風のリグレットの脚本

脚本家の坂元裕二と申します。 飯野賢治さんと一緒に作ったゲームの脚本をここにアップします。 1996年、飯野さんと共に壱岐島や尾道に旅行することを経て、 書いたものです。 飯野さんは26歳で、僕は29歳でした。 飯野さんのブログにその当時のことが書かれています。 http://blog.neoteny.com/eno/archives/2008_03_post_328.html

風のリグレット14

               ○

     

           扉を開ける。

           博司が自分の部屋に帰ってきた。

           外を走る電車の音が聞こえており、窓を閉める。

           冷蔵庫を開け、缶ビールを出して、飲む。

           何となくTVを点ける。

           お笑い番組をやっており、笑い声が聞こえる。

           すぐに消す。

           泉水の言葉を思い出す。

     泉水の声「わたし、あなたに電話なんかしてない。どうしてわた

         しの声じゃないって気付かなかったの?」

     博司(M)「毎日のように僕に声をかけてくれた留守番電話は泉

         水からのものではなかった。だったら、あれは一体、誰

         からの電話だったんだ?」

           博司、留守番電話の再生ボタンを押す。

     留守電の声「伝言、十二件です」

           再生がはじまる。

     女の声「もしもし、野々村くん? もしもし、いませんか? 留

         守ですか? ええっと、泉水です。また電話します」

     博司(M)「菜々──。今度こそすぐにわかった。これは菜々の

         声だ。何のためにこんなことを──?」

           番号を押し、伝言を飛ばす。

     菜々の声「もしもし、野々村くん? 泉水です。今日も留守みた

         いね。ええっと、あの──きっと心配してるよね。ごめ

         んね。今はまだ上手く話せないの。とりあえずわたしは

         元気にしてます──また電話するね」

           番号を押し、伝言を飛ばす。

     菜々の声「もしもし、野々村くん。泉水です。元気ですか? わ

         たしは、野々村くんに会えなくて寂しいけど、でも元気

         です。今日、あの日のことを思い出しました。いつか一

         緒に台風を見に行った日のことです。またあの台風が来

         ます。もう一度あの場所で会えたら──。野々村くん、

         わたしは今でもあなたのことが好きです。信じてくださ

         い。また電話します」

     留守電の声「伝言、以上です」

           短い発信音と共に、留守電が切れる。

     博司(M)「どうして気が付かなかったんだ、どうして気付いて

         あげられなかったんだ。菜々は自分の思いを話していた

         んじゃないか──」

           部屋を出て行く博司。

           扉が閉まる。

     博司(M)「あてもなく、僕は菜々を探しに街に出た」

           誰もいなくなった部屋で、電話が鳴りだす。

           留守電に切り替わる。

     留守電の声「もしもしただいま外出しております。御用の方は発

         信音のあとメッセージをお願いします」

           発信音が鳴り、

     菜々の声「もしもし、野々村くん──菜々です」

     

              ○

     

           夜の街。

           繁華街の喧騒の中を歩く博司。

           不安げに救急車が走っている。

     博司(M)「思えば、僕は彼女の住所も電話番号も聞いてなかっ

         た。もう二度と彼女には会えないんだろうか」

           時計の音が鳴りはじめる。

     博司(M)「もしも、もう一度あの時からやり直せるのなら、も

         しも、あの夏に帰れるのなら──。会いたい。菜々、君

         に会いたい」

           時計の音が止み、放課後のベルが鳴る。

     

            ○

     

           帰り道の、少年(幼い頃の博司)。

           誰かが走って来る。

     少 女「野々村くん──!」

     少 年「え?」

           息を切らし、追いかけて来た少女(幼い頃の菜々)。

     少 女「ふう、追いついた。ねえ、帰り道こっち?」

     少 年「う、うん」

     少 女「わたしもこっちなの。一緒に帰らない?」

     少 年「おまえ、誰だよ?」

     少 女「今日転校してきたの」

     少 年「転校生? ああ」

     少 女「役場の人が仲良くしてねって言ったら、野々村くん、う

         んって言ったでしょ?」

     少 年「言ったよ」

     少 女「一緒に帰ろ? いいでしょ?」

     少 年「いいけど──あんまりくっつくなよ」

     少 女「どうして?」

     少 年「なんか、女くせえ」

     少 女「当たり前でしょ、女なんだから」

     少 年「おまえ、親は? 今日、転校してきたんだったらお母さ

         ん来てるだろ、一緒に帰れよ」

     少 女「お母さん、いないの」

     少 年「お父さんは?」

     少 女「いないの」

     少 年「出掛けちゃったの?」

     少 女「ううん、ずうっといないの」

     少 年「ずうっといないって?」

     少 女「わたし、生まれてすぐよそに預けられちゃったから」

     少 年「え──」

     少 女「野々村くん、転校したことある?」

     少 年「ううん」

     少 女「今までね、色んなとこ行ったのよ。だから転校するの慣

         れてて一人でも来れるのよ」

     少 年「ふーん」

     少 女「今はね、おじいちゃんとこにいるの」

     少 年「ふーん」

     少 女「ねえ、いい物見せてあげようか?」

     少 年「何?」

     少 女「あのね──」

           鳥の鳴き声。

     少 年「鳥?」

     少 女「うん、ツグミ」

     少 年「何でそんなのポケットに入れてんの? 学校に動物なん

         か連れて来たら、先生に怒られるぞ」

     少 女「怒られるかな? でも、これね、わたしの星座なの」

     少 年「星座?」

     少 女「そう、星座」

     少 年「星座って?」

     少 女「あのね──(と、笑ってしまう)」

     少 年「何笑ってんの?」

     少 女「だって──あのね、わたしの本当のお母さんって、すご

         く、おっちょこちょいだったの。だってね、何でかって

         言うとね、わたしには誕生日が無いの」

     少 年「え──」

     少 女「なんかね、施設にわたしを置いてっちゃう時にね、施設

         の人に誕生日教えるの忘れてっちゃったんだって。おっ

         ちょこちょいでしょ?(と、笑う)」

     少 年「う、うん──」

     少 女「だからね、わたしの誕生日ってね、施設のおばさんが適

         当に作ってくれたんだって。でもさでもさ、そういうの

         嫌じゃない? 本物の誕生日じゃないし。だからね、思

         い切って誕生日は無いことにしたの、わたし」

     少 年「ふーん」

     少 女「だけどほら、学校のみんなとかって、星占いとかするで

         しょ? 自分の星にお祈りしたりとか。そういう時、星

         座が無いと不便なのよね。だから」

     少 年「そ、そっか──」

     少 女「野々村くんもさ、この子にお願いすれば、何かいいこと

         あるかもよ?」

     少 年「いいよ、それは君のだし」

     少 女「うん。でもね、今日先生に言われたの、明日から学校に

         動物持って来ちゃいけないって──どうしよう──」

     少 年「──」

     少 女「しょうがないか──」

     少 年「──チュンチュン」

     少 女「え?」

     少 年「チュンチュン、チュンチュン」

     少 女「どしたの?」

     少 年「明日から、学校にいる間だけ、俺がそいつの代わりして

         やるよ、俺がおまえの星座になるよ」

     少 女「野々村くん──」

     少 年「チュンチュン、チュンチュン、チュンチュン──」

     少 女「でも、それじゃ雀よ?」

     少 年「そっか、じゃあ──ピヨピヨ、ピヨピヨ」

     少 女「それじゃ、ひよこみたい」

     少 年「そっか──今日帰って研究しとくよ」

     少 女「うん、ありがとう。優しいんだね、野々村くん」

     少 年「う、うるせえ」

     少 女「良かったあ、野々村くんに出会えて」

     少 年「──あ、じゃあわたしんち、ここだから。じゃあね」

     少 年「あ、おい」

     少 女「うん?」

     少 年「名前何ての?」

     少 女「この鳥、まだ名前無いの」

     少 年「鳥じゃなくて──」

     少 女「どんな名前がいいと思う?」

     少 年「名前──名前、か──ライカってのは?」

     少 女「ライカ?」

     少 年「ライカ犬って言って、昔、はじめて宇宙に行った犬の名

         前なんだ。人間が行く前に試しでロケットに乗せられて

         さ」

     少 女「ふーん」

     少 年「ごはんも水も燃料もみんな、行きの分だけしか無いのに

         宇宙に行ってさ、帰って来なかったんだ」

     少 女「じゃあライカは宇宙に行って星になったのね? この子

         にぴったり。うん、今日からこの子のこと、ライカって

         呼ぶね。ありがとう」

           行こうとする菜々。

     少 年「あ、名前──!」

     少 女「だから、ライカ」

     少 年「じゃなくてさ──君の」

     少 女「わたし? わたしは菜々」

     少 年「菜々」

     少 女「そう、高村菜々。おぼえてくれた?」

     少 年「うん、高村菜々」

     少 女「忘れないでね」

           現実に戻るように、列車のベルが鳴る。

     


風のリグレット13

              ○

     

     博司(M)「十年前の夏、台風十九号が訪れた夜、青い時計台の

         前で僕を待ち続ける、一人の女の子がいた」

           走ってくる博司。

           息を切らし、見つめる。

     博司(M)「この青い時計台の前で──」

           時計台の前に来た、博司。

           鉄の扉をぎいいっと開ける。

           階段を上がっていく。

           かーんかーん、と鉄の階段を踏む音が吹き抜けに響

           きわたる。

     博司(M)「あの日、幼い日の彼女はここで一人何を思っていた

         んだろう」

           立ち止まる。

     博 司「菜々──! 菜々──!」

           返事は無い。

     博司(M)「煉瓦造りの壁に何か石で削ったような落書きがあっ

         た。かなり古いものだ。色あせ、消えかけ、埃が積もり、

         よく見えない」

           埃を払い落とす。

     博司(M)「かすかに読み取れた、相合い傘だ。幼い子供の字。

         不器用な文字でふたつの名前が書いてある。ふたつの名

         前。十年前に書かれた、ふたりの名前。左側には僕の名

         前、野々村博司。右側には──高村菜々、と書いてあっ

         た」

           かすかに階段を上がってくる音がする。

           だんだん大きくなる。

     博司(M)「十年前の夏、台風十九号が訪れた夜、青い時計台の

         前で僕を待ち続ける一人の女の子がいた。その娘の名前

         は、高村菜々。菜々──」

           空き缶が転がる音がする。

           転がっていき、壁に当たって止まる。

           間。

     菜 々「よお」

           あっさり言った。

     博 司「よお」

     菜 々「何してんの?」

     博 司「別に」

     菜 々「どうしてここにいるのよ?」

     博 司「──傘持って来た。ほら」

     菜 々「いらない、こんなの」

           捨てる。

     菜 々「どうしてここにいるの? 怒ってたくせにどうして来た

         のよ?」

     博 司「だって──」

     菜 々「だって、何?」

     博 司「だって、同級生じゃないか」

     菜 々「──」

     博 司「君、だったんだね?」

     菜 々「──」

     博 司「うっかりしててさ、十年遅刻してしまった」

     菜 々「──どうせ寝坊でもしてたんでしょ?」

     博 司「ごめん──なんてそんな言葉ですむことじゃないか。な

         んていうか、俺──」

     菜 々「どう? 綺麗になった?」

     博 司「驚いた」

     菜 々「驚いた? わたしは綺麗かどうかって聞いてるのに、驚

         いた? 何じゃそれ」

     博 司「(苦笑)」

     菜 々「野々村くんは十年振りに会ってもあんまり変わってない

         かな」

     博 司「そうかな」

     菜 々「うん、あの日地下鉄で偶然見た時、すぐにわかった、あ、

         野々村くんだ、野々村博司くんだって」

     博 司「そうだったんだ──」

     菜 々「綺麗な娘連れててさ、良かったねって思ってたのよ。そ

         したら彼女、手帳落として行って──」

     博 司「それで俺のこと心配して──?」

     菜 々「心配っていうか──ねえ、見て」

     博 司「うん?」

     菜 々「ほら、こっちの窓から台風が見えるのよ?」

     博 司「本当だ」

     菜 々「十九号でしょ?」

     博 司「ああ、十九号だ」

     菜 々「台風十九号──やっと見れたね」

     博 司「ああ、こっちだったんだな、君が来たのは」

     菜 々「だって、こっちからだと、ほら見えるから」

     博 司「何が?」

     菜 々「海。海が見えるから」

     博 司「本当だ。知らなかった」

     菜 々「しっ」

     博 司「え──」

     菜 々「静かにして? 目を閉じて、耳をすますの」

     博 司「目を閉じて、耳をすます」

     菜 々「そう、台風が来てる時にここに来ると、すごく騒がしい

         のに何だか気持ちがすうってなる感じがするのよ」

           激しい風と雨の音がゆっくりと消える。

           かすかに波音が聞こえる。

           波音も消えて、静まり返る。

     博 司「なんか、静かだな」

     菜 々「世界がふってなって止まってる」

     博 司「ああ」

     菜 々「海の底にいるみたい」

     博 司「ああ」

     博 司「あの日、ここでこうしてたんだな、君は」

     菜 々「うん」

           台風を見る二人。

           博司、ぽつりと話しだす。

     博 司「昔、うちの学校に転校してきた娘がいたんだ」

     菜 々「──うん」

     博 司「夏のある日、その娘が僕に言ったんだ。おじいちゃんが

         死んだって。両親もいないからおじさんに引き取られて

         東京に転校するって」

     菜 々「うん」

     博 司「ちょうどその頃、他に好きな娘がいて、別に転校してき

         た娘のことは何とも思ってなかったけど、俺、なんか寂

         しくなって、なんか駆け落ちすることになった」

     菜 々「うん」

     博 司「結局駆け落ちは失敗して、夏休みが終わって、学校に行

         くと、その娘はもう学校に来てなかった。東京に転校し

         たあとだったんだ。結局うちのクラスにいたのは一学期

         だけだった」

     菜 々「うん」

     博 司「その娘がいなくなってからしばらくは寂しかったけど、

         半年過ぎて一年二年経つ頃には、いつのまにか自分の都

         合のいいように、駆け落ちの思い出を、初恋の思い出と

         すり替えてた」

     菜 々「うん」

     博 司「一緒にゴッホに行こうって約束したあの娘のことは、二

         度と思い出さなくなってた」

     菜 々「うん」

     博 司「ごめん」

     菜 々「──(微笑って)いいの」

     博 司「けど──」

     菜 々「いいの。わたし、君のそういうところ好きよ」

     博 司「菜々──」

     菜 々「だから、もういいの」

     博 司「さっき君が言ってくれたこと」

     菜 々「うん?」

     博 司「そういうのも、ありかな?」

     菜 々「うん?」

     博 司「だから、君と付き合ったりするのも」

     菜 々「え──」

     博 司「ありだと思うんだ」

     菜 々「──(微笑って)馬鹿ね、冗談で言ったのに、すぐそう

         いうのに引っかかる」

     博 司「俺、もう一度やり直したいんだ。あの約束の続き、もう

         一度ここから──」

     菜 々「あ、いけないんだ。泉水ちゃんに言いつけてやろ」

     博 司「君から先に言ったんだぞ」

     菜 々「何が?」

     博 司「なっちゃえよって、彼氏になっちゃえよって」

     菜 々「あれは──あれは、もう賞味期限が切れました」

     博 司「──」

     菜 々「もう、腐っちゃった」

     博 司「──」

     菜 々「だから、捨ててください」

     博 司「──捨てられない」

     菜 々「きっといつか忘れるから」

     博 司「忘れない」

     菜 々「忘れてしまうから」

     博 司「忘れない!」

     菜 々「野々村くん──」

     博 司「忘れないから!」

           空き缶が蹴飛ばされ、転がる。

           二人は黙っている。

           抱き合う二人を感じながら──、

           ぽたんぽたんと、雨の音が静かに消えて行く。

           眩しい陽光を浴びた波の音が優しく聞こえる。

     博司(M)「やがて朝が来て雨が止み、太陽が顔を覗かせると濡

         れた道路に光をばらまいた。僕と菜々はそんな光のかけ

         らを拾い集めながら、海沿いの道を歩いた。波音が静か

         に帰り道を教えてくれる。世界はこんなにもみずみずし

         くあることが出来る。動きはじめた真っ赤なバスが走り

         過ぎ、僕らは、おーいと手を振った」

           遠く鐘の音が聞こえる。

     


風のリグレット12

               ○

     

           扉をノックする。

     博 司「菜々──菜々──?」

           繰り返すが、返事は無い。

     博司(M)「菜々が帰って来ない。東京に戻ったんだろうか。そ

         んな筈は無い。荷物はまだここにある。菜々は今もあの

         雨の中を──」

           扉のノックを止め、駆けだす博司。

     

              ○

     

           博司、ホテルのフロントの男と話す。

     博 司「あの、二十九号室の野々村ですが?」

     受付の男「はい、野々村さま」

     博 司「一緒にチェックインした十六号室の者はまだ戻ってませ

         んか?」

     受付の男「十六号室──高村菜々さまですね。ええ、鍵はお預か

         りしたままですが」

     博 司「そうですか──まだ雨、止みそうに無いですよね?」

     受付の男「ええ、大雨洪水警報が発令されてますし、どうやら台

         風が直撃しそうですからね。今夜は外にお出にならない

         方がよろしいかと」

     博 司「そうですか──」

           戸惑い、その場を離れる博司。

           間。

     博司(M)「ふと見るとフロントの隣に観光案内板があった。漫

         画的にデフォルメされた地図上で、真っ赤なバスが町を

         横断していた。先程までいた時計台の跡地は修正されて

         おり、その周辺にも何も無い。菜々、一体どこにいるん

         だ。行くあてなんて無いはずなのに──」

           空気が一瞬張り詰める。

           何かを見つけた。

     博 司「え──!?」

     博司(M)「地図の南側に、あるはずの無いものが描かれてあっ

         た。どういうことなんだ? これは一体何なんだ?」

     博 司「あの、すいません?」

     受付の男「はい?」

     博 司「ここに描いてある、これって時計台ですよね?」

     受付の男「どれですか? ええ、そうですね」

     博 司「けど、時計台って街の北側にあったんじゃ?」

     受付の男「ああ、あちらの方はずいぶん前に燃えましたからね。

         今残ってるのは南側の方だけですよ」

     博 司「──南側にも時計台があったんですか?」

     受付の男「ええ、この街には昔から北端と南端の二箇所に時計台

         があったそうですからね。南の方はちょうどほら、海を

         見下ろす位置にあるんですよ」

     博 司「──そんな──」

     博司(M)「そんな馬鹿な。時計台が二つあるなんて。だったら

         あの夏の日、駆け落ちしようと言って待ち合わせしたの

         は、どっちの時計台だったんだ──」

     博 司「すいません、この海側の時計台にはどうすれば行けます

         か?」

     受付の男「普段でしたらバスが出てますがね、今は走っていない

         と思いますよ。まさかお客さん、今から行かれるんです

         か? それは止した方が──」

     博 司「ありがとうございます」

     受付の男「お客さん!」

     博司(M)「待ち合わせはあの黄色い時計台じゃなかったのか。

         だとしたら──まさか──」

     博 司「あの──!」

     受付の男「はい?」

     博 司「南側の時計台っていうのは、何色なんですか?」

     受付の男「色? ああ、青ですよ、青」

     博 司「(息を飲み)──!」

           時を刻み、時計の音がかちかちと鳴りだす。

     博司(M)「十年前の夏、台風十九号が訪れた夜、青い時計台の

         前で僕を待ち続ける、一人の女の子がいた」

     

              ○

     

           時計が鳴っている。

           あの日の二人の会話が回想で流れる──、

     少 年「今夜さ、十九号が来るんだって」

     少 女「十九号?」

     少 年「台風さ」

     少 女「台風?」

     少 年「すげえ大きいんだって。なあ、見に行かないか?」

             × × ×

     少 年「二人でさ、どっか逃げるってのはどう?」

     少 女「駆け落ち?」

     少 年「え?」

     少 女「駆け落ちっていうのよ、男子と女子が一緒にどっか行く

         こと」

     少 年「じゃあ、それだ」

             × × ×

     少 年「じゃあ、時計台の前に、七時に待ち合わせしよう」

     少 女「ちゃんと忘れないで来てね」

     少 年「忘れないよ」

     少 女「絶対よ」

     少 年「絶対行くって」

             × × ×

     少 年「夏休みが終わっても、ずっと僕らだけ夏休みなんだ」

     少 女「ずっと夏休み?」

     少 年「うん、ずっと夏休み」

     

              ○

     

           警報のサイレンが鳴っている。

           豪雨の中、走る博司。

           息を切らし、走る。

           風が唸り、雨がたたきつける。

           町には既に人影は消え、他には何も聞こえない。

     博司(M)「むかしむかし、僕は同級生のある女の子と駆け落ち

         する約束をした。彼女がひとりぼっちになって、転校し

         なければいけなくなったからだ。けれど待ち合わせ場所

         に彼女は来なかった。あの時、彼女は本当に来なかった

         んだろうか。約束の場所を間違えたりしてはいなかった

         か。そして彼女の名前は本当に桜井泉水という名前だっ

         たんだろうか。もっと違った名前じゃなかったか。思い

         出せ、思い出すんだ──十年前の夏、台風十九号が訪れ

         た夜、青い時計台の前で僕を待ち続ける、一人の女の子

         がいた。彼女は僕との約束を破ったわけでもなく、桜井

         泉水という名前でもなく──」

           再び無音となり、時計の音が鳴る。

     

              ○

     

           時計の音が鳴っている。

           博司と菜々の会話が回想で流れる──、

     博 司「ここが自分の通ってた学校みたいな言い方するよな」

     菜 々「そお?」

             × × ×

     菜 々「わたしが七歳の時だった。お父さんとお母さんがいっぺ

         んにいなくなったの」

             × × ×

     菜 々「青、じゃないの?」

     博 司「違うよ、黄色だよ」

     菜 々「黄色? 青い時計台じゃなかったっけ?」

             × × ×

     菜 々「だって誰も迎えに来ないし、外に行ってもしょうがない

         しさ」

     博 司「待ち合わせした相手は? 待ち合わせの友達んとこに行

         ってあげなきゃ」

     菜 々「ううん、いいの。その人は他に友達を見つけたから」

             × × ×

     菜 々「ねえ、野々村くん!」

 


 

livedoor プロフィール
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ