舞台「ラビリンス」二次創作・後
『アナザー・ラビリンス』第七話
マコーレイが目を覚ますと、何者かが自分を長い腕の中に抱いてくれている事に気が付いた。
そして自分の手には深紅の【ブラッドヘブン】が一輪、握らされている。
薄暗く青白い朝もやの中で、吸い込んだ空気には濃厚な新緑の香りが入り混じっていた。
「目が覚めましたか、マコーレイ」
頭のすぐ上から低い美声が聞こえて、その声の主を見上げると、待ち望んでいた男の顔が瞳に映った。
「シュヴァルツ、どうしてもっと早く会いに来てくれなかったんだ!」
一気に胸に押し寄せる恋情と、安心感とが入り混じった気持ちにマコーレイは戸惑ってしまい、シュヴァルツを必要以上にきつく睨みつけた。
シュヴァルツは慈しむような微笑みを浮かべて、マコーレイの額に口づけてくる。
「アロンソが新たに建てなおした教会に、二ヵ月前、ヴァンパイア除けの魔法陣が描き足されたのです。それがある限り、私は館に近づく事が出来ません。庭師の青年が、貴方をこの【ブラッドヘブンの寝室】に連れて来てくれなかったら、こうして腕に抱く事すら叶わなかったでしょう」
「【ブラッドヘブンの寝室】って……この東屋は、アンタの為に建てられたものなのか?」
「ええ、ルクレチアが私と貴方の再会の為に、密かに用意させたものです」
そこは、瀟洒な真鍮細工が張り巡らされた美しい東屋だった。
フランシスが育ててくれた深紅の【ブラッドヘブン】がいくつも咲き乱れ、どこか誇らしげに見えるのは気のせいだろうか?
東屋の中は簡素な造りだが、純白のシルクの寝具が敷かれた寝台があり、二人はその上に身体を横たえている。マコーレイは真新しい衣服を着させられており、執事長が繊細な気遣いをしてくれた事に感謝を覚えた。
シュヴァルツはマコーレイが寝台から落ちないようにと、しっかり腕に抱きしめ直してくれる。
心臓を打つ鼓動の音が聞こえなくとも、シュヴァルツの胸が温かいと感じるのは、何故だろう?
自分の肩を撫でる手の平からも甘いぬくもりを感じて、マコーレイはシュヴァルツの碧く美しい瞳をみつめた。
「シュヴァルツは、……お母様を心から愛していたのか?」
「ええ、ルクレチアは本当に魅力的で、誰よりも私を夢中にさせてくれました。私が愛した女性は、彼女だけです。彼女に出会うまで、とてつもなく長い間、私は誰を愛することも無く過ごしていました」
遠い目をして母を思い浮かべたシュヴァルツを見て、マコーレイは何故か複雑な胸の痛みを感じる。
自分が本当にシュヴァルツの子だとしたら、この恋に似た想いは、どのように処理したらいいのか?
「……そうか、そうならいいんだ」
どこか虚ろな返事をしたマコーレイに、シュヴァルツは心配そうに問いかける。
「何か他に、気がかりな事があるのでしょう?」
「いや、別に。……こんなに優しいアンタがヴァンパイアだなんて、不条理だと思っただけさ」
「ヴァンパイアだって、恋に堕ちてもいいんじゃないでしょうか? 異形の者にはそれすら許されないと思いますか?」
「そんな事は思わない。だって、アンタはとても……」
綺麗だ、と言おうとした唇を、シュヴァルツが口づけで塞いでくる。
「マコーレイ……私は、ルクレチアを愛したことさえも、忘れてしまいそうになる程、貴方を愛してしまった」
マコーレイが聞きたかった言葉が発せられた瞬間、マコーレイは自ら彼の唇を求めて、瞼を閉じた。
もう、負けを認めてしまおう。
彼と血の繋がった親子だったとしても、この想いを殺すことは、絶対に出来ない。
シュヴァルツが身体の位置を入れ替えるように、上から覆いかぶさって、更に口づけを深くしてくる。
彼が差し込んだ肉厚の舌を通して、蜜のような唾液が流れ込んで来ると、マコーレイの身体は指先の毛細血管からドクドクと脈打ち、心臓が甘く痺れてくる。
「シュヴァルツ、アンタとずっと一緒にいたい。……これが、醒めない夢ならいいのに」
食べ物の味が分からずに、ただ生きる為に食事をして来たマコーレイにとって、彼が至高の味覚を与えてくれるのだ。マコーレイは夢中になって、貪るようにシュヴァルツの唾液を啜りあげた。
シュヴァルツはマコーレイの敏感な口腔内を、ひとしきり舌先で愛撫すると、唇を離し、耳朶を甘く噛んで微笑んだ。
「私の血が欲しいと、仰ってください、マコーレイ」
シュヴァルツの紅いルビーのように光る血液の味を思い出し、マコーレイは無意識に唇を舐めた。
「アンタの血を……飲ませてくれ」
「フフフ……これほど甘美な愛の告白を、私は初めて聞きました。マコーレイ、誰よりも愛しています」
シュヴァルツは枕の下に隠した銀のナイフを、瑠璃色のハンカチーフで覆って握ると、自らの手首を切り付けた。とたんに溢れ出す紅い液体に、マコーレイは上半身を起して夢中でむしゃぶりつく。
蜂蜜のように濃厚な甘さが拡がったと思えば、ワインのような痺れを伴った酩酊感が遅れてやってくる。
「美味しい……、こんなに美味しいものを、初めて口にした。」
以前に味わったのは、ごく少量だったせいか、記憶の中のものよりも極上の快感を与えてくれる。
「もっと、たくさん飲みなさい。貴方の中に私の血が混ざる分だけ、私たちはより近しい存在となり、互いに無くてはならない“番”となれるのです。」
ジュルジュルと濡れた音を立てて血を飲むマコーレイの着ているドレスシャツの釦を一つずつ、シュヴァルツは片手で器用に開けていった。
そして釦をすべて外すと片側だけ、上着ごとドレスシャツを剥ぎ取り、真珠のような白く滑らかな膚をあらわにする。
マコーレイの首から尖った鎖骨、そして肋骨の浮き上がる胸元を慈しむように口づける。
「シュヴァルツ……俺の血も、飲んでくれ」
うっとりとした顔つきでねだるマコーレイの身体は、シュヴァルツの手で再び寝台に仰向けにされた。
「勿論です、マコーレイ。その代わり、貴方が感じるところを私に教えて下さい。」
首筋を舐められながら囁かれた言葉に、身体の中心が熱を帯び、音を立てて脈打ってくる。
心臓が痛いくらいに鼓動を逸らせ、二人の吐息も艶めいた荒いものに変化していく。
「はぁ、……はぁ、……はぁ、……これは、何? ……これは、アンタが見せる夢の中なのか?」
「いいえ、これは夢ではなく現実ですよ。貴方が望んだから、私はここに居るのです」
白い膚に浮き出る紫と緑の血管は大理石のように美しい。
それを、シュヴァルツの赤い舌先が辿り、首の付け根や肩先、肉付きの薄い胸に遠慮がちに、少しづつ牙を立ててくる。
「シュヴァルツ、もっと深く刺して……」
もっと酷くして欲しい。
もっと、痛いくらいにシュヴァルツを感じたい。
もっと、もっと。
マコーレイが腕を伸ばしてシュヴァルツの身体を引き寄せると、シュヴァルツは昂奮を隠し切れずに瞳を紅く光らせる。
「貴方は罪な人だ……、何もかもを奪ってしまいたくなる……!」
そう囁くと、獣じみた微笑みを浮かべながら、マコーレイの首筋に鋭い牙を深く突き刺した。
「あぁぁぁッ! ……シュ…ヴァルツ、……好き…だ……ッ!」
身体を突き抜ける快感に耐えかねて、心の奥にしまった本音が、口をついて出て来てしまう。
それを聞いたシュヴァルツは、マコーレイの首に牙を立てたまま、更に力強く身体をかき抱いた。
二人の愛し合う構図は、倒錯に満ちた罪深い快楽に堕ちて行く、天使たちを描いた絵画のようだった。
「次の新月の晩に、……このベッドで身体を繋げるレッスンを致しましょう、マコーレイ。」
密やかな毒を孕んだ誘惑に、抗えない甘美な疼きを感じて、マコーレイはシュヴァルツの指先に口づけた。しかし、血の繋がりのある同族同士での媾合は、大罪に値するのではないか?
「許されない事だシュヴァルツ。お母様が天国で知ったら、きっとお怒りになるだろう」
「いいえ。ルクレチアは私が深い孤独から救われる事を望んでくれました。その為に貴方が産まれて来たと、私はそう解釈しています」
《 孤独から解放され、永久の時を二人で過ごす 》
それが、長い間死ぬ事を許されない、シュヴァルツの唯一の願い。
自分がそれを叶えられる唯一の存在であるのなら、その“運命”に身を委ねよう。
しかし、二人を取り巻く問題は複雑に絡み合う蔦のように、彼らを赦さない。
「それでも、アロンソ兄さんが俺を追っている以上、アンタにも危険が及ぶだろう?」
「アロンソは、私を殺すことは出来ないでしょう。貴方の事も、出来るだけ安全に過ごせる方法をみつけてあります。……ですが、もうあの館には戻れないと、覚悟をして下さい」
自分の病気のせいで、人を殺めることに慣れてしまった兄を、このまま見捨てても良いのだろうか?
さらに、精神を病んで、暗い世界に堕ちてしまった愛しい弟を、見捨てることなんて出来ない。
マコーレイは心を決めると、シュヴァルツの腕の中から身を離して、唇についた血液を手の甲で拭った。
「いいや、俺は自分の問題から目を反らして生きて行くことは出来ない。アンタには悪いが、館に戻る用事が出来た。……シュヴァルツ、お願いだ、俺に危険が及んだ時は、アンタの手で俺を殺してくれ」
こうなってしまった以上、アロンソは自分たちをどこまでも追い詰めるだろう。
最悪の事態が訪れても、兄弟同士で殺し合う事だけは避けたかった。
生まれて初めて恋をした相手に殺されるのなら、それも悪くないかも知れない。
「マコーレイ、貴方がそう望むのなら……そう致しましょう」
自信に満ちた碧い瞳と、官能的な弧を描く唇。そのシュヴァルツの双眸には、頬を上気させた自分の姿が映り込んでいる。
いっそのこと、体中の血を彼が吸ってくれたら、自分は清められるのではないかとさえ、思えて来る。
死ぬことなど怖くない。本当に怖いのは、愛しい者を次々と奪われて行くことだ。
- 関連記事
- 『アナザー・ラビリンス』第八話
- 『アナザー・ラビリンス』第七話
- 『アナザー・ラビリンス』第六話
~ Trackback ~
卜ラックバックURL
⇒
⇒この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
~ Comment ~