■短時間労働でも生産性向上は可能■
神野 少し先ほど来の議論から、私の考え方がちょっと違うかもしれませんが、例えば、八代さんは、人間というのは働かない人間と働く人間がいて、例えば私のように働かない人間も八代さんに甘えて生活しているんだと、こういう理解ですが、労務管理をやってきた者から言いますと、皆様ご存じのとおり、目標による管理というのは、だれもが働きたがる、だれもが学びたがる、こういう前提で労務管理を行います。
もしも働いていない人がいれば、それは適切な動機づけが行われていないからだと。例えば、豊かになってきますと、賃金というのは労働のインセンティブとしてききません。現在の日本はそこを間違えているのではないかと思います。
この間もお話したんですが、例えば、私たちが人間発電機で、ベルトコンベアの上で発電機を回させて、どんどん、どんどんコマネズミのように、ハツカネズミのように走れと言われたら、賃金を上げていっても、なかなかモラールが上がらないというのは、労務管理上明らかになってきています。
ところが、「お金を取るからやってくれ」と言えば、皆さん一生懸命やります。うそだと思ったら、アスレチッククラブ、それからスポーツクラブに行ってもらえば分かるわけですね。みんなお金を払ってやっているわけで、あれはむだですから、発電機を回させるとか、こういうことをやっているんだったら、お米をつかせるとか、やればいいわけですね。
それはなぜかというと、その人々が自分のやっている行為の意味を知っているということと、一番重要な点は、自分が目標を設定している。1週間のうち何日か通って体脂肪を幾ら、ちょっと私も詳しくありませんが、自分で目標を設定し、自分でチェックできる。
この一連のことをやらないと、つまり、目標を自ら設定させてやらないと、適切なインセンティブにならずに働かないというのが、我々が通常、労務間管理でやってきた物の考え方です。もしもこれを、そんなのどうでもいいから、単純作業にして、とにかく金さえやればいいんだということをやったら、生産性は落ちるというのが普通の考え方だろうと思います。
そういう考え方から言えば、先ほど言いましたように、働きたい者は働くといったときに、八代さんのようにエリートは、いつもホワイトカラーをイメージされているんですね。皆さんご存じのとおり、自動車工場、ベルトコンベアは8時間ですが、「いや、私は働きたい」と言って残っていてもらっても、いくら働こうと思っても、ベルトコンベアは動かないですから。先ほどから言われている長時間労働で死んでしまうぐらい働いているという人々は、ラインあるいは第2次産業で働いていない人々が非常に多いということです。
問題なのは、第2次産業は日本はなくなって、サービス産業が非常に大きくなったときに、ここの所が、それまでは機械のリズムが私たちの命を守ってくれて、農業社会であると日が沈んでしまえばできませんから、自然のリズムが私たちの命を守ってくれていた。悲しいことに、日本では工業時代には機械のリズムが私たちの命を守ってくれていたんですが、歯止めがなくなってしまったというのが現状ではないかと。
したがって、働きたい者が働くということでも構いませんが、その働くと言ったことの意味は何か。サービスというのは、消費と生産的な労働行為が混在化してきますので、明確な区別がつきません。
それから、先ほど来のお話で、「短時間労働だと劣化する」と言いますが、そんなことはありません。短時間労働でも、自由時間が増えていればそんなことはありません。自由時間というのは、人間が人間として生きる時間です。人間は必ず成長したがりますので、ともに学び合い、愛し合い、それから遊び合い、その中で人間的な能力を高めますから、時間が短くても、どんどん、どんどん増えます。
スウェーデンの言葉を使いますと、私たちは、自由な時間がわずかしかない時期に生きていたものですから、所有欲求、物を所有することによって自分の自由時間が短いことを補ってきたわけです。そのために自然をむさぼり食うような文化を作り上げた。スウェーデンの教科書で教えていることです。ですから、楽しみといえば、テレビを見たり、パチンコをやったりとか、物との関係でしかできてこない。そうじゃないはずです。
そうすると、その時間で人間として再生産されていけば、先ほど来から再生産という言葉は単純再生産と理解されていますが、拡大再生産すれば、短時間でも人間はすばらしい瞬発力を出して能力を発揮できるはずで、生産性は向上できるはずです。
ちなみに、スウェーデンはそういうやり方をやって、これはスウェーデンの政府が訴えている本ですが、「知識社会を目指そう」。こういうことで、人々が一生懸命勉強して、自由時間に勉強します。これは学習サークル、自主的に勉強するサークル活動を展開しますけれども、自由時間が増えれば必ず勉強するというのは明らかですね。自分たちの能力を高める、生産性はどんどん上がっていくんだと。時間は短いけれども、その時間に集中的に働くことによって生産性が上がってくる。
そのために、それを支えるもの、それが「社会的なセーフティーネット」、もう少し言えば、これからの「社会的なセーフティーネット」というのは「ワークフェア」、スウェーデンは「ワークフェア・ステート」とも言っていますが、人間の能力を高めるようなウエルフェア、そういうものを供給していくということが重要だと思います。
竹信 分かりました。短時間労働の劣化というのは中野さんがよく言われていることで、「短くすれば労働がだめになる」ということではなくて、どちらかというと、ちゃんとした労働であるにもかかわらず、短いと賃金が減ったりしますよね。
それから、今のところ、日本では社会保障の制度の対象がフルタイマーだけですから、短時間労働者化することによって、ゆとりにならないで、その労働が、「だめな労働」と言うか、食べられない、質の悪い労働にさせられてしまうというような意味で使いました。大枠のお話をしていただいて、ありがとうございました。
もう1点、辛さんには、人権とか、日本の中での意識は変わっているんだというご指摘もありましたけれども、それについてはどうお思いになりますか。
■弱肉強食ではなく、弱者救済社会でないと■
辛 変わりつつあると思います。変な言い方ですけれども、弱肉強食の社会がずっと続いてきたわけですよね。企業の中である種、保障を持ってきて、そして救ってきた。一般社会が実は弱者救済の社会でなくてはいけない。
つまり、政治は弱者救済でなくてはいけないんだけれども、政治も実は弱肉強食の中で生きてきて、結局、そこで振るい落とされた人間は死ぬしかないような状況まできてしまった。しかし、その中で、企業とかNPOも含めて変わりつつあるということは実感としてあるわけです。 例えば、どこの部分で、企業の部分で話しましょうか。それとも市民社会の……。
竹信 一般論で、両方でよろしいかと思います。つまり、八代さんのお話では、「もうそういったことは、かなり徐々に解決の方向に。予定調和的であるかもしれないけれども」と言われましたけれども、変わる方向に行くので、人権のない働き方みたいなことをそんなに心配しなくてもというか、変わっていくことを前提にして考えてもいいんじゃないかという意味じゃないかと思うんですが。
辛 そうですか。変わる方向にあることは事実だと思います。ただし、それは黙っていたら変わりません。かなり激しくぶつかり合って、そして激しく自分たちの無権利状態に対して声を上げない限り、変わらないということです。
つまり、法律はできました。それは男女雇用機会均等法、改正均等法ですね。それから、男女共同参画社会基本法、こういった法律は、実は同じ仕事に対して同じ賃金を払いなさいということを言っているわけです。だから、この意味では環境は整ってきたわけです。でも、憲法があったから日本は平和な国なのかと、そういうふうにはならないのと同じように、そういうものができたら、それを使っていかに闘い抜くのかということが今求められているわけです。
男女共同参画基本法というのは、女を社会的にバックアップしたということではなくて、今まで作ってきた法律というのは、男性に「もっと人間らしく生きていいんだよ」ということを、初めて、この社会が男の人に向かって、「あんたの価値は金だけじゃないんだよ」ということを言った法律なわけです。それを勝ち取るためには、この環境ができただけでも、実はものすごい革命的なことなわけです。じゃあ、いかにこれを勝ち取っていくのかというのが、今の段階に入ってきたんだろうと思うわけです。
竹信 なるほど。分かりました。八代さん、今、いろいろとお答えもありましたけれども、競争ということ、八代さんは違う意味も込められているのかなとも思いますが、お三方のご意見を伺って、いかがでしょうか。
■母子世帯対策は社会保障で■
八代 私はようやく中野さんの考え方が少しずつ分かってきたんですけれども(笑)、それはつまり、こういう前提だと思うんです。今の労働市場、日本的雇用慣行というのは、再分配をしている社会だと。
例えば、子どもを抱えた母子世帯が生活できるだけの賃金を保障するような、よい社会だと。これを競争社会で崩したら、その母子世帯はどうするのかと。だから、もっと労働市場の中で賃金を、あるいは雇用を公平に配分するような仕組みにしていかなきゃいけないと、そういう論理じゃないかと思うので、違っていたら後で訂正していただきたいんですが、私は今の仕組みがそんなにいいとは思わないわけで、むしろ逆再配分であって、子どもを抱えた母子世帯というのはむしろ大企業の雇用慣行から排除されているわけで、むしろ大企業の雇用慣行で守られているのは高賃金労働者で、どちらかというと専業主婦を持ったエリートのサラリーマンの方がむしろ保護されているんじゃないか。
それから、そもそも労働市場をそういうふうに、こうあるべきだというイメージで、規制によってぎりぎり縛るということは逆方向なんですね。それは社会主義で失敗したわけです。そもそも今の労働市場の規制というのは、工場法というより、ブルーカラーの集団で働く、流れ作業で働くような人たちをベースに考えているわけで、ホワイトカラーの、別にエリートでなくたって、個人の意思で多様な働き方をする人を規制で縛るというのは無理なんです。
ですから、そういう母子世帯の人の対策は社会保障であって、労働市場の方ではないんですね。社会保障が悪いから、できないから労働市場で規制しろということかもしれませんが、それは逆であって、労働市場はできるだけ労使の自由な選択に任せる、個人の選択に任せる。社会保障でそういう人たちをカバーするというのが本来の方向ではないかと思います。
私、スウェーデンのことはよく分かりませんが、スウェーデンの労働市場規制はそんなに日本と比べて厳しいかというと、むしろ逆ではないかと思います。それから、神野さんがやはり私の言ったことを誤解されていると思うのは、自由な競争社会はエリートにとって有利じゃないんですよね。有利というか、エリートはどんな社会でもちゃんとやっていけるわけで、問題は、むしろ普通の人たちがぎりぎり規制に縛られたような働き方をするのか、それとも多様な選択肢があるのかの違いに過ぎないんじゃないか。
まさに神野さんが言われたように、ワークシェアリングをすれば、もっと働く人もできるし、余暇を楽しむ人もできるし、その余暇を自分の能力向上のため、あるいはいろんなことのために、教育に使う人も出てくる。その教育がまた生産性の向上に結びつく可能性がある。個人の選択肢が非常に重要な社会なんですね。
だから、労働者であれば8時間必ず働いてというような工場法的な規制というのは、まずいんじゃないか。逆に言うと、8時間以上働く正規の労働者と短時間の人の間にものすごい格差があるのが今の規制に縛られた労働市場であって、それをもっと自由にするということがワークシェアリングの考え方ではないだろうかということです。
ですから、男女共同参画も、私も5年間これをやっていますけれども、私のイメージの男女共同参画というのは、男性保護主義を打ち破るということなんです。つまり、「競争によって、女性の地位を上げる」というのが、私のイメージしている男女共同参画で、これは決して規制を強化することによって男女平等を達成しようということではないと私は考えています。
もちろん辛さんには私は全然反対はないわけで、まだまだ問題は残っている、もっと声を大にしなきゃいけないということは全くその通りで、決して放っておいてもうまくいくような社会ではないけれども、少なくとも「玄関マット」の人が出世する社会ではないということだけを言いたいということです。
竹信 分かりました。中野さん、いかがでしょうか。
■人間が大切にされる産業社会に■
中野 規制でぎちぎちにするとか、私はそういう意見として受け止められたのかなというふうに思っているんですが、最近の議論を聞いていますと、労働市場は適切なルールによって規制しなきゃいけないと言っても、社会主義者のレッテルを張られたりとか、大変な時代になっているなというふうに私は思うんですよね。
私が申し上げているのは、少なくとも働き手というのは大切にされなければ、産業社会の基礎というのは築けないわけですから、だれが経済を運営しているのか、だれが経済を担っているのかと言ったら、生身の体を持った労働者である人間ですよね。その人間が大切にされなければ、産業社会というのはあり得ないと。これは第1セッションで確認したところだと思うんです。
その人間を大切にするために、その人権を守るために、どう最低限のルールを確立するのか。日本の社会は人権を保護するための最低限のルールも確立してこなかったんじゃないかということから、今までのいろんな問題が出てきているわけですよね。
その1つの大きなポイントというのは、男女平等と思うんです。八代さんは競争によって男女平等をということを言われたけれども、じゃあ、私は、非常に大きく問いたいのは、女の人たちが職場の中で男女平等を叫んだときに、男性たちからいつも出てくる言葉は、「自分と同じだけ働けるのか」という言葉だったじゃないですか。
本当に「玄関マットと同じようにできるのか」と言われながら、同じだけの賃金をという、これが競争政策の本質だと私は思うんですよね。やっぱり人間らしい働き方をベースにしながら、どう自立して生きていけるのか、こういう組み直しをしていくためには、やはり人権のルールを、土台をきちんと確立しなければいけないということだと思うんです。
そうでなければ、自由な移動もできません。例えば、パートから正社員に、正社員からパートにという、この移動をどう作るのかと言ったら、ジェンダーによる壁、男女による壁、あくまでも男性中心の仕組みを土台にして、企業のシステムが作り上げられているということでは、こんな移動はできませんよ。そういう移動を可能にするためにも、自由な選択を可能にするためにも、平等な、本当の意味で均等な待遇というものをどう確立していくのかという、その土台の所の整備が必要ですね。
土台の整備のためには、八代さんも言われていますが、性役割を土台にしたシステムを変えなきゃいけないと思います。年功賃金の合理性だとか、それはどうあるのかということはもっと議論しなきゃならないと思いますね。それが一概に不合理だと言えない側面もあるわけですから。しかし、「男は仕事、女は家庭」ということを基礎的な価値観に置いて、組み立てられてきている女性を排除するシステムというのは、根本から変えなければならない。それをできるかどうかということだと思います。
それから、最後に言わせていただきたいですけれども、こういう問題を労働者の能力で測られて、賃金が欲しければ、それだけの分だけ働けるかというのを問われるわけですが、私は、今までの企業の責任というのは問われなきゃいけないと思います。「コンプライアンシー」とかと言われていますが、今までの企業というのはとかく、法を守ったような、守らないような、どういうことかというと、法の網の目をいかにして潜脱して、法の趣旨を没却させるかという所に意欲を注いできましたよね。
だから、私たちのような法律家を見るにしても、「あの人は法の抜け穴を知っているから優秀な弁護士である」というような表現が行われる。いかに法を職場で守っていくのかというようなことを言いますと、「あれは使い物にならない」なんていう話になる。そういう社会が作り出してきたものというのを、根本から変えるためにも、ルールづけというのは必要だと思いますね。
■労使のルール作りに、女性や失業者も参画を■
辛 ちょっと補足しておきたいと思うんですけれども、ルールを作っていく、労使関係でルールを作るといったときに、その労使の中に女は入っていないんですよね。それから失業者も入っていないし、パートも入っていない。つまり、最も人権を侵害された者がルール作りの中にいつも入らないで、排除されてきたわけです。
だから、それを全部入れていかないと、新しいルールなんか作れないですね。その意味では、先ほど言われた、ルールを作っていくことが大事。でも、そのルールを作っていく所にまで行けない人たちが、大半なんだという所をどうするのかということが、今、問われるんじゃないかと思うんです。
ちなみに、私は、いろんな規制をするというのを「社会主義者」と言われましたが、私は官僚主義だと思います。その意味で言うと、日本はものすごい社会主義の国家ということで今までやってきたわけですよね。それだけ補足させていただきます。
竹信 分かりました。神野さん、「先ほど社会保障でカバーすべきだ」と八代さんは言われて、「労働市場の中じゃないよ」ということも言われましたよね。それについて異論はないでしょうか。
神野 何の保障でしたか。
竹信 「いろんなものは社会保障でカバーするのであって、労働市場の中での規制はスウェーデンでもなるべく少なくしているじゃないですか、そんなにはないでしょう」というような言われ方をされたと思うんです。
神野 その規制という意味がちょっとよく分かりませんが、スウェーデンの場合には、もともとスタートラインを同じにする、つまり機会の平等というのはきちっとしていますから、どんなに貧しい家庭にいようと、小さな家庭にあっても、豊かな家庭に生まれようと、まずスタートラインは全く学校教育と同じになっている。
途中で人生の選択を自分が誤ったと思ったときには、いつでもやり直しができるように、無料で、しかもこれは保険ではありませんので、政府が教育訓練手当てを出して、生活費をきちっと保障するというシステムができています。それは、規制にはならず、社会保障だと言われるということであれば、それはそうだろうと思います。
労働市場に対する規制ということは、ちょっと意味がよく分からない所がありまして。そこがちょっと分かりません。そういう意味で言うと……。
竹信 その辺、はっきりさせたほうがいいと思いますので、よろしくお願いします。
■厳格な雇用保障より規制緩和を■
八代 つまり、中野さんと私の意見の違いは、実はそんなにないと(笑)。それは結局、中野さんは「労働市場の適切なルールが必要だ。それは労働者を大事にするためには当然だ」と。私も全くそう思います。
問題は、今の労働市場の規制が、それからほど遠い状況であって、非常に社会主義的というか、官僚的というか、同じことですけれども、労使の自治を極力縛るような、労使が合意してもだめだというような、民法じゃなくて刑法みたいな考え方でやっている。しかも、その状況というのは非常に昔の状況を想定している。だから、もっと厳しくすべき規制は厳しくして、もっと自由にするというか、そういうミックスが必要になっているんじゃないか。
ですから、規制が必要か要らないかというような議論じゃなくて、どんな規制が必要で、どんな規制が要らないかということが大事だと思います。男女雇用機会均等法とか、そういう機会の均等のための規制はもっと強化すべきだと思います。
私は、1つのかぎは、差別の立証責任。今は、例えば雇用差別を受けたという人は、受けたほうが立証しなきゃいけない。これはものすごく難しい。ですから、企業が自分は雇用差別をしていないということを立証するように、立証責任の転嫁をする。こうすると、随分平等が進むと思います。これはなかなか受け入れられませんが。
撤廃すべき規制というのは、例えば、派遣法の規制のようなものなんですね。つまり、派遣法の規制というのは、派遣労働者と企業がそれぞれ合意して、「私はもっとこの企業で例えば2年ないし3年働きたい」、企業もこの派遣労働者を気に入って、「ぜひ働いてもらいたい」と双方が合意していても、政府の規制で1年以上同じ所に働いてはいけない。専門的労働者であれば3年。要するに、なぜ労使が合意していることを政府が介入して規制しなきゃいけないのか。それは「派遣労働が悪い働き方だ」と政府が一方的に決めているからなんですよね。
それはおかしいじゃないかと。もっと自由な働き方を、これからワークシェアリングの時代になれば、例えば、夫婦のうちどちらかがフルタイムで、どちらかが派遣で働くというようなことも当然起こり得るわけですから。
その意味で、すべてが世帯主労働者であったと考えるような時代の、完全に厳格な雇用保障の度合いは薄れているんじゃないか。そういう意味では、もっと労使の選択肢を多様化するような規制緩和というのが必要だと思います。
神野 よく分かりました。労働市場に関して言いますと、かなりのルールはあります。例えば、職務がなくならない限り首にできません。これはルールだということであれば、そういうルールはスウェーデンの労働市場にはかなりあります。
八代 日本では職務がなくなっても首にできません。
神野 それから、もう1つは、法律的なルールはともかくとして、ルールを労使で決めるときに、労働者の発言力が制度的に保障されているということです。
現在、株式会社の保育園というのが認められています。しかし、保育そのものは「バウチャー」(引換券)で配られますから、その「バウチャー」さえ持っていけば、株式会社の保育園でも無料で行けるわけですが、この株式会社の保育園というのはどういう保育園かと言うと、株主は全員教員です。教官が自らの教育理念に基づいて保育園を運営したいというときに株式会社になるわけで、日本の株式会社とは違います。
日本の株式会社制度の場合には、これは組合員が経営者になりますから、不当労働行為になるのではないかと思いますが、なりませんか、経営者になる場合。スウェーデンの場合には、経営に雇用者を参加させなければならないというルールで、これはご案内の通り、有限責任の特権を得た場合には労働者を参加させなければならないというルールは、ドイツも非常に厳しくなっています。
ドイツどころではありません。EUの社会保障憲章の中では、先ほど申しましたEUの社会経済モデルの中に入ってくるわけですが、何らかの形でガイドラインとして労働者の経営への参加を規定しています。それを批准していないのはイギリスだけですから……、イギリスだけかな。イギリスは批准していません。労働者が経営に参加するということが保障されている。
そうしないと、資本というのは、これだけ移動が激しくなりますと、すぐにフライトするわけです。事業について、何ら責任を持たない。一番困っているのは働いている人々ですから、その人々が当然、会社の運営や経営について発言し、権利を持ち、その代わり当然、逆に責任も持つということなるんだと思います。
竹信 分かりました。八代さんが言われたように、どの規制かなんだと思うんです。ご質問も大分来ていますけれども、その前に、どの規制なのかと、ちょっと簡単に言ってもらえますか。自分たちはこの規制が要るんじゃないかということをお1人ずつ簡単に言っていただいて、こういう規制が必要なんだと。辛さん、いいですか。分かりにくそうなお顔をされていたので……。
そういう規制を、これが必要なんじゃないかということを言ってもらって、一番最後に、ご質問の後で、それよりはもうちょっと幅広い立場で、今、これは大事だということを言っていただきたいと私は今考えているんですが、もしそれでよろしければ、端からお一人ずつ、自分の考えている必要な規制はこれなんだと、こっちはなくした方がいいというのを簡単に言っていただくと、きっと皆さんにもイメージが分かりやすいかなと思うんですけれども、いかがですか。じゃあ、神野さんから、いいですか。
神野 私のような考え方がありますが、その前に、規制というのは、先ほど辛さんが言われたように、日本だと、どうも官僚が決めたという規制になってしまいますけれども……。
竹信 規制の定義ですね。
神野 規制は普通は民主主義で決まるわけで、日本だと死語になっていますが、ヨーロッパでは「民主主義のために」というのが、NPOでも何でも民主主義のためにやる。株式会社制度にどうして移行させるのかというと、これは民主主義のためで、働いている者に権限を与えるために行うのだと言っていますので。
日本の場合には、「バイ・ザ・ピープル、フォア・ザ・ピープル、オブ・ザ・ピープル」のうちの、いつも「バイ・ザ・ピープル」が抜けるんですね。だから、私たちはどういう働き方をし、それをするためにどういうルールを作らなければならないのかということを、できるだけ国民が決められるように、そして、人々が働いている現場でルールが決められるようにしなければならない。
向こうでは、例えば、福祉施設でも、利用者が運営する決定権限を全部持っているわけです。日本の場合には統一的なルールで決められているわけですけれども、そうじゃない、利用者が決められる。そういう現場、それから会社ごと、それぞれに民主主義的に、つまりボトムアップでルールが決められるという仕組み、これはいくらでもあるわけで、その仕組みを作るということが一番重要だと思います。
竹信 分かりました。規制という言葉が何となく官僚主義という感じになってしまっているので、似たことなんですけど、ルールというと、きっと分かりやすいのかもしれませんが、中野さん、どうお考えでしょうか。