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米兵は日本の「慰安婦」を利用していた(AP通信)

 先日ワシントンポストに日本の慰安婦に関する意見広告『THE FACTS』が掲載され、その後非難決議案が米国下院で可決されたりなど昨今話題の慰安婦問題だ。

 それに関連して去る4月25日に、戦後の進駐軍の米兵ための日本の慰安所に関する記事がAP通信によって書かれている。
 実際、アメリカでようやくこういう記事が出るようになったかという印象であるが、ここに拙訳で全文を紹介する。

 このAP通信の配信記事はニューヨークタイムズやワシントンポストやCNNなどの大手メディアを含む、世界の80の英語メディアに掲載されており、比較的大規模に報じられているものだ。




米兵は日本の「慰安婦」を常用していた
エリック・タルマッジ
AP通信 2007年4月25日18時44分

この日付のない写真は横須賀市によって公開された。東京の南に位置する横須賀の安浦遊郭前に集まる米水兵。日本の降伏後米兵に売春を提供するために日本側によって設置された多くの慰安所の一つ(提供:AP通信/横須賀市)

【AP通信:東京】 第二次大戦中、軍のために女性を奴隷化した日本の忌まわしい行いには、余り知られていない続編がある。
 降伏後日本は米兵に対しての同様な「慰安婦」を提供したのである。米占領当局の黙認の下に。

 これまで英訳されていなかったものを含むAP通信の史料再調査は、女性が売春を強要されていると言う内部報告にかかわらず、米当局が公的な売春システムを許可していたことを明らかにした。
 またアメリカ側は、日本が戦時中に占領したアジア諸国で女性に残忍な扱いをしていた事も熟知していた。

 1946年春にダグラス・マッカーサー司令官が売春宿を閉鎖させる前には、何万人もの女性が安値で米軍相手の売春婦として雇われていた。
 1945年8月に米軍の日本進駐を期に多くの売春宿が営業を開始した事が記録には書かれている。

 東京の東北側に位置する茨城県警の公式記録には「遺憾ながら、我々警察は占領軍のために慰安所を設けなければならなかった。それが経験豊富な女性の特別任務であったのは、一般の女性や少女を守るための防波堤とする目的であった」とある。

 日本の降伏と占領に関して協議するため日本の代表団がフィリピンに発つ前日の1945年8月18日に内務省の指令があった。
 茨城県警は直ちに準備に取りかかったが、丁度良い施設は独身警察官の寮であり、それはすぐに売春慰安所に模様替えされた。
 20人の慰安婦と共に海軍施設から寝具が運び込まれ、慰安所は9月20日に営業を開始した。


売春宿は大繁盛

 記録には「慰安所が開設されて以降予想通りに大繁盛だった。慰安婦たちは…昨日の敵に自らを売ることに抵抗があり、言語や人種の違いなど彼女達にも最初は大きな戸惑いがあった。しかし彼女達は高額の賃金を受け取り、徐々にその仕事を受け入れるようになった」と書かれている。

 政府の財源で運営された『保養慰安協会』(RAA) の援助の下に、警察と東京の業者は売春宿のネットワークを設立した。
 1945年8月28日、東京の南隣の厚木へ進駐軍の先行隊が到着、その日の夕暮れまでに軍は最初の売春宿を見つけることになる。

 RAAの情報課長だった鏑木清一氏は1972年の回想録で書いている。
 「私はRAA幹部と共にそこに急いで向かったが、路上に500-600人の米兵が列を作っているのを見て驚いた。アメリカの自治警察が兵達をコントロール出来ない状態だった」

 警察と民間によって運営されていたとしても、このシステムは戦時中の海外の日本軍によって設立された慰安所を手本にしている。

 鏑木氏はまた「進駐軍の兵は前払いでチケットとコンドームを与えられた」と書いている。
 最初のRAAの売春宿「小町園 - The Babe Garden」は当初38人の売春婦だったが、必要に迫られててすぐさま100人に増員された。女性一人当たりが一日に15-60人を相手にした。

 アメリカ人の歴史学者ジョン・ダウアー氏の著書『敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本』によると、売春婦は一回15円で、それはタバコ一箱の半額であり、「突然の高需要のために売春宿の運営者は、認可された売春婦でない女性をやむなく公募した」とある。

 戦争で身内を失った小町園の滝田ナツエさん (当時19) は、事務職募集広告で応募したが、空いている唯一の職が慰安婦であると言われ、仕事につくように説得された。
 1952年の占領終了後に出版された鏑木氏の回想録によると、滝田さんは売春宿開業の数日後に列車に身を投げたとのことだ。「最悪の犠牲者は…『新日本女性』の広告に応募して来た、未経験の女性達であった」とダウアー氏は書いている。

 鏑木氏によると、1945年末までに35万人の米軍が日本に駐留し、米兵のためにRAAは最高時7万人の売春婦を雇っていたとある。そのためにそこに日本人以外の慰安婦が海外から来たと言う説があるが、それに関する明確な証拠はない。

 広島歴史研究所の田中利幸教授は、鏑木氏の提示した数字は根拠に乏しいとしているが、RAAはそのごく一部であり、公式記録に載っていない民間売春業者の数は更に多いであろうとしている。
 田中氏が発見した記録によると、米駐留軍幹部は、進駐軍の相手をする慰安婦のためにペニシリンを日本政府に提供し、RAAの売春宿のそばに予防施設を作り、兵隊達に使用を許可したとある。

 旧日本軍のための慰安婦と、進駐軍のために募集された慰安婦の類似性を駐留軍幹部は見過ごさなかった。
 GHQ衛生福祉厚生部のヒュー・マクドナルド上級士官の1945年12月6日の回想録によると、日本の慰安婦はしばしば強要されていたことを米進駐軍は把握していたと言う。
 「貧困の極致の両親に促され少女達は契約を無理強いされた。時には自ら進んで家族のために犠牲になったとあるが、しかしながらそれは情報提供者の主観であり、かつてほどは一般的ではなくなったにせよ、都市部では少女の奴隷化の習慣はまだ存在している」


RAAの崩壊

 従軍牧師達の苦情と、売春宿の発覚が米国に帰国後の進駐軍に不名誉となる懸念から、1946年3月25日、マッカーサーは全ての売春宿や慰安所その他の売春所への立ち入り禁止を指令し、間もなくRAAは解散した。

 マッカーサーの主な心配事はモラルの問題ではなかった。田中氏によると、進駐軍の米兵の1/4以上がその時点までに性病に感染していたとのことだ。
 「全国規模の立ち入り禁止令は、15万人以上の日本人女性を突然失職させた」と田中氏は2002年の性奴隷に関する著書でこのように書いている。元慰安婦の大半が兵士相手の違法ビジネスを続けたが、その多くが性病を持ち貧困であったとある。


 プレッシャーの中、アジアで売春宿を設置し旧日本軍のために女性に売春を強制したことに関与したことに関して、日本政府は1993年に謝罪をしたが、その問題は現在もなお論争を引き起している。

 1月に、カリフォルニア州のマイク・ホンダ下院議員は、アジア女性基金の終了を前に、それを更新させるためのプレッシャーとして、日本の性奴隷への非難決議案を提出した。アジア女性基金は慰安婦への賠償として謝罪の2年後に設立された民間基金である。

 基金はフィリピン、韓国や台湾の僅か285人の女性に対して賠償された。
 戦時中にそれらの国で推定5万~20万人の慰安婦が日本軍によって奴隷化された中から僅か285人にである。
 一人当たり200万円(約17800ドル)を受け取った。またオランダ人やインドネシア人の女性数人にも支援金が与えられた。

 基金は3月31日に予定通り終了した。
 基金の和田春樹代表は、その創設は日本のリーダーシップの態度の重要な変化を示し、正義が達成されたことを確認する日本の「サイレントマジョリティ」の意思を表したものだと語った。
 またそれが民間基金であるにもかかわらず、政府が主なスポンサーであり46億2500万円(約4000万ドル)を寄付したことにも言及した。

 いずれにしても、それが期待通りに行かなかったことも彼は認めている。
 「女性の大半が名乗り出なかった」と彼は語った。
 しかしながら、これらの日本人女性の問題を認め解決するためのステップとしては、それは完全なる失敗であった。日本人女性は誰も補償は求めなかった。それが出来たにもかかわらず

 「日本人女性の誰一人として補償や謝罪を要求するために名乗り出なかった。それが自分の意思に完璧に反して強制されたと彼女達自身がそう感じていない限り、名乗り出る事は出来ないとそう思ってるのだろう」と和田氏は述べた。

(ニューヨークのAP通信のランディ・ハーシャフト調査研究員が、この記事に協力している)

[訳=岩谷] (原文:英語)
Talmadge, Eric. "GIs Frequented Japan's 'Comfort Women'". Associated Press in washingtonpost.com, April 25, 2007; 9:45 PM. [魚拓 Chronicle, The World, Santa Fe New Mexican, CNN]




関連記事

占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明 (産経新聞 2007.5.5 21:43) [魚拓]



この訳が転載されているサイト:
アメリカ兵も慰安所を利用 (mixiコミュニティ『従軍慰安婦論』) 2007年07月06日 14:05

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