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23 勘違い
 1910年(皇紀373年)



 ハレー彗星が地球に最接近

 ハレー彗星が最接近する時、地球がハレー彗星の尾を通過する事で地球上に毒ガスが蔓延するという、根も葉もない噂から世界中に社会的な混乱を引き起こした。毒ガスの他にも、地球上の水素と結合して大洪水をもたらすや、窒素と結合して酸欠に陥るなど、外国の学者や教授達が次々と馬鹿な発表を繰り返した。
 そのあまりに荒唐無稽振りに流石の庶民も大多数は信じず、ハレー彗星を待ちながら日常を過ごしていた。

 しかし中には信じる者もいて、特に史実日本は「どうせ世界が終わるなら」と家財道具を焼いて身辺整理を済ませたり、穴を掘ってゴザや木の蓋で閉めて毒ガスをやり過ごそうとしたり、自転車のタイヤチューブをくわえて酸素を得ようとするなど、現代からして見ればアホらしい事を真剣にやる人々が大勢いた。
 中には日露戦争や軍拡のせいで貧しい者達が憂さ晴らしとして略奪に走ったり、詐欺師達が「これで毒ガスも耐えれる」などと言って怪しげな薬を販売するなど、当時の日本のモラルと教養の低さを物語っていた。

 その一方、日本帝国政府や大学教授達は、外国の学者や大学教授の言う毒ガスや大洪水、窒息などを全面否定。「何の証拠も無い愚かしい説であり、ただイタズラに世界中を混乱に陥れようとしている」と猛烈に批判した。批判された学者達は猛反発したが、日本帝国が否定した事によって世界中も落ち着きを取り戻していく。
 史実日本のようにまだまだアジアの2等国だったのなら、信憑性の無さから無視されただろうが日本帝国は違う。常に世界をリードしていてどこの国より高い技術力を有する大国だ。異世界人宣言によって黄色猿と侮る者は少なく、最近では最も早く北極点と南極点の到達にも成功している。
「そんな国が否定するなら本当なのでは?」として徐々に落ち着きを取り戻して行く。

 世界中で大騒ぎになる中、日本人達は何一つ変わらない生活を送る。日本人は全員義務教育によって最低限度の教育を受けていて、特に一等国である本土は高校や大学出が当たり前なのでバカな学説に振り回される事は無かった。
 外国の学者達がバカな学説を唱える度に嘲笑し、自国の学問が最も進んでいるのだと再認識したのだった。



 結局、最後まで日本帝国と外国の学者達は争っていたのだが、ハレー彗星の尾を何の問題も無く通過した事によって日本帝国の説が正しかった事が証明され、学者達の面目は丸潰れ。その対照的に、日本帝国の信憑性が増したのだった。









 史実では日本政府が社会主義牽制のために「天皇暗殺を企てていた」と大逆事件をでっち上げ、社会主義者達を次々死刑にしたが、日本帝国では起きてない。
 社会主義にしろ共産主義にしろ、社会的な不安や貧困層の拡大、食料不足によって引き起こされるのだから、全てが安定している日本帝国ではあり得なかった。

 史実日本は日露戦争の戦費や止まらない軍拡によって社会福祉や開発は逼迫され、首都東京でさえ未だ江戸時代から脱却出来ていない部分が多々あり、重税に悩まされていた。首都がそうなのだから必然的に地方は更に悲惨で、希望が持てない農民達は平等を求める社会主義に傾倒した。
 その一方、予算や資源が無限にある日本帝国は軍拡しながらも社会福祉や開発も同時に行い、重税を敷かなかった。他国から見れば共産主義国家のように国が国民の面倒を見て、管理していた。
 食料も豊富で、特にシベリアを得た事によって毎年膨大な収穫量を得られ、食料の輸出さえ行っている。インフラや社会福祉も整備され、他国では考えられない程便利で生活に困る事は少ない。
 このような国で現政権を打倒する社会主義や共産主義が流行る筈が無かった。

 勿論、中には社会主義者や共産主義者もいたが、この世界に来てから日本帝国政府が共産主義や社会主義の欠点を何度も何度もラジオや新聞で説明し、学校でも教科書に載っていて詳しく解説されている。
 そのため、日本人達は共産主義や社会主義を危険な思想と認識すると共に「怠惰で怠け者の思想」と捉えるようになった。労働を美徳と考える日本人に受け入れられる筈が無く、北郷教の教義があるからあからさまな排斥こそしなかったが、白い目で見たり関わらないようにするなどした。
 もしも家族にそんな思想を持った者が現れたら、無理矢理精神病院に連れていく家庭もあった。日本人の考えでは、共産主義や社会主義は精神的な病気だからだ。

 今まで北郷王朝支配によって様々な恩恵を受けてきた日本人達にとって、その恩恵を否定してあまつさえ打倒しようとするなど、頭がイカれた異常者にしか思えないからだ。









 日本帝国が金剛級巡洋戦艦1番艦、金剛の完成を発表。

 日本帝国軍初の超カ級(弩級)巡洋戦艦の公開に、世界中が度肝を抜かれた。
 当時、戦艦の主砲と言えば34.3cm砲が主流だったのだが、金剛級の主砲はそれらを超える36cm(公称35.6cm)砲だったのだ。
 36cm連装砲4基8門という絶大なる攻撃力に加え、巡洋戦艦ならではの高速性。日本帝国軍は最大速力を25ノットと発表したが、各国は26ノット以上は出るだろうと予測した。
 現時点においては間違いなく世界最強の戦艦だった。



 無論、この事を面白く思わない者達もいて。いや、日本帝国以外の全ての国は面白くないだろうが、特にを付けるなら間違いなくイギリスが最も面白くなかっただろう。

 イギリス首相のアスキスもその1人だ。

「……また日本帝国に負けたのか…」

 忌々しげに金剛級についての報告書を見ながらアスキスは呟く。そして、そんなアスキスにグレイ外相が言う。

「……残念ながら…。
 新型巡洋戦艦建造については掴んでいましたが、まさか14インチ(35.6cm)砲を搭載しているとは…」

 イギリスも新型巡洋戦艦としてオライオン級を建造していて、来年には1番艦が完成するかと思ったその時、日本帝国軍が金剛級を完成させたのだ。
 オマケにオライオン級の13インチ(34.3cm)砲に対し、金剛級は14インチ(35.6cm)砲。航空機が発達してない時代においては、巨砲艦の方が価値が高い。

「……ドレッドノートの時といい、何時も我が国は日本帝国に一歩及ばない。
 カ級戦艦より強力な超カ級戦艦を建造し、日本帝国より優位に立ってかつての栄光を取り戻そうとしたというのに、金剛級の登場で一気にかっさらわれるとは…」

 アスキスの落胆振りは無理も無かった。かつては世界最強の海軍国として長らく君臨していたというのに、日本帝国の登場でその立場は大きく揺らいだ。
 初め日本帝国軍の戦艦は10隻であり、大きさはともかく10隻程度だったならそこまで恐くは無かったので余裕を保てた。しかし、日露戦争において河内級戦艦の登場によってその余裕は一瞬にして消え去った。数だけを見れば5隻増えただけであり、平均的に考えればかなりの戦力増だがイギリス海軍から見ればそこまでではない。問題なのはその性能だった。
 当時主砲は前後に2基が当たり前だったというにも関わらず、河内級は三倍の6基。更にはタービン機関の採用によって従来の戦艦より速力は強化される。単純に主砲の数だけで数えるなら河内級1隻で旧式戦艦の3隻分。合計15隻分にもなり、更には日本帝国軍の旧式戦艦を合わせれば25隻分の戦艦を有している計算になる。
 あくまで主砲の数だけで計算しているので実際は15隻なのだが、日露戦争において河内級戦艦はロシア太平洋、バルト海艦隊撃滅に大いに関わったため、その計算はあながち間違っていない事が証明された。

 この結果に世界中の海軍は驚愕し、各国共カ級戦艦建造を急いだ。幸いにも、イギリス海軍は既にタービン機関搭載のドレッドノートを建造していたのでどこよりも早くカ級戦艦を完成させ、更なるカ級戦艦建造に移った。
 先見性では日本帝国に負けたと認めざるを得ないが、大事な事はより強力な戦力を有する事であり、イギリスはその持てる国力を駆使してカ級戦艦を建造し、更には日本帝国軍には無い超カ級戦艦を建造して一気に日本帝国軍を引き離しにかかったのだが、現実では逆に日本帝国軍に先を越されてまたしても日本帝国軍に引き離された。
 こんな事があればアスキスでなくても落胆は禁じ得ない。現にグレイも落胆しているのだから。



「……それで、日本帝国軍は金剛級を何隻建造するのだ?」
「情報提供者によりますと、合計5隻を建造するとの事です」
「5隻か……」

 5隻という数の多さにアスキスは頭痛を覚えたかのように頭に手を当てる。
 オライオン級より1隻多いが、オライオン級より早く1番艦が完成したのだからオライオン級と同じぐらいに金剛級戦艦全てが就役する可能性がある。

「不味いな…こちらも同じぐらいに竣工はするだろうが、戦力化するには慣熟航行が必要になるから実質は遅れる。何とか建造を早められんか?」
「…出来る限りはしますが、あまりにも短期建造を目指すと欠陥戦艦にもなりかねません。それでは本末転倒になります」
「…そう、だな。まぁ何れ日本帝国軍の戦艦数を上回る数を建造すれば言い。栄光ある大英帝国なら造作もない」

 この時代のイギリスは正に日の沈まない国に相応しい国力を持ち、戦艦の量産も十分可能だった。――第一次大戦後はアメリカに抜かれたが。

「金剛級の次級の建造計画は無いのかね?」
「次級の建造は金剛級が完成してからになりますが計画だけなら既に立てられていて、金剛級巡洋戦艦を建造した後は戦艦を建造するとの事です」
「ふむ…まぁ順当だな。その次級艦のスペックは分かっているのかね?」
「いえ、まだ計画だけですので、情報提供者も難しいとの事です」
「そうか……なら仕方ないな」

 その後は金剛級に対抗するための話で、オライオン級の次級であるキング・ジョージ5世級や、アイアン・デューク級に14インチ(35.6cm)砲を取り付けられないかなど、史実より早く砲撃力の強化を図ろうとしていた。



「とにかく、今はまだ我が国は日本帝国より技術力で劣る。屈辱的だが事実なのだから受け入れざるを得ない。しかし、それは永遠では無い。
 その証拠に、徐々にではあるが我が国の技術力は日本帝国に近付きつつある。このまま行けば2、30年後には同程度になり、その後は追い抜ける可能性すらある」

 アスキスの言葉にグレイは頷く。
 分かりやすい例で言えば、日本製工作機械を初めて輸入した1897年では、隔絶する程の技術差をまざまざと感じさせられたのだが、1910年の今ではそこまでの差を感じない。勿論、今でも日本製工作機械の方がイギリス製より圧倒的に優れているのだが、昔程の差は感じない。
 かつては日本帝国の技術力に追い付くなど到底不可能と思われていたのだが、確実に追い付きつつあった。
 これはイギリスだけではなく他の列強諸国でも同じ事で、何れは日本帝国に追い付けると確証が持てるようになったのだ。

 ……しかし、それは大いなる勘違いに過ぎなかった。








「技術レベルの引き下げは予定通りか?」
「はい、海外向けの工作機械や自動車など、技術関係のレベルは予定通り引き下げています」

 北郷の屋敷では何時も通り定期報告会が行われていた。

「よし、そろそろ他国が我が国の技術レベルに追い付いてきたと勘違いする頃だろう。
 …全く、哀れな」

 北郷の言葉に戦略研究会メンバー達も頷く。自分達の技術レベルの向上で日本帝国の技術レベルに追い付いてきたと思っていても、現実は日本帝国側が技術レベルを引き下げているだけ。

 かつて外国との貿易を開始した1897年では、5~10年程度の技術差になるよう調整されていたのだが、1910年頃には4~8年程度に差を引き下げていた。
 これは外国に日本帝国の技術レベルに徐々にだが追い付いてきている、という錯覚を生み出させるためだ。何時までも10年以上もの技術差があれば何処の国も日本帝国に戦争を仕掛けるのを躊躇するようになるだろうが、徐々に追い付いてきているならむしろ自重するのを止めて攻めかかってくる可能性が高くなる。
 太平洋戦争は出来るだけアメリカから攻めて来て欲しいからだ。別に日本帝国側から宣戦布告しても良いのだが、日露戦争のように相手側からの圧力に仕方なく宣戦布告した、というのが最も好ましい。史実のように侵略国家では、軍部が暴走したかのように写るので国内の支持率が下がりかねない。
 そのため、北郷はわざと技術差を引き下げて相手が攻めやすい環境を整えてあげているのだ。


「このまま段階的に引き下げて行けば太平洋戦争が起きる1940年代には同等か少し上程度になり、むしろ、アメリカは我が国の技術を接収するために積極的に攻めてくるだろう」

 段階的な引き下げとは、1920年代では3~6年、1930年代では2~4年、1940年代では1~2年程度にまで、外国との技術差を引き下げていくのだ。
 こうして徐々に差が縮まって行けば、誰もが自国の技術レベルが追い付いてきたと信じて疑わない。誰だって自分達の努力が実は報われていないなど信じたくないのだから。

「アメリカは、ニューディール政策によって膨れ上がった工場群を稼働させるためには日本帝国と戦争するしかなく、大陸の市場を手に入れるためには地政学的に邪魔な日本帝国と戦争するしかなく、国内に蔓延するモンロー主義を打破してドイツと戦うには日本帝国と戦争するしかなく、日本帝国の優れた技術力を手に入れるためには日本帝国と戦争するしかない。
 …既にアメリカは詰んでいる。どう足掻いた所で日本帝国との戦争は不可避。ならばやり易くしてあげれば良い。流石に史実のようにはいかないが、ある程度アメリカが日本帝国と戦争がしやすいように手伝って上げれば、後は自分でこっちに来てくれる。
 ……罠に掛かった獲物のように」

 超大国、アメリカ合衆国も日本帝国にとっては獲物でしかない。今はまだ獲物が小さく痩せているが、何れは自分で大きく成長して肥え太ってくれる。


 だから、今はただ待つ。適度に餌を与え、極上の肉質に育つまで。そして収穫時期を迎えた瞬間、屠殺して味わうのだ。
 アメリカ合衆国という、最高級の肉を。


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