○
波が寄せては返す。
海の音に混じり、バスが停車し、そして走る音が重
なってくる。
博司(M)「僕の生まれ育ったこの小さな街は海沿いにあり、細
長いその形から、よくへちまにたとえられる。海岸線に
沿って街の東西を往復しているバスがあり、その真っ赤
な車体がこの街のちょっとした名物になっている。その
昔、町長が変わり者だったそうで、都心から払い下げて
きた古いバスを、塗り替えたことが由来らしい。地元の
ひとたちは下品だと言うが、海沿いに真っ赤なバスが走
るこの街を、僕は結構気に入っていた」
駅に着く列車。
車掌の声「兎来美町~ 兎来美町~」
駅から出てくる博司と菜々。
静かに蝉が鳴いている。
菜 々「(欠伸をし)眠い」
博 司「だからちゃんと寝ろって言ったろ」
菜 々「でも、気持ちいい朝」
博 司「ちょっと俺、そこの公衆電話で留守電聞いてくるよ。泉
水から連絡入ってるかもしれないし」
菜 々「うん」
電話ボックスに駆け寄り、扉を開く。
受話器を取り、かける。
呼び出し音に続き、
留守電の声「もしもし、ただいま外出──」
留守電に切り替わるが、暗証番号を押す。
伝言が流れる。
風邪気味の声。
女の声「もしもし、野々村くん? 泉水です。今日も留守みたい
ね。ええっと、あの──きっと心配してるよね。ごめん
ね。今はまだ上手く話せないの。とりあえずわたしは元
気にしてます──また電話するね」
受話器を置き、電話ボックスを出る。
菜々の元に駆け寄り、
博 司「伝言、入ってたよ」
菜 々「そう」
博 司「元気にしてるって」
菜 々「良かったね」
博 司「うん──」
菜 々「どうしたの?」
博 司「──本当はおとなしく東京で待っててあげる方がいいの
かもしれないなと思ってさ」
菜 々「彼女がそう言ってたの?」
博 司「いや──」
菜 々「──ねえ、帰ってきたの久しぶりなんでしょ、懐かしい
んじゃない?」
博 司「けど、だいぶ変わっちゃったから。あんなとこに煙突な
んか見えなかったよ。街外れに製紙工場が出来たっての
は聞いたことあったけど」
菜 々「泉水ちゃんもここに降りた時、最初にあの煙突を見たの
かな」
博 司「本当にここに帰って来てるんならね──どっちにしても
この街に、彼女が消えた鍵があるのかも」
菜 々「うん」
博 司「とりあえず、昔の同級生んとこにでも行ってみよう」
○
小学校に博司と菜々が来る。
放課後のベルが鳴っている。
校庭で子供たちがドッヂボールをするなどしてる。
博 司「ここで先生やってる娘がいるんだ。泉水と同じ大学だっ
たし、何か知ってるかもしれない」
歩いていく菜々、振り返り。
菜 々「どうしたの? 行かないの?」
博 司「うん──」
菜 々「ここなんでしょ?」
博 司「ああ──ただ、なんとなく、ずっと頭の中にあった風景
と違うなってさ」
菜 々「あ、ここが君の通ってた小学校なんだ?」
はしゃぎまわる子供たちの声。
菜 々「子供の頃の記憶なんて、あてにならないものよ」
博 司「そういうものなのかな──」
菜 々「わたし、体育館のあたりで待ってるね」
博 司「ああ──」
板張りの廊下を歩く。
博司(M)「決して改築されて見る影もなくなったというわけで
はない。板張りの校舎も、青い瓦屋根もたぶんあの頃と
変わっていない。ただ、自分がおぼえていた──いや、
想像していたものとはあまりにもかけ離れた風景が目の
前にあった。思い出はいつも、もうひとつの世界を作り
だす」
○
たてつけの悪い引き戸を開け、入ってくる博司。
博 司「すいません、こちらの先生で島田麻実さんいらっしゃい
ますか?」
教 師「島田? そんな先生はここにはいませんよ」
博 司「え──」
別の席にいた吉川麻実が声をかける。
麻 実「はいはい、わたしです。何でしょう?」
博 司「あ、野々村博司と言いますけど──」
麻 実「野々村くん?」
博 司「あ、麻実?」
麻 実「久しぶりイ。わたし、結婚したのよ」
博 司「そうなんだ。ちょっと時間あるかな?」
時間経過──、
廊下を走る子供たちの声。
話している博司と麻実。
麻 実「泉水?」
博 司「最近会ってないか?」
麻 実「会ってないわ。東京にいた頃何度か会ったけど、こっち
戻ってからは全然」
博 司「そっか」
麻 実「野々村くん、泉水と東京で会ったことあんの?」
博 司「うん? うん、まあ、ちょっとね──」
他の教師が声をかける。
他の教師「吉川先生、職員会議はじまりますよ」
麻 実「あ、はい、今行きますから──あ、そうだ、園川くんな
ら知ってるんじゃない? 今でもときどき泉水と電話で
話すとか言ってたから」
博 司「園川? ああ、野球部だった奴ね。何であいつが泉水の
ことを──?」
麻 実「さあ、知らないけど。彼、今、駅の南口の商店街にある
スワンソングってバーで働いてるのよ」
博 司「へえ、意外だね、あいつが飲み屋だなんて」
麻 実「会えばもっと意外に思うかもよ?(と、くすくす笑う)」
博 司「何で?」
麻 実「行けばわかる。夜にならないと開いてないと思うけど」
博 司「ありがとう、行ってみるよ」
博司、行きかけると、
麻 実「泉水のこと探してどうするの?」
博 司「うん、まあ──」
麻 実「わたし、昔からあの娘のこと、あんまり好きじゃなかっ
たな」
博 司「え──」
麻 実「わたし、小学校の時一度階段から落ちたことあったんだ
けどね、あれって、泉水に落とされたのよ」
博 司「え──!?」
麻 実「正確には、自分で落ちたんだけどね。あの娘にすごく冷
たい目で見られて、あんたなんか死んじゃえばいいって
言われたのよ。それでわたし、怖くなって──」
博 司「ど、どうしてそんな──」
麻 実「わたしが野々村くんのこと好きだったこと、ばれたから
かな」
博 司「え──」
麻 実「(微笑って)冗談よ。忘れて?」
博 司「何だよ、脅かすなよ」
麻 実「じゃあね」
博 司「じゃあ」
立ち去る博司、ふと振り返り、
博 司「麻実?」
麻 実「うん?」
博 司「本当に冗談なのか?」
麻 実「(誤魔化すように)時間出来たら電話ちょうだいね?」
○
体育館に博司が来る。
足音から何からひとつひとつの音が館内に響く。
鍵盤の音がひとつ鳴る。
誰かが弾いてるピアノの音が聞こえてくる。
博司(M)「体育館に入ると、途切れ途切れにピアノが鳴ってい
るのが聞こえてきた。それは曲というよりも、何か、雨
音のようだった。朝、学校に行こうと目を覚まし、ふと
窓を開けると、いつもちょうどこんな感じで雨は降って
いた。雨の音──、青い音──、月曜日の音──、弾い
ているのは、菜々だった」
しばらく聞き入るが、落ちていたバスケットボール
を蹴ってしまう。
床を跳ね、館内に音を響かせて転がっていく。
途端にピアノの音が途切れる。
博 司「何だよ、止めるなよ」
菜 々「弾けないもん」
博 司「今弾いてたじゃん」
菜 々「弾けないもん」
博 司「別に無理にとは言わないけどさ」
菜々、ピアノの蓋を閉め、ステージから降りる。
菜 々「どう? 収穫あった?」
博 司「夜まで時間開いちゃったよ」
菜 々「じゃあ、ライカの餌買いたいんだけど、どっか無い?」
博 司「駅前のスーパーならあるよ、行ってみよう」
菜 々「うん」
歩きだす二人。
菜 々「今こういう古い学校って少ないだろうね」
博 司「だろうな。ここはあの頃とほとんど変わってないみたい
だし」
菜 々「ひとつ変わったことがあるよ。ほら?」
博 司「うん? 蛍光灯?」
菜 々「昔はさ、みんな裸電球だったじゃない?」
博 司「ああ、そういえば──」
菜 々「ねえ、思い出がいつもセピア色に見えるのは、あの裸電
球のせいだったのかもしれないね」
博 司「ああ──(微笑って)なんか、ここが自分の通ってた学
校みたいな言い方するよな?」
菜 々「そお? 小学校なんて何処も似たようなものだから」