舞台「ラビリンス」二次創作・後
『アナザー・ラビリンス』第九話
それから二日が経ち、暦の上で秋に入ると、空模様は暗く天候の荒れる日が続いている。
その二日の間に東の離れから、死人が四人も出てしまった。
当主のアロンソがそれらを、“ヴァンパイアによる犠牲者”という事で、強引にこの件を処理してしまう。
不信感を募らせた検死官や、モルグの自警組織さえもガイウス家に、異を唱えることは出来なかった。
アロンソの瞳は剣呑な光を帯び、常に苛立っているように見える。
「エンリケ、そのどうしようもない偽芸術家たちを地下室の樽の上に逆さに吊るして、血を一滴残らず抜いておくように。遺体に血が残っていると、ヴァンパイアとして復活するんだそうだ」
「はい、ご主人様」
呼ばれたエンリケはいつものように返事をしたが、その表情は青ざめ、恐怖に震えているように見える。
エンリケの側に控えていたホアンと、身体の大きなテオドールが担架で遺体の運び出しを始める。
館の地下室には、吊るされた遺体から血を抜く為の樽が用意されていて、マコーレイの不在にも関わらず、その樽は一晩につき一樽ごと中身の血が消費されていた。
それを不審に思ったエンリケは下男の動きを探って、その血がどのように使用されたのかを突き止めた。
アロンソは錬金術師と密接に付き合うようになり、大量の血液から不死の力を宿す『賢者の石』を錬成出来ると吹きこまれたそうだ。
アロンソはヴァンパイアのシュヴァルツに“番”に選ばれずに失意し、自棄を起こしているに違いない。
殺された芸術家たちは、このガイウス家に来てから五年間も一緒に過ごして来た者たちだった。
そんな彼らを何の躊躇もせず殺した上、その血で不死の命を得ようとしているのだ。
悪魔そのものとしか思えない残忍さに背筋が凍り、エンリケは辞職も考えざるを得ないと思いつめたが、マコーレイやジョヴァンニの事を想うと、惨憺たるこの場から自分だけが逃げ出すことは出来なかった。
一方、マコーレイは、庭師たちや作業員が宿泊できる簡素な小屋に寝泊まりしていた。
マコーレイの為に一室が充てがわれ、テオドールがマコーレイの身の回りの世話をしてくれている。
彼らと同じ作業服に身を包み、見習いとして紛れ込んでいるおかげで、アロンソから見つけられずに、ジョヴァンニや執事長たちの様子を伺い知ることが出来るのだ。
その日も小雨が降る中、庭師に紛れて庭園で作業をしながら館の様子を見張り、アロンソ達が出かけるタイミングを見計らって、館に入りこんだ。
薄汚れた作業帽子を取ると、マコーレイに気付いたエンリケが、すぐさま走り寄って来る。
「マコーレイ様! どうなさったのですか、そんな薄汚れた服装で? こんなに雨に濡れて、身体を冷やしてしまいますよ。今すぐ入浴とお着替えのご用意を致します」
「いいんだエンリケ、アロンソ兄さんが出かけた隙を見て様子を伺いに来ただけだから。……それでも濡れた服ではメイド達が磨き上げた床を汚してしまうな。やはり、お前の言う通りにするよ」
「マコーレイ様、その前に至急お伝えしなくてはいけない事がございます。一緒に執事控室にいらして下さいますか?」
「勿論だ」
「では、こちらに」
エンリケの後に着いて吹きぬけのホールを抜け、一階の奥にある執事控室に入ると、エンリケがマコーレイの身体を抱きしめて来た。
「よく、ご無事でいらっしゃいましたね、マコーレイ様! この数日会わなかっただけで、千日経った思いがしました。……はっ! 失礼致しました!」
咄嗟にしてしまった行為に恐縮して頭を下げるエンリケに、マコーレイは優しく声を掛けた。
「俺もエンリケの顔を見て、すごく安心したよ。この家を守ってくれて、ありがとう」
「いいえ、とんでもございません。それより、お伝えしなくてはいけない事があるのに……手紙を書こうにもマコーレイ様の所在が分からないと、困っていたんです。」
「ああ、俺も今日、東の離れで芸術家たちが四人も殺された件について、詳しく訊きたいと思っていたんだ」
「マコーレイ様、驚かずに聞いて下さい。アロンソ様はここ最近の殺人を自らの手で行っていらっしゃるのです。」
「アロンソ兄さんは、どうして芸術家たちを殺しているんだ?」
「それには大きく分けて、二つの理由がございます。一つ目に、この事件を“ヴァンパイアによる殺人”としてシュヴァルツ様への復讐とし、殺人の罪をあの方に負わせたいという狙いがあるのです」
「シュヴァルツに自分の殺人の罪を負わせるなんて、卑怯な! 以前まで、アロンソ兄さんは公正で賢い人だったのに……!」
「アロンソ様の深い愛情を傷つけられて、行く手を失った想いが恨みとなってしまったのでしょう」
「それでも兄さんを許せない。……それで、もう一つの理由はなんだ?」
「マコーレイ様はご存知無いと思われますが、医師としてここに来たラカイユには、もうひとつの顔がございました。」
「ラカイユ! ジョヴァンニをあんな状態にしたヤブ医者か。」
「はい、彼の本業は錬金術師で、アロンソ様に不死の力を宿す『賢者の石』の話しを吹きこんだのです」
「不死の力を宿す『賢者の石』だって? ……どうして兄さんは、そんな物を欲しがるんだ?」
「ヴァンパイアのシュヴァルツ様に、永久に共に過ごす事を拒まれたからでしょう。アロンソ様は“ヴァンパイアにならずとも不死の力を得る”その事に、捕らわれてしまっているのです。」
「だが、その事とこの殺人にどういう関連がある?」
「『賢者の石』の錬成には、一日につき、最低でも二人分の血液が必要となるのだそうです」
「そんな馬鹿げた理由で、今まで支援して来た芸術家たちを手にかけたのか?」
「アロンソ様は、悪魔に乗り移られたとしか考えられません。……しかし、悪魔という者は私は見た事がございませんから、もう少し現実的に調査しました所、新たな事実が浮上したのです。」
これまで立ったまま話していた事に気付いて、エンリケはマコーレイに椅子を勧めてくれる。
マコーレイを座らせると、エンリケは執事控室のクローゼットの隠し戸から、小さな箱を取り出した。
「その箱は?」
エンリケは箱の蓋を開けて、その中身をマコーレイに見せながら説明をしてくれる。
「アロンソ様の寝室には、小さな注射器がいくつも並べられた箱がございます。……これは、その使用後の注射器です。一昨日からジョヴァンニ様の治療に復帰されたポール医師に調べて頂いたところ、この内容物は幻覚を見せる麻薬の一種であることが判明したのです」
それを聞いたマコーレイは全身に怒りが駆け巡ってくるのが分かり、興奮した身体を抑えるように腕組みをした。
「いつから兄さんは麻薬なんて物に手を出すようになったんだろう?」
「恐らく、フィリップさんを殺めた事に起因するのではないかと思うのです。……アロンソ様はご兄弟の中でも一番利発で、正義感に溢れた気質をお持ちでいらっしゃいました。」
エンリケは箱の中から、乱雑に折り曲げられた羊皮紙を見せると、マコーレイはその内容を、小さく声に出して読み上げた。
「……親愛なるポール医師、私は詩人のフィリップを手にかけてしまいました。私は審問会に掛けられ、罪を償う為に拘留されるのでしょうか? 私が拘留されたら財産も土地も奪われてしまいます。そうなったら、マコーレイの身体はどうなってしまうのでしょう? 身体の弱い弟に治療を続けてやらなければ、マコーレイは死んでしまいます。お父様からの遺言で“死神が訪れようとも、マコーレイを絶対死に至らせるな”とありました。私も兄として、マコーレイを生かしてやりたいと……」
そこからは破れていて、その先に書かれた言葉は分からなかった。
だが、何故この手紙をポール医師にも届けずに破棄し、その後もポール医師を避け、自首することを止めてしまったのだろう?
「麻薬の服用にはラカイユ医師が関わっている事は明白ですが、一体どのような経緯でこのガイウス家にいらしたのでしょうね?」
ガイウス家に対し、敵意を持った誰かが、アロンソにラカイユを近づけたのか?
それとも、ラカイユ自身がガイウス家の資産を狙って近づき、アロンソを意のままに操って、自分の錬金術を世に知らしめる為に策を講じたのか?
「直接調べるしか方法はなさそうだな。エンリケ、すぐ入浴と着替えの準備を」
「はい、マコーレイ様。では、マコーレイ様のお部屋に参りましょう」
マコーレイはエンリケに入浴を手伝って貰い、爪の間に入りこんだ土まで綺麗に洗い流すと、夜会の為に新調したタキシードに着替えた。
それは、アロンソとの対峙に正装で臨みたいと考えたからだ。
身体のサイズを計った時より痩せたせいか、肩周りが動かしやすく感じる。
「先ほどまでは汚れていて気が付きませんでしたが、マコーレイ様は随分とお肌が綺麗になりましたね。以前は投薬や治療のせいで、肌荒れや湿疹が出ていらっしゃいましたから」
「そうなんだ。この館を離れてから何だか身体が丈夫になって、頭痛や目眩も起こさなくなったんだ」
「幼い頃にはしょっちゅう熱を出して寝込んでいらっしゃいましたから、身体の調子が良くなったと聞いて、私もとても嬉しく思います」
エンリケからそう言われて、マコーレイはくすぐったい気分になった。
この館を離れ【ブラッドヘブンの寝室】で、シュヴァルツと血の交換を行った事が、何らかの変化を与えたに違いない。先日、執事長のフランシスが言ったように、成人した自分には血を入れ替える必要がなくなり、シュヴァルツと血の交換を行って行けば、このまま健康な人間として生きて行けるかも知れないという希望が湧いてくる。
「一度、ポール医師にきちんと診て頂かないとな」
「ええ、でしたらジョヴァンニ様のお部屋にいらっしゃいますよ。一昨日からずっと、ジョヴァンニ様のお部屋で看て下さっているのです。」
「それは良かった。俺も、ジョヴァンニの顔をずっと見たくて仕方なかったんだ」
自分が起こした事が、成果を上げた時ほど嬉しい事は無い。
母が遺してくれた金貨を使って、弟を助ける事が出来れば、それがマコーレイの何よりの望みだった。
マコーレイは嬉々とした表情で、廊下をはさんだ斜向かいの弟の部屋を訪れた。
ノックをすると、中からジョヴァンニの声で“どうぞ”と返される。
ドアを開けて中に入ると、白い寝衣を着た弟がベッドの上で半身を起してこちらを見る。
「マコーレイ兄さん? ねぇ、兄さんなの?」
嬉しそうに笑顔を向けて来たかと思えば、途端に涙が溢れ出す。泣き顔のままベッドから降りて自分の方へ近寄って来ようとするから、慌ててマコーレイはベッドに走り寄った。
「ジョヴァンニ、近くに居てやれなくて悪かった」
「僕はずっと兄さんが居なくなった悪夢を見て、寂しくて、胸が苦しくて、耐えられないと思っていたんだよ。こっそり兄さんの部屋を見に行っても、このところずっと居ないし、兄さんどこに行ってたの?」
「幼馴染みのレオナールの招待を受けて居たんだよ。ジョヴァンニも夜会で会ったことがあるだろう?」
咄嗟に考えた嘘だったが、アロンソに命を狙われている事は隠しておきたかった。
「レオナールさん? ……あの人は確かマコーレイ兄さんと家庭教師が同じだったよね? ああそれで、新調したタキシードを着て行ったの?」
マコーレイはジョヴァンニの言葉を聞いて、彼の思考回路が正常に働いている事が分かり、嬉しくなる。
「ジョヴァンニ、数日会わない間に随分と回復したんだな!」
ベッドサイドに立ったまま弟の肩を抱き寄せると、幼い頃のように自分の胸の位置に頭がある。
クルクルした癖のあるブラウンの髪を撫でると、ジョヴァンニが恥ずかしそうに身体を捩る。
「やめてよ、もう子供じゃないんだから」
「俺にとっては、いつまでも可愛い弟なんだよ」
額にキスをしてから身体を離すと、ジョヴァンニは頬を赤らめてマコーレイを見上げて来た。
「マコーレイ兄さん、なんだかすごく綺麗になったね」
「そう思うか? それより、俺もポール先生に診て貰わなくてはいけないんだ」
「先生なら今は昼食を摂りに食堂に行ってるよ。戻ったら診てもらうといいよ。……ねぇ、それより兄さん、レオナールさんのお宅に招待されて、誰か紹介されたの?」
「いいや、これは見合いを含んだ招待では無いから、そういう話しは無かったよ」
「そうなの? おかしいなぁ……」
「何が、おかしいんだ?」
「誰か、運命の人に出会って恋をしたから、兄さんは綺麗になったんだと思ったんだ。……ねぇ、アロンソ兄さんに、ついこの間まで麗しい恋人が居たことを、マコーレイ兄さんは知ってた?」
「ああ、アロンソ兄さんに直接聞いた訳じゃないけど、知ってたよ」
アロンソが恋していた相手は、シュヴァルツ。
今ではマコーレイとシュヴァルツが恋仲になっている事も、弟には伏せて置きたい。
シュヴァルツがヴァンパイアであることも含めて、時を見て改めて紹介するべきだろうと考えたからだ。
「な~んだ、知ってたのか。いつも僕は置いてけぼりなんだな……、ねぇマコーレイ兄さん、久しぶりに今夜は一緒に眠ってくれる?」
「さっきは子供じゃないと言ったくせに、やっぱり甘えん坊だな。でもいいよ。そうしよう」
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