの輪をつくるのか。そこがスリリングで面白いなって思うんですよね。
――ごく初期の段階では、英語のラップのフロウ(節回し)に日本語を乗っける、という実験もされていたんですよね。
宇多丸 ごく初期はやっぱりそうですよね。英語のラップを聴いていて、あれっ、ここ日本語に聞こえなくもないなっていう。
――空耳みたいな。
Mummy―D そう、空耳。
宇多丸 ということは(日本語でも)いけるんじゃないか、とか。向こうのラップも、はやりすたりが色々あって、その時のはやりによって日本語が乗りやすい時もたまにあって。
――日本の詩歌からの直接の影響、ということでいうといかがですか。
宇多丸 いとうせいこうさんから、日本語の掛詞(かけことば)を研究している学者さんのものすごい分厚い本を薦められたんですね。いとうさんが「掛詞ってのは日本流の韻だってことに気づいたんだ」って。韻っていうのは普通、時間差なんだけど、「掛詞はそれを同時にやってるんだ」っていうんですよ。時間差のない韻なんだって。それはものすごく豊かな世界で。
で、学者さんもその本のなかで「日本の詩歌はライミング(押韻)はあります」っていう結論を最終的に出してるのね。いとうさんに次会った時に「読みましたよ」っていうために、ものすごく分厚い本を意地張って読んだんですけど(笑)。
今回のアルバムの「ドサンピンブルース」という曲の中でも、「泰平(たいへい)の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船) たった四杯で夜も眠れず」という狂歌を使ってます。ラップだったら時間差でくるものを、後から自分で分解するパズル的な面白さですよね。
日本は「うまい」の文化。ライミングって「うまい」ってことだから。よくラップって駄ジャレでしょ?って聞かれるんだけど、駄ジャレで結構。これも、いとうさんの受け売りだけど、駄ジャレは文脈が関係ないから「駄」なんだって。ちゃんと文脈があってうまいものは「シャレ」。僕らがやってるのはシャレだってことですね。
ただ、駄ジャレすれすれの、無理くり持ってきた言葉が楽しかったりすることもあるんですよ。いびつさというか、「絶対、その文脈でこんな言葉出てこないでしょ」って言葉が出てくる面白さもある。だから、日本語ラップはうまくいってても、いってなくても、どちらにしても面白いんです。
――二つ目の質問です。「宇多丸さんは坂本龍一さんのラジオを通じて、サンプリングの理念に感銘を受けたのがヒップホップにハマるきっかけとのことですが、必ずしもサンプリングが主流でない現在のUS(米国)ヒップホップについてはどのようにお感じでしょうか。また、そういった潮流をライムスターの活動としてはどのように意識していますか」
宇多丸 きっかけっていうか、坂本さんの「サウンドストリート」という番組でやったヒップホップ特集の回があって、これをものすごい回数聴いたって話なんですけど。
これが、RUN―DMCとか、ラップというものに2度目の焦点が当たる手前の時期なんですよ。いわゆる「メガミックス」という手法があって、色んな曲の色んなパーツを勝手に組み合わせてモザイク状に曲にしちゃう、という手法で1980年代にはやったんですね。その音楽像に、カッコイイ!とすごい衝撃を受けた。
今のヒップホップにも、サンプリングの精神はあるんじゃないですかね。直接サンプリングしていなくても、たとえば歌詞の引用だとか。「ジャックの精神」ってよく言いますけど。
DJ JIN サンプリングか、そうじゃないかは手段の違いでしかない。身もふたもない言い方をすれば、どんな手段であれ、イズムを持って、ヒップホップなサウンドになっていればいい。
米国のザ・ルーツっていうヒップホップバンドがいて、彼らは生演奏でヒップホップ感あふれる音をつくっている。元ネタを生で再演奏する、というのはサンプリングではないけど、サンプリング的なところがある。
もちろん、「俺はサンプリング一本で」ってこだわってやることがいい結果を生むこともあるけど、あくまでも手段の違いでしかない、ということですね。
宇多丸 あるもので何とかしちゃう感じがカッコイイんだと思う。Mummy―Dの名言で「DJプレミア(卓越したサンプリング手法で知られる米国の代表的なプロデューサー)なら、オモチャのピアノを渡しても、すごい音をつくるだろう」ってのがあるんだけど。
テクノロジーが発達してコンピューターで色々できるようになったんだから、コンピューターでやればいい。なんでサンプラーだったかっていうと、それしか無かったからですよね。昔のレコード使って、その上にラップを乗っけて歌うぐらいしか、お金がなくてできなかったから。
今、サンプリングは許諾で逆にお金がかかるようになってきちゃって。だったら金かかるのはアホらしいから、このシンセで何かやりますよ、みたいな。近田春夫さんのシビレるヒップホップ評で「コンビニに売ってるものだけで、クリエーティブなことをしてしまう」っていうのがあって。そういう精神だと思うんですよね。
――最後の質問です。「昨今のヒット曲では、わかりやすい簡易なフレーズが好まれる傾向が強まっているように感じます。その風潮に対して、あえてラップで『仕掛けて』いく気持ちがおありですか? また、最近のライムスターのリリックは、以前よりメッセージ性や言葉遣いがわかりやすくなっている気もするのですが、それは世の風潮と関係がありますか?」 Mummy―D 確かに使い古されたことを何の躊躇(ちゅうちょ)もなくよく使うよね〜というアーティストはいる。でも、そうでない人たちは、「仕掛ける」とまではいかなくても、みんな新しい表現を探しているよ。それはライムスターに限らない。
それが一番やりたいことだし、尊いこと。絶対、揺り戻しがくるはずと思って、心あるアーティストたちは日々、表現を磨いていると思う。
最近の俺らが、ちょっと変わったとしたら、成長して今までの日本の音楽シーンの歴史の中から、学ぼうとした、ということかな。ヒップホップだからこれでいいんだ、というだけじゃなくて、叙情性やエモーショナルな部分もヒップホップに採り入れられるだろう、とか。ちょっと内省的な歌詞もアリだろう、とか、そういうのをOKにしてきたところがあると思います。
宇多丸 2種類の表現があったら、平易な方を使おうかな、というチョイスの方向にはなっているかな。伝えるためにやっているのだから。ただ、難解な言葉を使う面白さもあったりするし、難しいところだなあ。
表現というか、技術が上がったからだという風に僕は思ってます。前は伝えたいのに伝わりきってなかったっていうことじゃないかな(笑)。自分の思っていることが、うまくラップに落とし込めてなかったっていうのもあると思うし。
Mummy―D 「もう、わかってよ!」みたいなね。そこから比べると、ラップがうまくなって、わかりやすくなったっていうことじゃないかと思います。
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朝日新聞放送取材班