風のリグレットの脚本

脚本家の坂元裕二と申します。 飯野賢治さんと一緒に作ったゲームの脚本をここにアップします。 1996年、飯野さんと共に壱岐島や尾道に旅行することを経て、 書いたものです。 飯野さんは26歳で、僕は29歳でした。 飯野さんのブログにその当時のことが書かれています。 http://blog.neoteny.com/eno/archives/2008_03_post_328.html

風のリグレット5


 

             ○

     

           波が寄せては返す。

           海の音に混じり、バスが停車し、そして走る音が重

           なってくる。

     博司(M)「僕の生まれ育ったこの小さな街は海沿いにあり、細

         長いその形から、よくへちまにたとえられる。海岸線に

         沿って街の東西を往復しているバスがあり、その真っ赤

         な車体がこの街のちょっとした名物になっている。その

         昔、町長が変わり者だったそうで、都心から払い下げて

         きた古いバスを、塗り替えたことが由来らしい。地元の

         ひとたちは下品だと言うが、海沿いに真っ赤なバスが走

         るこの街を、僕は結構気に入っていた」

           駅に着く列車。

     車掌の声「兎来美町~ 兎来美町~」

           駅から出てくる博司と菜々。

           静かに蝉が鳴いている。

     菜 々「(欠伸をし)眠い」

     博 司「だからちゃんと寝ろって言ったろ」

     菜 々「でも、気持ちいい朝」

     博 司「ちょっと俺、そこの公衆電話で留守電聞いてくるよ。泉

         水から連絡入ってるかもしれないし」

     菜 々「うん」

           電話ボックスに駆け寄り、扉を開く。

           受話器を取り、かける。

           呼び出し音に続き、

     留守電の声「もしもし、ただいま外出──」

           留守電に切り替わるが、暗証番号を押す。

           伝言が流れる。

           風邪気味の声。

     女の声「もしもし、野々村くん? 泉水です。今日も留守みたい

         ね。ええっと、あの──きっと心配してるよね。ごめん

         ね。今はまだ上手く話せないの。とりあえずわたしは元

         気にしてます──また電話するね」

           受話器を置き、電話ボックスを出る。

           菜々の元に駆け寄り、

     博 司「伝言、入ってたよ」

     菜 々「そう」

     博 司「元気にしてるって」

     菜 々「良かったね」

     博 司「うん──」

     菜 々「どうしたの?」

     博 司「──本当はおとなしく東京で待っててあげる方がいいの

         かもしれないなと思ってさ」

     菜 々「彼女がそう言ってたの?」

     博 司「いや──」

     菜 々「──ねえ、帰ってきたの久しぶりなんでしょ、懐かしい

         んじゃない?」

     博 司「けど、だいぶ変わっちゃったから。あんなとこに煙突な

         んか見えなかったよ。街外れに製紙工場が出来たっての

         は聞いたことあったけど」

     菜 々「泉水ちゃんもここに降りた時、最初にあの煙突を見たの

         かな」

     博 司「本当にここに帰って来てるんならね──どっちにしても

         この街に、彼女が消えた鍵があるのかも」

     菜 々「うん」

     博 司「とりあえず、昔の同級生んとこにでも行ってみよう」

     

              ○

     

           小学校に博司と菜々が来る。

           放課後のベルが鳴っている。

           校庭で子供たちがドッヂボールをするなどしてる。

     博 司「ここで先生やってる娘がいるんだ。泉水と同じ大学だっ

         たし、何か知ってるかもしれない」

           歩いていく菜々、振り返り。

     菜 々「どうしたの? 行かないの?」

     博 司「うん──」

     菜 々「ここなんでしょ?」

     博 司「ああ──ただ、なんとなく、ずっと頭の中にあった風景

         と違うなってさ」

     菜 々「あ、ここが君の通ってた小学校なんだ?」

           はしゃぎまわる子供たちの声。

     菜 々「子供の頃の記憶なんて、あてにならないものよ」

     博 司「そういうものなのかな──」

     菜 々「わたし、体育館のあたりで待ってるね」

     博 司「ああ──」

           板張りの廊下を歩く。

     博司(M)「決して改築されて見る影もなくなったというわけで

         はない。板張りの校舎も、青い瓦屋根もたぶんあの頃と

         変わっていない。ただ、自分がおぼえていた──いや、

         想像していたものとはあまりにもかけ離れた風景が目の

         前にあった。思い出はいつも、もうひとつの世界を作り

         だす」

     

              ○

     

           たてつけの悪い引き戸を開け、入ってくる博司。

     博 司「すいません、こちらの先生で島田麻実さんいらっしゃい

         ますか?」

     教 師「島田? そんな先生はここにはいませんよ」

     博 司「え──」

           別の席にいた吉川麻実が声をかける。

     麻 実「はいはい、わたしです。何でしょう?」

     博 司「あ、野々村博司と言いますけど──」

     麻 実「野々村くん?」

     博 司「あ、麻実?」

     麻 実「久しぶりイ。わたし、結婚したのよ」

     博 司「そうなんだ。ちょっと時間あるかな?」

           時間経過──、

           廊下を走る子供たちの声。

           話している博司と麻実。

     麻 実「泉水?」

     博 司「最近会ってないか?」

     麻 実「会ってないわ。東京にいた頃何度か会ったけど、こっち

         戻ってからは全然」

     博 司「そっか」

     麻 実「野々村くん、泉水と東京で会ったことあんの?」

     博 司「うん? うん、まあ、ちょっとね──」

           他の教師が声をかける。

     他の教師「吉川先生、職員会議はじまりますよ」

     麻 実「あ、はい、今行きますから──あ、そうだ、園川くんな

         ら知ってるんじゃない? 今でもときどき泉水と電話で

         話すとか言ってたから」

     博 司「園川? ああ、野球部だった奴ね。何であいつが泉水の

         ことを──?」

     麻 実「さあ、知らないけど。彼、今、駅の南口の商店街にある

         スワンソングってバーで働いてるのよ」

     博 司「へえ、意外だね、あいつが飲み屋だなんて」

     麻 実「会えばもっと意外に思うかもよ?(と、くすくす笑う)」

     博 司「何で?」

     麻 実「行けばわかる。夜にならないと開いてないと思うけど」

     博 司「ありがとう、行ってみるよ」

           博司、行きかけると、

     麻 実「泉水のこと探してどうするの?」

     博 司「うん、まあ──」

     麻 実「わたし、昔からあの娘のこと、あんまり好きじゃなかっ

         たな」

     博 司「え──」

     麻 実「わたし、小学校の時一度階段から落ちたことあったんだ

         けどね、あれって、泉水に落とされたのよ」

     博 司「え──!?」

     麻 実「正確には、自分で落ちたんだけどね。あの娘にすごく冷

         たい目で見られて、あんたなんか死んじゃえばいいって

         言われたのよ。それでわたし、怖くなって──」

     博 司「ど、どうしてそんな──」

     麻 実「わたしが野々村くんのこと好きだったこと、ばれたから

         かな」

     博 司「え──」

     麻 実「(微笑って)冗談よ。忘れて?」

     博 司「何だよ、脅かすなよ」

     麻 実「じゃあね」

     博 司「じゃあ」

            立ち去る博司、ふと振り返り、

     博 司「麻実?」

     麻 実「うん?」

     博 司「本当に冗談なのか?」

     麻 実「(誤魔化すように)時間出来たら電話ちょうだいね?」

     

              ○

 


          体育館に博司が来る。

           足音から何からひとつひとつの音が館内に響く。

           鍵盤の音がひとつ鳴る。

           誰かが弾いてるピアノの音が聞こえてくる。

     博司(M)「体育館に入ると、途切れ途切れにピアノが鳴ってい

         るのが聞こえてきた。それは曲というよりも、何か、雨

         音のようだった。朝、学校に行こうと目を覚まし、ふと

         窓を開けると、いつもちょうどこんな感じで雨は降って

         いた。雨の音──、青い音──、月曜日の音──、弾い

         ているのは、菜々だった」

           しばらく聞き入るが、落ちていたバスケットボール

           を蹴ってしまう。

           床を跳ね、館内に音を響かせて転がっていく。

           途端にピアノの音が途切れる。

     博 司「何だよ、止めるなよ」

     菜 々「弾けないもん」

     博 司「今弾いてたじゃん」

     菜 々「弾けないもん」

     博 司「別に無理にとは言わないけどさ」

           菜々、ピアノの蓋を閉め、ステージから降りる。

     菜 々「どう? 収穫あった?」

     博 司「夜まで時間開いちゃったよ」

     菜 々「じゃあ、ライカの餌買いたいんだけど、どっか無い?」

     博 司「駅前のスーパーならあるよ、行ってみよう」

     菜 々「うん」

           歩きだす二人。

     菜 々「今こういう古い学校って少ないだろうね」

     博 司「だろうな。ここはあの頃とほとんど変わってないみたい

         だし」

     菜 々「ひとつ変わったことがあるよ。ほら?」

     博 司「うん? 蛍光灯?」

     菜 々「昔はさ、みんな裸電球だったじゃない?」

     博 司「ああ、そういえば──」

     菜 々「ねえ、思い出がいつもセピア色に見えるのは、あの裸電

         球のせいだったのかもしれないね」

     博 司「ああ──(微笑って)なんか、ここが自分の通ってた学

         校みたいな言い方するよな?」

     菜 々「そお? 小学校なんて何処も似たようなものだから」

     

 

風のリグレット4

           

             ○


          激しく風が吹きつける。

           博司と菜々は隣の部屋のベランダに立っている。

     博 司「あいつ、隣の住人の顔も知らないんだ」

     菜 々「都会の無関心さってのも時には役に立つのね──ここ、

         何階だっけ? あ、下見ない方がいいわよ」

     博 司「何で?」

     菜 々「ここ乗り越えて、隣に移るんだから」

     博 司「え──」

           さらに強く風が吹きつける。

     菜 々「手貸して?」

     博 司「止めた方がいいよ。お、おい──!」

           手すりに捕まり、ベランダの向こう側に渡る菜々。

     博 司「危ないってば、落ちるぞ」

     菜 々「うわあ、風すごいね、スカートめくれそう」

           風に菜々のスカートがはためいている。

     博 司「パンツ、見えるぞ」

     菜 々「大丈夫よ、履いてないから」

     博 司「え──」

     菜 々「冗談よ」

     博 司「──手放すぞ」

     菜 々「放すよ」

     博 司「お、おい」

           たん、と無事隣のベランダに降りた。

     菜 々「(息をつき)来れる? 手貸してあげようか?」

     博 司「結構です」

           風が吹きつける中、博司も息を荒くさせながら、向

           こう側に行く。

           無事に降りる。

     博 司「(息をつく)結構びびるね」

     菜 々「ねえ、窓閉まってるみたいよ」

     博 司「え? そりゃそうだよな──(諦め)しょうがないな」

     菜 々「どうしようか?」

     博 司「だから、しょうがないね」

     菜 々「そうよね、しょうがないよね」

     博 司「うん」

     菜 々「そこの消火器取ってくれる?」

     博 司「何すんの?」

     菜 々「ちょっと離れてて」

     博 司「え?」

     菜 々「せーの」

           激しくガラスが割れる音。

     博 司「あ──! な、何てことすんだよ!?」

     菜 々「自分だってしょうがないねって言ったじゃない」

     博 司「違うよ、俺はしょうがないから引き返そうって──」

           あっさりガラス戸が開けられる。

     菜 々「開いたよ」

     博 司「ちょっと待って」

     菜 々「何?」

     博 司「手帳は見ちゃいけないのに部屋には勝手に上がり込んで

         もいいわけ?」

     菜 々「あんまり難しいこと聞かないでくれる?」

     博 司「──(ため息)」

     

              ○

     

           部屋に入ってきた二人。

     博司(M)「バジル、マジョラム、ローズマリー、レモングラス、

         ペパーミント、カモミール。泉水は幾つものハーブを部

         屋で育てていた。そして今その全てが枯れていた──」

           新聞紙などを広げている菜々。

     博 司「何してんだよ?」

     菜 々「ここ、ちゃんと塞いどかないと、泥棒入っちゃうでしょ」

     博 司「もう二人入ってるよ」

     菜 々「どっかガムテープ無いかな──やっぱ誰もいないみたい

         ね。荒らされてる様子は無いけども」

     博 司「けどなんか、ハーブに水もやってないし、もう十日以上

         帰ってないみたいだ」

     菜 々「五日前には会ったんでしょ?」

     博 司「ああ──ただ、ここんとこずっと俺から連絡取ってもつ

         かまらなくてさ、いつも向こうからだったし。泉水、家

         帰らないで何処に行ってたんだ?」

     菜 々「わたしに聞かれても」

     博 司「君に聞いてないよ」

     菜 々「怒らないでよ」

     博 司「(ため息をつき)どうなっちまったんだよ──」

     菜 々「──彼女、泉水ちゃんだっけ?」

     博 司「ああ」

     菜 々「どういう付き合いだったの?」

     博 司「どうしてそんなこと聞くの?」

     菜 々「別に──何かいなくなる理由でもあったのかなって」

     博 司「いなくなる理由なんか無いよ──小学校の頃から幼なじ

         みでさ──」

     菜 々「幼なじみ──」

     博 司「ああ、昔からこう、髪が長くて、白いワンピース着て麦

         わら帽子が似合うような娘でさ、可愛かったんだぜ?

         君とは大違いでさ?(と、微笑う)」

     菜 々「あ、そう」

     博 司「一度さ、俺たち駆け落ちしようとしたことあってさ?」

     菜 々「駆け落ち?」

     博 司「彼女の家の都合で転校しなきゃいけなくなくなって、そ

         れで。子供のくせに馬鹿みたいだろ? まあ、子供だっ

         たから余計に純粋に考えてたのかな」

     菜 々「ふーん。それでどうなったの?」

     博 司「彼女が待ち合わせ場所に来なかったんだ。そのまま夏休

         みの間に彼女、転校しちゃってそれっきりだったんだけ

         どさ、大学で東京来てから偶然再会したってわけ」

     菜 々「ふーん」

     博 司「すぐには思い出せなかったんだけどさ、だんだん、あの

         頃のことがよみがえって来てさ、運命っていうか、赤い

         糸っていうか──(自嘲気味に苦笑し)何でこんな話君

         にしてるんだろ。馬鹿みたいだよな、運命だなんだ言っ

         たって、このざまじゃな。就職は決まらないし、彼女は

         消えちまうし、情けねえ──(と、ため息)」

     菜 々「──留守電でも聞いてみれば?」

     博 司「留守電?」

     菜 々「何か連絡入ってるかもしれないでしょ?」

     博 司「──(ひと息つき)そうだな」

           受話器を取り、番号を押す。

     博 司「あんまりそこらじゅう触るなよ」

     菜 々「うん、ハーブに水あげとこうと思ってさ」

     博 司「あ、そう」

           暗証番号を押す。

     博 司「あ、一件入ってる──」

           聞き入る。

     女の声「もしもし、野々村くん? もしもし、いませんか? 留

         守ですか? ええっと、泉水です。また電話します」

     博 司「泉水だ! 泉水から連絡入ってる──!」

           聞き入る博司。

           受話器を置く。

     博 司「──良かった」

     菜 々「何て?」

     博 司「何も──留守しちゃってたから──けど、とりあえず無

         事だってことだけでもわかったし、なんか風邪ひいてる

         みたいだったけど、明るい声だったし──」

     菜 々「良かったね」

     博 司「ああ──ああ、失敗したな、こんなことなら家にいれば

         よかった」

     菜 々「──お茶でも入れるね」

           立ち上がり、台所の方に行く菜々。

     博 司「ありがとう──って、ここは君の家じゃないぞ! まっ

         たく何考えて──」

           台所の方から声がする。

     菜 々「ねえ、名前、何だっけ?」

     博 司「桜井泉水」

     菜 々「じゃなくて、君の」

     博 司「野々村博司」

     菜 々「野々村博司くん」

     博 司「はい」

           傍らに菜々が来る。

     菜 々「ねえ、これ見て」

     博 司「うん?」

     菜 々「時刻表、あったの」

     博 司「時刻表? どうしてそんなもの──」

           時刻表のページをめくる。

     菜 々「あれ──」

     博 司「うん?」

     菜 々「ねえ、紅茶好き?」

     博 司「あんまり」

     菜 々「君じゃなくて彼女よ?」

     博 司「ああ、よく自分で入れて飲んでた」

     菜 々「アールグレイ」

     博 司「かな」

     菜 々「ほら、アールグレイの葉っぱが落ちてる。彼女きっと紅

         茶入れながらこのページを見てたのよ。ほら、ペンで印

         付けてある」

     博 司「何処?」

     菜 々「ええっとね、夜行列車だ」

     博 司「夜行?」

     菜 々「うん、十一時三十三分発──」

     博 司「十一時三十三分──」

     菜 々「うん、ええっと、特急──」

     博 司「かえで?」

     菜 々「うん、そう、特急かえで」

     博 司「そうか──」

     菜 々「知ってるの?」

     博 司「僕と泉水が生まれた街に帰る列車だよ」

     菜 々「何だ、里帰りしてるんじゃない」

     博 司「じゃあ何で俺に言わないで──」

     菜 々「行ってみれば?」

     博 司「え?」

     菜 々「十一時三十三分でしょ? 今から一回家戻ったとしても

         間に合うんじゃない?」

     博 司「間に合うとは思うけど──」

     菜 々「他に手掛かりは無いんでしょ?」

     博 司「うん──そうだな、家でじっと待っててもしょうがない

         し、行ってみるか」

     菜 々「うん、行こう」

     博 司「ああ──え? 行こうってどういう意味?」

     菜 々「わたしも行くことにしたの」

     博 司「──はい?」

     


              ○

 

           夜の駅。

           騒がしいターミナルは、出発する人、見送る人の群

           れでごった返している。

           構内アナウンスが流れる。

     駅員の声「十一時三十三分発、特急かえで号は十三番線より間も

         なく発車致します。ご乗車のお客さまは──」

           歩いてくる博司と菜々。

           列車の前に来る。

     博 司「別に止めはしないし、何処に行こうと君の自由だけど、

         どういうつもりなわけ?」

     菜 々「だってこの手帳、返さなきゃいけないでしょ?」

     博 司「だからそれは──」

     菜 々「駄目、わたしが直接彼女に手渡すの」

     博 司「──あ、そう」

     菜 々「それに──」

     博 司「それに、何?」

     菜 々「たぶん君ひとりじゃ、彼女見つけられないわよ。わたし

         が手伝ってあげる」

     博 司「初対面なのに何でそんな──」

     菜 々「初対面じゃないわよ」

     博 司「え──?」

     菜 々「この間地下鉄で会ったでしょ?」

     博 司「ああ、そっか──まあ、いいや、邪魔すんなよ」

     菜 々「はい、野々村博司くん」

     博 司「あ、そういや、まだ名前聞いてなかったな?」

     菜 々「わたし? わたしは菜々」

     博 司「菜々」

     菜 々「そう、高村菜々」

     博 司「高村菜々さん?」

     菜 々「はい」

     博 司「その籠ん中の鳥、何?」

     菜 々「ライカ?」

     博 司「ライカって名前なんだ?」

     菜 々「そう、一緒に連れていこうと思ってさ」

     博 司「何なの、その鳥?」

     菜 々「何って、ライカは、わたしの星座」

     博 司「星座? 牡牛座とか獅子座の?」

     菜 々「そう、わたしの星座」

           籠の中で鳥がはばたき、優しく鳴く。

           列車が発車するベルが鳴り響く。

     博司(M)「こうして僕と菜々との奇妙な旅がはじまった」

     

             ○

     

           走る列車内──、

           窓を開けて、外に顔を出す菜々。

     菜 々「ああああああ」

     博 司「鉄柱に顔ぶつけても知らないぞ」

     菜 々「(戻り)わたし、夜行乗るのはじめて」

     博 司「(小声で)周りから白い目で見られてるじゃないかよ」

     菜 々「何よ、せっかくの旅行なんだからもっと楽しそうな顔し

         たら?」

     博 司「楽しくなんかないよ」

     菜 々「楽しくないの?」

     博 司「当たり前だろ。ある日突然彼女が失踪したんだから」

     菜 々「まあ、その気持ちもわかるけどね」

     博 司「え──君も同じような経験したことあるの?」

     菜 々「うん」

     博 司「そうだったんだ──」

     菜 々「すごく気に入ってたパン屋さんがある日突然、駐車場に

         なってたことがあるの。ショックだったなあ」

     博 司「──(ため息)」

     菜 々「冷凍みかん食べる?」

     博 司「いらない」

     菜 々「冷たくて美味しいのに(と、ほおばる)」

     博 司「少しは寝たら? 着くのは朝になるよ」

     菜 々「どこで降りるの?」

     博 司「阿九美町ってとこ」

     菜 々「阿九美町」

     博 司「そう、そこが僕らの生まれた街」

 

 

              ○

 

           相変わらず列車は走っている。

           静かな夜の中を走っている。

           小声で話す博司と菜々。

     菜 々「ねえ? もう寝ちゃった?」

     博 司「うん?」

     菜 々「眠れないの」

     博 司「だったら静かにしてなよ。他の人たちは寝てるんだから」

     菜 々「ねえ、泉水ちゃんってどんな娘だったの?」

     博 司「泉水は──転校生だったんだ」

     菜 々「うん」

     博 司「小学校の時にさ、転校してきたんだ。今もよく覚えてる

         んだけど、夏の少し前の日、遅刻しそうで校庭を走って

         ると、彼女が前を歩いてた。役場の人に連れられて。普

         通転校生って母親なんかと一緒に来るだろ? けど、彼

         女は違った。役場の人が、博司くんこの娘と仲良くして

         あげてちょうだいって言って、俺、うんって頷いたんだ」

     菜 々「うん」

     博 司「彼女、何でか両親がいなくてさ、おじいちゃんちに、あ

         のおじいちゃんも肉親かどうかわからないけど、一緒に

         住んでて、その日から俺、一緒に学校から帰ったりとか

         するようになった」

     菜 々「そして好きになった?」

     博 司「ああ──初恋だった──」

           がたんがたんと小刻みに揺れながら列車が走る。

     

 

風のリグレット3

              ○

     

           廊下を歩いてくる博司、部屋のインターフォンを鳴

           らす。

     博司(M)「次の日になっても連絡は取れず、彼女の部屋をたず

         ねてみた」

           繰り返し鳴らすが、返事は無い。

     博 司「(ため息)」

           廊下を引き返す。

           公衆電話に入り、プッシュフォンを押す。

           呼び出し音が鳴り続くばかりで、相手が出ない。

     博司(M)「さらに三日が過ぎ、何人かの友人たちにそれとなく

         聞いてみたが、彼女の行方を知っている者はひとりもい

         なかった。これって、もしかしたらきっと、普通、一般

         的には、失踪と呼ばれることなのかもしれない」

     

              ○

     

           博司の部屋。

           ふいに電話が鳴り、慌てて出る。

     博 司「もしもし──!」

     男の声「あ、俺、俺、麻雀のメンツ一人足りないんだけどさ?」

     博 司「(がっかりし)悪い、今忙しいんだ」

           受話器を置く。

     博司(M)「忙しいもんか。一日中電話の前に座ってるだけなん

         だ。この五日間、何度も最後に会った日のことを思い出

         してみた。何か彼女を傷つけるようなことを言ってしま

         ったんだろうか──ごめん、忘れ物してた、わたし、こ

         こで降りる──その前、その少し前。電車ががくっと揺

         れて──そしたら何かを思い出したように彼女は──何

         を? 彼女は何を思い出したんだ? 何を見たんだ?」

           再び電話が鳴り、慌てて受話器を取る。

     博 司「もしもし?」

           やはり相手は男であり、名前は三井武司。

     三 井「もしもし、三井だけど?」

     博 司「ああ──」

     三 井「暗い声だねえ。泉水ちゃんからまだ連絡無いんだろ?」

     博 司「切るぞ」

     三 井「就職先もまだ決まってないんだろ?」

     博 司「──ああ、実は彼女が紹介してくれる会社、あてにして

         たからな、結構危ないんだ」

     三 井「困ったことになったな」

     博 司「まあ、就職のことは彼女に頼ってた俺が悪いんだけど、

         それより彼女が何か事故にあったんじゃないかと思って

         さ──」

     三 井「事故じゃないよ」

     博 司「どうしてそう思う?」

     三 井「四五日前の夜、泉水ちゃんのこと見たって奴がいてさ」

     博 司「四五日前!? 泉水がいなくなった頃だよ。何処で!? 何

         処で見たんだ!?」

     三 井「表参道のファミレスにいたらしいよ」

     博 司「ファミレス? 何してたんだ? 一人でいたのか?」

     三 井「(口ごもり)さあ、そこまでは知らないけど──とにか

         く俺が聞いたのは、それだけだから」

     博 司「そっか──ありがとう」

     三 井「まあ、あんまり心配するなよ。泉水ちゃん、意外としっ

         かりしてるしさ」

     博 司「ああ──とりあえずもう一回部屋の方に行ってみるよ」

           受話器が置かれる。

           扉が閉まり、鍵がかけられる。

           誰もいなくなった部屋で、電話が鳴りだす。

           留守電に切り替わる。

     留守電の声「もしもし、ただいま外出しております。御用の方は

         発信音のあとメッセージをお願いします」

           発信音が鳴り、先方の声が入る。

           咳払いをし、風邪をひいたような感じだが、トーン

           としては明るい声だ。

     女の声「もしもし、野々村くん? もしもし、いませんか? 留

         守ですか? ええっと、泉水です。また電話します」

           あっさりと切れる。

     留守電の声「六月十一日、午後八時五分、伝言一件です」

  

              ○

      

           廊下を歩いてくる博司。

           部屋のインターフォンを押す。

           案の定返事は無く、ノックしてみる。

     博 司「泉水──? 泉水──?」

           繰り返しノックするが、返事は無い。

           廊下を戻り、歩いていく。

     博司(M)「ドアが開かなくてもわかる。泉水はもうここにはい

         ない。あきらめて引き返そうとしたその時、ひとりの女

         が階段を駆け上がって来た。すぐにはその女が誰なのか

         わからなかったけれど、すれ違ったその時──」

           ふと鳥の鳴き声が聞こえる。

     博司(M)「え──?」

           鳥の鳴き声が近づいてくる。

           はっきりと聞こえる。

     博司(M)「あ、あの娘──」

           部屋の扉がノックされる。

     博司(M)「どうして泉水の部屋のドアをノックするんだ?」

           繰り返し、ノックされる。

     博司(M)「泉水と知り合いだったのか?」

           引き返し、駆け足で廊下を戻る博司。

     博司(M)「知らないところで何かが起こっている、そんな気が

         した。泉水が少し遠く思えた」

           声をかける。

     博 司「あの──?」

           彼女の名前は、高村菜々。

     菜 々「うん?」

     博 司「どなたですか?」

     菜 々「わたし?」

     博 司「君、前に会ったことあるよね」

     菜 々「え──」

     博 司「あるよ」

     菜 々「どこで?」

     博 司「会ったっていうか、前に地下鉄で君を見かけたことがあ

         るんだ」

     菜 々「あ──」

     博 司「うん、ほら、その鳥でおぼえてるんだ」

     菜 々「ああ」

     博 司「この部屋の人に何か用なの?」

     菜 々「用っていうか、これ拾ったの」

     博 司「手帳? あ、泉水の手帳だ」

     菜 々「そう、桜井泉水さん。中に住所が書いてあったから届け

         に来たの」

     博 司「そうだったんだ。あん時落としたんだな。ありがとう」

     菜 々「何?」

     博 司「いや、わざわざありがとう。僕から渡しとくよ」

     菜 々「君には渡せないの」

     博 司「どうして?」

     菜 々「だって君は桜井泉水さんじゃないでしょ?」

     博 司「そりゃそうだけど、僕はほら彼女の──」

     菜 々「他人の手帳を勝手に見ちゃいけないでしょ?」

     博 司「そりゃそうだけど、だから僕は彼女の──」

     菜 々「彼氏?」

     博 司「彼氏」

     菜 々「彼氏にも読まれたくないようなことが書いてあるかもし

         れないじゃない?」

     博 司「僕にも読まれたくないようなことが書いてあるの?」

     菜 々「それは知らないけど──」

     博 司「けど、中見たんだよね?」

     菜 々「見たような見てないような──とにかく直接本人に手渡

         すから」

     博 司「その本人がいないんだよ」

     菜 々「いない?」

     博 司「いなくなっちまったんだ、君がその手帳を拾った日に」

     菜 々「ふーん」

     博 司「何度電話してもいないし、こうしてここに訪ねて来ても

         ずっと留守なんだ」

     菜 々「ふーん」

     博 司「だからその手帳は何か手掛かりになるかもしれないし」

     菜 々「大げさね。中にいるんじゃないの?」

     博 司「いないんだ」

     菜 々「だから、ほら、うんこして紙が無くて、トイレから出れ

         ないとか?」

     博 司「五日間も?」

     菜 々「それ、相当臭くなってるかもね」

     博 司「──」

     菜 々「あ、怒った?」

     博 司「怒ってません。怒ってないけど、俺はそういう、女の子

         がうんことかシモネタの話するの好きじゃないんです」

     菜 々「うんこの話して何が悪いのよ、うんこうんこうんこ」

     博 司「耳元でうんこうんこ言うなよ」

     菜 々「じゃあ何、君の泉水ちゃんはうんこしないってわけ?」

     博 司「うんこはするけど、うんこの話はしません──(ため息

         をつき)そんなことはどうでもいいんだ。第一、君にあ

         れこれ言われる筋合い無いと思う」

     菜 々「あ、そう、じゃあこの手帳は持って帰りますね」

     博 司「返してくれよ」

     菜 々「返します、返しますよ。でも、それは君じゃないの」

     博 司「頼むよ。何か事故とか事件に巻き込まれたかもしれない

         んだ。今こうしてる間にも彼女が──」

     菜 々「だったら部屋ん中入って確かめてみればいいじゃない」

     博 司「どうやって? 鍵も無いのに」

     菜 々「うーん──じゃあさじゃあさ、ベランダから行ってみれ

         ば?」

     博 司「ベランダって、どうやってさ?」

     菜 々「だから──」

           隣の部屋の前に行き、扉を激しくノックする菜々。

     菜 々「こんばんわ? いらっしゃいませんか?」

     博 司「おい、何すんだよ、そっちは隣の部屋──」

           繰り返しノックし、扉が開く。

     隣の男「はい?」

     菜 々「こんばんわ」

     隣の男「こんばんわ──?」

     菜 々「隣の桜井ですけども」

     隣の男「あ、どうも──?」

     菜 々「部屋の鍵失くしちゃったんですけど、もしよかったらお

         たくのベランダ貸してもらえます?」

     


 

     



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