2013年02月23日
別に「重大事」という訳ではないが。
「どうやら〜らしい」などと頼りない言い方になるのは、忍者ツールズの運営会社 Samurai Factory Inc. が、メールフォームを通じての私の問い合わせに今に至るも(まだ数日しか経っていないが)答えないからである。
(とはいえ、私は深追いするつもりはない。問い合わせは一回で十分だ)
(とはいえ、私は深追いするつもりはない。問い合わせは一回で十分だ)
しかし、忍者ツールズを利用した他の人のサイトを見れば、これまで通り閲覧可能であるようなので、これを以て「私のサイトは停止措置を受けた」と判断するわけである。
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私は最初、忍者ツールズに於ける何らかのシステム障害かと思った。しかし他方、頭の隅で、そのタイミングが何となく気になっていた。
というのは、それが起こったのは、私の「カトリック相模原教会に於ける講演会の中止の請願(書)」(下記参照)が横浜司教館に届いただろう日から左程遠くない時だったからだ。
私がそれを投函したのは今月6日の朝だった。そして、郵便局のサイトで配達日数を調べてみると、日本の郵便局は大したものだ、午前中に投函されたものなら、札幌から横浜まで、普通郵便なら翌日に届くという。もし誤差があったとしても、翌々日には間違いなく届くのではないか。
ということは、私の請願書は7日か8日に届いたと思われる。で、私の二つのHPが閲覧不可となったのは、正確には覚えていないが、その数日後のことであった。(それも、おそらく「四、五日後」ではなく「二、三日後」ではなかったか。)
私は今まで、かなり思い切ったことを書いて来た。しかし、かつてこんなことはなかった。「護教の盾 III」では大阪梅田教会について書いた。その一連の記事に腹を立て、削除させたいと思った人はきっと多く居ただろう。しかし、それでも、私のHPは無事だった。
しかし、今回、彼らの動きは速かった。
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忍者ツールズに対し、私のサイトの停止を求めた人が居るだろう。
そして、今回の相模原教会の件に限らず、私が普段サイトで書いている事に反感を、あるいは反感を超えたもの(“憎悪” に近いもの)を感じている人も居るだろう。
そして、今回の相模原教会の件に限らず、私が普段サイトで書いている事に反感を、あるいは反感を超えたもの(“憎悪” に近いもの)を感じている人も居るだろう。
私はそのような人達に怒りを感じない。
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私の「書き方」や「表示の仕方」に難はあっても(確かにそれはあるだろう)、それでも根本的には「天主の真理」を巡っての事を書いているつもりだ。
カトリック信者が「天主の真理」を裏切っている時、私は書きたい。
特にそれがカトリック聖職者である時。
カトリック信者が「天主の真理」を裏切っている時、私は書きたい。
特にそれがカトリック聖職者である時。
私はこれから少しずつ記事を復元するだろう。
“突っ込まれ所” を少なくしながら。
“突っ込まれ所” を少なくしながら。
私は請願書として4枚のペーパーを送った。が、ここには取りあえずメインの書簡のみを掲げる。その前に少し前置き(呼びかけ)を・・・
私の二つのサイトが停止されるよう働いた人(あるいは人達)へ
教会の世界の中で何か懸念事項が発生した時、私は聖職者に伝えるよりも先にネットにアップしてしまうことが多いです。ここが非常な反感を持たれる一つの理由かと思います。しかし私がそのようにするのは、聖職者に伝えても事態が改善されないことが圧倒的に多いからです。
しかしそれでも、私には常に──常に──次のような用意もあります。すなわち、たとえ私が聖職者に伝えるより先にネットにアップしてしまうことが多いとしても、もし聖職者が(あるいは一般信徒でも「□□委員」等の方々が)然るべく動いて下さり、事態が改善されたならば、私はどんな記事も基本的に削除する用意があります。
だから、願わくは、「この者は兎に角、滅多矢鱈に、闇雲に、教会や聖職者のことを非難したいだけなのだ。心にそのような妄念が渦巻いているだけなのだ。単に “言い触らしたい” だけなのだ。(聖ピオ十世会を支持しているらしいし)」とか、思わないで下さい。それはそれで一つの「偏見」に違いありません。
あなた方が相模原教会の講演会に関して何か善い方向で動かれたことがあったならば、それについて教えて下さい。あなた方には私に対する「報告の義務」などありません──勿論です。しかし記事を書いたのは私です。そして、もしあなた方がそれに関して善処して下さったと分かったら、私は今後、それに関する記事を「復元」することはないでしょう。
メールは コチラ まで。
メールは コチラ まで。
カトリック相模原教会に於ける講演会の中止の請願
† 主の平安
拝啓
梅村昌弘司教様
司教様に於かれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
私は、□□□の□□□と申します。
私は、□□□の□□□と申します。
他教区の者から突然お手紙を差し上げるのは失礼かと存じましたが、この度インターネットにて、司教様管轄下のカトリック相模原教会にて信仰上異常なる事態が発生しつつあることを知りましたので、所属教区に関わらず日本の信徒として御一報させて頂くことに致しました。
「異常なる事態」と申しますのは、カトリック相模原教会は今月の16日に、同性愛者であり且つ同性愛を完全肯定する発言を公けに為しているプロテスタントのとある牧師に、自教会内での「講演」の場を用意している事でございます。
事実確認につきましては、司教様に直接、カトリック相模原教会のホームページを御覧頂くのが一番かと存じますが、ここにも幾つかのものをプリントアウトして同封させて頂きます。
司教様。
私は、同性愛の指向を持つ人達の社会的人権を擁護しようとする事と、同性愛の完全肯定論者を私達の教会に招き、そこで講演会の話者として立たせるという事は、全く質の違った事であり、後者は全く神の御旨に反する──もっと率直に言わせて頂けば、「反逆」する、「侮辱」する──事であると信じます。
私は、同性愛の指向を持つ人達の社会的人権を擁護しようとする事と、同性愛の完全肯定論者を私達の教会に招き、そこで講演会の話者として立たせるという事は、全く質の違った事であり、後者は全く神の御旨に反する──もっと率直に言わせて頂けば、「反逆」する、「侮辱」する──事であると信じます。
同性愛の完全肯定論者が私達の教会内で話者として立っても、その話す内容が「同性愛の指向を持つ人達の社会的人権」に限られるならば構わない、同性愛の善し悪しの問題に触れてくれなければ構わない、又たとえそのような問題に触れても、彼が自己の考えを我々に “主張” せず、ただ自己の考えとして “披瀝” するだけなら構わない──と、そんな風に柔軟に(?)考えられるものでしょうか?
司教様、先ず同封のチラシを御覧下さい。それらの言葉は既に相模原教会に入っているのです。
「神様がつくったものに不良品はない」・・・これは人権の問題と真理の問題を分けることをしない言葉です。
「神様は私たちのありのままを良しとし、愛し、祝福してくださっている」・・・ここに云う「ありのまま」とは同性愛のことです(少なくとも主として)。
「神様がつくったものに不良品はない」・・・これは人権の問題と真理の問題を分けることをしない言葉です。
「神様は私たちのありのままを良しとし、愛し、祝福してくださっている」・・・ここに云う「ありのまま」とは同性愛のことです(少なくとも主として)。
私は、神に対する信仰からも、また相模原教会の信者さん達に対する影響からも、司教様の御賢慮と、御権威の正しき活用により、ここは是非ともこの講演会を中止させて頂きたく、心からお願い申し上げます。
司教様の御聖務の御発展を祈りつつ。
敬具。
敬具。
□□□
2013年2月5日(火)
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