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【シンポジウム】

ワークシェアリングは働きやすい社会を可能にするか

【第2セッション】「多様な働き方を支える枠組みとは」



 ■人間性を否定されてきた「玄関マット」■

  発言というか、日本の社会というのは、企業では労働者というものを人間だと思っていないんですね。これに気がついていないのが男の人たちですね。男の人たちは、自分たちが働いているという、この働き方が実は虐待であるということの認識がほとんどない。ただひたすらぐっと耐えて、じっとこらえて、踏まれても踏まれても、罵倒されても、人間性を否定されても、ぐっと耐えて、そうやって働く「玄関マット」みたいな生き方をずっと強いられてきたわけですよ。

 そうすると、そういう「玄関マット」みたいな生き方を強いられてきた人たちの補助的な業務はどうなるのか。要するに、奴隷の下についた者は家畜みたいなものですよね。さらにその下に行くものはどうなるのかといったら、それはやっぱり、その存在そのものが否定されるわけです。

 一番分かりやすいのは、日本の近代史の中で、例えば、最も異質な人、異質な労働力と交わってきたのはどういうときなのかということを見てみたいと思うんです。2つぐらい挙げましょうか。

 1つは、大量に異質な労働力を必要としたのは、人手不足のときですよね。その人手不足は、戦中は強制連行という形で補いました。そのとき、それはやっぱり奴隷だったわけです。そして、戦後はどうなったのかといったら、人手不足はありましたね、バブルのときに。このときは、要するに日本の血を引く人たち、日系人を日本の社会に入れることによって補ってきたわけです。

 ところが、その人たちがこの社会で生きていけるだけの権利や環境を整えたのか、コミュニケーションギャップや民族性をきっちりと考えたのかといったら、やっていないわけです。つまり、それは、単に労働力として入れて、その労働力というのは人間ではないという、この発想ですね。使い捨ての意味ですよ。

 これが日本の企業の中でベースになっているんです。その中で働いていて、じゃあ、そこにいる人たちは本当に人間として扱われているのか。扱われているかもしれないと思っている人たちもいるかもしれない。だけれども、特権階級と言われている人たちも、実際には、その多くは犠牲によって成り立っているわけです。

 だから、そこら辺の認識がない限り、やっぱり新しいものは作れないだろうし、その文化をずっと継承し温存してきたのが、今の日本の企業の体質です。それを見事に表したのが忠誠心でございますね。先ほどは何か腰が抜けるような感じで聞いていましたが、そうですかと思いました。すみません。全然回答になっていませんが。

 竹信 大変分かりやすかったと思います。「玄関マット」だそうなので、「これから正社員も気をつけたいと思います」ということなんですが、八代さん、今、いろんなお話の中で、1つは、神野さんから「セーフティーネットの張り直しも必要じゃないですか」と、そっちをなくすんだったら、こっちを新しく作らなきゃねというご提案だと思うんですよね。

 それから、もう1つ、中野さんから「職務の確立の評価もちゃんとできていないのに競争させてどうするわけ」と。こういう疑問と、そのための技能の確立だって、どこでどうやっていいか分からないじゃないですかというご質問だと思うんです。

 それと、もう1つ、辛さんのは多分、もう少し文化的なものとか、人権の問題、基本的な人間として生きるということが働く場所にちゃんとあるのかという、かなり根本的な問題を提起されていると思うんですが、そういったもろもろの競争の前提になるようなものがないのに競争していいのかと、多分こんなような疑問が皆さんから出てきたのかなという気もするんですね。八代さん、それはどういうふうにお考えになりますでしょうか。

 ■ルールは競争の中から出てくる■

 八代 まず、順番に神野さんの所から行きますと、これは神野さんだけじゃなくて、多分、聞いておられる方も同じように私の言ったことを誤解されていると思うのは、私は、決して終身雇用、年功賃金を敵視しているんじゃないんですよね。むしろこれは高く評価しています。

 私は、日本的雇用慣行というのは、これまで企業内熟練を身につけるための非常に重要な武器であり、高く評価しているがゆえに、これをまさに無形文化財扱いしている今の法律がよくないと言っているわけで、保護する必要はないんです。これは立派なシステムですから。ですから、終身雇用、年功賃金の対象となる労働者は今後とも残ると思いますし、特に、ブルーカラーの人たちはまさに企業内熟練でしか技術を身につけられませんから、こういう人たちに対する雇用保障は当然必要である。

 しかし、問題はホワイトカラーです。特に、ホワイトカラーの働き方が、先ほど辛さんが言われた「玄関マットのような働き方」というのは、確かに過去にはあったと思います。それこそ忠誠心で、ひたすら我慢して、上司にどなられても我慢して、いつかは部下をどなり返してやると、そう思って忍耐してきた。

 しかし、こういう働き方は完全に時代遅れなんですね。個人のイニシアチブ、個人の創意工夫が企業にとっても重要な時代になっているわけですから、ただ「頑張れ、頑張れ」というような人たちは、もう要らなくなっているんですよね。

 ですから、その意味では、人権ということも、かなり今はいい方向に行っているんじゃないか。つまり、個人を尊重しなければ企業も利益を上げられないような時代になっているわけですから、過去の低技術の時代は、肉体的労働が非常に重要であれば、そういう我慢とか、忍耐とか、集団的忠誠心が重要であったけれども、これからはむしろ個人の能力を発揮する、個人の人権をきちっと保障することがむしろ企業にとってもプラスになるという、予定調和的かもしれませんが、そういういい方向に向かっていると思います。

 それから、中野さんの言われたことで、実は私も先ほど言うべきだった1つの共通点があると思うのは、今の日本の企業はあまりにも集団的に働き過ぎています。もっと個人単位化できるはずです。実は、私自身も外国の企業で働いたときに、全く日本と同じ仕事をいかに細かく分けるか、1人ひとりの責任でそれぞれの仕事をやる。こうすれば、個人の能力もよく評価できるんです。

 今の日本というのは必要以上に集団でやっていますから、個人の能力が測れない。ある意味では、労働者の中での所得再分配が行われていて、よく働く人がよく働かない労働者を養っているんですよね。

 私は20年間官庁にいました。そういう意味では、まさに労働者間の所得再分配みたいなことをやっているのが日本的雇用慣行の悪い面だと思いますが、そういうような形で、まさにいろんな矛盾が起きている。ですから、これをきちっと個人単位化するということは、ある意味では裁量労働ということにもつながると思います。

 先ほど、中野さんが「8時間以上働かせるのは」というふうに言われましたが、これはやっぱりブルーカラーのイメージであって、ホワイトカラーが個人の創意工夫でやるときには、きちっと個人単位の働き方をしておけば、それぞれの人がそれぞれの働き方に応じて賃金をもらう。自分は最小限の仕事しかしなくて、他にいろいろしたいことがある人はそれだけやればいいし、もっと働きたい人は長く働いて、あるいは、長く働くにふさわしいようなたくさんの仕事を抱え込んで、たくさんの給料をもらう。

 そういうことが、もっと個人と企業との契約によって、いわば自営業的な働き方をできるようになれば、今のような問題点はないんじゃないかと思います。そこはやはり、過去の慣行というのが、非常に同質的な、どちらかといえば肉体労働的な男性労働者ですね。そういうイメージでやられてきた。それが今変わりつつあって、むしろ女性が働きやすいような社会になっていく。女性的な働き方をする男性にとっても、高齢者にとっても望ましい社会になってきている。そこで競争の意味が出てくるわけです。

 ですから、「ルールがないから競争してはいけない」というんじゃなくて、ルールはまさに競争する中で出てくるわけで、今のような保護主義的な仕組みの中で出てきたルールをそのまま競争社会に適用したら、矛盾が起こるのは当たり前だと思います。ですから、あくまでも正社員の過度の雇用保障を前提に不安定な短期労働者を考えてはいけないので、そこは、これからは両側が歩み寄るわけですね。

 ですから、今の短期労働者が惨めなのは、その半面として惨めでなさ過ぎる人が多いわけで、言い方はおかしいと思いますが、ギルド的になっている、身分保障されている人たちがあまりにも多過ぎるから、その半面、いわば正規労働者がパートタイムとか非正規労働者を搾取しているのが、まさに今の日本の労働市場だと私は思います。

 資本家なんて日本にはほとんどいないわけですから、資本家の統計というのはあったら教えていただきたいんですが、日本は総サラリーマン社会です。今の日本の経営者というのは、みんなサラリーマンのなれの果てですから、その意味では一体化しているわけですね。

 ですから、資本家が労働者を搾取するというより、経営者になった正社員、正社員と経営者が、まさにパートタイムとか、そういう人たちとかなりの利害対立が起こっている社会で、これを今、流動化することで変えていくと、もっと平等社会に変えていくということが必要なんじゃないかということです。

 竹信 安全ネットの方は。

 八代 そのために、セーフティーネットの話になるんですが、セーフティーネットというときに、一番大きなのは雇用保険なんですよね。ところが、今、パートタイムとか派遣労働者は雇用保険に入れてもらえないんです。これは「失業しやすいから」というひどい理屈でして、まさに失業しやすい人こそ雇用保険に入れなければいけないのに、これははっきり言って、経営者と労働組合の方で決める労働省の審議会がまさにそういうふうにやっているわけですから、今の雇用保険、社会保険はあくまでも正規労働者のための保険であると。パートの人たち、派遣の人たちというのは最初から対象になっていないわけです。

 それから、年金、医療の社会保険も重要なんですが、これに対してはパートの人自身が反対している。なぜならば、正規労働者の夫の被扶養者としての社会保険を維持しつつ、その限度内で働くというのが最も得な仕組みになっているからです。大事なのは、賃金でも年金でも個人単位化する。1人1賃金、1人1年金で、夫婦がともにそれを合わせて生活する、それが本当の意味のワークシェアリングだと思います。

 竹信 ありがとうございました。すべてにお答えいただいたという印象はございますけれども、その中で、幾つか争点があると思うんです。ルールは競争の中でできるかどうか。その順番というのはどうなんだろうかという気がするんです。これは中野さんにお答えいただいたほうがいいかと思いますが、いかがですか。

 八代 ごめんなさい、そのときに労使が決めるということですね、政府じゃなくて。

 竹信 競争の中で労使が決めるということですね。

 ■自営業的な働き方は人間的か■

 中野 労使自治の中でルールを形成していくということは、とても重要な作業でありまして、社会的合意というのも、こういう労使の取り組みの積み重ねの中で出てくるのだろうと思います。法というのは社会的な合意ですから、そういった意味では、抽象的な意味では真実を言い当てているのだろうというふうには思いますけれども、ただ、今のお話を聞いていまして、自営業的な働き方、それが人間的な働き方とイコールで本当に結ばれるのか。

 例えば、女性が多く、パートタイム労働として就業している人たち、子どもを抱えながら、家族的責任を抱えながら働いている人たちが、こういう自営業的な請け負い、委託という形で働くときに、どういったハンディを負うのかということを考えていただければ明白だろうと思います。

 労働基準法による規制というのは、働き手が、市場からのダメージを受けることなく、人間として、尊厳をもって、ふさわしい生き方ができるようにということでルールづけたわけで、そういった規制というものから全く離れて、8時間労働制による規制というのは、まさにその中心的なものであると思うんですが、製造業だとか工場労働者、ブルーカラーを想定するんだという考え方も強力に唱えられてはいますけれども、1日8時間は収入のために、そして次の8時間というのは休息のためにあって、自由な時間が8時間は必要だという、この考え方はどういう労働スタイルをとったとしても普遍的なものだと思うんです。

 だとすれば、それにふさわしいルールというものがあってしかるべきだし、子育てだとか、あるいは介護だとかという家族的責任を負担している労働者が、それゆえに差別をされない、そして自立して生きていけるだけの制度というものが保障されるというのは、こういったものが厚く保障されない限りは、労働時間短縮もワークシェアリングと言われるものも全く進んでいかないというわけです。

 ですから、社会は、こういう時代に対応して、どう雇用を、私が言っている賃金とか、あるいは所得と仕事を公正に配分するか。そこにはやはり、おのずときちんとした社会政策というものが必要であるわけで、欧州におけるこういった政策というものを見ていますと、労使が作ればいいんだと、政府は介入するなというところからは、ああいったルールづけというのは生まれてきてはいない。おのずと私たちが支える政府が適切に介入して適切なルールを作るということが時代を進めていく大きなポイントだろうと思います。

 竹信 ありがとうございました。なぜワークシェアリングのときに、こういう議論が出てくるかと言いますと、短時間労働や労働時間を減らしていった場合に、その労働が劣化しないか、質が悪くならないかどうか、そのために何が必要かということを今ここで話し合っているということを、戻ってお話ししておきたいと思います。

 それでは、神野さん、セーフティーネットについては八代さんからもご説明がありましたし、それから、「私はちょっと神野さんとは違います」と八代さんが冒頭に言われた。つまり、「働きたい人はいっぱい働けばいいと思うので、残りの時間云々」みたいな言い方はちょっと違うような気もするというふうなことを言われましたけれども、その2つについてはどうお考えになりますでしょうか。





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