風のリグレットの脚本

脚本家の坂元裕二と申します。 飯野賢治さんと一緒に作ったゲームの脚本をここにアップします。 1996年、飯野さんと共に壱岐島や尾道に旅行することを経て、 書いたものです。 飯野さんは26歳で、僕は29歳でした。 飯野さんのブログにその当時のことが書かれています。 http://blog.neoteny.com/eno/archives/2008_03_post_328.html

風のリグレット2

              ○

     

           目覚ましの音が止められる。

     女の声「野々村くん──? 野々村くん──?」

           博司が寝起きの声で、

     博 司「あ?」

           博司の恋人、桜井泉水が傍らにいる。

     博 司「泉水──何時?」

     泉 水「三時過ぎてる。今日ゼミ出なかったの? そんなんじゃ

         単位取れないよ?」

     博 司「ああ──」

           歯磨きしてる博司。

     博 司「(歯を磨きながら、何かもごもご言う)」

     泉 水「何?」

     博 司「(もごもごと言う)」

     泉 水「夢?」

     博 司「うん」

           歯磨きを出し、うがいをする博司。

     博 司「夢見てたんだ。ほら、あの夏の、台風の夜のこと」

     泉 水「台風の夜?」

     博 司「小学校の時一緒に駆け落ちしようとか言ってた時のさ」

     泉 水「またその話?」

     博 司「なあ、あん時、どうして来なかったんだ? 俺時計台の

         とこでずっと待ってたのにさ」

     泉 水「──忘れちゃった」

           さっとカーテンを開き、窓を開ける。

           蝉の声が聞こえる。

     博 司「もう夏だな」

     泉 水「うん」

           息を吸い込む泉水。

     泉 水「雨、降るのかな? 雨降る前のちょっとぬるい感じって

         好き」

           息を吸い込む博司。

     博 司「本当だ。天気予報何て言ってたっけな? 台風来てたり

         してな」

     泉 水「野々村くん?」

     博 司「うん?」

           間。

     泉 水「──歯磨き粉の味がする」

     博 司「夏休み入ったら、どっか海でも行こうか?」

     泉 水「就職の内定も取れてないのに、そんなにのんびりしてて

         いいの?」

     博 司「はい、そうでした」

     泉 水「さ、早く着替えて。せっかくうちの会社の人事の小比木

         部長紹介してあげるのに、これで遅刻しちゃったら行く

         とこなくなっちゃうわよ」

     博 司「ああ。ごめんな、泉水に就職の世話までしてもらってさ」

     泉 水「気にしないで」

     博 司「なんか自分が情けないよ」

     泉 水「あ、駄目よ、そのネクタイ、小比木部長、あんまり派手

         なの好きじゃないから」

     博 司「ああ──」

           窓を締め、外の音が止む。

     博司(M)「彼女の名前は桜井泉水。あの夏の駆け落ちは結局彼

         女が約束の場所に来なかったことで未遂に終わった。そ

         れはそれで十年後にこうして付き合っているのだから構

         わないのだが、けれど、時折何か大切な忘れ物をしてい

         るような気がすることがある。とにかく、これから僕の

         身に起こった幾つかの出来事は、誰の身に起こっても不

         思議なことでは無いし、実際誰もが通り過ぎて来、ただ

         忘れてしまっているだけのことなんだ。忘れ物は今も落

         とし主を待ち続けている──」

     

              ○

     

           地下鉄の駅の構内、アナウンスが流れるホームに、

           慌ただしく人々が行き交う。

           博司と泉水が電車を待ってる。

     泉 水「きっと部長さん、博司くんのこと気にいると思うな」

     博 司「だといいけど」

     泉 水「上手く行くわよ」

     博 司「でも、なんか俺が就職するなんて信じられないよ。泉水

         は短大出てすぐ就職したんだろ? どう?」

     泉 水「うちの会社、結構自由だから、大丈夫よ」

     博 司「ああ──あ、そういや昨夜電話したんだけどさ、どっか

         出掛けてた?」

     泉 水「え? あ──ごめん、寝てたのかな」

     博 司「何回か電話したんだけど」

     泉 水「ものすごい寝ちゃってたから」

     博 司「そっか、俺てっきり──」

           何かに気付き、ふいに言葉が途切れる博司。

     博司(M)「あの娘──?」

           何かに目を奪われている博司に声をかける泉水。

     泉 水「どうしたの?」

     博 司「あれ」

     泉 水「何?」

     博 司「ほら、そこにいる、あの娘」

     泉 水「うん? ああ──どうしたの?」

     博 司「ほら、あの娘、胸んとこのポケットん中に──」

     泉 水「何?」

     博 司「見えない? シャツの胸ポケットの中に──」

     泉 水「何?」

     博 司「鳥」

     泉 水「鳥──?」

     博 司「ああ、ポケットん中にほら、ツグミかな? 入れてるん

         だ──」

     泉 水「ほんと──」

           かすかに鳥の鳴き声が聞こえる。

           鳴き声をさえぎって、白線までお下がりくださいの

           声と共に、電車がホームに入ってくる。

           扉が開き、乗り込む人々。

           博司と泉水も乗り込み、走りだす。

           車内──、

     車掌の声「ご乗車ありがとうございます。次は、※※~ ※※~」

     博 司「大丈夫かな?」

     泉 水「うん?」

     博 司「さっきの娘も乗ってるよ。結構混んでるし、あの鳥潰さ

         れちゃうんじゃないかな」

     泉 水「うん──」

           その時、列車が揺れる。

           倒れそうになる乗客たち。

           博司も誰かにもたれかかってしまったらしく、どん

           とぶつかる。

     博 司「あ、ごめんなさい」

     男の声「いえ──」

     博 司「泉水? 大丈夫か?」

     泉 水「──」

     博 司「どした?」

     泉 水「──うん? 何?」

     博 司「いや、何かあった──?」

     泉 水「ううん、別に」

     車掌の声「※※~ ※※~(と、駅名を告げる)」

           駅に電車が到着する。

           扉が開いて、人々が降車する中、小さく鳥の鳴き声

           が横切る。

     博 司「あの娘、ここで降りるみたいだな──」

     泉 水「あ、ねえ」

     博 司「うん?」

     泉 水「ごめん、忘れ物してた」

     博 司「忘れ物?」

     泉 水「わたし、ここで降りる」

     博 司「何で? じゃあ俺も行くよ、何、ガスの元栓?」

     泉 水「ううん、ごめん、今日キャンセルさせて?」

     博 司「え!? 何だよ急に、人事部長待って頂いてるんじゃない

         のか?」

     泉 水「わたしから連絡入れとくから。ごめんね、夜、電話する」

     博 司「お、おい、どうしたんだよ──!」

           扉が閉まり、再び走りだす電車。

     博司(M)「けれどその夜、彼女からの電話は一度として鳴るこ

         とは無かった」

     


風のリグレット1

     

<第一部>

     

              ○

     

           時を刻み、時計がかちかちと鳴っている。

           主人公、野々村博司のモノローグがかぶさる。

     博司(M)「時に人と人との出会いが、はじめてじゃないような

         気がするのは、何も前世なんて言葉で解決するようなこ

         とでは無いのかもしれない。幼いころ、まるでそれが世

         界のすべてかのように愛した、自転車や虫かごや学校の

         裏山も、今では何も思い出せず、遠い霧の向こうに音も

         たてずに隠れている。けれど記憶喪失の人間が自転車の

         乗り方は忘れないように、それは決して消えてなくなっ

         たわけではなく、ある日突然、霧は晴れる」

           蝉の鳴き声。

           小学校の始業ベルが鳴り響く。

           廊下を走り抜ける何人もの子供たちの足音。

           黒板を打つチョークの音が聞こえる。

           教室内で算数の授業が行われており、先生が簡単な

           計算式について教えている。

           扉が開く。

     先 生「どうした?」

     少 女「寝坊です」

     先 生「席に着きなさい」

           歩く少女、椅子に座る。

           隣の席の少年(幼い頃の博司)が小声で話しかける。

     少 年「朝、迎えに行ったのに」

     少 女「ごめん」

     少 年「今夜さ、十九号が来るんだって」

     少 女「十九号?」

     少 年「台風さ」

     少 女「台風?」

     少 年「すげえ大きいんだって。なあ、見にいかない?」

     少 女「いいけど──」

     少 年「なあ、何で朝出てこなかったんだ?」

     少 女「おじいちゃん、死んじゃったの」

     少 年「おじいちゃん?」

     少 女「死んじゃったの」

     少 年「──ふーん」

     少 女「何ページ?」

     少 年「百五十二──君んちさ、父さんも母さんもいないんだろ」

     少 女「いないよ」

     少 年「おじいちゃんしかいなかったんだろ」

     少 女「いなかったよ」

     少 年「どうすんの?」

     少 女「東京のおじさんちに行くの」

     少 年「東京?」

     少 女「転校するの」

     少 年「だって転校してきたばっかりだよ。いつ?」

     少 女「夏休みになったらすぐ」

     少 年「明日から夏休みだよ。じゃあ会えるの今日だけじゃん」

     少 女「かな」

     少 年「そっかあ──東京、行きたくないのか?」

     少 女「しょうがないし」

     少 年「──なあなあ、二人でさ、どっか逃げるってのはどう?」

     少 女「え?」

     少 年「学校とか行くのやめて、家とかも帰るのやめてさ、どっ

         か行くの」

     少 女「どっか?」

     少 年「どっか」

     少 女「どっかって?」

     少 年「だから──ゴッホだよ」

     少 女「ゴッホ? 何処、それ。遠いの?」

     少 年「遠いかも。けど、すげえ綺麗なとこなんだよ。前にさ、

         絵で見たんだ」

     少 女「絵で?」

     少 年「うん、青い夜の絵。夜が青いんだ。海みたいに広い広い

         麦畑があってさ、ずうっと向こうの方まで何にも見えな

         くて、星があって月があって、他には何にもないんだけ

         ど、なんかさ、なんか起こりそうな感じがするんだ。ど

         きどきしてさ、心臓が破裂するかと思ったよ。その絵の

         さ、下んとこ見たらゴッホって書いてあった」

     少 女「ふーん」

     少 年「ゴッホ、行く?」

     少 女「うん、行く。ねえ、それって駆け落ち?」

     少 年「え?」

     少 女「駆け落ちっていうのよ、男子と女子が一緒にどっか行く

         こと」

     少 年「じゃあ、それだ」

     少 女「わたし、東京行かなくてもいいのね」

     少 年「うん、行かなくてもいいよ」

           時を刻む時計の音。

     博司(M)「あの頃僕らはまだ幼くて、たぶん恋をしていたけれ

         ど、恋が何なのかは知らなかった。おしっこが漏れそう

         になったらトイレに行く。石ころを見つけたら川に投げ

         る。先生に怒られたら廊下に立つ。蛙を見つけたら女の

         子のランドセルに入れる。だけど恋をした時はどうすれ

         ばいいんだろ。僕たちは恋の使い道がわからなくて、そ

         れがいつも僕らの宿題だった」

           終業のベルが鳴る。

           放課後の帰り道、歩いている少年。

           追いかけてくる少女。

     少 女「ねえ、どうする?」

     少 年「何が?」

     少 女「もう忘れたの、一緒に駆け落ちするんでしょ?」

     少 年「あ、そうだ。なあ、それさ、台風見に行ったあとでいい

         かな? 台風、見たいんだ」

     少 女「いいよ」

     少 年「本当? うんと高いところがいいんだ。時計塔とかさ、

         あそこからなら見えるよ」

     少 女「あんなとこ登れるのかな」

     少 年「役場のおじさんが掃除してるとこ見たことあるんだ。中

         に階段とかあるし、絶対登れるよ」

     少 女「うん」

     少 年「じゃあ、時計台の前に、七時に待ち合わせしよう」

     少 女「うん。ちゃんと忘れないで来てね」

     少 年「忘れないよ」

     少 女「絶対よ」

     少 年「絶対行くって。どうせ明日から夏休みだし」

     少 女「夏休みが終わったら、駆け落ち終わりなの?」

     少 年「終わらないよ、夏休みが終わっても、ずっと僕らだけ夏

         休みなんだ」

     少 女「ずっと夏休み?」

     少 年「うん、ずっと夏休み」

     少 女「ねえ、こっち来て」

           道から外れ、草むらに入り込む。

           草をかき分け、倒れ込む。

     少 年「何?」

     少 女「野々村くんさ、キス、したことある?」

     少 年「え、何、何言ってんの──」

     少 女「無いんでしょ? ねえ、しようか? キス」

     少 年「──うん」

     少 女「じゃあ、目つむって」

     少 年「うん」

     少年・少女「せーの」

           風に草木が騒ぎ、虫が鳴いている。

     博司(M)「小鳥が挨拶したように、かちんと音の鳴りそうなそ

         んな不器用なくちづけだった」

     少 女「誰にも言っちゃ駄目よ、わたしたちだけの秘密よ」

     少 年「うん」

     少 女「ありがとう」

     少 年「何が?」

     少 女「ううん。またあとでね」

     少 年「うん。七時に時計台の前でな!」

           再び時計の音が聞こえてくる。

     博 司(M)「だけどその夜、僕らが時計台で会うことはなかっ

         た。夏休みが永遠に続くようなことはなく、予定どおり

         八月三十一日に終わり、そしてあれから十年とちょっと

         の年月が流れ、僕は大人になった。大人になった今も、

         あの日どうして彼女が時計台に来なかったのか、恋をし

         た時はどうすればいいのか、何ひとつわからずにいる。

         何ひとつ」

           時計が鳴りやみ、目覚ましの音が鳴り響く。

     


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