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【シンポジウム】

ワークシェアリングは働きやすい社会を可能にするか

【第1セッション】 オランダの挑戦と日本の試み



 ■多様な働き手の支えが不可欠■

 久場 ワークシェアリングを定義通り、要するに、1人当たりの労働時間を短縮して社会全体の雇用を作っていく、そういうワークの分担・再分配だととらえると、そういうワークシェアリングは高齢社会でこそ要請されるようになるのではなかろうかと思っているのですね。

 ウォルフレンさんが高齢社会に向かないとおっしゃったその角度と、私がむしろ高齢社会こそ、そういう枠組みが必要になるのではないかというのとはちょっとずれているんですが、私が言いたいことは、要するに、もうはっきりと少子高齢社会、大國さんがおっしゃったように、たくさんの高齢者の暮らしをどのようにだれが支えるのかという、それをとりますと、明らかなのは、女性であれ男性であれ、若年者であれ高齢者であれ、あるいは国籍にこだわらず多様な働き手が一緒になって支えなければ、もうどうしようもないということ。それは本当にしっかり見えているわけです。

 例えばジェンダーの問題が出てくると、これはまたこういう社会が出てくるということにつながっていきます。それは時間不足の社会だと思うんです。みんなが働き、かつ地域の活動を担い、それから家庭の子育ても男女にかかわらず担い合うというと、時間に関するニーズが大変に高まっていく社会になるわけです。

 そうすると、1つはサービスへの需要が高まりますね。ただ、家庭の中で子育てするだけでなく、公共サービスとして教育であれ子育てであれ、そういう形のサービスを充実しなければいけないという問題も出てきますし、NPO(非営利法人)だとか家庭での子育てだとか、とにかくいろいろな形態でのサービスが必要になってくるということだと思います。

 そういう中では、やはり働き手1人稼ぎ手モデルに見られるように、男性中心のそこにだけ資源も時間も集中させるようなモデルは合わないので、それを分散させて、皆が時間を有効に使い合う社会になるのではないですかということで、高齢者対応を考えています。

 竹信 ウォルフレンさんは、先ほどおっしゃった意味合いをもう少し詳しく展開していただき、また、今、久場さんのおっしゃった意味合いに反論がありましたらお願いします。

 ■「ワークシェアリングは間違いだった」のか■

 ウォルフレン 私は、久場さんがおっしゃった意見に全く反対のことを申し上げたつもりはないのです。私もまた、1つの可能性として、サービス産業が多様なサービスへの要求が出てくることで拡大してくると思います。しかし、日本はこの面ではちょっと遅れているという気がします。製造業と比べると、少なくとも日本の経済当局の考え方では、サービスはどうもそれほど重要ではなかったということです。

 系列企業・大手企業ということになると、おっしゃる通りだと思います。先生が指摘されましたように、仕事の1つの大きな領域でまだまだ開発されていない部分があるということで、大きな可能性があると思います。

 高齢社会の問題を、なぜ私があえて申し上げたかと言いますと、経済学者と私はオランダで日本に来る前に話をし、そして1年前から労働問題の専門家や経済学者とオランダでいろいろ議論をしてきました。と言うのも、私は、日本の例えばブリュッセルやロンドンの特派員から「オランダモデル」についての意見を聞かれて、実はそれまではオランダは日本にとって、世界にとってモデルになるような国であるとは知りませんでしたが、初めて聞かれたわけです。そこでいろいろ勉強してみました。

 こういう理論だけではなく、実際的な面に熟知している経済学者たちいわく、自分たちの社会から見ると、「ワークシェアリングは間違いだった」ということです。3人の経済学者が異口同音に同じようなことを言いました。「これは間違いだった。なぜならば、高齢化の問題にぶつかってしまうからだ」ということなのです。

 日本の事例を私が出すと、彼らいわく、「世界の報道から見ると、日本について高齢化する就労人口の問題を抱えていることは分かっている。もし、オランダのワークシェアリングシステムを日本に適用したならば間違いになるだろう」と言うわけです。「かなり調整が必要だろう」とも言っていました。

 もちろん、この場内にいるだれもが、日本の機関が100%オランダの考え方を導入し、それを実行するとは思っていないでしょう。日本人は、これまで学ぶべき点、参考にすべき点を選び抜いて、うまくそれを適用させてきました。

 しかし、今まで話してきた、特に才能豊かな3人のパネリストの方々がおっしゃったことは、1つの背景で考えなくてはならない。それに対しては、答えは私から見るとまだ出ていないと思います。すなわち、なぜ基本的にこのような制度を日本で求めているのか。なぜ導入したいと思うのかということです。

 企業の雇用主側の負担を軽減するために導入したいのか。終身雇用制度から抜け出すために必要だと思うのか。つまり、不必要な労働者を整理するために必要なのか。将来、より多くの企業が実質より安い賃金を支払えるようにするためなのか。より壮大な1つの試行の中で、社会構造改革をするために必要なのか。

 もし、最初の点が求められているのであれば、これは日本の企業、日本の人々にとって大変残念なことになると思います。日本の家庭にとっても、日本の従業員にとっても、決してプラスにはならないでしょう。短期的には、コストは下がるかもしれません。

 オランダのこの事例がこの面でもし価値があるとするのであれば、オランダ本国では、企業側としてもちょっと驚いたのですが、コストは結局、上がってしまったということです。例えばパートの2人、または派遣社員を2人雇ったほうが結局、最後には高くついたと分かったのです。日本の場合、雇用の形態がちょっと違うのかもしれませんが、オランダの企業にとっても大きな驚きでした。

 企業はワークシェアリングの導入を後悔しています。あまり公言はしませんが。そこが基本的な問われるべき点なのではないでしょうか。何のためにこの制度を導入したいのか。財務的に、または賃金面での企業負担を軽減するために導入したいのでしょうか。または、導入は社会産業的な構造を変え、多くの問題の解決に資するために導入したいのでしょうか。

 もし後者であれば、かなり議論することは当然、価値のあることだと思います。しかし、前者の動機ならば、企業側はいずれにしてもできることはすべてすることになるでしょう。そうなれば、労働組合は自らを再活性化し、力をつけ、例えば臨時就労者の今までしなかった代弁をしていくことになろうかと思います。

 竹信 分かりました。大國さん、賃金を安くするためなのかという議論も出ていますが、大國さんの立場からすると、どういうために何をしたいのでしょうか。

 ■社会の変化に応じて、様々な人が働ける仕組みを■

 大國 ちょっと個々のご質問があるので、それについての見解を少しだけまず申し上げます。コストを下げるためかということですが、これは日本の社会、各産業、いずれもコストを下げようとしています。これは当然のことで、日本のすぐ横には20分の1、30分の1の労働力(賃金水準)のある国があって、今も怒涛のごとく空洞化しています。これを何とかしなければいけないということは、当然のことながら、経営としては考えているわけです。しかし、ワークシェアリングだからこれでうんと下げてやろうということはありません。日本の流れとして賃金は下がっていく方向にあるだろうと私は思っているということです。

 それから、今のご質問の中で、女性や障害者、そういう社会ができるのかということについて申し上げますと、私も先ほど申しましたように、日本の労働力がなくなってくる、高齢者をどうするんだと。これは皆さんが同じようなお考えだと思います。したがって、いろいろなテクニックを考えながら、高齢者が働けるようにする、それから、女性も働けるようにすることがこれからの当然の流れだと思います。

 今、不況の最中だから、そこに割って入って失業者を入れましょうということは頭では考えても、現実にそういうことはほとんどあり得ないだろうと思っています。もう数年、あるいは2、3年後かもしれませんが、日本の労働事情は大変わりに変わってくると思うので、そのときのためにワークシェアリングという概念をしっかりと持って対応すべきである。

 これは必ずしもオランダのモデルを全くそのままコピーするということではなくて、日本的なものをしっかりと踏まえてやっていく必要があるだろうと思います。

 特に、女性の場合は、今までの日本の社会、特に製造業の場合ですが、男性用にできていた産業だったと思います。どう考えても、私どもの紙をすく現場が女性主体で操業できるとはとても考えられません。あるいは、鉄のことはよく分かりませんが、何回か見た中で鉄鋼の高炉作業が女性に適しているとはとても思えません。しかし、これから日本が、産業が、いろいろな面で社会が変わっていく。多分サービス産業が増えていくわけですが、それはまさに女性にとってはいかようにも働ける。もちろん男性もいかようにも働ける。そういうもので男女の差別がないものと思います。

 それから、特に介護の問題、あるいは出産や授乳というものは絶対に男性はできません。これらは明らかに女性がやるべきことであって、これがやれるような社会の仕掛け、設備については、もっと国も民間企業も考えるべきではないか。

 社会保険のシステムについても、もっともっとやるべきことが、まだほとんど手がついていないと言ってもいいぐらいの問題、それが日本の特殊出生率の減少に直結している問題だろうと思います。

 そういうことで、高齢社会に向かないという考え方は私も持っていません。いろいろな人に使えるような仕掛けがあるはずだと思っております。

 竹信 賃下げのためではない、要するに社会構造の改革、サービス業が出てくる、そういった社会的変化に応じて、いろいろな人が働ける仕組みを作るためにやるのだということは、ほぼ合意という感じがしますが、龍井さん、「そもそも、労働組合はこれまで正社員男性オリエンティッドだったのではないか」という批判も出ています。これからどういう方向を目指していきたいと思っていますか。

 龍井 先ほど申し上げたように、だれとだれが何を分かち合うかと言った場合、幾つか答えがありますが、時短を通じて雇用を作り出すのも1つのやり方。もう1つは、連合・日経連の共通ペーパーにも出てくるのですが、労働時間、雇用、そして賃金の適正配分をしていこう。つまり、先ほど私が言った「3つのアンバランス」は、まさにそれがいびつになり、歪んでしまってもたないということが私の理由です。

 労働組合の建前だけで言うと、「仕事に就けている者が就けない人に」というのは、実は働く者の連帯の話です。ですから、経営者に言われてしぶしぶ応じるものではなくて、本当に我々が提起すべき問題、そういう質の問題だと考えています。

 そこで、後段の話ですが、高齢社会と言うときに、いかにも社会保険システムとかいろいろなことでの支え手の問題、労働力人口の問題が、ついマイナスに見られがちですが、私は支え手だけではなく、実は共通に参加していける社会をどう作るかが一番の課題であると思います。今の女性のとらえ方もそうなのですが、厚生労働省が「高齢者の活用」「女性の活用」と言うのは全く逆転した話であって、その人たちが、今までのそれこそ青年男子あるいは組合の今までのパターンで言うと「男子製造業正社員の本工」が、働き方の労働者像のスタンダードであった時代から、そうじゃないんだとなったときに、そこで初めて働き方の選択肢の問題が出てくるわけです。

 別の言い方をすれば、「食えれば」という大前提がつくのですが、「何で8時間がスタンダードなのか」と。6時間で食えればそれに越したことはないですよね。でも、正社員と言ったときに、なぜ8なのか。もちろん、これは歴史があって、10に戻すという意味で言っているのではないんですよ。12、10ときて8なのだけれども、いまだにそれがスタンダードだということ自体も、今言ったバランスを再構築していく、組み直していくと言った場合にそこまで問われているのではないか。そのように考えたいと思います。

 竹信 なるほど。ただ、「食える」という非常に重要な所に今なってきていると思いますが、食べられるシステムでワークシェアリングをやるということは、日本の場合どのように可能なのかはかなり大きなポイントになってこざるを得ないと思います。やりたいという合意は今、大体皆さん一致していると思いますが、それがどのように可能か。龍井さん、その部分はどのようにお考えでしょうか。

 ■「個人化」は再生産と対立するか■

 龍井 多分0.5モデルはなくて、やはり再生産できる1は超えなければいけない。最低1ですよね。2人でしたら、私が久場さんとちょっと違うのは、私が先ほどからこだわっている再生産モデルで言うと、次世代を再生産するモデルでなければいけないと思っているので、「個人化」という道はあまりとりたくないのです。そうするとどういうことが考えられるか。

 1.1、つまり私はまだ単身者ですが、1人が子ども1人を育てられる。これはかつてなら難しいのですが、今のような出生比率であれば、とりあえずモデルとして考えれば、それがスタンダードであり、いろいろな社会保障システムや賃金上の基準になっていく。

 これが個人となっていくと、税制の問題も含め、「スウェーデン型」とあまり乱暴に言ってもしようがないのですが、社会保障で教育費から住宅から介護からありとあらゆるケアを全部社会化するとなれば別ですが、育児や一部の保育の所については、全部アウトソーシングではなく、やはり最低限の単位というものを考えていくと、それは1.1であれば、くっつこうが離れようが別にいいわけで、そういうものを基礎単位にしていく。

 したがって、私の言っているのは、そこの最低限の保障は、年収であれ時給であれ絶対保障しなければいけない。これはすぐに答えが出ないのは、ケースA、ケースBでどこまで社会化するかということと連動してくるので、ケースを分けて考えたいと思いますが、ただ、ここは個人でなく考えたいということだけちょっと言っておきたいと思います。

 竹信 久場さん、今、「個人じゃないですか」と言われていますが、いかがですか。

 久場 これは非常に難しい問題を含んでいると思います。私と違うとおっしゃったのですが、違うような違わないような気もしています。もう少し詰めなければいけませんが、先ほど申しましたように、女性も新たに労働市場に出ていって、半端な働き方ではなくきっちりとした賃金を得ていく。そう考えると、再生産の部分は、今までの男性の働き方を変えないと──変えざるを得ないですよね。

 ですから、再生産は龍井さんがもし個人化ではないとおっしゃったことの中にこういうことも含めているとすれば、ちょっとそれは違うのではないかと思いますのは、「再生産は1人ひとりの単位で再生産が保障されなければいけない」と私は思っているのです。

 つまり、その1人ひとりが、「別に私は子どもを産んで育てていません」とか、「私は男だから」と、こういうことに関わりなく、人生の長い間に親族でなくても、血縁でなくても、自分の子どもでなくても、ケアにかかわることは十分あり得るし、そういうふうにケアの責任を広げて見ていけば、要するに個人の単位で既にケアの責任を入れて考えるということで、「個人化」でいいのではないかと思っています。

 竹信 なるほど。大きく違っているという気はしない気がいたします。

 久場 そうかもしれません。

 竹信 ただ、1人ひとりのスタンダードを確保する、最低限食べられる基準、多分そういったものだと思うのですが、そうすると、大國さんの場合は雇用者・経営者の方ですから、そういったものを保障するということについてはどうお考えでしょうか。

 大國 今の日本の生活水準は世界各国の中で決して劣っているものではない。生活というものについては、やはり個人の責任の中で十分やれるような時代に日本はなっているのではないかと思いますので、ちょっと私も意味がよく分かりませんでした。 <

 龍井 それは、単純に8時間ではなくて7時間、6時間で──先ほど久場さんが「食えるか」という、今の水準の話ではなくて、そういう働き方を選んだときに「食えるのか」と言ったときに、「今は食えないな」と。

 竹信 そこで見解がちょっと対立しているわけですよね。大國さんは、今の水準でもう十分行っているはずだということですね。

 大國 十分とは思いませんが。人間の欲は無限にあります。ですから十分ということは決してありませんけれども、今の日本の給与水準が全くだめだというようなことは決してないと確信を持っています。

 竹信 ウォルフレンさん、ちょっとおっしゃりたいことがあるようですが、よろしいでしょうか。





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