トップページ文化・エンタメニュース一覧高橋是清邸で実感する2・26事件
ニュース詳細

高橋是清邸で実感する2・26事件
2月22日 22時57分

高橋是清邸で実感する2・26事件

まもなく2月26日。
77年前のこの日、青年将校たちが千数百人の兵士と共にクーデターを起こしました。
いわゆる「2・26事件」です。
日本の金融政策に力を尽くしながら、この事件で襲われ命を落とした当時の大蔵大臣・高橋是清について知ってもらおうという展示が、是清の邸宅が復元されている東京・小金井市の江戸東京たてもの園で行われています。

“ダルマさん”=高橋是清

“ダルマさん”=高橋是清

高橋是清は明治から昭和にかけての政治家、経済人です。
13歳でアメリカ留学を命じられて渡米しますが、そこでだまされるなど苦労を重ねて帰国。
官僚として採用されたあとも、そのキャリアを中断してペルーに渡るなど経験を積み、明治25年に日本銀行に入りました。
その後、頭角を現した是清は、副総裁のときに日露戦争での戦費の調達に功績を挙げ、58歳で日銀の総裁となります。
政界に入ったのはこのあとで、総理大臣を1回、大蔵大臣を6回も務めました。
前任の総理大臣だった原敬の暗殺、深刻化する金融恐慌、そして日々、濃さを増していく戦争の影。
その風貌から「ダルマさん」と呼ばれて親しまれる一方で、その人生は波乱に満ちていました。

是清と2・26事件

是清と2・26事件

小金井市の江戸東京たてもの園には、赤坂にあった是清の邸宅の母屋部分が移築・復元されています。
多忙を極めるなかで、この家での食事や家族との団らんを何よりの楽しみにしていたという是清。
武装した60人余りの兵士が押し寄せ、その命を奪ったのは、昭和11年2月26日午前5時すぎのことでした。
当時81歳の是清は、大蔵大臣として恐慌からの脱出と経済状況の正常化を目指していました。
軍備の縮小にも取り組んだため、陸軍からの反発を受けていたのです。
たてもの園では、この邸宅の一部を会場として、是清と2・26事件について知ってもらうための展示を行っています。

緊迫した事件の一端が

緊迫した事件の一端が

この中では、兵士たちが玄関を通って書生や是清の長女たちを脅しながら2階に上がり、銃や刀を使って是清を殺害した際の経路などを、パネルを使って分かりやすく説明しています。
また、事件が起きた日に出された号外(同日午後8時15分陸軍省発表に基づく)には、是清は即死ではなく「負傷」と記されています。
天皇からの信頼が厚く、国民にも人気があった是清が即死だったと公表することを、陸軍がためらったためという説もあるということです。
このほか、兵士に投降を呼びかけるためにまかれたビラなども展示され、当時の緊迫した状況が伝わってきます。

その死を惜しんで

その死を惜しんで

投降した青年将校らが処刑されたのは、この年の7月。
是清の葬儀が築地本願寺で営まれたのは、それに先立つ3月26日でした。
陸軍の統制によって、葬儀は事件から1か月後になったといいますが、そこには大勢の一般市民が訪れ、焼香は1時間も延長されました。
江戸東京たてもの園の松井かおる学芸員は、「今回の展示では、事件当日の襲撃の様子を裁判記録などから確認し、関連の資料も紹介しました。併せて是清が過ごしていた邸宅を見てもらうことで、その暮らしぶりを体感してもらえれば」と話しています。
この展示は、5月12日(日)まで行われています。

[関連ニュース]
k10015723751000.html

[関連ニュース]

  自動検索

このページの先頭へ