舞台「ラビリンス」二次創作・前
『アナザー・ラビリンス』第五話
ガイウス家が誇る、約7平方 ㎞にも及ぶ広大な庭園には、様々な植物が植えられ、夏を迎えると花々はいっそう美しく咲き誇った。
南向きに建てられた館から全体が見渡せるように庭園が拡がっていて、向かって西側には人口の湖が湛えられていた。その人口の湖があった場所にマコーレイの母である、ルクレチアが閉じ込められた離れが建てられていたが、現在では取り壊されている。
湖の畔には小さな美しい教会があり、それはこの地にガイウス家が移住して来た際に建てられたものだ。老朽化が進んでいた教会は、新たな当主のアロンソにより、今まさに建て替えられている最中であった。
湖から庭園を挟んだ正面には新たな東の離れが建てられていた。父の死後、芸術家たちはこちらに移り住むように命じられていた為、館からは昼夜を問わずに彼らが創作活動をする様子が見てとれた。
昼間ともなれば、庭園で作業をする庭師やその弟子たちが十五名、教会を建てなおしている大工が十七名、東の離れに住む芸術家が十三名、館で働く者たち(執事・厨房の料理人・メイド・下男など)が三十六名と、たくさんの人間達で溢れかえっていた。
しかし、日が暮れると人々は家路に着き、陽が落ち切る頃になると庭園には誰の姿も見えなくなる。
月が真上に登る頃には辺りはシンと静まりかえり、代わりに周りを取り囲むモルグの森から色んな音が聞こえてくる。それらは木々のざわめきや、けたたましく鳴く鳥の声、あるいは獣たちの息づかい、強く吹く風の音は風向きによって、女性の歌声に聞こえる事さえもある。
幼い頃には怖くて仕方なかったそれらも、マコーレイにとっては友人のようなものとなっていた。
眠れぬ夜を過ごす際、マコーレイのお気に入りの場所は館の三階にあるテラスだった。そのテラスに出ると、涼しい風が吹きつけて、執筆に疲れた神経を癒してくれるからだ。
風に運ばれた花の香りも心地よく身体を包み、目を閉じてうっとりと森からの声に耳を傾ける。
するとどこからか話し声が聞こえて来る。それも男性の声だ。
マコーレイは耳をすまして、声のする方へと移動する。
館の中に入り、吹きぬけになっている階段を降りると、二階の東端にあるアロンソの部屋から話し声が漏れていることが判明した。
物盗りと言い争っている様なら自分が中に入って行こうと、中の様子を伺うと、どうやらその心配は無いようだ。
しかし、漏れ聞こえた名前に、心臓が凍りつくような感覚を覚えた。
『シュヴァルツ! どうか、分かって欲しい。ガイウス家の中から番を選ぶのなら、私にして欲しい』
自分の夢に現れる美しい【死神】。
男爵の……ヴォルフガング・アーガトン・シュヴァルツ。
どうして彼が兄の部屋にいるのだろう?
こんな夜中に、兄とどんな話をしているのだろう?
『アロンソ、君では無理なのだ。どんなに君が私に愛を捧げようと、君はルクレチアの血筋では無いのだし、私の血も入っていないのだから』
『ルクレチアさんの血がどうしてそんなに大事なんだ? マコーレイはあんなに病弱で、血を入れ替えなければ生きていけない身体なのに。それに私が知る限り、君がパートナーを選んで君の血を分けてくれさえすれば、私だって君と同じになれるはず! 君を愛してるんだ、シュヴァルツ。君が望むなら、このガイウス家の資産をすべて君に捧げてもいい』
『金や物質などという下らない物に、この私が惹かれるとでも思うのか? アロンソ、やっぱり君は何も分かっていない。それに、このモルグの森を含む領地の正式な継承者は、マコーレイなのだよ。それが理解出来ないような君に、私を愛する資格があるとでも?』
マコーレイは自分の名が出て来る度に、心臓が苦しくなってその場から逃げ出したくなる。それなのに、知りたいという誘惑に勝てずに、ドアの隙間に耳を密着させて二人の会話に聞き入ってしまう。
『シュヴァルツ、では私にも分かるように説明してくれ! お父様はルクレチアさんの秘密を誰にも明かさずに亡くなってしまったんだ。……彼女が本当は何者なのか、何故、彼女はマコーレイから引き離されて、隔離されていたのか、今までずっと知りたいと望んでいたんだ!』
『ルクレチアは、古の時代からこのモルグ一帯を治めていた由緒正しき血筋“ブリュショルリー家”唯一の生き残りだった。それに気付いたチェーザレは、あろうことか私から彼女を奪い去った!』
『ブリュショルリー家の生き残りだと? では、モルグの【魔女伝説】は単なる伝承では無かったのか?』
『だがルクレチアは人間が語るような魔女ではない。むしろ彼女は……』
シュヴァルツは、マコーレイが緊張に耐えられずに身じろぎした音を聞き逃さなかった。
彼の皮靴が大理石の床を歩いて来る音が近づいてくると、マコーレイは這うようにして逃げ、廊下を素早く走り抜けて、自分の部屋にどうにか逃げこんだ。
ホッと息をついた途端、部屋に誰かが居る気配に気付いて、マコーレイは後ろを振り返る。
閉めてあったはずのガラス窓が開け放れていて、シルクのカーテンが風に揺らめいている。
窓から外を覗きこむと、そこには梯子が掛けられていて、侵入者はここから入って来たのだと分かった。
机の上のランプに灯りを灯すと、机の上が荒らされていて書きかけの羊皮紙が散乱している。
「物盗りか? ……ぁあッ!?」
隠れていた人物に後ろから羽交い絞めにされて、揉み合いながら床に倒れ込む。
机上のランプと窓から差し込む月明かりが照らし出した人物は、支援している芸術家の内の一人だった。
「今晩は、マコーレイ坊ちゃま。痛いめに会いたくなければ見逃して下さいませんかねぇ?」
軽蔑を含んだ“マコーレイ坊ちゃま”と呼び方に立腹し、思わずその人物を鋭く睨んだ。
「お前は……、詩人のフィリップ? どうして俺の部屋に忍び込んだんだ?」
「ちょっとしたスランプでしてね、でも今月中に新しい作品を上げないと“支援を打ち切る”とアロンソ様に迫られて困りました。そこでマコーレイ坊ちゃまが詩を書いていたのを思い出して、それを有効活用させて貰おうと思いましてね。机の中で腐らせてる貴方の詩を、私の作品として世に出してあげようって、素晴らしい思いつきでしょう?」
「はっ! 芸術家が聞いて呆れるな。アロンソが支援を打ち切るって言う意見に俺も賛成だ。書く才能が無いのなら詩人なんて辞めて、いっそのこと農民にでもなれよ!」
「こんな金持ちの家に生まれたアンタなんかに、俺みたいな貧乏人の気持ちなんて一生分からないだろうさ! 毎日毎日汗水たらして働いても、薄汚れたほったて小屋に住んで、硬いパンしか買えないんだぜ。詩を書けるって大見栄切って、ここに来る前に必死に字を習ったけど、俺には教育が足りないんだよ! 俺が今まで書いた詩は、詩を書く才能がある奴らから奪った物を小出しにして来た。だけど、それも全部使い切った」
「だから俺の詩を盗みに来たって訳か? お前は農民にもなれない薄汚い盗人だな、フィリップ!」
フィリップに上から身体を押さえこまれても、こんな下等な者に負ける訳にはいかないと、マコーレイは何とか身を捩って逃れようとした。
力の差は歴然としていたが、なんとか殴られる寸前に避ける俊敏さは備わっている。だがフィリップの手がマコーレイの喉元を締め上げると、それからは逃れる事が出来なかった。
「アンタは塔に閉じ込められた病弱なラプンツェル姫さ、マコーレイ坊ちゃま。今夜ここで死んだって“とうとう病死した”って誰もが納得するだろうよ!」
「やめ……ろ! ゴホッ……ゴフッ……!」
喉を締められて酸欠になると、マコーレイの意識が遠のいて来る。
徐々にぼやけていく視界の中で、フィリップの頭部を後ろから殴る人物の影が映った。
フィリップの手が離れると、呼吸はいくらか楽になったが、体中が倦怠感に包まれて、身動きが取れない。
「マコーレイ兄さん! 兄さん! ねぇ、マコーレイ兄さん、しっかりして!」
身体がフワッと持ち上げられて、ベッドに横たえられると、自分の名を呼ぶ人物が顎を高く持ち上げて、口移しに酸素を送り込んで来る。鼻腔にふわりとオードトワレが香ってくる。
その香りから、その人物が弟のジョヴァンニである事が分かった。
「……ジョヴァンニ? あいつは?」
「分からない。……どうしよう、僕、フィリップを殺してしまったのかも……どうしよう? 兄さん!」
泣き崩れる弟の身体を抱きしめて、マコーレイはじっとフィリップの方を凝視した。
「お前は俺を助ける為にフィリップを殴った。だから仮に彼が死んでも、お前が殺した訳では無いんだよ。フィリップが死んだ原因は、彼自身が犯した罪のせいなんだ。……分かるね?」
そう優しく言い聞かせていると、微かにうめき声が聞こえて、倒れていたフィリップが上半身を起こした。
殴られた頭からは血が流れていて、その痛みに顔を歪ませていたが、再び襲ってくる気配は無い。
「兄さん……フィリップが生きてるよ? このままにしたら、また兄さんを襲うかも知れない、今すぐに殺さなくちゃ。僕は兄さんを守るって決めたんだ!」
ジョヴァンニは泣いていた頬を拭うと、再び銀の燭台を持ってフィリップの方に向かおうとする。
「ジョヴァンニ、止せ! 放って置けばアロンソ兄さんがこの領地から追い出してくれる。だからお前が直接手を汚さなくてもいいんだ。」
マコーレイは無垢な弟を守ろうと、必死にしがみ付いて彼を止めたが、ジョヴァンニはその純粋さゆえに、自分を見失っていた。
「いいや兄さん、フィリップはきっと、僕たちガイウス家に仕返しにやって来る。今、ここで息の根を止めなかった事を、後悔することになるよ?」
普段は天使のように優しい弟が、やはり気性の荒い母、ベアトリーチェの血を継いでいるのだと思い知らされた瞬間だった。それと同時に、頭の中にアロンソの言葉が思い起こされる。
『本当に恐ろしいのは、モルグの魔女ではなく、私たちの中に存在する【悪魔】だ』
目に見えぬ【悪魔】などのせいで、大切な弟を罪人にする訳にはいかない! マコーレイはジョヴァンニの身体を抱き留めながら、ベッドサイドに置いてある呼び鈴を力いっぱい鳴らした。
“ガラン、ガラン、ガラン”という金属音を聞いて、ジョヴァンニはやっと我に帰ったようだった。すぐに寝間着姿の執事のエンリケと、執事見習いのホアンが部屋に入って来る。
「マコーレイ様、どうなさいました? 何事ですか……これは、一体?」
「ジョヴァンニ様が、フィリップを殴って怪我をさせたんすか? てゆうか、なんでこんな夜中に、三人でマコーレイ様のお部屋に集まっておいでで?」
「ホアン、今すぐにアロンソ兄さんを呼んで来てくれ。」
「はい、分かりました! 今すぐにご主人様を呼んで来ますっす!」
田舎から出て来たホアンのとぼけた口調が、少しだけその場を和ませてくれたが、エンリケは青い顔をしてマコーレイとジョヴァンニ、フィリップを交互に見ながら“大変な事になった……”と呟いている。
「兄さん、僕……大変なことをした」
身体から力が抜けて、ズルズルとベッドに倒れ込んだ弟に、
「いいんだよ、ジョヴァンニ。大丈夫。すべて、アロンソ兄さんが解決してくれるから、安心して」
と語りかけて、マコーレイは弟の背中を優しく何度もさすった。
「あの、マコーレイ様、私は何を致しましょう?」
「エンリケは、その盗人を見張ってくれ。その男がこの部屋に侵入して俺を襲ったんだ。だからジョヴァンニは俺を助ける為にそいつを殴った。それだけのことだ」
「はい、承知致しました」
すると窓にかけられた梯子を登って来た、庭師のテオドールが窓から顔を覗きこませた。
「申し訳ございません、マコーレイ様。俺が寝てしまったから、貴方をお守りすることが出来なかった!」
「テオドールは、この間も俺を森から連れ帰ってくれたんだったな」
大きな体躯をした逞しい若者が、窓から部屋の中に入って来た。
いかにも庭師らしく、清潔とは言えない服装ではあったが、彼は小さい頃からマコーレイに花を届けてくれた、幼馴染みでもあった。
「俺は貴方をお守りするようにと、ご主人様から命じられていましたが、こんなことになってしまい、何とお詫びを申し上げたらいいのか……、本当に申し訳ございません!」
大きな身体を精いっぱい折り曲げて、謝罪を込めて頭を下げるテオドール。
アロンソからの言いつけで、彼が自分を見張っていたのだと知り、マコーレイは少しだけ傷ついた。
「テオドール、謝らなくてもいい。その代わり、ジョヴァンニを部屋に連れて行ってやってくれ。夜が明けたらすぐに、ポール医師を馬車でお連れするんだ」
「分かりました。マコーレイ様のおっしゃる通りに致します」
テオドールは軽く会釈をして、ジョヴァンニを腕に抱き上げると部屋を後にした。
ホアンに呼ばれて連れて来られたアロンソは、部屋に入って来るなり、胸元に隠した護身用のナイフでフィリップの心臓を深く刺した。
“ぎゃああぁ!”という断末魔の叫び声が、マコーレイの部屋中に響きわたる。
アロンソは、ナイフに着いた血をいかにも汚らしいと言うように、清潔な白いハンカチーフで拭うと、
「エンリケ、彼の遺体は地下室の貯蔵庫に入れて置け。この役立たずな詩人も、血液だけは使いようがあるからな」
そう言って、冷酷な表情のままマコーレイをみつめて来る。
「マコーレイ、お前はいつも問題の渦中に在って、私を酷く苦しめるのだな。どんな理由があるにしろ、私はお前を許さない。確かにフィリップはどうしようもない詐欺師だったが、彼を犯罪に走らせたのはお前が書く詩や小説にも要因があるんだ」
仇を見るような表情で、悪意を込めた言葉が投げつけられる。
優しくて理性的だったアロンソは、自分のせいで変わってしまったのだ。先ほど盗み聞いた、アロンソとシュヴァルツの会話の内容を思い出して、マコーレイはそう思わざるを得なかった。
その日を境に、歯車は少しずつ狂い始める。
マコーレイにとって優しくて居心地の良かったガイウス家は、徐々に姿を変えて行った。
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