自民党政権で初の死刑執行。だがなぜこの3人なのか?基準はまったく不明
法務省は21日、死刑囚3人の死刑を執行したと発表した。政権交代で自民党の谷垣法相が就任してから初の執行となった。死刑を執行されたのは小林薫死刑囚、金川真大死刑囚、武藤恵喜死刑囚の3名。だが刑を執行していない死刑囚は137人上っており、戦後最多となっている。
死刑執行に対しては、いつものことながら、日本弁護士連合会などから批判の声が寄せられている。
死刑制度そのものに対する是非はともかく、一般的な国民の感覚として理解できないのが、法務大臣というひとりの政治家の見解だけで、死刑執行か猶予かという極めて重大な決定が行われている事実である。
谷垣法相は執行後の記者会見で「いずれも身勝手な理由で人命を奪った極めて残忍な事案。慎重な検討を加え執行を命令した」と述べた。殺人事件において身勝手でないものなど存在するはずがなく、この3名だけに死刑を執行する理由としては不明確極まりない。
そもそも日本では死刑になる基準も不透明だ。今回死刑が執行される小林死刑囚は2004年11月、奈良市内で当時7歳の女児を車に乗せ、自宅で殺害。遺体を奈良県平群町の側溝内に放置した。
だが今月20日、知人女性の長男(当時1歳)を床に投げ落とし殺害したとして殺人罪に問われた被告に対しては、懲役17年の実刑が言い渡されている。同じ子供を殺害して、片方は死刑が即刻執行され、片方は懲役17年である。おそらく刑務所での態度がよければ仮釈放も可能だろう。
日本は「法治主義」はあっても「法の支配がない国」といわれる。法治主義と法の支配は似ているがまったく異なる概念である。法の執行が、その背後にある法の精神によらず、国民から選ばれたとはいえ行政官の意向だけで決まってしまう状況は、とても法の支配が徹底された国家とはいえない。
もし日本国民の総意として死刑が必要なのであれば、その執行に区別や猶予があってはならないし、一方で冤罪の危険があるなどの理由から死刑執行をためらうのであれば、刑法を改正し死刑を廃止するしかないだろう。
行政官が刑の執行をコントロールできる国ほど恐ろしいものはない。