背負太刀作りで二尺三寸五分。鞘に青糸の下緒が巻いてある。この下緒は、歳三が、会津落城後に仙台に入り、伊達候に面談の折り、候自ら佩刀の下緒を解いて来訪の労いに、歳三に与えられたものである。
伝承によると、会津候からの拝領刀で、これも現存している。
官軍が江戸を占領した頃、歳三の親族である佐藤家にも危害が及び、前述の俊宣も一度は逮捕され、その際、刀を取り上げられた。それを聞いた歳三が、可哀想に、とこの一振りを与えたそうである。
中心には、次の通り、きってある。
表銘:以南蛮鉄於武州江戸越前康継
裏銘:安政六年六月十一日於伝馬町雁金土壇払 山田佐吉試之
同年十一月廿三日於千住太々土壇払 山田吉豊試之
参考までに。
土壇払というのは、刀の切れ味を試すために首を落とされた罪人の身体を土で作った台(これを土壇場と言う)の上に備え、それを切り下ろしてみることである。
死体を二つ重ねたり、肩や腰を斬るなど、いろいろな斬り方がある。ちなみに、あの山田朝右衛門が、試し切りをしたという銘をきった刀が、我が家にある。