Top
朝日新聞社

www.asahi.com

ENGLISH
asahi.com
home  > シンポジウム  > ワークシェアリング 

【シンポジウム】

ワークシェアリングは働きやすい社会を可能にするか

【第2セッション】「多様な働き方を支える枠組みとは」



 ■冒頭発言■辛 淑玉
 雇用創出にもならない新カースト制度

 辛 こんにちは。辛淑玉です。中野麻美さんの後はいいなあ、私が穏やかに聞こえてとかって、思わず思ったりなんかして、今日はうれしいななんて思っているんですが、言いたいことを幾つかの方が代弁してくださったこともありますので、ちょっと違う角度からお話ししたいと思います。

 失業したら、今、日本の社会、終わりです。金がなかったら、勉強もできません。生きていけません。現実は、それがまだそのままの状態なんですね。にもかかわらず、今ではワークシェアリングという言葉が出てきました。ワークシェアリングと主に言っていた人たちは10年前、何を言っていたのといったら、「能力主義」と言っていました。弱い者は去れと言っていた人が、もう10年たったらワークシェアリングと。何か怪しいなという感じがとてもするわけです。

 一体、日本の雇用とは何だったのか、ここからちょっと考えてみたいと思うんです。日本の雇用は、少なくとも17年間、企業内研修をやって私が見てきた範囲内で申し上げると、ごく一部の技術職を抜かして、そのほとんどは何でもできるゼネラリストを入れて、そして、明文化されない人間関係によって仕事を配分していたわけです。何でもできるやつを入れるんですよ。それで、人間関係で仕事をこういうふうにして配分するわけです。

 だから、失業したりしたら、人間関係に崩壊した人という烙印を押されます。烙印を押されたら、その後の人生はスパイラルダウンをするしかないわけです。だって、人間関係が大事なんですから。能力じゃないですよね。だから、人間関係を維持するためには、5時までは拘束時間、5時からが人間関係を維持する時間になるわけです。それはやっぱり遅くまで働かなきゃいけない。

 談合社会というのは、そういう組織の安全保障システムでもあったわけです。だから、成功する必要はなく、失敗さえしなければよかった。過去の繰り返しをやってきた。そして、一番男社会で耳にする言葉、企業社会で耳にする言葉は「前例がない」です。だから、新しいものなんか生まれっこないわけですね。

 そこに出てきたのが能力主義です。猫もしゃくしも能力主義が出てきました。能力主義を言って、じゃあ、切る側はどうだったのかというと、「あんたはこれからリストラ担当だ」と言ったら、その人たちには切るだけの能力が一体どこにあるのかと思うわけです。切る側は順送り人事です。切られる側と採用する側に能力を求めました。

 そして、この能力主義というのが異常にうそっぽかったなと思うのは、経営者の能力が測られたことがないわけです。株主によっても測られないわけですよね。ですから、首を切られる人たちというのは、基本的に権力から遠い人間が切られていきました。結果として残っていったのは、マネジメントという名のある種のカースト制度のような相対的上位に立った人たちの正社員が残ったわけです。

 こうやって残った人と切られる側、権力から遠い側が切られていった。その中で出てきたのが「起業家精神」です。この「起業家精神」というのはまたすごく怪しくて、経済の新聞とか雑誌とかを見ていると、みんな「起業家精神、起業家精神」と言いますけれども、ほとんどが「起業家イコール会社経営」という考え方を持っていて、だから、ノンプロフィット、NPO(非営利組織)とか、そういったものを起業するといったものは起業家精神という形の中にはなかなか入ってこなかったわけです。

 例えば、アメリカのシリコンバレーなどの先端地域では、スタンフォードであるとか、バークレーなどの有力大学でMBA(経営修士号)を取った人たちが、NPOで生き生きと働いている姿をたくさん見ることができるわけです。じゃあ、アメリカのMBAはものすごく価値が下がったのかとか、アメリカだからノンプロフィットなどがはやっているんじゃないかという言い方をされるかもしれませんが、むしろそうではなくて、経営能力とか、そういった技術が単にビジネスの経営者だけのものではないということがここでは見られるのではないかと思うわけです。

 ワークシェアリングにちょっと入って行きましょう。このワークシェアリング、これを聞いた瞬間に、「ああ」と思ったんです。実際に、こういう方向でいきたいと言われていることと、目の前で起きていることはかなりの差があるような気がしました。

 例えば、そのワークシェアリングの中には経営者のワークシェアは入っていないんですね。いつでもそうです。シェアリングできるのはブルーカラーばっかりですよ。ブルーカラー、それから賃金の安い所です。賃金の安いところはみんなシェアしましょう。ところが、特権階級のところのワークシェアは全く考えられていないわけです。

 だから、言っている人たちというのは、その大半が、自分たちの既得権はちゃんと守りながらシェアしようという、何となくこちらの心に届いてこないのは、そういう所にあるんだろうと思うわけです。

 今、男と女の賃金格差は100円対60円、それから、パート、アルバイトと正社員の賃金格差は100円対約50円です。100円という言い方をするからちょっと分かりづらいでしょう。100万円の人がワークシェアリングして75万円になったら、これは生きていけますよ。でも、5万円の人がワークシェアリングして3万五千円になったら、これは生きていけないわけですね。そうすると、より低賃金の方がワークシェアリングになっていって、そこら辺は、食べられない社会が出てくると。

 じゃあ、「この中で問われるべきことは何なのか」と言ったら、ちょっと極論で申し上げます。少し後で補足説明をしたいと思いますけれども、有能でない男の人たち、この間、「無能な男」と言ったら、男の人が「おれは無能ではない」と言って、大抵そういうふうに言う人に限って無能な人が多いんですけどね(笑)。有能な男もいます。

 でも、無能な男の人たちの高額な賃金保障、これが問題なわけです。無能で仕事ができないけれども、男であるということによって、そしてマネジメントしているということによって、すごく高い賃金を取っている。これを維持していくという、この構造そのものが非常に問題で、それを維持していくために様々な弊害がでているわけです。 じゃあ、これをどうにかしていかなきゃいけないと、そういったときに出てきたワークシェアリングという物の見方。そうすると、いろんなものをやっぱり変えていかなきゃいけないんじゃないかと思うわけです。

 現在行われているワークシェアリングと呼ばれるもの、これは、自治体などの一部を除いて、「正規社員の格下げ的天下り」なんです。それから、これは新しい雇用創出にもなっていない。言いかえれば、格下げされた労働者と正社員として残った労働者という新しい2つのカースト制度をまた作り上げていったと。どんどん、どんどん2級市民、3級市民、4級市民、5級市民というのを作っていくと。その下に位置するのが、私たちのような、新しく入ってきた「ニューカマー」のような外国籍住民の労働力になっていきます。これをどう解消していくのかというのは、この後、議論をさせていただきたいと思います。それでは。

 竹信 ありがとうございました。似ているところと似ていないところと、辛さんの「有能でない男の人の雇用保障」というのは、八代さんの「雇用保障を何でもするのは間違いだ」というのとちょっと似ているところもあるし、違うのかもしれませんが。

  いえ、私は時々似るなと思いますね(笑)。本人は嫌かもしれませんが。

 竹信 どうぞ。八代さん、ご意見がおありのようです。

 八代 実は、辛さんの立場は私はよく分からないので、ちょっと置いておきまして、非常に明確な中野さんと実はご議論したいんですが……。

  背中を向けないでくださいね(笑)。

 ■規制こそ賃金格差を固定する■

 八代 中野さんは競争ということに対してどう考えておられるのか。つまり、例えば、有能な女性が無能な男性を排除する競争というのは悪いことなのかどうか。

 それから、要するに、競争するとどんどん惨めになっていくというようなイメージで語られているんですけれども、日本がこれまで豊かになったのは競争のおかげなんですね。社会主義国はどんどん貧しくなっていって、ついに崩壊した。日本は、世界の自由貿易体制の中で一生懸命働いて、アメリカとかヨーロッパと競争して、ここまで行った。これは労働市場だって同じことなんですよね。

 ですから、競争がない社会というのは既得権の社会であって、例えば、いい大学を出て、いい会社に入ったら、一生そのまま雇用が保障され、賃金も自動的に上がっていく。そういう人たちの高い賃金を保障し、雇用を保障するために、パートの人たちとか派遣の人が、どちらかと言えば低い賃金になっている場合もある。そういうときに、この状況を直すためには競争しかないんじゃないかとまず思うわけです。

 それから、放っておくと、どんどん低賃金の人が良い雇用環境である正社員を駆逐するということをさっき言われたんですが、これは別に中野さんだけの考え方だけではなくて、今の派遣法が、例えば「常用代替」という表現を使っていまして、悪い働き方の派遣労働者が良い働き方の正社員を代替すると、これを防ぐために派遣労働者を規制しなきゃいけないという考え方があるんですよね。

 私、この考え方というのは保護主義そのものではないかと。正社員というのは長い間経験を持って、ある会社のために働いているので、なぜそんなに簡単にパートや派遣の人に代替されるのか。もっと自信を持つべきであると。きちっとまじめに働いている人は、パートや派遣の人を何も恐れないんですよ。仮にパートや派遣の人が来てくれたら、そういう人たちに典型的な仕事をやってもらって、自分はもっと創造的な仕事ができる、労働分業ですね。それで生産性を上げて高い賃金を要求する、これが本来の正社員のあるべき姿なんです。

 ですから、パートや派遣の人が来たら自分の仕事を取られてしまうという正社員こそ、先ほど辛さんが言われた問題のある正社員であって、それは競争を恐れる正社員なわけです。ですから、企業から見れば、労働者の賃金は安ければ安いほどいいというのは、これは非常に前近代的な社会の話で、今のサービス社会は労働者の能力こそが重要なので、その能力のためにはどれだけ賃金を払ってもいい。労働者の同質性が最も薄れている社会なんです。

 かつてのような製造業、農業の時代は、労働力は同質性と考えてもいいんですけれども、今は非常に労働者は多様な存在であって、高い能力をもって高い賃金を要求する人、そうでもなくて低い賃金を要求する人、いろんな働き方があるわけで、社会主義国みたいに、「労働者、人間はみんな同じなんだから同じ賃金を」という時代ではないわけなんです。

 ですから、そういう意味で、競争ということをもっと労働市場に入れることこそ、どちらかというと弱い立場にある女性が、もっと対等な賃金を要求するときにプラスになることであって、逆だと思うんです。規制こそ、むしろ今の賃金格差を維持するものであると。これに対して、ぜひコメントいただければと思います。

 竹信 中野さん、どうでしょう。その前に、順番にいきましょう。神野さん、中野さんで……。

 ■高度成長の原動力は競争ではなく協調■

 神野 現場を経験してきた者の立場からコメントさせていただきますと、まず最初に、これは八代さんといつも言っているんですが、現在の日本のような高度成長をなし遂げてきたのは、競争のおかげでなくて協力のおかげなんですね。競争の社会にした瞬間に惨めになっただけの話ですから。

 それと同時に、ワークシェアリングの前提として、これは全く八代さんがおっしゃっているとおり、同一職務同一賃金、フラットというふうに言ってもいいかもしれませんが、それは企業内の賃金体系も同じことです。企業内の賃金体系も身分制になっていますので、身分制を廃止していくことは、ワークシェアリングとは無関係な問題だとは思いますが、そのことは非常に重要だということですね。

 賃金そのものも非常に大きな問題になりますが、私の感じでは、賃金は逆転する場合もあります。私は、労働市場が非常に逼迫していた昭和40年代に行いましたが、このときには完全に、季節工とか、臨時で雇うような人々の市場というのはスポット市場ですから、各会社が競争でスポット市場の賃金を上げていきますので、入社8年後ぐらいの賃金は軽く上回ってしまいます。

 したがって、もちろん賃金の差別というのは非常に問題になるわけですけれども、やっぱりこの身分制を規制している一番大きな問題というのは、社会保障が分断されているというやり方ですね。しかも、この社会保障が、先ほども議論になっていましたけれども、企業内福祉、もう1つ、企業内教育ですね、つまり、能力も企業内でやっていくということと密接に結びついているということだろうと思うんです。

 したがって、雇用保障は非常に問題だと言われますけれども、雇用保障が行われているというのは、ごくわずかな企業だと言ったら言い過ぎになるかもしれませんが、終身雇用というのは大企業に限られていました。少なくとも、日本のすべての企業が終身雇用をとっていたのではなくて、かなりの企業はそれをとることさえできなかった。そういう格差が問題だと思います。

 八代さんが言われるようなことは全く同じなんですが、八代さんに補完をさせていただければ、そうした終身雇用を崩すのであれば、これまでやってきた企業内福祉、企業内教育にかわる「社会的なセーフティーネット」と、「社会的なトランポリン」と言うと変ですが、教育システム、いつもやり直しがきく、リカレントでできる、先ほど辛さんが言われていたように、いつでも、だれでも、ただで教育のやり直しがきく社会的なシステムが準備されていないといけない。

 人間はだれでも向上したがる欲望を持っていますから、その職務をずっと続けている限りは、職務給であれば変わりませんので、「今の職務よりもステップアップしたい」と言ったときには、いつでもステップアップができる。そのために、社会的に、いつでも、だれでも、ただで、そして生活費が保障されるような形で、ステップアップするための機会が与えられるというシステムが片一方で準備されていないといけない。終身雇用をやめるといっても、そのシステム全体の一部を壊してしまったのでは、社会全体が崩壊するのではないかという危惧を感じます。

 竹信 雇用の裏に社会保障ありということだと思いますが、中野さん、早速、うずうずしているようで……、反論してください。

 ■ルールなき競争政策が問題■

 中野 競争一般の話ではないと思うんです。問題は、「ルールなき競争政策」というものが、いかにして不正義を生み出しているかということを申し上げているわけです。そして、有能、無能ということによって物事が測られるということ。これについても、日本の働き方を見る場合に、1つだけ重要な問題が無視されていると思います。それは、その人が担当している職務というのは一体何なのかという、労働契約の中における職務概念というのが全く確立されていない中で、有能か、無能かを測る物差しというのが一体あるんでしょうか、ということを申し上げたいんです。

 今までのようなやり方で有能、無能というふうに言われれば、それこそ差別的な評価というものが導入されて、そして不公正が生じる。だから、それに対して、差別をなくす、均等待遇を徹底するということが重要だということが言われてきたわけです。そういったものがないにもかかわらず、「ルールなき競争政策」を導入するということについては問題であるということを申し上げているわけです。

 それから、もう1つは、仮に職務概念というものがきちんと確立されたとして、その対応できる職務を遂行するに当たって必要な技能というものを、彼あるいは彼女が身につけられるのかという問題です。特化された技能というのは、非常に陳腐化しやすいです。普遍的な、いろいろな時代の変化に対応して自己を開発していけるという基礎的な力が必要になるんですが、そういった職業形成上の基礎的な力というものを、日本の社会が育んできたとは言えないと思います。

 派遣労働の世界でも、3年で陳腐化していく技能、それに対応して賃金を減少させないために、どれだけの苦労をさせられるかという実態を見ていますと、やはり技能養成のための社会的なシステムというのはとても重要だと思うんです。

 こういう社会のセーフティーネットがない中で、能力だけを物差しにされて、ひたすら働く者の個人責任が問題にされる所で、一体、職場は活性化するのかということを申し上げたいです。ひたすら自分を守ろうとする職場が、みんなとの協同の中で、一つの貴重な情報を生かして、企業のために貢献できるような働き方というものを生み出すことができるでしょうか。また、未来の生活に安心感を持てないような所で、その職場を大切にするでしょうか。そういう企業を大切にするでしょうか。

 臨時・非常勤で働いている人たちはみんな言います。「気持ちを切りかえないと働けない」。どういうふうに切りかえるか。「安い賃金分だけしか働かない。職場においては協調しない。お客が来ようと何であろうと、すぐ帰る」。こういったことで、仕事に対してアイデンティティーを持ち、貢献できるという労働者は作れないと思います。

 竹信 ありがとうございました。多分、八代さんも反論があると思いますが、辛さん、そういった人たちや移民の方々などの立場からだと、今のご発言をどうご覧になりますでしょうか。





Homeへ | 画面上へ