風のリグレットの脚本

脚本家の坂元裕二と申します。 飯野賢治さんと一緒に作ったゲームの脚本をここにアップします。 1996年、飯野さんと共に壱岐島や尾道に旅行することを経て、 書いたものです。 飯野さんは26歳で、僕は29歳でした。 飯野さんのブログにその当時のことが書かれています。 http://blog.neoteny.com/eno/archives/2008_03_post_328.html

風のリグレット11

             ○

     

           時間経過──、

           依然として雨は降り続いている。

     博 司「(心配そうに)菜々──?」

     菜 々「(虚ろな声で)あ、呼び捨てだ」

     博 司「大丈夫だって──」

     菜 々「ねえ、ライカ、帰って来るかな?」

     博 司「ああ、帰ってくるよ」

     菜 々「(薄く微笑って)君って、嘘つきだね」

     博 司「──」

     菜 々「──ねえ、野々村くん?」

     博 司「うん?」

     菜 々「借りてもいいかな?」

     博 司「あ、ああ、幾ら?」

     菜 々「違う」

     博 司「何?」

     菜 々「貸してくれるかな? 肩」

     博 司「肩?」

     菜 々「うん、今にも倒れそう。もたれかかってていい?」

     博 司「──ああ」

           博司の肩にもたれかかる菜々。

           眠そうな声。

           以下、小声で会話する二人。

     菜 々「昨日ね、夢を見たの」

     博 司「夢?」

     菜 々「うん、子供の頃の夢」

     博 司「ああ、俺もよく見るよ」

     菜 々「わたしね、子供の頃のわたしがね、お友達と待ち合わせ

         して、ある日森の中に入るの。そしたらさ、出会ったの。

         誰だと思う?」

     博 司「ある日? 森の中? 熊さん?」

     菜 々「(微笑って)ううん、わたし、あの歌は好きだけど、残

         念ながら熊さんとは出会わなかったし、お嬢さんって声

         をかけてもくれなかった」

     博 司「じゃあ何?」

     菜 々「蜜蜂」

     博 司「蜜蜂?」

     菜 々「うん、蜜蜂が飛んでたの、わたしの顔のすぐ横を。わた

         し、動いたら刺されるんじゃないかって思ったからさ、

         じっとしてたの。蜜蜂の羽音って聞いたことある?」

     博 司「ぶーんって?」

     菜 々「うん、ぶーんって。ぶーんぶーん」

     博 司「ぶーんぶーん」

     菜 々「ぶーんぶーん」

     博 司「ぶーんぶーん」

     菜 々「ぶーん──ねえ、蜜蜂の羽音って、なんか幸せな感じし

         ない?」

     博 司「幸せな感じ? するかな?」

     菜 々「するよ。だからわたし、もうそれ以上何処にも行くの止

         めて、ずっと森の中にいることにしたの。ずっと森の中

         にいて蜜蜂の羽音を聞くことにしたの」

     博 司「ずっと?」

     菜 々「ずっと。だって誰も迎えに来ないし、外に行ってもしょ

         うがないし」

     博 司「しょうがないことないよ」

     菜 々「しょうがないよ」

     博 司「どうしてそう思うの?」

     菜 々「だって、森の外は、世界は汚れてるから」

     博 司「──待ち合わせした相手は? 待ち合わせの友達んとこ

         に行ってあげなきゃ」

     菜 々「ううん、いいの。その人は他に友達を見つけたから」

     博 司「──なんか寂しい夢だな」

     菜 々「さみしくなんかないよ。だって蜜蜂のしあわせな羽音を

         聞いてるんだから」

     博 司「うん──」

     菜 々「だから野々村くん、もし森の中で蜜蜂と一緒にいるわた

         しを見つけても起こさないでね?」

     博 司「──起こすよ」

     菜 々「どうして?」

     博 司「だって──君はそれでいいかもしれないけど、他のひと

         たちが、みんなが寂しがるよ」

     菜 々「みんなって?」

     博 司「みんなさ」

     菜 々「君は? わたしがいなくなると、君もさみしがる?」

     博 司「ああ、寂しいよ」

     菜 々「泣く?」

     博 司「少し」

     菜 々「じゃあ、言って?」

     博 司「うん?」

     菜 々「きみがいないととてもさみしいって」

     博 司「──きみがいないととてもさみしい」

     菜 々「嘘つき」

     博 司「──」

     菜 々「(微笑う)──ねえ、野々村くん」

     博 司「うん?」

     菜 々「今、わたし、いいこと思いついた。すごくいいこと」

     博 司「何?」

     菜 々「なっちゃえよ」

     博 司「え?」

     菜 々「わたしの彼氏になっちゃえば」

     博 司「──」

     菜 々「──(苦笑し)黙ってやんの」

     博 司「──ああ──(と生返事)」

     菜 々「(微笑う)」

     博 司「あ──」

     菜 々「うん?」

     博 司「その手には引っ掛からないよ」

     菜 々「え──」

     博 司「また俺を騙してるんだろ」

     菜 々「(少し黙り)──ばれた?(と、微笑う)」

     博 司「俺も馬鹿じゃないからね。そろそろ君の性格もわかって

         きたよ」

     菜 々「あ、そう。あーあ、残念」

     

              ○

     

           雨が降り続いている。

     博 司「止みそうに無いな。どうする、行こうか?」

           返事が無い。

     博 司「何だ、眠っちゃったのか──」

           寝息が聞こえる。

     博司(M)「菜々のポケットからあの緑の手帳がはみ出して見え

         た。ここに、泉水の失踪の原因が書かれている。手を伸

         ばせば届くところにある。今なら菜々は眠っている。手

         を伸ばせば、すぐそこに、泉水がいる。だけど、もう僕

         はこんなものを見る必要はないんだ。泉水のことはもう

         忘れたんだ。彼女がどうして姿を消したのなんて知らな

         くていいんだ。彼女が今何処でどうしてようと、もう僕

         には──」

           雨が降っている──、

           激しく高まっていき、ふっと雨音が消え、

           静寂。

     菜 々「何してるの?」

     博 司「──」

     菜 々「あ──見たの──?」

     博 司「──知ってたのか?」

     菜 々「──何が?」

     博 司「知ってたんだろ? これ読んで、何もかも知ってたから

         俺に見せようとしなかったんだろ」

     菜 々「わたしはただ──」

     博 司「泉水には他に付き合ってる男がいたんだな」

     菜 々「──」

     博 司「今あいつはその男と一緒にいるんだな──(と、自嘲的

         に笑う)」

     菜 々「野々村くん──」

     博 司「そのこと知ってて、だましてたのか、俺を」

     菜 々「だましてなんかないよ」

     博 司「知ってたくせに、俺のことかわいそうな男だって、心の

         中で思って哀れんでたんだろ」

     菜 々「そんなこと──」

     博 司「俺に同情してたんだろ」

     菜 々「ねえ、野々村くん」

     博 司「あざ笑ってたのか?」

     菜 々「──もういいじゃない」

     博 司「何がいいんだよ」

     菜 々「諦めたんでしょ? もう泉水ちゃんのこと、忘れること

         にしたんじゃなかったの?」

     博 司「──」

     菜 々「なのに、どうしてそんな辛そうにしてるの?」

     博 司「そんなんじゃ──」

     菜 々「そうじゃない。そうでしょ? 違う?」

     博 司「(黙ってる)」

     菜 々「ほらね」

           菜々、駆け出し、出入口のドアを開ける。

     博 司「何処行くんだよ!」

     菜 々「来ないで」

     博 司「この雨ん中、何処行くっていうんだ?」

     菜 々「悪いんだけどさ、ちょっとさ、ひとりになりたいんだ」

           外に飛び出していく。

           追いかける博司。

           殴るように、激しく雨が降りつけている。

     博 司「菜々!」

           追いかける。

     博 司「待てよ!」

     菜 々「待たない!」

     博 司「俺は──俺は──」

     菜 々「ごめんね」

     博 司「え──」

     菜 々「ひとりにして?」

           背を向け、駆けていく菜々。

           遠ざかっていく。

           立ち尽くし、見送る博司。

           ただ雨が降りつづける。

     博司(M)「菜々の後姿が雨の向こうに見えなくなると同時に、

         僕は自分自身の姿も見失った。それが菜々のせいなのか、

         泉水のせいなのかはわからなかった。ただ世界がちょっ

         と色あせて見えた」

           高まる雨音、ぷつんと途切れ──、

     

             ○

     

           博司はホテルの部屋にいる。

     博司(M)「なおも雨は降り続け、僕は夜になる前にホテルの部

         屋に戻った。知らず知らずのうちに自宅の留守番電話を

         聞いていたのは、すべてが夢だと言ってくれるような気

         がしたからだろうか。けれど、そんなことがあるわけも

         なく──」

           留守電の伝言が流れる。

     三 井「もしもし、俺、三井だけど。泉水ちゃんのことでさ、こ

         の間言えなかったことがあるんだよ。あん時は泉水ちゃ

         ん、ファミレスにいたって言ったけど、ほんとはホテル

         のバーで男と一緒にいたらしいんだよ──あんまり気落

         とさないでさ、とりあえず帰ったら電話くれよ」

           受話器を置き、切る。

     


風のリグレット10

              ○

     

           雨がトタンの上などに落ちている。

           不安に響く。

           駆け込んできた博司と菜々、息をつく。

     菜 々「わあ、すごい蜘蛛の巣」

     博 司「(咳き込み)ひどいな、こりゃ──しばらく止みそうに

         ないし、我慢しよう」

     菜 々「近づいてるのね、台風十九号。台風来る前に、今のうち

         帰った方がいいかもしれないよ」

     博 司「帰れなくなったらここに泊まればいいさ」

     菜 々「ちょっとした遭難ね」

     博 司「いいじゃん、デートしてるんだと思えばさ?」

     菜 々「こんな、泥だらけんなって、雨に降られるようなデート

         がある?」

     博 司「俺の友達で初デートで百貨店の書道展に連れてかれた娘

         がいるよ、それよりは楽しいだろ?」

     菜 々「まあね。けど、泉水ちゃんとなら、こんな目に合っても

         楽しいんじゃない?」

     博 司「(黙り)──」

     菜 々「うん?」

     博 司「泉水の話はいいよ、一時中止」

     菜 々「野々村くん──」

     博 司「雨が止んだらさ、東京に帰ろう」

     菜 々「どうして? まだ泉水ちゃんが──」

     博 司「まだ諦めたわけじゃないけど、もう無理なんだと思う。

         彼女だってこんな風に探されるの迷惑だと思うし」

     菜 々「けど、留守電が──」

     博 司「もういいんだ、俺の初恋は今日でオシマイ」

     菜 々「野々村くん──」

     博 司「そう気付くのがちょっと遅かったけど──それよりこれ

         じゃ風邪引くよ、燃えるもの集めて火を起こそう」

     博司(M)「菜々? 僕はひとつ思うことがある。だけど、それ

         はまだ確かなことじゃないから、それはまだ見つけたば

         かりだから、僕はその思いを、もう少しの間口に出さず

         にいよう」

           時間経過──、

           雨は降り続けている。

           焚き火が燃えている。

     菜 々「それで、それで?」

     博 司「学校の裏手に誰も住んでない家があってさ、俺たちそこ

         を幽霊屋敷だとか言って、よく探検ごっこしたんだ。そ

         こに秘密の基地とか作って、宝物隠してさ」

     菜 々「宝物って?」

     博 司「海で拾って来たコーラの瓶とか、綿飴の袋とか、蛇の脱

         け殻とかさ、今考えたらくだらないものばっかりなんだ

         けどね」

     菜 々「ふーん」

     博 司「あ、そうそう、あとあれ、ゴッホっているだろ?」

     菜 々「あ、うん、ひまわりの?」

     博 司「うん。俺さ、子供の頃、あの人の名前のこと、どっかの

         地名だと信じてたことがあってさ?」

     菜 々「地名?(と、微笑う)」

     博 司「昔、何にも知らない頃に親父の持ってた雑誌にゴッホの

         絵が載っててさ、下んところにゴッホって書いてあった

         んだ。それで俺、その風景画がゴッホって場所なのかと

         思い込んじゃってさ」

     菜 々「(微笑う)」

     博 司「それで俺、親父にばれないようにそれ切り抜いてさ、隠

         しておいたんだ、秘密基地に」

     菜 々「ふーん」

     博 司「いつか絶対ここに行こうって決めて、駆け落ちしようと

         か言った時もそこに行くつもりでいたし」

     菜 々「うん」

     博 司「はじめから何か間違ってたんだよ。そんな場所世界中探

         したって何処にも無いのになさ──馬鹿みてえ」

     菜 々「馬鹿じゃないよ」

     博 司「うん?」

     菜 々「わたし、好きだな、子供の頃の君」

     博 司「じゃあ、あと十年早く出会ってれば何とかなってたかも

         しれないな?(と、微笑う)」

     菜 々「かもね?(と、微笑う)」

     博 司「菜々は──(言いかけて止め)君はさ、子供の頃どんな

         だったんだ?」

     菜 々「子供の頃?」

     博 司「昔から、明るかった?」

     菜 々「明るくなんかないよ、昔も、今も」

     博 司「そうかな?」

     菜 々「わたしは──忘れちゃった」

     博 司「何だよ?」

     菜 々「いいの」

           籠の鳥に向け、鳥の鳴き真似で舌を鳴らす菜々。

           鳴き返す鳥。

     博 司「大丈夫かな、ライカも結構濡れちゃったろ」

     菜 々「うん──ポケットん中で温めたげよっと」

     博 司「逃げるぞ」

     菜 々「大丈夫」

           扉を開ける。

           耳元で鳴く鳥。

     博 司「そういや前にその鳥のこと、星座って言ってたよな、あ

         れ、どういう意味?」

     菜 々「うん──野々村くん、星座、何?」

     博 司「俺? 牡牛座」

     菜 々「わたしね、星座が無いんだ」

     博 司「え? 無いわけないだろ、二月二十九日だって星座はあ

         るんだから」

     菜 々「誕生日が無いの」

     博 司「何だよ、それ」

     菜 々「うん? うん、あのね──」

           ふいに、羽音。

           鳥が羽ばたいた。

     菜 々「ライカ──!」

           菜々のポケットから抜け出し、飛び立つ鳥。

     博司(M)「菜々は手を伸ばした。鳥は菜々の細い指先を少しだ

        けかすめ、一瞬のうちに飛び立った。割れた窓ガラスをす

        り抜け、まるで何かを見つけたみたいに外へと飛び去って

        行った。菜々に名前を呼ぶ暇さえ与えてはくれなかった。

        外に出たって青い空なんて無いのに」

           だんだんと遠ざかり、小さくなっていく羽音。

           扉を開け、外に出る菜々。

           激しい雨音。

           水たまりをはね上げ、走る。

     菜 々「ライカ!」

     博 司「どうする気だ?」

     菜 々「探しに行ってくる!」

     博 司「無理だよ!」

     菜 々「けど──!」

     博 司「無理だよ、こんな雨の中、どうやって探すんだ!?」

     菜 々「──嫌!」

     


 

風のリグレット9



                ○

     

           走り、叫ぶ博司と菜々──、

     博 司「待ってくれえ!」

     菜 々「待ってえ!」

           停留所から路線バスが出て行く。

           乗り遅れた博司と菜々。

           走ってきた為息が荒く、そしてため息に変わる。

     菜 々「──この次は何分待ちなの?」

     博 司「何分なんてもんじゃないよ。この路線は一日三本しか出

         てないんだから」

     菜 々「えー、どうするのよ!?」

     博 司「歩いて行くしかないな」

     菜 々「だって台風近づいてるのよ」

     博 司「いいよ、君はホテルに戻ってなよ」

     菜 々「何よ、強気になっちゃってさ、昨夜は泣きそうな顔して

         たくせに」

     博 司「俺は行くよ」

           歩きだす博司。

     菜 々「ちょっと待ってよ」

           付いていく菜々。

           歩く二人。

     菜 々「ねえ、時計台ってどんなところなの?」

     博 司「今は結構高い建物も増えたし、煙突や何かもあるけど、

         俺が子供だった頃はさ、この町で一番高い場所だったん

         だ」

     菜 々「へえ」

     博 司「小高い丘の上にあって周りが樫の木に囲まれてるから結

         構いいとこなんだけど、ただ町の外れだし、遊ぶところ

         も無いからさ、あんまり行く人はいないんだよね。確か

         あの真っ赤なバスと同じで、当時の町長の発案らしいし

         よ」

     菜 々「へえ」

     博 司「馬鹿町長がまたくだらないもの作ったとか言って、うち

         の親がよく文句言ってた」

     菜 々「でもわたし、その町長さん、結構好きかもな」

     博 司「俺も」

     菜 々「アンバランスで不格好だけど、愛嬌のある町よね」

     博 司「ああ、だってその時計台なんて真っ黄色な煉瓦で出来て

         るんだよ?」

     菜 々「え?」

     博 司「うん?」

     菜 々「青、じゃないの?」

     博 司「違うよ、黄色だよ」

     菜 々「黄色? 青い時計台じゃなかったっけ?」

     博 司「何言ってんだよ、見たこともないくせに。実際この町に

         住んでた人間が言ってんだよ?」

     菜 々「──そっか、そうよね──」

     博 司「ああ。あの頃はあそこに登れば町が全部見渡せたんだ。

         台風だって見えたはずだよ。泉水、今頃もう来てるかも

         しれないな。急ごう?」

     

              ○

     

     博司(M)「そこに泉水はいなかった。泉水だけではなく、あの

         時計台そのものがそこに無かった。樫の木に囲まれ、時

         計台があったはずのその場所にはただ野原が広がってい

         るばかりだった。思い出の風景から時計台だけがすっぽ

         りと抜け落ちている」

           呆然としている博司と菜々。

     菜 々「何にも無いね」

     博 司「どういうことなんだ──」

     菜 々「確かにここにあったの?」

     博 司「あったよ。間違いない」

     菜 々「ねえ、あそこにいるおばさんに聞いてみれば?」

     博 司「あ、ああ──」

           おばさんの方に駆けていく博司と菜々。

     博 司「あの、すいません、ちょっとお聞きしたいんですが?」

     おばさん「はい?」

     博 司「昔、ここに時計台がありましたよね?」

     おばさん「時計台? ああ、あったわよ」

     博 司「やっぱり。何処に行ったんですか?」

     おばさん「おととしだったかしら、火事で燃えちゃったのよ」

     博 司「火事──?」

     おばさん「煉瓦作りだったから全焼ってわけじゃなかったけど、

         危ないからってその時に取り壊したのよ」

     博 司「そうだったんですか──」

     おばさん「作り直すって話もあったらしいんだけどね、反対意見

         が多くて結局ほら、あそこの公園を作ったのよ」

           立ち去るおばさん。

     博 司「どうもありがとうございました」

     菜 々「また壁にぶつかっちゃったね」

     博 司「だったらあの留守電は何だったんだ? 泉水はここで一

         緒に台風十九号を見るつもりじゃなかったのか?」

     

              ○

     

           ぎーこぎーこ、とブランコが揺れている。

           博司と菜々が乗っている。

     菜 々「ここから見る景色も結構綺麗じゃない?」

     博 司「ああ──」

     菜 々「ねえ、元気出しなよ。きっと見つかるって」

     博 司「ああ──何、君、励ましてくれてるわけ?」

     菜 々「別にそういうわけじゃないけどさ──」

     博 司「ありがとう」

     菜 々「そんなんじゃないって言ってるでしょ」

     博 司「あ、そ──しかし、おまえ、何で俺に付き合ってくれて

         んの?」

     菜 々「何でって」

     博 司「もしかして俺の命でも狙ってんじゃないの?」

     菜 々「命? 狙ってるかもよ。バーン」

     博 司「(苦笑)」

     菜 々「何で倒れないのよ?」

     博 司「本物の銃じゃないから」

     菜 々「けど女の子がバーンってしたら、男の子はうわあって死

         ぬ真似してくれるんじゃないかな、普通そうするんじゃ

         ないかな?」

     博 司「だって俺と君って、普通じゃないから」

     菜 々「普通じゃないんなら、何?」

     博 司「何だろ? こういうの何ていうのかな? 第一何でおま

         え、俺に付き合ってくれてるわけ?」

     菜 々「君の命を狙ってるからよ、バーン」

     博 司「うわあ(と、撃たれた真似)」

     菜 々「(微笑う)」

     博司(M)「菜々が微笑った。その時が菜々の顔をちゃんと見た

         はじめての時だったかもしれない。今までずっとここに

         はいない泉水の顔を見ていたから」

     菜 々「うん?」

     博 司「え?」

     菜 々「何じろじろ見てんのよ、顔に何か付いてる?」

     博 司「あ、いや、別に──」

     菜 々「変なの」

     博 司「(苦笑し)何だかんだ言いながら、君といると、結構楽

         しいな」

     菜 々「え──」

     博 司「最初会った時はとんでもない女だとか思ったけど」

     菜 々「今はどう思ってるわけ?」

     博 司「今は──(誤魔化すように)ほら、見てみな」

     菜 々「うん?」

     博 司「子供の頃、よく自転車でこの丘を滑り降りたんだ。最高

         気持ち良かったんだぜ?」

     菜 々「スペースマウンテンより?」

     博 司「もう全然、シャツが風を集めてこんなに膨らんじゃうん

         だ」

     菜 々「自転車乗ってくれば良かったね」

     博 司「ああ──(何か気付き)あ、ちょっと待って」

           博司、何かを取ってくる。

     菜 々「ダンボール? 何するの?」

     博 司「これを、半分に折ってこうして──ほら、乗って」

     菜 々「大丈夫?」

     博 司「いいからいいから。ほら、君が前に座るんだ」

     菜 々「うん」

           風が吹き上げてくる。

     菜 々「ここからだと、なんか町に向かって滑り落ちてくみたい

         ね」

     博 司「だろ? 行くよ」

     菜 々「うん」

     博司・菜々「せーの!」

           土を蹴る。

           丘を勢い良く滑りだすダンボール。

           颯爽と走る。

           声を上げて騒ぐ博司と菜々。

     博司(M)「ひととき、ほんとひととき、泉水のことを忘れた」

           風を切り、どんどん速度を上げ、滑り続け──、

     菜 々「野々村くん、水たまり水たまり!」

     博 司「え──」

           二人の悲鳴。

           飛び上がる二人、水たまりに突っ込む。

           跳ね上がる水音。

           起き上がる二人。

     博 司「うわあ、ぐちゃぐちゃんなって──」

           ぷっと吹き出す。

     博 司「おまえ、その顔(と、笑う)」

     菜 々「何よ、野々村くんだって、すごい顔(と、笑う)」

           泥だらけの互いの顔を見て、笑う。

           楽しそうに笑う。

     博司(M)「どうしてだろう、菜々の笑顔がほんのちょっと懐か

         しく思えた」

     

   

              ○

     

           泥の雫を垂らしながら、もう一度丘の上に戻る博司

           と菜々。

     博 司「あー、びびったあ。子供の頃は全然平気だったのにな」

     菜 々「(微笑う)──ねえ、どうする? 上でもう少し彼女が

         来るの待つ?」

     博 司「──いいよ、行こう」

     菜 々「泉水ちゃん、来るかもよ」

     博 司「来ないよ──来ないと思う」

     菜 々「どうして?」

     博 司「それより、この泥、何とかしなきゃさ」

     菜 々「どっかシャワー無いかな」

     博 司「あるわけないよ、ホテルに戻ろう」

     菜 々「この恰好でバス乗るの? みんな、ゾンビでも来たのか

         と思って逃げだすわよ」

     博 司「確かに君のその顔じゃあな」

     菜 々「自分だって──(何かに気付き)あ──」

     博 司「うん?」

     菜 々「シャワー、だ──」

           ぽたんとひとつ水音がする。

           天気予報の声──、

     天気予報の声「台風十九号は徐々に北上を続け、今夜にも本州を

         直撃する模様です。現在降りつづけている雨も夜には暴

         風雨となり──」

           さらに、もうひとつ水音がする。

     菜 々「雨」

     博 司「え?」

     菜 々「降ってきた」

     博 司「ほんとだ」

           ひと粒、またひと粒と落ち、そして一気に雨が降り

           だした。

           かなりの大降りだ。

     博 司「あそこで雨宿りしよう」

           激しく降りだした雨の中、駆けだす二人。

     博司(M)「道路沿いに廃屋となったドライブインを見つけ、雨

         から逃げるようにして駆け込んだ。帰りのバスはまだし

         ばらく来そうにない」

     

 

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