舞台「ラビリンス」二次創作・後
『アナザー・ラビリンス』第十話
夕刻になって、アロンソとラカイユを乗せた馬車が帰って来た。
その様子を自室の窓から伺っていたマコーレイは、護身用の銀製のナイフを胸ポケットに入れ、玄関ホールに向かった。
ずいぶんと青ざめた顔をしたアロンソと、眼鏡をかけた赤黒い顔のラカイユが連れ立って二階の奥に向かう。そのまま二人の後を着けると、以前は父の書斎として使われていた部屋に入って行くのが見えた。
書斎と隠し扉で繋がっている父の寝室に入ると、正面には三人の妻たちの肖像画が掛けられている。
真ん中の肖像画はマコーレイの母であるルクレチアの肖像画だが、無残にも鋭利なナイフで切り刻まれていた。
恐ろしい形相をしたアロンソが【ブラッドヘブン】を踏み散らかしたあの晩を思い出し、マコーレイはすぐに兄の仕業だと感づく。
「兄さんの仕業に違いない。……どうしてこんなに酷い事を……!」
エンリケから聞いた通り、ラカイユが処方した麻薬が、アロンソを残忍な性格に変えてしまったのだと思うと、ラカイユに対する怒りがマコーレイの体中を支配する。
「でも今、感情に流されて書斎に押し入ったとしても、二対一では勝ち目がない、冷静に考えて、上手く立ち廻らないとな。」
マコーレイは深呼吸を繰り返し、一旦気を落ち着かせると、隣の寝室へ続く隠し扉に耳を近づけた。
『ラカイユ、今日は村人を十人買い集めた。明日にでもこの館に血を届けさせる手筈を整えたが、【賢者の石】の錬成には、あとどのくらい掛かるんだ?』
『アロンソ様、【賢者の石】を錬成するには、もうひとつ大切な素材が必要なのですが、それをお忘れではありませんよね?』
『ああ、恋人の心臓だろう? あれは得ようとしたが失敗に終わった。』
『アロンソ様、あの無粋な建築家の事は恋人と思っていらしたのですか? 何度か寝た相手というだけでは効果は得られません』
マコーレイは二人の会話を聞くと、今さらながら吐き気を催し、彼らが良心の呵責など微塵も感じて居ない事を実感する。
『では、どうしろと言うんだ?』
『アロンソ様ご自身が不死の力を得られればいいのであれば、【賢者の石】よりももっと簡単な方法もございますが……、いささかお勧めできるものではございません』
言っている言葉と音色に差異があり、ラカイユの真の狙いがそこにある事にマコーレイは気付いた。
『ラカイユ、いいから言って見ろ』
『アロンソ様を直接錬成して、異形の者に変えるのです』
『人体錬成は、禁じられている筈だ!』
『不死の力を得たいのでしょう?』
『……もう少し詳しく聞かせてくれ』
『アロンソ様は【キメラ】をご存知で?』
『スフィンクスの頭に虎の足、それに蛇の尾を持った怪物のことか?』
『ええ、その通りでございます。いっその事、このモルグの正当な後継者であるマコーレイ様の身体を、アロンソ様の中に取りこんでしまえば良いのです』
『本当にそんな事が出来ると言うのか? でもそうすれば、シュヴァルツも私を“番”として選ばざるを得なくなる。……ハハハハ、そんな素晴らしい奥の手を隠しておくなんて、お前も相当な策士だな。要求する金額も相当な額になるのだろう?』
『いいえ、これは私の錬金術への探求心が満たされる錬成です。金など要求致しません。……その代わり、その命を私に委ねて下されば良いのです。』
マコーレイはそこまでを聞くと、内容の非道さに我慢の限界を越えて、書斎への隠し扉から押し入った。
「アロンソ兄さん、騙されちゃいけない! こいつの狙いは兄さんと俺の命なんだ! 俺たちを抹消して、このガイウス家の資産を奪う気なんだ!」
「マコーレイ、いつここに戻って来たんだ? ポール医師を呼んだものお前なんだな?」
アロンソはギラついた目をマコーレイに向けて、手近にあった銅の置物を投げつけて来る。
マコーレイはそれをかわすと、
「兄さん、しっかりしてくれ! 全て、こいつの目論みなんだ!」
ラカイユに思い切り体当たりをし、上から身体を抑えつけた。
「ひぃぃ! アロンソ様、助けて下さい! マコーレイ様は混乱なさっています。今すぐ鎮静剤を打たなくては危険です!」
マコーレイは胸元に隠した銀のナイフを取り出し、ラカイユの首筋に当てて脅す。
「ラカイユ、お前の本当の狙いを言うんだ!」
「マコーレイ、ラカイユ医師を今すぐ離しなさい。」
アロンソは書斎の壁からライフルを取ると、マコーレイに向けて来る。
「兄さん、冷静になってくれよ!」
「私にはこの家の資産など守る意思はない。私は、シュヴァルツを手に入れられればそれで満足なんだ。」
「アロンソ兄さん! バカなことを言わないでくれ、この家は兄さんの家だろう?」
「血の繋がらないお前に、言われるまでもない。」
「兄さんに何と言われようと、俺はこいつを許さない。アロンソ兄さんをこんな風にしてしまったこいつを、絶対に許さない!」
ラカイユの首筋にナイフが当てられた所から血が滲んで来ると、ラカイユはガタガタ震えだした。
「マコーレイ様。お赦し下さい! 私は男爵のシュヴァルツ様から脅迫されて、ガイウス家を破滅させるよう指示に従ったまでのこと。私を殺しても、あの方の復讐を阻む事は出来ません」
「何……言ってるんだ? シュヴァルツがどうして……?」
ズガン! という大きな銃声と共に、アロンソはマコーレイに組み敷かれたラカイユの頭を撃ち抜いた。
その銃声を聞いたエンリケやテオドール達が、すぐに書斎のドアを開けて入って来る。
「マコーレイ様、これは一体?」
エンリケは血しぶきを浴びているマコーレイの下のラカイユに気付くと、蒼白な表情で立ち竦んだ。
「マコーレイ様!」
テオドールがマコーレイに駆け寄り、身体を抱き上げる。
「マコーレイ兄さん! 無事なの?」
白い寝衣のまま裸足で駆けこんで来た弟の顔を見ると、マコーレイは手を伸ばしてジョヴァンニの腕を引き寄せた。その後ろにはフランシスやオーギュスト、たくさんのメイドたちが集まって来ている。
「ジョヴァンニ……、アロンソ兄さんの様子が変なんだ」
「まさか、アロンソ兄さんが、ラカイユ先生を撃ち殺したの?」
ジョヴァンニは今にも倒れそうな様子で、アロンソの方へ近寄る。
「私は一体……? 私が……ラカイユ医師を撃ち殺したのか?」
アロンソは我に返ったようだが、ラカイユの遺体を見て力が抜けたのか、ライフルを床に落とす。
「どういう事だ? アロンソ兄さんは、自分の意思でライフルを撃ったんじゃないのか?」
マコーレイはテオドールに下ろして貰うと、震えているジョヴァンニの傍らに寄り添った。
アロンソは分からないと言うように、首を横に振り続けている。
「分からないんだ。……ただ、耳元に誰かの声が聞こえて……ああ、また声が聞こえる」
アロンソは落としたライフルを再び拾うと、無表情のままマコーレイ達の後ろに立っていたテオドールを撃った。
「マコーレイ様……」
「テオドール?」
マコーレイは振り返って、テオドールの身体を受け止めようとしたが、それより早く床に倒れてしまった。
ジョヴァンニは震える手でマコーレイの腕を掴むと、
「兄さん、逃げるんだ!」
そう叫んで、力強く引っ張り駆け出した。
エンリケも後ろからマコーレイ達を守るようにしながら、一緒に書斎から出て、玄関ホールに続く階段を皆で駆け降りる。
「貴様ら全員、殺してやる!」
アロンソが無表情で叫んだ声がホール全体に響くと、皆は散り散りに逃げ出した。
しかし再びズガン! という銃声が轟くと、逃げ足の遅い執事長のフランシスが撃たれて倒れた。
「フランシス!」
フランシスに駆け寄ろうとするマコーレイを、ジョヴァンニとエンリケが力づくで押さえつけ、なんとかそのまま外へ連れ出す事に成功する。
「マコーレイ様、今はどうか堪えて下さい! ホアンに自警団を呼びに行かせました。彼らがこの館に来るまで、私は貴方を死なせる訳には行かないのです!」
「エンリケ、アロンソ兄さんは自分の意思でこんな事をしているんじゃないんだ! 俺が止めないと、兄さんはもっと苦しむ事になるんだ!」
「じゃぁ、他の誰がアロンソ兄さんにこんな酷い事をさせてるって言うの? きっとラカイユ先生に打たれた薬のせいで、アロンソ兄さんは狂ってしまったんだよ。」
「ジョヴァンニ違うんだ、これは薬のせいじゃないんだ! そうだったら、俺の胸はこんなに苦しくならずに済んだのに」
「兄さん……何か知ってるんだったら、僕にも分かるように、きちんと教えてくれる?」
「アロンソ兄さんにラカイユを合わせたのは、男爵のシュヴァルツ……、そしてアロンソ兄さんにライフルを撃たせているのも、そのシュヴァルツなんだ!」
「まさか、シュヴァルツ様が……? 果たしてそのような事が、本当に可能なのでしょうか?」
「エンリケは、シュヴァルツがヴァンパイアだって知っていたな?」
「はい、私はこの家を取り仕切らせて頂いております。ですから、その情報は勿論知っております。」
「じゃぁ、ヴァンパイアが人間に暗示をかけて操る事が出来るって事も、知っているか?」
「ねぇ、マコーレイ兄さん。そのヴァンパイアは、どうして兄さん達に近づいて来たの?」
「シュヴァルツは、アロンソ兄さんの想い人であり、俺の…本当の父親なんだ。だから、俺を迎えに来た、そう思っていたんだが、本当はそうじゃなかった」
シュヴァルツは、自分を愛してくれたのだと思っていた。
優しい彼ならきっと、自分の家族も愛してくれると信じていたのに。
「彼はガイウス家に復讐しに来たんだね?」
ジョヴァンニがマコーレイの気持ちを汲み取るように、言葉を繋いだ。
「ジョヴァンニは、俺がお父様の血を継いでいないって知っていたのか?」
「ううん、知らなかったよ。でもね、何となく分かってたんだ。どうしてだと思う?」
聞かれた質問に対し、マコーレイは分からないと首を横に振ると、ジョヴァンニは答える代りに、マコーレイの唇にキスをした。
「ジョヴァンニ……?」
「僕ね、ずっと兄さんが好きだったんだ。兄弟でこんな感情を持っちゃいけないって分かってるから、ずっと押し殺して来たんだけどね。どうして兄さんを好きになっちゃったんだろうって、ずっと考えて来たよ。でも僕は兄さんを見てるだけで幸せなんだよ。ただそれだけだから、好きでいてもいいよって言ってくれる?」
瞳を潤ませて告白した弟の頭を撫でると、マコーレイは微笑んだ。
「ジョヴァンニ……」
弟にねだられた言葉を言いかけると、目に見えない何かにジョヴァンニの身体が引き離されて、館の中に引きずり込まれてしまう。
「ジョヴァンニ様!」
エンリケがジョヴァンニを追って館の中に入って行った瞬間、ズガン! ズガン! と連射されるライフルの音。それを聞いて、マコーレイは館の中に駆け込んだ。
「ジョヴァンニ! エンリケ!」
弟の着ている白い寝衣が、見る見る赤く染まって行く。
「ジョヴァンニ! ジョヴァンニ……、ジョヴァンニ……どうして……嫌だ!」
マコーレイは倒れている弟の側に跪くと、彼の身体を胸に抱き起こして泣きじゃくった。
「ジョヴァンニ、死ぬな。もう一度だけ、俺の為に歌ってくれよ……なぁ?」
いつでも側で笑いかけてくれた天使のようなジョヴァンニが、一瞬のうちに命を奪われてしまった。
彼が歌手として活躍する姿を、誰よりも楽しみにしていたのはマコーレイだ。
「コンサートホールを観客でいっぱいにして、ソリストとして歌を届けたいって……お前の夢を叶えてやりたかったのに……その前に死んでしまうなんて……、絶対に駄目だ!」
マコーレイがジョヴァンニの青ざめた顔に頬を寄せて泣いていると、微かな声が助けを求めて来る。
「マコーレイ様……助けて……下さい……」
声がした方を見ると、撃たれてもなお息があるエンリケの側に、黒いタキシード姿の麗人が寄り添い、首に牙を立てて血を吸っている。
マコーレイはその男に向かって、怒りを込めた声で彼の名を叫んだ。
「シュヴァルツ!」
「……マコーレイ、貴方は今宵も匂い立つ程に美しいですね。どうです? 貴方もこの執事の血を味わいませんか? 忠実なる僕の血はなかなか美味ですよ」
「アンタと一緒にするな! 俺は人間だ、ヴァンパイアではない!」
「そうでしょうか? では、ヴァンパイアの定義とは何だと思います? 人間の血を吸う化け物はヴァンパイアですが、では、ヴァンパイアの血を吸う人間の事は何と呼べばいいのでしょうね?」
「問題をすり替えるな! アンタはなんでこんなに惨いことが出来るんだ? これが、お母様が望んだ結果だとでも言うのか?」
それに対し、シュヴァルツは眩しい程に美しい微笑みを向け、エンリケの身体を手荒く突き離した。
「ええ、その通りです。ルクレチアはガイウス家をこのモルグから追い出し、この地を自分の子孫に遺す為にガイウス家に入りこんだのです。」
シュヴァルツが血のついた口元を瑠璃色のハンカチーフで拭いながら言った言葉に、マコーレイはきつい眼差しで睨み返した。
「いいや違う! お母様はこの地に住む人たちに幸せになって欲しいと願っていた。アンタが撃たせたテオドール、フランシス、エンリケはお母様と俺の為に尽くしてくれた人たちだった。なのに、それを知った上で、アンタは彼らを殺したんだ! 俺の愛しいジョヴァンニも、アンタが奪った! どうしてジョヴァンニの未来まで奪うんだよ?」
「ジョヴァンニさんのお母様であるベアトリーチェが、ルクレチアに毒を盛った事を貴方はご存知ないのですね? 自殺として処理された裏側には、別の真実が隠されているものですよ」
「……確かに俺はその事を知らなかった。でも、それが何だと言うんだ? 俺とジョヴァンニには関係の無い事じゃないか、アンタはそんな理由で人の命を奪ってもいいと思っているのか?」
「ええ、ルクレチアの死に関わった人間を一人残らず抹消することが、私の“愛”だからです。」
「そんなもがのアンタの“愛”だと言うのなら、俺はそれを欲しいとも思わない。俺にとっては彼らが家族であり、“愛”そのものだったんだ!」
「マコーレイ、貴方だって、私に殺して欲しいと仰ったではないですか。人間と来たら、繁殖する事か死ぬ事しか考えない下等な種族じゃないですか。そんなものになりたいと仰るのなら、私は貴方に失望します」
「シュヴァルツ、アンタの方こそ間違ってるよ。お母様は、アンタを本当に愛していたのか? 俺はアンタを愛せない。アンタと一緒に永い時を生きなくてはならないと言うのなら、今すぐに死を望むだろう」
「それは、私と“番”になることを拒むという事ですか?」
「ああ、そうだ!」
マコーレイから否定された事に、初めてシュヴァルツは傷ついた表情を浮かべた。
不思議な事に、その表情を見たマコーレイは無意識のうちに彼を抱きしめていた。
「もう止せ、シュヴァルツ……。これ以上、傷ついて欲しくない。」
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