先日、病児保育や福島での子どものためのインドアパークの設置などで知られるNPO法人フローレンスの代表理事駒崎弘樹さんのお話を伺ってきました。駒崎さんの本を読んで、「どうしても会いたい!」と思った私のラブコールを受けてくださり、忙しい中、時間をとってくださいました。
そこでジャーナリズムのあり方や、私が国民として様々な課題にどう向き合うかという問題について、示唆に富んだ話がありましたので、ここでご紹介。
--駒崎さんは、政治家や官僚だけが世の中を変えるのではなく、「気づいた個人」が立ち上がれば、問題を解決できるんだと著書でも書かれていますね。世の中を少しでもよくしていく、ということについて、どう考えていますか。
「どのように世の中を少しでもよくしていけるかということについて、僕がなんとなく思っているのは、かつては火炎瓶の投げ先があった社会だったんだと思う。誰か悪いもの…国なり…がいて、彼らを糾弾して正させることによって、正しいガバナンスが行われるみたいな。それを、我々の世代は感じられない。火炎瓶の投げ先がない(笑)。
それをはっきり認識したのは、鳩山内閣で半年だけ官僚をさせてもらった時のことです。寄付税制とか新しい公共を考えるということで、政治任用されて、内閣府非常勤国家公務員(政策調査員)になりました。それで政策決定の中枢に入ってみて、僕はこれまで大きな勘違いをしていたなと思った。総理大臣になれば、いろんなことを変えられると思っていたのに、どうもそうではないらしい、というのが分かってしまったんです。
たとえば寄付税制についても、鳩山総理がこういうことをやります、と言っても、財務省のナントカ課の課長が、「それはカクカクシカジカでできないです」って言って突き返すみたいなプロセスが何回もあって、「そんなバカな」とびっくりした。「社長がやろうって言ってるのに、課長がダメっていえるのかな」と。
それまでは、ベスト&ブライテストがいて、その人たちがたるんでいるから進んでいかないのかなと思っていたけど、そうでもないらしい。機構自体が、リーダーシップをふるいにくいものになっているんだなあというのを思い知ったんですよね。
結局、寄付税制改革は、みんなで野党の議員を説得し、議連を動かして、マスコミも騒がないでいてくれたから、するっと通ったんですね。欧米を超える税額控除の割合を実現できたので、10年後20年後には、『あの時が日本の寄付文化の転換点だったね』と言ってもらえるようなものだと思うんですけど、それも総理がやろうって言ったからってできるもんじゃない。それで確信を強めたんですよね。やっぱり自分たちで変えるしかない、って」
--変える、といっても、どのように?
「一つは、僕らがやっているように事業によって変える。制度の隙間に入ってしまっている課題を、事業として展開していく。それも、わざわざ国にパクらせて制度化してもらう。病児保育でパクられた体験があって、それが点の変革を面の変革に変えられるかもしれないと思った。
今はマイクロ保育園、おうち保育園というのをやっているんですが、これは今までは保育園は定員20人以上じゃないとダメという訳の分からない制度があったんですが、それって意味がないよな、と。9人でも10人でも小さい保育園をたくさん作れば、都心部の待機児童の問題は解決できるんじゃないかなと思い、提案したら、実験事業をやらせてくれた。それがうまくいったので、自分たちだけでやっててもダメだから厚労省にパクってもらおうと思って、政策の営業をしたんですね。そうしたら、村木厚子さんが待機児童対策チームのトップで、話をしたら『それはいいね』ということで、子育て新システムの中に小規模保育サービスということで入れてくれたんですね。それで、2015年からは全国で20名以下の保育園が作れる、ということになったんです。これを進めていけば、待機児童の問題は過去のものにできる。
そうやって自分でモデルを作って、それが成功したら、政策に反映してもらって制度化していく。これが一つ。
あとは民間からのロビイングがありますね。寄付税制の時にも、シーズというNPOが本当に粘り強く野党の議員を説得した。その他のNPOの方達も、各選挙区の議員に「反対しないでね」とやった。運良くメディアもスルーしてくれた。あれが注目されていたら、野党議員はメディア向けに反対しなきゃいけなかったんですけど、まったくノー・アテンションだったので、通っててくれた。そういうふうに議連を作ってもらい、議連をメインテナンスして、議員立法で通していく。そうやって外部からも法律できるんだ、という成功体験を得たので、民間ロビーをやることで、確実に変えていけるんじゃないかな、と思いました。
ただ、これは紙一重。アメリカのロビイングはかなり利権まみれになっている。ある種のビジネスになってしまっている。そうなると政策の意思決定が歪んでしまいます。あくまでも困っている人のために動く市民型ロビイングを発展させることが望ましいんじゃないかと思っています」
--メディアがスルーした方がやりやすい、というのは、ちょっと残念な気がしますけど、なぜなんでしょう。
「本当に、そういうのは残念なんですよね。こんなことがありました。新しい公共の審議会で、ツイッター中継とユーストリームで中継をやったんです。それは憲政史上初だったみたい。総理がいるところを、リアルタイムで流す。これはいいね、開かれた民主主義だねと盛り上がったんですけど、これをメディアの人に言うと、「それってどうなんですか」と冷ややかな感じ。我々に情報をシェアするのが筋でしょ、と言うわけですね。
でも、僕からすると、『あなた方に言うと叩くでしょ』と。実際、メディアの方々とコミュニケーションしようとしたら、親しい記者の方が、「いいことやっているのは分かるけど、(それを肯定的に書くのは)無理なんだよ。今は叩くフェーズだから」とおっしゃったんですね。その方は、理知的ですごくいい方なんですけど、マスメディアが『叩くフェーズ』になっていると、ある種の凶器だな、と思った。むしろメディアをかませない方が、いろんなことが決まるな、と。
でも、だからといってマスメディアは全部だめというのは極端すぎる。今回、むしろソーシャルメディアが福島についてのデマを流したりして暴走したりすることもありました。ちょっと前までは、ネットに希望を託していたんですけど、メディアの問題はマスだろうがソーシャルだろうがあるんだな、と思いました。つまり、叩けばいいと思っている。反体制のポーズをとることがジャーナリズムであると思っている。おそらく火炎瓶を投げる先があったパラダイムを今でも引きずっているんですね。
今は”how”を考えなきゃいけない。国はやるべき、だけじゃくて、どうやってというのも一緒に考えないと。そうでないと、我々は船長の悪口を散々言いながら、船長と共に沈没していくだけ。そういう船に乗っかっているんじゃないかな…」
--叩いて引きずり降ろす、というフェーズは、世論もそうなっていませんか。
「そうなんです。(ジャーナリズムと世論は)鶏と卵の関係かもしれません。ものすごい政府不信があって、何かをやろうとする時に、政府が主語だと『信頼できないもの』となりますよね。
たとえば、僕たちは前から休眠口座基金を作ろうということを話していたんですね。これはイギリスや韓国では眠っている口座の使われていないお金をマイクロファイナンスで貧困家庭や児童養護施設で奨学金などとして活用したりしているんですね。すごくいいなと思った。僕も仕事をしていて、貧困の再生産というのにすごく胸を痛めていて、やりたいなと思った。プロボノと一緒に調査をして、昨年の審議会に提案しました。しばらく黙殺されたんですけど、今回、古川大臣が『やろう』となりましたね。そうなった瞬間、メディアが『休眠口座を国が狙っている』みたいに書く。そんな話じゃなくて、いつでも返せるように預金者の権利を保護しながら、それでも8割くらいは永久休眠しちゃうから、それを社会に還元していこうという話なのに、それを叩く。国民の側も、『また、こんなことやって。ダメだな、ミンスは』(苦笑)みたいに叩いて溜飲を下げる。
政府が主語になったとたん、いいことでも受け入れない。そのネガティブフィルターをなんとか取ろうと、今、休眠口座国民会議というのを作って、シンポジウムしたり情報発信したりしているんです。何をやろうとしても、国民の信頼のゲージが一定程度より下がってしまうと、何も進まなくなっちゃう。メディアと国民が、負の相乗効果で、政府不信の谷底に落ちてしまっている状態ですね」
--それは、原発事故が輪をかけたのだろうけれど、その前からの現象だと思います。
「そうです。麻生降ろしなんかもそうでしたね。漢字読めないキャンペーンとかね。そんなことどうでもいい。その間に、社会保障のこととかもっとできていたら、今はもっと違っていたんじゃないか…と思う。自分たちから不幸になりにいっている。そういう皮肉な状況ができるほど、我々国民がシニカルになってしまっている」
--ここから脱皮するには、どうしたらいいと思います?
「鉄の意思を持った人たちがゲリラ的に変革を先導するしかないのかな、と。明治維新も、当時の人口4000万人くらいだったようですけど、志士と言われる人は数千人ぐらい。少数であっても、革命は起こせなくても、いろんなところで小さな革命をいろんな分野で起こしていければ、変えられるんじゃないか、と。一つひとつは地味で、知らない人が見れば何が変わったのかと思うかもしれないほどの変化でも、蟻の一穴を開けることで、あとから振り返れば、『あの時が転機だな』となることが、いっぱいあると思うんですよ」
そういう覚悟を語る駒崎さんの話を伺っているうちに、私は居住まいを正すと同時に、なんだか明るい気持ちになっていくのを感じました。日本にも、まだこういう若手がいる!
ただ、変革はこういう少数のリーダーだけでは進みません。提案を実行に移す人たち、それを応援していく人たちが必要。一緒に行動したり、周囲で応援したりするのも、小さな革命に加わることかな、と思います。叩いて引きずり降ろすだけでなく、世の中をよくしたいと思い、それに何らかの形で参加したり応援したりする人たちが増えていくためにも機能するジャーナリズムでありたい、と思います。
それから、もし、駒崎さんたちの活動を応援したいな、と思う方がいらしたら、フローレンスで行っている一人親の家庭での子育てを支援する仕組みがあります。また、実際に行動してみたいという方には、こどもレスキュー隊員を応募しているようです。関心のある方は、こちらをどうぞ。
↓
http://www.florence.or.jp/corp/fr/index.html
http://www.florence.or.jp/staff/join/rescue/
そこでジャーナリズムのあり方や、私が国民として様々な課題にどう向き合うかという問題について、示唆に富んだ話がありましたので、ここでご紹介。
--駒崎さんは、政治家や官僚だけが世の中を変えるのではなく、「気づいた個人」が立ち上がれば、問題を解決できるんだと著書でも書かれていますね。世の中を少しでもよくしていく、ということについて、どう考えていますか。
「どのように世の中を少しでもよくしていけるかということについて、僕がなんとなく思っているのは、かつては火炎瓶の投げ先があった社会だったんだと思う。誰か悪いもの…国なり…がいて、彼らを糾弾して正させることによって、正しいガバナンスが行われるみたいな。それを、我々の世代は感じられない。火炎瓶の投げ先がない(笑)。
それをはっきり認識したのは、鳩山内閣で半年だけ官僚をさせてもらった時のことです。寄付税制とか新しい公共を考えるということで、政治任用されて、内閣府非常勤国家公務員(政策調査員)になりました。それで政策決定の中枢に入ってみて、僕はこれまで大きな勘違いをしていたなと思った。総理大臣になれば、いろんなことを変えられると思っていたのに、どうもそうではないらしい、というのが分かってしまったんです。
たとえば寄付税制についても、鳩山総理がこういうことをやります、と言っても、財務省のナントカ課の課長が、「それはカクカクシカジカでできないです」って言って突き返すみたいなプロセスが何回もあって、「そんなバカな」とびっくりした。「社長がやろうって言ってるのに、課長がダメっていえるのかな」と。
それまでは、ベスト&ブライテストがいて、その人たちがたるんでいるから進んでいかないのかなと思っていたけど、そうでもないらしい。機構自体が、リーダーシップをふるいにくいものになっているんだなあというのを思い知ったんですよね。
結局、寄付税制改革は、みんなで野党の議員を説得し、議連を動かして、マスコミも騒がないでいてくれたから、するっと通ったんですね。欧米を超える税額控除の割合を実現できたので、10年後20年後には、『あの時が日本の寄付文化の転換点だったね』と言ってもらえるようなものだと思うんですけど、それも総理がやろうって言ったからってできるもんじゃない。それで確信を強めたんですよね。やっぱり自分たちで変えるしかない、って」
--変える、といっても、どのように?
「一つは、僕らがやっているように事業によって変える。制度の隙間に入ってしまっている課題を、事業として展開していく。それも、わざわざ国にパクらせて制度化してもらう。病児保育でパクられた体験があって、それが点の変革を面の変革に変えられるかもしれないと思った。
今はマイクロ保育園、おうち保育園というのをやっているんですが、これは今までは保育園は定員20人以上じゃないとダメという訳の分からない制度があったんですが、それって意味がないよな、と。9人でも10人でも小さい保育園をたくさん作れば、都心部の待機児童の問題は解決できるんじゃないかなと思い、提案したら、実験事業をやらせてくれた。それがうまくいったので、自分たちだけでやっててもダメだから厚労省にパクってもらおうと思って、政策の営業をしたんですね。そうしたら、村木厚子さんが待機児童対策チームのトップで、話をしたら『それはいいね』ということで、子育て新システムの中に小規模保育サービスということで入れてくれたんですね。それで、2015年からは全国で20名以下の保育園が作れる、ということになったんです。これを進めていけば、待機児童の問題は過去のものにできる。
そうやって自分でモデルを作って、それが成功したら、政策に反映してもらって制度化していく。これが一つ。
あとは民間からのロビイングがありますね。寄付税制の時にも、シーズというNPOが本当に粘り強く野党の議員を説得した。その他のNPOの方達も、各選挙区の議員に「反対しないでね」とやった。運良くメディアもスルーしてくれた。あれが注目されていたら、野党議員はメディア向けに反対しなきゃいけなかったんですけど、まったくノー・アテンションだったので、通っててくれた。そういうふうに議連を作ってもらい、議連をメインテナンスして、議員立法で通していく。そうやって外部からも法律できるんだ、という成功体験を得たので、民間ロビーをやることで、確実に変えていけるんじゃないかな、と思いました。
ただ、これは紙一重。アメリカのロビイングはかなり利権まみれになっている。ある種のビジネスになってしまっている。そうなると政策の意思決定が歪んでしまいます。あくまでも困っている人のために動く市民型ロビイングを発展させることが望ましいんじゃないかと思っています」
--メディアがスルーした方がやりやすい、というのは、ちょっと残念な気がしますけど、なぜなんでしょう。
「本当に、そういうのは残念なんですよね。こんなことがありました。新しい公共の審議会で、ツイッター中継とユーストリームで中継をやったんです。それは憲政史上初だったみたい。総理がいるところを、リアルタイムで流す。これはいいね、開かれた民主主義だねと盛り上がったんですけど、これをメディアの人に言うと、「それってどうなんですか」と冷ややかな感じ。我々に情報をシェアするのが筋でしょ、と言うわけですね。
でも、僕からすると、『あなた方に言うと叩くでしょ』と。実際、メディアの方々とコミュニケーションしようとしたら、親しい記者の方が、「いいことやっているのは分かるけど、(それを肯定的に書くのは)無理なんだよ。今は叩くフェーズだから」とおっしゃったんですね。その方は、理知的ですごくいい方なんですけど、マスメディアが『叩くフェーズ』になっていると、ある種の凶器だな、と思った。むしろメディアをかませない方が、いろんなことが決まるな、と。
でも、だからといってマスメディアは全部だめというのは極端すぎる。今回、むしろソーシャルメディアが福島についてのデマを流したりして暴走したりすることもありました。ちょっと前までは、ネットに希望を託していたんですけど、メディアの問題はマスだろうがソーシャルだろうがあるんだな、と思いました。つまり、叩けばいいと思っている。反体制のポーズをとることがジャーナリズムであると思っている。おそらく火炎瓶を投げる先があったパラダイムを今でも引きずっているんですね。
今は”how”を考えなきゃいけない。国はやるべき、だけじゃくて、どうやってというのも一緒に考えないと。そうでないと、我々は船長の悪口を散々言いながら、船長と共に沈没していくだけ。そういう船に乗っかっているんじゃないかな…」
--叩いて引きずり降ろす、というフェーズは、世論もそうなっていませんか。
「そうなんです。(ジャーナリズムと世論は)鶏と卵の関係かもしれません。ものすごい政府不信があって、何かをやろうとする時に、政府が主語だと『信頼できないもの』となりますよね。
たとえば、僕たちは前から休眠口座基金を作ろうということを話していたんですね。これはイギリスや韓国では眠っている口座の使われていないお金をマイクロファイナンスで貧困家庭や児童養護施設で奨学金などとして活用したりしているんですね。すごくいいなと思った。僕も仕事をしていて、貧困の再生産というのにすごく胸を痛めていて、やりたいなと思った。プロボノと一緒に調査をして、昨年の審議会に提案しました。しばらく黙殺されたんですけど、今回、古川大臣が『やろう』となりましたね。そうなった瞬間、メディアが『休眠口座を国が狙っている』みたいに書く。そんな話じゃなくて、いつでも返せるように預金者の権利を保護しながら、それでも8割くらいは永久休眠しちゃうから、それを社会に還元していこうという話なのに、それを叩く。国民の側も、『また、こんなことやって。ダメだな、ミンスは』(苦笑)みたいに叩いて溜飲を下げる。
政府が主語になったとたん、いいことでも受け入れない。そのネガティブフィルターをなんとか取ろうと、今、休眠口座国民会議というのを作って、シンポジウムしたり情報発信したりしているんです。何をやろうとしても、国民の信頼のゲージが一定程度より下がってしまうと、何も進まなくなっちゃう。メディアと国民が、負の相乗効果で、政府不信の谷底に落ちてしまっている状態ですね」
--それは、原発事故が輪をかけたのだろうけれど、その前からの現象だと思います。
「そうです。麻生降ろしなんかもそうでしたね。漢字読めないキャンペーンとかね。そんなことどうでもいい。その間に、社会保障のこととかもっとできていたら、今はもっと違っていたんじゃないか…と思う。自分たちから不幸になりにいっている。そういう皮肉な状況ができるほど、我々国民がシニカルになってしまっている」
--ここから脱皮するには、どうしたらいいと思います?
「鉄の意思を持った人たちがゲリラ的に変革を先導するしかないのかな、と。明治維新も、当時の人口4000万人くらいだったようですけど、志士と言われる人は数千人ぐらい。少数であっても、革命は起こせなくても、いろんなところで小さな革命をいろんな分野で起こしていければ、変えられるんじゃないか、と。一つひとつは地味で、知らない人が見れば何が変わったのかと思うかもしれないほどの変化でも、蟻の一穴を開けることで、あとから振り返れば、『あの時が転機だな』となることが、いっぱいあると思うんですよ」
そういう覚悟を語る駒崎さんの話を伺っているうちに、私は居住まいを正すと同時に、なんだか明るい気持ちになっていくのを感じました。日本にも、まだこういう若手がいる!
ただ、変革はこういう少数のリーダーだけでは進みません。提案を実行に移す人たち、それを応援していく人たちが必要。一緒に行動したり、周囲で応援したりするのも、小さな革命に加わることかな、と思います。叩いて引きずり降ろすだけでなく、世の中をよくしたいと思い、それに何らかの形で参加したり応援したりする人たちが増えていくためにも機能するジャーナリズムでありたい、と思います。
それから、もし、駒崎さんたちの活動を応援したいな、と思う方がいらしたら、フローレンスで行っている一人親の家庭での子育てを支援する仕組みがあります。また、実際に行動してみたいという方には、こどもレスキュー隊員を応募しているようです。関心のある方は、こちらをどうぞ。
↓
http://www.florence.or.jp/corp/fr/index.html
http://www.florence.or.jp/staff/join/rescue/
ジャーナリスト。長年にわたるオウム真理教への取材が有名。
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意見
2012年06月18日 ガイドラインを変更しました。
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