2001年7月の戯れ言


前の月へ 次の月へ
過去の「戯れ言」

7月31日(火)

 30日朝までに当方が確認したメールのお返事は、すべて出せたと思います。これまで溜まりに溜まっていたあれとかこれとか、一気に書き上げました。用件のみ、あるいは確認・指摘等の簡潔なものは即日処理しておりましたが、それなりに考えて書く必要があるものは、数日程度間を置いて…なんてことをやっていたために、こうなってしまった次第。申し訳ありませんm(__)m

 一個人がニッチなネタで運営しているサイトでもありますし、メールといってもせいぜい週に一〜二通程度なのですけれど、かなりいろんな「考え」をあれこれと詰め込んで下さる方もおられるので、こちらもいろいろと啓されることが多く、感謝しております。

 ゲームについてですが、『Wing&Wind』が全然終わりません。いえ、終わらないというより、シナリオに突入するツボとなる選択肢を見極められず、中途半端エンドばっかり繰り返し見ているという状況です(^^; 前作『MoonLight』と同様のパターンであれば、見当をつけながら個別撃破を繰り返していけば、なんとかなるとは思うのですが、こりゃしばらく時間がかかりますな。攻略サイト(最近全然アップしてないけど)運営者として、意地でも自力攻略にこだわるつもりですので、レビューを書くのはまだまだ先になりそうっス。

 

 テキストを書くということは、自分内で保持する情報(客観的なデータだけでなく、イメージやフィーリングなども含めたもろもろ)を、言葉という「制度」に翻訳した上で固定化しているわけです。その過程で、自分の「情報」は言葉によってのみ他者が認識可能なものとなり、また言葉のもつルールに則した形においてのみ具体化します。感動が全身を覆ったときには言葉がでてこないのは、これの裏返しでもあります。しかし、この「固定化」は、自分の「過去における情報」によって、その後の自分を左右するものともいえましょう(一般化すれば、発した言葉によって発言者は後々影響を受ける、ともいえます)。そしてまた、それこそが「言葉の持つ強い力」の一断面であるといえます。

 「書く」ということによって、自分を律する。これは「ご案内」にも記したとおりのことですが、これを肝に銘じていることで、何とか「客観主義」にも「相対主義」にも走らず、それなりにバランスが取れているのではないか、と思えます。逆にいえば、自己流であっても、自分なりにレールを敷き、それを延長することで走り続けられているともいえましょうか。

 しかし、この「延長」という行為は、それまでに形ある言説を堆積させてきた(実績とか前科とかいろいろ表現方法はあるでしょうが(^^;)がために可能なことであって、そういったものがなく、ゼロの時点でテキストを読む人の方が、はるかに多いのではないでしょうか。かくいう私だって、こういうゲームに関して書いてきたテキストの量はどの程度なのか見当もつきません(本何冊か分くらいにはなっていると思いますが)が、それ以外の分野については、むしろ「語らない」ことの方が多いですし、それが当然でしょう。森羅万象に対して、すべて「語る」だけの労力と時間とを確保することは、生に限界のある人間に望むことはできないのですから。

 そう考えると、やはり「語らない」ことの意味を、「語る」人間は、時々でよいですから、考えてみるべきなのではないでしょうか。言葉の力の強さを知る者は、「沈黙」という選択肢を無意識のうちに排除しがちなのですから。そしてまた「沈黙」を排することは、他性(他民族、他宗教者、他国民、他県民…)への想像力の欠如をも反映しているのか、昨今特に目につくように思えてなりません。沈黙者への証言要求は、言葉という「制度」を通じての「固定化」を要求するという、非常に「権力的」な作用であることを、忘れてはならないでしょう。

 そしてまた、「語る」のであれば、そのスキルを身につけている人間には、自分が落とした言の葉に対して見て見ぬ振りをせず、自分がそれによって拘束されるということを自覚する程度の責務は課せられている、と言ってよいでしょう。そして、ここから目を背けている限り、その言葉は力を持つことはなく、またその人も言葉の力から成長の恩恵を受けることもないのでしょう。

7月30日(月)

 久々にまとまった時間が取れた(涙)こともあって、気分を切り替えるためにも『水素』をプレイしましたが……レビューをご覧頂ければおわかりのとおり、今年随一のハズレだったと言わざるを得ません。固定ファンのいる著名原画家を押し出してきたゲームの失敗例といえましょうか。あわせて、『D+VINE[LUV]』のアイテムリストを公開しました。もっとも、特殊効果等に関して、未チェックのものも多く、まだ暫定版(とさえいえるかどうか)なのですが、「800アイテムゲットを目指す」という方には、チェックリストとして有用なのではないかと。なぜ今ごろになって出してきたのかというと、要は清書していなかっただけだったり(^_^;

7月29日(日)

 昨日受けてきた本命の二次試験、ほぼ間違いなく落ちました。

 なにせ、英語の試験で全体の6割しか書けなければ、話になりません(得点が6割、じゃないですよ)。二次試験の倍率が約5〜6倍、しかもざっと見たところ欠席者は二名ほどなので、これは致命傷です。他の科目や論文の出来が良くても、穴埋めはおそらく無理でしょう。楽観的な判断が可能な材料は皆無なだけに、残っている選択肢に向けて気分を切り替えるしかなさそうです。

 なお、不合格が確定した後にあった小論文の題目が、「あなたにとっての「時間」について論じなさい」。数十人の受験生の中で「えいえんのせかい」なんて書いたのは絶対に私一人だけでしょうね(^^;) いえ、もちろんゲームのゲの字も出さず、ハイデガー理論やインド教学を援用して、少し毛色の変わった文を書いただけなのですが、制限時間90分のうち、40分で書いてしまい、さっさと出てきました。一応誤字脱字はなかったし、もうやけっぱちもーど。はははっ。

 週明けにはまたスーツで酷暑の都心を徘徊(なんか違うような…)することになるので、今日は一日ゆっくり休みます。今は確かにめちゃめちゃ悔しいのですが、できるだけのことをやった結果ですので、それなりに自分を納得させることはできると思いますし。だてに何度も試験不合格を経験しちゃいません(いばれることじゃないのでしょうが…)。

 我が道程、咫尺を弁ぜず、ってか……はうぅ。

 

 で、帰宅してビール一本飲んで、早速『水素』をインストールしているんですから、我ながらつけるクスリがありませんな(^_^;) まぁ、テキストのひどさは覚悟の上なので、オレよりひどいプロがいると思って優越感に浸るのも一興かな、と、性格の歪みをいかんなく発揮しつつ、修正ファイルをあてた上で、さっそく起動。

 あの〜、本編二行目で、いきなり脱字があるんスけど……(^_^;;;;

7月27日(金)

 リンクページをリニューアルしました。ページのサイズ自体はあまり変わらないのですが、テーブルタグを排除したのでかなり表示も速くなったのではないかと思います。そのかわりに縦に長くなってしまったのが難点でして、今後はリンクページ分割ということも必要かも。あわせて、リンクコメントをまたも修正しましたが、前回ほどインパクトのある修正箇所はないと思います(^^;

 ここ数日の「戯れ言」および掲示板での関連内容が「難しくてよくわからない」というメールをいただきましたので、手に負える範囲で(おぃ)フォローしておきます。

 まずは、私のレビューのように「主観を第一」にしている立場などは、「客観」という尺度の有効性自体を否定する、もしくは非常に限定された範囲内においてのみその有効性を認めることが、その前提としてあります。そのためには、見解の多様性を積極的に認めると同時に、相互の摩擦や衝突等が発生しても、価値観の尊重を絶対則として――多様性を否定する独善主義のみを、唯一の「否定可能な見解」という例外として――承認しておくことも必要です。

 しかし、この「価値観の多様性」という言辞を、安易な価値相対主義と同様に扱うべきではありません。「他は他、俺は俺」という論も、そういう議論が存在すること自体は否定されません(上述の「絶対則」による)が、その論が「外部」からの批判に耐えられるか、あるいは説得力を持ちうるか、となると、話はまったく違ってくるわけです。つまり、意見というものが、「外部」と接触して「議論」の対象となるに値するためには、他者との隔絶を前提としては無理があるわけです。つまり、「より説得力を高めようとするのであれば」孤立主義的な論に籠もることはよろしくないわけです。

 そして一方、「議論」に耐えうる論自体が「良い」ものであり、そういう「姿勢」こそが望まれるもの、という意見も、必ずしも妥当ではありません。そういった論は、確かに「外部に対する説得力」は有するでしょうし、したがって一般的にかなりの程度理解・受容されうるものとして、妥当性の高いものになることは間違いありませんが、そういう「論」を構築すること自体に労力がかかることを、決して忘れてはいけません。なにがしかのロジックをもとに語るのであれば、相応のコストが求められるわけですが、さまざまな関心事に興味を深く抱く人であっても、それらのすべてに対して「論じる」ことを求めるのは、むしろ「論ずべき立場」を(特権的に)確保している人間の傲慢ではないでしょうか。これは、「ことばの暴力性」とも重なる部分が多い事柄なのですが、「真面目な姿勢」を取ることは、あくまでも「一つの選択肢」に過ぎず、それは「人に対して求めるもの」でもなければ「倫理的に賞賛されるべきもの」でもないと考えます。真摯な努力をする人に対して敬意を抱くのは自然なことですが、努力それ自体を求めるべきではないと考えます。努力が「行われなくてはいけない」として強制ないし半強制されたとしても、それはドロップアウトする人に対してマイナスの烙印を押すことをも意味することなのですから。

 他者を否定しない限りにおいて、論の姿勢に対して善悪をもって語ることは許されないでしょう。もちろん、「語る」立場によってこれは異なってきますし、例えば政治的・社会的に「表明」が求められている場合であれば話はまた違ってきますが、自己実現・自己表明の一手法として「語る」範囲内に収まっている限りでは、この判断がもっとも妥当であろうと考えている次第です。

 まぁなんにせよ、複雑さのわかりにくさから目を背け、わかりやすく見える単純化・一面化へと走ってしまうという安易さは、「書く」人間としては慎むべきだ、と考えてはおりますし、その線でいけば、難しい話にこだわることはありません。議論することにあまり意味のない方法論への拘泥は、逆に「ワク」をはめてしまうだけに終わりがちであることは、アカデミズムの現状を見れば一目瞭然でしょう…というのは、グレた文系院生のヒガミでしょうか(^^;

 

 ゲームをやれる状態ではないとはいえ、BGMを流す程度のことはしょっちゅうしているので、先日書いたゲームのうち『水素』だけ開封し、サウンドファイルをMP3化しました。なかなか感じはいいのですが、マニュアルを見て愕然。この悪文の山はいったい何ですか? 主人公を含めて6人ぶんのキャラ紹介が載っているのですが、そのうち5人ぶんについては、日本語が明らかに変です。

 

・主人公日常の生活をごくごく普通に暮らしているが

 「生活を暮らす」という日本語はありません。「生活を送る」が正しい日本語です。よって「送っているが」と直すべき。

・まひるショートカットでいつもウェイターのような格好をしているため、ちょっと見はかわいらしい男の子という印象を受ける

 主語は「まひる(=ヒロインの一人)」と推測されますが、彼女が印象を「受ける」のは変です。彼女の姿形から「男の子っぽい」という印象を「他の人が受ける」わけです。従ってここは「印象を与える」とするべき。

・静瑠新聞部の記事として、絵画コンクールに出展するまでをドキュメントとして取材するように部長より言われた主人公につきまとわれる

 まず、えんえんと「主人公」にかかる修飾語がダラダラ続き、一読しただけではピンときません。さらに、その修飾語(節)の中でも「絵画コンクールに出展する」の箇所は静瑠が主語であると思われるので、混乱をいっそう助長します。ここは、主人公を最初から主語として、「…彼女につきまとうことになる」とまとめた方がスッキリします。また、細かい点ですが、「ドキュメント」ではなく「ドキュメンタリー」ですね。

・彩乃小学生の頃に、かけっこで1番になった主人公にあこがれ、自分もなりたいという思いから、陸上部に入部

 この「彩乃」と主人公とは同学年の幼なじみであり、そういう関係のキャラどうしで「あこがれ」という表現はあまり適切とは思えません。さらに、「何に」なりたいのかも書かれていません。「1番になりたい」だけであれば陸上部に直結するはずはないので「スピードランナーになりたい」のではないかと推察されますが、何気なく目を通しただけでは前者の解釈になりがちなのでは。

・綺羅ちょっと勝気で小生意気な性格が災いしてか、知り合った主人公に何かと突っかかってくる

 「…が災いする」という表現は、あることが原因となって「当人に」災いがふりかかるというときに用いる表現です。「主人公に突っかかる」ことが、綺羅にとって「災い」であるというのは、あまりにも無理があります。単に「…性格のせいか」ぐらいの表現で充分のはず。綺羅の性格が「素直に人当たりよくできない」というのであれば、「災い」という表現も可能となるでしょうけれど。

 

 なんだかこのテキスト群を見ているだけで、頭が痛くなってきました。これを見ただけでゲームに対するやる気がかなり失われた気がします。マニュアルでこれなら、ゲームテキストはさぞかしトホホなものなのでは、と思えてなりません。マニュアルの校正くらい、きちんとやって下さいよ、頼むから。

 

 それ以前に、明日は本命の二次試験なのですが、こんなんで大丈夫なのでしょうか、私(^_^;

7月23日(月)

 下で書いた一次試験、なんとか合格しておりましたので、今度は二次試験に向けて勉強しております。そうはいっても、スーツを脱ぐわけにもいかず、汗をかきながら都心を闊歩(というのか?)する毎日、すっかり肌も赤黒くなってきました(^^;)

 秋葉原にも新宿にもご無沙汰して久しいのですが、こうなってくるとあまり購入意欲なども出てこなくなるから不思議なものです。プレイできないなりにも、安く売られていたゲームを買い集めるといったことはやっているため、すでに『雨上がりの猫たちへ』(HOOK)『水素』(e-エ・レ・キテル)『ねがぽじ』(アクティブ)『Wing&Wind』(Clear)『みずいろ』(ねこねこソフト)といったところが開封されずに転がっております(爆) いつ消化するんだよ、この山…。

 

 サイト草創期に比べて、ずいぶんとレビューページの項目が増えて参りました。「こんなデータが載っていれば便利だな」ということを後付けでどんどん増やしていった結果ですが、ここいらでちょっと整理しておこうかと思い、レビューページ専用の「ご案内」を設置しました。

 改めて思うのは、レビューを書く「姿勢」もさることながら、そういう「姿勢」を一般的に評価する際にはどう判断するべきか、それが非常に難しいということです。これは「関連リンク先」の項目で一番感じることなのですが、自分の「視点」の根拠自体をバッサリ否定するようなサイトに対してもなるべく目を広げたいと思いつつ、やっぱり付き合いがあるサイトに限定すると、そこそこ「無難」な「共通項」ともいうべき枠内に収まってしまうものだなぁ、と感じております。各ゲームごとに「ゲーム購入への道」で確認し、個別にチェックするのがベストなのですが、そうすると今度はリンク先サイトが果たしてその後どうなっているかをチェックする必要が出てくるわけで、すでにレビューが200を超えている現状ではあまり現実的な方策でもありません。うーみゅ、困った。

 リンクといえば、頻繁にお邪魔したり拝見したりといった「気楽につきあえる、いうなれば気の置けない関係」ともいうべきサイトに対しては、悪ノリすることがありますが、さすがにリンクして間もないころにはそういうことは行いません。基本的に、リンクコメントの内容の諾否に関しては、最初に限りリンク先の管理者に一報しております(「許可を得ている」わけではありません)。ここでこじれるケースもあるだけに、まさに緊張の一瞬でありますが、幸い、今のところ大きなトラブルはありませんし、相互リンク申し込み殺到という事態も現時点ではありません。これ以上増えてくると、個別のレビューサイトを「巡回順」に見せることが果たしてプラスなのかどうか、という面も出てきますね。まぁどうなることやら。

7月20日(金)

 昨日は、本命の採用試験(一次)の合否発表でした。しかし、いまだに通知の封書(受験者全員が各自の分を宛名書きさせられたので、合否に関わらず通知は来るはず)が届いていないので、どうなっているか気をもんでいます。以前、某大学に提出した手続書類が紛失するというケースを体験しているだけに、なんか嫌な予感がしないでもないのですが、土曜日には着くでしょう、おそらく。

 

 レビューの文体に対して、「冷静で丁寧ですね」という評をいただきました。丁寧かどうかは私も自信がありませんが、冷静さはなるべく維持しようとしております。しかし、自分の好みが暴走してしまい、行間から怪しげな空気が漏れだしている場合も多いのが実情です。まぁ、一般的に、テキストを挑発的にしたり、あるいはそこに毒を含ませたりすれば、目を引くことはできるでしょうし、また共鳴する人を引きつけることは可能でしょうが、一方で、まったく違った視点を読む人に対して導入することは、難しくなります。人を説得するために書いている意見文ではないので、それでも構わないのですけれど、私は、読む人に、「自分の頭で批判的に考えてほしい」と思っているので、やっぱり(少なくとも見た目は)冷静な筆致をキープしたいと考えております。そのためには、論拠・展開・論旨を明確にするだけでは不十分なのであり、むしろ、実証主義を錦の御旗として相対主義という名の泥沼へと突進していきかねない「テクストの自己システム化」にこそ、警戒を緩めてはいけないのでしょう。

 べつだん「真面目」にこだわる必要など、まったくありません。自分内部にある「何か」を気に留めつつ、その「何か」と関わりがあるであろう「言葉」から目を背けない、それだけで、言葉の持つ「チカラ」は、限りなく膨らんでいきます。これは、書く側だけでなく、読む側にとっても(姿勢としては異なりますが)通じるところがあるはずです。逆に、「真面目」であろう、という姿勢を貫こうとすると、「真面目」でない姿勢に対する不寛容という「暴力」が、にょきにょきと顔を出してくるのがオチでしょう。言説のもつ「暴力性」は、むしろ筋の通ったキチンとしたところからうまれるという、多分に逆説的な事実は、忘れがちではありますが、目を背けてはいけないことでもありましょう。

 もっとも、最近はレビューを書くどころかゲーム自体まったくできない状況なので、何を言っても「せんないこと」と扱われるのがオチですけれど(^_^;

7月17日(火)

 この週末は、本命の採用試験(一次試験)、およびもう不採用が確定しているものの意地を通すことが唯一の目的と化した某二次試験とを受けてきました。前者はまずは無難に済んだとは思いますが、この先が大変そう。レベルの高さもさることながら、採用枠が狭く「運」の要素もあるだけに、これまでの不運の分が逆に報われればそれでいいや、などと脳天気に構えております。

 

 当然、ゲームなどやっていられる状態ではなく、七月に入ってからはまったく手を着けていないのが実情です。これを健全と見るべきか否かは人によって違うのでしょうが(^_^;)

 サイトの更新も怠りがちで、非常に心苦しいのですが、レビューはそもそもゲームをプレイしていないので書きようがない(長期中断中のブツを「感想」で書こうかとも考えたり…)、攻略はなおさら無理、という状態。長期更新停止中の「語るね、俺」も、取り上げたいゲームはそれなりにあるのですが(公約としている『カナン』のほか、有力候補としては『卒業写真2』『銀色』『Railway』など)、やはりまとまった時間が必要なので後回し。

 これ以外では、リンクページのリニューアルに、ぼちぼち着手しようかと思っております。検索エンジンの性能が向上している現在、「個人サイトの一コンテンツとしてのリンク集」が一般的にどう評価されているのかは、私にはピンとこないのが実情ですが、私個人としては、紹介文を通じて「他サイトをどのように見ているのか」を明文化するということによって、自分の「視点」を明らかにする、非常に重要なところだと考えております。実際、人様のサイトを拝見した場合、私は最初にリンク集の他サイト紹介文を拝見しています。どうもこういうのは珍しいパターンのようですが、いわば外交拠点でもある部分に関して、あまり手抜きをしたくない、とは考えております。もちろん、こういう考え方は、インターネットという無限大空間の中で「コミュニティ」を共同幻想(おぃ)として把握するような面もありますが、空間が巨大である一方、個別のサイトが孤島のごとく浮かんでいるという面は否定できません。私のサイトも特定の別サイトと密接な関係があるということは(現時点では)まったくありませんし、その限りでは「孤島の一つ」に過ぎません。個人サイト「X-GAME STATION」は、「国境を接した独立国家」ではなく「宇宙に浮かぶ独立星」であると考えております。

 そんなこんなで、気分転換も兼ねて、リンクページの紹介文を一部微修正しました。例によって独断に基づき好き勝手書いておりますが、「これはやめて」という記述がありましたら、ご遠慮なくお申し出下さい。

7月4日(水)

 1日に書いた面接、結局全部切られるという最悪の結果と相成りました。また連敗記録更新という結果となり、ここまでくるともはや自分に適した職業が本当に存在するのであろうかなどということさえ頭をよぎったりしておりますが、「人の評価に委ねる」結果は「受け止める」べきではあるけれど「それをもって自分の評価に直結させる」べきではない、と考えることにします(レビューサイト運営者っスからね、一応)。まぁ、この一週間で、それなりに神経も太くなったとは思いますし、それなりにいい経験ではありました。

 ぼちぼち本命の採用試験が迫っていますので、今回の失敗をうまく活かしていければいいな、と。

 

 ゲームの方を翻ってみると、この一ヶ月間、最初の一次試験が終わって次の試験まで少し間が開くというタイミングでプレイすることのできた『Railway』に手をつけるのが精一杯で、これ以外はまったくプレイできませんでしたが、今後もしばらくこんな状態が続きそうです。メールのお返事などはなるべく早くするようにしてはおりますが、今後は四〜五日程度遅れる可能性もあります。ご了承下さい。

7月1日(日)

 日本経済新聞夕刊のコラム「鐘」が、昨日分をもって終了いたしました。古典から話題の新刊に至るまで、いろいろな書物のいろいろなテキストをもとに、現代的な視点で少ない字数をもって、読みやすくかつ何かを残してくれる文は、新聞・雑誌に溢れるあまたのコラムの中でもトップクラスだと思い、この十数年間、(長期旅行中などの例外期間を除き)ほぼ毎日愛読してきただけに、淋しさを禁じ得ません。

 もろもろの雑文を各所で散見するに、筆者の見識、あるいは視覚の狭隘さに嘆息させられることの多い昨今、「学ぶ姿勢なくして発想なし」を目に見える形で呈示してくれた、そんな(私にとって)「教師」役ともいえる「場」が消えるのは残念でありますが、消滅しないものは何もないのが自然の摂理。まずもって、その存在を、自分内部で消さずに残していきたいとのみ思っております。

 

 某所の掲示板でちょいと書いたのですが、先月受けた某採用試験の一次はなんとか合格したものの、その次の面接になると、各部局で切られる切られる(T_T) しかも、「自己PR」「志望動機」「面接官とのコミュニケーション」については、そう問題があったとも思えないにも関わらず、ですから、タチが悪い。あれこれ考えると、どうも「面白そうではあるけれど組織の一員に据えるにはリスクが大きい」「ただのバカではないのだろうけれど制御しづらい」とでも思われているのではないか、という気がしてなりません。あるいは、面接官とのやり取りの中で「この人の議論ずいぶん雑だなぁ」と思ってしまったことさえあるので、堂々とし過ぎて生意気と思われたかも。まぁ、28歳にもなって、22〜3歳の新卒学生と似たようなものでは、それはそれで人間として問題だとは思いますが。一応、一次選考をクリアした部局が一つだけあるので、なんとかかすかな望みを託していきまする。

 今日は、また別の試験をこれから受けてきます。前の試験よりは比較的楽なのですが、試験合格「後」はさらに厳しそうな感じがしますので、まだまだこれからのようです。

 ゲーム? ……何それ(^_^;



前の月へ 次の月へ
過去の「戯れ言」

[トップページへ]